四話、少女の寄り道
今回は若い男の子と女の子が街を散策するお話です
どうしてこうなってしまったのか、こんな事になる筈など無かった筈だ。
アホで無能な族長を適当な所で事故らせて帰る筈であったのになぜこんな場所に俺はいるのか。
屑は死んだが己もまた、死に超高速で突き進んでしまっている。
僅かにざわめく雑踏の中、隣に明らかに場違いな雰囲気を醸し出す青髪の少女を伴った男は緊張した面持ちで都市の大通りを歩いていた。
周囲のボロ布や擦り切れた旧時代の服だった物の残骸を纏う有象無象とは一線を画す純白のワンピース。
同じくボロ布を頭に巻く程度の者達が大半の中で目立つしっかりと編まれた破損などまるでない麦わら帽子。
そして土や油で汚れた周囲の人間達とはまるで住む世界が違う様に汚れ一つ無く、近づけばかぐわしい香水の香りすら漂う健康的な肌色の手足。
「いやぁ~、やっぱり都市は人多いねぇ~」
その全てがこの場において異質な少女が男の左側で歩調を合わせつつ、麦わら帽子を抑えながら微笑みかけてくる。
事情を知らぬ者にとっては自分が一山当てて高級娼館からとびっきりの娼婦を買った様にでも見えているかもしれない。
だが、実情は全く違う。
この女は男の族長、ズークを刺殺して彼の地に集まっていた部族の戦士を瞬く間に掌握した化け物なのだ。
返答一つで気分を害し、次は己が始末されるかもしれないという恐怖に男は苛まれていた。
「は、はい!その通りです!」
「もぉ~、硬くならなくて良いんだよぉ~?別にデートでもしてるんじゃないんだからさぁ~」
思わず声が引き攣り、少女はそれに苦笑いしながら他愛ない事として受け流す。
「それで、こっちがローちゃんって人のお店がある方向?」
「は、はい。そうでございます、クロエ様」
許された、そう思いながら続いた青髪の少女クロエの質問に男は今度は冷静に返答を行う。
男の名はゴサン、王殺しの弔い合戦の先鋒を任されたクロエに付き添う事になった最も哀れな男達の一人である。
ゴサンは今、数日前に標的の一味が利用したと報告された店へとクロエを導く役割を任せられていた。
仲間達の中でゴサンだけがその店に何度か使いに行った事で場所を覚えているという理由が抜擢の理由だ。
自分達は関わらずに済む。
そう理解した瞬間、他の仲間や配下たちはゴサンを見捨てて車両へと残る事を選んだ。
元からそうであるとはいえ、ゴサンは避けられる理不尽を前にすると薄情な同胞達を深く恨むほかに術がない。
クロエが街に寄りたいと言わなければ、車の後部座席で息を殺して縮こまっているだけで良かったのに。
「し…しかし、イナゴレイダー様と別れて良かったのですか?」
「あー、しょうがないしょうがない。イナゴちゃんみたいなのはせっかちだからねぇ~」
どうにかクロエとの距離感を掴もうとゴサンは都市に入る前に別れたもう一体の悪魔憑きの話題を挙げた。
都市に入ろうと提案したクロエに対し、即時追撃誅殺を譲らないイナゴレイダーは都市が見えた時点で別れて行動する事になったのである。
「クロちゃんがイナゴちゃんと組んだのはあの子が伝令の子まで問答無用でぶっ殺しそうだからって話だったからねぇ~」
「な、なるほど…」
「まあ、綺麗なチョウチョに乗ってる子たちは殺すなって念押ししておいたから……大丈夫だよ、多分。うん、多分…大丈夫…きっと、おそらく…」
最後に行くほどに間延びし、曖昧になり、歯切れが悪くなるクロエの言葉にゴサンは彼女もまたあの悪魔憑きには手を焼いているのだと知ってどこか親近感を覚える事が出来た。
「クロちゃん的にはね、あの子たち嫌いじゃ無いんだよねぇ、チョウチョ綺麗だしそれに…」
不意に止まった言葉にゴサンはクロエの方へと視線を移し、後悔した。
「凄く鍛えられてる。ああいう子たちって殺す時って凄い抵抗して来て手応えあってタギるから…私に殺されるまではしっかり生きてて欲しい」
