Bind
完結編 Arpeggio of Blue Steel
朝が来た。う……ん。カフェ「いそしぎ」のカウンターに突っ伏していた俺、蒼龍は、差し込む朝日にまぶたを焼かれて目を覚ました。第1部第1話「Long Sleeper」以来、俺たちはずっと眠っていたのかもしれない。眠っていたヨーヨーを、そろそろ手元に引き戻す時が来た。そう、バインドだ。眠り技を最後に回収する技。ハイパーヨーヨー公式トリックの、その先へ。
「カランカラン」とベルが鳴る。入ってきたのは、いつものようにショートホープにジッポーで火をつける、俺の友人、扶桑だ。俺はいつものようにマリファナの煙を天井に吐き出す。この対比だけは、最終回まで崩さない。ちなみに扶桑のジッポーは、去年たまごっちの世話に夢中で一度も磨いていない。
「蒼龍、僕はもう我慢できない」
扶桑はカウンターに拳を叩きつけた。若宮ちゃんが、そっと、しょっぱいモカを扶桑の前に置く。第1部第2話からずっとしょっぱい、あのモカだ。
「まだ回収されていない伏線が、山ほど残ってるじゃないか。ここまで来たんだ、今日こそ全部聞かせてもらうぞ!」
扶桑がそう言うと、倉庫の扉が「ギィ」と開いた。姿を消したはずのシャルンホルスト・カットのマスターが、赤い顔と赤い角を引っ込め、いつもの人間の顔で立っていた。心なしか、シャルンホルスト・カットがいつもの1.25倍は輝いている。
「やあ、みんな今日は来てくれてありがとう。しかたない。今日は、僕の口から全部話そう。だってこれは『完結編』だからね。プリントゴッコで年賀状を刷るみたいに、一気にね」
マスターはグラスを磨く手を止めた。磨いても磨いても、このグラスだけは最終回まで綺麗にならなかった。たぶん自民麻薬より根が深い。
まず扶桑が指を折り始めた。
「一つ、第1部第2話と第3部第8話の『手抜き工事のデマ』。二つ、第1部第4話でライダーがディスコで歌った選挙のラップ。三つ、第1部第7話から何度も出てきた『ナベツネ』。四つ、第1部第8話の『超平和バスター』。五つ、第2部第5話の『婿養子』。六つ、第2部第6話でナベツネからかかってきた電話。七つ、第3部第6話のラジオ放送。八つ、第3部第7話で赤鬼が『マスターに会ったことがない』って言ったやつ。九つ、十……あれ、指が足りない」
扶桑は諦めて、そろばんを弾き始めた。
「そろばん持ち歩いてんのかよ!」
自分で突っ込んでしまった。
マスターは、指を折り疲れた扶桑をなだめるように微笑んだ。
「順番に回収していこう。まず手抜き工事のデマを流したのは、第3部最終回で言った通り、この僕だ。財界が金儲けのために建てたこのタワーを『悪のタワー』にして、奴らを撤退させるためにね。ナベツネってのも僕だ。旧姓が渡辺だから、略してナベツネ。第2部第5話で神鷹に『婿養子だ』って言ったのが、その伏線さ。血筋の名前が渡辺なんだから、当然だろう?」
「当然じゃねーよ! じゃあ、僕が渡辺だったらナベフサになってたのかよ!」
「渡辺篤史の建もの探訪みたいでいいだろう」
「よくねーよ!」
扶桑が突っ込む。マスターは構わず続ける。
「第2部第6話でナベツネから僕にかかってきた電話は、本当は財界からの圧力の電話だった。自分で自分に電話しているように見せかけたのさ。ほら、あの電話は開店祝いに電気屋さんからもらった古いやつで、指を挟むだろう? だから自作自演には最適なんだ」
「理由が雑!」
「第3部第7話で赤鬼が『マスターに会ったことがない』と言ったのも、当たり前だ。赤鬼がいる日、僕はナベツネをやっていたからね。ナベツネと店長を同時に演じるのは、体が一つじゃ無理があった。分身の術は、赤鬼の専売特許だしね」
赤鬼が、生駒の肩を抱きながら、しみじみと頷く。
「道理で、給料明細の判子が二種類あったわけだ。しかも源泉徴収、2人分引かれてた」
「二重課税じゃねーか! 労基に駆け込めよ赤鬼!」
「そして第3部第6話のラジオ放送も、僕の番組さ。ワールドバンドレシーバーで、財界に洗脳された世界を目覚めさせようとした。第1部第4話でライダーがラップで言っていたことと同じだよ。投票に行かない奴のせいで、この国は腐っていくんだ」
グナイゼナウ・ライダーがフルフェイス越しに頷いた。
「俺のラップに、そんな重要な意味があったとはな」
