Ep.7 髪が乾くまで/シアン
「シアくん、今日もお願いしていいかなぁ?」
その言葉に「ああ」といつも通りに答えると、ルイの顔がぱあっと笑顔になる。
そのくらいは、まあいいんだが…… でもなあ……
まさかこの俺が、『モテすぎて困る』なんて悩みを抱える事になるとは思っていなかった。
普段から俺は、望まれなくともアッシュの身の回りの世話をしている。
別に俺がいないと出来ない事じゃあない。もし俺がやらなくても、アッシュは自分自身でやってしまうだろう。これは俺が好きで、やりたくてやっている事だ。
最近はルイとアレクにせがまれて雑事を教える場面が増えている。どうやら俺はそういった事が頼みやすい相手らしい。
女同士なんだしアッシュに聞いても良さそうなんだが…… いや、そのアッシュの身の回りの事を俺が引き受けているんだから、こうなるのは当然か。
二人の希望には『人に頼らず出来るようになりたい』というのも含まれている。まあ、それはむしろ良い事だし、意欲も尊重したい。
さらにそれに便乗して、サムもあれこれと俺に仕事を頼んでくる。頼み事自体は大した事じゃないし、サムも頼みっぱなしにするわけじゃねえ。それはそれで構わない。
でもそんなこんなで、何故だか女連中に引っ張りだこになっている。色恋沙汰って訳じゃねえが、こんなにモテるのは生まれて初めてだろう。
だが困ったことに、俺にとって一番肝心なアッシュにはモテてない。それどころか、逆に俺が忙しかろうと気遣ってか、敢えて声を掛けずに居てくれちまう。
今日もルイの髪を乾かしているうちに、アッシュの髪を乾かすタイミングを逃してしまった。
髪を乾かすには、洗濯物を乾かすのと同じ要領で火魔法と風魔法を使う。日常生活で使える程度の弱い魔法なら、大抵の者はそれなりに使えるし、使えなくても安価な魔法石でカバーする事ができる。
でもそれを人体に向けるとなると調整に気を使う。強すぎては怪我をするし、弱すぎても役に立たない。アレクはこの微調整がどうも苦手らしい。
さらにルイは全く魔力がないので、魔法石すら使えない。これじゃあ自分で髪を乾かす事もできねえ。
ここ数日はルイの髪を乾かしてみせながら、アレクにも加減を教えるような事をしていた。今日はアレクの熱心さに、彼女たちの部屋にいつもより長居をしてしまった。
その後でアッシュの部屋に行くと、すでに彼女の髪は乾いていた。自身でさっさと済ませちまったらしい。
悔しかった。
アッシュの髪を乾かすのは俺の仕事だ。あの人を、あの美しい髪を一人占め出来る時間はとても貴重なんだ。他の誰にも譲れない、俺だけの特権だと勝手に思ってる。
でも、皆との和を取り持つのはアッシュが望んでいる事でもある。
実際に俺がこうして皆の間に入っている事で、ルイとアレク、サムが仲良くなっているのも確かだ。こういう俺の働きを認めてくれて、喜んでくれるのもアッシュなんだ。
俺のワガママなんかよりも、彼女の希望を優先するのは当然じゃないか。
でもなあ。やっぱりアッシュを一人占めには、したいよなぁ……
そんな事を考えて、大きなため息が出た。
正直、俺は全く相手にされていない。
どんなに熱のこもった言葉を紡ごうと、『いつものおふざけ』としか受け取られない。
脈が全くないのだろうかと、心が折れそうになった時もある。
いやでも、そんなのは元から承知の上じゃあないか。
あの人に俺なんかは釣り合わないって。
あの人を幸せにできるのは、俺みたいなみっともないヤツじゃない。
あの人には、もっともっといいヤツがいるはずだ。
あの人につらい思いをさせてしまった分、あの人には幸せになってほしいんだ。
ああでも、参ったなぁ。
やっぱり好きなんだよな……
空を見上げてまたため息をつくと、星が呼応するように瞬いたように思えた。
アッシュの事を考えながら、星を眺める。諦めたい理由は見つけられずに、ただただ想いだけが募る。
あーあ、と誰に聞かせるでもない呟きを吐きながら、窓枠に乗せた腕にもたれて外を眺めると、暗闇に人影が見えた。
