十五話、着火
なんだかんだ難産となり、月一更新がうまく行かん模様
敵から受けた一撃で意識を刈り取られたのか、はたまた崩落した瓦礫に飲まれたが故か。
正気に戻ったレオを取り巻いていたのは闇だけであった。
本来であれば、敵の再攻撃を警戒して周囲の確認或いは退避機動に移らねばならぬ事態。
だが、レオは闇の中の一点にのみ視野と神経を集中せざるを得なかった。
今、目の前にある更に重要な問題に比べれば敵の動きなど些末な物と思えるほどの異物が視線の先には存在していた。
「そうか、そうか。あそこまで教えてやっても根っからの奴隷野郎では所詮その程度にしかなれないか」
そこにいたのは既に死した者。
尋常な手段では傷一つ与えられず、己の全てを投げうってなお刃が首に届かなかった仇敵。
あまりに強過ぎるが故に全てを捧げてでも奴への滅びを願ったが故に今の苦しみがあると考えれば、全ての元凶とすら言える者。
瓦礫の王、エンキ。
人としての自我を維持しながら人の道を外れ、生身にて人類全盛期に用いられた大型機動兵器級の戦闘力を有する、神格の領域にまで足を踏み込んだ怪物。
その成れの果てが見上げねばならぬ高みからレオを笑みを浮かべて見下ろしていた。
輪郭はおぼろげで闇と同化しつつあり、片目は液状化した皮膚に呑まれて潰れ、以前に顔を合わせた時よりも溶解が進んでいるのが見て取れる。
だが、そこには消えかけた残留思念にはない明確な意思があり、自我と感情の光が瞳には残っている。
嘲笑と共に呪いの様な捨て台詞を残して消えた筈のエンキの再来。
その意図をレオは読めなかった。
脳と心臓を冷やす様なエンキの声が、熱病に冒された様にふやけていた己の精神を正気に呼び戻した事だけは確かであった。
「あり方とやり方を教えてやって、実地で叩き込んでやってなお理解しない。お前は本当に才能が無い奴だなぁ?んん?」
やけに親し気であるエンキに対してレオは無言で応える。
言葉の隅々に至るまで他者を貶める悪意に満ちた語り口はまさしくエンキその人であるとレオは嫌でも認めざるを得なかった。
「どうした?魂まで腐った死肉になり替わったのか?」
これは偽物ではない、本物だ。
初めて目の前で対峙し、心を折られた時の感覚がレオの中で甦る。
エンキは力無き奴隷を見下す様にレオ対していつもの獣めいた笑みを浮かべながら暗闇の中を浮遊している。
「なぜまだ存在している、お前は既に―――」
「ああ、お前に喰われて糞になった」
「…ッ!」
「筈だったんだがな、どうも喰った奴のはらわたが弱くて溶け切らなかったらしい。だから―――」
食い殺された事を咎める事も無く、エンキは狼狽するレオを楽し気に眺める。
「せっかくだから腹いせに胃もたれと下痢の苦しみを与えてやろうと這い出てきてやったわけだ」
そう語るエンキの生首はゆっくりと高度を落としてレオの眼前へと向かってくる。
蛇に睨まれた蛙の様にレオの体は動かない。
「お前でも理解出来る様に手本を見せてやる。超越者という奴の生き方と楽しみ方をな」
レオの内にエンキが潜り込んだ。
――――――――――――
エンキが入り込んだレオに非常に不快な感覚が襲ってきた。
先程と違って明瞭に自我が残っているというのに体がまるで言う事を聞かない。
手足どころか指の一本たりとも動かない。
うめき声を上げたくとも口は動かず、混乱して周囲を確認したくとも眼球すらも己の命令を受け付けずピクリとも動きはしない。
呼吸をしているというのに、己の肺に空気が流れ込んでいく感覚がしない。
生きているという感覚、それ自体が抜け落ちているのに肉体に意識が残っている様な異様な感覚にレオは吐き出す事の出来ない吐き気を覚えていた。
そして、動けぬ自身のすぐそばで誰かの高笑いが止まる事無く響き渡っている。
「まったく!なり替わってみりゃよく分かる!こりゃ良い体じゃねぇか!昔の俺の体よりもよほどご機嫌だぞ!?んん!?」
いや、誰かではない。
