33 傷
◆登場人物紹介(既出のみ)
・リリアン…主人公。前世の記憶を持つ、黒毛の狼獣人の少女。帰省先の故郷から王都に向けて帰還中。完全獣化で黒狼の姿に、神秘魔法で大黒狼の姿などになれる。
・デニス…王都シルディスの西の冒険者ギルドに所属するAランクの先輩冒険者
・デビット…ワーレンの町冒険者ギルドマスター
いつものように、日が昇る頃に目が覚めた。隣を見るとデニスさんはまだよく眠っている。昨日の魔法が効いているようだ。
完全獣化を解くと大人のリリアンの姿になった。
デニスさんの頭に手を伸ばす。そのままそおっとその頭を撫でてみた。
栗色の髪が、手に優しく柔らかい……
昔を思い出し…… 少し、胸がつまった。
ああ、ダメだね。前に進まないと……
二人の周りにこっそりと張ってあった結界を張り直し、朝の鍛練に出掛けた。
鍛練で汗をかいたので今朝も水を浴びた。特に髪は念入りに洗う。
今日もデニスさんを乗せるのだから、キレイにしておきたい。汗臭かったり、獣臭いとか思われるのは、絶対に嫌だ。
昨日は大丈夫だったろうか…… 色々と気になって仕方なかった。
髪を乾かしてから戻ると、その気配で朝に気付いたのかデニスさんが飛び起きた。
「すまない!ぐっすりと寝てしまった……」
ばつが悪そうに頭を掻く。
「おはようございます。やっぱり疲れてたんですね。私もしっかり寝てましたので大丈夫ですよー」
そう言って、空の魔道具をわざと見せた。
「ああ、結界を張ってたのか……」
「ひとり旅には必需品ですよねー」
ほっとした表情のデニスさんに返事をしつつ、水浴びのついでに獲ってきた川魚に木の枝を通す。塩をふっただけの焼魚と果物で、今朝は簡単に朝食を済ませた。
* * *
昨日頑張って先に進んだので、短めの休憩を挟んだだけでワーレンに着いた。
冒険者ギルドへ伺い、ギルドマスターのデビットさんを訪ねる。
「やあ、故郷への旅はいかがだったかね。ひとまず無事で何よりだ」
「先日はお世話になりました」
そう礼を言い、デニスさんを紹介した。
デビットさんに挨拶をするデニスさんは、いつもの気さくな感じではなく、騎士かと思えるような立ち振る舞いだった。ちょっとカッコ良い。
冒険者もランクが上がると気楽に振る舞えない事も多くなる。デニスさんも、やはりそういう経験もしてきているのだろう。
冒険者ギルドの一室で、早めの昼食を頂きながらダンジョンの話を聞いたが、思った程の収穫はなかった。
「王都からも調査隊が来たのだが、その時には何故か入口が開いていた。ダンジョンは地下3階まであったが、でもそれだけなのだよ。奥の部屋におそらく転移魔法の出口があって、そこからミノタウロスが来たと思われるが、その部屋にも今は何もない」
作りかけのダンジョンを、魔族が放棄していったという事だろうか……? 何故だろう?
