八話、雪合戦
正月投稿間に合わず
開戦の狼煙となった一撃は迫りくる二人の悪魔憑きに直撃し、蒼い閃光と炎が爆心地を覆い尽くした。
爆発し、四散しようとした青い炎はその直後、狂ったようにねじくれながら内側へと強引に押し戻され巨大な球形へと変化する。
蒼い輝きを放つ丸い火球、それは地上に顕現した太陽の如き物であった。
高熱を発するそれは外においては周囲の錆雪を解かし、内においては中に存在する全てを焼き尽くしながら徐々にその大きさを狭めていく。
これを作り出したキドですら、己の銃弾が何を引き起こしたのか理解していない。
恐らくは燃焼アノマリーと重力アノマリーが複合したのだろう。
相手が悪魔憑きであろうと弱小であればこの一撃で決着がつく、それ程に今回のアノマリー弾は『当たり』の部類であった。
少なくとも、銃内で暴走して射手を吹き飛ばさなかった時点でキドにとっては及第点だ。
致命打になりえる効果を発揮したならば最早満点と言って良い。
「上手くいったな、今回は大当たりだ」
収縮していく火球を眺めながら魔弾を放ったキドが数歩横に歩きつつ、ずれた帽子の位置を直してから背後から支えてくれていた主であるレオの顔を見る。
それは心の底からの本心であった。
その時々で手に入る物資を元に経験則で作っている魔なる弾丸は再現性などありよう筈がなく、故に毎度毎度発射には己の命を懸けるしかないのだ。
成功した時点で鉄面皮と化した顔とサングラスの裏でキドは安堵の溜息を吐いている。
しかし、主はどうやら満足はしていない様であった。
ガスマスクの内から幽鬼の如く光る赤い目は未だ火球から視線を逸らす事は無く、その様子から未だに警戒を解いていない事をキドは感じ取った。
「レオ、この後はどうする」
「死体を確認するまでは油断するな。次弾の準備をしておけ」
「今の内にもう一発ぶち込んどくか?」
「出し惜しみはしないが無駄弾は避けたい」
「了解した」
戦闘継続の指示を確認し、キドは配置に戻って撃鉄を上げて再度火球へと銃を指向する。
「各自警戒、いつでも動けるようにしておけ」
レオの言葉にキドは銃を構え、ボースは戦槌を構える。
これで終わっていれば良し、終わっていなくても半死半生ならばこのまま射撃で始末して完了だ。
だが、もし致命傷に至っていないならば―――。
自然、キドは銃のグリップを強く握りしめる。
茶色の雪をまき散らしてふぶく風の音と呼吸によって上下する体に装着された装備がこすれる音以外に何も存在しない静寂の中、火球はいよいよ最後の収縮を開始したその時であった。
「ブゥルルルルォオオオンッ!」
叫びと共に火球の中から一台のバイクが飛び出した。
飛んで火に入った夏の虫が炎を食い破ったのだ。
火球から飛び出したバイクは未だ蒼い炎で燃え盛っていた。
それに乗る『強い奴』の味方、イナゴレイダーも燃え盛る炎に全身を苛まれている。
イナゴの様な顔は焼け焦げ、右側の複眼が潰れている様にレオには見えた。
体の各部も一部が炭化し、バイクを走らせる毎にギリギリで肉体に張り付いていた背中に収納されていたであろう昆虫の様な羽根が脱落する。
相手の特性は分からないが、少なくとも飛翔能力は破壊できたようだ。
確実に大損害は与えられているとレオは判断した。
更に幸運な事に、バイクの後部座席に乗っていた筋肉質な男の姿が無い。
こちらは離脱できずに燃え尽きたのだろう。
「うぉおおおおおッ!熱いッ!熱かったぞぉおおおおッ!」
しかして、脚力に任せて乱暴に運転するバイクを走らせる昆虫型悪魔憑きの荒ぶり様には、打撃を受けて弱った素振りは無い。
いや、或いは燃え尽きる前の最後の馬鹿力か。
いずれにしろ、待ち受ける側のやる事は決まっていた。
「キッド、第二射だ。次で確実に始末しろ」
「了解した」
レオは静かに、しかし確固たる意思を持ってキドにアノマリー弾の発射を命じた。
キドは決して外さない。
そしてアノマリー弾にはまだ余裕がある。