叫び、笑っているのはレオ自身だ。
レオの体を乗っ取ったエンキがうずもれた瓦礫の中で嘲笑をあげているのだ。
「選手交代だ!」
意思に反して動き出した体は己が動かした時よりも軽快に、力強く天を突き破った。
まるで、それを動かしている者こそが本来の主だと言わんばかりに。
「良い肘撃ちだったなぁ!だが、あの程度でこの肉体が滅ぶならば俺は殺されてねぇなぁ!んん!?」
崩落した城壁の残骸の山から青みがかった太い腕が生えると共に、覆いかぶさっていた瓦礫と錆雪が周囲へと吹き飛ばされた。
周囲を埃と粉雪が勢いよくまき散らされる中でその男はゆっくりと立ち上がり、地面を力強く踏みしめた。
それは最早レオと呼ぶにはあまりにも雰囲気がかけ離れ過ぎていた。
そのあり方、言動、立ち振る舞いはかつての瓦礫の王、エンキその物であった。
「なッ!その気配ッ!その表情ッ!まさか貴方は瓦礫の―――」
「黙ってろ、肉塊」
「ッ!」
レオの体がレオの意思に反してヴィルに向けて急加速する。
何の事は無い、体を操縦するエンキが全身の筋肉をバネの様にしならせて跳躍し、砲弾の如く己の肉体をヴィルの元へと運んだのだ。
純粋な筋肉の操作と姿勢制御を適切に行うだけで距離という優位を殺し、近接戦を強いるという明確な技術と戦意。
ただ愚直に己の殴れる距離まで接近さえすれば、得物と手足だけで敵を叩き潰せるという絶対的な自信に満ちた強襲。
既に相手が絶対防御たるポージング形態に移行していようと関係ない。
殴れる距離まで近づいて叩きのめす。
それ以外の意思を削ぎ落した一切の迷いのない挙動。
先程まで戦ったひたすらに策を弄するだけの小物でも無ければ、正気を失って死の乱舞を放った意志なき怪物でもない。
それには明確な意思と智慧と殺意が存在していた。
年季の入った確立された身のこなしと老いぬ肉体が生み出す無限の力の融合。
驚愕の中でヴィルの脳裏に浮かぶ答えは一つのみ。
これが出来るのは筋肉鍛錬の旅の折にただ一度だけ相まみえた―――。
「慣らし運転無しでこれだけ動けるならば合格だァ!これを腐らせるとは逆に才能があるなァ!レオォ!」
ポージングによる絶対防御でもって敵を迎え入れたヴィルに対し、エンキの操るレオは懐に突入すると同時に突き上げる様に左膝蹴りを放った。
するどく刺し貫くが如く放たれた膝蹴りがレオの精神の象徴の様に脆弱な『理性の鎧』を砕きながら、ヴィルの腹に突き刺さり容易く浮き上がらせる。
エーテルを纏った物質同士がぶつかり合った時に起きる青い燐光と甲高い金属音が二人に悪魔憑きの肉体の激突によって巻き起こり、大気を震わせる。
「ガラクタなんぞ着飾った所で所詮は奴隷!」
砕け散ったがらくたの鎧の下にある青く太い筋肉質の足に一切の損傷は見られない。
今や、廃材で作られた半端な金属装甲よりも上位悪魔憑きであるレオの肉体の方がより強靭で強固だ。
武器すら持たずにポージングがもたらすエーテル防壁を貫通された驚愕と鈍痛に固着した笑みのままに深く眉間を寄せるヴィルに対し、中身の変わったレオが獣めいた笑みを浮かべる。
「よく理解しろ奴隷!お前の肉体にはこれぐらいの事が軽く出来るという事をなぁ!」
歓喜に満ちた叫びと共に舞い戻った左足が強く地面を踏みしめ、未だに未練がましく纏わりつく脚部の鎧を破砕する。
そのまま前傾姿勢に移行しつつ、宙を舞いながら驚愕するヴィルの顔面に渾身の右ストレートが叩き込まれる。
金属同士が擦れ合うような不快な高音と共に右腕にまとわりつくスクラップと廃品の外骨格ででっちあげられた鎧がまたもや砕け散る。
超越者にこんな玩具など必要ない。
エンキは言葉と共に、衝動に駆られた殺意と行動で以てレオにそのあり方を示した。
「ぬぅおおおおおッ!?」
今度はヴィルが吹き飛ばされる番であった。
イナゴレイダーが最初に突き破ってきた側の城壁へ向けて殴り飛ばされたヴィルはその途上にある要塞化された住居へと砲弾の如く激突して建物の倒壊に巻き込まれ、その姿を消す。
