十六話、全焼
主人公最終形態の時間よ~
その日、クトーは悪魔憑きという存在の戦闘能力の高さと、何よりも扱いにくさを嫌という程に再認識させられる事となった。
信号弾を確認して現場に到着した頃にはそこはまさに戦場のど真ん中と言った様相であった。
全身に筋肉の装甲を纏った悪魔憑き、ヴィルが明らかに正気を失っているであろうレオと正面から近接戦闘を繰り広げている。
ヴィルの周囲には奇怪なポーズをした数多の亡霊が浮かび上がり、一種のフィールドを形成するように遊弋して他者の侵入を防ぎ、更には男の囮として戦闘を支援している。
対するレオがその亡霊を消し去るべく放った緑の光弾は亡霊をかき散らすだけでは終わらず、周囲の地面や障害物に着弾して盛大な爆炎をまき散らす。
現状、攻めに転じているのはレオ側だ。
一切の躊躇や思考を放棄した様にがむしゃらに接近しては剣と拳を振るい、距離を取られれば緑の火球を放って相手を休ませない。
悪魔憑き同士の激突が甲高い激突音をひびかせながら大気中のエーテルを攪拌させて周囲の環境に徐々に影響を及ぼし始めている。
天も悪魔憑き同士の激突で一喜一憂するように好天と暗雲を繰り返し、大地も鳴動を繰り返す。
ぶつかり合う二匹の怪物の周囲では不可解な大気の揺らめきが増していく。
あの場は死地だ。
クトーにもそれは嫌という程に分かっている。
だが、回収すべき味方がいるからには砲爆撃の中だろうが、地雷原のただ中だろうが進まねばならない。
ボースが倒れている。
キドが倒れている。
レナルドが生き残っているらしい誰かを必死に運んでいる。
周囲に光弾が飛来し、至近弾が発生するたびに地面に伏せて転げ回っているが、まだ生きている。
見捨てるわけにはいかなかった。
クトーにとっても彼らは重要な戦力であるが故に。
「ドッグ!なんでこうも死に掛けの芋虫みてぇに蛇行しまくるんだ!まっすぐ突き進めッ!」
「見て分からないの!?あいつら暴れ出してから回りがアノマリーだらけなんだ!かわさないと車が吹っ飛ぶ!」
現在戦場となっている都市城壁前はボースとヴィルがぶつかり合った場所でもあり、既にだいぶ大気中のエーテルの均衡が崩れつつあった。
そこで更に強大な力を持つレオが力を振るって暴れ回った事で均衡が崩壊したのだ。
ドッグの目には見えている、視えてしまっている。
地面を強烈に押し潰さんと流れているエーテルの流れが、或いは逆に近寄る全てを空へと吹き飛ばさんと蠢くエーテルの奔流が。
ひたすらに内側へと触れた対象を引きずり込まんとブラックホールの如く振る舞うアノマリー、今にも出現しようとする雷球の群れ、渦き始める細い炎の柱。
それが地雷原の様にトラックと救助対象の間に無数に横たわっているのが見えるとなれば、安全な距離を見極めて動く他にない。
「だとしても早く回収してズラからないと俺たちが吹っ飛ぶぞ!ドッグ、お前なら出来る!お前にはクソガッツがあるッ!」
すぐ側に着弾したプラズマ弾の衝撃を掴んだ持ち手とシートベルトで耐えながら、助手席で叫ぶクトー。
突っ込んでも留まっても危険、安全なルートなど既にありはしない。
故に危険でも最短で行けと指示するほかに無かった。
「ああもう!だったら死んでも文句言わないでくれよ!」
半ばキレ気味叫ぶとドッグはアクセルを全力で踏み抜いた。
急加速するトラックが重力アノマリーの加害範囲ギリギリをすり抜け、まだ弱々しい炎の渦を突き破り、激突した雷球に苛まれながらひたすらに最短ルートを直進する。
激突のたびに舞い上がり、散っていく錆雪の茶色いパウダースノウがガラスにへばりついて視界を妨げ、飛来する流れプラズマ弾がトラックを爆砕せんと突っ込んでくる。
尋常じゃなく振動する車内、軋みをあげる車体、悲鳴を上げるシャーシ、響くたびに肝を冷やさせる爆発音。
「辞めてやるぅ!一息付ける場所についたらこんな仕事もう辞めてやるぅ!」
獣人らしさに満ちたいかつい見た目に似合わずに泣き叫ぶドッグが言動に見合わぬ的確なハンドルさばきでもって、重い車体を振っては間一髪で致命の一撃となりえる攻撃と障害を突破する。
