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ブルーブラッド  作者: 人間性限界mohikan
二章『自由の荒野』
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三十話、翌日

仕事納め前に投稿したかった…


デュラが意識を取り戻した時、最初に感じたのは体―――――胴体を放棄した今となっては頭部のみだが―――――を刺す僅かな痛みと同時に全身に巡る活力、そして体を柔らかく包む毛布の暖かさであった。



「こちらのお嬢様の手当はこれで良い筈です。そちらの…奥様でよろしいのですか?」


耳心地の良い薪の爆ぜる音に混じり、見知らぬ男の声が身近で聞こえた事でデュラの意識は急激に覚醒した。

目を開けることなく未だ昏睡している振りをして音と触覚のみで周囲の状況を整理する事を試みる。


状況が分かるまでは敢えて動かない事も大事である。

それが敬愛する父の教えであった。



「ああ、まだ正式に婚約してるわけでは無いが似たような物だ。君の備蓄で対処は出来るだろうか?」



見知らぬ男の声に答えたのは決して忘れる事のない愛する肉親の声であった。

敬愛する父、偉大なる騎士にして魔族、リュナ・ドラクリアその人がすぐ側にいる事にデュラは心の底から安堵した。

生きて帰ってこれたのだ。


デュラは深く息を吐いて重い瞼を開けて自身の状態を確認し、次いで体を反らして周囲を見た。


身を包むのはいつも寝る時に使っているお気に入りの毛布、すぐ側では囲炉裏に火がかけられており、何かを煮込む音を立てながら湯気を上げる粗末な素焼きの粘土鍋が鎮座している。


殆ど超古代人の土器と言って良い程の低質な鍋で穀物が煮えている匂いがする。

だが、あまり食欲をそそらないのはこれもまた粗末であろうからか。


その湯気の向こうでは銀髪の中性的な顔の父と全身を緑に染めた粗末な衣服を纏った男が会話を続けている。


男はまるで黒子の様に全身を布で隠す様に覆っている。

顔を覆う布すらも深い緑で斑に染まり、それがかつて白かった面影を僅かに残すのみとなっている。

少し離れたデュラの嗅覚で感じられるほどの独特の匂い、雑草をすり潰した様な独特のにおいが漂ってきている。



「極度の疲弊状態という感じですからね。なんとか持ち直しはしましたが、完治するかはもっと注入してみないとなんとも…」

「費用は君の言い値で構わないぞ?材料が足りないというならば私が取りに行っても良い」

「いえ、そこまで…。元々エンキ様に献上する以外に使い道の無かった物ですので処分に困っていた代物でしてね…」


どうやら会話は弾んでいる様だった。

唯人としてはあまりに目立つ長身に加えて銀髪と紫の瞳、そして頭部から生えた捻じれた一対の角と腰から生えた黒い翼を持つ異形の悪魔憑き。


比較的人に近しい見た目とはいえ、人外の存在であると強く主張するそれらを持ちながらも相手の警戒心をすぐに解いて付き合いの長い友の様に友誼を結べてしまう事こそが父の強みだ。



