Loop The Loop
第2部 第5話 Rascal
窓の外は縦のストライプ。コンクリートがドラムロールを奏でる。台所のまな板が異なるリズムを打ち、空間が奇妙なグルーヴを打ち出していた。体が自然と踊りだす。
壮大な叙事詩のフィナーレを飾るインターホンが鳴った。まな板の音が凪ぎ、男がエプロンで手を拭きながら歩いてくる。エントランスのカメラが捕らえた人影がモニターに浮かび上がる。男は、それを見るや否や、受話器を取り上げた。
「どうしたんだよ。とにかく入れよ」
エントランスの開閉ボタンを押し、スニーカーを突っかけ慌てて外へ出た。
再び玄関の扉が開く。
「大丈夫か。今タオル持ってくるから」
滴る水に紛れてわからなかったが、立ちすくむ女は涙を流しているようだった。男は洗面所から翳れを知らないバスタオルを持ってきた。女は男の胸に体を預ける。涙のダムが声を上げて決壊する。
女は、立ち食い蕎麦の天麩羅の衣程も身の丈に余るバスローブを身に纏い、浴室を後にした。
「お腹空いてるだろ?」
2人は食卓を間に挟み正対する。男は女の方には目もくれず、黙々と食を進める。女しばらく黙って料理を眺めていたが、やがて重い箸を動かす。
「おいしい」
女に、少し笑顔が戻ったようだった。
台所から男の声が響いてくる。
「それで、一体何があったんだ?」
女は、膝を抱える。
「うん……。フラれちゃったんだ」
男は、マグカップを2つ置いた。
「君と別れるなんて、信じられないことをする男だな」
女は、マグカップを両手で握る。
「そんなこと言ってくれるのはあなただけよ」
台所から水の流れる音が聞こえる。
「ねえ」
女が甘えるような声で呟く。
「ん?」
「今日、泊まっても良いよね?」
台所の水の音が続く。
「ああ」
男は濡れた手をタオルに擦り付ける。
「こんなベッドで良いのなら」
女はベッドの中から男の姿を見つめ、尋ねる。
「寝ないの?」
男は読書に耽っている。
「寝たら忘れるのかもしれない……なんてことはないか」
女はさらに尋ねる。
「私が布団取っちゃったから?」
男はコーヒーを啜る。
女は、布団に包まれながら小さな声でこう呟いた。
「一緒に寝ようよ」
男は、本のページをめくる。女は、体を起こして問う。
「私のこと好きなんでしょ?」
男は、本にしおりを挟む。
女は、床に足の裏を着けて座った。
「生駒さんの事があるからなのね」
男は本を閉じると、ベッドの方へ歩いていく。女の隣にそっと座ると、窓の外を見る。いつの間にか雨は上がり、白い光を放つ花が見える。
「生駒は関係無いよ。私は、出会ったときから君のことが好きだ。いつだって君のことを考えてる。でも、今の君は親に甘える小さな子どもだよ」
「小さな子ども」
「ごめん」
男は床に寝転んだ。
女は、窓の外に映る星を眺めていた。床に寝そべる男の姿が目に入る。
「そんな所で寝たら風邪引くよ、ねえ」
男は、子犬のように体を丸くする。
「ねえ!」
男はむっくりと起き上がると、ベッドに飛び移った。
「きゃっ!」
女が小さな悲鳴を上げる。男は、女に背を向けて寝た。
男が、ふと、女の方を見やると、女はすでに眠りに落ちていた。よほど疲れていたのだろう。女の寝顔からは笑みがこぼれる。
女が目を覚ますと、ベッドの隣はもぬけの空だった。
「いつまで寝てるんだ?」
再び台所から聞こえる男の声。窓の外には、昨日の雨の存在を忘却の彼方に消し去る乾いた青が広がる。食卓の上から優しい香りがほとばしる。男は、エプロンを外し、食卓に着く。
2人は向かい合って着座する。お互いに、照れ笑いが漏れる。
女は、味噌汁を啜る。
「ライダーのお嫁さんになる人って、幸せだろうね」
男は何も言わなかった。
「昨日はありがとう」
「良かった。元気になったみたいだな」
2人で食卓を片付けると、2人は出発の準備をした。
「送ってやるよ、神鷹中尉」
男は、そう言うと、フルフェイスを被った。
ここはシャルンホルスト・タワーの地下にあるカフェ「いそしぎ」。神鷹中尉は尋ねた。
「ねえ、パパ。私って、どんな子どもだったの?」
シャルンホルスト・カットのマスターは答える。
「急にどうした? 思春期か? 思春期症候群か!?」
神鷹中尉は返す。
「思春期症候群って、そういうのじゃないと思うよ。私の予知能力がそう言ってる」
マスターはゼロシャーシのミニ四駆にニカド電池入れると、言った。
「ええと、あれはいつだったかなあ。僕がお前の母親のところに婿に行ってすぐお前が生まれて」
「えっ、パパ、婿養子だったの。しかもできちゃった結婚……」
マスターが婿養子だったということが重要な意味を持つのだが、それを神鷹中尉が知るのは少し先のことだった。
「そうだ、お前の5回目の誕生日の時のことだ。私はお前がかわくてかわいくてしょうがなくてなあ、『プレゼントは何が欲しい』って聞いたんだ。そしたら、お前、何て答えたか覚えてるか?」
「えっと、覚えてないや」
「その時、お前はこう呟いた。『新しいパパ』と!!」