気が付けば目的地はすぐそこであった。
「早く乗せて!こんな所で止まってたくない!」
「言われるまでもないさドッグ!こっからは俺の仕事だ!」
言うが早いか、クトーは勢いよくドアを開けて外へと飛び出した。
ドッグは運転席に待機させる、攻撃が頻繁にこちらに来るようならば即座に退避させて次の機会をうかがわせる為だ。
ここでトラックを失えばどうやっても生き残れそうにないが故の措置、突っ込む前から二人で決めていた事だった。
「レナルド!見た感じパーティーは失敗したみたいだな!」
「このヤク中糞爺以外全員お釈迦っすよ!中隊長回収してすぐに―――」
ヤク中を必死に引き摺るレナルドを助けるべくクトーが伸ばした手に応じて右手を伸ばしたレナルドの腕に空から何かが突き刺さった。
「ぐぁああああああッ!畜生、ここまで来て…ッ!」
突き刺さっていたのは砕けたガラスの破片の様に鋭く尖った薄い氷、まるで狙いすましたようにレナルドの右手首に突き刺さったそれは溶けると同時にレナルドの右腕を奇怪な土色へと変色させてゆく。
「やべぇぞ!剃刀雨だ!それも錆てやがる!」
「紐ッ!紐くれっす!体に回ったら…ッ!」
「俺がやる!動くな!」
片膝をついたレナルドの右腕に外したネクタイできつく縛って即席の止血帯とする。
周囲を見れば、同じような鋭い雹がぽつぽつと降り始めていた。
レオらの戦闘で攪拌されたエーテルがとうとう天候すらも変化させたのだ。
それも、酸の雨と同じかそれ以上に恐れられる剃刀雨だ。
実際には変則的な雹そのものだが、一般的には雨の一種として扱われている。
空から降った雨が空中のアノマリーをいくつも通過する際にその様な形に加工されるが故だ。
素早く遮蔽物に避難しなければ刃のスコールで惨殺死体を通り越してミンチだ。
「自力で動けるならトラックに急げ!このままだと全員まとめて前衛芸術に仕上げられちまうぞ!」
「中隊長は…ッ!」
二人人がかりでなんとか引き摺れるかという状況であったのに、土壇場でレナルドが負傷。
更には空からは人の皮膚など軽く貫く殺人的な剃刀雨が降り注ごうとしている。
急速に強まる雨脚から考えて自分達だけで走っても間に合うかは微妙と言えた。
「前にも増して無駄にでかい図体しやがってる、運ぶのは―――」
この状況では無理だ。
そう言おうとクトーが首を振ろうとした瞬間、力尽きたマグロの如く引き摺られてきたヤク中が目を見開いて力強く起き上がった。
「任せろォ!お目目ぱっちりにするのに最高のきつけヤクがあるぜぇええええッ!」
どこにそんな力が残っていたのか、或いは薬の反動が消えて力が戻ったのか。
ヤク中は雨脚が強くなり始めた剃刀雨など意に介す事無く、再びボースの体をまさぐって目当ての物を天へと掲げた。
衛生的のえの字すら無さそうな古く汚らしい注射器とその中に充填された明らかに怪しい赤くぬめり気のある液体。
「さぁ目覚めろォ!このヤクでぇええええッ!」
薬に狂った中毒者が注射器を振り下ろし、気絶しているボースの首筋に突き立てて中身を注入する。
唐突な狂人の蛮行にあっけに取られたクトーとレナルドが呆然とする中、反応が返ってこない事にヤク中は首を傾げた。
「ん?間違ったかな?こっちの茶色の方―――」
気を取り直して次の薬剤を刺そうと違う注射器に手を伸ばそうとしたヤク中に太い腕が絡みつく。
そのまま抱き寄せられたヤク中が背骨を折らんとばかりに万力の如く締めあげられながらうめき声を上げる。
「がぁああああああッ!てめぇ何しやがったぁ!」
「ぼぼぼぼぼ…!」
ボースの眼は血走り、顔中に血管を浮き立たせた憤怒の表情で締めあげたヤク中を罵る。
どうやら相当な激痛だったようだ。
「へ、へへ…!目が覚めたでしょ!感謝してくだせぇよ隊長さん!こんな所で寝てたらぶっ殺されちまいますよ!」
「ちッ!次やったら捻じり殺すぞ!」
下卑た笑みを浮かべるヤク中を放り投げ、ボースは周囲を見渡して即座に状況を察する。
未だに続く戦闘と周囲に点在する戦闘不能の味方、退却支援のために待機するトラック、時折飛来する流れ弾の炸裂、周囲と空から命を奪わんと荒れ狂い始めている致命的なアノマリーの数々。
