九話、デュラハン・レイダー
なんか主人公よりも敵の方がヒロイックになる不具合
己の首に剣が突き立てられると同時にイナゴレイダーの視界は闇に包まれた。
直後に首を刎ねられたが故である。
それでも、イナゴレイダーが絶命する事は無かった。
昆虫には複数の部位に脳の機能を持つ種が存在し、昆虫型悪魔憑きに変異したイナゴレイダーもそれに倣って胸部に予備の副脳ともいえる内臓器官を有していた。
今や本来の主となる頭部を失った事で肉体の操縦と生命維持は副脳に一任され、それ故にイナゴレイダーは未だに戦闘が可能な状態を維持している。
だが、副脳が司るのは非常時の生命維持だけではない。
本人すらも忘れ去った遠い日の記憶を副脳はしっかりと保持している。
すなわち、イナゴレイダーがまだ『弱い奴』たる唯の人であった頃の記憶の残滓だ。
副脳は覚えいている。
変異によって己の脳が引き裂かれて二分され、胸部へと無理矢理押し込まれた時の狂気の感覚を。
骨が皮膚を突き破り、砕け、薄い膜となって肉体を覆って外骨格へと変貌していく激痛を。
外骨格と化した骨に押し潰され、無理矢理変形していく肉の感触を。
背が割れ、ある筈がない昆虫羽根めいた器官が形成され、本来あるべきはずの顔から眼玉がずり落ちて異形のそれへと変貌していく恐怖を。
何より、錯乱した精神が放り出された暗黒空間の中で遭遇したあの邪悪なる数多ある口の顔の無い怪物を。
矮小なる頃に信じた機械の神へ助けを求めて絶叫し、L字をきって懇願し、しかし救いなど一切訪れなかった絶望を。
知りたくなど無かった。
世界はこれほどまでに単純で、救いがないなどとは。
救いをもたらす神などおらず、目の前にいる者こそが全ての人の神であったなんて。
だが、精神が焼き切れるまさに最後の瞬間に聞こえてきたあの音がイナゴレイダーの最後の理性を繋ぎとめた。
自身が住む村に唯一存在した娯楽、旧時代の映像作品を流す野外劇場から漏れてきた特撮ヒーローのオープニング曲。
完全なる闇に沈む夜だからこそ上映出来たそれはイナゴレイダーが唯一知る文明の力であり、昆虫型の装甲服を着る主人公が活躍する姿は心に強く焼きつけられていた。
古代の言葉は分からないが、平凡に暮らす男がある日拉致され、改造され、悪の組織と戦うという冒険譚。
それに人であった頃のイナゴレイダーはその姿に励まされ、焦がれ、毎夜の如く映画に通い詰めていた。
その日もまた、映画を見る為に家を出、運命に全身の肉と骨を引き裂かれたのだ。
暗黒の存在との遭遇に全てを引き裂かれ、精神が砕け散る間際にその曲を耳にしたイナゴレイダーは全ての事象を妄想で捻じ曲げた。
目の前にいるのは断じて終わりの果てにいる人の神ではない。
全ての人間を呑み込む暗黒ではない。
こいつは悪の組織の首領であり、自分はその者に改造手術を施されているのだ!
あの映画のように!あの主人公のように!この悪を破壊するのだ!
