Ep.8 隣/アレク
「愛している」だとか、自分には無縁な言葉だと思っている。
そんな言葉を意識する年頃になる前から、私にはすでに婚約者がいた。
それに不満などあるはずもはない。私の婚約者はおそらく国中の女性が羨む方で、私自身でさえ何故お相手に選ばれたのかもわからないのだ。
勿論私の心の全ては、その方の元にある。でもその方が見つめる先は、私ではなくこの国の末で。
いや、私はそれでも良いのだ。そんな姿にも私は心惹かれているのだから。
私は彼のそばでただ微笑んでいるのではなく、隣に立って戦う道を選んだ。
幼い頃からお転婆で、可愛げもない、女らしくもないと、そう言われていた私にはその方が都合は良かった。でも女性である私にとって、生易しい道でもなかった。
だが、今その場所には別の女性が居る。彼の隣で揃いの腕輪を付けて長剣を振るうその姿は、力強く美しくて、言葉に出来ぬ程に様になっていて。私はそれが……羨ましかった。
一番近くに居られるはずなのに、彼の隣に立てない自分を恨んだ。
* * *
この旅を始めてから、訪れた町はこれでいくつ目だろうか。
魔王を倒す為に神器を集める為にと、何日もかけて東へ向かい、北へ向かったと思えば今度は西に向かい、ぐるぐると国中をまわってまた王都に戻る。
「なんだか、スタンプラリーみたいね」
そう、苦笑いをしてルイが言った。
そんな旅の途中で、アッシュは良く腕試しの手合わせを求められている。大抵その相手の戦士には、町の有力者らしい男と、その令嬢がついている。
他の一行が挑まれる事はあまりない。何故か指名されるのはアッシュばかりなのだ。
「あの父親が娘と交際させるには私に勝ってみせろとか、そんな事でも言ったんじゃないのか?」
そうアッシュは言う。
確かにそう見えなくもないが…… それならば腑に落ちない事がある。相手の令嬢はともかく、令嬢の父親が戦士に向ける応援に熱が入っているのだ。
その不自然さに、アッシュは気付いていないのか、気にもしていないのか。それよりも目の前の腕試しに気持ちが行っているようだ。そして、敢えて負けてやる気もさらさら無いらしい。
今回もアッシュはあっけなく勝ってみせた。並み居る強豪たちを打ち負かして闘技大会で1位となった腕前は伊達ではない。
観客の男性たちからは感嘆の声が、そして女性たちからは何故か黄色い歓声が上がった。
「良い手合わせだった」
と、地に伏した相手の戦士に手を差し出す。その凛々しい笑顔に、観客たちの反応も止む無しと妙な納得をした。
隣を見ると、クリス様がとても嬉しそうに笑っている。リーダーとして、仲間の活躍を嬉しく思っているのだろう。
自分にはあの笑顔を引き出す事はきっと出来ない。 ……少し、心が沈んだ。
* * *
貴族なんてものは本当に面倒なもので、家同士の付き合いだとか、政治的な役割がなんだとか、互いの格がどうとか、そういったものを理由に、したくもない付き合いをしなければならない。
勇者の一行になったからには、そんな煩わしい事から解放されるかと思ったが、そうもいかないらしい。やはり貴族やら町の有力者やらの声掛けで、面倒なパーティーに呼ばれる事は珍しくもなかった。
たまに自分たちは何の為に旅をしているのだろうと疑問に思う事もあるが、これもおそらく役目の一つなのだろう、仕方ないと自分に言い聞かせた。
今日もそんな日だったのだが…… 珍しくクリス様が体調を崩してしまった。
自分がリーダーなのだから無理を押しても出席すると、そう言って起き上がろうとしたが、サムが無理矢理魔法で眠らせた。
些細な事ではあるが、ここで困り事が生じた。元々この一行は、男性3人、女性4人で、エスコートをする手が足りないのだ。
前回はアッシュが辞退し、騎士姿に扮して付き添いの役を買って出てくれた。 ……それはそれで、一部の参加者には好評だったようなのだが。
しかしクリス様が行けないとなると、男性が二人だけになってしまう……