「ああ、なるほど…。私たちを見て物怖じしなかったのは彼に近しいからであったか」

「ええ、あの御方と比べたら命の危険を感じない会話が出来る貴方たちは遥かにマシってやつです。その時の気分で首を引き千切られるとかは無さそうなんで」

「上司としてはあまり優れてなさそうな男だな…」



二人の会話が続く中、周囲を見ればそこは見慣れたモンゴル式住居めいた粗末な天幕。

何本かの木の柱で支えられた円形の住居、そして―――――



「ババァ…」


黒い毛並みの獣人がしっかりと手当を受けた上で質の良い敷物の上に横たえられ、毛布を掛けて寝かせられていた。


目を凝らし注視する。

僅かだが毛布が上下し、呼吸していることを確認してデュラは安堵と主に体を倒して天井に視線を移した。



「良かった…。皆生きてる…」


自分が生きていて、ババァも生きている。

先に帰らせた妹も無事に帰還している。

ここまで運んでくれたであろう父の騎獣グイリンは勿論、あの貧弱な人間の従者も生きていると思われる。


父が取り乱すことなく平静でいる事からして、そう推測して問題なさそうであった。

その様子に気づいたらしい実の父がすぐ側まで寄ってきてしゃがみこんでくる。



「気が付いたようだね、デュラ。どこか痛むかい?今彼に注射をして貰ったんだ。大丈夫、先に私の体で試して害が無いのは確認済みだからね」

「大丈夫、でもパパ…私…」


意識の奥に押し込まれていた先日の戦いの光景を思い出し、デュラは口をつぐむ。

言葉が出ない。


惨敗であった、殆ど勝負にならなかった。

情報収集の為に別行動していた自分達姉妹をわざわざ呼び戻して与えてくれた大役であったのに、果たせなかった。



暴走しているであろうクロエを連れ戻し、全員生きて帰って来る事が任務と事前に言い含められていた。

だが、それは本当に必要最低限の目標であろう事は明白だ。


父は上記の命令以外に作戦行動について特に口を出すことは無かったのだ。

現地合流、情報共有、共闘体制の構築、撤退計画の策定、それら諸々は自己の判断で任せられた事になる。


成功して当然、更なる成果を父は求めていたと考えるのが妥当だろう。

なぜならば、父ならば容易に出来るからだ。


父が自分に期待していたのはきっと完全な成功と勝利だ。

父は今、わざわざ時間と労力を費やして戯れているこの地の人間たちに威を示したかったに違いない。


更に言えば、この集団の後方を突かず離れずついてきている同じ容姿の者たちに対してだ。

あの不死を自称する同じ顔、同じ服装、同じ装備の集団は合流前から複数地域でそこそこ目撃していたのでそれなりに腕が立つのは把握している。


あれは父ならばともかく、自分と妹だけだと数で圧し潰されて負ける類だ。

奴らもこちらを狙っているからには牽制する為に戦果でもって武威を誇示する必要があった。


父以外の全戦力を投じたのはそうした意図があったからに違いない。

勝って当たり前の戦力を与えられた上で己はなんら成果を上げられなかったのだ。


なぜ、偉大な父がこんな下等な人間の集団を気にかけているかもよく分からない。

把握しているのはエンキという奴が父と出会う前にあっさりと死んだという事だけ。

こんな低俗な雑魚どもを侍らせて王気取りなのだからきっと実際にはかなり弱い奴だったのだろう。


分を弁えて壁の中に潜んでいるのがお似合いであろう下等種族どもが出来もしないであろう敵討ち等を叫んで荒野の中で集団自殺に興じようとしているのだ。


きっと頭が可哀そうな部類しかいないのだろう。

そんな集団を生かそうとする意味は何なのか。

おそらくは人間たちを何かの策に利用するのが父の狙いだろう。


何をしたいかはわからないが、きっとそうに違いない。

父は案外と回りくどい手管を好むのだ。


故に今回逃げ帰ってきた事はむしろ父の立場を悪くする。

すぐにあの無知蒙昧で威勢だけは良い人間どもは父を馬鹿にして罵声を上げ始めるだろう。


敗北は父の名誉を汚したに等しい。

或いは、父の今後の計画を大いに歪めてしまうかもしれない。



慢心があり、油断があった。

クロエが勝てぬ相手など父ぐらいであろうと思い込み、敵を過小評価した。

いたとして精々互角、妹まで参加しては力の弱い自分の出る幕が無くなると勝手に判断した。


それでは褒めて貰えない、勝って当たり前の戦いを当たり前にしては勝利を対価に甘えられない。

いつだって妹とセットで送り込まれるから、良い所を全部妹に持っていかれてしまう。

長女である自分が役目を与えられたのだから、褒められるのも自分が一番であるべきだ。


だから、敵の現在地と状況を報告する伝令という最もらしい体裁で妹を帰らせた。

その結果がこれだ、褒められたいという功名心で全てを台無しにしてしまった。



どう弁明すれば良いのか分からず、どこから説明すれば良いかも即座に思い浮かばなかった。

クロエは他の個体との交戦したようであるとはいえ、自分が参加した最終局面において相手は一体、方やこちらは二人に加えて騎獣すらもいた。


三倍だ、妹抜きでも三倍の戦力で勝負を仕掛けたのだ。

それを投じてなお勝てませんでしたなど、口にして許されるわけがない。

或いは妹を戦わせずに帰らせた事で戦力を分散させた事について叱責があるかもしれない。


生きて帰ってこれたのは運が良かっただけだ。



「わ、私は…」


喉に不快な感触が絡みつき、声がかすれる。

抑えがたい羞恥と自己嫌悪が思考を濁らせ、勝手に溢れ出す涙がデュラの視界すらにじませていく。


その様子を察してか、リュナは微笑みながら片手を上げてデュラの言葉を制止して立ち上がると緑尽くめの男へと向き直った。



「ともかく、薬師殿。薬の追加を頼むよ。この後を考えると、出来れば私の手持ちはまだあまり消耗したくない所だったからね」

「薬?いやいや、私が扱うのは毒ですよ。我々の手の届く範囲にある植物なんてどれもこれも毒草しかりはしない」



背に隠れて見えないが、いつも父が浮かべる優し気な微笑みが相手に向いているのをデュラは感じた。

父は基本的に他人に優しい人間なのだ、時に不倶戴天の敵にすら寛大さや慈悲を示すほどに。


そして、成功して当たり前の仕事を失敗した無能にもそれは向くだろう。

だが、内心はどうであろうか…?



「何、薬と毒にそう差などあるまいよ。祈りと呪いが表裏一体であるようにね」

「表裏…?」

「あー…この辺だと古い言葉が結構失伝しているんだったか…」


言葉の意味が理解出来なかったのであろうか、緑尽くめが困惑の声を上げた。

それを見たであろうリュナが右手で所帯なさげに銀髪を弄るのを背中越しにデュラは見続ける。



「まあ、詰る所…大して違いのない同じような物という意味さ。毒も薬もさして変わりなどない。そうだね、要は―――――」


おもむろにリュナが籠手を外した右手を照明代わりの篝火に突っ込み、まさぐる。

それだけでは消える筈のない光源の一つがかき消された事で天幕の内に闇が強まっていく。


既に夜になっていた事をこの時ようやく、デュラは理解した。

一体何時間意識を失っていたのか、それほど長く父を煩わせていたのかと顔が更に青くなる。


一方の緑尽くめもリュナが目前で行った暴挙に唖然としていた。

正気の沙汰では無かった。

火に素手を突っ込むことも、ただそれだけで篝火が消える事も。



「な…ッ!?」

「この炎と同じ事だよ」


困惑する緑尽くめを前にして平然とした顔で拾い上げた燃え盛る炭の塊を掌の上で転がしながらリュナは続ける。

炭が赤熱して輝き、掌の上で炎が猛り狂っているにも関わらずその手が焼け爛れる素振りすらありはしなかった。


薄暗くなった天幕の中、リュナはあくまで自然体といった素振りで残った左手でもって囲炉裏を指さした。



「火は闇を払い、人々の暮らしに必要な熱と安全な糧食を与え生活を支える恩恵ともなるが、この様に無思慮に手を突っ込めば己の身や周囲を焼き払う災いにもなる。何事も使い方次第という事」