恐らくレオは正気ではなく、敵味方の区別などついてはいないだろう。
自身の肉体は目覚めただけで回復しきっておらず消耗している。
「ちッ!流れ弾でやられるってのも馬鹿らしい、一旦引き上げるぞ屑ども!」
今や己の得物となった戦槌を拾い上げ、次いでボロキレの様になったキドを肩に担いだボースが選んだのは撤退であった。
「レナルドとヤク中爺以外全滅か、また人攫いでもして集めねぇとな」
持ち主の目覚めに呼応して機能を回復した戦槌が主を守るべく自動稼働し、周囲に暴風を引き起こして降り注ぐ剃刀雨を弾き飛ばす。
ボースの傍に寄ったクトーらもその恩恵に与ればトラックまで後退するのは難しい事ではなさそうであった。
脳を薬物で腐らせて尚も積み重ねた経験とこびり付いていたセンスの残滓、そして執着する薬物の知識がもたらしたヤク中のファインプレーであった。
「ヤク中、お前すげぇな。脳みそまで麻薬漬けの癖に」
「化け物狩りは頭使わねぇと生き残れねぇんだぜ!処刑隊なら、あの隊長さんの武器と戦い方見てりゃ誰でも思いつくってもんでさぁ!」
「とにかく、予定通りズラかるぞ!俺が助手席、他はコンテナだ!」
ヤク中を労いつつ、クトーは必要な指示を飛ばしつつ再びトラックの助手席に収まった。
残った人員の回収を終えたトラックは戦闘の加害範囲外へと逃れるべく高速で反転離脱を開始した。
―――――――――
茶色に変色した刃物の如き雹が降り注ぐ中、黒く変色した剣と限界を超えて鍛え抜かれた筋肉塊の如き拳がぶつかり合う。
死力を尽くす二体の異形に最早尖った氷片がいかに加速して叩きつけられようと然したる意味など持ちはしなくなっている。
最早ヴィルの顔に笑みは無い。
目を見開き、眉間に皺をよせ、振るわれる全てが致命の一撃になりえる斬撃を一瞬たりとも見失わってはならぬという決意と共に己が敵を見据えて迫る攻撃をいなし続ける。
レオを支配する意識が現行の物に統一され剣を使う様になるまでの間、ヴィルはひたすらにその殴打の応酬に耐えた。
それはレオの攻撃に対応できなかったからではない、あえて受け続けていたのだ。
肉体の可動域、筋肉の質、攻撃に移るまでの身のこなし、重心移動、エーテル操作の癖。
その全てをポージングによる絶対防御を貫通する重い拳の一撃を受けながらも観察し、怒りに飲まれたレオの攻勢をぎりぎりの所で対処するだけの情報を獲得することに成功していた。
そして、その上で自身だけでは凌ぎきれぬという判断しての奥の手、『品評会』の即時発動。
拳はまだ良い、防御を破られても重厚な筋肉で受け止められる。
だが、あの剣は己が最高の筋肉でもってしても耐えられない。
ボースと行った肉弾戦から、ミスリル兵装の致命的な破壊力をヴィルはしっかりと学び取っていた。
精神汚染の効果を一切期待しない、文字通りの目くらましのデコイとする為にヴィルの内に宿る亡霊たちが切られ、焼かれ、次々と霧散していく。
最早、それを詫びる暇も無ければ亡霊たちの助言を耳に聞き届ける余裕もない。
全てが高速で過ぎ去り、持てる資源が急速に磨り減り枯渇していく。
底の見えぬ敵の力、底が見えてきた自身の限界。
しかし、ヴィルはいずれ来る勝機を信じて抗い続ける。
振るわれる剣を拳で弾き、追撃で放たれる拳や頭突きを身を捻ってかわし、踏み出した足と重心移動の勢いに任せて勢いよく放たれる回し蹴りをターンライトで避けて距離を取り、幻影を盾にして出来た一瞬のスキをついて震脚肘撃ちを叩き込む。
己の全身全霊、そして内に宿る最大の理解者たちを消費して続けられる消耗戦はしかし、レオを打ち倒すには至らない。
一瞬、強烈な打撃を受けて体をくの字に折り曲げて吹き飛んだと思ったレオがすぐさま空中で急停止し、逆に速度を付けて突撃を繰り返してくる。
まるで宙に吊るされて無理矢理踊らされる人形の様な所作であるが、それがレオ本人の意思であるという事は怒りに燃える赤い眼と吐き出される怒りの咆哮が嫌という程に知らしめてくる。
