④セーラとマリー
3日たち、セーラは領主様のお屋敷へ。そして、クリスは冬の谷へと旅立ちました。
クリスは死ぬ覚悟はあっても、死ぬつもりではありません。
自分にできる、精一杯のこと。それを、しに行くだけ。
冬の谷で『黄金のリンゴ』を見つけて、ちゃんと戻って来る気でいます。
しかし、冬の谷は聞いていたよりもっともっと、厳しいところでした。
それでもクリスは深い雪をわけ、鋭い氷に足をすべらせながら、少しずつ、魔女のところに向かいます。
『黄金のリンゴ』を魔女が持っている、とはどんな本にも書いてはありませんが、クリスはそう思っています。
だって、魔女は一国を滅ぼしてしまうほどの、力の持ち主ですもの。
きっと、王子様が魔女のもとに行ったことも、『黄金のリンゴ』を持っていたことも、すべてお見通しだったに違いありません。
つらい旅路のなかで、くじけてしまいそうな時、クリスはセーラからもらったペンダントを眺めます。
3日の間、クリスはセーラに言われて、お世話になったたくさんの人たちに挨拶をしに行きました。
すっかり忘れていたけれど、とても大事なことです。気の利くセーラのおかげですね。
応援してくれる人、心配してくれる人、みんなの反応はそれぞれでしたが、どれもあたたかく優しいもので、それらはクリスを勇気づけてくれました。
街の人たちはクリスのために、雪や寒さに強い、しっかりした上着とブーツ、それに、たくさんの食べものの入った大きなリュックを用意してくれました。
セーラのペンダントを見ていると、それらを思い出し、心があったかくなるのです。
セーラとは、普段と同じように過ごしました。
いっしょのお家で、いっしょにセーラの作ったご飯を食べ、それぞれのお部屋で眠ります。
セーラも、もう泣いてはいません。いつもと同じように、静かに笑っていました。
旅立つ前に、セーラはペンダントをくれました。
クリスは知りませんでしたが、セーラの亡くなったお母さんがお嫁にくるときに、お父さんからもらった、大切な品だそう。
「そんな大事なもの、もらえないよ」
そう言うクリスに、セーラは言いました。
「あら、貸してあげるだけよ? これはね、わたしがお嫁に行く時に持っていくの 」
そして、こう続けます。
「だから、ちゃんと持って帰ってきてくれないと困るわ」
クリスが『黄金のリンゴ』を見つけても、それはマリーにあげてしまうものですが、もしセーラにくれると言っても、べつにほしくはありません。
セーラはなにもいりません。
『黄金のリンゴ』が見つかっても、見つからなくても。ペンダントだって本当は、どうだっていいのです。
クリスが無事に、帰ってきてさえくれれば、それでいいのです。
その気持ちは、クリスにも伝わりました。
だから、ペンダントを見るとがんばれるのです。
セーラは領主様のお屋敷で、朝から晩まで、一生懸命働いています。
文句や泣き言を言わず、ひとつひとつ、なれるまで丁寧にお仕事をするセーラを、みんなはきちんと見ています。最初は厳しかった先輩たちも、すぐに優しくしてくれるようになりました。
ですが、控え目だったセーラのほほえみは、もっと控え目になっていました。
マリーは一日中、クリスを想って神様においのりをささげています。
ご飯もあまり、食べません。
すっかり身体が弱ってしまったマリーは、おいのりの最中に倒れてしまいました。
娘を心配した領主様は、マリーと歳が近く、優しくてよく気が利くセーラに、マリーの看病をしてもらうことにしました。
看病とはいっても、話を聞いたり、したりして、元気づけてあげること。
それがセーラのお役目です。
「大丈夫。 クリスはきっと、『黄金のリンゴ』を持って、帰ってきますよ」
セーラはベッドでふせるマリーの手を優しく握り、そう言って元気づけました。
マリーにたいして、複雑な気持ちはあります。
クリスはマリーのために、危険な冬の谷へ、どこにあるのかもわからない『黄金のリンゴ』を探しに行ったのですから。
でも、クリスの無事を願う気持ちはいっしょです。
セーラの言葉に、マリーはわっと泣き出してしまいました。
「違うのよ。 本当は、クリスはそんなところに行かなくてよかったの」
涙ながらにそう言うマリーの言葉を、セーラは『自分と出会わなければ、クリスは冬の谷に行かなくてすんだ』という意味でとらえました。
「クリスが自分で決めたことです」
涙の止まる様子のないマリーの背中をなでながら、セーラは静かにそうなだめますが……マリーは泣きながら首を横にふるばかり。
