二十六話、地上の月
12月仕事が忙しすぎて更新できなかったのじぇあああああ!
終末後の世界における夜、それは昼に生きる生命が息を殺して次の日の出を待つ時間である。
堅牢な住居、或いは装甲化された車両に籠って息を殺す者たち、或いは炎や光源を寄る辺に光を恐れぬ個体が寄り付かないことを祈る者たち。
守りも無ければ光も得られぬ者たちの運命は言うまでもない。
そう遠くない間に肉体を引き裂かれるか、発狂して正気を失うかのみだ。
人が不衛生かつ、食糧事情も厳しい部族の集落や都市国家に密集して生活するのはひとえに外で生きていけないが故だ。
壁の中で生まれ、壁の中で死に絶える事が人の生として当たり前になりつつある時代に野営する事の困難さは言うまでもないだろう。
最早天より降り注ぐ星の光も弱まり、地を照らす文明の利器すら消えた夜の闇は暗黒の宇宙空間をすら連想させるほどに昏く、濃い。
そんな世界であるからには、炎の光はよく目立つ。
多くの人間を収容する野営地を構築し、夜行種除けに盛大に火を灯したとあらば地平線の向こうからでも見えかねないと言っても最早大げさではない。
総数にして数千人を収容する複数の方陣型野営地があるとなればなおさらだ。
「……見えた」
無限にも思える夜の闇を頭から生えた飛行用に進化させた蝙蝠の被膜を思わせる一対のアホ毛、もとい羽を羽ばたかせ続けて帰路についていた一体の脳髄啜り亜種が目指していた光を見出して目を顰める。
背後から迫る幾匹かの飛行型夜行種を戦闘機のシザース機動めいた急旋回でいなしつつ遥か下方に見える光へ向けて急降下を試みる。
出立してから想定していた到着時間と目指していた方角に間違いはない。
そして、こんなご時世に外で火なんて焚いて夜を超そうという団体がいくつもある筈がない。
帰ってきたのだという確信をもって脳髄啜り亜種は空力を生み出すにはあまりにも非力と言える羽でもって、魚が水をかき分けるヒレの如く、大気中のエーテルを捉えて強力に推進する。
生首が空から地に向けて高速落下しているとしか形容出来ぬ光景でありながら、脳髄啜り亜種はなおもしつこく追いすがる小型の飛行種に対して鋭角的なロールとブレイク機動での回避を繰り返しながら的確に加速して高度を落としていく。
近づくにつれ、炎で輝く方陣という朧げな輪郭が徐々に詳細なその全貌を見せてくる。
四方を囲うは旧時代の装甲車や民間・軍用を問わぬ大型四輪駆動車を改造したチャリオットの如き巨大な馬車で作られた壁とその隙間を埋める土嚢やヘスコ防壁。
教会文明圏の外にあっては希少であろう発電機に繋がれた野外作業用スタンドライトが方陣の外を照らし、外周には燃え盛る松明が等間隔に配置されて夜に生きる者たちを徹底拒絶する明確な意思を示している。
内部は多くの粗末なテントが密集して組まれ、上位者の寝所や司令部として建てられた大型の移動式住居がそれらと離された位置に設置されている。
大半の人間は寝静まっているのか、一部の夜警を除けば人気は少ない。
松明と銃剣付き前装式小銃を携え、夜の番を任された兵士たちが巡回を繰り返しているばかりで目当ての人物が見当たらない。
どうやら帰ってくるのが遅すぎたようだ、出迎えは無しか。
首のすぐ脇―――――生首であるからには底面と言うべきであるかもしれない―――――を不出来な粘土細工のような造詣の蝙蝠めいた夜行種の牙と爪がかすめようとも、金髪の脳髄啜り亜種の思考を満たしているのは迫る敵の脅威ではなく、待ち人にすぐには会えぬという落胆であった。
「ッ!いや、いる…!」
もうその辺に着陸してしまおうと考えた矢先、強烈な存在感が脳髄啜り亜種の精神を揺さぶった。
それは同時に亜種に追いすがっていた夜行種にすら波及し、恐慌状態を引き起こした夜の獣たちが狼狽の声を上げながら闇夜の空へと溶け込む様に逃げ去っていく。
