Ep.17 壊れた時/シアン
◆登場人物紹介(既出のみ)
・シア…冒険者の『サポーター』。栗毛の短髪の青年。アッシュとはこの旅の前からの付き合いがある。
・アッシュ…冒険者の『英雄』。黒髪長身の美人
・メル…魔法使いの『英雄』で、アシュリーの恋人。黒髪の寡黙な青年
・ルイ…神の国から来た『勇者』の少女
・サム…魔法使いの『サポーター』。可愛いらしいドレスを着た、金髪巻き髪のエルフの少女
・クリス…『英雄』で一行のリーダー。人間の国の第二王子。金髪の碧眼の青年
・アレク…騎士で『サポーター』。クリスの婚約者でもある。
洗い上がりのアッシュの髪を、いつもの様に乾かす。
「ほら、終わったぜ」
アッシュは振り向いてありがとうと、いつもの様に返してきた。
この時間が好きだ。討伐隊になる以前、二人だけで旅をしていた頃から、これは俺の役目だった。
討伐隊になってからも、変わらずアッシュは俺に髪を乾かさせてくれる。この時間だけは、俺だけの時間だ。
この後にはいつも、メルがアッシュの部屋に来ることをわかっていたとしても……
明日からは魔族領に入る。二人の時間を過ごす事はしばらく難しくなるだろう。そう思うと、言葉と手が止まった。
今、今日のこの時間に言わないと。伝えようと思っていた言葉がなかなか出てこない。
「この旅が終わったら……」
切り出せずにただ黙っている俺に向かって、アッシュが口にした言葉にハッとした。
俺も言おうと思っていたんだ。この旅が終わったら……
「もう私に付いて来る必要はない」
「……え?」
続いた言葉に、目の前の世界がぐるりと回った感覚がした。
「私の所為で、お前を縛りつけてる。……お前は自由になっていいんだ」
そう言ってアッシュは僅かに目を伏せた。
「……アッシュ?」
俺には……
俺にはあんただけなんだ。
俺の命はあんたに救われたんだ。
俺は…… アッシュが居なければ……
「もういいんだ。自由に…… お前の好きなように生きろ」
やめてくれ、そんな事は言わないでくれ。
世界中のどこを探したって、あんたのそば以外に俺の居場所はない。
俺の居場所は……
顔を上げると、椅子に掛けたまま俺を真っすぐ見つめる彼女の瞳。
強い意思、そこに陰りはなく、俺の居場所も……
「……あ――」
ないのか……?
「私からの話はここまでだ」
そう言うと、アッシュは立ち上がって窓際に向かった。
夜の深さを確かめるように窓の外を眺める彼女は、もう俺の顔を見ようともしていない。
俺はこうして立って居る足元すらあやふやで。でもこのままこの部屋を出ていったら、二度と彼女のそばには戻れない気がしていた。
「アッシュ……」
背を向けている彼女の表情は、俺からは見えない。
見えないはずなのに……
「アシュリー……?」
なんで……?
……なんで、彼女が泣いているんだ?
「……話は終わった、さっさと出て行け」
「アシュリー……」
出て行ける訳がない。
今まで、俺の前で涙を流した事などなかったのに……
「……こっちを向いてくれ」
彼女に歩み寄る。背中を向けたままの彼女の肩に手を触れると、びくりと彼女が緊張したのがわかった。
「俺の話がまだだ」
「……そう、だな」
アシュリーが俯いたままで静かに振り向くと、ぽたりぽたりと滴が落ちた。
「……なんで泣いてるんだ?」
「泣いてない」
彼女の頬に両の手をあて、顔をあげさせる。
「……泣いてはいない」
そう言いながらも彼女の目から一筋二筋と涙が零れ落ちる。
「こんな事で私が泣くわけがない…… ずっと……ずっと独りだったんだ。また独りに戻るだけだ……」
「……アシュリー?」
「またお前が居なかった頃に戻るだけだ…… だからお前は自由になれ…… 好きなところに行け……」
なんで彼女が泣くのか、俺にはわからなかったし、理由を聞く事も出来なかった。
でもその夜、彼女を一人にしてはおけないと、そう思った。
そしてこの日、メルはこの部屋には来なかった。
* * *
――待て――
アッシュはいったい何をしようとしているんだ!?
体の半分を魔獣に飲み込まれかけたアッシュは、魔獣に刺さったままの自らの剣に右腕を当てた。
鈍い音とともに赤いものが吹き出し、何かが落ちてきた。その周りに、血だまりが広がっていく。
――腕だ……
『英雄』の腕輪をつけた、アッシュの、腕。
あいつ、自分で斬りやがった!!
視線を上げると、アッシュの少し困ったような、笑みが見え……
次の瞬間、彼女は魔獣の口の中に消えた。
何が起きたのか、目の前で起きた出来事をすぐには理解できなかった。いや、理解する事を心が拒否していた。
「いやーーーーーーー!!!!」
俺が抱き止めていたルイの叫び声で我に返った。
「くそっ!!」
剣を握り直し、アッシュを飲み込んだ魔獣に向かって真っすぐに駆けた。
返せ!! 彼女を返せ!!