「…ッ!」
クロエは狂暴な肉食獣を想起させる尖った牙だらけの歯を剥き出しにしながら笑みを浮かべていた。
しかし、それはほんの一瞬の事でありゴサンへと顔を向けた時にはいつも通りの柔らかな少女の微笑みへと戻っていた。
「ま!殺さないけどね!」
「は、ははッ…」
「優秀な人は殺すと楽しいけど、殺すといなくなっちゃうからね!」
やはり駄目だ、分かり合えないし理解したくない。
ゴサンは目の前の少女がかつての主であったエンキと同じ悪魔憑きであり、気分次第で己を簡単に殺せる化け物だと再認識せざるを得なかった。
「あっそうだ!ゴサンちゃんは好きな人とか故郷にいないの?」
ゴサンのそんな考えを知ってか知らずか、微笑みながら両手の指を合わせてクロエが先程までの流れを無視して雑談を持ちかけて来た事にゴサンは困惑した。
クロエに従って以来、ゴサンは彼女に振り回され続けていた。
「えっ…なぜそんな…」
「到着するまで無言なんて寂しいよぉ~?これからきっと長い付き合いになりそうだからもっと会話して打ち解けとく方が良いと思うよぉ~?」
やけに距離を詰めて来るからこそ逆に怖い。
クロエはゴサンに微笑みながら、しかし、目から視線を一切離さないからだ。
吟味されている、品定めされている。
肉の質を確かめる料理人の様にクロエは己をクロエの中だけの基準で判定している。
「い、いません。時期が来たら長老連中が適齢期同士の相手をくっつけるのがしきたりでして」
「えぇ~!夢がなぁ~い!じゃあ、白馬の王子様とか夕暮れ時に戸の前に美女が~みたいなキラキラ話も無しィ!?」
「あ、ああ…。ありませんねそういうの…」
「はぁ~、可哀想だねぇ~。クロちゃんなんてすっごい素敵な人と出会えたのにぃ~」
いずれ喰われる事が前提で飼われる動物の視点から人を見るとこうなるのであろうか。
ゴサンは背筋に悪寒を走らせながらクロエの出す質問に必死に返答する。
機嫌を損ねてはいけない。
しかして、何が機嫌を損ねるか分からない。
地上人が悪魔憑きと間近に接して死ぬ理由の一番は相手の機嫌を損ねる事である。
そして、それは何人かが頭を叩き潰されてから分かる事である。
ゴサンは初見で見えない地雷原の上で反復横跳びをさせられている様な物であった。
磨り減る精神、止まらない汗、上ずり途切れそうになる声。
しかし、ゴサンにとって最も濃密で強烈な時間は予期せぬ形で終わりを迎えることとなった。
「すっごいよ~!私の素敵な彼氏のリュナちゃんはねぇ…ッ!」
ゴサンに顔を向け、楽し気にのろけ話をしていたクロエの左手が素早く通りへと延びて何を掴んだ。
それは何かを握りしめた汚らしい細い腕であった。
腕が握っているのは戦前の民間企業が作った物と思われる可愛らしいキャラクターがデコレーションされた財布であった。
明らかに周囲から浮くそれもまた、クロエの所有物である事は明白であった。
誰かがクロエにスリを試み、捕らえられたのだ。
「あなた、やっちゃったねぇ…」
歓喜に打ち震える暗い喜びを隠せない静かな呟きをクロエが放ち、背骨に氷を捻じ込まれた様な悪寒と急速に湧き上がる恐怖がゴサンを襲う。
即座に半身を旋回させたクロエは右腕を下手人の首の下へと滑らせ、しっかりと固定する。
数瞬の後にはクロエは財布を盗もうとした下手人を背後から首を絞めて拘束する体勢を完成されていた。
左手で財布を握る腕の手首を抑え、右腕で下手人の首を締めあげて持ち上げる。
その姿はどこか、ダンスをする男女のようであり、鮭を捕まえた熊の様でもあった。
「ありがとねぇ~ゴサンちゃん。人の多い街中でああやって隙作れば釣れる思ったんだぁ~」
「な、何がですか…?」
「んーとね、こういう人!」
満面の笑みでクロエが捕まえた下手人はボロ布を羽織っただけの男であり、その片腕は半ばから切断されており、同じく汚らしい布が巻き付けられているのみであった。