影の形と歩調だけで、今の今まで想っていた相手だとわかった。
「あいつ……こんな夜更けにまた一人で出掛けてたのかよ」
出掛ける時には誘ってくれと言っているのに、余計な気遣いをされてまともに取り合ってもらえない。
あんな美人を一人で夜歩きさせるなんて、もしも何かあったらどうするんだ。
急いで廊下に出て、皆を起こさぬよう静かに玄関に走った。
ロビーに出ると、丁度アッシュが玄関からそっと入ってきたところだった。
「ああ、シア。起きていたのか」
んなこた、どうでもいい。なんでこんな遅くに一人で出掛けてんだよ。
言いたい言葉を飲み込んで「飲んできたのか?」とだけ声をかけると、否定もせずに目を細めて僅かに笑みを見せた。
「大丈夫だ。酔うほどは飲んでいない」
そうは言っても、うわばみなアッシュの事だ。人並み以上には飲んでいるのだろう。
近づくとやけに強い酒精の匂いがした。
「全く……何故静かに飲ませてくれないのか……」
聞くと、酒場でナンパに捕まっていたらしい。なかなかにしつこいヤツで容易には逃れられなかったと。アッシュがなびかないと知ると、酒を浴びせ暴言を吐いて去っていったらしい。
それ以上何事も無くて良かったと、心からそう思った。
足取りはしっかりしているが、浴びせられた酒のせいか珍しく少し顔が上気している。放ってはおけない。
部屋まで付き添うと、悪いな、と申し訳なさそうに謝られた。
水を飲ませようと部屋に置いてあった水差しを手に取ったが、中の水はすっかり温まっている。
宿の台所を借りて水を入れ替え氷を足し、部屋に戻るとアッシュがいなかった。
風呂場から水を使う音がする。ああ、体を洗っているのか。
見ると、椅子の上に服が脱ぎ捨てられている。酒を吸い込んでいる服は早めに洗わないと、そう思い手にとった。
服にまだ残っている温もりに、一瞬で心の音が跳ね上がった。
頭の中をぐるぐると回る何かを振り払うように頭を振り、服を抱えて自分の部屋に向かう。
服についた酒の匂いの後ろに隠れているアッシュの匂いがわかってしまう、自分の執着がこんな時には恨めしい。
余計な事を考えるな、そう自分に言い聞かせながら風呂場で服をすすいだ。染み込んだ酒はすぐには落ちない。ひとまず石鹸水につけてアッシュの部屋に戻った。
アッシュはすでに風呂場から出てきていて、椅子に浅く座って水を飲んでいた。
「水を替えてくれたんだな。ありがとう」
俺の姿を認めると、そう言って軽く首を傾げるように笑った。
が、その部屋着姿がいつもより無防備で…… 息を呑んだ…… さっき諌めたはずの何かがまた自分の内から湧いてくる。
「髪、乾かしてやるよ」
なんともない風を装って、アッシュの後ろに回る。
「もう遅いから休んだ方がいいんじゃないか? このくらいは自分で出来る」
「いや、やらせてくれ。俺がやりたいんだ」
そう言うと、アッシュは一瞬だけ考えて、少し横に向けていた顔を黙って前に向けた。いつもの、髪を任せてくれる時の姿勢だ。
受け取ったタオルを手にし、長い黒髪を包むようにして水気を吸わせる。髪を持ち上げた時にちらりと見える襟首も、いつもより艶っぽく見えてしまう。
一度は諦めた貴重な時間をこうして取り戻せた事は、とても嬉しいのだが、どうにも心と体が落ち着かない。
アッシュの髪に残っていたのか、首を伝って流れた水に、ふと目を留めてしまった。そのまま水滴は体の前側に落ち、大きめに開いたシャツの襟もとから、さらに奥にある深い谷間にまで吸い込まれていった。
その水滴が見えなくなるまで、目を離す事が出来なかった。そして、そこから視線を動かせなくなった。
次の瞬間、全身の血が沸騰したかと思った。
やばいやばいやばいいや大丈夫ばれてないそうじゃない何見てんだやっぱり大きいな知ってたけどってちがうだろでも触りたい揉みたいあの谷間に顔をうずめたいきっといい匂いする柔らかい舐めたいまて何考えてるんだ俺はだめだ止まらないだめだまてやめろやめろおちつけ俺!!