「いた…!あそこ…!」
逃げ出す夜行種たちとは対照的に、亜種はその存在の正確な位置を把握すると同時に機動を変じて加速をかける。
周囲の視界が高速で過ぎ去る中、その人物は両腕を組んで仁王立ちしている姿勢から両腕を広げてその突入に応じる姿勢を見せる。
正面衝突。
そう思われた瞬間、亜種は羽をエアブレーキの如き広げて展開して急減速してから狙いの相手の柔らかい胸にポフリと飛び込んだ。
「ただいま!お父様!」
羽状のアホ毛をはためかせ、全身で頬ずりするようにじゃれつく亜種を優しく抱きかかえる者もまた、普通の人間ではなかった。
人としては長身である180cm程の背丈、銀髪に紫の瞳を持つ中性的で整った顔を持ちながら、しかして人からは逸脱した姿。
顔の側頭部から前方に向けて生えた太くねじれた角、頬や顎にまばらに生えた硬質な鱗、背にマントを思わせる大きい黒い翼を持つ異形の肉体。
王殺しの下手人と目されるボース討伐の為に出陣する事を決めた老将シュワンツに加勢した悪魔憑きリュナその人であった。
「ああ、良く帰ってきたなラペナ。お前だけという事は」
「うん、姉さまとお馬さんは残ったよ」
「そうか、疲れてると思うがもう少し付き合ってくれるね」
「全然いいよ!でもどこ行くの?」
胸にうずまっていた金髪の脳髄啜り亜種、ラペナがその身を反回転して自身の後方をリュナの胸に預ける。
対してリュナも人の頭にしては大きいラペナの底面を漬物石でも運ぶように両手で抱えて歩み出す。
「シュワンツ殿が今は主であるからね、一緒に報告をしよう。情報の独占は良くない」
「えー…。お父さま、なんで人間風情に気を遣うの?」
「これもまあ、修行だよ。何事も経験出来る時に経験するべきなのさ」
「ふーん」
道中出会う夜警の兵たちが姿勢を正し敬礼でもってリュナを見送る。
それにリュナは微笑みながら頷き返しつつ、老将の座する司令部に向けて手中でくつろぐラペナととりとめのない親子の会話を楽しみながら野営地をゆっくりとした歩みで進んでいった。
―――――――――――――――
かつてのモンゴル人が用いたゲルの如き族長用住居の中、屋内照明と暖房の役割を果たす囲炉裏の炭が爆ぜる音が響き渡る。
どこか人を安心させて弛緩させるそんな穏やかで温かみの音と、時に微睡すら誘うほどの暗く温かく心地の良い空間にあってなお、住居の主たるゲネラル・シュワンツは険しい表情を崩すことなく目の前の来客に相対していた。
囲炉裏を挟み、敷物の上で互いに胡坐をかいて見つめ合うその相手は銀髪の悪魔憑きリュナ。
リュナの横では同じく獣皮の敷物を与えられ、心地よい音と温度に負けて早々に夢の世界に旅立とうとしている脳髄啜り亜種のラペナがうつらうつらとしている。
シュワンツの護衛たる部族の英雄、選抜射手―――――彼らは個々に武勇を示し族長に認められ、既に部族が生産能力を喪失した旧時代の歩兵用自動小銃を携帯している―――――が周囲に控えていて尚、不快感を示すことも無ければ怯える様子もない。
さもありなんとシュワンツは内心で毒づく。
悪魔憑きや中型以上のミュータントに対してはたとえ旧時代の高性能な小口径弾であれ、多量に叩き込まねば打撃にはなりえないのだ。
いかに高性能なれど所詮は人が人を殺すだけ良かった時代の兵器、騎士と機動歩兵が生存競争をしていた頃にまかり通っていた大口径重突撃銃と比べればこの程度は玩具に過ぎない。
それですら最早、部族の武器庫においても希少品として大切に扱わねばならぬほどに払底しつつある。
だからこそ、シュワンツの部族である48thはかつての主たるエンキに散々に打ちのめされ、部族の存続と引き換えに従属を誓ったのだ。
その気になれば己を容易く殺せる悪魔憑き、それがあの殺された主の報復を宣言したあの日に空から降り立った時からシュワンツは常に強い違和感に襲われ続けていた。