周到に準備された戦闘の勝利とはかくも味気ない物であり、エンキとの戦いにおいても目指すべきはこうした安全で確実な物であったのだ。
あの時は出来る限りの中で万全を尽くし、しかし食い破られて凄惨な戦いをする破目になった。
今回はそうしなくて済みそうだ。
勝利を確信し、キドが引き金を引くのを見守る。
だが、撃鉄が落ちる金属音が響くだけで銃弾が発射される事は無かった。
「どうした?」
「遅発、いや不発か?」
キドはいつもの表情を崩すことなく、銃をそのまま保持する。
遅発を疑っているのだろう、そうして数秒待つがリボルバーから銃弾が発射されない。
「すまん、不発だ。自家製だからな、こういう事もある」
どうやらこの弾は外れだった、キドは慌てる事無くそう判断した。
驚く事ではない、当たりがあるのだから外れもある。
発射されない弾丸も、当てても効果が起きない場合も当然経験している。
次の弾丸に期待すれば良いだけだ。
「心配ない、よくある事だ。次弾に切り替え―――」
キドは冷静に撃鉄を再度上げて次弾を装填しようとした、その時だった。
銃の弾倉内、不発の弾丸が突如青い光を周囲にまき散らし始めた。
状況を理解したキドが声を荒げて叫ぶ。
「暴走だ!弾を捨てないと吹き飛ぶ!」
「てめぇ!始末は自分でつけやがれ!」
キドを罵ると同時にボースは城壁の高さを無視するように一切の躊躇なく走り出して城塞都市内部へと飛び降りて姿を消す。
それに続き、背後にいたレオが光りを強めていく銃をキドから奪い取りつつ、首根っこを掴んでキドの体を地面に引き倒した。
「諦めろ、これはもう駄目だ」
レオは何の迷いも無く光り輝く拳銃を壁外へと全力で投げ捨てる。
そして、そのままキドの体を守る様に片膝をついて覆いかぶさり盾となった。
直後に臨界を迎えた銃弾が炸裂してアノマリーを展開、周囲にテスラコイルを思わせる紫電をまき散らながら銃は砕け散った。
キドの誇る最大の火力は何の前触れも無く消失し、決定打は失われた。
「予備はあるか?」
レオは立ち上がりながらキドに問う。
幸いにも電撃の加害範囲からは逃れたようだ、レオには傷一つありはしなかった。
「銃も弾も予備はあるが残りは俺の幌馬車の中だ。車両部隊は外に逃がしてるから―――」
「今回はもう使えないか、プランBに切り替えるぞ」
レオはキドが言い終わる前に己の背に装着されていた水冷式重機関銃に手を掛けた。
アサルトライフルを喪失して以来、まともな火力を運用出来なかったレオがようやく得たまともな火器。
肥大化した肉体に合わせてグリップを太くし、トリガーガードを排除した悪魔憑き用に改修したそれを外で荒れ狂うバイク乗りに指向して発砲する。
「叱責も対策も後だ。まずはあれを殺る」
確実なる勝利は失われた。
だが、まだ優位は維持している。
戦闘を継続して始末すれば良い。
レオは静かにキドに次の命令を指示した。
「了解した」
キドは背負っているリボルビングライフルに手にかけながら頷く。
ここからは戦闘支援がキドの仕事となる。
開幕の第一撃は成功し、しかして決定打にはなりえず戦いは泥沼へ向かおうとしていた。
――――――――――――
「突然の爆発に機銃掃射ッ!!『弱い奴』らしい姑息だが派手な歓迎だなッ!」
炎と重力の檻より脱したイナゴレイダーは、地面をを蹴りバイクを操作しながら降り注ぐ7.62mm弾の雨をかいくぐる。
未だに体全体を焼き尽くすが如き熱に苛まれ、体を動かす度にあるべき何かが脱落していく感覚を覚えながらもイナゴレイダーの戦意は全く挫けてはいなかった。
いや、むしろ高ぶってすらいる。
爆発は正義の味方の友人と言っても良い、高ぶらない方がおかしいのだ。
エンキのおやっさんを倒した相手だ、このぐらいの奥の手は使ってきて当たり前だ。
『弱い奴』だとしても骨のある『弱い奴』で無ければその存在自体がおやっさんへと冒涜になってしまうのだ。
強く無ければむしろ困る。
弱い奴ならばおやっさんは負けず、そして自分が挑む意味もない。
だが―――。