言い切ったリュナは握りなおした炭を篝火へと戻す。

それまで消え去っていた事が嘘であるように、篝火は再び勢いよく光と熱を放ち始める。



「結局の所、薬も毒も変わりはしない。祈りも呪いも変わりはしない。全て願いだ。目指している方向や角度が少し異なっているに過ぎないよ。何より―――――」


煤で汚れた右手を左手とすり合わせて汚れを落としたリュナはそのまま緑尽くめの側へと戻る。



「真に毒から癒しの効能を作り出したというならば尚の事、君は優秀だ。誇ると良い」


力強く、しかし優しくリュナは相対する緑尽くめの男の肩に右手を置いた。

驚きか恐れか、緑尽くめは目に見えて体を震わせるが、負傷した気配はない。


だというのに、体が熱くなっていくのを緑尽くめは感じていた。

特に叩かれた肩が猛烈に熱い、だからといってリュナ自身の手が熱いわけでもない。

むしろ火にあぶられていたであろうに予想に反して冷たいぐらいであった。


この熱は物理的なものではない、そう緑尽くめは理解した。

体ではなく、心が熱を感じている様ですらあった。

或いはこの感情こそが―――――。



「……感謝します、リュナ様」


今、言える言葉はそれだけであった。

内から溢れ出るこれまで感じた事のない感情が緑尽くめから言葉と思考を奪っていく。

緑尽くめは声を震わせながらそれだけの述べると一礼し、天幕を速足で去って行った。



「面白い男だ。あのままでは少し、勿体ない―――――かな?」


僅かな間、右手で顎を摩り逡巡してからリュナは己の娘へと向き直った。



「さて、これで二人で静かに会話が出来るね。心配ない、もうまもなく夜だからこれ以上の行軍は無いからね」


首だけとなったデュラから見れば直立する五体満足の父の姿は巨人の如くだ。

言葉に怒気が無く、表情や感情に敵意が無かろうとも手負いなれば若干は怖くもなる。



「夜の内にラペナから情報は貰っている。外にいる彼等にも通達済みだ。今は強行軍の準備を進めている…いや、まだその為の会議、或いは不毛な言い争いという所かな?」


毛布に巻かれたデュラのすぐ隣に胡坐をかいて腰を下ろし、リュナは穏やかに語りを続ける。



「シュワンツという男や配下の古参兵たちはかなり見込みがあるんだが、他の族長と言われる連中はあまり甲斐性のある連中ではなくてね。さっきの男みたいに全くいないというわけでは無いが―――――」


やはり、何かの計画を父は進めているのだろう。

恐る恐る父の顔を見上げれば、やはり有るのは家族に向けた暖かい笑みだけだ。

そこには己も譲り受けた紫の瞳が炎に反射して輝いている。


だが、だからこそデュラは時々これが怖くなる。


父の笑みはまるで底の見えぬ深い湖にも見えるからだ。

感情や思考が時々読めなくなるのだ。

特にこういう失態を演じた場面においては。



「さて、本題に入ってしまおうか。デュラ、お前は敗北した」

「…ッ!」


先送りにしていた回答を、やはりデュラは出せなかった。

謝罪、弁明、抗弁、いずれも失望を買うのでは無いかという恐怖が湧き上がる。


デュラは父と母を敬愛している。

他ならぬ自分を生んでくれたから、愛してくれたから、期待してくれたから。

そして、妹を残してくれたから。


これまで与えられた仕事や命令で失敗なんてした事は無かった。

今回だって合流して早々に与えられた役目を二つ返事で応じてすぐに飛び出したのだ。


怒りを買う事は怖いがまだ許せる。

だが、失望され愛想を尽かされる事はデュラにとって命を失う事よりも恐ろしい事であった。


この世界で父に見捨てられ、独り生きていくなど耐えられない。

自然、体が強張っていく。



「少なくとも戦闘という単純で小さい視点で見た場合は、だね」

「え…?」


想定と違う父の言に目を反らしていたデュラは驚愕の表情で再びリュナへと視線を戻した。

そこには真剣に娘を見つめる父親の顔があった。


端正な顔立ちで美男子でも美女でも通じそうな顔の所々に生えた硬質な緑の鱗が囲炉裏の炎を反射して輝いているのが見える。



「今向こうで族長たちに無駄な会議なんて物をやってられるのはお前たちが敵方の移動手段と拠点を粉砕してくれたからさ。車両を破壊され、都市を焼かれ、今もミュータントの津波を喰らっているであろう奴らはもう逃げられやしない」