「今わかったのかよ! 自分で歌ってただろ!」
扶桑が突っ込む。
俺は、ここで初めて口を開いた。マリファナの煙が、細く長く立ち上る。
「なあマスター。じゃあ、俺たちが『超平和バスター』と呼んでいたあの力も、鬼も、全部――」
「ああ。第3部第2話で言った通り、超平和バスターは自民麻薬の幻覚だ。手をかざすだけで岩が砕けるなんて、可笑しいだろう?」
扶桑が愕然とする。
「じゃあ、第2部第9話で僕が益田の雷の玉を打ち返して甲子園に行ったのも……」
「あれ、お前が握ってたの、便所のカッポンだったろ。ホームランじゃなくて、詰まりを吸い出しただけだよ」
「命がけの決戦がスッポン一本だったのかよ!!」
俺は瞳から光を消して続けた。
「鬼ってのは、戦中から自民麻薬で能力を高める実験にされた被験者たちだ。頭の角は、薬の副作用で出る赤みさ。伝承の鬼になぞらえて、そう呼ばれていただけ。俺が第1部第5話で『鬼はハンググライダーに乗ってる』なんて教えたのも、幻覚と実験施設の記憶がごちゃ混ぜになってたからだ。悪かったな、扶桑。あれ、半分は薬でラリってた」
「兄貴分の教え、全部ヤク中の戯言だったのかよ!」
その薬を開発させられたのが、第3部第5話で神鷹が話した通り、神鷹の祖父。つまりマスターの義父だ。義父は身内を実験台にした。神鷹の母親は、その副作用の白血病で、神鷹を産んだ瞬間に逝った。……ここは、さすがに誰もボケなかった。しとしとと、外は雨だ。基本的に、世界は平和なんだけどな。
3秒後、マスターがその沈黙を破った。
「まあ、そんな重い話も、テクマクマヤコンで忘れられたらいいんだけどね」
「忘れんな! 一番忘れちゃいけないやつだろ!」
扶桑が突っ込む。ちゃんと空気を戻すのも、傍観者の仕事だ。
扶桑が、恐る恐る、フルフェイスのライダーを見た。
「じゃあ、ライダー。君がそのヘルメットを絶対に脱がなかったのも……第2部第8話で、風呂でもラーメンでも脱がなかったのも……」
ライダーは、静かにフルフェイスを外した。そこには、白い包帯が巻かれた顔があった。
「じゃあ、その包帯の下は!?」
扶桑が包帯を剥ぎ取る。すると、下からもう1枚フルフェイスが出てきた。
「マトリョーシカかよ!」
「第3部第4話で話した通り、俺の里も自民麻薬の実験台にされた。このフルフェイスは、麻薬の微粒子から自分を守るためで、同時に副作用の赤みを隠すためのものだ。俺も被害者なんだよ。生駒との許嫁から逃げたのも、キツい修行が嫌だったんじゃない。里の秘密から、みんなを遠ざけたかったからだ」
生駒が、赤鬼の腕の中で、ケロッとした顔で言った。
「私はほんとにキツい修行が嫌なだけだと思ってたわ」
「そこは重い話にしとけよ! 台無しだよ生駒さん!」
扶桑が突っ込む。
扶桑は、ようやく、一番聞きたかったことを口にした。愛する若宮ちゃんの方を見て。
「じゃあ……若宮ちゃんは? 第3部第7話でマスターが言った『若宮ちゃんには秘密なんてない』って、本当なのかい?」
マスターは、優しく頷いた。
「本当だよ。若宮ちゃんは、この物語で唯一、麻薬に洗脳されていない、純粋な一般人だ。だから第3部第7話で赤鬼が『尻を触ればわかる』と言ったんだ」
「変態の理屈で確認するな! しかも赤鬼、生駒さんの前でよく言えたな!」
「若宮ちゃんの父親も、かつて自民麻薬の副作用で命を落とした。だからこそ彼女は、洗脳されない心を持って、この『いそしぎ』にたどり着いた。第1部第1話から扶桑くんが頼んでる『未来を味わうコーヒー』――あのモカに入ってるのは、微量の自民麻薬と、若宮ちゃんがこっそり流した涙。だから第1部第2話からずっとしょっぱいのさ」
「涙は経費で落ちんのか、それ!」
若宮ちゃんが、初めて、扶桑の顔をまっすぐ見た。
「扶桑さん。私、ずっと蒼龍さんが好きでした。ごめんなさい。でも、あなたのことは、本当に、いいお客さんだと思ってたんですよ」
「最後まで客かよ! 常連ポイントでも貯まってたのかよ!」
扶桑が突っ込む。しかし、その目には涙が滲んでいた。
若宮ちゃんは、そっとハンカチを差し出した。
「涙をふきなよ」
それは、いつかのマスターのセリフだった。ちなみにそのハンカチには、ぬ〜ぼ〜がプリントされていた。田代まさしのやつだ。
