表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
連作短編 Psy-Borg 第四部  作者: 細井康生
8/13

錯乱の扉~8

 その後はもうよく覚えていない。彼は物陰で服を着替え、おぼつかない足取りで家へと帰った。まだ母は仕事から帰っていなかった。彼は着ていた服をゴミ袋に入れ、そのままダストシュートへ放り込んだ。


 それでもあの女の匂いが染みついているのではないかと、何度も身体を洗い、その日は部屋に閉じこもったまま食事も摂らなかった。


 それから何日も高熱が続き、身動きもできずにずっと寝込んでしまっていた。何もかもぼんやりして、その間の出来事が夢なのか何なのかわからない日が続いた。ようやく意識がハッキリとしてきたときには、なんだか妙にスッキリした感じがして、それっきり父のトレーラーハウスもあの女の事もすっかり忘れ去っていた。


(父の事を思い出したのは、入隊前のカウンセリングの時か…)


 しかし、その時も(落ちぶれた父親が町外れのトレーラーハウスの中で女と一緒に暮らしていた)という事以外思い出す事はなかったのだ。


(畜生。何で今になってこんなこと思い出したんだ…身体を這い回る巨大なナメクジは、あの女の舌先の事だったんだ)


 深層心理の奥底に仕舞い込まれた忌々しい記憶。その後彼に照らされた光が強ければ強いほど、その影は深く、濃くなっていく。


 エドが行った行為と呟きは、単なる偶然だったのかもしれない。それでも閉ざされた記憶の扉は今開けられた。


 その後も次々と暗く、惨めな記憶がにじみ出てくる。


 そもそも父がつまずき始めたのは、中東との輸入代理店を立ち上げた頃からだ。交渉役や代理人に多くのアラブ人達を雇っていた。休日には彼らを誘って自宅でバーベキューなんかもやっていたし、彼もその輪の中に入り、楽しい時間を過ごしていた。皆優しくて、人が良く、随分とクラウスも可愛がってもらった思い出がある。


 しかし、徐々に文化と宗教の違いが様々な軋轢と、問題を引き起こした。


「まったく、あいつらときたら時間も約束も守れない、口を開けば言い訳ばかりだ」


 実際に彼らが本当にそうなのかわからない。しかし父にとって、そうした常に顔を突き合わせている人間が、すべてのアラブ人に対するステロタイプになっていった。


「気がつけばアッラーに祈りだ。目の前の急務よりもアッラーが大事だ!少しは考えろって言ったって頑として受けつけやしない。なんなんだあいつらは」


 イラついた様子で毎日帰宅し、愚痴をこぼす毎日が続く。


 実際の現場を知らない母は、キャンプやパーティーで出会ったあの気のいい彼等しか知らない。自然とつい父を諫めるように彼らの擁護に回る。父にはそれが気に入らずについ口汚く彼らを罵り、母にもその矛先を向けるようになっていった。


 そして二人の口論が日常風景になっていく。もうそこにはお互いに対する不満しかなかった。


 その頃には互いに感情的になりすぎたのか、母は執拗に彼らを擁護し、父の人格を否定してまでも彼らの弁護に回る。それを聞いて父は物を投げつけ、時には手を出すまでに諍いはエスカレートしていった。


 それまであんなに暖かかった家族のリビングが、そこに居たくなくなる程に寒々しくなっていく。離婚が決まり親権をめぐる争いになった時、二人の優しさが打算的なものに見えて、やるせない日々が続く。


 そして彼は母親を選んだ。


「紹介したい人がいるのよ」


 父と別れ、クラウスを支えてきてくれた優しい母。その大変さは幼いながらも十分にわかっていた。だから反対する理由も見つからない。その頃には父に対する執着も、憐憫もなかった。


(どんな人なんだろう)


 不安もあったが、その頃には随分と分別もついてきていた。


(母が幸せになるんだったら、どんな人でも構わない)


 そして、彼が全寮制のハイスクールの入学が決まった時、初めて彼にあったのだ。


 髭をはやし、堀が深く、エキゾチックな、


 アラブ人を。



 クラウスはベッドから飛び起きたが、脳波観測用のナイトキャップにつながるケーブルでベッドに引き戻され、仰向けに倒れ込んだ。


(なんなんだ一体…)


 嫌な汗が体にまとわりつく。すると急にエマージェンシーコールが鳴り響いた。その音に驚きながらも、彼は急いで通信をオンにし、Jを呼び出した。


「何が起こった」


 今まで緊急通信などなったことがない。どこかで戦闘が始まったか?と緊張が走る。


「G-13の単独行動確認。任務指示確認できず。本部へ同時刻に指示要請。現在緊急対応。追跡中。当該活動に対する事後承認要請求む」


 クラウスは急いで自己認証を済ませて、事後処理手続きを行う。


「本部より指示。クラウス少佐の出動、及び事後収拾を要請。確認、送れ」


「本部了解。送れ」


「任務承諾確認。対応にあたれ」


「ラジャ」


 着替えを済まし、格納庫へと急ぐ。


 常に緊急時対応の訓練は怠っていないので考えるより先にスムーズに身体が動いてくれる。パワードスーツに乗り込むと、素早い動作で起動をする。それと同時にD-13が起動した。


「D随伴、座標転送。確認」


「了解」


 単独行動を続けるGージョージの現在地が映し出される。

(あいつはどこに行こうってんだ?)


 ハッチが空き、クラウスはデビッドを伴い砂塵が舞い上がる砂漠へと出て行った。


「この風だと視認は難しい。レーダー見失うな」


「少佐。GはH 32-βポイントに向かっている模様です」


「H-32β?そこは難民キャンプじゃないのか?何故そんなところに向かっている」


「通信不能。理由はわかりません」


 個別の体を持ってはいるが、元はクラウスの行動データを基にした一つの人工知能である。彼に理由がわからないはずがないのだが、なんらかのバズが発生したか、それとも最悪のパターンとして、どこからかハッキングされた可能性もある。早くGを確保しなければならない。クラウスは追跡の速度を上げた。



つづく



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