四十六話、血戦の果てに
今回はいつも以上に流血やグロテスクなR-18Gに該当する展開、描写が含まれます。
そう言った物が苦手な方は気を付けて御覧下さい、不快さや気分が悪くなった場合は閲覧をやめましょう。
闘いの開始を告げる言葉を吐くと同時に、エンキは素早く右足を踏み出すと同時に片手に持ち替えた鉄砕きで高速の突きをレオ目掛けて放った。
ポールウェポンの真骨頂、それは剣より長いリーチそれそのものだ。
例え刃を失ったとはいえ、鉄砕きは元は来訪者の騎士が用いていたハルバードであり、その太く長い柄は刺突においてこそ最も輝くのである。
片手で用いる事で安定性は落ちるが、瞬発力と射程は稼げる。
刺突に重要なのは速度であり、それには両手で持つ事が正しいとは限らない。
その優位をエンキはまずは小手調べとばかりに明確な殺意と共にレオへと突き付けた。
先程までの腑抜けならば例え鉄砕き自体を剣で防いでも攻撃に転化された力場制御で吹き飛ばされる筈である。
「ッ!」
今のお前はどう受ける、瓦礫の王の殺意に満ちた問いにレオは歯を食いしばりながら赤黒い鍛え直された両手剣を横薙ぎに叩きつける事で答えた。
異世界よりもたらされ、置いていかれた二つの武器がぶつかり合うと同時に金属同士が激突する不快な音が響き、次いで青い火花がまき散らされながら双方が弾き飛ばされる。
最初の攻防において勝利したのはレオであった。
横薙ぎに放たれた両手剣の一閃によって鉄砕きは弾き飛ばされ、それに振り回される形で宙に浮いたエンキの体が無防備に晒される。
好機、そう判断して歩を進めようとした所でレオは即座に考えを改めたのだ。
背筋に走る悪寒、俗にいう嫌な予感という物に襲われたからだ。
非科学的ではあるが、こういう時の感は戦場では比較的当たりやすく故にレオはその感覚に従って剣を構え直し、その判断はすぐに功を奏すこととなった。
「どんどん行こうぜェ!」
叫びと共に宙へと浮いたエンキの体が慣性を無視した様に即座に地面へと押し戻り、強く大地を踏みしめた足を軸として鉄砕きを両手に持ち替えながら弾かれた方向からそのまま一回転して大振りな薙ぎ払いを仕掛けてきたのだ。
攻撃は更なる攻撃への布石、そう言わんばかりに攻撃を防がれた事自体を利用して次を仕込んでくる。
その速度は尋常ではない、既に鉄砕きはレオの剣に触れんとばかり迫って来ている。
純粋な身のこなしだけでない、エーテルによる力場制御を複合した地上世界に適応した人外にしか出来ない荒業。
周辺の民に神と崇められるまで恐怖と殺戮をまき散らした畜生だけが成しえる唾棄すべき小さな奇跡。
その境地に至った化け物だけに許される確固たる狂信は、極小の特異点となって物理法則を容易に捻じ曲げる。
人の知能とミュータントの身体能力、そして大型起動兵器並みの力場制御を兼ね備える新種の脅威、それが邪神なのだと小さき神とエンキを称したスーラの言葉が真理であったことをレオはこの瞬間、確かに理解した。
鉄砕きの柄は見慣れた解読不能の奇怪なルーン文字が輝き、炸裂の準備すら整えている。
エーテルの炸裂がレオに効かない事は既に判明している中での行動にすぐにレオはエンキの意図を理解した。
「駄犬にサヨナラ言ってやりなぁ!」
退くことは出来ない、下がればエンキは力場制御による軌道変更で鉄砕きを地面に叩きつけてドッグを蒸発させるだろう。
かといって、ただ留まって受けてもやはり鉄砕きの炸裂はドッグを焼き尽くす。
こちらも、あの炸裂を打ち消す力をぶつけねばならない。
出来る筈だ、今の自分はもう人間ではない。
奴が化け物である様に、自身もまた滅ぼすべき邪悪を身に宿した怪物なのだ。
重要なのは『出来る』という狂信あるのみ。
「もう、人間ではない」
エンキの輝く鉄塊が迫る中、レオは中段で防御の構えをしながら静かに自分に言い聞かせるように短く自己否定の言葉を吐き出す。
同時に体から吹き上がったのは炎であった。
体だけではない、両手で握りしめている剣からも燻ぶっていた緑の炎が噴出して燃え盛り、刀身を包み込んでいく。