残る片手は財布を掴み、首はクロエに締めあげられて固定され、僅かに宙に浮いた足をばたつかせて抵抗する。
それだけが男が唯一出来る抵抗であり、そんな事を歯牙にもかけぬクロエは男を持ち上げたまま通りの端へと移動する。
「あっ!あったあった!」
僅かな間、周囲を見回したクロエはとある物を見つけて喜びの声を漏らしてそこへと速足で近づいていく。
その姿をゴサンは見守り、遠巻きに眺める事しか出来ない。
そして唐突にゴサンは悟った。
これは処刑の前準備であると。
「ほら見て、凄く良いお洋服でしょ?人の最期は一度だけ、見える景色は綺麗であるべきだと思わない?」
クロエはとある店舗に飾ってあるひび割れ、所々が欠けた姿見用の鏡の前で男の耳元で優しくそう告げる。
それを聞いた男は目を見開き、歯を食いしばり、残された力の全てを振り絞って拘束から逃れようと暴れまわる。
だが、それはクロエの衣装を泥で汚し、皺を作る程度にしかなりえない。
足で脛や股間を蹴り上げようとクロエは微笑みを絶やさず、決して微動だにしようとはしない。
そして男が一しきり暴れて消耗し、息を切らして力が抜けたのを確認すると再び優し気な口調で耳打ちした。
「じゃあ…絞めるね…」
直後、男の首を拘束する右腕が万力の如く引き締められ、ゴサンの耳にすら届く骨の砕ける嫌な音を鳴り響かせて男は絶命した。
その音に通りの人間達は歩を止めてクロエに向けて視線を送る。
「あっ!大丈夫だよ皆!ちゃんと首刎ねるから!」
首を折った男を地面に投げ捨て、服の下から二本の刺突剣を取り出したクロエは群衆に向けて叫ぶ。
そして躊躇する事無く両手に持った二本の刺突剣を振り上げ、男の首の中央、あえて骨を狙って突きたてた。
そして――――――
「ふんッ!」
気合の入った一声と共にそれぞれ左右に動かされた二本の刺突剣によって男の首が寸断される。
最初の一撃で骨を粉砕し、残った肉と皮を悪魔憑きの筋力でねじ切るという技巧と筋力の合わせ技による見事な手前であった。
飛び散る紫の鮮血を受け、白のワンピースが汚れる事を全く意に介さない様にクロエは切り取った首を掲げた。
「はい!これで屍者にはならないから安心してね!」
それを見た群衆の反応はさまざまであった。
己には関係も害も無いと安堵する者、巻き込まれたくないとばかりに目を逸らして離れようとする者、クロエが作った『肉』を手に入れようと待ちに入る者。
いずれにしろ、クロエに敵意や害意を持つ者はいなかった。
誰もが『関わらない方が良い』、そう考えて静かに離れていく。
「ゴサンちゃんお待たせぇ~!やっぱり人殺すとすっきりするねぇ~!」
そんな中、逃れられない関係にあるゴサンは青ざめた顔で『一仕事終えた』とばかりに満足した表情で戻って来る血濡れの少女を迎えるしか無かった。
どうしてこうなった、ゴサンは再びこの問いが脳内を駆け巡っていた。
――――――――――――
……これはまずい客が来たようだ。
店の戸が開いた瞬間、奥で寛いでいた店主であるローは長い間商人として培ってきた感覚から来訪者が厄介な存在である事を悟った。
既に会う前から空気が軋むような感覚、長い間生きて来てこの様な経験をしたのは数度しかない。
だが、どれも鮮烈でありとても忘れる事など出来ないものであった事は言うまでもない。
この感覚はかつて店の傍を通ったおりに平伏して迎えた彼の瓦礫の王それに近い化け物の気配だ。
相手の視界に入れられる事も無く、標的にされる事が無くても感じる重圧と焦燥感、それが迫ってきている。
「……お客様を応接間に、歓待方式3でもてなしなさい」
ローはしわがれた声で配下の奉公人にそう告げると枯れ木の様な体を椅子から立ち上がらせて覚悟を決める様に水差しのコップに入った水を飲み干してゆっくりと応接間へと向かっていった。