エーテル操作で己の肉体を焼きながら展開される疑似スラスターが強制的に衝撃を相殺してレオという怪物は戦場に即時復帰を果たしてくる。
歪んだその顔にあるのは憤怒と殺意のみ。
怒りと憎しみに染まった赤く血走った瞳がただ、ヴィルを叩き潰さんと睨み続けている。
「ぬぅ…!このままでは…!」
不意に、ヴィルの周囲を守る様にひしめいていた亡霊たちが蒸発するように一気に霧散した。
レオの剣とエーテルの奔流によって打ち減らされ続けた残留思念たちが精神汚染フィールドを形成できる下限数を割り切ったのだ。
攻撃を分散してくれていた筋肉の妖精さんの消失はすなわち、ヴィル本体への集中攻撃を意味していた。
「がぁあああああああッ!」
「ぬぅううッ!」
レオが咆哮し、振り下ろした上段の一撃が遂にヴィルの左腕を切断した。
その刹那、ヴィルの腕が爆発した。
否、爆発ではない。
それは膨張に近かった。
限界を超えて鍛え上げられ、ヴィル本人のエーテル操作で人の形に圧縮されていた筋肉が拘束から解き放たれた事で限界まで潰されていたバネの様に弾けたのだ。
広がった肉塊はヴィルを弾き飛ばし、逆に切り掛かったレオを一瞬にして呑み込んでいく。
「ぐぅ…!ここまでか…!」
斬られた腕を抑えつつ片膝をついてその光景を見守るヴィルの顔に希望の二文字は無い。
この程度で死ぬ相手ならばとっくに倒せている。
出て来た時が己の最後だ。
覚悟を決めて再び立ち上がり、拳を握りしめて最後の瞬間を待つ。
最早ポージングを取る事は出来ない。
それはつまり防御も移動も出来ぬという事。
強いこだわりが成せる業は、それが崩された時に全てを失う事を意味している。
時間は十分に稼いだが、勝機は遂に来なかったと腹を括る。
残っているのは闘志のみ。
茶色に変色したガラス片の様な雹が降り注ぐ中、筋肉塊から刀身が生え、そのまま内から肉の壁を両断したレオが青い血に塗れて姿を現す。
「来るが良い!最後に一撃叩き込ませ貰お―――」
右腕を振り上げて駆け始めようとしたヴィルはしかし、血に塗れたレオが突如として苦しむ出した事に驚愕して歩みを止めた。
それまで明らかに優位であったレオが剣を取り落とし、抱えた頭を振って両ひざをつき、天を仰ぎ見る様に仰け反り苦悶の叫びを上げる。
周囲に現れるのは中央に唇が存在する黒い靄。
ヴィルにはおおよそ聞き取れない不吉な呪詛の如き囁きがレオを苛んでいる事をヴィルは理解する。
エンキの力を合算して尚も干渉を完全に排するほどには至らぬレオに人の神が浸食を再開したのだ。
「ぬぅ!またあの獣に戻るか!させぬぞッ!」
押し込められていた古き人の神はエンキの消滅を境に再び表層へと舞い戻り、レオに『至れ、積み上げろ』と囁く。
自我を冒す呪詛の言葉と血の匂いをトリガーとした終わりなき強烈な飢餓による精神の崩壊をもって再び主導権を得ようとレオ本人と綱引きをしている事をヴィルは知らない。
故に、選ぶのは残った力を全てつぎ込んだ相討ち覚悟の突進。
それを用いてすぐ近くに発生し始めたアノマリーにレオを叩き込まんとヴィルは最後の突撃を開始する。
「ぬぅッ!?あれは…!」
その時、それは城壁から飛び立つとレオの直上で跳び蹴り形態を取って背中の虫羽を展開した。
それこそがヴィルがここまで時間を稼いで待ちわびていた『勝機』であった。
「とぅおおおおおッ!『強い奴』復活ッ!」
硬質な外骨格の肉体、昆虫の頭、それに見合う異形の肉体を持った悪魔憑き。
脱皮による回復を完了した友、イナゴレイダーが背後から聞きなれた珍妙な叫びを上げながらレオに足を向けて急降下を開始していた。
その動きに呼応するようにヴィルは再びレオめがけて残された力を振り絞って肉薄する。
「来たかぁ!イナゴォ!」
「征くぞヴィルッ!合体攻撃だッ!」
ヴィルの叫びに反応するように、周囲に緑の炎をまき散らして靄を消し払ったレオが迎撃するべく立ち上がるが、一手遅い。
ヴィルの肘がレオの鳩尾を捉え、イナゴレイダーの急降下飛び蹴りが背中からレオの下腹部を貫通し、戦場に一瞬の静寂が広がる。