こちらの航空戦力よりも遥か上空を飛行できるミュータントを使役し、文字通り指先だけで人間を爆殺出来る雷光を放つ悪魔憑きを供とし、本人もまた強大な力を持っているであろうリュナは、あの日シュワンツに歩み寄ると片膝をついて討伐への参加と臣従を申し出たのだ。
「……情報には感謝するのである、リュナ殿。」
「そう畏まられると私としても困りますよシュワンツ殿、今の私はあなたの配下だ。情報の秘匿などもっての他」
真意を測りかねるといった面持ちで警戒心を隠さないシュワンツに対し、リュナは優し気に笑みを浮かべながらラペナの頭を優しくなで続けている。
「ラペナ、もう寝ていいよ。後で寝所につれていってあげるからね」
「うん…おやすみぃ…」
リュナの言葉を素直に受け入れて即座に眠りに落ちるラペナを見てシュワンツは自分たちが脅威とすら認識されていない事を再認識する。
この生首ミュータントを伴って現れたリュナは一切の隠し事なく情報を提供するように指示し、シュワンツに知りえる情報の全てを報告したのだ。
賊の現在地、敵の想定兵力、現状の戦況。
すなわち、現在我が方の軍勢が外延部を迂回行軍をかけている錆雪地帯を抜けた先の都市に敵集団が駐留しているという情報の開示。
敵が早々に都市を掌握して兵力と物資の補充を開始しているという状況の開示。
そして、リュナの配下であり現れて早々に族長二名を始末したあの恐るべき女悪魔憑きが単身で敵集団の籠る都市に夜襲を仕掛けたという事を報告したのである。
単身にて夜行種を誘引し、都市ごと敵を滅ぼすという策を躊躇なく立案、実行できる化け物を抱えていながらあくまで臣下であるという態度を崩さぬリュナは勝手に戦禍を拡大した事を詫びさえしている。
人間であるならば最良の臣下と言える程の礼節に則った態度が逆にシュワンツに猜疑心を抱かせる。
目の前にいるのは人間ではなく、まごうことなき悪魔憑きであるが故に。
例え、この天幕に入る際に手持ちの武器を全て引き渡しているとて豹変すれば素手で全員を殺すことなどわけはないが故に。
シュワンツにとって悪魔憑きとはイナゴレイダーの如く常時発狂しているか、ヴィルの如く紳士然としていても突然狂乱を引き起こす生ける災いでしかないのだ。
或いは、かの恐ろしき主たるエンキの如くだ。
エンキにとって他人とは自分がやるほどの事でもない雑務を任せる奴隷であるか、退屈を紛らわすために殺して良い玩具程度の価値しかなかった。
シュワンツもまた、イドの様に雑務を任せるに丁度いいからこそ生かされていた人材の一人に過ぎない。
悪魔憑きと人が対等などありえないという事が骨身にしみている。
臣下にするなどもっての他だ。
リュナの提案を拒絶できなかったが故に、シュワンツはリュナを配下として扱っているに過ぎない。
「信用できない、という顔をしていますね」
「族長たる者、何人も心から信ずる事など出来ぬだけであるな」
見透かすように優し気に微笑むリュナが投げかける言葉にシュワンツは心臓を掴まれるような焦燥感を味わいつつも表情を変えることなく返す。
族長として減り続ける資源をやりくりしながら部族を生かし続けて来た苦難の半生。
そしてエンキの配下となり、その威圧と暴虐を受けてながら平服してその意に従い生き残ってきた胆力。
神経の細い他の族長ならばトチ狂って銃を向けかねない状況であってなお、シュワンツが理性を放棄せずに済むのはそれらがあってこそだった。
「なるほど、しかし私としてはもうすぐこの旅も終わりを迎えるという時局であるからにはそろそろ、腹を割って信頼を勝ち取りたい所存でしてね」
あくまで主であるシュワンツを立てる様に繰り出される言葉遣い。
「クロエでは夜襲を仕掛けたとておそらくは勝てぬでしょう。しかし、敵集団を行動不能にすることは造作もないと見ています。強行軍を続ければ我々は一週以内には奴らの都市に到達できるでしょう」