「だがッ!この攻撃はおやっさんに仕えてたキドの物だろうッ!奴も『弱い奴』に屈しているとは嘆かわしいなッ!」
今しがた自分を死の一歩手前まで追い込んだ一撃を加えてきた者は己の挑むべき相手ではない。
同じく粛清すべき『弱い奴』だが、真の敵は未だに姿を隠したままだ。
敵は複数、消耗は一切していない。
一方の己は痛覚の薄い肉体でも感じる明確な損傷と打撃、引くべきか否か。
「一発も殴らずに引くのは女々しい『弱い奴』のやる事ッ!おやっさんならここで引く事は無いッ!」
この時点でイナゴレイダーは自身が満身創痍である事を理解していた。
だが、僅かな間の思案の末にイナゴレイダーの出した判断は攻勢であった。
「まずは熱を冷ましッ!そして突貫だッ!征くぞヴィルッ!とぅおおおおおッ!」
機銃弾の雨が降り注ぐ中でイナゴレイダーはわざとバイクをドリフトさせて錆雪を巻き上げる。
有害な茶色のパウダースノウを全身に被って一時的な煙幕として利用すると同時に雪で強制的に肉体を冷却すると地面を蹴ってバイクを再度加速させながらレオらの陣取る城壁に向けて高速で接近する。
有害な雪を浴びるのは強固な外骨格の肉体を持つイナゴレイダーをして危険な行為と言える。
まして炎で焼かれて外骨格が劣化している今、更に急激な冷却を行えば外骨格が破損する可能性がある。
それは即座に生命の危機に繋がる問題となりえるが、イナゴレイダーは躊躇しない。
『強い奴』は恐れない、迷わない、躊躇しないのだ
少なくとも尊敬する偉大なる王はそんな事はしなかった。
その信仰が即座の後退無き攻勢をイナゴレイダーに命じた。
「征くぞッ!まずは貴様だッ!『弱い奴』は砕け散るッ!」
城壁を目前にして減速の気配はなく、ひたすらに加速し続けるイナゴレイダーを見て城壁から射撃を続けるキドが何かを叫んでいるが、イナゴレイダーは意に返さない。
見た目こそは風車の巨人に挑む気狂いの騎士の如きそれであるが、実際には城壁に陸上魚雷が突っ込むが如くだ。
レオとキドの猛烈な射撃もむなしく、イナゴレイダーは城壁に着弾した。
―――――――――
「突っ込んでくるぞ!」
そう叫ぶのが精一杯であった。
キドの放つ必中の弾丸は、イナゴレイダーの体に直撃するが、それは火花を散らしてあらぬ方向に逸れていく以外の効力を発揮しえなかった。
人の形を維持してはいるが、イナゴレイダーの肉体はかつてレオが相対した巨大な蟹に近い。
自重に耐えられぬが故に一定以上の大型化が出来ないという制約を無視した昆虫的な外骨格の肉体は一種の装甲服に匹敵するだけの防御力を有している。
エーテル無き世界では本来存在を許されぬ肉体を維持するための強固な力への狂信こそがイナゴレイダーの根幹であり、それが故にイナゴレイダーは心が折れぬ限り体もまた砕け散る事は無い。
暴走する狂えるバイク乗りはさらに接近し、キドの視界と射線から外れると同時に強烈な衝撃と振動が襲い来る。
次いで、もうもうと立ち込める埃が視界を覆うと共に確かな筈の地面にひびが入り始めた。
イナゴレイダーが自身の立つ城塞都市の壁、それも直下に突入したのだ。
その威力は大口径砲が直撃したかの如くであり、事態はそれだけでは終わらなかった。
十分な厚さと強度を持つはずの壁にヒビが入り、根元から崩れ去っていく。
城壁破り、イナゴレイダーのあだ名の一つがキドの脳裏にフラッシュバックする。
「くそッ!あいつやっぱり化け物―――」
「掴まれ、飛ぶぞ」
罵りの一つも言い終わる前にキドは何かに首根っこを引っ張られて宙へと浮いていた。
死に至る浮遊、キドは一瞬の間そう誤解した。
どれだけ銃の腕が良かろうと肉体は人のそれだ、死ぬ時はあっさり死ぬのだろうと割りきりは出来ている。
瓦礫と共に地に落ちれば骨か内臓がやられるのは確実、それが人の運命である。
だが、幸か不幸か今のキドの運命を握っているのが人外の主である。
気付けばレオの腕の中に納まった状態でキドは地面に降り立っていた。
レオがエーテル操作で高所から落下した衝撃を打ち消したのだろう。