多分…… ギリギリで耐えた。
急に手を止めた事が気になったらしい。
アッシュに「どうしたんだ?」と不思議そうに問われた時、俺はしゃがみ込んで両手で顔を覆っていた。
嗟咄にシャツを脱いで、顔を逸らせたまま手を伸ばした。
「……っ、俺ので悪いけど、これで胸元隠してくれ。……目のやり場に困るっ……」
口に出すと尚恥ずかしく、気まずくなる…… 耳まで熱くなっているのがわかる。出来ればこっちを見ないでほしい。
服を持っていた手が軽くなり、アッシュが受け取ったのがわかった。
「……すまん。ちょっと待ってくれ……」
息を整えようと深呼吸をする。
だがそれに逆らうように、心の音はまだ煩いくらいに響いてる。下半身の滾りはどうにも収まりそうにもない。
そっとアッシュの方を見ると、渡したシャツを抱え込むように抱き締めて、胸元を隠していた。それを見て、少しだけシャツに嫉妬した。
まだあまり落ち着いていないが、アッシュの後ろ側にいれば、赤い顔も下半身の膨らみも見られる事はないだろう。ずっと待たせている訳にはいかない。
もう一度深く呼吸して、アッシュの髪を乾かしに戻った。
髪を乾かす間、どうにも気持ちの置き場がなく、何故だが話掛ける事が出来なかった。いつもなら彼女に軽口を叩いてみせている癖に。
「ほら、乾いたぜ」
いつもの風を装って、そう声を掛ける。が、
「いつも……ありがとうな……」
返ってきた言葉は、彼女にしてはやけにしおらしいような気弱な様子で。その言い方に、さっきの様子がバレたのではないかと、もしくは俺は何かしでかしてしまったのかと、すぅと頭が冷えた。
「そう言ってもらえるのは……嬉しいけど…… どうかしたんですか? アシュリーさん……」
先程とは違う気持ちの所在なさを感じながら、声をかける。
「いや…… いつも、申し訳ないなと、そう思っている。今日もルイとアレクの所に行ってたんだろう?」
「アレクに、魔力の調節が難しいから教えてほしいって……」
「私は……自分の事は自分で出来るから……」
!! なんでそんな事を言うんだ。そんな遠慮は要らないんだ。俺がしたくてやっているのに。
「……俺は、やりたくてやっているんです。だから……」
そっと、手が伸びてきて、頬に触れた……
「あ……」
その手が、俺の頬を包む。温かく、柔らかく、優しく……
俺を見つめるその目が、その深紅の瞳がすげえ綺麗で……
……でも悲しげで……
「本当は……」
その唇が次の言葉の形になって止まった。
でもまるで何かを振り落とす様に、少し視線を逸らせ、いつもの顔に戻った彼女は、
「あ…… いや、すまない…… やはり少し酔っているのかもしれない」
そう言って手を離して、また胸元のシャツを抱え込んだ。
正直、俺は混乱していた。
今のは…… いったい何だったんだ?
俺はどうすればいいんだ?
しばらくすると、すぅという息の音が聞こえてきた。
「アシュリーさん……?」
俺のシャツを抱え込んだまま、俯いている彼女の顔を覗き込むと、すっかり目を瞑って…… 眠ってしまったようだった。
張っていた気が緩んで、大きく……息を吐いた。まだ胸には動悸の余韻が痛いほどに響いている。
彼女はこうして、こんな夜中に俺と二人きりだというのに、気にもせずに眠ってしまう。
俺の事を信用してくれているからだ。でも同時に、俺を意識してはいないからだろう……
信用してもらえて嬉しい気持ちよりも、切ない気持ちが勝ってしまうのは、あの頃よりも彼女を好きになってしまっているからだ。その気持ちを割り切りたくはないからだ。
彼女を抱きかかえてベッドに運ぶ。
俺のシャツは、まだその腕に抱かれたままで。ああ、そんな風に俺の事も受け止めてもらえたらいいのに……
その唇に……口づけたい気持ちを抑えて、そっと頭を撫でた。
なあ。
この旅が終わったら、少しは彼女に釣り合う男になれたと思ってもいいかな。
もう一度彼女の顔を見て、好きだって言ってもいいかな。
柄じゃあないけど、愛してるって言ってみてもいいかな。
俺の気持ちが伝わるまで、ずっと抱きしめてもいいかな。
俺、やっぱり彼女と居たいよ。
ずっと、ずっと……
お読みいただきありがとうございます。
また、ブックマークや評価も、併せて御礼申し上げます。
やっとこの話が投稿できました……
結構前から書き溜めていた話です。
※ツッコミどころ→何故シャツを脱ぐ…… 作成日からちょこちょこ書き足したり校正したりしていましたが、毎回毎回、心でツッコミいれてました。本当に、なんで脱いだんだろう……




