六話、名前持ち
ここから暫く主人公は空気です。上官無双が続きます。
死に掛けだからね、しょうがないね
人と人ならざる者が共に死体の山を築いた死地と化した地下鉄の構内の一角、腹を裂かれた大蛇の隣で紫色の血と泥にまみれ、くたびれた軍服を着た男が人の形をした鉄塊を必死に動かそうともがいていた。
人間と怪物、そして腹を裂かれて痙攣している大蛇の血と臓物の匂いがかび臭い埃と混じり合って不快な匂いを充満させている中で地面に仰向けに横たわる強化外骨格の両足を握りしめ、引き摺ろうと幾度となく試みては失敗している。
「くそ!なんでこんなに重ぇんだよ!?」
全力を出しても持ち上げるどころか引きずる事も出来そうに無い強化外骨格の重さにフランシスは驚愕した。
肩を担いで運び出そうという試みは早々に頓挫し、足を持ち上げて引き摺るというプランBもまた不可能という結論が早々に出始めていた。
目の前で生死を彷徨っている命の恩人の上官に下がっていろと命じられられ、その言葉に従い重症のRを運んで退避しようと試みていたが、どうにもならない事が徐々に判明し途方に暮れ始めていた。
「この人達はこんな重てぇ物着て戦ってたのか…」
もう市民兵になって5~6年程度にはなるフランシスだったが、正規軍の兵士とここまで長く深く付き合ったのはこれが初めてだった。
そして今だに自分が何の『市民』なのかフランシスには分からなかった、恐らくはこれからも分からないまま生きるのだろう。
少なくとも分かっているのは本来の彼らは自分達を同じ人間として扱う事は殆どないという事だけだ。
雇用者達の建前や大義などは分からないし、どうでも良かった。
兵士となる事で自身と家族が危険の少ない土地と食うに困らない程度の糧食を得られる、彼らの先兵になったのはただそれだけの理由だ。
仲間達も使い潰す事が前提というならば頃合いを見て渡された装備を持ち逃げして売り払い当座の生活費にするも良し、野盗に転向するも良し、そういう奴らが多かった。
地上での活動に制約が多い彼らを補佐する存在と言えば聞こえは良いが、実態は面倒な後始末の為の雑用、危険な地域での捨て石、数合わせの雑兵に過ぎない。
邪険に扱われる事や時に謂れの無い言い掛かりで処罰された事もあった。
必要最低限の命令と確認作業以外の事での会話などまず無かったのだ、目の前の彼を除いては。
「手当とかどうすりゃいいんだよ…」
破損していた装甲の表面は溶かされて汚れ、何かに圧縮されたようにボロボロであったが、内側から染み出た灰色の粘度の高い液体が亀裂を塞ぎながら固まった事である程度修復されている様に見える。
だが、それ程の損害を受けて中の人間が無傷であるとは到底思う事は出来なかった。
彼の仲間の不穏な会話を聞けばその危機感は尚更高まる。
だが、銃の整備と操作、そして命令通りに動くという最低限の訓練しか受けていないフランシスには傍らに寄り添う以外にどうする事も出来なかった。
何よりこの装甲服を脱げば地上の大気に適応出来ない旧人類の彼は死んでしまうのだ、これだけの損傷を受けてなお中の人間が深刻な汚染に晒されていないのが奇跡と言えた。
「引っ張っても無駄だよ、外骨格本体だけで100kgぐらい有った筈だからね…」
途方に暮れていると地面に倒れている恩人が意識を取り戻したのか苦しそうに言葉を発する。
「旦那!?喋っちゃ駄目だ!」
「心配ないよ、即死じゃ無きゃ外骨格とインナーの生命維持機能が色々処置して早々殺してはくれない様になってるんだ…」
半ば潰れてボロボロになったヘルメット越しのくぐもった声が苦痛に耐えているのか以前よりも弱々しく聞き取りづらい。
「今も…っ!圧迫とか止血とか…よく分からない薬剤、打ちまくってるだろうから…安静にしてれば、もうしばらくは持つ…」
絞り出すように掠れた声を漏らしながら喋る事をやめない顔も分からない恩人にフランシスは押し黙って言葉を聞き続ける事しか出来ない。
「小隊長は?」
「旦那の仲間と一緒に戦ってる最中でさ、でも他の連ちゅ…皆さんはくたば…死んじまったみたいで早く逃げないと旦那も…」
「いや、無事ならば良い、良いんだ…」
なおも担ぎ出そうと試みるフランシスを制止しつつRは落ち着いた様子で喋り続ける。
「体を…起こしたい、手伝ってくれ。戦いが見える位置に…」
本来寝ているべきである事は素人のフランシスも理解していた。