仕える筈の主に幾度も助けられると流石に居心地が悪くなってくるものだとキドはずれた帽子を弄る。
「レオ、すまない。助かった」
「投資した分は働いて貰うだけだ。準備しろ、ここからがプランBの本番だ」
頷いたキドは素早くレオの腕から離れるとライフルを背に戻して使い慣れた二丁拳銃に持ち替え、レオも機関銃パックを背から外して盾と剣へと装備を換装する。
視界の先にいるのは狂えるバイク乗り、イナゴレイダーであった。
「俺は『強い奴』の味方ッ!イナゴレイダーだッ!おやっさんを殺ったのはボースかッ!?それともそこのお前かッ!?」
もうもうと立ち込める煙の中で城壁を粉砕したイナゴレイダーはバイクから降り、山となった瓦礫の上で斜め上に両腕を挙げたポーズで何かを喚いていた。
「望むならば一騎打ちでも構わんッ!俺は仇を討っておやっさんの意思うぐぉうッ!?」
都市内での戦端を開いたのはボースであった。
先んじて地に降りて待ち受けていたボースは決めポーズをするイナゴレイダーの背後に煙に紛れて回り込み、怒りとも笑みともつかない凶悪な表情をしながら戦槌を横なぎに振るってイナゴレイダーを宙へと吹き飛ばす。
まずは確実に当てて打撃を与える、それが故の横なぎの一撃であった。
「今のはボースかッ!言われる程度には強くなったようだなッ!」
空中で背後の昆虫羽根を展開しようとしたイナゴレイダーは、先の攻撃で羽根を喪失していた事で姿勢制御に失敗し、並び立つ豪勢な住居の一つに叩きつけられた。
しかし、攻撃を受けたイナゴレイダーは何事も無かったかのように立ち上がる。
昆虫型故の痛覚の薄さは死の間際まで全力での戦闘を可能とし、かくも優位に作用するのである。
「良いだろうッ!そういうつもりならば俺も容赦無しだッ!弱い奴は殲滅するッ!良いなヴィ―――」
「レナルドォ!やれぇッ!」
尚も続けようとするイナゴレイダーの口上をボースの叫びとそれに呼応する住居からの射撃が遮った。
それは一人の兵士の行える射撃の量では無かった。
粗末な小銃が、壊れかけの短機関銃が、みすぼらしい拳銃が、雑多な小火器の群れが次々とイナゴレイダーの外骨格の肉体に叩きこまれる。
「補充兵どもッ!しっかりと狙え!てめぇらの命よりも高価な武器を使わせてやってるんだからなッ!」
ボースが叫び、支援射撃の中で戦槌を上段に掲げ、弾幕を受けて動きが鈍くなったイナゴレイダーに突進する。
この悍ましい雪に蝕まれた城塞都市に逃げ込んだのはこの為だったと言っても良い。
キドとボースが追撃してくるであろうイナゴレイダーの性格を把握し、追い詰めてなお攻勢に出る部類の猪武者であると理解しているからこその初撃のアノマリー弾、殺しきれない時の殺し間への誘引だったのだ。
内部に誘い込み、機動力の高いバイクを封じつつ投入できるすべての戦力を叩き込んで始末する。
それが今回のプランBであり、それは想定外の乱入が増えて尚、上手く行きつつあった。
イナゴレイダーはそのあり方故に殺し間に自ら飛び込んでくる。
ローとの取引が成功した時点でクトーとキドはそこまで見越して準備を行っていた。
誤算があるとすればボースがクトーらと別れている間に新兵を『採用』した事だろう。
何をどうやったのか、新しい車両として旧時代のバスを一台ちょろまかしてさえ来たのだった。
都市の浮浪孤児や酒場に溜まったごろつきを30人ばかり引き連れてボースは戻り、幾人かを間引きつつ、この戦いに半数程度の人員を兵士として投入した。
機動を要する戦闘は無理としても、要塞化した住居に籠って銃を撃つ防衛戦を行う程度ならば十分だ。
錆雪があるが故に、彼らは逃げる事も出来はしない。
戦って死ぬか、逃げて雪に蝕まれて死ぬか。
生き残るには勝利しかないのである。
これもローとの取引で十分な補給を受けられなければ困難な事態であったが、結果的には今回の戦いにおいて十分な戦力を揃える事が出来た。
「なんと絶え間ない『弱い奴』の攻撃だッ!戦う相手として不足はないッ!征くぞヴィルッ!今日は『強い奴』が勝つ日だッ!」