「お待たせしました、店主のローと申します。お嬢様は…」
「クロエ・ノワール、気軽にクロちゃんでいいよぉ~」
「分かりました、クロエ様。それでこの老体になんの御用がありますでしょうか」
既に椅子に座って寛ぐクロエに商人らしい怪しげな笑みを浮かべながらローはクロエの対面する形で座り、丁寧な言葉で探りを入れる。
見るからに怪しい少女である。
この界隈では手に入りようがない質の良い衣装を纏いながら、それは大量の返り血によって汚れきっていた。
顔の返り血は拭ったようだが、衣服に付着した大量の血痕は決して拭われてはいない。
だが、店内では帽子を脱ぐという礼儀作法は弁えている。
狂ってはいるが、元々はどこかの良家の出身であろうかとローは推測した。
「うん、聞きたい事があるんだけどねぇ~。その前に、一対一でお話がしたいなぁ~って」
クロエは表情を崩さない。
ただ、何かの匂いを探る様に匂いを嗅ぐ動作を行っている。
己の仕込みがバレているのか。
しかし、ローはあえてシラを切る事にした。
見極める必要があるからだ、この少女が凡夫か化け物か。
「はて、今ここには私とあなたしかいない筈ですがね。使用人どもにはさがらせましたので…」
「そっかぁ~、じゃあ問題ないって事だよね?」
クロエはゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。
「良い家具が揃ってる、どれも外の物と違って壊れてないし雰囲気も良いね」
「ええ、私の自慢のコレクションですよ。崩壊前の品なんかもあります」
「うん、特にこのクローゼットなんて素敵だと思うなぁ~」
クロエは素直にセンスが良いとローを評価しつつ、部屋の壁にたてかけられたクローゼットの前まで進むとおもむろにその扉に右手の掌を添えた。
同時に短く切り揃えられ綺麗に整えられていた青い髪が逆立ち、体から紫電があふれ出す。
『本気狩放電!』
叫びと同時にクローゼットに大量の電撃が送り込まれ、内部から絶叫が響き渡る。
時間にしてほんの数秒の出来事であった。
「あららぁ…」
クローゼットを開き、中から感電死した数名の武装した男の遺体が転がり出てきたのを確認したクロエは満足げに頷いて席に戻った。
「お互い危なかったねぇ~、誰もいない筈なのに『賊』がいたよぉ~」
逆立った青髪を取り出した櫛で整え直しながら、クロエはゆっくりを椅子に座る。
「ええ、お客様に危険が迫っていたとは…全く持って当店の落ち度でございます。以後この様な事がないよう―――」
「別にいいよぉ~。知ってる事、全部教えてくれればそれで」
ローが取り繕おうとするのを片手で制止するとクロエは中腰になって対面するローの顔に自身の顔を限界まで近づけた。
そこでローは違和感を覚えた。
決して背が高いとは言えない筈の少女である、体面に座っているからには直接近づかなければ顔と顔を間近には出来ない筈であった。
だが、少女は一歩も動いてはいない。
だというのに長机を介して距離のある筈の空間を無視して顔がローの目の前にあるのだ。
耳に響くのは凝った間接をほぐした時にパキパキとなる骨の音、そして目の前にあるのは澄んだようにも淀んだようにも見て取れる蒼い瞳。
その色は既に消滅し伝説の中でしか語られない『海』の深淵のようであった。
見る者を呑み込み、押し潰す様な圧迫感に年老いたローは次第次第に圧倒されていく。
無意識のうちに呼吸は浅くなり、年甲斐もなく冷や汗が顔を伝う。
異形の少女の前には老荘な老人もただの人でしか無かった。
「エンキちゃん始末した子たちと取引したんでしょ?全部教えてくれる?」
ローはこの時点で観念した。
自分の手に負える相手ではない、全て話してこの場は生き残るべきだと。
後は化け物同士の問題である、全てが終わった時に自分に理がある形で終わる様にここは穏便にいくべきだと。