だが、先が長くないであろう恩人の言葉に従い、手を握り背を支えながら立ち上がった兵士を未だに痙攣する大蛇の死体にもたれられる様に補助する。
「ありがとう、これで良い…」
僅かな距離を歩き、未だ痙攣する死にたての大蛇に背を預けた状態で再び座った状態になったRはゆっくりと息を吐く。
視線の先にはRと同じ強化外骨格を纏った二人の兵士が亡者の群れに切り掛かっていく光景が繰り広げられている。
明らかに自殺行為にしか見えないそれを見つめているとふと恩人が口を開いた。
「大丈夫だよ、だってあの人は僕らと違って名前持ちの英雄なんだから」
フランシスからしたら自殺行為にしか見えないそれを見て尚、落ち着いたRの口ぶりには一種の安心感の様な物が漂っていた。
―――
「ふぅぅぅっ…!」
死地と化した地下鉄の構内を部下に命を救われた男が疾走する。
刀身から青紫色のプラズマを迸らせた両刃のバトルアクス型の戦斧を両手に握った強化外骨格を纏った兵士が『戦利品』の血を漁る亡者達に向けて前傾姿勢で疾走する。
劣化の激しい地下鉄の石造りの床を遠慮なく体重を乗せて踏み砕きながら力強く蹴る度に強化外骨格装甲内の人工筋肉が脈動し、骨格フレームを軋ませながら、弾かれたバネの様に僅かな距離で急激に加速し、既に死に絶えた兵士達の血肉を啜る亡者の一人に狙いを定めて斧を横に構えなおす。
「あぁ…?」
血を求めて巨躯を屈みこませていた亡者がその接近に気付き頭を上げ、その気配の方向に顔を向けるが時既に遅く――
「ふんっ!」
既に眼前まで迫っていたプラズマの刀が亡者の頭を横薙ぎに切り裂いた。
朽ちていながら至近距離からの小銃弾の連打にすら耐えた兜をプラズマの刃がバターの様に融解させ、肉と骨を焼きつぶしながら両断していく。
「外骨格基礎機能異常なし、ブレード出力異常なし」
そのまま地に倒れ伏していく亡者の脇を抜けながら兵士が小さく確信を得た様に呟く中、朽ちた兜を付けた龍と人の合いの子の様な干からびた顔の上半分が切られた勢いに任せて左に飛び、地面に落ちて青い血と淡いピンク色の脳をまき散らす。
その様子を見て、切り伏せられた亡者に近い位置にいる数体の亡者が怒りを示す様な咆哮を上げ、次々と立ち上がる。
だが、尚も速度を落とすことなく踏みしめる度に破片が砕け散る地面を蹴って加速しながら亡者に武器を構え直す間もなく肉薄し、更にもう一体の亡者を先程横薙ぎに払った戦斧を握り直し、逆袈裟に振り上げて鎧ごと胴体を上下に両断する。
崩れ落ちる亡者の先に槍を投擲しようと身構える亡者を視認する。
既に投擲体勢に入った亡者に兵士は握りこぶしを作った左腕を向ける。
その手首には他の兵士には装備されていなかった大きめの銃口が付いたグレネードランチャーの様な射撃武装が取り付けられていた。
亡者の投擲とほぼ同時に兵士は左腕の火砲を発射し、槍と砲弾が交差する。
槍は射撃直後に右に飛んで回避を試みた兵士を追うように空中で鋭角な軌道を描きながら追随し、しかし命中する間際に戦斧の横薙ぎに振るわれた一閃によって撃墜される。
そして槍の操作に気を取られていた亡者の顔にそれほど初速の早くない―だが近距離では目視してから躱せるほどでもない速度でもない―灰色の砲弾が直撃するが、それは爆発する事無く潰れて亡者の顔にへばり付いた。
亡者は視界をふさがれた事に気を害したのが声を荒げながら顔にへばり付いた灰色の粘着物を毟ろうともがくが、槍を撃墜した兵士が迫って来るのを確認すると短剣を抜き放ち迎撃を試みる。
二人の距離は急速に詰まり、互いの武器が激突する間際、亡者の顔にへばり付いてた砲弾が起爆した。
爆発の衝撃と炎が頭部を舐めつくし蒸発した青い血が煙と共にまき散らされると、短剣を落とした亡者が崩れゆく顔を必死に抑えようと両手で顔を覆い絶叫を上げる。
だがその絶叫も直後に横薙ぎに振るわれたプラズマの刃を纏った戦斧が腹に深々と刺された事で絶え、また一体の亡者が地面に倒れ伏す。
「リムペットシューター異常なし、行けるな」
手近な集団の一つを片付けた兵士は倒れ伏した亡者に使い終わった傘を傘立てに刺すかのように戦斧を突き立て、手首と首を回すストレッチを行いながら装備が十全に稼働する事を確信した素振りで一人言葉を紡ぐ。
そして今度は周囲の亡者に視線を向ける。
自身に近い一部の亡者はこちらに気がついたのか立ち上がり武器を構えて迫ってきているが、大半は食事に夢中で戦闘を意に介していない。
(今まで保っていた秩序だった動きがまるで無くなっている、どういう事だ?)