直後、二つの武器は再度の衝突を起こして炸裂する。
鉄砕きの放つ青いエーテルの奔流が全てを包み込もうとした刹那、新たに巻き起こった緑色の炎がそれを打ち消し霧散させる。
エーテルにはエーテルをぶつけよ、遠征軍の教本に乗っ取った基本的な対応マニュアルを異形の体を得たレオはついに独力で成し遂げた。
必然的に発生するのはつばぜり合い、互いに体重と力を掛け合った膠着状態の中でエンキは嬉々とした表情でレオに語りかける。
「見違えたな?ん?今のを防がれたのは久々だ」
それは素直な賞賛であった。
先刻頭を潰した時に見せていた不安や困惑といった不純物が消え、鍛えられた鋼の如く硬く鋭い殺意を放つ様になった獲物への賛辞、己の放つ恐怖に支配されない安定した心音、そして全力で放った連撃への見事な対応。
その全てがエンキを満足させるに十分な物であった。
今ここで、エンキは自分が狩るべき獲物が完成した事を確信したのだ。
「ここからは全力だ、お前も死にたくないなら本気で来い。いいな?ん?」
対するレオは返答しない、言葉に代わって答えたのは体から噴き出す炎であった。
己の体と剣からほとばしる炎は、確かな高熱を持ってエンキの肌へと伝わり、その毛を焦がす。
それは本物の炎であった。
邪神スーラの太陽神という権能と、その依り代たる血液に備蓄された膨大なエーテルが炎を生み出し、レオ本人すらも焼きながら放出されているのだ。
生み出された炎は高濃度のエーテルを含み、赤い筈のそれを緑へと変質させている。
そのエーテルが本来は無意識の力場制御によって物理攻撃への耐性を持つエンキの肉体を焼き、更にはレオ自身すらも冒していく。
己を焼き尽くしでも瓦礫の王を殺す、その意思をレオは己の体でもってエンキに宣言した。
「良い答えだ…ッ!」
レオから溢れる炎の本質を理解したエンキは獣めいた笑みを再度浮かべると弾かれた様に後方へと大きく跳躍した。
無論、逃走の為ではない。
エンキの戦いの基本は攻めて攻めて攻め滅ぼす、退却などという言葉は端から眼中にはない。
空中において構えを両手での刺突へと切り替えたエンキが着地したのは既に息絶えて通りの廃墟の一つに体を預けて沈黙する樹木であった。
その堅い表皮に垂直に着地すると同時に、それを人ならざる悪魔憑きの強化された脚力と力場制御で踏み砕きながら強く蹴って弾丸の様に加速しながらレオへと迫る。
距離を取ったのは退避ではなく、己自身を弾頭とした質量攻撃の行うための空間と発射台確保の為だったのだ。
エンキにとって全ての行動は次の攻撃への布石でしかない。
より強く、より速く、炎にすら焼かれる事のない神速の槍となれば良い。
その為にエンキは自身そのものを砲弾として、脚力を推進力とし、そして死体をカタパルトと為し、己を投射して狩るべき獲物へと飛翔する。
これを防ぐには高速徹甲弾の如き速度で迫るエンキの衝力の全てを受けねばならない、失敗すれば今度こそレオの体に鉄砕きが突き刺さり、その体は粉砕されるだろう。
かわされたならば、そのまま次の攻撃機動に移れば良い。
エンキにとって攻撃は相手の対応を強いる為であり、次への布石に過ぎない。
相手の対応に合わせて攻め方を変えるだけだ。
「むっ!」
そうして突貫するエンキは相対するレオの思いがけない行為に思わず声を上げた。
レオはあろうことか、燃え盛る剣を大きく掲げて上段の構えを取ったからだ。
突きに対しては不敵な胴体を無防備にする構え、しかしてそれを見たエンキが即座に取ったのは回避行動であった。
剣を掲げた直後、燃え盛る炎が勢いを増して長大な炎の刀身と化したからだ。
体を捻って軌道を変えるのとほぼ時を同じくして振り下ろされた炎の刀身が直前までエンキのいた空間を引き裂き、地面に衝突した直後に周囲に猛火をまき散らしながら爆発する。
「面白い!まるでドラゴンだなぁ!」
空中で無理矢理姿勢を立て直したエンキが朽ちたアスファルトの地面に埃を舞い散らせながら着地。