「悪の総統めッ!いずれこの俺が滅ぼしてやるッ!正義の鉄槌を震えて待てッ!」
いつもの口調で重複する問いを投げかけた唇たちはそれを聞いて閉口して去っていった。
また外れであったと理解したが故に。
狂気で持って神を退けし狂人、それこそが悪魔憑きであるが故に。
悪は去り、イナゴレイダーの魂は現世に残された。
だが、終わりではない。
奴はこれからも同じことを繰り返し、力を得ようとするだろう。
倒さねばならない。
それには弱者は存在してはならない。
弱い奴は食われる。
そして、奴は食うだけ強くなる。
ならば、弱さは悪だ。
神に勝たねば全てが奴に喰らいつくされる。
強い奴しか生き残れない、強い奴らが数多おらねば勝つ事は出来ない。
世界を守るには弱者を廃して強者だけの世界を作らねばならない。
『強い奴』は弱い奴を倒して強くあり続けなければならない。
哀れな男は最後の憧れに縋り、それすらも捻じ曲げ、記憶と理性を焼き尽くし、『イナゴレイダー』と成り果てたのだ。
その記憶は、主たる頭部の脳には残っていない。
イナゴレイダーの頭部の脳は心を守った反動で残された混濁した意識と記憶が混ざった空虚な混沌だ。
全ては二つに分離し、胸部に押し込められた副脳の中にある。
主導権が副脳に移った段階で、イナゴレイダーの歯止めとなっていたなけなしの理性は完全に消失した。
今、残っているのは生存を第一にしたひたすらに強さを求め続ける怪物、故に―――。
イナゴレイダーは頭部の無い肉体に力を入れ、重心を落とし、戦闘体勢に移行した。
――――――――――――
流れが変わった、そう判断した時にはすべてが手遅れであった。
頭部を失ったイナゴレイダー天高く振り上げた足をゆっくり確かめるように地面へと降ろし、二本の足が己の最もたる武器として十全に動く事を確認すると自身をレオへと突き刺さる弾丸と化した。
武器は持っていない。
しかし、外骨格の腕を手刀の形状で構えて突っ込んでくるイナゴレイダーは二刀流の剣士を連想させるものであった。
首を刎ねる為に両手持ちにしていた剣を片手に戻し、盾に手を掛けた時にはイナゴレイダーはレオの懐に入り込んでいた。
エンジンの死んだバイクを地面を蹴って推進させる脚力、先程も巨大かつ重戦車の如き重さとなったボースを軽く蹴り上げる致死の一撃になりえる脚、それを機動の要として用いたイナゴレイダーの機動に追随するのは生半可な事ではない。
攻撃が来る、そう判断する前にレオの胸部に衝撃が走り視界が揺れる。
「…ぐっ!」
イナゴレイダーの手刀による打撃は正確に初撃でへこまされた胸部装甲を捉えている。
目的は装甲の破壊、そしてそこから手刀を差し込んで臓器を潰す事だろう。
レオは機動歩兵時代に行ったミュータントとの戦いでそうした性質を持つ個体がいた事を思い出した。
あれは悲惨だった、強化外骨格に群がる化け物の群れと仲間の絶叫は今でも忘れらない。
「キッドォ!支援しろぉ!」
なんとか持ち直した盾を構えつつ、レオが叫ぶとそれに呼応して再び無数の弾丸がイナゴレイダーに飛来する。
レオの声にキドだけでなく、あっけに取られていた補充兵たちも支援を再開したのだ。
「俺ごと撃って構わん!支援を絶やすな!」
叫びながらレオは赤い刀身の剣、『落日』を振り上げてイナゴレイダーへ向かう。
イメージするのは背から噴出されるスラスターの炎とそれを用いた高速機動。
相手が速度に特化した存在ならば、徒歩ではあまりにも頼りない。
エンキの時にも用いたエーテルを用いた強制加速をもって相手の動きに追随するのみだ。
「邪神!消費を抑えろッ!全力で行く!」
強制加速によって若干仰け反りながら、銃弾の雨の中に突っ込むレオの内から黒い靄が滲みだす。
「肉体よ、面白い個体が出てきているようだな。頭部無しで動くとは中々に興味深い」
「御託は良い!前みたいにエーテル消費を抑えろ!共倒れは嫌だろう!」
「分かっているとも。我らは一蓮托生、出来る限りはやってやるとも」
イナゴレイダーに頭部が残っていれば黒い影を全身から滲ませた装甲服を着たガスマスクの大男が背後に緑の炎を噴き出しつつ迫ってくるという珍妙な光景が見えたであろう。
だが、頭部の無いイナゴレイダーは最早何も見ず、語る事無く無言で手刀を構えながら機動を続けて最適な角度と位置からの迎撃を試みる。
「警戒しろ肉体よ、奴の感覚器官は胴にもあるようだ。恐らくは耳が残っている」
頭部を失ってなお、正確にレオの位置を把握するイナゴレイダーの有り様にレオが邪神と呼ぶ同居者、スーラが警鐘を鳴らす。
