五話、正義疾走
今回は正義の味方のお話です
終末の荒野はその場所で大きく表情を変えていく。
先程まで文字通りの草木の生えぬ灼熱の荒野であった筈のその道が進み続ける内に肌寒い草原に変わり、更には真反対と言っても過言でもない極寒の雪原へと変わる事すらも珍しい事ではない。
だが、雪原が白銀であると誰が定めた理であったのだろうか。
今や雪原は赤みを帯びた焦げた茶色に染まり、そこに生命らしい生命は一切存在してはいない。
世界の崩壊は幻想的な雪景色すらも冒涜的な色合いへと変えてしまったのだ。
空にかかる雲は内部のアノマリーによって光が乱反射して虹色に輝き、地表へ降り下りるのは生命を蝕む錆の如く茶色い無数の粉雪。
空中の雪がアノマリーを経由して汚染された結果発生するそれを地上人が錆雪と呼び恐れている。
生身で触れた人間の骨を朽ちさせ、肉を溶かすそれが降る様になり放棄された城塞都市は数知れない。
しかし、そんな極限状態の中で脈動する一つの生命が存在していた。
「ブルルォンッ!」
その声と共に降り積もった錆雪が蹴り上げられ、立ち上った雪煙が空へと舞い散って空の輝きを一瞬ながら遮った。
響き渡る特撮作品のオープニング曲、そしてエンジン音を模した男の声。
亡き王の仇を討つ使命に燃える『強い奴の味方』、イナゴレイダーは己を蝕む錆色の雪を受けながら、それを意に返さぬといった様子で地面を蹴り上げ、ローカスターを加速させ続ける。
「絶え間ない悪の攻撃だッ!だが俺とローカスターはこの程度では屈しないぞッ!」
『強い奴』は『弱い奴』に屈しない。
それがイナゴレイダーの美学であり、揺ぎ無き信仰である。
故に、イナゴレイダーは死の大地の毒ですらも悪の攻撃と断じ、それを強固な外骨格の肉体と信仰の防御力で弾き続けている。
もし彼の慕う偉大なる瓦礫王、エンキであれば無意識に行うエーテル操作による力場制御でそもそも雪を体に被る事自体無かっただろう。
イナゴレイダーもそれは理解している。
なぜならばそれは何度となく見てきた光景であったからだ。
敵が放つ弾丸の雨を、逃げ場なく降り注ぐ氷の刃と化した雹や体を蝕む錆雪の中であっても悠々と歩き、一発たりとも当たる事無くすり抜けていくあの光景が今でも脳裏に焼き付いているのだ。
エンキのおやっさんは、そもそも防御など必要なかった。
確かに悪なる弱者を盾として使う事もあったが、それは雨が降れば傘をさすのと大して変わりはない。
濡れないからと言って雨の中で傘をささないのは凡俗なる者どもには刺激が強過ぎるのだ。
王であるからこそ、他者の命を好き勝手にする自由が許される。
肉の盾を用いるのは、その特権を示す行為に他ならない。
根本的に他の有象無象は隔絶した偉大なる正義、それが死してなおも崇拝し続ける瓦礫の王エンキなのだ。
イナゴレイダーは未だに自分が偉大なる王の高みに至っていない事を痛感している。
だが、だからこそイナゴレイダーは耐えて突き進む事に注力する。
いつかあの高みに至る為にも今、悪に屈する事は決して許されないのだ。
如何なる障害があろうと踏み砕き、駆け抜けるのみ。
復讐が成されるその時まで決して休まないという不退転の決意で正義を成す為に進み続ける。
故にエンジンが死んでいる筈のそのバイクは、しかして並の車両では出せない速度で終末後の道を走り続けている。
クロエと別れたイナゴレイダーは文字通り、全速力で標的に向けて突き進み続けた。
後に続く者の事など気にする素振りも無く、土の道を抉りながら、時には朽ちたアスファルトを踏み砕きながら、偉大なるおやっさんであるエンキを殺した仇に向けて一秒でも早く迫らんと進み続けている。
然るに、イナゴレイダーの前方にある全ての障害物は正義の仇討ちを妨害する『悪』にほかならない。
これまでもイナゴレイダーは数々の『弱い奴』を屠って進み続けてきた。
「ブォン!ブォン!」
イナゴレイダーが通るなどとは夢にも思わず、日銭を得ようと道を封鎖していた野盗の一味を轢き殺し―――。
「食事が向こうからッ!これがおやっさんの意思かッ!」
道に転がる死肉を貪っていたミュータントの群れを蹴散らし、駆け抜けながら掴んだ肉を喰らい―――。
「悪の城壁めッ!粉砕するッ!」
夜が迫って閉められた城塞都市の城門扉を粉砕し―――。
「しまったッ!ついうっかりッ!クロエに怒られる!」
接近時にうっかりと相対速度を見誤った哀れなモルフォライダーの伝令を撃墜し―――。
「屍者の群れッ!賊までもう僅かだなッ!」
戦闘の痕跡が残る道の周囲を徘徊する死肉玉化した屍者の群れに正面から突撃して突き破り―――。
「むっ!あれはッ!」
そして現在、イナゴレイダーは道の真ん中を塞ぐように立つ一体の雪像を目視したのだ。
それは両手を頭の後ろに回したポージングをしている前衛的な雪だるまのようにも見える。
地元民のいたずらか?