リュナは右手を娘であるデュラの頭に優しく置いた。

いつも言いつけを果たした時にそうしてくれるように、これは叱責では無いと諭すように。



「我が子よ、お前は十分に役目を果たした。だからこれは叱責でなくただの反省会だ」


デュラの目から涙が落ちるが、今度の落涙は安堵が故だった。

思わず嗚咽すら抑えられなくなっていく。


愛する父に失望されていないという事で感情が高ぶった様だった。



「泣くな、私がお前たちに命じたのはクロエを無事に連れて帰ってくるという事だけだ。困難だったという事はお前自身が証明している。役目を果たした事を今は誇ると良い」


娘の頭を優しく撫でながら、リュナは左手の人差し指を上げて見せた。



「今回の失敗はただ一つだ。文字通り、死にかけた事。ただそれだけなんだ」

「……負けた事を怒ってないの?」

「そんなありふれた事で怒るわけないだろう?私だって生まれてこの方何度も負けてまくってるぞ?例えば、これだ」


そういうとリュナは前髪をかきあげて額を晒し、それを見たデュラは思わず息を飲んだ。

普段前髪で隠されているそこには深く抉られたような古傷が真横一閃に遺されていた。



「あと少しばかり深ければ脳を破壊されて死んでいた傷だ、当然これをくらった後は生存を優先して一目散に逃げ出したとも」


不敗にして無敵、そう信じてきた父のあっけらかんとした言葉と凄惨な古傷を目の当たりにしてデュラの瞳が驚愕と共に見開かれる。



「ああ、心配ないよ。これをつけた相手は傷を治してから再戦して討ち取ったからね。他にも深手は割と受けてるぞ?見るか?」

「えっと…、もう大丈夫…。うん…」

「そうかそうか」


なんでも無い事の様にリュナは前髪を戻して手で髪型を僅かに整える。



「知らなかった…。パパにそんな怪我してたなんて…」

「お前の生まれる前の傷さ。普段の戦闘だと兜を被るし、家族に傷自慢する趣味は無いからね」


毛布の中で俯いたデュラを不意に浮遊感が襲う。

父に持ち上げられたのだろう、そして―――――。



「まだ一人立ちもしてないのに一丁前に親のメンツなんて考えなくて良い。誰であれ家族が舐められた事されたらパパが直々に殴り倒す!それで終いさ!」


胡坐をかいた足の上に置かれたデュラはそのままワシワシと頭を撫でられる。


傍から見れば、大の大人が胡坐をかいた足の上に生首を置いて会話をしている狂人の所業にも見えかねない。

それはしかし、彼等から見れば互いを思い合う親子のいつもの会話であった。



「良いかいデュラ、パパは真の敗北というのは人生で一度しか出来ない事だと思っている」

「一度きり?負けられるのが?」

「ああ、取り返しのつかない敗北。それは死だ」

「死…」

「そう、死こそが真の敗北だ。死ねば最早それで終わりだ。敗北から学んで再戦する事も出来ない。名誉を回復する事も再起を図る事も出来ない。唯一にして究極の挽回不可能な敗北だ。それに比べれば、他の負けなど安いものだ。戦術的勝利など必要ならば幾らでも相手にくれてやれば良い。最終的に勝つならば何度戦いに負けようと構わない。誰であろうと永遠に勝利し続ける事など不可能であるからね」


デュラの中に再び衝撃が走ったと言えた。

先の額の傷を見て尚も信じる事が出来ない言葉を父は吐き続けている。



「規範、名誉、正義、歴史、それらは己を奮い立たせる為の物であって生き方を縛るものではない。邪魔になったら一度捨てて身軽になるのも一つのやり方さ。私はそうやってきたからまだ生きてる」


少なくとも父は自分たちが物心ついてから負けた所を見たことが無い。

驚愕は父は間違いなく最強だと信じていたが故の事であった。



「でも、私たちが勝つ前提で計画を立ててるとか…」

「気にするな、今回は最初から死人が出なければ勝ちと判定するつもりだったからね。クロエも生きているし、お前も生きている。失ったものは何もない」

「うん…」


デュラは己の内にあった前提条件がそもそも間違っていることをようやく理解した。

父は本当にクロエを連れて戻って来さえすれば良いと考えていた。

最低限どころか、それが本命の達成目標。

今回の敵はそれだけの脅威であると父は前もって判断していたのだ。


出発前にもっと綿密に打ち合わせをするべきであった事をデュラは反省した。



「それにだ―――――」


口を開いた父の声が途切れ、不安を覚えたデュラは体をよじって背後に振り返る。



「それに?」


デュラは言い淀む父を見上げる。

同じ色をした紫の瞳同士が互いを見つめ合う。


泣いている場合ではない。

父は今は大事な事を学ばせようとしている。

デュラもまた真剣な表情で父の言葉を脳と耳に刻み込んでいく。



「それに、人生をかけた計画がぶっ壊れるなんて事もままある事だ。お前のママを守れなかった事、彼女の願いを叶えられなかった事。望んだ物とは真逆に物事が進み、願いが砕け散った事もある。実のところ、私はそんなに強くないぞ?」

「でも、パパはいつだって勝ってた!パパは私が知る中でいつだって最強だった!負けてるところなんて…」

「それはただここ数十年、私より強い者がたまたま現れなかっただけだ。お前は今回戦った相手がクロエより強いと考えて事に当たったか?全員でかかっても勝てない可能性を考えたか?」

「それは…」


デュラは昨夜の戦闘を脳裏に思い出す。

あそこに妹がいても果たして勝てたか、或いは妹まで戦闘不能になって逃げ遅れが出たのではないか。

ボタンの掛け違え一つで誰一人生きて帰ってこれなかったのではないか。


そう考えると再び己の内から血の気が引いていく事をデュラは自覚した。



「学びになっただろう?未知なる脅威は常にこの世のどこかに潜んでいる。騎士や戦士には常に己を容易く上回る驚嘆すべき強者や災厄と遭遇する事への心構えが大切なんだ。それを忘れた奴から、死ぬ」