両手をクロスさせて戦槌の一撃を凌つつ、イナゴレイダー叫び、そしているべき筈の相棒がいない事にようやく気が付いたのだった。
「むッ!どこに行ったんだヴィルッ!?まさか『弱い奴』に屈したのかッ!?」
「死ぬまでやってろ虫野郎ッ!」
戦槌を防がれたボースは更に一歩踏み出し、勢いに任せて狼狽するイナゴレイダーの腹に膝蹴りを叩き込んだ。
速度を持った巨大な質量の衝突はそれだけで十分な破壊力と殺傷力を持つ。
それを今度はボースがイナゴレイダーに行って見せた。
住居の外壁に叩きつけられたイナゴレイダーはそのまま壁をぶち破って屋内へと吹き飛ばされ、内部にたまった埃が一気に屋外へと噴き出した。
あと一押し、ボースはそう判断して反応の遅い無能な仲間を怒鳴ろうと数歩後退しつつ半身を逸らして後ろを向いた。
或いは大量の埃に嫌気がさしてガスマスクを付けた仲間にとどめを任せたくなったのかもしれない。
「レオ!見てねぇで手伝―――」
ボースの罵声はしかし、唐突な家の爆発によって妨げられた。
否、爆発ではない。
屋内に押し込まれたイナゴレイダーが自身の体を弾丸として射出するべく、己が飛び込んだのとは反対側の壁を踏み台として全力で蹴り抜いて加速に使ったのだ。
ふざけた言動をしながらもイナゴレイダーは自身の最も優れた力である脚力を生かせる環境を得るべく、あえてボースの蹴りを受けたのだった。
すなわち、距離を取りつつ推進力を得る土台を得る為。
そして、それは家一軒の崩壊と引き換えに実現する事となる。
イナゴレイダーは空中にて体を捻り、手に入れた推進力の全てを回転の力に替え、そして―――。
「レイダァアアアッ!回し蹴りィッ!」
残された外壁を蹴り砕きつつ、諸共にボースの左脇腹に全力の回し蹴りが叩き込む。
受けたボースの体がくの字に曲がる。
弾丸をはじく硬質な外骨格、それ自体が人間の肉を抉り、引き裂くには十分過ぎる程の凶器となりえる。
加えての尋常ならざる脚力、常人ならば肉体を上下に両断されるであろう一撃に悪魔憑きとなったボースの肉体は耐えた。
空中できりもみ回転し、口から溢れる青い血をまき散らしながら、それでもボースはまだ生きていた。
顔をしかめ、激痛で飛びそうになる意識を油断して一撃を受けた恥辱からくる怒りで押し潰し、戦槌の補助で発生させた風による姿勢制御で体勢を立て直して地面に足から着地する。
安定した着地、しかし激痛で姿勢を維持出来ないボースは戦槌を杖にして片膝をついた。
浅い呼吸を繰り返しながらも、その凶悪な憎悪に満ちた顔はイナゴレイダーから顔を逸らさない。
憤怒を燃やすボースにイナゴレイダーは焼けただれた顔を向けつつ、しかしいつもの調子を崩さずに指を差して叫ぶ。
「ボースッ!中々の『強い奴』になったようだなッ!だがまだ未熟ッ!」
「てめぇ…!」
「俺がおやっさんならばお前はもう死んでいるッ!下手人はお前ではないなッ!どこにいるッ!」
周囲から飛来する大小を問わぬ弾丸を全身に受けて若干よろめきつつ、イナゴレイダーは未だ芝居がかった言葉遣いでボースに指を差す。
イナゴレイダーは狂っている。
だが、狂人は狂っているが故に真理の一端に触れやすい。
短い攻防の中でイナゴレイダーはエンキを殺した下手人がボースではない事を理解したのだ。
故に問わねばならない。
問わずにはいられない。
ボースをすぐに始末しては相手が分からなくなってしまう。
そして、それが最大の隙となった。
「知りてぇ…のか…?あの猿を…殺った奴がどこにいるのかよぉ…?」
「そうだッ!俺はそいつを倒しておやっさんの後を継ぐッ!最強の『強い奴』になるのだッ!」
「相変わらず…頭が幸せそうだな虫野郎…!良いだろう。そいつはな―――」
ボースはわざとゆっくりと問いに返答した。
そして、悪意に満ちた凶悪な笑みを浮かべてイナゴレイダーに答えを与えた。
「てめぇの後ろだ、まぬけ」
「なにッ!?」
ボースが奇襲をかけた時点でレオもまた行動を開始していた。