「その気になればあんな雑魚二匹にてこずる事すら無いというのに、このザマだ!その上、おつむも乗っ取られてただのデク人形に甘んじる!随分な喜劇じゃねぇか!んん!?」
今やエンキに支配されたレオは瓦礫の下敷きになったヴィルを嘲笑うかのように一瞥すると己が埋もれていた瓦礫まで跳び、何かを探す様に周囲を漁り始める。
「お、あったあった。こいつも俺の鉄砕きよりよほど上物じゃねぇか?んん?」
手に取るは黒く変色した来訪者の剣、『落日』であった。
エンキは手を伸ばしてその柄を握ると数度城壁に剣を軽く振るい、その威力を確かめる。
増築を繰り返し、強化され続けた鉄筋コンクリートや岩、レンガが混成された壁が剣が振るわれるごとにバターの如く容易く切り刻まれていく様を見てエンキは耐えきれないとばかりに笑い出す。
「おいおいおい、これだけ下駄履かせて貰っておいてあんな小物二匹になんでこんなに苦戦してるんだぁ!?この体の持ち主さんは!?」
乱雑に剣を投げ捨て、体を空へと仰け反らせて大口を開けてレオの肉体を奪ったエンキが笑う。
それは嘲笑であった。
おおよそこの世界で生きていくのに必要なすべてを与えられておきながら、使いこなせずに腐らせる愚かな者への侮蔑に満ちた笑いであった。
一しきり笑い、唐突に訪れた感覚の喪失と視界の歪みにエンキの精神は平常に戻る。
やはり、あまり時間は無いようだと再度エンキは理解する。
所詮はこの復活も仮初、油断していた捕食者の腹で暴れて吐き出されたに過ぎない。
衝撃から立ち直れば力の上で優位なのは己を取り込んだ物の側、すなわちあの神を称する忌々しい唇お化けだ。
その古い神がエンキから支配を奪い返そうと猛烈に綱を引き始めている。
このまま終わっては意味がない、面白みも無い。
腹の中で溶けるに任せて楽しく奴隷が苦しむさまを観戦していた所をそそのかされて出てきたからには果たすべきことは果たさねばならない。
故に、濁った空を見据えるその顔は唐突に憤怒の相へと変わった。
「ふざけるな!この俺を滾らせた獲物がこの程度のゴミ屑だったなんてのは許さねぇぞ!」
エンキの怒りは全て、一度は嘲笑したレオへと向いていた。
この瞬間も、成すすべなくされるがままの弱い奴隷のあり方から抜け出せぬレオに対し、エンキは怒りを込めて叫ぶ。
「今この瞬間ですら俺から体を取り戻そうという気概すら感じられん!てめぇのケツすら守る気のねぇ屑に俺は食い殺されってたのか!?んん!?」
無論、レオはエンキに体を奪われてからこちら、体の主導権を奪おうと暴れている。
だが、強固なエンキの自我が発揮する統制力の前にはまるで歯が立たない。
元々が人の神に組みしだかれる程度の脆弱さ、悪魔憑きたる強固な自我を持てずに右往左往した末に肉体だけが先に最高の性能に到達したに過ぎない凡人の前には神格級存在への抵抗力などありはしない。
だが、エンキは知っている。
レオがただの奴隷にはない爆発力を持っている事を。
絶対に譲れない物の為には己を捨てられるタイプの殉教者である事を。
命を失うほんの直前、尊厳を失う瀬戸際においてのみ、捨て鉢になった瞬間に開き直る事で発揮させる強みを持っている事を。
元より、そうでなくては困るのだ。
ただ流されるだけの有象無象の一つに殺されたとあっては己の沽券に関わる。
「決めたぞ奴隷!貴様の体を完全に手に入れた暁には貴様の全てを奪ってやろう!お前の仲間も故郷も!女子供も残さず皆殺しだ!徹底的に破壊してやる!破片一つ残さずになぁ!」
それは明確に一線を超える発言であった。
今のエンキは知っている。
レオが己の命や感情以上に信奉する物がある事を。
喰われて混ざって一つになったからこそ、その奥に潜む一度湧き上がれば止まる事の無い激情の源泉を理解している。
簡単に始末出来たレオが二戦目において異常な粘りと戦意で以て肉薄してきた理由を。
レオを突き動かす衝動のトリガーとなるのは結局のところ、それしかないという事を。