デュラは父の言葉に静かに頷いた。

自分達より圧倒的に強い敵の存在を想定しなかったが故にまさしく父の言う究極の敗北を得かけたのだと得心したのだった。



「今回、お前はその未知なる脅威に触れて死にかけ、しかし生き残った。運に恵まれ、持てる力を駆使して立派に戦ったからだ」


だからお前は負けてはいない。

そう言外に父は激励してくれているのだとデュラは理解した。

意図を察した事を感じ、リュナもまた小さく頷く。



「お前は今日、一流がどういう物かを知った。戦いに負けたが経験を得た。生きていればこそ得られるのは栄光だけではない。負けて尚生き残った時こそ、人はそこから多くを学べる。良い機会を得たのだと考えるんだ。精進せよ」

「……うん!」



今度はデュラは元気よく返事をした。

今度は負けぬ様、父のかけてくれている期待と愛に応えられる様により強く狡猾になろうという決意と共に。

デュラはこの日、戦士として必須の階段を一歩登ったのだった。


「さて、堅苦しい話は一端これぐらいにして一度食事にしよう。戻ってきてから何も食べてないだろう?まあ、干し肉と食べられる雑草やら雑穀やらの粥なんだがね」

「げっ…」



父がオタマで土器から掬い出して茶碗に注いだ物を前へと向き直って見つめたデュラは顔を思わずしかめた。

ある意味、これが昨日負けた事への罰だと言えるかもしれない。


白とも茶色とも言えないゴマ程の小さい物やタイ米の如く細長かったりする穀物が限界まで煮込まれてどろどろになっていた。


その中に茶色く薄い干し肉らしきものと一度乾燥させた物を戻したであろうしなびた緑の草や茎の様なもの、そしてピンボールサイズの不出来な芋に加えて白やオレンジの色をした木の根っこめいたものがまばらに紛れ込んでいる。


これは明らかに―――――。



「絶対不味そう」

「これが一般的な部族兵向けの食事だからより下の階級がいかに苦しいか分かるだろう?」

「……パパ、これで割と上位の食事だとすると下民とか奴隷とか何食べてるの?」

「……火を通して塩かければギリ食えるぐらいの物、かな?或いは極限まで混ぜ物しまくったパンの形をしたおぞましい何かとか―――――」

「妹は…?」

「夜間の見張りするから作り置きの固形食で良いと逃げられたよ」

「うー…」

「まあ、粗食に慣れておくのも修行の一つさ。他に食料が無い時にこういうのを食べられないと困るからね。冷めるともっと不味くなるから早めに食べよう」


笑いながらリュナが冷める前に食いきらんと粥をかき込むのを見つつ、デュラもアホ毛で器用に木製の不出来なスプーンを握って少しずつ粥を口にする。


塩は効いている、だがどこか苦い。

塩自体の質が悪いのかもしれない。

野菜や根はどれも硬く、繊維質で嚙み切るのが大変だ。


穀物特有の甘みが一瞬だけ感じられた後に残るのはえぐみがあり、灰汁が取れていない感じがする。


だが、それでも暖かい食事と父からの激励は先の注射により唐突に湧き上がった活力とはまた違った暖かさを内から湧き上がらせてくる。



文字通りの生きているという感覚であり、実感が増していくと共にデュラは不味い粥を食べる速度は上げていった。


そうして十分も経たぬうちに粗末な食事を終えて身も心も落ち着いたデュラは重要な事を思い出した。

そして、父に絶対に伝えねばならぬ事をデュラは告げた。



「パパ、私ね。神様に会ったかもしれない」


それは文字通り、デュラが生き残ったからこそ父に伝えられた最も重要な情報となりえるかも知れない物であった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



その日、デュラが未だ目を覚ましていなかった頃、レオは未だ戦いの渦中にあった。


クロエらを取り逃し、それに怒り項垂れていられたのは僅かな間しかなかった。

なぜならば夜行種の侵入と襲撃は未だ続き、周囲では数秒ごとに死にゆく地上人たちが最後の抵抗を繰り広げていたからだ。


早急な流入の阻止と既に内部に入り込んだ夜行種の殲滅を行う必要があったからだ。


レオの行動は早かった。

即座に周囲に散らばる血肉へと肉体を構成する血液を伸ばしてエーテルを補給し、急上昇。


四方の壁から登りくるミュータントに膨大な炎の奔流を叩き込んで焼き払い、再び炎の壁を内城壁上に構築すると内部へと着陸、路上での掃討戦を開始した。



剣を振るい、殴り、蹴り潰し、剣先から生成したプラズマ弾を投擲し、腕部に格納した銃身を展開して凝血弾を乱射して路上にて目につく夜行種を既に息絶えつつある僅かな生存者諸共薙ぎ払って行く。


だが、未だ城壁外にひしめく夜行種たちは無限の如くおり、少しすれば再び壁の炎は外部から投擲され砕け散る哀れな弱小種たちの血しぶきと肉片によって消火されて夜行種が内部へと侵入を果たしてくる。


その都度侵入を試みてくる夜行種を迎撃し壁を焼き払うが、その間に他の壁が鎮火され侵入を許すというモグラ叩きめいた不毛な事態が繰り返される事となった。


幾度かの攻防を経て、壁を炎でもって閉塞する事が不可能と判断したレオは戦闘を継続しつつクトーら味方が籠城しているであろう領主の館周辺での遅滞戦闘へと移行していった。


