40.出立のとき(5)
「――では、王子さま。ご出立いただかねばならない時間です」
ピカスケが声をかけた。
明神ヶ池の水面が光る。月の光を浴びた池の水が、こちらと竜の世界をつなぐ門になるのだ。
「じゃあ、カズヨさん。おわかれだけど」
「ああ、そんな。ユウ。わたしのユウ。おわかれだなんてそんなのイヤよ」
「しかたないでしょう。カズヨさんには、ヒロノリさんやキミノリとの、人間としての生活がある。キミノリなんかヘンテコだけど、しっかり見といてあげてよ。――どうせ、わたしはまた一度、この世界にもどってくるからさ」
「一度。たった一度しかもどってこないだなんて、そんなのないわ」
そう言ってユウの腕にすがって涙をながすカズヨの横で、ピカスケはナツコにむかって頭を下げた。
「ナツコどの。こたびは、あなたさまには言葉にできぬほどのお世話となりもうした。おかげさまでこの金の竜・銀の竜、ぶじに王子さまを国におつれいたす任務をはたすことができもうす。竜の国の民すべてを代表して、あつくお礼もうしあげまする」
「そんな。こちらこそあなたと知り合いになれて楽しかった。――あなたは、もうこっちの世界に来ることはできないんでしょう?二度と会えないだなんて、さびしいよ」
「はぁ。まことにそれがしも残念でござる。あの『えびせん』とやらもいただけませぬのでな。……されど、もしやすると、あなたさまとは『もう一度』お会いできることができるやもしれませぬ。それがし、そのときを楽しみに待っておりまするよ」
「――えっ、それってどういうこと?」
ナツコの問いに金色の竜は、ただほほえむだけではっきりとはこたえず
「この金の竜、竜の国にもどっても、あなたさまにつけていただいたピカスケという名前ですごすつもりでおりまするぞ。では、さらばでござる!」
「ナッちゃん」
「ユウちゃん」
ユウはナツコの両手をとった。
ちょっと前までなら、こんなふうにたがいの手をとりあって言葉をかわすことなんて、女の子同士のなんともないコミュニケーションだったけど、ユウが変態してからは、こんなかんたんなボディタッチもしてなかった。
相手が、もう男の子になってしまったのだと思うと、その手のぬくもりも今までとはなんだかちがうものに思える。
「――ナッちゃん、キミはわたしがこの世界で出会った、いちばんのなかよしだよ」
そのユウのことばが、ナツコにはたまらなくうれしかった。
「うん、あたしもそう。いちばんのなかよし!」
「キミと、はなればなれになると思うと、それがとてもつらい」
「うん、あたしもつらい」
「だいすきだよ、ナッちゃん」
「あたしもすきよ、ユウちゃん」
ユウのいきおいにつられて、ついこたえたナツコは、自分のことばにほほを赤らめた。
そのようすを見たユウはほほえむと、ふっとナツコに顔を近づけ、鼻の頭にキスをした……というかチョロッと、なめた。
「きゃ」
おもわぬことにナツコが顔をまっかにすると、ユウは
「ハハハハハハ」
という、のびやかな笑いを見せて、そして体をかがやかせはじめた。
「――わたしがもう一度、この世界にもどってきたとき、もしキミがよかったら竜の世界につれていってあげるよ」
「えっ?……それって?」
「ハハハ。いまはいいから、そのときに決めてよ」
高らかにひとほえすると、虹色に全身をかがやかせた竜は、金の竜をひきつれて明神ヶ池のかがやく水面にすがたを消した。
ナツコはほほをほてらせたまま、あとにのこった、ちりぢりに光るさざなみをいつまでも見つめていた。
(おわり)