「貴様の故郷だけでは済まさん!地下に籠ってる人間ども全て見つけ出して根絶やしにしてくれる!旧人類とやらを貴様らが拘っている歴史とやらの羅列に変えてやる!」
エンキの啖呵が終わったと同時にレオの体に緑の炎が荒れ狂う様に灯り、火の粉が舞い上がった。
強い拒絶と怒りの感情が炎となってエンキを焼き払わんと暴れ出す。
エンキの内に急激な敵意が渦巻いていく。
だがまだ足りない。
エンキは湧き出始めた歓喜と共に尚もレオを嘲笑し、冒涜する。
「はっ!今更遅いんじゃないのか!?全て手遅れだ!あの神気取りに屈した時も!俺に体を取られた時も!お前は何をした!お前に意志など無い!奴隷の貴様に何が出来る!何か出来るならばこの俺に見せて見せろッ!」
反論するようにレオの体に緑の炎が灯り、燃え上がった。
―――――――――
どうして誰も放っておいてくれないのか。
なぜ、安らかに死ぬ事すら許してくれないのか。
既に人としての人生など、とうに終わっている筈なのに、終われない。
人としての尊厳を守って自爆した瞬間から、己の運命も人生も全てが他人の掌の上で転がされるものとなってしまった。
それがレオの胸中に常に存在している拭い様の無い苦しみであった。
なぜ決意する度に、先に進もうとする度に足元が砕けて無間地獄に落ちていく様な感覚を覚えねばならないのか。
死に損なって一人残され絶望し、このままでは終われぬと立ち上がった。
だが、それも仇敵たる異世界の神スーラにお膳立てされた物であった。
逃げ場のない夜の世界で迫りくる屍者と夜行種に囲まれながら、己すらも異形に変貌しようとした時、人の側に留まろうと死力を尽くした。
だが、それも更なる古い神格の加護あればこそであった。
万策尽き、己の命すらも消えかけた時に全てを捨ててでも尊厳を奪い嘲笑する瓦礫の王に挑んだ。
だが、それも結局は人の神の逃れられぬ抱擁に絡めとられるだけであった。
最早レオには何もない、生きているだけだ。
縋るべき望郷すらも、その過去の根源にあの『人の神』がいるとなれば安らぎなど欺瞞にすぎぬと悟るしかない。
スーラという首に絡まった鎖を千切った先に待っていたのは、更に強固で入り組んだ人の神という鎖の牢獄だ。
眠れば聞こえてくるのは高みに登れという人の神の命令、起きていれば見えるのは己の保身を狙って暗躍する神の蠢動。
当然、碌な未来などありはしない。
過去が神の掌の上ならば、未来は神の口の中だ。
進み続けた先にあるのは、積み上げた先にあるのは恐らくはあの者の望む何かでしかない。
言うまでも無く、今すらレオにはない。
過去を奪われ、未来はなく、常に変異と暴走の恐怖に苛まれ、進むべき道など見当たりはしない。
終わる事の無い飢餓感と色彩の狂った視野が齎す狂気。
闘いでは避けられぬ血の味と匂いで意図せず自我を奪われるかもしれない恐怖を誰が理解できるというのか。
いついかなる時にも心に平安などなく、考えても解決の策など無く、思考は常に堂々巡りの果てに放棄するしかない。
だというのに、どいつもこいつも纏わりついてきては己の都合を押し付けてくる。
人の形を残しているだけの信用ならぬ汚染者ども、呼吸の度に不快感を催す不浄な大気、あらゆる死を内包した理不尽な大地、物理法則を無視して荒れ狂う怪異、無意味に個性的な不愉快な害獣ども、狂える神々ども。
その全てが己の安寧を奪い、自我すら冒してくる。
全てを捨ててでも同胞の未来を守ろうと決意し、人としての尊厳すら捨てたというのに得た結末は神の傀儡という神を信じぬ者にとっては最も悲惨な結末だった。
それでも、それでも生きる事を強制される。
それがどれだけ理不尽な事かを誰も理解など出来ないし、しようともしない。
そして今度は殺したはずのエンキすらも墓の蓋をぶち破ってちょっかいを出してくる始末。
いい加減にしろ。
終われないならば、何が有ろうとこの手で終わりにしてやる。
最早抑え込む事の出来ない怒りにレオは強く拳を握りしめる。