既に生き残っているかは怪しかった。

だが、最早それぐらいしか出来る事は無いという判断の物であった。

この区画の周辺だけでも近づけば死ぬと判断させれば夜行種たちも襲いやすい見捨てられた地上人の残党やより弱小の同類を狙うだろうという最後の望みにかけたのだ。



結局一夜の間、レオは己が身と剣一本でもって進歩的リベラリストも満足する程の多様性に富んだおぞましい見てくれの奇々怪々な夜の住人たちを薙ぎ払い続けたのだった。


そうして何時間が過ぎたのか。

退職間際で肩書のみが残った会社の重役の如く、出勤が遅い終末後の日の出が迫ってくるとようやく諦めたように夜行種たちはねぐらや近くの暗がりを求めて都市の包囲を解いたのだった。



だが、それはこの都市が安全になった事を意味しない。

内城壁内においては、クロエとの戦闘に備えて都市の雑兵たちによって要塞化させた古の住居自体が夜行種が夜まで潜む為の仮宿に選ばれて多数の潜伏を許している。


まだ生存者がいたらしき遠方の住居では凄惨で勝ち目のない白兵戦が継続中だ。

けだものどもの蠢く音や咆哮、僅かな間だけ響く銃声と悲鳴、絶叫。

何かが引き裂かれ、水っぽい破裂音や衝撃音がレオの周囲にから木霊し続けている。


朝になっても結局のところ、戦闘は終わる事などなかった。



内城壁外の外周居住区でも燃え残った建物は言うまでもなく、手先が器用で諦めの悪い夜行種たちが穴を掘って自ら作り出したねぐらに潜んで次の日没を待つ算段をしている。


この平穏は夜が来るまでの間だ、休んでいる暇はない。

否、平穏などない。


あと少しもすれば今回の戦闘で生み出された無数の死体が起き上がり、集まって巨大な屍肉玉への変異して街を飲み込もうとするだろう。


夜間、どういう意図か城壁の一部に張り付いて鎮座していた屍肉玉も日の出と共にそれまでの不活性な状態が嘘であったように死体を貪らんと城壁内への流れ落ちてきている。


夜までの間に屍者どもを根こそぎ浄化せねばならなかった。

そして夜は再び周囲に潜った夜行種と―――――。



「何徹する事になるか…。遠征軍時代でも精々まる二日戦うのが精々だったってのに…」


問題は単に戦闘の事だけではない。

これらの脅威と対峙している間にも今最も重要な資源である時間が失われて行っているのだ。


クロエとその同類どもを逃がしてしまった。

こちらの完全な位置と情報が筒抜けだ。


敵の主力、数千の敵がこちらを目指して殺到する事は確実だろう。

大半はさほど脅威ではない、地形と戦術を選べばクトーですら勝てるような奴らだ。


だが、悪魔憑きは違う。

アレらは自分でしか倒せない。

おそらく全力出撃ではないだろう、更にまだ何体かは控えている前提で状況を想定すべきだ。


結局のところ、他人は信用ならない。



「ともかく、生存者の確認と再編成を…。一体、何人生きてるんだがな…」


まずはクトーらが生き残っている事を確認せねばならない。

夜間の間も周囲から怒声や銃声が響いてくることがあったが、それがクトーらであったかすらも判然とはしない。


キドを治癒して放り投げて以降は全く支援もしていない故に生存の望みは薄いが、切腹による血の誘引で一時とはいえ内部の夜行種は自分の周囲に集まってきていた。


上手くかみ合っていれば、キドを回収したしぶとい機械教徒たちが籠城した最後の部屋で今も踏ん張っているかもしれない。

可能な限り早く車両を修理させ、なんとか脱出を―――――。


立ち眩みと共に思考がボヤけ、レオは『文字通り』に膝から下が崩れ落ちてそのまま血肉と埃で汚れきった地面へと倒れ伏した。


体が動かない、四肢が崩れていく。

酷い頭痛が思考を侵し、意識が朦朧としていく。


体に力が入らない。

違う、体の動かし方が分からない。

無理をし過ぎたか―――――。



視界の左半分が不鮮明―――――否、全く見えない事に今になり気づくが既にそれにすら反応するだけの気力が消えている。


レオがここに来て、心身の限界を迎えつつあった。

幾ら肉体が生命から逸脱したとて頭部、特に脳は生者のまま。

だからこそ、その閾値を超えては偽りの肉体を維持出来ない。


血液の塊を人への強い未練という強い情念でもって人の形に鋳固めた肉体はそれを維持するだけで精神を摩耗する。

それに加え、幾度も死の瀬戸際に追い込まれ能力を限界まで酷使した事で脳が限界を迎えつつあるのだ。


こうなってはエーテル吸収による活力回復にも限度がある。

睡眠を克服する事は出来ないし、強制回復を前提に心身を酷使した戦いを強行すれば終わった時に反動が来るのは必然だ。


昨夜のレオの体験した負荷は現役時代の機動歩兵で勘案すれば、これまでの戦闘は戦闘用興奮剤をオーバードーズし、生命維持装置を限界まで酷使して肉体負荷を無視した全力以上の戦闘を三日近くした物に等しかった。