素早く後退し、肩で息をするヴィルと以前の反省から素早く大穴を開けた腹から足を引き抜いて距離を取るイナゴレイダー、そしてその光景に口元を緩める黒い靄。
敵はまだ倒れない、ヴィルは先の計画通りに事を進める必要があると判断した。
「まだだイナゴッ!こいつはこのままアノマリーに叩きこ―――」
「また、貴様か―――」
「ッ!」
とどめを刺すべき戦場に舞い戻ってきた友に指示を出そうとしたヴィルの言葉を制止したのは腹に大穴を開けられ、項垂れたまま棒立ちしているレオの発した言葉だった。
同時に、止まっていた機械のエンジンが再び動き出す様にレオの体から再び緑の炎がまき散らされれ、周囲の錆雪を巻き上げて吹き飛ばす。
顔を上げ、口から青い血を溢れるままに任せているレオの瞳にヴィルを恐れさせた狂気の色は無い。
それはとても静かで澄んだ、しかし先にも増して怒りに満ちている憤怒と憎悪の感情を秘めていた。
瞬間、レオの表情が狂相へと変わる。
「また貴様かぁッ!俺の中から出ていけぇッ!」
叫びと共にレオは前後に配する敵を無視して両腕を己の腹に空いた穴へと刺し込んだ。
ボースの怒りが己の気分と自由を害されるが故に激怒するのであれば、レオの怒りはただ純粋に立ち塞がる全てへの差別無き敵意と憎悪が故だ。
世界を滅ぼした敵が憎い、人が闊歩すべき地上に我が物顔でのさばる有象無象が憎い、人の生き死にすら弄ぶ神が憎い。
そして何より、そんな者どもに圧倒されて右往左往される自分こそが何より憎い。
何も考える必要はない、道は示された。
この尽きず燃え滾る炎の様な怒りだけが己の礎となり、力となる。
残りは全て、薪にしてしまえば良い。
それが出来ぬならば、この場で燃え尽き、砕け散ってしまえば良い。
その気迫にヴィルは無意識のうちに一歩後退を余儀なくさせられた。
敵を前にして自らの体を抉る暴挙にさしもの悪魔憑きである二人も様子見に徹さざるを得ない。
「いらんッ!主に歯向かう内臓など!血など!肉など要らんッ!出ていかないならば―――」
己が腹を力ずくで引き裂き、引き摺り出した内臓をレオが一切の躊躇なく握り潰した。
己の意に反して造反する事など例え己の内臓であろうと許さない。
終わりの無い飢えを齎す腸も、血の匂いを起点に自我を奪おうと画策する嗅覚も、主よりも神を選んだ造反者だ。
切り捨てねばならない、その先の事など知った事ではない。
過去を失った悪魔憑きに未来は必要ない。
必要なのは、今だけだ。
エンキの教えは今や、レオの真の意味での血肉となった。
レオの怒りは己の存在自体にも向いている。
逃れる事が出来るものなど存在してはいない。
「この体も魂も俺の物だッ!貴様には骨の一片たりともやりはせんぞぉッ!」
引き摺り出した胃を握り潰し、腸を引きちぎり、怒りの絶叫の中で全てを己が力である緑の炎で焼き尽くす。
溢れ出た血が沸騰しては燃え立ち、レオ自身を包んで燃え盛る。
そして―――。
レオは炎となって砕け散った。
「なんだッ!『弱い奴』の幹部が勝てぬと踏んで自爆したのかっ!?」
「自殺!いや、違うッ!何をしているッ!?」
まき散らされる強烈な熱波の爆風の中、ヴィルとイナゴレイダーは確かにそれを見た。
一度は散った緑の炎は寄り集まり、冷えて固まり、一つの存在へと形を変えていく。
強化外骨格兵のそれとは一線を画す、巨体にフィットしたような歪な形状の赤黒い西洋甲冑の様な姿。
赤黒く染まった体とは対照的に青いままの鋭い牙を持つ顔はより死人の様な雰囲気を増し、幽鬼の様にすら見える。
しかして、その赤く染まった眼には確かな生気が宿り、何よりも強い敵意と憎悪が渦巻いていた。
こいつは何に成り果てたのだ、ヴィルには計り知る事が出来ない。
「見ろヴィルッ!奴は再び『弱い奴』の形態へと戻ったぞッ!やはり奴の本質は『弱い奴』ッ!」
「鎧…?だが今までと雰囲気が…」
「構わんッ!『弱い奴』は粉砕するッ!」
「待てイナゴ!合わせて当たらねば!」
制止するヴィルの言葉を無視してイナゴレイダーは限界まで負荷をかけて折り曲げた足をばねに急加速してレオの背後から手刀を叩き込まんと突進する。
