31 旅路、ふたり/デニス
◆登場人物紹介(既出のみ)
・リリアン…主人公。前世の記憶を持つ、黒毛の狼獣人の少女。帰省先の故郷から王都に向けて帰還中。完全獣化で黒狼の姿になれる。
・デニス…王都シルディスの西の冒険者ギルドに所属するAランクの先輩冒険者
ワーレンまでは、順調に行けば明日の昼頃には着くらしい。馬車で向かえば三日程かかる行程だ。確かにかなり早い。
だが、2時間ほど進んだ所で休憩を挟んだ。流石に俺を乗せて走るのは大変なのだろうと思ったが、どうやら休憩は俺の為らしい。
確かに黒狼の背から降りると、思いがけず足の力が抜けて膝を突きそうになった。慣れぬ騎乗で体が緊張していたのと、ずっと同じ体勢でいたのでその所為だろう。
ふらついた俺を心配したのか、黒狼……リリアンが鼻先を使って支えてくれる。
「あ、いや。大丈夫だ。お前の方こそ疲れてないか?」
そう言って首元を撫でると、黒狼は気持ち良さげに目を細めた。
……本当にリリアンなんだよな?
この巨大な黒狼の姿からは、小柄なリリアンの姿が想像できない。
まじまじと眺めていると、黒狼が軽く身震いをした。すると、するするとその身が縮んでさっきの半分ほどの大きさになった。
「……これが私の本来の大きさですよ。先ほどは魔法で大きくなってたんです。でないとデニスさんを乗せられないじゃないですか」
思う事は見透かされていたらしい。
「獣化を解きたいので、あっちを向いてもらえませんか?」
その言葉に、慌てて体を後ろに向けた。
* * *
ここまで走りづめだったのに、リリアンはてきぱきとお茶とおやつの支度をしてくれている。俺がやるって言ったのに、さっきふらついた事を言い訳に断られてしまった。
本当、デキるヤツだよなあ……
冒険者なり見習いなり、成りたてのヤツってのは、いつだかのニールみたいに右も左もわからず、ただ付いてきて言われた事をするのが精いっぱいなもんだ。
でもリリアンは違った。最初から知ってた様に支度も雑事もこなしてみせる。クエストに行く話になれば準備もほぼバッチリだ。正直俺が教えた事なんざ殆どない。
それでも俺の事を先輩として慕ってくれるもんだから…… ホント可愛い後輩だよなあ。
おやつを口にしながら、リリアンが1枚の地図を広げた。それを見て驚いた。至る所に書き込みがしてある。町の情報、ダンジョンの場所、魔獣の生息地、変わった薬草の繁殖地なんかも書いてある。こんな情報をどこで手に入れてるんだ……?
そういや…… リリアンは『樫の木亭』で、他の冒険者の話をよく聞きたがる。特に町に来たばかりの新参の冒険者が居ると、手伝いの合間を見て旅の話をせがんでいる。
こいつは、本当に聞き上手なんだよなあ……
そんな客らは、可愛い女の子が熱心に自分たちの活躍を聞いてくれるものだから、大喜びだ。しかもリリアンはしっかり客の名前まで覚えている。
そんな様子なのでリリアンもあの店での人気は高い。
リリアンは冒険者たちの話をただ聞いているだけでなく、しっかりとこうして記録もしていたのか……
地図を見た感じだと、おそらく図書館などで入手した情報もあるのだろうか。古い情報も記載されている。
ただ…… 所々に見慣れない文字?がある。なんだ?これは……?
「デニスさん、聞いてますか?」
リリアンに言われて気が付いた。すっかり地図に見入ってしまっていたようだ。
「ああ、すまない。この地図はすごいな」
そう言うと、褒められたとわかったのか、リリアンがえへへと笑った。
ああ、これはいつものリリアンだ。
昼に町で会った時には、王都に居た時より少し大人びて見えた。この僅かな間に、いったいどんな旅をして来たんだろうか?