「……感謝はしているのである、リュナ殿。だが―――――」
「だが、悪魔憑きは信用できない。という事ですね」
呟いた瞬間、周囲の選抜歩兵たちが一斉に銃のスライドを引き、安全装置を解除してリュナに自動小銃を指向し、直近の兵士はシュワンツの前に躍り出て肉の盾として立ち塞がり、引き金に力を籠める。
「待て!」
それを即座にシュワンツが手を挙げて静止する。
瞬きを一度するほどの短い間の見事な所作であった。
「良い兵士たちをお持ちですね、シュワンツ殿。よく訓練され、悪魔憑きを恐れず主の盾となる程の忠義を持っている」
一触即発と冷や汗をかくシュワンツに対するリュナはむしろ満足げに周囲を見渡して頷いた。
「そうであるからこそ、貴方からは学ぶ事が多くある。それがお仕えする理由と言えば納得してもらえますか」
銃口を向けられて尚、動じる事のないリュナは自然体で手元に置かれた粘土細工の茶器から湯気を立たせる白湯をゆっくりと味わう。
「確かに、私はあなたたちを滅ぼす事など造作もない。この程度の軍勢であれば一時間もいらないでしょう」
周囲の選抜射手たちの体が強張る。
「しかし、その気ならばとっくにやっている事をここまで焦らす程私は奇特な趣味はしていない。私が欲しいのは命ではなく知識、そして経験だ」
茶器を置き、リュナは笑みを消してシュワンツの前に立つ二名の選抜射手の目を見据える。
紫に輝く瞳に魅入られたかの如く、射手たちに動揺が走るのが見て取れた。
「忠義見事、だが退け。私はお前たちの主と会話をしている」
「……良いのである、皆下がれ。今宵の護衛はここまでだ。ここからは、長同士の会話である。他言無用、解散せよ」
今にも膝を屈さんと身震いする目前の射手二名の背に手を置きなだめつつ、シュワンツは護衛の選抜射手たちに住居内からの退去を命じる。
それはある種の降伏宣言であり、同時に相手を異形ではなく対等な人として扱うという意思表明であった。
思えば、疑問を口にするだけで逆鱗に触れると考えてこの悪魔憑きとの対話を避けてきた。
ここまでは強行軍の指揮や行軍しながらの部隊再編成の多忙を口実に逃げてこられたが、こうなっては最早逃れようがない。
「ではリュナ殿、腹を割って話すとするのである。積もる話も多い。敬語は不要」
「助かる、私は相手に上下関係を求めるのは好まないからね」
護衛たちが退出する事を見届けたシュワンツはまだ熱いであろう白湯をきつけとばかりに一気に煽って飲み干した。
腹に熱が流れ込み、覚悟が決まる。
シュワンツはリュナの妖しく輝く紫の瞳を見据える。
透き通るその瞳には老いさらばえた己の姿すら反射して見えてしまいそうだった。
「率直に聞こう、我らより遥かに強き種たる貴公がなぜ我ら弱き種に膝を屈するか。学びとは何か」
正直な所、シュワンツは自らの部族の力だけではここまで来れるとは全く思っていなかった。
イドの荘園を出立した折には3000を数えた軍団も既に三分の一が脱落している。
だが、それですら多すぎると言えた。
シュワンツ配下の精鋭を除けばまともにミュータントとの戦闘やアノマリーの突破もおぼつかない成り上がりの不出来な族長とその配下、そして最初から命を捨てているやけっぱちなエンキを信奉する狂信者の集団であるが故に、初期のうちにほぼ全てを失う公算の元での死出の旅路の筈であった。
それをリュナがシュワンツの剣となり、盾となって幾度となく襲来するミュータントの襲撃から集団を守り抜いてきたのだ。
その上で、この悪魔憑きはさしたる消耗も負傷も負っていない。
明らかな手練れ、或いはかのエンキと比類するほどの強者とすら言えるかもしれない。
そんな強い個がより弱く、束になっても自らに勝利し得ない者たちに奉仕するなど理解が出来ない事であった。