「まだだ、まだ眠れん…!」


寝てしまえば確実に四肢を維持出来ず無防備になってしまう確信がレオにはあった。

日の出と共に朝の空へと飛び立ったであろう飛行種がこちらを狙っているかもしれない。

そうでなくても周囲に屍肉玉が迫ってきているのだ。



寝たら死ぬ。

それを自覚する程の遅効性の毒の如き疲弊が視界を歪め、脳を止めようとしてくる。


目を開けているのに視界が狭まっていく。

そんな飛びかけていたレオの意識が銃声と共に与えられた強烈な衝撃によって無理矢理に覚醒された。



「おい!レオォ!てめぇのせいでぇ!」

「よせキッド!マジで撃つ奴があるかってんだ!」

「これぐらいでこいつが死ぬかよォ!」


相手はどうやらキレている様だ。

ならばボースか?あいつはいつもキレている。

だが叫んでいるのは二人だ、ボースは二人もいない。

……いてたまるか。


既に正常な思考が消えつつあるレオは体を何とか再構築して起き上がろうと奮起する。

そうしてる間に再度銃声と共に銃弾が体に叩き込まれる感触が伝わってくる。



「おい、兄弟ッ!早く起きねぇとマジで蜂の巣だぞ!?キッドの野郎がめちゃくそキレてやがるんだ!」


聞き覚えのある声はクトーの物だった。

少なくとも、これでまだ集団としては崩壊していないことを察してレオは安堵する。


そして、撃ってきてるのはキド?

まさか、こいつ終身契約した主を撃ったのか?

普段の傭兵の矜持とか領分とか言ってたアレはどこにやった?


だが、それですらも今のレオには都合の良い行いであった。

一発良いのをくれたおかげで目が覚めた。



「キッド、生きてたか。クトーは―――――」

「んな事はどうでも良い!見ろよこれぇ!この無惨な姿をよぉ!」


クール気取りのキドらしからぬ三下チンピラめいた下卑た叫びになんとか上体を起こしたレオが顔を向ける。

キドの姿は変わり果てていた。



不気味に縦に延長された頭部、そしてかつてサングラスをかけていた目は人のそれからハエトリグモめいた丸い黒球状の物へと変じ、更には四つ程目玉が増えている。


見ようによってはサングラスを今も付けてるように見えるのが笑いどころか。

自然と緩んだ顔のすぐ脇を弾丸がかすめていく。


キドは決して目標を外さない。

わざと外すだけの思慮と自我は残っている様だった。



「馬鹿にしたんじゃないさ…。お前たちが生きてて良かったと―――――」

「まだ使い潰せるから良かっただろ、どうせよう!?てめぇは人使いが荒いんだよ!俺をボロ雑巾かなんかと思ってんのか!?」


キドが更なる発砲の為に本来の腕で掴んだ銃を向けようとするのをクトーが両腕で抱き着いて抑え込んでいるのが見える。


仲間とは言え身体能力で大きく優越し、正気を維持しているかも怪しい奴に身を挺する事が出来るのはやはりクソ度胸があると言えた。


それでもキドは人から逸脱した顔で怒気を孕んだ罵りを上げ続けている。


本来の目の位置に二個、更に側頭部に同サイズが二個。

それらの上、延伸された頭部上に更に大きい黒丸めいた目が二個並列に並んでいる。

かつては無精ひげと手入れされずに伸び散らかしていた髪の毛であったと思しき物たちの成れの果て。

それが顔全体を侵略したように、その異形の目玉の周辺で白や茶や黒といった斑を作りながらフサフサと顔を覆っている。


一見すると被膜を失った蝙蝠の羽根を思わせる細長い一組の腕が背中の肩甲骨辺りを突き破って新たに形成されて生えている。

脇腹には本来はあばら骨であったであろう骨が隆起し、新しい短い腕を一組形成して所在なさげに虚空に手を伸ばしている。


腕が六本、足が二本で計八本の手足を持つ立派な化け物がキドの声でレオに向かって叫んでいるのだ。


口もその有様に準じた様に変異しており、ありていに言ってしまえばそれは、二足歩行に進化して拳銃を握りしめた人間サイズのハエトリグモであった。



「変異したのか、血を与え過ぎたか…」


錆雪による肉体の半融解を治癒した段階で既にキドが変異を起こす限界値のぎりぎりまでエーテル汚染が進んでいたのだろう。


それが昨夜の戦闘で致命傷となった内臓の傷を癒す為に更に血を投与した事で重度変異を引き起こしたのだ。

レオの血は修復というよりは変異の促進による再生を行っている劇薬であるが故に。



「これのせいで俺は大事な物を全部失っちまった!」

「だから落ち着けってキッド!おめぇのお陰で少なくとも俺らは助かったんだからよ!」

「クトー!人のまんまお気楽してられるお前には俺の苦しみなんて分からねぇだろ!?」



おそらく人から逸脱した事を糾弾しているのだろう。

目が覚めたとはいえ、思考能力が落ちているレオはぼんやりと考える。


クトーを振りほどいたキドは銃を握る本来の腕でそのまま頭を抱え、背から生えた長い腕とわき腹から生えた短い腕を同時に動かし、その全てで己を指さす。

ぎこちなさを感じない所作から既に手足の使い方を理解しつつある様であった。



「俺の血で回復する事で人間から逸脱する可能性は何度も―――――」

「んな事じゃねぇ!」


叫びながらキドが発作的に再度発砲。

エーテル操作がおぼつかないレオは防御に失敗し、右肩が爆ぜて崩れ落ちた。



頭を撃たなかった以上は殺意自体は無い。

単に癇癪を起しているだけだろう。


痛覚など無いレオはさして気にしない素振りで話を続けようとした。

否、極度疲労で思考が鈍くなり無感動になっているだけであった。



「では何を言いた―――――」

「俺の大事な一張羅だぁあああああッ!洒落た帽子もッ!イカしたジャケットもッ!頑丈が自慢のジーンズも全部逝っちまったじゃねぇええかぁああああッ!」


視界が歪む、光がチラつく。

慣れたはずの紫の視界がレオの吐き気を呼び覚ます。


それでも耐えてキドを見直せば、確かに変異で増強された肉体は彼が後生大事にしてきた仕事衣装を完全に破壊している様があった。


ズボンは肥大化した足に耐えきれず裂け、ジャケットは背から生えた細長い腕に突き破られ、帽子は延長した頭に串刺しにされたがごとく先端で今にも裂けんとばかりに悲鳴を上げている。