否、弱者はこの地に入る事すらも許されない。
ならば敵の罠か?
可能性はある、しかしあの様な物を置くとも思えない。
では何か?
イナゴレイダーは答えに当たりを付けると更に地面を強く蹴ってローカスターを加速させた。
「征くぞッ!ローカスターッ!最大出力だッ!」
叫ぶイナゴレイダーは確信している。
あれには『強い奴』の息吹があると。
イナゴレイダーはこれまで幾度となく行ってきた『試し』によって強者と弱者の見分け、そして『強い奴』の気配を嗅ぎ取る嗅覚を得るに至っていた。
その第六感が告げているのだ、あの雪像には『強い奴』の気配がある。
ならば、同じ『強い奴』として試さねばならない。
無論、本来はそんな事をする余裕はない。
急がねばならない、早く仇を取らねばならない。
その思いはイナゴレイダーを強く駆り立てている。
イドの元へと行く際についでに乗せてやったシュワンツが仇討ちの軍勢を用意すると言ってはいたが、そんな物など待ってはいられなかった。
日が一つ過ぎる毎に偉大なる王の死が知れ渡り、悪なる弱者たちが嘲笑の声を上げるのだ。
それを看過することは決してできない。
一日でも早い敵討ちこそが正義の尊厳を守るための最善の一手なのだ。
何より、彼らは弱い。
道具に頼らねば戦う事も、移動する事も出来ず、そして簡単な傷で死に至る。
つまりは、悪だ。
そして、その悪を叩き潰すのが正義の味方の使命なのである。
この基本理念はイナゴレイダーの深い所でしっかりと息づいている。
弱いというのはこの世で最も許されない悪と言っても良いとイナゴレイダーは確信している。
それは人である事から逸脱し、彼の邪悪な者と邂逅した時に何よりも思い知らされたからだ。
弱い事に甘んじ、自らを高める事を拒絶し、強い奴の足を引っ張る唾棄すべき存在。
弱いという事を盾にして強い奴からあらゆる物を奪おうとする最も忌むべき悪、それが弱者なのだ。
ただ、シュワンツらは弱いという己の罪を認めて偉大なるエンキのおやっさんに仕える事でその罪を贖おうとしたまだ見所がある悪である。
だからこそ、ローカスターに乗る事を許した。
仇討ちを行う事を許し、その準備を許した。
だが、それを成就させてやるかと言えば否だ。
多少の見所が有ろうと、シュワンツもまた弱き悪である。
結局のところ、あの男は『老い』という悪に打ち勝つ事が出来ずに日に日に弱くなっていっている。
それは正義の道から外れる悪の所業だ。
そんな『弱い奴』がおやっさんの敵討ちを成功させるなど、絶対にあってはならない。
それは偉大なる王に対する冒涜だ。
強かったあの人が、偉大だったあの人が、ただの弱者の謀略に敗れ、弱者の仇討ちによって伝説を終えてしまうなど恩義に対する最大の裏切りなのだ。
『強い奴』が『弱い奴』に屈するなど、絶対にあってはならないのだ。
イナゴレイダーはボースの如き存在に偉大なる王が討ち取れるなどとは全く信じてなどいなかった。
だからこそ、最初に至ってその真偽を明らかにした上でその相手を討ち取るつもりで駆け抜けてきたのだ。
復讐を遂げるのは『強い奴』である己でなければならない。
そしてそれが成し遂げられた時、その時こそが自分こそがこの地上で最も強い『正義』となれるのだ。
人から逸脱してなお弱い悪だった己を散々に打ち倒し、強くなる機会を与えてくれた偉大なる王であったおやっさんの仇を取る。
それが正義の味方の成すべき一番の恩返しなのだ。
クロエと別れてしまったのは残念な事ではある。
だが、だからこそ自分が一番乗り出来る。
生きている間は超える事が出来なかったおやっさんを超えるのは今でなければならないのだ。