「分かりました、全てお話ししましょう。その代わり―――」
「心配しないでよぉ~。物分かりの良い子は殺さないし、協力してくれるなら悪いようにはしないってぇ~」
ローが力無く座ると少女もまた席に座った。
その雰囲気は元へと戻り、先程の光景が真実であったのか彼女の圧迫感がもたらした幻覚であったのか、ローには推し図る事は出来なかった。
「あ、そうだ!あと美味しいご飯とお茶もちょうだい!クロちゃんお腹空いちゃってぇ~」
「え、ええ…すぐ用意しますとも。幾らでもおあがりください」
「外に待たせてる子にもお願いね、連れ回しちゃったからまだご飯食べれてないんだ」
物事が自らの望むままに進んでいく事にクロエは終始ご機嫌であった。
――――――――――――
もう嫌だ、早く帰りたい。
クロエをローの店に送り届けたゴサンはその時点で既に完全に心が萎え切っていた。
だが、当然ながら送っただけで話は終わらない。
帰り道を案内はしなければならない。
少しでも関わる時間を減らす為に店内に入る事は理由を付けて拒否し、幾ばくかの時間を稼いで精神を落ちつける事は出来たがそれでも磨り減った精神は簡単には回復などしはしない。
頭に浮かぶのは悪い予想ばかり、自分のあの片腕の男の様に無惨に殺されるのか。
もっと酷い殺され方をするのではないか、拷問された末にゆっくりと死んでいくのを楽しまれるのではないか。
殺された族長ズークの生首がちらついて離れてくれない。
「お待たせぇ~」
「ひッ!おかえりなさいませッ!」
故に、ゴサンはクロエが帰って来た時に思わず悲鳴を上げるという醜態を見せてしまった。
それを見たクロエはあからさまに不機嫌そうに眉を細めて険しい顔を見せる。
「アッ…!アッ…!申し訳――――――」
「女の子をそんな化け物みたいに見ちゃ駄目だよ?傷つくなぁ~」
取り乱しそうなるゴサンとそれを見て悲しそうな態度をするクロエ。
次に出たのは拳ではなく出来の悪い教え子を諭す様な言葉であった。
「ゴサンちゃん。そもそもねぇ、殺そうと思ったらクロちゃんここまで気を使わないよ?」
右手の人差し指を立てながらクロエはゴサンへの説教を続ける。
「クロちゃんが人殺しが大好きなのは事実だよ?でもね、誰彼構わず殺すほどお下品じゃぁないんだよ?」
「は、はぁ…」
まだ死なずに済む、それを理解したゴサンの精神は若干回復し、受け答えが出来る所までは均衡が戻って来ていた。
それを理解したクロエは言葉を続ける。
「男の子たちだって顔が奇麗でおっぱいが大きい女の子を見たら『ヤリたい』とか『お付き合いしたい』って思うでしょ?でもだからってその場でなりふり構わず襲い掛かる?」
「い、いえ…違います…」
「クロちゃんもそーなの!ちょっと殺しやすそうな人とかいると目移りするけど即殺すとかはしないの!お分かり!?」
「はっはい!分かります!」
「ま、まあ若い頃は結構なりふり構わず殺しまくっちゃったけどぉ~。それはなんというか一人エッチ覚えた若い子が盛りまくっちゃうのと一緒と言うかぁ…お昼からお下品は駄目よ駄目!」
続ける内、自然とクロエは言っている事の下品さに気づいた様に顔を紅潮させて両手で顔を隠して座り込む。
「ま、まあ!要はクロちゃんにも殺して良い相手には基準があるのです!以上!帰ろう!」
勢いよく立ち上がるとクロエは無理矢理要点をまとめて歩き出した。
ポカンとしていたゴサンも我に返り、その横に急いで追いつく。
「えと、その…クロエ様の言う殺して良い基準っていうのを参考まで聞かせて貰えれば…」
「あ、そうだねぇ~。ゴサンちゃんとは長くなりそうだし教えておいた方が良いね!」
ゴサンの提案にクロエはナイスアイデアとばかりに指を鳴らす。
「そうだねぇ~、クロちゃんとしても殺しは悪い事って自覚はしてるんだよね。辞めろってのは呼吸するなっていうぐらい無理だけど」