その巨体に剣を突き刺そうとした時に、別の方向から魔法が飛んできて、咄嗟に身を躱した。すんでのところで魔法は俺をかすめ、直撃を免れた。
魔法が飛んで来た方を見ると、あの巨大な魔獣を召喚した魔族がこちらに手を差し出している。今のはあいつが放った魔法か? 俺の邪魔すんじゃねえっ!
一度崩れた体勢を立て直そうと足を踏ん張った。こんな事をしているうちにも、アッシュが……
魔獣に再び斬りかかろうと膝を曲げ、正面に向き直した俺の目前に魔獣の爪があった。
しまっ……!!
避けるどころか、斬りかかろうとした勢いが上乗せされ、顔面にまともに爪を食らって吹き飛ばされる。
くそっ!! アッシュを、アッシュを取り戻さないと!!
「シアくん!!」
また駆けだそうと立ち上がった俺を、後ろからルイが引っ張った。
その瞬間、目の前で大きな爆発が起きる。またアイツの魔法だ。
魔族に向けてメルとサムが魔法を放つが、何かに阻まれるようにヤツには届かない。
俺の横からクリスが飛び出し、魔獣に向かっていく。ルイを振り払った俺も、クリスの後に続いた。
魔族と魔獣相手の全力の戦いに、少しずつ仲間たちの傷が増えていく。
「このままではダメだ、一時退却する!」
クリスが言うまでに、そう長い時間はかからなかった。
* * *
どうやって王都に戻ったのか、全く覚えていない。
ずっと、ずっと、『彼女』が入ったバッグを抱え込んでいた。
「彼女を、棺に入れよう」
誰かが俺に手を差し出してきた。
「あ……」
嫌だ、嫌だ……
込み上がってくる何かが、俺の首を横に振らせる。
強く抱きしめたバッグの、あまりにも頼りない感触に、また心に何かが刺さった。
「シア……」
手を差し出したまま、クリスが俺の名を呼んだ。
「わかってる、わかっている。けど……」
顔をあげると、皆が泣きそうな顔で俺を見ている。
つらいのは俺だけじゃあない。そんな事もわかってはいるんだ……
ようやく立ち上がって、バッグから『彼女』を取り出した。
右の肘から先の、こんな小さな『彼女』しか連れて帰れなかった。
いつも俺に差し伸べてくれていた、彼女の手だ。
思い出と一緒に涙が溢れて、『彼女』が見えなくなった。
ほんの小さな棺に彼女を収めると、そのそばに座り込んだ。
「シア、行こう」
「いいや、俺はここに居る」
アレクの言葉を振り払って、顔を伏せた。
「……食事くらい、ちゃんととってくれ。ずっと食べていないだろう? そんなんじゃ、アッシュが悲し──」
「あいつは悲しまねえよ!!」
顔を上げてアレクを睨みつける。つい強く放った言葉に、彼女の肩が震えたのが見えた。
「──もう、あいつは死んだんだぞ…… 悲しんだり、泣いたり、怒ったり……」
でも自分の言葉を抑える事は出来なくて。
「喜んだり…… 笑ったり…… そんな事も…… もう、できねえんだよ……」
最後まで絞り出して、また顔を伏せた。
「ごめん…… アレク。俺の事心配してくれたのに…… でも、もう少しここに居させてくれ……」
今の俺にはもう何も出来ない。
アッシュと出会ってから、満たされたと思っていた心のどこかに、今はぽっかりと穴が開いていた。
* * *
あの人が、笑っていてくれればいい。
ずっとそう思っていた。
そうしてずっとあの人の背中を追っていた。
こんな俺にも、あの人は笑ってくれた。
あの人のそばで道化を演じる俺に、振り返りながらそっと笑いかける。
あの笑顔の為になら、俺は道化のままでもいいと思っていた。
でも、あの人はもういない。
最期に見た、困ったような、けれども悲し気な、あの笑みを忘れられない。
……違う。
俺が見たかったのは、あんな笑顔じゃないんだ。
いつものあの、不器用な、でも優しげな、あの笑顔が見たかったんだ。
それが例え他の人に向けられていてもいい。
俺はその笑顔を後ろから見ているだけでもいい。
俺はあの人に幸せになってほしいと、そう思っていたんだ。
あの人の時は、壊れて止まった。
俺はあの人に追いついて、あの人を追い越した。
違うんだ…… こんな形で追いつきたかったんじゃない。
追い越したかったんじゃない……
今ならわかる。
本当は一緒に歩きたかったんだ。
ずっとあの人のそばで、一緒に笑い合っていたかったんだ。
お読みいただきありがとうございます。
(メモ)
彼女の髪(Ep.7)
魔族、魔獣との戦い(#79)
右腕(Ep.5)
(#77)
棺(Ep.1)
心のどこか(Ep.12)