装甲ヘルメットの内側で声を漏らすことなく兵士は思考する。
先刻までの行われていた通常ならばありえない連携を行っていた亡者達は今や統率を失い各々がバラバラに行動を開始している。
戦利品である血肉を啜る者、こちらに気付き武器を構えてゆっくりと接近してくる者、或いは虚空を眺めるかの如くただただ立ち尽くす者など様々だ。
(原因があるとすれば一つしかない)
自身の推理を確信に変えるべく兵士は階段に居座る三体の騎士に視線を向ける。
蒼い大剣を持った騎士が一体に大盾と片手剣を持った騎士二体が同じく兵士を見つめ、目が合った双方の間に僅かな間静寂が訪れる。
上段に立つ大剣を握る騎士が左手に持っていた盾を地面に置くとその手を兵士に向け、クイクイと手招きを行った。
そして大剣を両手で握りなおすと地面に突き刺し、柄頭に両手を組んで置く。
来れる物ならばここまで来てみろ、騎士がそう言っている様に兵士は受け取った。
明らかな挑発に、だが兵士は動じない。
ただ短く、一言呟いた。
「03、ついて来ているか?」
直後、兵士の背後に騎士達の成れの果て、亡者の一体が持っていた直剣を握った兵士が短い跳躍を終えて同じく床の表面を砕きながら着地する。
「隊長…なんでそんな早く動けるんすか、装備同じなのに追いつけねぇ…」
03と言われた兵士、L2044伍長が苦しそうに肩で息をしながら答える。
「鍛錬の差だ、帰ったらこの任務がみっちり教え込んでやる。最低でも完全装備で全力疾走しつつ、思考制御と動作の先行入力を出来る様にしろ」
「ちょ…冗談じゃ…」
「ああ冗談だ、それよりも…だ」
背後から聞こえる呼吸音が落ち着いてきたのを確認すると隊長と呼ばれた兵士、ジョンソン少尉は伍長に振り向く事なく顎をしゃくって騎士の方を見る様に促す。
「亡者共が統制を失っている、その上あのクソ共は俺にこっちに来てみろと挑発して見せた」
「ちょっと意味分からんのですけど、隊長は分かります?」
「俺にも分からん、だが好機だ。頭を潰して指揮系統を崩壊させる。脱出はその後だ」
統制を失っている、それを理解して尚攻撃を選択する少尉にLは疑問を抱いた。
「統率を失ってるならばこのまま離脱しても良いんじゃ?」
「それだと奴がまた指揮を再開する可能性がある上にまたエーテルランスを撃ってくるだろう」
エーテルランス、それは大戦時代に猛威を振るった敵騎士の主力長距離攻撃魔法であり、部下のSの重強化外骨格 を一撃で貫き爆散させた光の槍だ。
あれをまた撃たれるという言葉にLの内心がざわつく。
「まだそんな余剰エーテルが残ってるってるって事すか?」
「そうだ、おそらく奴ら三人はまだ『生きている』レムナントだ」
生きているという言葉にLは背筋が凍る様な感覚を覚えた。
既に正気を失った亡者や死に損なったドラゴンゾンビの様な大戦の遺物以外にいる筈の無い、人類を滅亡の淵に追い込んだ存在が目の前にいる。
しかし同時にその予測を自ら口にして尚動じる素振りの無い小隊長に頼もしさも感じていた。
同じ兵卒として入隊しながら、地上での任務で数多の功績を上げ続け名前と士官の位を手に入れた英雄、最早生産の出来ない数の限られたプラズマブレード兵装の一つを預けられた白兵戦の天才、それが自身の上官である事にLは他言した事は無いが誇りを持っていた。
その彼が絶望していない以上、自分は部下として与えられた責務を果たすのみと腹を括る。
「どうやら奴は決闘を所望らしいからこの際乗ってやろう、このままでは02が持たんからな。最短で行く。付いてこい」
「了解!」