誰にも先に手出しはさせない、誰にもその誉れを奪わせてはならない。
故に、その加速には全ての力が込められた。
今までに増して巻き上がる錆雪の噴煙が高速の質量砲弾と化したイナゴレイダーの有り様を克明に映し出す。
「『弱い奴』ならば粉砕されるッ!とぅおおおおおおッ!」
イナゴレイダーは気合の入った叫びと共に雪像に加速を掛けながら突撃し突き破――――――れなかった。
「ぬぅうおぉッ!?」
雪像へと躊躇なく突撃したイナゴレイダーは、しかしてその内部にある堅固なる硬質な物体と正面から激突してその突進を強制的に止められたのだ。
だが、イナゴレイダーもまた異形の怪物。
衝撃を受けてハンドルに胸を打ち付けようとも、強固な外骨格と信仰に守られた肉体には大した打撃にはなりえない。
最早その怪物と一心同体となったローカスターも、それ程の硬質な物体と激突してなお、傷一つひび割れ一つついてはいなかった。
己の象徴たるローカスターが砕け散るのは正義が敗れる時、その信仰が得物を強化したのだ。
数多の命を轢き殺してきた朽ちた旧世紀のバイクは、狂人の真摯なる狂信によって一種の魔剣の如き存在へと変じていたのだった。
異物とローカスターの激突は金属同士が激闘した様な似た重く不快な轟音を響かせ、発生した衝撃波が雪像だけでなく周囲の地面の錆雪を四方へと吹き飛ばす。
重力に敗北して降り下りて来る大量の錆雪の粉雪に囲まれた中、爆心地に残るはローカスターにまたがるイナゴレイダーとそして――――――。
「おおッ!君がやってくれたのか!?雪の中で立ち往生して困っていたのだ!」
そこには鍛え抜かれて異常に盛り上がった巨大な筋肉を誇示する様に両手を頭の後ろに回したポージングを決めたふんどし一丁の男が立ち塞がっていた。
男の腹に突き刺さるローカスターの衝角は男の分厚い筋肉を僅かに押し込むばかりで突き破る事が出来てはいない。
強い奴!その言葉がイナゴレイダーの中で確信へと変わった。
唯人が錆雪の塊の中に取り込まれて無事な筈がなく、ましてやローカスターの全力突撃に耐えれる筈がない。
「私の名はヴィル!見ての通り、筋肉を鍛える事を生きがいとしているッ!君の名は何と言うんだ!」
腹筋と足を強調するそのポーズを崩すことなく、男は快活とした大声でイナゴレイダーに問いかける。
その声には敵意は無く、好意と陽気さが含まれていた。
「お、おおッ…!」
昆虫の顔を持つイナゴレイダーはその感情を顔から見い出す事は出来ない。
だが、それ故にイナゴレイダーは声の調子と体の動きで大いに感情を表現する。
少しでもイナゴレイダーと付き合っていた者がいればすぐに理解できたであろう。
その震える声と体は、歓喜を示している事に。
無論、イナゴレイダーは仇討ちを急いでいる。
それを妨害する事は許されぬ悪だ。
だが、相手が強者であるならば話は別だ。
この瞬間、仇討ちを妨害された怒りよりも同じ高みにいる強者に出会えた喜びがイナゴレイダーの中で勝ったのだ。
強い奴は何をしても良い、それがイナゴレイダーの信仰だ。
そしてヴィルは強き正義、故に仇討ちへの道を少しばかり邪魔しても許してよいのだ。
『強い奴』はただ惰性で『弱い奴』を蹴散らしていれば良いのではない、切磋琢磨出来る相手がいてこそ更なる強さを得る事が出来る。
故に、イナゴレイダーは如何なる時でも強者との出会いに打ち震えるのだ。
友となれそうならば尚更である。
「お前も…お前も『強い奴』なのかッ!?」
「分からんッ!だがこの筋肉のみなぎりと美しさだけは真実の輝きだ!」
イナゴレイダーのはしゃいだ口調に対し、ヴィルはポーズを維持したままキラリと輝く歯を剥き出しにした。