己の肉を焼き焦がさんと燃え盛る緑の炎に包まれた顔には殺意と憎悪の色が増し、額には深い皺が刻まれ、かみ砕かんばかりに噛みしめた鋭い牙がむかれていく。
その視線の先にいるのは瓦礫の中から這い出してきた悪魔憑き、ヴィル。
今や限界まで抑え込まれてから解放されたバネの如き憤怒が不運にもその場に居合わせたヴィルに叩き込まれた。
体の筋肉を最大限に利用したバネの様な動きと己を焼き尽くさんと燃え盛る炎を加速に使った疑似スラスターの両立。
それがレオをエンキすらも超えた人間サイズの弾頭へと変貌させる。
今やレオに思考などない。
あるのは感情だけだ。
全てを憎み、滅ぼしたいという衝動だけがレオを突き動かし、エンキから体の自由すらも奪い返して見せた。
その憎悪の塊というべき意思が放つのはただひたすらに相手を破壊する為だけの鉄拳。
大振りでありながら、腕自体を疑似スラスターで強制加速された拳がヴィルのポージングによって構築された防壁を貫通して鍛え抜かれた筋肉を打ち据える。
『そうだ、怒れ!貯め込まずに吐き出せ!己の欲望を解き放て!』
今度は体の自由が利かぬという感覚をエンキが味わっていた。
だがその顔に不快感は無く、むしろ歓喜と満足感に満ちている様にさえ見える。
遂に不出来な学生が満足の行く成果を見せたと言わんばかりだ。
「ぐぅっ!この男、一体…ッ!?また違う気配にッ!?」
宙に弾き飛ばされた筈であるのに、数瞬後には目の前に現れる巨躯の悪魔憑きレオの重過ぎる連撃がヴィルの体をピンポン玉の様に空と大地の間で跳ねまわらせる。
エンキの示した悪魔憑きという存在のあり方と戦い方、それに己の見い出した抑えきれぬ感情を乗せてレオはヴィルに躊躇なく肉薄し続ける。
そこには最早、人の神への恐怖や血による暴走を恐れるといった感情は残っていない。
目の前にいる存在を己の力で以て否定し、殺す。
それが今のレオを突き動かす感情だ。
『良いぞ、らしくなってきたじゃないか。んん?』
すぐ耳元で響いた言葉に対する返答の様にレオは自身を焼く炎を強めていく。
憎いのは世界だけは無い、人から外れた己自身すらも対象だと言わんばかりにレオは己を焼き払わんと緑の炎をまき散らす。
その情動、衝動にエンキは歓喜の色を強めていく。
『悪魔憑きに過去も未来も無い、今だけだ!抑えられぬ衝動のままに砕け散るまで突き進み続けろ!』
エンキの叫びを打ち消す様にレオが咆哮をあげる。
あらゆる限界を超えたレオの叫びには、おおよそこの大地にある全ての命と存在への怒りと憎しみに満ちていた。
指図する物は容赦なく打ち砕く。
人の世すらも最早どうでもいい。
己が全て焼き尽くした後、生き残った同胞達がなんとかすれば良い問題だ。
ただただ、全てが憎くて仕方がない。
この狂った世界も、身の程を知らずに外へ出たいと願ってこの様に成り果てた自分自身すらも。
憎まずにいられようか、狂わずにいられようか。
義務でも無く願いでも無く、最早それ以外に選べる物がない。
この内から収まる事無く湧き上がる衝動に理屈など無い。
理論など無い。
抑えようなど無く、抑える必要も無い。
全てを焼き尽くし、己も消えてなくなる。
神になど、何一つとして残してやるものか。
残る生の全てはこれを成す為だけにあるのだという強い確信がレオを支配していく。
何も捨てる必要など無かった。
最初からこの衝動を認めて身を任せておけば良かったのだ。
回りくどい理由などもういらない。
後は確固たる意志で進むのみ。
知恵を捨てるな、それは敵を滅ぼすのに必要だ。
尊厳を捨てるな、それは己の進むべき末路と否定すべき物を示してくれる。
絶望を捨てるな、それは己を奮い立たせる怒りと憎しみを燃え上がらせる為に必要だ。
体と力は既に出来上がっている。
あとは捨てた知恵と尊厳を拾い直し、衝動と共に叩き込むのみだ。
出来る、今ならば出来るのだ。
纏わりつく亡者どもを投げ捨て、捨てた物を拾い直し、望む方向へと歩いていくだけだ。