前後から挟んだ挟撃の理を捨てるはやった行動、この時点でイナゴレイダーもレオの雰囲気にのまれていたのかもしれない。
「とぅおおおおおおッ!」
前傾姿勢で放たれるそれは最早射出と言っても良い高速で持って至近距離のレオの首を狙う。
心臓を潰して死なぬ以上は機能を停止させうる要素を突くのみ、頭を刎ねればすぐには動けないと見込んでの強襲。
再び戦場に金属同士がぶつかったような硬質で不快な音がまき散らされる。
そして―――。
「ま、まさか俺の脚より早―――」
攻撃を受けて吹き飛んだのは先に仕掛けた筈のイナゴレイダーであった。
高速で迫るイナゴレイダーに対し、レオは振り返ると同時にその速度を超えた緑に燃え盛る鉄拳を叩き込んだのだ。
速度だけではなく威力すらも備えるそれは、これまでの闘いを経た上で脱皮する事で強化された外皮に容易くひびを入れるに充分であった。
顔面にひびを入れられて驚愕するイナゴレイダーの眼前に青い肌に赤い瞳のレオの顔が映る。
赤黒い甲冑の至る所から溢れ出る炎がスラスターの役割を果たし、レオに人の限界を超えた高機動を実現させる。
故に、放たれる全ての攻撃が重く早い。
赤黒い手甲に包まれた拳の連撃は最早、射程距離の短い高速質量砲弾も同じだ。
その連打を受ける度に砕けていく両腕で捌きながらイナゴレイダーが叫ぶ。
「あえて問おうッ!貴様は何者だッ!『弱い奴』かッ!『強い奴』か!」
「兵士だ。それ以上でもそれ以下でもない、それだけで十分だった…。お前たちさえいなければなぁッ!」
かつて、レオは人からの逸脱を恐れて鎧を着込んで現実逃避を目論んだ。
だが、今着込む甲冑はまるで意味が違っている。
守りではなく、心構えとしての鎧。
レオは兵士であり、文明人である。
エンキの如き終末世界の瓦礫の上で悦に浸る野蛮人ではない。
文明人には相応の身なりがあり、軍人であるからには戦場に見合った装束が必要だ。
それがレオにとっては鎧であった。
自我を獲得し、地上を目指した時点で己が身を押し込み続ける事を定められた鋼鉄の棺こそがレオにとっての外で生きていくための服であった。
ならば、やはり最終的にたどり着く姿は鎧を纏った物となる。
敵を踏みつぶし、殴りつぶす為の鎧。
燃え尽きる瞬間まで戦い抜くという我を通す意思こそがレオの肉体を鎧の形状に固定している。
「体の性能評価はもう十分だ」
無造作に虚空に手を伸ばしたレオの右手に捨て置かれていた剣が舞い戻る。
黒く染まったそれすらも、燃え上がって刀身を赤く染め直していく。
「こいつは…ッ!『弱い奴』ではないッ!『弱い奴』であるのはむしろ―――!」
その様に眼を奪われたイナゴレイダーの腹に真下の死角から膝蹴りが突き上げられる。
イナゴレイダーにはその足癖に覚えがあった。
このやり口は間違いなくおやっさんが得意としていた―――。
「まずは一匹」
「ぬぅおおおおッ!」
宙へと浮き上がられて防御手段を失った相手への迷いの無い横一線の斬撃。
咄嗟に羽を展開して飛び立とうするも逃げきれなかったイナゴレイダーの上半身と下半身が分離して茶色に変色した大地に転がり落ちる。
「ば、馬鹿な!イナゴ…!」
「次はお前だ」
地に伏した友を見て愕然とするヴィルに剣を向けながら、レオはゆっくりと迫っていく。
勝機が失われ、自身は既に力を出し切っているヴィルは逃げられぬ死を悟って体から力を抜く。
「……後学、があるかは分からないが最後に聞かせて欲しい。その体はどうなっている」
最後に出たのは、純粋な興味からの質問だった。
強者こそが正義、それが悪魔憑きであるからにはその激変した肉体の在り方、力の理由を知りたいのは当然の事であった。
「肉体を作り替えた。首から下の内臓と肉を焼き尽くし、全て血に変換した。この甲冑も我が血に過ぎない」
レオはこともなげに赤い刀身の剣を振るって肘から先の左腕を切断する。
腕の断面に骨は無く、また筋肉すらも有りはしなかった。
あるのはゲル状になった青い血、そして外気に触れた事で燃え上がる緑の炎のみ。
「これで痛みも苦しみもだいぶ薄くなった。加速する度に火傷で苦しむというのも非合理的ではあったからな」