「単純な事、私は貴殿から群れの統率をいかに行うかを知りたかった。この行軍は良い教材だ」
「群れを率いる?そんな事をする意味があるのであるか?」
「まだ100にも見たぬ若輩者とはいえ、私は永きを遍歴に費やした。孤独に、或いはごく少数の友や連れ添いと共に生きてきた。作法は知れども群れでの生き方を知らぬ」
「だが、既に十分知り尽くしたのではないのではないか?貴公は既に吾輩の代わりを務められる程度には知識と人望を得ている」
事実、かつてエンキを崇拝していた狂信者たちすらも今ではリュナを新たな救世主ではないかと囁き合う程に魅了されつつある。
他の族長たちの兵士や場合によってはシュワンツ配下の部族兵にすらも信頼を勝ち取っている様子が見て取れる。
或いは、討伐集団そのものの簒奪が目的かと考える事もあった。
しかし、それにしては回りくどいものである。
将を落とせば多少の逃散はあれど集団は手に入るというのに、我が身に対してリュナは刃を向けるどころか敵意すら向けてこない。
むしろ向けてくるのは好奇と好意の混ざった不可思議な視線だ。
部隊への指示、隊列の編成、物資管理、生存者の点呼と食料の配給、負傷者の処遇や重症者への安楽死処置、死者の処理。
それらに立ち合い、詳細に見分し、気にかかれば周囲の兵や士官に確認を行い、礼をする。
そんな事を続けて二週間もしないうちにまるで長年尽き従ってきた副官の如く、シュワンツの側で次の目標への行軍工程や部隊編成の提案すらするようになってきた。
純粋に知能が高く、理知的で順応性も高い。
学びに対して貪欲であり、記憶力も高いのだろう。
悪魔憑きとしては不気味に思えるほどに安定性が高い。
比較的安定しているとされる悪魔憑きから生まれた第二世代ですらここまで安定していることは多くない。
「まだまだ足りない、私は誰かの配下として働くという事すらした事が無い。今まではそれで良かった。だがこれから求める望みには多くの命を巻き込まねばならない。必要なのはより多くの社会勉強、といった所かな」
「望み…。それは如何なる物であるか」
シュワンツの問い返しにリュナは姿勢を崩さず、微笑んで答える。
「種の繁栄だ。私は私の種を永く残すために行動している。その為にはまずこの世界をなんとかしないといけない。とても個人の力だけでは無理だ。君たち…いや、シュワンツ、君のような人間の力が不可欠だ」
嘘偽りなき好意の相でリュナがシュワンツを見据える。
ようやく合点がいった。
リュナの目当てが他ならぬこの老体であるという事実に僅かながらに動揺が走る。
輝く紫の瞳に当てられたのか年甲斐もなく、胸が高鳴るのをシュワンツは抑え込む様に首を横に振る。
これは精神汚染だ、エンキ様のそれとは違うがこの湧き上がる好意は精神汚染に違いないと断じてあくまで理性を保たんとする。
この瞳に魅了されてはならない。
この身は既に一個人の意思で動いて良いものではなくなっている。
「買い被りはやめられよ、吾輩はそれほどの器ではないのである」
「この様な死出の旅に出る意味すら私には見出せぬよ、シュワンツ殿。本来は貴殿があの荘園であのまま王を宣言すれば良かったのだ。何を恐れている?死の迫るの体が故か?それとも見えてしまった未来を恐れてか?」
流されてはならない。
しかし、本心を隠すのもまた相手の誠意にもとる行いであると言えよう。
徐々に老将は今まで内に抑え込んできた本心を口からこぼれさせていった。
「……全てである。我が身は既に45を超えた。もういつ死んでもおかしくない。それに加えて部族の誇った武器も弾薬も既に底を尽きつつある」
迫る死の影、日に日に衰えていく肉体と思考、消耗していく先祖伝来の装備と弾薬。
既に部族とトウカイの地に生きる者たちの未来が見えていた。
待っているのは絶望だけだ。
それを覆しえる存在であるはずであった偉大なる瓦礫の王は得体のしれぬ何者かの手によって討ち滅ぼされた。