白兵と射撃戦にイナゴレイダーが忙殺されている間にレオはイナゴレイダーの背後へと回り、機を待ったのだ。
ボースがそのまま勝つならば良し、殴り負けたならばやられている間に背後からの一撃を差し込む為に。
ボースが初手でそうした様に、レオもまたそれに倣ったのだ。
乱戦になれば必然的に数の理を生かして背面に回るのは定石と言えるだろう。
地に片膝をついた時点で、ボースもまたそれを理解した。
いちいち隙の多いポーズと言動を取るイナゴレイダーの背後より赤い剣を突きの構えで握りしめて走って来るガスマスクの大男を目の当たりにしたが故に。
レオの足音は周囲の銃声によってかき消され、無駄に思えた攻撃は意図せぬ成果を上げるに至った。
最も、この一撃は高い戦闘力を持ちながらも隙の多いイナゴレイダーという個体が相手故に出来た事であるというのが大きかったであろう。
純粋に、この悪魔憑きの戦闘への姿勢とセンスはエンキに遠く及ばないと言えた。
「無駄口叩いてるから死ぬことになるんだ、虫野郎」
ボースの嘲りが終わる前に振り返ろうとしたイナゴレイダーの首に赤い刀身の剣が突き刺さる。
「ふんッ!」
尚も動こうとしたイナゴレイダーの首をレオが剣を横に引いて一息に刎ね飛ばし、イナゴめいた首が宙を飛ぶ。
その瞬間、レオは勝利を確信し僅かに弛緩した。
強固な装甲を持つ異形も頭を失えば最早立っている事は出来ない、筈であった。
「ッ!ごあはぁッ!」
首を跳ね飛ばした次の瞬間、レオの体に衝撃が走ると共に強烈な浮遊感が襲い来る。
胸部の装甲がひしゃげ、鈍い痛みと共に嘔吐感がこみ上げる。
攻撃が跳ね返されたのか、否だ。
これは反撃だ、イナゴレイダーに蹴り飛ばされたのだ。
天に達するがごとく蹴り上げられた右足がそれを雄弁に語っている。
首を失ったイナゴレイダーは未だしっかりとした足取りで地面に立ち、そのありようにいささかの衰えも無いようであった。
混乱する中でレオは行うべきことの順序を無意識に選別して行動に移す。
まずは姿勢制御と着陸、背の後ろに極小のアノマリーを生成して炎を噴射し、その反動で足から地面に無理矢理着地する。
イメージするのは重強化外骨格 のスラスター操作、幾千回とやり慣れたこれを踏襲するのが結果的に一番感覚に合う。
エンキの如く、無意識に全てが出来るならば炎など吹くのは燃費を悪化させるだけだ。
しかし、力の使い方を理解したとしてもそれを瞬時の判断が必要な戦闘で行うにはまだ慣れも集中力も足りはしない。
何より、理解したが故にこの様な異形の力を使えば精神が人から乖離していく感覚が増していく。
それは人の敵たる邪神が語ったあの悍ましい人の神に浸食されるに等しい、それは避けねばならない。
結果的に、レオは精神を守る為に装備からエーテルの運用に至るまでをかつてそうであった機動歩兵時代のそれに合わせる様に意識づけるに至った。
その為の理性の鎧、全ては憂いなく人類の為に戦えた機動歩兵時代の精神に戻す為。
そうであるから未だ異形と戦える、精神を維持出来る。
ある意味でレオもまた、イナゴレイダーと同じく演技を生の中に組み込まざるを得なくなったのだ。
相対し合うのは正義を信じる狂人と人類を信じる狂人だ。
地面に転がり、最早何も語る事は無くなったイナゴレイダーの首が滑稽な二体の化け物を静かに見つめていた。
そして―――。
「強力な攻撃だったな!筋肉が無ければ即死だったぞ!」
誰もがイナゴレイダーとの戦いに気を取られている中、それは全てを焼き尽くし押し潰したはずの火球の消失と共に現れていた。
火球が炸裂していた中央部、そこにダブルバイセップスのポーズで立っている筋肉の化身の如き異形。
アノマリー弾を耐えきったヴィルもまた、戦闘に参加しつつある。
戦いはレオの理想とした短期決戦から消耗戦へと移り始めていた。
イナゴレイダーさんの解説をしたい物の、今やるとネタバレが多くなるので次回まとめてやりたいと思います。
今回はお休みです