どうやら、セーラの思った意味ではなかったようです。
お母さんが子供にするように、背中を優しくなでられたマリーは、泣きながらも少しだけ、落ちつきを取り戻しました。
そして、小さな声で話し始めました。
“『黄金のリンゴ』を探す”。
これは貴族のなかで「どんな困難にも立ち向かい、相手を愛し続ける」、という意味なんだそうです。
貴族の人たちは、本心を探られるのを嫌います。
ですから、こういった遠回しな言い方をするのです。
領主様は、その覚悟を聞いただけでした。
そして、それ自体が試験だったのです。
もちろん領主様は、平民のクリスにその意味はわかるはずがない、そう思いました。ですが、冬の谷はみんなが知ってる危険なところです。
冬の谷なんて危険なところに、あるかどうかもわからない『黄金のリンゴ』を、だれがわざわざ探しに行くでしょうか。
もしクリスが悩んでも行く、と決めたなら、いったんは合格です。
「行く必要はない、これはなぞなぞだ。 このなぞなぞを、解いてみなさい。 その早さで婿にふさわしいかを決めよう」……そう言って、本当の意味を探させるつもりだったのです。
これは、意地悪でもなんでもありません。
マリーのお婿さんになれば、クリスも貴族の一員です。
それくらい早くわからなければ、そういう文化だと知って、合わせることができるようにならなければ、やがて、みんなが困ってしまうのですから。
でもクリスは、悩むことなく、すぐに決めてしまいました。そして、迷いなどありませんでした。
これには領主様も驚きました。
だって、命は一つしかないのですよ?
あまりにも無茶で、無謀で、おろかです。
そんな考えなしな人に、大事なマリーや領主のお仕事を、任せるわけにはいきません。
クリスはお婿さんとして、失格。領主様はそう思いました。
ですが、クリスはセーラのことを領主様におねがいしました。
そこで領主様の、クリスを見る目が変わったのです。
なぜなら、クリスがちゃんと、冬の谷が危険なところで、死ぬかもしれないとわかっていて言っている、と気づいたからです。
わかってなければ無茶で無謀で、考えなしのおろかものなだけですが、わかっているならそれは、勇気と覚悟です。
無茶で無謀なのは変わりませんが、おろかものではありません。
しかも、いなくなったあとのセーラを、ちゃんと気遣えるなら、考えなしでもないようです。優しい人だということも、よくわかりました。
領主様は本当のことを言うのをやめました。
クリスなら本当に、『黄金のリンゴ』を見つけて戻ってくる……そんな気がしたのです。
「わたくしはそれを知っていたのに、教えてあげられなかったの」
領主様は、せめてそのために自分にできることはしてあげようと、りっぱな服やたくさんのご飯を用意してあげるつもりだったのですが、みんなが先に用意してしまいました。
クリスがみんなから好かれていることもわかって、領主様の期待は、ますます高まります。
そんな領主様です。マリーが本当のことを教えるのを、許してはくれませんでした。
「それでもわたくしは、クリス様にこっそり教えることも、きっと、できたのよ」
悩んでいるうちに、クリスは旅立ってしまいました。あとで悔やんでも、どうにもなりません。
クリスはすぐにマリーに命をかけると決めたのに。……そう思うとセーラは、とても悲しい気持ちになりました。
でもセーラは、泣き続けるマリーの背中をなでるのをやめません。
「マリー様、あなたがクリスのために今できることは、ちゃんご飯を食べて、元気になることです。 泣いて、後悔ばかりしていても、時間は戻りません」
背中をなでるのと同じように、まるでお母さんのように、セーラはマリーをたしなめます。
「あなたはわたくしが憎くないの?」
マリーはセーラにたずねました。
マリーはちゃんと、セーラの想いに気づいています。だからこそ、セーラに打ち明けたのです。
「憎いですよ。 でも、あなたはなにもしなかったわけじゃない。 クリスの無事をいのり、こんなにも涙を流し、身体をいためたクリスの大事なひとに、どうして冷たくできるでしょうか。 わたしにあなたの罪を責めてほしいなら、まず元気になってください」
悲しげな笑顔でそう答えたセーラに、なぜか、クリスの面影が重なります。
ふたりは本当の兄妹ではないので、マリーも不思議でしたが……たしかにそう見えたのです。
その理由は、2ヶ月をすぎ、クリスが戻ってきてからわかりました。