「は、はあ…」
「だからね、『悪い人』を狙うんだぁ~。クロちゃんこれでも若い頃は教会の学校通ってたから知ってるんだよ?」
「な、何を…?」
「なんとね、算数ってマイナスとマイナスを掛けるとプラスになるんだよ!つまり、『悪い人』に『悪い事』をするとそれは『善行』になるのです!」
学の無いゴサンには意味が全く分からなかった。
プラスとマイナスとは一体何なのか、まずそこからして分からなかった。
「さっき殺した子ね、どうせ先は長くなかったよ。腕が化膿して腐ってたから」
彼らは知らない、その男がそれ程遠くない時期にボースから金を盗もうとして腕を切られた男であったことを。
追う者と追われる者たちは当人すらも知らぬ間に奇妙な縁で繋がれているという事を。
「ほ、本当ですか?」
「うん!クロちゃんは鼻が良いからねぇ~」
歩みを続けながらえっへんとばかりにクロエは胸を張る。
だが胸を張っても別にそこには揺れる程の胸は無かった。
彼女はとても貧相な胸の持ち主であった。
「あんな状態で放置されてるって事はあの子は守ってくれる仲間も組織も無い。そして明らかに怪しい私相手に悪事を働くぐらい困窮してた。殺しても問題ないしむしろ善行だよね!」
要は殺しても問題ないと判断したので殺したという事であろうとゴサンは雑に理解した。
支配者のいないこの都市に秩序は無い。
やり過ぎなければ誰も咎めはしない。
そして、みすぼらしい男を守る組織も仲間も一切存在してはいなかった。
ただ、それだけの事。
だが、クロエは男を捕まえた瞬間にはそれをすべて理解していたのだ。
つまりは、自分がまだ生きて居るのもまたクロエにとっては己が『悪い人』ではないから安心しろと言っているのだろう。
ゴサンはクロエに対する警戒心を解こうとした。
その時、唐突にクロエの歩みが止まった。
「ん…」
「ど、どうしましたか?」
気が付けば太陽は傾き、夜が急速に迫りつつあった。
早く仲間達の所に帰らねばならない、そんな時にクロエはとある路地へと向かう小道の前で歩みを止めたのだった。
数度鼻を近づけて匂いをかぐ動作をし、そして――――――
「匂うねぇ」
それだけ言うとゆっくりと路地裏へと入っていく。
「ど、どこへ!?」
「ちょっと野暮用ぉ~」
「お、お待ちを!」
「ここから先、怖いよぉ~?」
「一人はもっと怖いですよ!」
化け物と一緒にいるのは怖いが、離れるのはもっと怖い。
もうすぐ夜である、都市の中だが夜陰に乗じて城壁を登って来る個体は少なくない。
単独行動は命の危険が大いに高まって来る時刻である。
ゴサンはマイペースに動くクロエに付き添って裏路地へと突撃した。
そうして、歩く事十数分。
ゴサンは『ソレ』と初めて遭遇した。
「おっ、いたねぇ~」
それを見てもクロエの態度は変わらなかった。
ゴサンもまた、理解が出来ないが故に遭遇当初は平穏を維持できた。
路地裏で体を絡ませ、顔を近づけ合う男女の姿。
それも一人の男に二人の女が前後から絡みついている。
何の事は無い娼婦と行きずりの男の情事であろうとゴサンは判断した。
御盛んな事に同時に二人も買ったようだ、妬ましい限りであった。
しかし、その後すぐにゴサンは違和感に気付く。
逢瀬にしては男の動きがぎこちない。
いや、違う。
男は白目をむいて痙攣し、既に事切れていた。
よくよく見れば女たちの頭から伸びた太い髪の束の様な二本の触角が男の脳天に突き刺さり、内容物を吸い上げているのが見て取れた。
それを理解し、逃げようとしたその瞬間、首根っこを掴まれる感覚と共にゴサンの体が宙に浮いた。
「やっほぉ~、『餌』持ってきたよぉ~」
声の主はクロエであり、己の体を掴んでいるのもまたクロエである。
明らかに異常な女に向けて親しい友のように手を振り、弁当を持ってきたような気軽さでクロエは近づいていく。
俺は殺さないんじゃなかったのか!?
