53 壊れた時と/
※後書きにイメージ画を載せています。キャライラ系嫌いな方はスルー推奨です。
俺にとって、あの2年間は人生の全てだった。
あれから、その何倍もの時が過ぎても、俺の体と心にはあの人と過ごした時間が染み付いている。
朝、日が昇る前に目が覚め、いつもの鍛練をする。
顔を洗い汗を流し、洗濯をしてから朝食をとる。
ギルドでは敬遠されがちな依頼を敢えて進んで受ける。迷っている若手が居れば積極的に声をかける。
馴染みの店にはたまに手土産を狩って帰る。
クエストが終われば、また汗を流し、食事と酒を楽しむ。肉ばかり食べずに野菜もとらないと。
そんな当たり前の変わらない毎日なのに、隣にあの人が居ない。
おはよう。どの依頼を受けようか。さあ、行こう。頼んだぞ。お疲れ様。日が落ちる前に帰ろうか。飲み過ぎるなよ。おやすみ。ありがとう……
そんな声はもう聞こえない。
俺の肩を叩く手も、俺に笑い掛ける口元も、俺を横目で流し見る目も、俺の軽口を聞いてくれる耳も。
もうどこにも見つからない。
「あいつの居ない世界なんて、俺は要らない」
そう言ったクセに。
あの人の居ない世界を、俺はただだらだらと生き延びている。
この世界は、こんな情けない俺にも優し過ぎた。
こんな俺にも帰れる場所があって。
待っていてくれる人たちが居て。
そんな優しさも、あの人のおかげで俺に残されたもので。
まだこうして、俺は未練がましく生きていた。
* * *
ゴツゴツと固い物が足にあたる感覚で目が覚めた。
「酔っぱらいか? なあに、こんな所で寝てやがるんだ」
頭を掻きながら体を起こす。周りに酒瓶が転がっているし、そう見えても仕方ねえよな。
確かに1本は俺が空けたが、もう1本の強い酒の方は『彼女』に飲ませた分だ。俺には弱い酒を選んだはずなのに、それでも眠っちまうんだから、全くどんだけ弱いのか。
俺を起こした墓守に手を挙げて挨拶をすると、爺さんは呆れた顔をして去って行った。
「英雄様の墓なんだから、失礼のないように綺麗にしとけよ」
ああ、知っているさ。
朝の光に目を瞬かせながら、ふぅーと大きく息をついて『彼女』の方を見る。
こんな小さな墓石でしか、今はあの人を見つける事が出来ない。
本当はこんな所にあの人は居ないのに。
「愛してるよ」
そう呟いてみても、誰にも届かないのに。
ずっと髭も剃ってないし、風呂にも入っていない。せいぜい川で水を浴びたくらいだが、それも何日前の事か。まあ変に小綺麗にしていて素性がばれると色々と面倒だから、わざと雑な風体をしているのもある。
でもそれは理由の半分もなくて、残りは無気力の所為だ。
流石にこの汚さのままじゃギルドにも行けやしないな。『樫の木亭』で風呂を貸してもらうにしても、店にも入れない。
まずはどこかの家で外の水場でも使わせてもらおうかと、塀に沿って町の外れを歩いて行くと、覚えのある家に行き着いた。
木枠組みの2階建ての一軒家。忘れていた訳じゃない。思い出すのがつらくて避けていたんだ。それでもここに足が向いたのは、あの時を大切に思う気持ちがあるからだろう。
懐かしさと胸の痛さで足を止めていると、思いがけず玄関の扉が内から開いて、出てきた少女と目が合った。その黒髪からは黒い獣の耳が見えている。獣人だ…… 両足の向こうに見え隠れしながら垂れる、ふさふさの黒毛の尾も見える。
少女はビックリして声も出ないようだ。そりゃそうだろう。汚い旅装に、髭ボーボーで眼帯姿のおっさんが家の前に立ってたんだ。悲鳴を上げられても、不審者と思われても、自警団を呼ばれても全くおかしくはない状況だ。
「ああ、すまない。旅から帰って来たばかりで…… 汚れているもんだから、そこの水場を貸してもらえねえかと……」
咄嗟に水場の方を指差しながら言い訳をすると、ピンと立って警戒していたその耳先の力が抜けるのがわかった。ちょっと可愛い。
「それならお風呂をお入れしますよ。中にどうぞ」
少女はまだ少しぎこちなさが残る笑顔でそう言った。
流石に汚れ過ぎていて申し訳ないので、外の水場で服の汚れを払っていると、風呂が用意できたと声を掛けてくれた。とても有り難いが…… こんな見知らぬおっさんを家に招き入れて、大丈夫なのか? 普通なら警戒するだろう?