切り落とした左腕と残った肘の間にゲル状の青い血が伸び合って結合し、落ちた腕がゆっくりと引っ張られて元の肉体へと帰還を果たす。
肉体は血と魂を入れた器。
故にその崩壊は死へと直結する。
だが高濃度のエーテルは物理法則を理不尽に撲殺する文字通りの魔法の物質だ。
それが故に、今のレオには常識では出来ぬ無理が幾らでも可能になっている。
特に、自分の意志でどうにか出来る範囲に存在する肉体という領域であるならば尚更だ。
神々の戯れで改造され尽くした肉体を積み上げる事ではなく、燃やし尽くす為の存在として改変したが故に今のレオが完成した。
今のレオはいわば、高純度のエーテルに満ちた血液だけで構成された最低位の神格級存在だ。
体全体を血を媒体に魂を保つスーラの如く変質させ、エーテル操作に特化した物へと作り替えた。
表皮はイナゴレイダーの外骨格すらも参考とし、己の精神性を反映して肉体表面部をエーテル操作で硬質結晶化させた血と力場操作ででっち上げた歪なヒトガタ。
原理は全て他者がやってきた事を見真似た流用に過ぎない。
出来ると思えばこそ、出来る。
エンキの魂と同化した事でその才能を受け継いだが故に出来た荒業。
完全な人からの逸脱、それが神から逃れる唯一の手段であった。
「難しく考えすぎなければ、簡単な事だったのだ。終われないならば、終われる体になれば良いだけだ」
レオは最早、神でも悪魔でも無く、人ですらない。
意思を持ち、燃え尽きる時を待つ燃料であり、炸裂する瞬間を待つ思考する炸薬だ。
「だが、まだ終わるには早過ぎる。この体は燃費も悪い。だから、頭だけは残した」
「何を言って―――」
致命的な捕食種に目を付けられた錯覚にヴィルは更に数歩後退する。
しかし、レオの歩みはそれよりも早い。
「兵器にも燃料補給は必要だ」
眼前まで迫ったレオが大口を開けて牙を剥き出しにすると同時にヴィルの首筋に食らいつく。
「がッ!か…ッ!」
痙攣するヴィルの首に食らいついたレオは喉を鳴らして血を吸い上げていく。
反射的に暴れ出すヴィルを両腕で押さえ付け、更に深く、鋭く牙を刺し込んで抉る様に血を啜る。
飢えの為でも無く、至る為でも無く、ただただ次の戦いをする為の燃料補給のためにヴィルの命を吸いつくし、レオは干からびたヴィルの遺骸を投げ捨てる。
青い血に塗れた唇をぬぐう姿は、古典的な吸血鬼やグールのそれに近しい。
「不味い、最悪だ。だが、それで良い。……決別できた」
既存の肉体を破壊し、内臓を焼き尽くしたレオに最早、人の神がもたらす飢えも渇きもありはしない。
だが、実体を持ったエーテル体とも言える矛盾したその体は非常に燃費の悪い物へと成り果てた。
あえて、そう作り替えた。
これならばエーテル枯渇が起きる頃には肉体を維持出来なくなって唯の生首と血だまりとなって死に至るだけだ。
常にエーテルを失っていく肉体は、何者も積み上げていく事など出来はしない。
穴の空いた器に何を注ごうと漏れ出ていくだけだ。
もう、どうやっても奴の望みは叶わない。
神の拒絶には必要だったとはいえ、外皮とエーテル操作による封じ込めを加味してなおエーテルの流出を抑えきれない。
スーラがレオやそれ以前の前任者の肉体に潜んだのも、それが故であるからにはこれはもうどうにも出来ない問題だ。
その上で戦うとなれば常に枯渇との戦いになる。
だからこそ、他者の血を吸うための口と牙を残した。
正確には、高濃度エーテルを含んだ青い血こそが今のレオを生かす燃料と言える。
最も効率の良い補給手段であるエーテリウム結晶が手に入りにくい中ではこれが一番確実と言える。
「これならば、世界がまともになったらもう消える以外に何も出来ないな。素晴らしい事だ」
両手を広げて降り注ぐ茶色の薄い刃を浴びながら、レオは満足げに空を眺める。
紫に染まったレオの視界にはアノマリーにまみれた空は虹色に映っていた。
―――――――――
徐々に光が差し、薄れていく闇の中で何かが絶叫し、慟哭している。
「やってやった、あ奴らに一泡喰わせてやったわ」
「だが、随分見すぼらしくなったんじゃないか?んん?」
