４６ 魔法使いの隠家／デニス
◆登場人物紹介（既出のみ）
・リリアン…主人公。前世の記憶を持つ、黒毛の狼獣人の少女。神秘魔法で大黒狼の姿になれる。
・デニス…王都シルディスの西の冒険者ギルドに所属する、Ａランクの先輩冒険者
・ドリー…自称「ゴーレムのようなもの」。神の助手
不自然な深い霧の中を抜けて辿り着いたのは、王都の町中で見かけるような庭付きの一軒家だった。
ただし、ぽつんと、1軒だけが建っている。
「ここは私の友人の隠れ家です。野宿だと、デニスさんが安心して眠れないでしょう？ 泊まらせてもらえるように、友人に許可を取っておきました」
これも内緒ですよ。と、またリリアンは言った。
ドワーフの国から再び国境を越えて人間の国に戻ると、リリアンは真っすぐ王都へ帰るのでなく今度は進路を僅かに西側に向けた。今回も寄る所があるらしい。
俺を乗せた大黒狼はさらに早いスピードで駆け、丸一日かけて着いた場所がここだった。
建物の周りは不思議な魔力で満たされている。リリアンは俺に説明するかのように、
「ここは庭まで強い結界で覆われてますから、ゆっくり眠れますね」
そう言ってニッコリ笑った。
リリアンが入口の扉に手を掛けると、持ち手が少し光ってカチャリと音がし、扉は開いた。
勝手知ったる様子で足を踏み入れるリリアンに続き、失礼が無い様にと思いながら扉をくぐると、目の前の足元に不思議な物体があった。
黒くて丸くて少し厚みのある……逆さにして伏せた深皿のような形で、何か記号のような物が書いてある。魔道具か何かだろうか？ 小さくだが、何かが唸るような音を立てている。
中腰の姿勢で覗きこむようにしてリリアンが「ドリーさん？」と話しかけると、それはくるりと回って俺たちを誘う様に廊下の先に向けて進んで行った。
「デニスさん、行きましょう」
その黒い何かの後をリリアンと俺が追う形で、廊下の中ほどの部屋に足を踏み入れると、そこは魔道具らしき物だらけの部屋だった。
壁に据えられた、ガラスのような鏡のような物に黒髪で眼鏡を掛けた男性の姿が描かれている。どんな仕掛けなのか、おそらく自分の知らぬ魔法なのだろう、その男性の口がまるで生きている様に動いた。
『このような形で失礼致します。客人に配慮するようにとの主の言いつけで、私がアクセスできるのはこの部屋だけにしてあります。少しだけ、それを使ってご案内しましたが』
そう言って男性が視線をやった先には、さっきの黒い魔道具があった。これは絵ではなく、おそらく鏡か何かにここでない場所にいる人の姿を映しているのだろう。
「こんばんは、ドリーさん。てっきりあれがドリーさんかと思いましたよー」
『あれは掃除用魔道具です。まあ、今は確かにこちらから遠隔操作していましたが』
「あれで掃除が出来るんですか？」
『まぁ、出来るのは掃き掃除だけですがね。棚の埃取りなどはできません。本来ならこの地域はサティの担当なんです』
「サティさん？ ドリーさんのお仲間さんですか？」
『そんなところです。しかし彼女は壊れてしまいましたので、私の担当地域が増えてやりきれなくなってしまいましてね。それでこういう魔道具を入れたんです』
そんな話の展開についていけず、ただ聞いているしかできなかったが、そこでやっと話に隙間ができた。
「こんばんは、お邪魔しています」
不思議な感じだが、その鏡の姿に向かってお辞儀をする。
『リリアンさんから聞いています。彼なら大丈夫ですね』
……大丈夫とはどういう意味だろう？ リリアンがドリーさんと呼んだその彼が言った事は、俺にはどうにもわかりにくかった。多分、リリアンにはわかっているんだろうし、難しく考えるのはやめよう。
『主の許可は取ってありますので、ここは好きに使ってください。入ってはいけない部屋にはロックをかけてありますのでご心配なく。ずっと止めてあったので、台所の物なども劣化はしていないはずです』
「ドリーさん、ありがとうございます」
台所と聞いて、リリアンの顔がパッと明るくなった。
『それから、また図書室に行かれるでしょう？ついでに探してほしい本があります』