家の中へ案内されて風呂場に行くと、綺麗なタオルと石鹸と、髭剃りまで用意してあった。風呂の湯量もたっぷりで、湯の加減もちょうどいい。久しぶりの風呂はあまりに気持ちが良すぎて、沈みそうな程に湯船に浸かっていると、扉の外から声が掛かった。
「もしよろしければ、これを着てください」
服まで貸してくれようとしているのか? 確かに持ってる服はどれも汚ねえが、流石にそれは悪いだろう。そう思ったが、扉の隙間から差し入れられた服に見覚えがあった。
貸してくれた服に着替えて居間へ行くと、少女は俺を見てまた驚いたように目を見張った。髭を当たって大分雰囲気も変わって、別人かと思われる程だろう。驚かれるのも無理はない。
「ありがとうな。すげえ助かった」
笑ってそう言うと、少女はハッと気がついたようにして、目を逸らせた。
「あ…… 服のサイズが合って良かったです……」
そりゃあそうだ。この服は……
「なあ、お嬢ちゃん。この服はどうしたんだ?」
「この家にあったんです。ここ、最近買ったんですけど、前に住んでた人の荷物もそのままになっていて…… だからそれ使わないので、良かったらそのまま着ていって下さい」
「……ああ、そういう事なら。ありがたく……」
……そっか……
勧められてダイニングのテーブルに着くと、良く冷えたレモネードを出してくれた。乾いた喉にハチミツの甘さとレモンの酸味と香りが染み通る。あまりの美味さに一気に飲み干すと、少女は笑いながらお代わりを出してくれた。
そんなやり取りの中で、少し緊張気味だった少女の表情はすっかり緩いでくれた。
流石に髭も剃ったこの姿では俺の事も知れたかとちょっと思ったが、少女の態度を見る限りではそれもないようだ。まあ15年も前じゃあ、こんなお嬢ちゃんは生まれても居ないのだろうしな。
「風呂に服まで、本当に助かった。ええと……でも親御さんに叱られたりはしないか?」
この家は2階に居室が3部屋もある家族向けの仕様だ。きっと家族で住んでいるのだろう。そう思ったのだが、少女は俺のあやふやな言葉にくすくすと笑いながら答えた。
「ここは私だけの家ですから、大丈夫ですよ」
……まさかの独居とは…… それはそれで、俺を家にあげたら大丈夫じゃないと思うが……
「冒険者なのでしょう? こういう時はお互い様ですから」
「お互い様って、お嬢ちゃんも冒険者なのか?」
悪いが、まさか成人しているとは思わなかった。
「まだCランクですけれど」
しかもCって事は成人して2~3年ってとこか? 獣人の成長具合は人間とは違うとは知っているが、それにしても彼女は大分幼く見えるようだ。
風呂を借りた代金と服代を払おうとしたが、彼女は受け取ろうとはしなかった。代わりに旅の話を聞かせてほしいとせがまれ、話を始めると彼女はなかなかに聞き上手で、それが楽しくて。結局そのまま昼飯までごちそうになってしまった。
* * *
西の冒険者ギルドに顔を出すと、そういえば昼過ぎのこの時間は冒険者の少ない時間でなんだか閑散としていた。
ひとまずボードの前に行き、貼り出された依頼にひと通り目を通す。もうこれはすっかり癖になっている。その様子が、ちょうど手を余らせていた彼女の目に入ったのだろう。受付のカナリアが俺に気付いて、声をかけに出てきた。俺の名前を呼んで「お帰りなさい」と言うと、ちょっと不思議そうな顔で俺を上から下まで見回す。
「なんだかいつもと雰囲気が違いますね」
そういやカナリアはまだここにきて5年かそこらだもんな。いつも旅から戻ってここに寄るときは、せいぜい汗を流して髭を剃ったくらいで、あとは旅装のままだった。そうでなくてもクエスト用の服装だったし、こんな町に居るとき用のさっぱりした格好はずっとしていなかった。
「似合わねーか?」
そう聞くと、カナリアはふふっと笑ってから、いいえと答えた。
「こちらへどうぞ」
彼女は俺が何も頼まずともわかっている様に、ギルドマスターの部屋に案内してくれた。
久しぶりに会ったマイルズは、前に見た時よりもさらに頭が寂しくなったようだ。そのマイルズには、まずこの小ざっぱりした姿と若作りな服装に驚かれた。
「その姿じゃあ、なんだか昔のお前を見ているようだな」
マイルズは懐かしむような顔をしながら、ニヤリと笑った。
1年半の旅の話に花を咲かせていると、扉の向こうが大分賑やかになってきていた。気付けば冒険者たちが帰ってくる頃合いの様だ。
「すまない。すっかり長居しちまったな」
「いや、お前の旅の話も貴重な情報源だからな。それより、またデニスの所に泊まるのか?」
「多分な。まあアイツが女でも連れ込んでなきゃ泊めてもらえるだろう。そうでなきゃ宿でもとるさ」
そう言いながらも、今朝のあの家を思い出していた。いや、もうあそこはあの獣人の彼女の家なんだよな……
「まあ、とりあえず『樫の木亭』に行ってみるわ」
そう言って荷物を担いで出口に向かった俺に、ああそうだと、思い出した様にマイルズが声を掛けてきた。
「まだこれを言っていなかったな。お帰り、シアン」