「構わん!要は殺せば良いだけだ!」
剣を握る右手に力が入り、それに呼応して赤い剣が緑の炎を纏う。
エーテルの消費をスーラに任せるが故に、レオは一切の躊躇なく攻撃と機動に体内のエーテルを注ぎ込む。
果たして両者が攻撃可能距離まで接近した時、この殴り合いに勝利したのはイナゴレイダーであった。
強固な悪魔憑きの外皮を容易く切り裂く魔剣の一撃を、しかしイナゴレイダーは裏拳で刀身の腹を殴って軌道を逸らす事に成功したのだ。
振り下ろされた剣を丸めた左手で殴り反らされ、残った右手を盾の間をすり抜けつつ再び正確にへこんだ装甲に叩き込まれ、装甲がひしゃげて僅かに穴が開く。
攻撃に失敗したレオは地へと落とされ、反動でイナゴレイダーは空を飛ぶ。
次に同一カ所に攻撃を受ければ確実に貫通するだろう。
「くそッ!目が見えてない癖に…ッ!」
「奴の方が経験もセンスも上であろうからな、肉体よ。お前たち人類は射撃戦主体であるから無理もない」
地へと叩きつけられ、茶色い錆雪を吹き散らしながら地面をカーリングの石の如く滑った後にレオは住居の壁に叩きつけられた。
追撃を考え、咄嗟に盾を前方に構えるがそれが来る事は無かった。
代わりに見えたのは地獄の様な殺戮の光景であった。
レオを地に下したイナゴレイダーは、その攻撃の矛先を支援を行っていた補充兵達に変えたのだ。
イナゴレイダーは空への跳躍後、林立する住居の屋根に降り立つとそれを発射台として踏み砕きながら、補充兵達の居座る要塞化された住居に突入した。
頭部を失う前はうっとうしい程度の攻撃、それに気を取られる事は女々しい事だと思っていた主脳と違い、頭部が欠損して外骨格に穴が開いた状態の副脳は小火器の攻撃をも致命傷になりえる脅威と判定した。
故に、最も危険な脅威であるレオを一時的に無力化したならば、向かうのは雑兵たちである事はイナゴレイダーの中では当たり前の事であった。
『強い奴』が『弱い奴』に敗北する事など、あってはならないのだ。
キドが先に狙われなかったのは複数の住居の内、その二階や三階に分散展開した兵達と違い、地面にあって拳銃を持っていたからに過ぎない。
上からの撃ち下ろしは傷に命中する可能性が高い、故に補充兵たちの命運はここで終わりを迎える事となった。
補充兵達の立て籠もる家が、イナゴレイダーの突入と同時に次々と爆発する。
イナゴレイダーが屋内をピンボールの如く跳ねまわり、自らの脚力によって床を踏み抜き、柱を蹴り砕き、家の構造自体を破砕した事で自重を維持出来なくなり倒壊したのだ。
イナゴレイダー自身は、最後に破壊する柱を踏み台として次の家に突入する事でその崩壊から逃れると同時に次の標的への攻撃を行っている。
攻撃と機動と退避を同時に並行した戦闘に特化した副脳であるが故に行える高度な戦術であった。
補充兵達は家の倒壊に巻き込まれて生き埋めとなり、外に飛び出して難を逃れようとしたものは更に悲惨な運命をたどる事となった。
逃げ出した彼らには合羽などの防御装備が無かったのだ。
即席で揃えた補充兵、武器を持たせて撃つだけの仕事以外を期待されなかった彼らは逃亡防止のために一部の見込みある者以外は地上用装備を持たされていない。
生身で外に放り出された補充兵は雪に触れると徐々に体が不自然にねじ曲がり、地面に倒れ伏していく。
骨が錆びた鉄の如く砕けて姿勢を維持出来なくなったのだ。
最早レオやボースの青い血を用いねば救いの術はなく、彼らは使い道を示せなかった雑兵にそれを恵む事は無い。
許されるのは残された生を激痛と恐怖に苛まれながらのたうち回る事だけだ。
レオが体勢を立て直すまでの僅かな間に補充兵の立て籠もる全ての住居を破砕したイナゴレイダーは再びレオの前に手刀を構えて対峙する。
数と地形の有利は最早なく、少数が戦術を駆使する多数を蹂躙するという理不尽はまたも再現される事となった、
これでこそ、悪魔憑き。
エーテルが存在する世界であるからこそ許される異形の怪物。
助かったのは補充兵を指揮していたボースの部下たるレナルドとその直属となった補充兵数人のみ。
盤石な布陣は崩壊し、更に敵の増援までもが到着した。
「むっ!やはり生きていたかイナ…頭が無いではないか!」
城壁側より上がった声に対峙するレオとイナゴレイダー以外の全員が振り返る。
そこにいるのはポージングと笑みを崩さない筋肉の怪物、ヴィルであった。
「無事なのかイナゴ!?なんと痛ましい…!」
イナゴレイダーの姿にヴィルの笑みが苦悶に曇る。
光沢のあった外骨格は炎に焙られてくすみ、背は羽根を失って焼け崩れ、頭部は消えた首からは今も蒼い血が僅かに漏れている。