直撃を回避して尚、全身の金茶色の毛に着火して己を焼き尽くさんとする緑の炎を地面に叩きつけた鉄砕きの炸裂で無理矢理消火する。
直後に耳に聞こえるのは背後からの鼓動。
静かに、しかし力強く脈動するその心音を発するのはこの場において一人のみ。
即座に体を捻り、振り下ろされる剣を鉄砕きで防ぐが、その後の力比べで負けてエンキの体が宙を舞う。
根を張った様に強固に固定された筈の己がまるで風で吹き飛ばされるわらの如く蹴散らされるという衝撃、純粋な力比べでの敗北にエンキは一瞬、驚愕した様に目と口を大きく開き、しかしすぐにいつもの獣の様な笑みへと表情を戻す。
対等の相手と思っていたが、そんな物ではない。
純粋な力と火力は向こうの方が上だ、奴に憑いた存在はそれだけの禍々しき者だったのだろう。
エンキは自身が一方的に命を刈り取る収穫者ではなく、狩り狩られる狩猟者となった事を察する。
だが、その胸中に恐怖や絶望は無い。
規格外の攻撃に受けた中にエンキの胸中を駆け巡るのは命のやり取りをしているという高揚感であった。
瓦礫の王や邪神と呼ばれる程に成り果てて尚、まだ挑む事が出来るという喜びをエンキは噛みしめ、そして唐突に思い出した。
己の本当の望み、それは『支配』などという低俗では無かった。
『奪う』、それこそがエンキの生きる上での『快』であり、『解』であった。
他者の命、力、矜持、誇り、それを力で奪い取り、踏みしめ、辱め、蹂躙する。
他人が身命を賭して守ってきた物を喰らう事のなんと甘美な事か、それは何にも勝る快楽だ。
その快楽を追い続けた果てが今である。
地位も名声も信仰も、ただひたすらに奪うという享楽に耽る内に全てを得てしまった。
後に残ったのは手に入れたものをただ無為に保ち続けるという虚無だけ。
奪い続けた果てに奪える相手を失った王は、一度は支配という停滞に沈んでしまった。
だが、その消えた炎をレオの力は再び灯してしまった。
これだ、これこそが求めていた闘いだ。
全てを奪い尽くして尚、挑戦出来る相手がいる、奪う価値のある相手がいる。
この為に時間を与えて育つまで待ってやったのだ、その命と力も奪ってやろう!
「もっとだ!もっとよこせ!俺の血を滾らせろ!」
力任せに宙へとはじき出されたエンキの心は略奪の情熱によって強く燃え上がっていた。
―――
エンキが己の危機に喜びを見出していたその時、レオに憑りつくスーラもまた修羅場を迎えていた。
その原因は言うまでも無く、己の宿主たるレオだ。
レオがなんら遠慮のないエーテルの大量浪費を行うたびに薄れそうになる意識を必死に揺り起こしながら、唯一出来る干渉手段である影となってレオの首に巻き付いて抗議を行う。
「肉体よ!加減せよ!我の力を食い尽くすか!?」
「黙れ。お前も奴も、己の命も全て焼き尽くす。それだけの事だ」
相変わらずこの頑固者は話を聞かぬとスーラは今はない筈の腕で頭を抱える様に伸び縮みする。
「使い切るだけだ。命も、力も、全部」
言うや否や、スーラの周囲が炎に包まれると同時に景色が高速で動いたかと思う間もなくエンキの至近へとレオは高速移動する。
身を焼く炎を推進力にした高速移動、ドッグを助ける際にも用いたその技を用いてレオは吹き飛ばされて壁に叩きつけられたエンキに近接すると間髪入れずに袈裟切りを叩き込む。
阻む様に突きだされた鉄砕きと剣がぶつかり、青い光と緑の炎が闇の迫った暗い廃墟を染め上げ、二つのエーテルの炸裂によって限界を迎えた廃墟が絶叫を上げる様に埃をまき散らしながら崩壊する。
一瞬の攻防で己の内から流れ出していくエーテルを少しでも押しとどめようとスーラが奮闘する中、レオとエンキは埃の煙幕の中での攻防を繰り返す。
心音を頼りに煙幕の中から奇襲を繰り返すエンキと、その都度炎で埃ごとエンキを薙ぎ払おうと大振りなれど高速の斬撃を繰り返すレオの近接戦闘は互いに一歩も譲らず消耗戦と化していく。
瓦礫の王も同じ悪魔憑きであるならば力を際限なく使い続けた果てにあるエーテルの枯渇という結末を理解している筈である。