リリアンは気付いていないようだが、背も少し伸びている。獣人の事はあまり知らないが、エルフが魔力で成長するように、獣人にもそういった条件が何かあるのかもしれないな。
「このままワーレンに向かうと、この辺りで今日の移動は終わりになります。なので、どこで野営をするか先に決めておいて、そこを目的地にしたいと思うんですけど……」
「普通にその辺りで野営の場所探せばいいんじゃないのか?」
「水浴びはしたいので、水場があるところがいいんですー」
「んー…… じゃあ、ちょっと早いかもしれないが、この町に寄ればいいんじゃねえか? 町なら風呂に入れるぞ」
「うーん、空いちゃう時間が惜しいです。余裕があればさらに寄りたい所もありますし」
さらにって、随分と行動的だな。
「……もしかしてお前、行く時も寄り道していたな?」
そう言うと、リリアンの耳がふいっと後ろに伏せられた。……図星か。
へらへらと笑ってごまかそうとしているのを見て、何故かため息が出た。
「ったく…… 道中何かあったらって心配するじゃねえか。後で話聞かせてくれよな」
そう言って、いつもの様にリリアンの頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女は照れくさそうに笑った。
心配なら一人旅の段階でもしていたはずなんだが…… 何を俺は余計に心配しているんだ??
結局、今日の移動予定より少し先に川がありそうなので、そこまで行って野営をする事になった。今までの距離からすると、この先の方が長い。
リリアンに今まで以上の負担がかかる事を心配したが、彼女には俺の心配をされてしまった。
できれば野営の場所までは明るいうちにたどり着きたい。リリアンも同じ思いなようで、頑張りますねと言って笑って見せた。
俺は何もできないのがもどかしい。せめて野営の準備は俺がやらないとな。
* * *
さすがに体が慣れてきたのか、休憩の後の移動はさっきほどのつらさはなくなっていた。でも背を低くしたこの体勢は、やはり楽ではない。
リリアンの首に掴まっている腕もずっと同じでいると痺れてきそうになるので、たまに組み替える。その度に、リリアンの耳がピクリと動いている事に気が付いた。
何か気に障る事があるとかでなければいいんだが……
「わるい、気になるか?」
「あ…… いいえ、大丈夫です。デニスさんも慣れてきたようですし、もう少し広い所を走れれば、姿勢も楽に出来るかもですね」
そう言ってはくれたが、流石にそういう訳には行かないだろう。
「まあ、つらくなったら言うから大丈夫だ」
そう言って掴まる手に少し力を入れると、また耳がピクリと動いた。
リリアンはかなり頑張ってくれたようで、前半とほぼ同じくらいの時間で目的地に着いた。
そこは穏やかに流れる川がいい感じのカーブになっていて、その近くに野営に丁度いい場所もある。
流石に悪いからと言って、野営の準備と食事の支度を買って出ると、リリアンが手持ちのマジックバッグから肉や果物を出して来た。
渡された肉をみると、明らかに兎や雉の肉ではない。
「……おい、これ何の肉だ?」
「ワイバーンです。走りづめだったし、ちょっといいお肉食べたいですー」
これは決して安くはないものだ。Dランクの冒険者が普段食うような肉じゃない。
しかも生肉を入れていたという事は、マジックバッグに『時間停止』が付いているという事だ。それだけじゃあない。見た感じだと明らかに『容量減少』『重量軽減』もついている。
ギルドで貸し出しているのと同じか…… いや、性能はこっちの方が上だろう。かなり高価なもののはずだ。こんなすげえもん持ってたのか。
食事の支度をはじめた頃に、水浴びをしたリリアンが戻ってきた。
「続きやりますよ。デニスさんも汗を流してきてください」
「いや、俺は食事の後でいいよ」