緑の炎を纏うガスマスクの大男が持つ赤い剣を弾いた左手も外骨格が黒く焼け焦げて亀裂が走り、イナゴレイダーの肉体が限界が近い事をヴィルに理解させた。
だが、それでも―――。
イナゴレイダーは砕けかけた左手を握りしめ、ヴィルに向けて二本の指を立ててその健在ぶりを示して見せた。
いわゆるピースのサインである。
「イナゴ…ッ!お前は筋肉が少なくても男の中の男だ!俺はお前を見捨てないぞ!」
イナゴレイダーは構えを取ったまま、直立不動を崩さない。
しかし、感極まったヴィルの言葉に反応するようにピースサインは親指だけを立てたサムズアップに変わった。
次いで、そのまま立てた親指を下に向けて『くたばれ』の形に変えてレオに差し示す。
イナゴレイダーの戦意は微塵も衰えてはいない。
そして、戦いは終幕に迫っている、レオはそれを理解して盾と剣を向けたまま叫ぶ。
「ボースッ!回復は出来たかッ!?」
イナゴレイダーに蹴り飛ばされ、戦線を離脱しているボースへの問いであった。
復帰不可能であれば勝機は低く、再び暴走するしか方法は無くなるだろう。
「ッ!言われるまでもねぇ!まだやれるに決まってるだろうがッ!」
苦しげだが、しっかりとした意志を感じさせる口調でボースは叫び返してきた。
これならば、まだ対等だ。
「ならばあの筋肉達磨は任せる!頭無しは俺がやる!キッドはボースを支援しろ!」
返事はない。
しかし、レオはイナゴレイダーの背後で立ち上がったボースがキッドや生き残りの補充兵を引き連れて乱入してきたヴィルに対峙するべく動き出したのを確認した。
それぞれの担当は決まった。
勝てないにしろ、時間稼ぎはしてくれるだろう。
まずは最大の脅威の首無しの悪魔憑きを倒さねばならない。
腹を決めたレオが再度大きく息を吸って最後の予備戦力に招集をかけた。
「化け物どもぉ!起きろぉ!殺せぇえええッ!」
レオの背後でバリケードが不自然に外された家の外壁が吹き飛び、内部から見覚えのある異形の怪物たちが湧き出してくる。
戦いの前に『間引いた』補充兵に蒼い血を与えて作った謹製のミュータント、個体数は五体。
エンキ戦にも用いた生体兵器をレオは今回も用意していた。
これを投入するならば、キドはむしろ邪魔になる。
レオ以外の全てを捕食対象としか見なさないからだ、
「これが最後の予備戦力だ。これで勝てなければお前の勝ちだ…」
レオは盾と剣を構え、背後から迫るミュータントたちが自身を追い越すと同時にそれらを肉の盾にしてイナゴレイダーに向けて最後の攻勢に打って出た。
イナゴレイダーは最早人間というよりは昆虫型のミュータントと呼んだ方が近い程に重度の変異をし尽くした悪魔憑きです。
二つの脳に脱皮による高速再生、異常な脚力と羽根による短距離飛翔と能力自体に隙は少ない近接型悪魔憑きとなっています。
脱皮には前回よりもわずかに強固になるという特性もあり、酷く痛めつけられる程強くなりやすい傾向にあります。
主たる頭の脳と胸部にある予備の脳、両方を破壊されてようやく生命活動を停止するその特性は悪魔憑きの中でも例が少なく痛覚の鈍さと外骨格の強固さも併せて、頭部を捨てて本気で戦えばエンキに良い勝負が出来るという所までは来ています。
これも日々エンキ様に罰として殴られ、蹴られ、腕を引きちぎられ、スパーリング相手としてぼこぼこにされてきた成果であるのです。
最も、変異が重度である程、悪魔憑きへの負担も大きくなり自我も記憶も蒸発するという弊害が起き、イナゴレイダーの場合は特に重かったために既に自分が何者であったのかも故郷や家族の事も全てが苦痛と狂気の中で燃え尽きて消え去ってしまっています。
残っているのは正義へのこだわりだけです。
故に、最強であったエンキを正義の味方として信奉して全力リスペクトしているのです。
本体の頭の方は自分の事を正義の味方と勘違いしており、壊れたバイクを自慢の脚力で走らせて暴走するという珍妙な存在で収まっています。
その由来は作中通り、故郷において愛した映像作品に由来し、本人は忘れていますがバイクも故郷から持ってきた思い出の品となっています。
正義は決して砕けないという狂気の信仰によって強化されたバイクはイナゴレイダーにとってのチャリオットの様な物であり、信仰がある限りは鉄砕きと同等規模の強度を誇る神器となっています。
ひとえにイナゴレイダーの真摯な狂信ゆえであるので、持ち主が死ねばバイクはそれまでの経年劣化と破壊活動に耐えられずに塵になって消える運命にあります。
今回はここまで