闇の中でほくそ笑むのは僅かな残り火の様に燻ぶる火球と、最早殆ど消し炭なりかけた状態で闇を揺蕩う一つの目玉。
それが邪神スーラと小神エンキの成れの果てであると知る者は最早誰もいない。
遂に見つけた器を失い慟哭する人の神はそもそも、そんな小物など気にはしないが故にだ。
「愚かな肉体め、出涸らしとはいえ我の力の殆どを持っていきおった。暫くは動けん」
「そりゃあ良かったな。で?俺のお役はごめんでお払い箱か?んん?」
「いいや、我は約束は守る。貴様のお陰で肉体は色々吹っ切った故な」
残り火と目玉が目にするのは強く燃え盛る緑の炎の姿だ。
荒療治となったが、結局のところは成功だ。
相手が望む物へと至れない存在に改変してしまえば干渉のしようが無くなる。
二柱の神の目論見通り、レオは神がかりな何かへと無事に脱皮を果たした。
後々災いになるか福と転じるかなどようとして知れないが、その時はその時。
ケツが溶けている時に未来など気にしてはいけない。
大事なのは今、溶けそうなケツを安全な場所まで引き上げる事だ。
「我の最盛期には全く持って及ばんが、思い出すな。我もこうして奴を倒すために―――」
そこまで口にして残り火は自身の言葉を不思議がる様に火の粉を散らす。
「奴を倒す?あんな物とは初対面の筈だ、そもそも我は最初から神で―――」
「おい、随分と良いご身分だな?んん?さっさと報酬をよこせ」
思考の海に沈もうとしたスーラをエンキの言葉が遮った。
エンキとて、ボランティアであんな事をしたのではない。
同じ人の神の腹の中に納まった死に損ない同士として共同戦線をスーラと張ったが故だ。
結局のところ、スーラは早々に力負けして取り込まれたのだった。
だが、それが故に死に掛けの二つの神は出会い、手を組む事となった。
エンキが表層に出れたのはエンキだけの力ではない、スーラの助力あってこそであった。
そして、今欠片ばかりも魂を残しているのもスーラがエンキを燃え尽きぬ様に救ったが故だった。
「そもそも、俺たちは甦れるのか?騙してたなら喰うぞ?んん?」
「すぐではない、我が提示したのは可能性だ」
「話を逸らすってなら―――」
「心配するな、予感はある。きっとうまく行く。我が子の誰かと肉体は出会うだろう。その時こそ―――」
「それまでに消化されないために気張ったんだからな、裏切るなよ?席は二つ用意しろ」
「無論だ、ともかく」
「ああ、取りあえず俺がお前の腹に収まるしか無いな。消化できると思うなよ?んん?」
残り火と目玉が合わさり、再び炎が燃え盛り力を蓄える様に空間を揺蕩っていく。
三柱の神は力を失い、今しばらくの間眠りへと各々落ちていった。
本作、Pixivにて執筆開始時(維持が面倒で既にこっちは削除しています)は直球の『世紀末ファンタジー』として銘打って書き始め、こちらにも同時登校しようという段で名称を『ブルーブラッド』と改題するに至ったのですが、概ねその頃からおぼろげに構想していた主人公の形が完成となった塩梅であります。
青い血と言えば貴族、貴族と言えば吸血鬼という安直さから主人公はそういう類にしようと思いあれこれしてまいりました。
想定以上にアンデッドになりましたが、一応、隠しラスボス枠にするか迷っていた唇さんを出した時点でもう誤差の範囲内です。多分きっと恐らく
ここから先は割と主人公は無双できる気がするような、しないような感じです。
これからも遅筆ですがエタるつもりはないのでゆっくりお待ちください。
今回の話はベルセルクのBGMとか合うと思いながら書いております。
脳内では主にこれとこれです
Berserk OST - Hundred Years War with
https://www.youtube.com/watch?v=ZnlYiCUbfbA
Berserk - My Brother the Dragonslayer (3 OST Mix) +Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=b8LT-kobMYs
今回はここまで