例え個々の戦闘で負けていたとしても持久戦に持ち込めば分の良い賭けとなるであろう、だがエンキは退かない。
渾身の一撃を防がれ、逆に自身がレオの一撃で弾き飛ばされ、吹き飛ばされ、地面や廃墟の壁に叩きつけられようと、即座に体勢を整え、鉄砕きを拾い上げて肉薄を繰り返す。
レオもまた同様だ。
最早小細工は弄さないと決め、ただひたすらにエンキを切り裂くという事だけを目的としての闘争を繰り広げている。
ただ愚直に、それしか知らぬ様に武器と武器を叩きつけ合い、光と熱をまき散らし、武器が互いの手から離れれば拳と脚を相手の急所へと鋭く叩き込む。
血はあふれ出し、皮膚は焼けただれ、筋肉は張り裂け、骨が軋む。
だが、二匹の化け物は止まらない。
互いに肉体の破壊と再生を繰り返し、なおも剣と鉄塊を叩きつけ合う。
そこには他者を見下していた王の姿も、己の境遇に困惑し慄いていた兵士の姿も無い。
原初の会話である暴力を用いて荒れ狂う二体のケダモノ、知恵を捨て、本能に従った異形同士の殺し合いは周囲の構造物を巻き添えにしながら拡大していく。
「力を使い過ぎであるぞ!これではじきに…!」
スーラの警告を無視する様にレオは更に己を苛む炎の勢いを強めながらエンキへとがむしゃらに切り掛かる。
その見た目の派手さに反比例する様にレオとスーラの内からエーテルが蒸発していく中で、スーラは必死に肉体の維持のために力の調整のやりくりを繰り返す。
元より、肉体の再構築にエーテルを消費している上に先程の炎の剣による範囲攻撃でも大量のエーテルを消費している。
己を焼く炎によって常に崩壊していく肉体の再生にもエーテルは消費され続けている。
加えて、更に加速の為に炎を放出して推進力に変換している事で膨大と言えるほどにエーテルを有していたスーラは枯渇寸前であった。
エーテルの枯渇、それはスーラにとって死を意味している。
血を依り代に選んだのも結晶化していないエーテルは水と親和性があり、故に生物の血に最も良く溶け込むからだ。
一時の仮宿としているスーラにとって血液内のエーテルは自身の命そのものと言っても良いのである。
レオはそれをなんら遠慮なく吸い上げて力に転化し続けている。
スーラから見てレオは恐るべき吸血鬼であるとすら言えた。
今やレオの体から溢れ出る血は濃い青ではなく赤みがかった紫に近いと言えるほどの状況だ。
敵と相打ちに燃え尽きんとするレオと、ここで果てるわけにはいかぬと生命維持に奔走するスーラの手綱の引っ張り合いはレオの優位で進みつつある。
だが、それはある意味仕方がない事であるとスーラも理解している。
今しかないのだ、今倒せねば恐らくエンキを倒す機会は永遠に訪れない。
なぜならば、エンキは積み上げてきた者であるからだ。
力ある者には概ね二種類の分類が存在する。
『積み上げた者』であるか『捧げた者』かだ。
エンキは積み上げてきた、屍の山を、支配者としての恐怖の伝説を、それによって支えられる決して逆らってはならぬ者という新たな神としての信仰を、この終末後の世の中で積み上げてきた邪悪な怪物がエンキである。
一方のレオはただの兵士でしかない。
誰にも知られてはいない無名、世界になんら影響を与えぬその他大勢の一因子に過ぎない。
だからこそ、レオは己の全てを捧げる以外に道は無かったのだ。
その身を、人としての尊厳を、異世界より来訪し、既に祀る者も途絶えた古き邪神に捧げる事で己の幸福と引き換えに一時、エンキを超える力を得ているに過ぎない。
今も強くなり続ける新しき神に対し、古き廃れ行く神に未来の全てを捧げた成りそこないの化け物が拮抗し、凌駕しえるのは今だけなのだ。
故に、スーラはレオの無理を極力支える形で支援を続けている。
だが、それも限界であり、それは唐突に訪れた。
それまでエンキを力で凌駕し続けていたレオの快進撃が急になりを潜めたのだ。
体より噴出する炎は衰え、振り下ろした剣はエンキの鉄砕きによって防がれた事で両者は再びつばぜり合いへと移行する。
意地と意地、質量と質量のぶつかり合いにおいて、最後に勝利したのはエンキであった。