「砕け散れぇいッ!」
空中においてなおも加速するレオの右腕がヴィルの顔を捉えて撃ち抜き、城壁を超えた彼方へとヴィルを叩き出す。
ヴィルを殴った勢いのまま城壁に着地したレオが無造作に城下に右手を向ければ、応えて腕に収まるのは黒い刀身の剣。
見据える先にあるのは滅ぼすべき敵。
ヴィルが着弾していたのは奇しくも先に使役していたトライポッドの背であった。
突然起こった背後からの強襲に、前に仰け反ったトライポッドが必死に足を前に出して姿勢制御を取ろうともがいている。
まだ生きていたことにレオは何の感慨を抱かなかった。
拾い直した知恵が吐き出したのは。まとめて始末するには丁度良いという論だけだ。
ヴィルに視線を合わせつつレオが剣を振り上げると、黒い剣に緑の炎が宿り徐々に剣先に収束していく。
剣の先に生まれたのは緑色の火球であった。
人であったレオが無意識に用いたのは来訪者の技ではなく人の技術の模倣であった。
かつて使っていたようなプラズマ砲というには不格好だが、使えれば何でも良い。
出来て当然、そうあって当たり前であるという風にレオは剣を軽く振り下ろす。
剣先に停滞していた火球が高速でヴィルめがけて射出され、トライポッド諸共焼き尽くす。
『それで良いぞ。合格だ』
焼き爛れていくトライポッドを無表情で見下ろすレオの横で、体からはじき出されて消えかけのエンキの生首が祝辞を述べながら燃え尽きていく。
レオは遂に、理屈ではなく情動と衝動で動く悪魔憑きとなったのだ。
今も燃え上がり続ける怨嗟の炎に焼かれるエンキは徐々に薄くなっていく意識の中で歓喜に打ち震える。
遂にこの男のエンジンに火が付いたという喜び、その最後の一押しとなる事で最後の役割を終えたという達成感。
最早尽きる事の無い憎しみと拒絶を燃料に全てを否定するために走り続ける暴走車と化したこの男を再び人の神が制御に置く事など早々出来はしないだろう。
己を喰らった者への意趣返し、己を殺した者を本物として完成させた満足感、そしてこの者の内に眠るもう一つの神との密約の達成。
城壁より地を見下ろすレオにエンキは消えさる間際、優しく囁いた。
『やりたいようにやれ。気にする必要などないだろ?んん?』
遥か下に見えるのは先程までトライポッドであった燃え尽きた肉塊と、その上に立つ悪魔憑きヴィル。
更に後方には生き残った兵を運ぶレナルド、地に伏せるボースとキド、そして回収に走ってくるトラック。
「心臓無く動く化け物よ!王殺しの怪物よ!その程度では私の筋肉は屈する事は無いぞ!」
最も優先すべきは言うまでも無く、何かを喚き散らしている敵の破壊。
だが、ふとした違和感にレオは眼だけを動かして横を見やる。
そこにあったのは半ば溶けかけながらも、いや溶けているからこそ耳に固着してへばりついているガスマスクであった。
理性を守るために、正常でいる為に必死に守ってきたそれも今となってはうっとうしい物でしかない。
この世界で生きるのに必要なのは理性ではなく、感情だ。
知恵の行使を阻害する理性や倫理など最早必要など無い。
耳に引っかかっていたガスマスクを強引に引きちぎり、レオは黒い剣を構えながら城壁を飛び降りた。
悪魔憑きはエンキくんを登場させたときから何かしらテーマ性というか個々に衝動という拘りを持たせる事を重点に考えてきました。
エンキくんは他者から奪う事、イナゴさんは強くなる事、ヴィルさんは筋肉を鍛える事、クロエさんは殺す事という感じでそれを最優先しながら人命、法律、倫理その他を一切合切無視して面白可笑しく生きている文明社会と人類の敵どもという感じの作りになっております。
主人公に関しては概ね地上の狂った全てに対する否定を衝動として与えようと構想してきましたが、ようやく実装できた塩梅です。
やたら我慢強い無難な常識人をキレさせるには自分の技量ではこれぐらい追い詰めんといかん勝ったという感じです
今回はここまで