「それなら、アッシュがアレクのエスコートをしたらどうかしら?」
悪戯半分でサムが提案をした。確かに前回の騎士姿を思い起こすと、似合わないという事はなさそうだ。しかし女性騎士の服装ならともかく、男装で皆の前に立たせるとは流石にアッシュに失礼だろう。
そう思ったが、意外にアッシュは提案に前向きだった。
「いずれにしても、クリスの婚約者であるアレクを他の男性にエスコートさせるのもどうかと思う。とは言え、クリスが行けない以上、立場的にアレクが行かない訳にもいかないだろう? 私がその役を務める事で問題が解決するのなら、喜んで引き受けよう」
その言葉で、ルイとサムの目が輝いた。
二人曰く「とってもやり甲斐があった。そして大満足の出来栄えになった」そうだ。
この日の話題の的は男装の戦士があらかた持っていった。私をエスコートする凛々しいその姿は、多くの女性の心を奪った。
殿下にエスコートされるのとはまた違う、優しい歩調、細やかな声かけ、様々な気遣い。相手が女性だとわかっている自分ですら、油断をすると心を溶かしてしまうのではないかと思った。
勿論、出席者たちもこれが女性のアッシュである事はわかっている。
しかし、あまりの立ち振る舞いの見事な様に、悪口を切るものは殆どいなかった。いや、ここで切っても僻みにしか聞こえず、むしろ心の醜さを露見するだけだろう。
アッシュは私とのダンスも、集まった令嬢たちとのダンスも見事に踊りきった。いつの間に、男性パートをマスターしていたのか……
そして男装をしていようが構わずにシアがアッシュをダンスに誘うと、彼女のダンスは女性らしさを滲ませた柔らかなものに変わった。
シアに負けずにメルがアッシュを誘い、ダンスの終りにメルは、アッシュの額に優しくキスをした。
周りの女性陣は黄色い声を上げた。
「今日のアッシュさん、オスカル様みたい」
パーティーが終わっても興奮冷めやらぬ様子でルイが言った。
「オスカル?」
「えーとね、私の国の物語の主人公なの。女性なんだけれど、男装で戦って…… とてもカッコ良くて、綺麗な人なの」
「ルイの国には面白そうな物語があるのねー」
その話を聞いて、サムたちは興味津々だ。
私はそんな皆の姿を横目でみて、こっそりとため息をついた。
「どうした?疲れたのか?」
見つからないと思っていたのに、アッシュに見られてしまったらしい。
「あ、いや……」
つい口籠ると、アッシュが少しだけ首を傾げた。その深い色の瞳の中に優しさを感じて、気持ちが弱くなった。
「……羨ましいな」
「私がか?何故だ?」
「……アッシュは強くて美しくて格好も良くて…… 何よりクリス様に認められていて……」
これは彼女にとってはさぞかし理不尽な妬みだろう…… わかっていても、一度口から流れ出した言葉は止める事が出来なかった。
「私はあの方にとってどんな存在なのか。わからなくて……」
ふうわりと、温かい手が頭に乗せられた。
そんな話をされても困るだけだろうに。アッシュは優しく私の頭を撫でていた。
「私は皆の仲間だ。アレクも皆も、私には大事な仲間だよ。クリスにとっても、それは同じだと思うが。でもアレクはクリスの婚約者でもあるのだろう?」
……ああ、わかっている…… でも……
「うん……」
それだけ答えて、でもそれ以上は何も言えなくて。でも頭に乗せられた手の温もりは、しばらく下ろされる事は無かった。
宿に戻ると、アッシュとシアも一緒に3人でクリス様の部屋に見舞った。無理にでも寝かせたのが功を奏したのか、大分回復したようだ。顔色もすっかり良くなっている。
アッシュの男装にはクリス様も驚き、また今日の武勇伝を聞かせると彼はまた楽しそうに笑った。
「アッシュには借りが出来たな」
その言葉を聞いて、アッシュが悪戯っぽく微笑んだ。
「返してくれる気があるのなら、また聞かせてほしい昔話があるのだが……」