恐怖のあまりにゴサンは失禁を禁じ得なかった。
それに対して二人の女は男に刺していた触角を引き抜き、同時にクロエに顔を向けた。
その顔は目が覚めるような美女であるが、感情を感じさせぬ能面の様な作り物の雰囲気をも兼ね備えていた。
「仲間カ?」
「見タ事ノ無イ個体ダ」
「新参カ?」
「触覚ガナイ」
短くそう語り合うと二人の女は脳を貪っていた男を投げ捨て、姿勢を低くして走り寄って来る。
「おっ!賢いねぇ!結構食ってる!」
それを見たクロエは掴んでいたゴサンを後方へと投げ捨てると女の片割れに向けて右手を銃を模した三本指にして指向する。
『本気狩殺光線!』
閃光が走り、轟音と共に指の間から放たれた紫電が女の胴体に直撃し、腹に風穴を開ける。
しかし、女は止まらない。
体を破壊され崩れ落ちるその間際、腹に穴の開いた女は己の頭を掴み、クロエに向けて全力で投擲した。
「脳髄ィイイイッ!」
叫び迫りくる生首にクロエは待ってましたとばかりに左手で取り出した刺突剣を突き立てた。
飛来する頭部にアッパーカットを叩き込むかの如く、キレのある下からの一撃に刺突剣の切っ先が頭蓋を突き破って露出する。
「剣玉一丁ォ!」
その勢いに任せ、生首を空中に放り投げたクロエは時間差で迫るもう一体の女に即座に対応する。
先にやられた生首から降り注ぐ青い血の雨の中、二体の異形が正面から激突する。
「取ッタァ!」
先にやられた同族を始末するのに右手の電撃は撃ち切り、左手の武器は失われた。
今の奴は無防備、そう判断した女は勝利を確信して叫けび、クロエに突撃する。
だが―――――――――
「素手で失礼ィ!」
同じく両手を突き出して掴みあった瞬間、女の衝力はクロエの握力と踏ん張りに押し負けた。
大岩にでも突撃したような衝撃が女の腕に走り、軋みを上げて折れると同時に視界が宙へと流転した。
クロエが女の両腕を握ったまま、女を己の後方へと振り上げたのだ。
脱出しようも腕は既に折られ、指はがっしりと恋人結びで固定されて逃れようがない。
「『本気狩』はァッ!『肉体言語』だぁあああああッ!」
叫びながらクロエは体を限界までのけ反らせ、女を背中から地面へと全力で叩きつけた。
両腕と胴体を粉砕され、衝撃で意識を混濁させられた女はなおも起き上がろうと体を震わせる。
だが、その試みは既に女の上に陣取っていたクロエの最後の一撃によって無意味に終わった。
「救済ッ!」
残されたもう一本の刺突剣を脳天に突き立て、クロエは仕事が終わった時に叫ぶ勝鬨を挙げた。
闇が迫る中、路地裏で生きて居る生物は血に塗れたクロエとその姿を呆然と眺めるしかないゴサンの姿だけであった。
「い、今のは…」
「これね、『脳髄啜り』って言うやつで教会の土地にもいるんだよねぇ~。ここにもいるんだねぇ~」
「ひ、人じゃないんですか…?」
「あ、気になる?こっち来てみて」
手招きし、ゴサンの目の前でクロエは女の服を剝いだ。
その体は整ってはいる物の、球体間接人形を思わせる不気味な物であり、更には――――――
「…ッ!」
「悪趣味な生態でしょぉ~?この子たちね、人間の女に擬態してて胸がなんとこの子たちの幼体になってるの!頭が本体で胴体は戦闘用みたい」