下手に触るとそのまま弾けてしまいそうだった。



「この衣装に幾らつぎ込んだと思ってるんだぁあああ!俺の魂がぁああああ!」


気は高ぶっているようだが、自我はかつてのキドからさほど逸脱していないようだ。

まだまだ使えるから殺すのはまだ先だとレオは停止しそうな思考の中でぼんやりと考える。


変異に晒され、あの古き人の神と出会ったであろうに、キドは変な所でブレていないようだ。

ある意味人であった頃からカウボーイ存在への憧れが悪魔憑き並に強かったのだろう。


人の身で拳銃による絶対命中という冒涜的な奇跡を作り出せたのは狂信の力故であるのだから、わりかし見当違いではないのかもしれない。


思考が脱線していく中、キドは再度銃を握った腕で頭を抱えながら限界まで体をのけ反らせて叫んだ。



「何よりこの姿が納得いかねぇえええッ!手足が八本もあるガンマンなんてこの世にいるかよぉおおおッ!?これじゃあガンマンなんて言っても誰にも通用しねぇじゃねぇか!畜生ォオオオオオオッ!」


それはキドの魂の慟哭だった。

人から逸脱した事それ自体よりも伊達と見栄の為にしつらえて常に着飾ってきた衣服が台無しになった事に悲しみ、カウボーイという憧れの形から完全に逸脱した事にこそキドは抑えがたい怒りと憎しみを覚えているのだ。


キドもまた狂い人、立派な悪魔憑きだったのだ。



「新しいのを作り直せば良いだろ、金でも脅迫でも洗脳でも手段は幾らでも―――――」

「おおぉおおおおッ!?金でどうにかなるもんじゃねぞォ!?この原始人一歩手前な文明崩壊社会舐めんなぁあああ!?ケツ拭く紙と下着の区別もつかねぇ奴らだらけなんだぞぉおおお!?」

「キッド、落ち着け。ここで無駄な時間を浪費してる暇は―――――」


ある種の喜劇やコントと言えそうな罵り合いという会話は、城壁の外から響く咆哮と地響きによって終焉を迎えた。



「お次がなんだい?」


自慢のスーツを返り血と埃で染め、泥まみれで疲れ切っている様子のクトーがそれでも気取った言葉を絞り出す。

ハリウッド映画的なセリフ回しが一種の強がりである事はこれまでの付き合いで良く分かっている。



「おそらく、『(ウェーブ)』だ」


先までの狂乱ぶりが嘘であったようにキドが静かで落ち着いた口調に戻り、叫び声の聞こえた方角の城壁に視線を向ける。

撃ちたいだけ撃ち、叫ぶだけ叫んで少しは満足したらしかった。


或いはこの切り替え速度があるからこそ、今までキドは生きてこれたのかもしれない。

そこからの動きは息が合ったようにスムーズであった。



「クトー、生きてる奴らを確認して部隊を再編制してくれ。壁の中の生存者も戦力、労働力として徴用して車両を修理するんだ」

「おう、分かってるさ兄弟。キッドのお陰で部下の大半は無事だからすぐ取り掛かる」

「迂闊に住居に近づくなよ、夜行種が潜んでる」

「ノックしてもしもししない様に徹底するさ。裏方は俺に任せな」


レオと短く今後の行動計画と危険性の周知を終え、クトーは領主の館へと駆けだす。



「キッド、怨んで構わん。だが遺恨を晴らすのはここを脱出してからにしろ。お前は外を確認して敵が迫ってるならば撃退しろ。俺は内側の掃除をする」

「恨んじゃいねぇよ…俺がこうしてまだ生きてるのはある意味おめぇのお陰だ、レオ。だが俺にも抑えられんものはある」

「そうか、その怒りを外の奴らにぶつけてやれ。弾の補充を忘れるなよ」

「ああ、今はそうさせて貰おうか。銃も弾も十分ある。皆殺しにしてやる」


キドもまたレオの指示を了承して即座に行動を開始するべき城壁へと向かっていく。


先まで荒れ狂っていた場は静まり返り、強く吹き出した風の音と屍者が蠢く不快な音だけが場を支配する。



「さて、なんとかあと一仕事だ。昼までに一掃すれば夜まで少しは寝れる―――――か?」


レオもまた、己の役割を果たすべく血肉と泥と炎に塗れた内城壁の道を歩み出す。

それは昨夜、二体の悪魔憑きを相手に優位に暴威を振るっていたとは思えないほど重くぎこちない歩みであった。




現状のキドくんの状態は端的に言えば二足歩行型ハエトリ蜘蛛怪人みたいな感じです。

六本の腕で銃を使いこなせるようになるので純粋な強化ですね、見た目や精神は別として

もうお分かりかと思いますが、この作品は人間をやめて強くなるもテーマです。

アニメにもなってる某スライム魔王様が魔物の部下を強化すると見た目人間に近くなるのとは真逆の流れですね


今回はここまで

正月にもう一回更新出来たら良いなと思って進めます、期待はしないでくれると幸いです

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