イドに今後を任せ、大義を果たし不要な輩の掃除を申し出たのも、結局は体の良い死に場所が欲しかったからに過ぎない。
世界を立て直すにはシュワンツは既に老い過ぎており、辺境に生きる人類種は衰退しきっていた。
だが、この目の前にいる悪魔憑きはエンキとは違った形で希望を作り出せるのだろうか。
或いはそれすらも幻か―――――、
「短命の呪い、嘆かわしいものだ。父の知る時代の人間たちは80年はまるで問題なく生きたと言われているのに」
リュナは惜しい物を手放す時のような痛ましげな表情でシュワンツを見つめてくる。
だが、それは同情とはまた違う何かであった。
無造作にリュナはシュワンツに向けて囲炉裏越しに手を差し伸べた。
「……呪いとはすなわち方向の異なる祈りとも言える。貴公が望むならば―――――」
「無用、吾輩は悪魔憑きになどならぬ。人として全うするのみ」
魅惑的な提案をシュワンツは跳ねのける。
どうであれ、この自我は自分だけのものだ。
命を長らえたとてイナゴレイダーの如く歪むならば本末転倒だ。
半ば投げたとはいえ、部族の未来は遺した我が子らに既に任せている。
この旅は己の最後の花道なのだ。
これより先に道は無い。
「そうか、だがまだまだ時間はある。至るべき未来に向けてまず君はボースを討て、私はエンキを殺した者と立ち会うつもりだ」
さして気にせぬ素振りでリュナは手を引っ込める。
そして、ある種の核心に向けて話題を切り替えた。
「……やはりボース程度にエンキ様は滅ぼせぬという事であるか?」
「おそらくはね、ただ成ったからといってすぐ強くなれるものでもない。ボースという男も決して弱くは無いにしろ、エンキの様に強大な熟練者を新参が殺すとなればそれは相当な因果持ちだろうね」
悪魔憑きとてなれば即座に最強という訳ではない。
人間であった頃から大きく変化した肉体を慣らし、エーテル操作を理解しなければそれはただの頑丈になったミュータントもどきに過ぎない。
既に刺客として勝手に飛び出していったイナゴレイダーが返り討ちにあい寝返ったという情報があるからには、あのレベルの悪魔憑きには勝利できる戦力が相手側にはあると判断して良い。
変異したてのボースでは捌ききれないだろう。
本命は他にいる。
その者に出会う事こそがリュナにとっての真の目的であった。
「クロエ殿ですら勝てぬというのもその者を相手にするかであると?」
「そうだね、彼女もかなりの手練れではあるけど噂に聞く瓦礫の王には及ばないと彼女自身が認めてるところであるからね」
「それでも向かわせたのであるか」
「やると決めたら止まらないのが悪魔憑きだからね。心配は無いよ、彼女は生きて帰ってくる」
「随分と信頼しているのであるな」
「勿論、一度は本気で殺し合って手に入れた女。実力はよく理解した上での判断さ。念のために娘たちと我が乗騎も向かわせたしね」
娘、リュナの言葉にシュワンツの視線がリュナの横で口から涎をたらしながら健やかに爆睡している脳髄啜り亜種に移る。
「使い魔の類かと思ってたのであるが」
「実子だよ。脳髄啜りの亜種は原種と違って人間の体を奪って肉体とし、子を作るんだ」
「クロエ殿は―――――」
「彼女は新しい連れ添いだ。この子の母はもう、いない」
出会って以来、初めてリュナの顔が僅かにくもった事にシュワンツは自らの発言を恥じた。
そして、知らぬ間に目の前の悪魔憑きに対する敬意が生まれつつあることにシュワンツは内心で僅かに驚いた。
年若く見える肉体に反し、その知性は成熟し、そして自我は広い視野持ち、遠い未来を見ている。
もっと早く出会っていれば、きっと彼女をこそ主と仰いだのではないかという思いが鎌首をもたげてきている。
「失礼した。不快な事を聞いてしまったようであるな」