さて、ここからが本題だ。俺はマリファナを灰皿に押し付け、立ち上がった。
「マスター。まだ、この物語で一番でかい伏線が回収されてない。この作品のタイトルだ。『シャルンホルストとグナイゼナウ』。第1部第1話であんたは言った。『それについてはいずれ誰かが話してくれるだろう』と。もう31話だぞ。誰も話さなかった。ヒントでピント見てる場合じゃなかったんだよ」
マスターは、遠くを見る目をした。
「……よく気づいたね、蒼龍。第1部第2話で、僕はタワーの名前の由来を話した。シャルンホルスト系のショップが集まったから、と。でも、あれは半分嘘だ」
一同がどよめく。
「シャルンホルストとグナイゼナウ。この二つは、ナポレオンに敗れたプロイセンを立て直した2人の軍制改革者の名前だ。そして――2隻で行動した、ドイツの姉妹戦艦の名前でもある。決して離れず、共に嵐の海峡を駆け抜けた、2隻でひとつの兵器。それが、シャルンホルストとグナイゼナウだ」
俺は、その意味を悟った。
「動かない要塞――このシャルンホルスト・タワーが『シャルンホルスト』。街を駆け回る機動兵器――スーパーカブ90に乗ったお前が、『グナイゼナウ』か」
ライダーが、ゆっくりと頷いた。
「そうだ。第2部第9話で益田が『チーム名がない』と言ったろう。だが違う。タイトルこそが、俺たちのチーム名だったんだ。2隻でひとつの兵器システム。それが、シャルンホルストとグナイゼナウ」
「スーパーカブ90が戦艦って、時速40キロだぞ。制限速度きっちり守ってたぞ」
「機動力に難ありだ」
「認めんなよ!」
マスターは、ここで爆弾を落とした。
「そして、これが最後の伏線だよ。よく聞きなさい。……君たちの名前は、みんな、軍艦の名前なんだ」
「「「「「えっ!?」」」」」
「蒼龍。旧日本海軍の空母だ。ミッドウェーの海に沈んだ、な。搭載機を飛ばして戦う船。ほら、お前、いつも人にマリファナを勧めてるだろう。あれと同じで、自分じゃ殴らず、人を飛ばすタイプだ」
「俺のキャラ設定、全部艦の仕様だったのかよ」
「扶桑くんは、戦艦『扶桑』。艦橋が異常に高くて、ひょろ長くて、みんなに『不格好だ』ってバカにされてた、あの戦艦さ」
「そこだけ再現度が高いのはなんでだよ!」
「若宮ちゃんは、『若宮』。日本で初めての水上機母艦。自分の砲では戦わず、仲間を空へ飛ばすための船だよ。だから彼女は、戦いに巻き込まれただけの一般人でいられた。名前が軍艦でも、1発も撃たない船ってあるのさ」
「机は投げてたけどな!」
「あれは砲撃じゃない。投擲だ」
「判定が細かいんだよ!」
「生駒さんは、装甲巡洋艦『生駒』。今は赤鬼と組んで、いい船足を出してるようだね。籍を入れるなら艦籍にしなさい」
「うまいこと言うな!」
マスターの声が、少しだけ湿った。
「そして――蒼龍。お前が失った千歳も、軽空母『千歳』だ。レイテの海で、静かに消えた艦。だから、この完結編のひとつ前――劇場版のサブタイトルは『The Vanished』、消えた者、だったろう? 第2部第3話であの丘の桜の下に消えた、あの千歳のことさ」
俺は、何も言えなかった。丘の上の桜の木の下の、あの千歳。あいつの名前も、艦だったのか。……いや、待て。
「マスター、あんた、そこまで知ってて、なんで俺の初恋にだけツッコミ入れなかったんだ」
「そこは、僕にも良心があるからね」
「良心の在庫、そこにしかなかったのかよ!」
「そして――僕の娘、神鷹」
神鷹中尉が、息を呑んだ。
「まさか、私も……?」
「そうだ。護衛空母『神鷹』。これがちょっとややこしい。タイトルの『シャルンホルスト』はドイツの戦艦シャルンホルスト。だがお前の艦、神鷹は、同じ名を持つ別の船――ドイツの豪華客船『シャルンホルスト号』を改造して造られた護衛空母なんだよ。戦艦と客船、2隻のシャルンホルストが、このタワーとお前に分かれて宿った。だからお前は、シャルンホルスト・タワーの、本当の娘なんだ」
「客船を軍艦に改造って、つまり私、リフォーム済み中古物件じゃない!」
「築浅だから安心しなさい」
「不動産の話にすんな!」
神鷹中尉の頬を、涙が伝う。第2部第5話で「新しいパパが欲しい」と言った、あの5歳の神鷹は、もういない。
「パパ……。私たちみんな、はぐれた艦隊だったのね。この『いそしぎ』を母港にして、集まった」