Lが同意の言葉を発したと同時に少尉は騎士達に向けて引き抜いた戦斧を構えて弾かれたバネの様に動き出す。
一瞬にして置いてきぼりを食ったLが少尉に追いつかんと必死に地面を蹴って追随を試みるが、距離は離れる一方だ。
間に立ち塞がるのは三体の亡者、フラフラとおぼつかない足取りで握った武器を引きずりながら迫ってきている。
その動きに今まで見せた狂暴性や知性は感じられない。
陣形も組まず、各々がバラバラに間合いに入り込んだ敵に剣や槍を奮い迎撃を試みるが、弾丸の如き速度で加速した少尉を補足しきれず、その切っ先は虚しく空を裂く。
逆にすれ違い様に首や胴体をプラズマの刃で両断され、亡者達が地に倒れる。
そして、未だ半ばから崩壊した階段に鎮座する三人の騎士の眼前へと至る。
「隊長、もしかして重強化外骨格 から降りた方が強いんじゃ?」
「馬鹿を言うな、敵の数が減ってるから出来る事だ、最初からこんな事やってたらとっくに死んでる」
少尉は遅れて追いついてきたLの問いに呆れた様な口調で返す。
実際その答えは事実なのだろう、重強化外骨格 二機で挑んで返り討ちに合い、生き残りの大部分と少尉、そして腐れ縁の親友を飲み込んだ大蛇や中隊の組んだ方陣をたやすく打ち破った連携の取れた亡者達を相手に最初から重強化外骨格 抜きの白兵戦を強いられていれば恐らくそう長い時間は持たなかっただろう。
敵が消耗し、分散し、指揮が崩壊しているからこそなんとか敵の頭を刈り取る可能性が生まれているに過ぎない。
だが、それでもこの人ならばなんとかしてしまうんじゃないかという根拠の無い信頼感をLは抱いていた。
「ただまあ、そうだな。機動歩兵は重強化外骨格が有ろうと無かろうと最前線で戦うものだ。良き兵士でありたいならばどちらも出来ていなければならん。我らは戦車兵とは違うのだ」
乗騎を失って尚、タフな陸戦歩兵として敵に立ち向かい、前線を支える。
だからこそのマトリョーシカという愛称であり、機動歩兵は精鋭歩兵としてかつての戦争で勇名を馳せたのだ。
少尉は会話を続ける間も騎士達から視線を逸らす事は無かった。
眼前に迫られてなお、指揮官と思しき大剣を握った騎士は動かない。
代わりに動いたのは下段に控える二体の騎士だった。
重強化外骨格 のプラズマランチャーによる砲撃を受けた際にバリアを展開して上段の騎士を守っていたことから、その二名は騎士の護衛の様なものなのかもしれない。
その二人が盾と剣を構えながらゆっくりと少尉たちと同じ階段下、二名の兵士と同じ地平の広間へと降りてくる。
「お前は左のを相手にしろ、倒す必要はない。俺が右のを片付けるまで時間を稼げ」
「了解です隊長。ところで、あいつ倒しちまっても良いすか?」
「出来るならな、行くぞ!」
その声が呼び水となったのか、兵士と騎士の双方が武器を構えて走り出し二対二の死闘が始まった。
機動歩兵は強化外骨格を装備した歩兵に更に火力支援用の搭乗式二足歩行型重強化外骨格『マトリョーシカ』を装着した重装歩兵です。
彼らは重強化外骨格を駆って前線を支え、乗騎を撃破された後は通常の陸戦歩兵として最後の瞬間まで勇敢に戦い続けました。
その戦いぶりから彼らはマトリョーシカの様だと言われていたのが時代の流れと共に機体の名前として定着したという感じです。
大戦初期において人類の保有する兵器で唯一、ヴィジター(現レムナント)の魔法騎士と正面からまともに戦えたのはMBT(主力戦車)だけであり、敵の侵攻に対してその数は常に不足していました。
そこで人類が行きついたのが歩兵の戦車化であり、多くの兵士が機動歩兵として前線に送られ散っていきました。