彼が異国の言葉らしきものを口にした。おそらくそれが本の題名なのか、リリアンはふんふんと頷いている。
「わかりました。でも、ドリーさん自分では探せないんですか？」
『私は貴女方のように神秘魔法を使う事はできませんから、ここまで来るのに時間がかかるんですよ。後程で良いですので、研究所に持って来て下さい』
では、と言うと彼の姿が消え、鏡はただの黒いガラス板になった。本当に用件だけ告げに姿を見せたような、そんな感じだった。
ほんの数秒、静かな時間が流れた。
「えーっと、彼がお前の友人か……？」
そう聞くと、リリアンは俺を見上げて答えた。
「いいえ、ドリーさんは彼の従僕のような者です。友人は忙しくて…… 私もなかなか会えないんです」
リリアンが『彼』と言った事で、その友人も男だとわかり、少しだけ気になった。
家の中をひと通り確認して回る。先程の魔道具の部屋の他に、居間、食堂と台所、家事室、応接室、洗面室に広めの風呂。2階まで吹き抜け天井の大きな図書室。2階には他に個室らしき扉が三つあり、その内の二つの扉は開かなかった。おそらく居室と、片方は間取り的に納戸かなにかなのだろう。残る一つも居室で、調度品からすると男性の部屋だろう。
「やっぱりここも客間は無いようですので、この部屋で休ませてもらいましょう」
リリアンは大き目のベッドに視線を向けて言った。
「誰かの部屋みたいだけど、いいのか？」
「彼の許可が出ているそうなので大丈夫でしょう。ずっと使ってないようですし」
リリアンが言う様に、確かに普段から使っているような部屋ではないように見える。部屋にあるのは殆どが飾る為の物ばかりで、日常使う物が少ないのだ。
そして、外からはさほど大きくなく感じたこの建物だが、明らかに内は外から見るより随分と広かった。これも…… 魔法の力なのだろうか？
辺りに張られた結界といい、この建物の仕掛け、見知らぬ魔道具。リリアンが彼と呼ぶその友人が、魔法使いな事は間違いないだろう。いったい何者なのか……
これだけの力を持つ魔法使いなら、名が知れていない訳はない。そしてこの国の魔法使いであれば、教会が放っておく訳がない。
しかし教会所属の魔法使いならその活動は教会により管理され、制限もされている。こんな場所に隠れ家を作る事などはできないだろう。
ならば教会から脱した魔法使いだとしたら？ それなら内緒にしたいというリリアンの言葉にも理由が付けられる。
この王国の高名な魔法使いで…… 現在行方の知れない者は二人。
一人は、前回の魔王討伐に英雄のサポーターとして参加していたサマンサ様。サポーターでありながら、その魔力は英雄であったメルヴィン様を凌ぐものだったとの話もある。
彼女は魔王討伐から戻られたら神巫女に就任するはずだったが、帰還後突如として教会を抜け、行方をくらました。エルフの国に帰ったのではという噂があるが、定かではない。
もう一人は先代神巫女のマーガレット様。彼女は先々代の英雄の一人で、先の王と共に魔王討伐を果たした。その後に神巫女に就任したが、10年程前にその任を娘のローザ様に渡し、自身は姿を消した。
しかしこの二人は女性だ。さっきからリリアンは確かに『彼』と言っている。ならば違うだろう。
そんな事を考えて風呂に入っていたら、のぼせそうになった。ここの浴槽は大きく俺でも足がゆったりと伸ばせ、くつろぎ過ぎてしまった。
今日の夕飯はリリアンがハンバーグを作ってくれるそうだ。手伝うと言ったのだが、今のうちに風呂を済ませるように勧められた。
「代わりに後片付けを頼みます。そうすれば、その間に私もお風呂にはいれますからー」
そう言われてしまったら、従うしかない。
風呂から上がり居間に戻ると、リリアンはキャビネットの上に飾ってあるいくつかの小さな額縁を、まじまじと眺めていた。
これは……絵なのだろうか？ 絵にしてはやけに現実味があり、先ほどの鏡に映した姿のようだ。
同じ男性と女性が描いてある絵がいくつかあり、二人の物もあれば、それぞれ一人ずつの物もある。彼らがここの主な事も、そして二人が特別な関係である事も容易に想像できた。