「そういうことだ。だから店名も『いそしぎ』。磯にいる鳥、渚に一番近い場所だ。傷ついた艦が、最初に帰ってくる港なんだよ」
「今の、ちょっといい話だったな」
「たまにはね」
扶桑は、呆然としていた。
「じゃあ、じゃあ……第2部第5話や第3部で何度も『扶桑にもひみつ、あったかな』ってボヤいてた、僕のひみつってのは――」
俺は、扶桑の肩に手を置いた。
「お前のひみつは、ひみつが無かったこと、そのものだ。扶桑。お前は戦艦『扶桑』でありながら、自分が艦だと最後まで気づかなかった。麻薬に浸かった世界で、誰よりも普通に煙草を吸って、ただ座って見てた。この物語の視点は、いつだってお前だった。読者と、同じ場所からな」
扶桑の目から、大粒の涙がこぼれた。
「僕は……ただの傍観者だと思ってた。でも、ちゃんと登場する艦だったんだな」
「傍観者はお前で、語り部は俺だ。第1部第5話で俺が言ったろう。『単なる語り部だと思ったかもしれないが、俺はちゃんと登場する』ってな。あれは、俺のセリフだよ」
「32話かけて、僕とあんたの役割分担の説明かよ!」
マスターは、最後にこう締めくくった。
「第3部最終回で言った通り、僕は財界中に自民麻薬を蔓延させた。奴らは白血病で、静かに自滅していく。時間はかかる。でも、第1部第4話でライダーがラップにしたように、腐った奴らを1票ずつ引きずり下ろすより、ずっと早い。ダンゴ大白血病さ」
「劇場版でも同じこと言ってただろ! 2回言うほど気に入ってんのかよ、そのダジャレ!」
扶桑が突っ込む。
「そして、これで本当に全部だ。手抜き工事も、ナベツネも、超平和バスターも、鬼も、婿養子も、電話も、ラジオも、赤鬼が僕に会えなかったことも、フルフェイスも、しょっぱいモカも、千歳も、若宮ちゃんの秘密も、タイトルも、全員の名前も。全部、バインドで、手元に戻ってきた。もう『この時の扶桑には知る由もなかった』は、二度と使えないよ」
「あの一文、伏線じゃなくて口癖だったんじゃないのか!?」
俺は、深く息を吐いた。眠っていたヨーヨーが、糸を巻いて、掌に返ってくる。第1部第1話「Long Sleeper」で放たれたヨーヨーが、最終章「Bind」で、ようやく帰ってきたんだ。32話。ハイパーヨーヨー公式トリック、認定は……たぶん下りない。技の途中で3年半、寝てたからな。
「ところでマスター」
扶桑が、ふと、思い出したように言った。
「第1部第5話で、鬼はハンググライダーに乗ってるって話をしたあと、あんたが最後に言ってた、あれ。今、何時だい?」
マスターは、書院のデータをカセットテープに保存しながら、いつものように、微笑んで言った。
「6時半ぐらいだー。……なんちゃって」
そうだ、鬼はハンググライダーに乗っている。ろくじはん、ぐらいだー。32話かけて、この地口だけは、ついに地上へ降りてこなかった。上空を、いまも旋回している。
「そのボケだけは、落下してしまえ!!」
――と、俺がツッコミを入れたところで、若宮ちゃんが、そっと、俺の前に冷たいモカを置いた。しょっぱくない、ただのモカだった。世界は、ゆっくりと正気を取り戻し始めている。もっとも、財界が全員おさらばするまでには、まだ相当かかるらしいが。
カウンターの隅で、扶桑がショートホープに火をつける。俺は、いつものマリファナに手を伸ばしかけて、やめた。第3部第3話で言った通り、これは自民麻薬の依存から逃れるための薬だ。抜けきるには、まだ時間がかかる。俺の中からもな。だが、始めるには今日はちょうどいい日だ。とりあえず、代わりにガムを噛んだ。キャラメルコーンのピーナッツみたいに、最後に1個だけ残る、そういう習慣ってあるだろう。
「なあ蒼龍。次回作は、あるのかな」
「さあな。次回作にご期待ください、って劇場版でライダーが言ってたけどな」
「その次回作、まさか、僕らが軍艦だから『艦これ』とかじゃないだろうな」
「時代を先取りしすぎだろ。今は199X年だぞ」
「ノストラダムスで世界が終わる方が先かよ!!」
俺たちの冒険は、たぶん、これで終わりだ。
でも、それでいいじゃないか。
嵐は過ぎた。青い空だ。2隻でひとつ。俺たちには、明日という名の、まだ就役してない艦が待ってるんだ。
- シャルンホルストとグナイゼナウ 完結 -