そう言ってアッシュが耳元で何かを囁くと、クリス様は明らかに戸惑う様子を見せた。
「……今じゃないとダメか?」
「どうせなら逃げ道がない方がいいだろう?」
アッシュが『逃げ道』と言うのを聞いて、クリス様はうっと何かが閊えたような声を上げた。
「ああ、あの話なら俺もまた聞きたいな」
シアも何か知っているのか、ニヤニヤ顔で煽った。
私だけが何の事だかわからずにいると、アッシュが私の方を見て言った。
「クリスの思い出話だそうだ」
「幼い頃に…… 兄がひどく体調を崩して寝込んだ事があった。両親は……特に母は兄の事を溺愛しているし…… 二人ともすっかり兄につききりで…… 私はそんな両親の邪魔にならぬようにと、乳母と一緒に彼女の故郷の田舎町へ赴いて、そこで数日間を過ごした。王都を出るのは初めてで、私には何もかも新鮮な体験だった。初めて見る景色、知らない人たち、歩いた事のない町並み。そこで知り合った、可愛い女の子と木登りや虫取りをして遊んだ。兄には申し訳ないけれど、私にはとても楽しい時間だった。兄の容体が落ち着いたと連絡が来て王都に戻ると、またあの女の子に会いたいと、生まれて初めて父に我儘を言った。父は笑って頭を撫でてくれたけれど、それきりで。忘れられていたと思っていたその願いがかなったのは、すっかり時が経って2年もしてからだった。てっきりその女の子は庶民の子なんだろうと思っていたんだけれど、実は貴族で騎士の家のご令嬢で。父親の栄転で王都に住まいを構える事になって、その子も騎士になるんだって……」
そこまで一気に話すと、クリス様は少し息を吐いて、視線を落としながら続けた。
「まさか父上が、お嫁さんにするならあんな子がいいと、私が乳母に言った事まで知っているとは思わなかったんだ…… 私が我儘を言ってすぐに、親同士でその話をすっかりとまとめていたらしくて……」
……ようやく私は彼が誰の話をしているかに気が付き、クリス様は真っ赤にした顔を、見られたくないような素振りで横に逸らせた。
「羨ましいな」
アッシュがまるでさっきの私の言葉を返す様に言っても、恥ずかしさで顔を上げられなくなった私は、彼女がどんな顔でそう言っているのかを見る事も出来ない。
「汗もかいただろうし、クリスの体を拭いてやった方がいいだろうな」
「クリスの面倒はお前がみるって言ってただろう? アレク、任せたぞ」
まるで申し合わせたように、二人はそんな言葉と互いの顔を見られなくなった私たちを置いて、部屋を出て行ってしまった。
……しばらくの間の後で。
「お体、お拭きしますね」
心の動揺を無理矢理に押さえつけるように息を呑み込んでから、タオルを取りに風呂場に向かった。
風呂場のドアに手を掛けようとした時に「アレク」と私を呼ぶクリス様の声がした。振り向いた私に、彼はまだ赤い顔を見せて、でも優しい声で……
「愛している」だとか、自分には無縁な言葉だと思っていたのは、その言葉を言う事も聞く事もないだろうと思っていたのは、本当にただの思い込みだった。そんな事で自分で自分を傷つけていた。
今ならそれは間違っていると、自分に言ってやれる。
ちゃんと自分はクリス様に望まれてここに居るんだ。彼の見ている未来の光景には隣に立つ私の姿があるんだと。
その為に、今は彼をしっかりと後ろから支えられる存在で居よう。
* * *
魔族領に足を踏み入れると、旅は今までと比べられぬほどに苛酷になった。
王都に戻る事も出来なくなり、食糧の底が見え始めると魔族の肉を食らって進んだ。
「……人間を食らう魔族と、魔族を食らう私たちは…… どう違うんだろうな……」
ぽつりと、アッシュが言った。
お読みいただきありがとうございます。
(メモ)
1前→2→4前→3前①→3前②→7→3前③→4後→3中→3後→6→8→5→1後
「Ep.4 朝の鍛錬/」→「Ep.4 朝の鍛錬/クリス」
「Ep.6 仲間/」→「Ep.6 仲間/クリス」