女性の胸があるべき場所にあるのは女の生首の小型版とも言うべきものであった。
胸を模した半透明の袋の中にはまだ未熟な生首が羊水の中で脈動を続けている。
一つの体に二つの幼体を宿し、十分に栄養を与えられてると孵化して脱落する仕組みを持つこの種は人間社会に紛れ込んで狩りをする事に特化したミュータントであるとクロエはゴサンに丁寧に説明していく。
「この子たちはホイホイついていったエッチな男の子の脳みそをこの『アホ毛』でぶっ刺してチューチュー吸っちゃんだよねぇ~怖いねぇ~」
刺突剣を刺された頭部生える触角を掴みながらクロエは『脳髄啜り』の捕食について解説する。
「脳を吸えば吸う程賢くなる。馬鹿な個体だったらさっきの演技でもっと楽に殺れたけど、この子たちは頭良いから結構長生きして脳を吸ってるねぇ~」
そこまで言うとクロエは頭部に突き刺していた刺突剣を引き抜き、胸の幼体に突き刺していく。
「まだ未熟だから多分大丈夫だろうけど、一応全部始末する方が安全だからね!」
全ての事が終わった時、クロエの前身は青と紫の返り血に染まり、白いワンピースの面影はまるで残ってはいなかった。
――――――――――――
「いやぁ~今日は沢山殺せたからクロちゃん大満足です!喰い貯めならぬ殺し貯めだね!」
「た、楽しそうで何よりです…」
「情報も仕入れらたし、イナゴちゃんがしくじってたら『真剣勝負』だねぇ~」
最早完全に夜になった頃、ゴサンはようやくクロエと共に部下たちの待つ車列へと戻ってくる事が出来た。
もう一生分の忍耐と辛抱を使いつくした気分であるが、まだたったの一日しか経っていない。
偉大なる王、エンキの仇討ちが完了するまで、ゴサンの苦悩が終わる日は来ないのだ。
「まっ!今日はゆっくり休んで!クロちゃんとちょっと湯あみしてくるねぇ~」
クロエは限界といった風のゴサンの肩を叩きくと悠々と車列へと戻っていき、しかし途中で人差し指を向けながら素早く半身を振り返らせた。
「覗き見はメッだよ!クロちゃん彼氏持ちだからねッ!」
「は、はい…」
どうしてこうなった。
ゴサンは車へとたどり着くとその言葉を最後に体を休めるべく意識を手放した。
脳髄啜りは人間の女性に擬態して人間のコミュニティに浸透して個体数を増やしていくタイプのミュータントである。
雌雄は無く単為生殖によって増殖する。
十分に成長した個体が栄養を蓄えると胸部に偽装した部位より新しい個体が生えて来て十分に成長すると脱落して自立行動を開始する。
この為に新しい個体を産み落とす直前の脳髄啜りは巨乳のようであり、個体を産み落とした後には胸が一時的に完全にへこんだようになるのである。
肉体は人間に偽装し、人類の道具を運用するための義体であり本体は頭のみ。
故に肉体の破損は脳髄啜りの行動力を落とす事は出来ても殺傷には繋がらない。
人間の脳が主食であり、喰らうごとに一定水準までは賢くなっていくが上限を越すと悪魔憑きや高知能の存在を捕食しないと能力の上昇を行う事が出来なくなってしまう。
この性質から根絶は困難であり、都市には必ず潜んでいる面倒な存在として地上人は恐れているのである。
別名、冒涜的ゆっくり霊夢。
今回はここまで