「そのダンジョンに入ってみてもいいでしょうか?」
デニスさんがそう声を上げる。うん、私も見てみたい。
「私も一緒に行きたいですー」
それを聞くと、デニスさんが少し不安そうな顔をした。
「……いやダメだ、ミノタウロスが居るのかもしれないんだろう?」
「でも今は居ないって、デビットさんが言ってましたよ?」
もしも居たとしても沢山居るわけでなければ、デニスさんも一緒だしそこまでの心配はないはずよね。
「まあ、調査隊からも高位魔獣の報告は受けていないし、聞いた感じでは本当にダンジョンの導入部程度の規模らしい。問題は無いだろう」
デビットさんの助け船が入った。有り難い。
「はーい。私が入口まで案内しますね」
まだちょっとデニスさんが複雑そうな顔をしていたけど、ここは押し通した。
* * *
ダンジョンへと向かう道は、探すという程の事をせずに難なく見つけることが出来た。あの時はあれだけ霧がかかっていたのに、今はもう晴れている。隠す必要がなくなったのだろう。
そして、確かに入口は空いていた。
ダンジョンに立ち入ると、僅かにだが覚えのある匂いを感じた。それ以外には何と言う程の事も探索と言う程の労も無く、地下3階の最奥と思われる部屋に辿り着いた。ここまでの道中でも魔獣は雑魚しか居なかったし、トラップも特にない。本当にダンジョンの最上層だと思える程度だった。
その部屋を覗きこむと、デニスさんから声がかかった。
「おい…… 無理すんな」
何故か、デニスさんが必要以上に慎重なのが気になる。
少し感知力を上げて様子を窺ってみたが、やはり問題になるような気配などはない。敢えて気になると言えば、入った時に感じた覚えのある匂いがこの部屋では特に強い。でもそれも残り香が香っている様な程度だ。
「大丈夫そうですよ。行きましょう、デニスさん」
そう声を掛けて部屋に入ろうとすると、
「……リリアン」
私の名を呼んだデニスさんが、私の腕をつかんで引き寄せた。
気付くと、私はデニスさんに後ろから強く抱きしめられていた。
「……デニスさん? どうしたんですか?」
問うが返事はない。顔だけ振り向くようにしてデニスさんを見ると、さっきに増して不安そうな顔をしている。手を伸ばしてデニスさんの頬に触れると、ようやく気持ちが戻ったようだ。
「すまない…… ちょっと、嫌な事を思い出した……」
腕は緩めてくれたが、やはり様子がおかしい。
このダンジョンについてはデビットさんから聞いた以上の収穫は無いようだし、調査はここまでにして町に戻る事にした。
ダンジョンを出ると、デニスさんは見た目では一応落ち着いたようだった。でもまだどこか張り詰めているのが分かる。
冒険者ギルドに寄り、デビットさんに真新しい発見は無かった事、少し旅の疲れが出ている事を伝えると、前回泊まった宿を紹介してくれた。
宿ではギルドマスターの口利きという事で、良い部屋を用意してくれた。先日と同じ部屋で、風呂も付いている二人部屋だ。
……つまり、ベッドが二つある一部屋で……
ちらとデニスさんを見ると、やはり同室なのが気になるのか気まずそうな顔をしている。でもさっきのデニスさんの様子をみる限りでは今は一人にしておくのは心配だ。今更部屋を分けてもらうつもりはない。
「ベッドは別だから全然問題ないですよ。第一、昨日も隣で寝ているじゃないですか」
そう言ってみせると、ああ、そうだな…… と息を吐き出すように返って来た。
デニスさんの気持ちがまだ落ち着いていないのがわかったので、夕食は外にはいかずに部屋に届けてもらって済ませた。
後の順で風呂からあがると、デニスさんはベッドに腰かけて何か考え込んで居るようだった。
「……私と一緒の部屋では、やはり困りますか?」
そう声をかけると、ようやく顔を上げてこちらを見た。
「いや、それはない。お前こそ大丈夫か?」
「デニスさんと一緒で嫌な訳ないじゃあないですかー」
そう笑ってみせる。じゃあ、やっぱりまだ昼の事を気にしているんだね。
「……話をして少しでも楽になるのなら聞きますよ?」
デニスさんは一瞬縋りたいような目をしたが、そこで躊躇した。
「いや、でも……」