そうは言ったが、リリアンの押しには勝てなかった。
水浴びから戻ると、ワイバーン肉はハーブを効かせたローストになっていて、茹でた芋や焼いた野菜とパン、果物が添えられていた。野営にしては随分と贅沢な食事だ。
結局、夕飯の支度はすっかりリリアンにやらせてしまった。
添えられたカップからは良い香りがしていて、ワインかと思って一口飲んだら葡萄ジュースだった。でもこれはこれでとても美味かった。
食事を終え、少し今後の事を話しただけで早めに休むことになった。明日は朝明るくなったら早めに移動を始めたいと。
今日もリリアンに無理をさせていたし、確かに出来るだけ休んだ方が良い。
そう思っていると、リリアンに後ろを向くように促された。
声を掛けられてまた前を向くと、そこには黒狼の姿があった。但し、サイズはちゃんとリリアンサイズだ。
「お前、それで寝るのか?」
「この姿の方が滅多な魔獣は寄ってこないので安全なんです。それに毛布とかも要らないですし」
確かに、人の姿で居るよりは安全なのだろう。でもなあ……
「……もしかして、この旅の間はいつもそんな感じだったのか?」
「木のうろで寝たり、木の上で休んだりもしましたけど、大抵この姿ですよ」
リリアンはそう言いながら、俺の横に体を横たえた。
そうか…… 俺はてっきり、馬車旅で必ず誰かと一緒に居て、宿泊は町でとって…… そんな旅をしているもんだと思ってたんだ。
さっきの心配の正体はこれだったのか……
そっと手を伸ばし、隣に座ったリリアンの頭から背を撫でる。
彼女は一瞬緊張したように耳を立てたが、すぐにへたりとその耳を寝かせた。
「……びっくりしたか? ……嫌じゃないか?」
そう声をかけると、リリアンは一度だけ視線を寄越して、またすぐに逸らせた。そして、
「……いいえ、嬉しいです……」
ちょっとぎこちない風に言った。
俺がそのまま彼女を撫でていると、視線を逸らせたままでぽつりと話し始めた。
「私の知っている人なのですが…… その人は幼い頃からも頭を撫でられたことがないのだそうです。一度くらい…… ねだってみても良かったのかもと、後悔をしていました……」
「今からでもねだってみりゃ良いんじゃないか?」
「もう遅いんです。その人は死んでしまったから……」
「……そうか」
「でも…… その代わりに、自分が頭を撫でた人が笑顔になってくれるのが嬉しいと。笑顔を見ると自分も嬉しくなるのだと。……だから私も…… 撫でてもらえて嬉しいと…… ちゃんと伝えた方がいいだろうと思いました……」
ちょっと恥ずかしいですけどと、リリアンはそう小声で言った。
「……私は…… こうして撫でてくれる人がいてくれて、嬉しいです」
「そうだな…… 俺もガキの頃にこうして頭を撫でてくれる人が居て…… その人が大好きで、嬉しかった覚えがあるよ」
彼女を撫でながら…… 何故か彼女の心が泣いている気がした。
さっきの話の人は、もしかして彼女の大切な人だったのだろうか?
これ以上彼女の心に触れてはいけないように思い、手を離した。
「俺が張り番をしているから、しっかり休めよ」
そう言うと、予想と真逆の答えが返って来た。
「いいえ、デニスさんはしっかり休んでください。慣れない移動で大分疲れたはずです。それに私はこの姿なら、休みながら物音とか気配に警戒ができますから」
そう言うと黒狼は、鼻先で器用に俺に毛布を掛けた。そして、狼の鼻が肩に当たると、急に深いところに沈んで行くような、そんな眠気に襲われた。
重い目が閉じられるその寸前に、懐かしい瞳の色を見たような、そんな気がした。
お読みいただきありがとうございます。
話のボリュームの割に、セリフの少ない私の文章ですが、デニスが同行するお陰でちょっとセリフが増えてきたみたいです。
(メモ)
地図(#2)
マジックバッグ(#5)
ワイバーン(#10、#11)
葡萄のジュース(#10)