短く刈り上げられた黒髪には清潔感があり。
そして小麦色の日焼けした肌は獣脂でテカり、維持されたポージングによって張りつめた筋肉は今も成長している様に脈動している。
彼の様な物を終末前の世界ではこう呼んでいた。
ボディビルダー、と。
「なるほどッ!その筋肉こそが『強い奴』の証かッ!」
正義は既に示された、ならばそれ以上の問答はむしろ無粋であるとイナゴレイダーは己を恥じた。
そして、ヴィルの意味不明な答えに笑って頷き、己もまた両腕を斜めに掲げる正義の味方のポーズで応じた。
それを見てヴィルも笑顔のままポージングを横向きのサイドチェストへと変えた。
「俺は『強い奴』の味方!イナゴレイダー!」
「繰り返しになるが私はヴィル!筋肉を愛し、筋肉の為に生きる漢!肉体構築者だ!」
二人の間に穏やかで暖かな空気が流れる。
異常者たちが双方の言葉を自分勝手に理解して納得し、相手と同じ地平に立ったのだ。
世紀末の荒野を遠足気分で生きられる強者だけが成しえるつかの間の平和、それがここに存在していた。
「だがヴィルッ!君ほどの正義が何故こんな所で雪像になっていたんだ?」
「うむ!私も彼の瓦礫の王を討ったという賊が近くにいると聞いて馳せ参じてな!しかし、雪に阻まれて今に至るのだ!」
「おおッ!ではもう近いのだなッ!」
「うむ!動いていなければ廃棄された城塞都市にいると聞いている!」
ヴィルの言葉にイナゴレイダーは歓喜に包まれた。
同じ高みにいる者と同じ目的を共有できる幸福感、そして果たさねばならぬ使命を達成する時が間近に迫っているという高揚感が心の深い所から溢れ出して止まらない。
気付けば、二人を蝕んでいた錆雪も降り止んでいた。
虹色の雲が散り、黄色い空には緑に変色した太陽が狂った輝きを放っている。
それを見てイナゴレイダーは確かな吉兆を感じた。
これは全ておやっさんの導きである。
おやっさんが今ここでヴィルを仲間として迎え入れる運命を与え、悪を討ち己を超えた正義になれと微笑んでいるのだ。
「む、雪が止んだようだな!一時はどうするかとポージングをしながら考えていたものだ!」
「余計な事をしたわけでないならば光栄だッ!」
「ああ助かった!ポージングをせずに錆雪を浴びるのは筋肉に悪いし、かといってあのままでは腹が減って大変な事に――――――」
その時、イナゴレイダーの耳に轟音が響き渡った。
音源は目の前にいるヴィルの腹である。
それは文字通り、鍛え抜かれた筋肉の奥に潜む臓腑が栄養を求めて泣き叫ぶ音であった。
直後、快活であったヴィルに異変が起きた。
それまで自信に満ちた笑みを絶やさなかったヴィルの顔が見る見る間に引き攣り、腹を抱えて茶色に染まった大地に膝をつく。
「ぬぅッ!うおあぁああああッ!」
「どうしたヴィルッ!悪に屈したのか!?」
ヴィルの突然の狼狽にイナゴレイダーも困惑した。
こいつは実は『弱い奴』なのではないかという疑念が生まれたのだ。
だが、イナゴレイダーのそんな気など知る筈のないヴィルが搾り出す様な声でうめき声をあげた。
「あぁああああああッ!空腹だとぉおおおッ…!萎んでいくゥッ…!俺の体が!美しい筋肉がぁあああああッ!」
「狼狽えるなッ!『強い奴』の気概はどうしたッ!?俺を失望させるのかッ!ヴィルッ!」
錯乱したヴィルは立ち上がると頭を抱えながら数歩歩き、イナゴレイダーは大きく後方へと飛んだ。
急速に失われる正義の気配にイナゴレイダーは落胆し、そして次に殺意が湧き出してくるのを抑えられなくなった。
強い奴が何をしても許す度量をイナゴレイダーは持っている。
だが、悪に屈することに対してだけは決して許すつもりはなかった。