「こんな子供相手には話しづらいですか?」
そう言って、変姿の魔法で大人の姿になって見せた。
「え……? リリアン……?」
「この姿ではリリスと名乗っています。今回の旅ではこの姿で灰狼族の戦士の振りをしていました」
「振りってお前……」
「まあ、あながち嘘ではない。それにあんな小娘が戦士だと言っても、大抵マトモに取りあってはもらえないからな」
口調を変えて、デニスさんの隣に座る。これは『昔』の自分の口調だ。この姿でラフなリリアンの話し方は合わないだろうし、多分こちらの口調の方が良いだろう。
「どうかな?この方があの小娘に話すよりは話しやすいのではないか?」
デニスさんの顔を覗き込むと、何故かデニスさんは口許に手をあてて視線を逸らせた。
同じ年頃が相手の方が話もしやすいかと思ったんだけど…… ダメだったかな。
まあ、無理に聞き出そうとする事もないよね……
そう思ったところで、ぽつりとデニスさんが口を開いた。
「……昔、入ったダンジョンで…… 仲間を死なせてしまったんだ……」
決して無理をしていたつもりはなかった。
ただ俺も少し過信していたし、俺の仲間は俺よりもっと読みが甘かった。自分たちならきっと行けると…… 予定より奥まで進んでしまった。
パーティーには一人だけ、下位の冒険者を手伝いで連れて行っていた。
最奥と思われる祭壇のある部屋で高位の魔獣が湧き出した時に、仲間は手伝いの彼だけ置いて逃げだそうとしたんだ。
そんな事…… 出来るわけがないじゃないか……
俺は守りたかった。でも、俺もどうにか逃げるのに必死で…… 彼を抱えて、やっとの思いでダンジョンを抜ける事は出来たが…… もう死んでいた……
それから、自分の目の前で仲間が傷付くのが怖くなった。
俺は皆を傷付けたくて冒険者になったんじゃないんだ。守りたくて冒険者になったんだ。
王都で後輩の面倒をみているのもその為だ。これから冒険者として危ない道を進む奴らに、少しでも生き延びる術を身に着けてほしい。
でも、それだけじゃダメなのも、本当はわかってるんだ……
俺には俺の目指す道もある。それにも進んで行かないと。
「……どんな道だ?」
私がそう問いかけると、英雄になりたい、と、真っすぐな瞳で答えた。
「そうか…… あと、背中に何かあるのか?」
話をしながら、僅かに背中を気にしている事に気が付いていた。
デニスさんは少しだけきまりが悪そうに私に視線を送り、すぐに逸らせて落とした。そして重そうに口を開く。
「その時に…… ついた傷が、俺の背中一面にある…… 敵に立ち向かって付いた、勇猛の証の傷じゃない。敵から逃げた時に付いた、弱虫の証の傷だ。まったく…… みっともねえよな…… そん時に付き合ってた女も、俺の事見離していった。こんなの、人には見せられねえし、女も抱けねえ…… あ、いや、すまない…… お前に言う様な事じゃなかったな……」
そう言って、赤くした顔を隠す様にまた口許に手をあてた。
「その傷を、見せてもらえないか……?」
「え……? でも……」
「それは弱虫の証なんかじゃない。お前の優しさの証だろう?」
そう言うと、デニスさんは少し目を見開いて、私をじっと見た。
そして黙ってシャツを脱ぎ、私に背を向けた。そこには無数の傷跡が……
その傷に手を触れ…… そっと背中に……
「……リリアン?」
「この傷跡は治せるはずだ。でもわざと治していないな?」
「……ああ…… 俺への戒めでもある……」
……自分で自分を縛っているのか……
ただ優しいだけなのに……
「それで…… わざと女性を退けているのか?」
「……それもある……」
「でもデニスさんは、カッコいいし、強いし、優しいし、勿体無いです。ちゃんとこんな傷じゃなくて、デニスさん自身を見てくれる方が居ると思いますよ」
元の姿に戻ってそういうと、デニスさんは戸惑うようにああと曖昧な返事をした。
「私からデニスさんにお願いがあります」
デニスさんの正面に立ち、リリアンの姿でそう切り出した。
お読みいただきありがとうございます。
もうちょっと…… もうちょっとで王都に戻れるはずです。
またキャラクターの一人歩きの所為でちょっと予定が狂いましたが……