「いや、もう昔の話だ。この子たちの母も強大だった。彼女は私が最初に夢を目指した時の同志だった」
「……今、貴殿がここにおられるというならば」
「そう、失敗したんだ。そこで少数の強大な個が出来る限界を知った。だから今度は大勢を巻き込むことにした」
リュナはそこで言葉を切り、立ち上がった。
「長居してすまなかった。シュワンツ殿、私はこの旅の間は貴殿の配下だ。それを信じて貰えればそれ以上は求めないよ」
「委細承知したのである」
「まずは形だけとはいえ仇討ちだ。それが終わって君が―――――」
リュナは敷物の上で眠るラペナを優しく抱き抱えて退出するべく出口まで進み、シュワンツに向き直った。
「この旅の終わりに君がまだ生きていれば、私は君を私の夢に巻き込みたいと思っている」
言い終わると同時にリュナはシュワンツの返事を待たずに住居を後にした。
―――――――――――――――
心地よい暖かさから一転、肌寒さを感じてラペナは目を覚ました。
気づけば既にあの昔は凄かったという風なくたびれた老人のいた移動式住居ではなく松明とライトで照らされた野営地の道を父に抱きかかえられながら歩いている様であった。
「起こしてしまったみたいだだね。すまないね、ラペナ」
「ん…いいよ…。退屈だから寝ちゃってごめんなさい」
「いいさ、あっちからずっと一人で飛んできて疲れてたのに付き合わせしまったからね」
多少寒くはなったが、愛する父の胸の内にいる事を理解して再び睡魔がラペナを襲う。
「姉さまとおばば、大丈夫かな」
「死にはしないさ。それだけは約束したからね」
「そっか…」
ラペナは最後に父の顔を見ようと頭をもたげ、父の顔より先に紫色の空に浮かぶ赤黒く染まった満月を見た。
「お父様、今日は満月みたいだよ」
「ああ、そうだね良い月だ。我が父が私にくれた名だよ。知ってるかい?昔の月は私の髪みたいに綺麗に力強く輝いていたんだよ」
リュナが娘の顔を見るべく下を向いた時、ラペナは既に睡魔に負けて再び眠りに落ちていた。
まだまだ子供だとばかりにリュナは眠りに落ちた娘に苦笑いすると再び天の赤黒い月を見上げる。
「静かな夜だね、最もクロエにとっては今日はとても賑やかな夜になっている筈だ」
レオとクロエが死闘を演じ、一つの都市が滅亡に向かう中、彼らを追う討伐者たちの軍勢は嵐の前の静けさの如き安寧を享受していた。
更新が停滞しており申し訳ありません。
今回はメインヒロインさん回です。父と呼ばれてますがメインヒロインです、いずれ理由は分かると思います。
そろそろ敵側の描写を入れていこうとい事で戦闘の方は箸休めとなっておりますが次回で夜戦編は概ね終わらせたいところです。
主人公が否定であるならば、メインヒロインは肯定という存在として書いていきたいのでとにかくポジティブな感じであります。
今回にの設定公開ついては脳髄啜り亜種についてになります。
人に擬態する原種に対して亜種は飛翔能力の獲得を含め、より多様性を獲得する方向に進化しています。
原種が肉体すらも自己で生成し、栄養生殖による自己複製を繰り返すのに対し、亜種は人間や或いはミュータントの肉体を奪い、自分の都合の良いように改変して運用し、その肉体による他種や同種との有性生殖をおこないます。
人間相手の寄生であれば分りやすく、相手の首を刎ねた後にその首の断面に飛び乗り、底面より触手上の肉の枝を肉体に浸食させて制御系を乗っ取り、高濃度のエーテルの入った青い血を人体内に注入して強制変異させて自分の器にふさわしい肉体に改変を行います。
生物を乗っ取るための機関を頭部に収納しているので通常の人間の1.5倍程度には大きい生首生命となっており、肉体を得ると根を張ってすぼまって普通の東部ぐらいのサイズになります。
なお、双子の片割れであるラペナの元ネタイメージはゆっくりフランと吸血鬼ペナンガランの冒涜的悪魔合体です。