強くないならばこの男はおやっさんの仇討ちを邪魔した悪である。
この場で粉砕するしかない。
「答えろヴィルッ!貴様ほどの正義が何を狼狽しているッ!」
声を荒げて問いただしながら、イナゴレイダーは戦闘に備えて構えを作る。
正義の味方である以上はローカスターの突撃だけでなく、下車戦闘もお手の物だ。
あらゆる状況で悪に敗北する事が無いよう、イナゴレイダーは鍛錬を怠ってはいない。
だが、構えたイナゴレイダーの耳に飛び込んだのは意外な言葉であり、予想だにしないヴィルの姿であった。
両手で抱えた頭を振って絶叫していたかと思いきや、その声は徐々に平静に戻っていく。
「栄養だッ!栄養がいるッ!筋肉を育て守るための栄養ッ!栄養を…!栄養…見つけたぞ」
豹変したヴィルは先程までの狼狽が嘘である様にイナゴレイダーを殺気だった視線で見据える。
そしておもむろに構えた。
整った体幹に支えられた前傾姿勢、両手を合わせて最も優れた筋肉を誇示するモスト・マスキュラーの構えであった。
来る、そう理解した時にはヴィルはイナゴレイダーの反応速度を超えて突進した。
「 プ ロ テ イ ン ッ !」
ポージングを維持したヴィルはイナゴレイダーに回避の隙を与える間もなく目前まで迫ると大口を開けて右腕を食い千切った。
イナゴレイダーが取れたのは僅かに体を逸らしてその突進の直撃をかわす事だけであった。
「ぬぅおおおおおッ!?」
さしものイナゴレイダーもこれには叫ばざるを得なかった。
痛覚が鈍い昆虫型の肉体とはいえ、腕一本をいきなり千切られれば叫びもするものだ。
幸運であったのは、ヴィルの攻撃がそれで終わった事であった。
追撃は無く、イナゴレイダーもまたヴィルの行動の意図を悟って反撃を控えたのだった。
「なんとッ!ただ腹が減っていただけだったのかッ!人騒がせだなヴィルッ!」
得心のいったイナゴレイダーの心の中には最早失望も殺意も無かった。
ただ、この新しい友人は腹を空かせていただけだったのだから。
『強い奴』は何をやっても良い、別に命を奪われたわけではないのでイナゴレイダーはその行為を寛容に許した。
「しかし、今のは凄かったぞッ!この俺が反応できなかったッ!やはり『強い奴』との出会いは俺に新たな目標と向上心を与えてくれるッ!」
イナゴレイダーはただ静かに、しかし強く頷いた。
そんなイナゴレイダーを無視し、肩から球体間接が外れるかのように綺麗に外れた右腕にヴィルは一心不乱に食らいつく。
強固な外骨格をかみ砕き、肉を咀嚼し、一片たりとも余すことなく平らげるとようやくヴィルは正気へと戻ったようだった。
「む!私としたことがまた腹を空かせてしまったか!」
「ああッ!俺の腕をがっつりと食っていたなッ!良い喰いっぷりだったッ!」
「感謝する、いつもならば弟子たちが食事になってくれるのだがこの雪で離れ離れになってしまってな」
「気にするなッ!『強い奴』は何をしても許されるッ!ここで文句を言うのは卑しい『弱い奴』だッ!」
強く言い切ったイナゴレイダーは緑に輝く狂った太陽を見上げた。
おやっさんと初めて会った時もこうであったのだと思い出したのだ。
まだ身の程知らずの悪であった己の両腕を引きちぎって捻じり切り、鉄砕きを向けてきたおやっさんに足と頭だけで土下座して絶対なる正義の配下にして貰った在りし日の思い出だ。
それからのおやっさんにしごき抜かれた日々はイナゴレイダーにとっては決して忘れられない美しい思い出である。
例えエンキにとっては憂さ晴らしに玩具をいたぶっていただけであったとしても、イナゴレイダーにとっては正義となる為の大切な儀礼であったのだから。
「おお、イナゴよ!なんという気持ちの良い男なんだ君は!」
