錯乱の扉~10
今のところなぜこのようなミスプログラミングが起こったのか原因は解らない。
しかしこれでAI単独部隊の運用は先延ばしになる事だろう。部隊内のネットワーク環境は隔絶されているはずだ。しかし今回のAIの単独行動―暴走と言ってもよいだろう―は想定外のことだ。
もしかしたら外部からウィルスが入り込めるようなネットワークの脆弱性があったのかもしれない。元々のAIプログラムが、自分の行動アルゴリズムに則っている以上、本人であるクラウス自身で問題を解決するのは難しい。
本部からの調査部隊が到着してからでないとその原因が掴めない。そのためには部隊に戻ってから、一旦装甲騎兵部隊のシステムを隔離しなければならない。
いろいろと考えながら、主導電源が切られ、動きを止めたDを背負ったルーシーのあとについていく。
(待てよ・・・?)
クラウスの頭の中にいくつかの疑問が湧き上がる。
「ルーシー!」
クラウスが呼び止めると、彼女は減速しながら砂丘の中腹あたりに止まり、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「君のおかげで最悪の事態は避けられたみたいだ。礼を言うよ」
ルーシーはこの部隊で、唯一、クラウスのアルゴリズム人工知能帯からから外れた、独立したカウンセリングAIであり、仮に今回のことが、何らかの外部ウィルスによるエラーであったとしても、彼女にその影響は及ばない。
「あなたを助けたかっただけ、礼なんていらないわ」
しかし同時に小隊独自のネットワークには入れないはずだ。
「ひとつ聞きたいことがあるんだ、ルーシー」
それに、そういった場合の緊急プログラムがあることも聞いていない。
「なあに?」
その優しげな声とは裏腹に、クラウスはなぜか心の表面が粟立つ思いがした。
「君は一体どこからジョージのプログラムに入り込むことができたんだ」
二つのレンズがじっとクラウスを見つめる。モニターからはかすかなホワイトノイズが流れるだけで、しばらく沈黙が続いた。
「それは・・・緊急プログラムが・・」
「そんなことはない。そんな報告は受けていない」
つい声を荒げてルーシーの言葉を遮った。言いようのない沈黙が流れる中、モニターに映るパワードスーツが肩を落とし、しかられた子供のようにしょげ返っている様に見えた。
一瞬、クラウスはその姿に憐憫の情を起こしかけたが、頭を左右に振ってその感情を抑えた。
彼らのすべての感情表現は、人が打ち込んだプログラムであり、その複合パターンでしかない。
感情の起伏を読み取って、意思疎通ができているように思えても、そこには知性や意志とは関係ない、情報のやり取りしかないのだ。
人工知能の主人として、それは忘れてはならない。
彼らの疑似感情表現に惑わされてはいけないのだ。そこに意志などはない。
「今回の事態がコンピューターウィルスの感染によるものなのか、それともミスプログラミングによるものなのかは専門委員会の調査にゆだねることになるが、その際の対処マニュアルは幾度も確認し、シミュレーションをしてきた。そのどこにも君が介入するプログラムは組まれていない。たしかに今回はその想定から外れた異常事態ではあるが、その際の緊急プログラムが私に開示されないわけがない」
クラウスはそこで一息つくと、さらに言葉を続けた。
「君がジョージをハッキングし、彼の行動を止めてくれたことは感謝する。しかし、それとこれでは話は別になる。なぜ君にそんな緊急対処権限が与えられていたのか?百歩譲って極秘に緊急プログラムが施されていたとしても、なぜ私に秘匿されていたのか、それを知る権利が私にはあるはずだ」
そう言ってクラウスはモニター越しにルーシーを凝視していた。
耳にはマイクをかすめる風のノイズだけが流れ、沈黙だけが重くのしかかってくる。
「人工知能は・・・」
ゆっくりとルーシーが口を開いた。
「いったいどこまで人に近づけるのかしらね?」
「なんのことだ?」
ノイズ交じりの通信の中から、やけにはっきりとルーシーの声だけが耳に入ってくる。
「今回、あなたに与えられたミッションは、自立学習型のAIの学習機能をつかって単独活動ができるかどうかの平和維持部隊のテストケース」
それは事前に詳細もふくめ知らされている。
緊急対応に関しても何度もシミュレーションをしてきたが、このような対応ケースは聞かされていない。
「ただね、もう一つ別のミッションがあったのよ」
「今回の作戦に関して、別の任務だと?」
「そう」
「ありえない…」
そうつぶやくと、言いようのない不安がクラウスを襲う。
責務全うは指揮官にとって最重要課題だ。これが多人数の部隊であれば、指揮官にのみ伝えられ、下位の兵士に伝えられないこともあるだろう。
しかし今回の任務の指揮系統は彼一人だ。そうなると軍直轄の機密任務となり、そのような場合は最後まで伝えられることなく任務は終了することになる。
だとすれば、今ルーシーは何を伝えようとするのか。彼女にその権限が与えられているというのか?
人工知能 AI なのに?
「ここで立ち止まったまま、問答を続けても仕方ないわ、とにかく基地に向かいましょう」
そう言ってルーシーは踵を返すと、先を急いだ。
沈黙が続く。
クラウスは先を急ぐルーシーの後ろ姿を追いながら、音声モニターに集中していた。
外の砂嵐の音だけが、ただゴウゴウと流れている。しばらくするとその間をぬうように、通信ノイズの中から彼女の声が聞こえてきた。
つづく