「それがリリアンの友人か？」
「はい。一緒にいるのは、彼の恋人でしょう。話を聞いた事があります」
「会った事は無いのか？」
「……もう、亡くなっていますから」
リリアンはそう言って、表情を動かす事無く、二人が描いてある額縁に触れた。
黒髪の男性は少し頼りなさげにも見えて、でも優しそうな笑みを浮かべている。
女性の金髪も長く、芯の強さを窺わせる瞳が印象的な、美しい人だと思った。
「こんな女性なのね……」
リリアンが、ぽつりと呟いた。
台所に続く食堂で、リリアンが作ってくれた夕飯を食べながら他愛もない話をしていると、会話の合間にふとリリアンが、「やっぱり友人の事は気になりますか？」と、聞いて来た。
そりゃあ、惚れた女が親しい男の話をしていれば気にはなる。
でもリリアンはそんな俺の気持ちをわかってそう聞いているのか、それとも俺がそんなに落ち着かない態度に見えたのか。どうともわからずに、ただ「ああ」と返事をした。
「彼は古代の魔法使いなんです。以前旅をしていた時に知り合いました。ただ教会に見つかると良くないので、それで内緒にしてほしいんです」
なるほど……
古代の、というからには見た目以上の年齢で、ならばエルフなのだろう。エルフの国に潜んでいたか、昔に教会を脱した魔法使いなのか、そんなところだろうか。
教会は強い魔法使いの確保に必死になっている。これだけの力がある魔法使いなら、教会に見つかると厄介だと言うのも頷ける。
「そんなすごい魔法使いと、どういう切っ掛けがあったら知り合いになれるんだ？」
そう聞くと、リリアンは恥ずかしそうにしながら答えた。
「ちょっと、大怪我しちゃいまして…… その時に居合わせた彼に助けてもらったんですよー」
えへへと苦笑をするリリアンに、ふぅとため息がでた。以前旅をしていた時というのは、先日聞いた13歳かそこらの頃の話なのだろう。
「そんな頃から無茶をしていたのか、お前は……」
そう言うと、リリアンは否定もせずに誤魔化すようにまた笑ってみせた。
これからは俺が助けてやるからと心に浮かんだ言葉は、彼女にはまだ言い難くてそっと飲み込んだ。
リリアンは、風呂から上がったらその後は図書室で用事があるそうだ。
俺には先にベッドで休むようにと告げた。
「図書室に大きいソファーがありますから、私にはあちらの方が好都合です」
確かに小柄なリリアンならあのソファーでも充分休めるだろう。でも……
「俺は、出来ればお前にもベッドで休んでほしいんだが」
いやでも、俺が使ってたらダメだよな…… そう思いかけた時に……
「確かにあの広さなら二人一緒でも大丈夫そうですね」
え……？ 今なんて言った？
唖然とする俺を置いてきぼりにして、リリアンは風呂場に向けて行ってしまった。
余計な事ばかり考えながらベッドに入る。
もし、さっき聞こえた言葉が、あれが本当だったら…… 俺はどうすればいい？
いやどうすればって…… 何をするつもりなんだ、俺は。
旅の仲間と同じ部屋で休むのと、野営の時に身を寄せて眠るのと、さほど変わらないはずだ。彼女だってそういうつもりなのだろう。
でも、もしもそうじゃなかったら……
自分に都合の良い想像ばかりがぐるぐると巡り、眠れそうにない。
そう思っていたのだが、目を瞑ると吸い込まれるように体の力は抜けていった。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次回はサイドストーリーの予定です。
どうにも一つの話の中に見せ場を作らないとダメだろうと言う意識がありまして。
そこまでをなんとか組み込もうとするとある程度は長くなる。途中で切ろうとするとただの出来事だけになってしまい、そうなるとどうにも納得できないようです。
時に、それが自分にしかわからない見せ場だったりしている事もあります。例えば＃８の礼拝のシーンなどがそれに当たります。
上手く書ききれるように頑張ります。
（メモ）
ドリー（＃２８）
魔王討伐（＃３２）