今度はヴィルがイナゴレイダーの気持ちの良い性格に好感を持つ番であった。
筋肉は少ない様ではあるが騎士甲冑の如く引き締まり整った外見、そしてそれに似つかわしい熱く優しい性根。
己の行った粗相を快く許す姿にヴィルもまたイナゴレイダーに同類に対して抱く親愛の情を感じるに至ったのだ。
かくして、ここに二体の悪魔憑きに奇妙な友情が生まれたのだった。
「だが、片手では仇討ちは出来ないだろう?どうする?喰ってしまった物は返せないが」
「心配ないッ!本来は安全な場所でやる事だが、お前ならば問題ないだろうッ!」
言うや否やイナゴレイダーは大きく息を吸い、腹に力を込めて叫ぶ。
「弱き過去を捨てッ!強き未来に至らんッ!とぅおおおおおッ!」
直後、イナゴレイダーの頭が割れた。
否、割れたのは表面だけである。
イナゴレイダーは昆虫の如く脱皮を開始したのだ。
ヴィルの突進に反応できず腕を失ったのは己が弱いが故、これではおやっさんの敵討ちなど夢のまた夢。
であるからには、この弱さは捨て去らねばならない。
文字通り、この瞬間にイナゴレイダーは一皮むけた悪魔憑きとなったのだ。
割れた皮の内側より濡れた透き通ったイナゴレイダーの頭部が現れ、次いで皮がめくれる毎に肩が現れ、上半身が現れていく。
そこには失われた筈の右腕が透き通った透明な状態で存在していた。
「ヴィル!乾燥に少し時間をくれッ!皮は食って構わないぞッ!」
「おお!感謝する!これで今日の夜まで持ちそうだ!」
茶色の雪原の上で二人の意気投合した悪魔憑きは笑いあった。
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「体が乾いたなッ!ヴィルッ!正義の戦いが待っているぞッ!」
「心得た!だが私もバイクに乗っても良いのか?」
ヴィルは友であるが故にイナゴレイダーに問うた。
己の筋肉が神聖である様に、イナゴレイダーにとってはバイクこそが神聖な物に思えたからだ。
触れる事を拒絶されても文句など言うまいという意思がそこにはあった。
「無論だッ!征くぞ『強敵』よッ!」
しかし、イナゴレイダーはただ威勢よく快諾するとヴィルを後部座席にいざなう様に手を伸ばした。
「友か…良い言葉だな!私も君の様な友は初めてかもしれん!」
気恥ずかしそうに短く刈り上げた髪をかいてからヴィルはイナゴレイダーの手をしっかりを握りしめ、後部座席へと移る。
友人を作るのに必要なのは時間ではない。
ただ、その瞬間瞬間にどれだけの共通した情熱を蓄積できたかだけなのだ。
「ローカスター!出発だッ!とぅおおおおッ!」
体を乾かし、再生を完了したイナゴレイダーは再び降り出した錆雪の中をローカスターを蹴って駆け抜ける。
背中にポージングを決めながら座る心強い新たな盟友、ヴィルを連れる彼の胸中には恐れなど微塵も有りはしない。
そして、二体の悪魔憑きは遂に憎き仇たちの車列へと肉薄しようとしていた。
目標は瓦礫の王を謀殺した忘恩の徒たる副官ボース、そしてそれに連なる邪知暴虐なる反逆者たち。
例え待ち伏せがあろうが悪の秘密兵器が待っていようが怖くはない。
なぜならば自分達こそが正義だからだ。
イナゴレイダーは今日も終末の荒野を駆ける。
悪が滅びるその日まで。
次回でようやく主人公勢に視点が戻り、ローとの間でどのようなやりとりをしたかを描写できると思います。
順番が前後していますが、テンポ重点と延々と主人公達のどんより会話をするよりは世紀末で頑張って生きる人々の描写を書いた方が楽しめるという感じで先出ししている塩梅です。
未だに月二回更新が達成できてませんがご容赦を。
今回はここまで