「今まで随分派手に暴れまわってくれたが、そろそろ燃料切れか?ん?」
炎と剣戟の乱舞を耐え抜いたエンキが濃い痣が浮き上がり、焼け焦げ、渇いた青い血に塗れた顔でいつも通りの笑みを浮かべてでレオに笑いかける。
対するレオも鉄砕きの刺突で頬を破られて筋肉が剥き出しになった顔から脂汗を流し、歯を食いしばっている。
青く変色した顔であるから青ざめた表情などという物は見せる事は無いが、それでも不調である事は見て取れる事にエンキは気を良くして続ける。
「久々に楽しませて貰ったぞ?ん?お前の首は暫く俺の自慢の得物として見せびらかすつもりだ」
勝ち誇ったようにレオにそう告げるエンキの力は弱まるどころか更に強くなり、レオを押し潰さんと押し込み始める。
抗おうとするレオではあるが、体からは力が抜け、意識は朦朧として徐々に抗えなくなっていく。
「ぬぅ!今一歩か…ッ!」
その光景を間近で見るスーラは自身も眩暈に似た感覚に襲われながら最早存在しない口で歯噛みする。
無遠慮に力を使い続けた結果の限界、その果てにあるのはエーテル枯渇による肉体の急激な劣化と自我の喪失だ。
要はレオの体とスーラの意識は急速にかつて異世界より来訪した侵略者の成れ果てたる亡者への変わりつつあった。
故に無茶を承知でスーラはレオに檄を飛ばす。
その様な隙がある相手ではない、だが次善策を提示する事はまだ出来る。
「肉体よ!このままでは我らは亡者と化すぞ!奴の血を吸うのだ!手遅れになる前にエーテルを補充するのだ!」
亡者、その言葉によって強靭な肉体を持つが故に完全に死ぬ事も出来ず、しかしエーテル欠乏に苦しんだ末に発狂して血を求めて荒廃した地上を永遠に彷徨う亡霊となった哀れな者達の姿がレオの脳裏にフラッシュバックする。
だが、それがレオに逆転の可能性を指し示した。
奴らは己に足りない物を求めて血を、他者のエーテルを啜るのだ、ならばそれはエンキで無くても良い。
思い至ったならば躊躇などしている暇はない、最後の力を振り絞って実行あるのみだ。
「がぁあああああッ!」
「おおっと!」
レオは最後の力を振り絞るとエンキを廃墟の壁まで弾き飛ばし、そして背を向けてふらふらとした足取りでとある目標へと駆け寄り、その内部へと潜り込んだ。
その目標、それは死した樹木の割れた胴体であった。
「どうした?ん?逃がさね……なるほど、そうくるか…」
最初は怪訝に思ったエンキもレオの行動を見てその行動の意図を理解した。
レオが樹木の血肉を喰らっていたからだ。
樹木は硬質化した表皮と見た目で樹木と称していただけであり、実態は人間由来のミュータントである。
故にその内部には血が通い、肉が詰まっている。
レオはその血を啜り、生肉を素手で掴むと遠慮なく噛みしめて樹木に与えた青き血を、高濃度のエーテルを補充しているのだ。
足りない、血も力もまるで足りない。
奴に勝つにはまだ足りない、もっと得ねばならない。
剣で内部の肉を切り裂いて溢れ出る血を全身に浴びながら喉を鳴らして飲み込み続けるレオの姿は既に生きながらに亡者そのものですらあった。
得るにはまず捧げるべし。
『捧げよう、この自我を!奴に破滅を!』
途端にレオの意識は薄れ、終わりなき飢餓感が襲ってくる。
レオの願いはスーラとはまた違う何かに届いてしまったようであった。
レオは勝利の為に最後の人間性を躊躇なく捧げる選択を選んだ。
『捧げる者』はこの時初めて全てを投げうった。
―――――
「栄養補給って訳か、だったら俺も便乗させて貰おうか、ん?」
その光景を見たエンキもまた、追撃ではなく補給を選んだ。
そうせざるを得ない程に、エンキもまた消耗していたのだ。
皮膚は焼け爛れ、肉は千切れ、骨にも損傷が入っている。
満身創痍とはこの事であった。
だが、最後の切り札は残っている。
エンキが懐から取り出したのはお気に入りの狩り道具の最後の品にして切り札である試験管の様な小さいガラスの瓶であった。
革性の丈夫な瓶入れに保護されたその瓶には緑色の液体が満たされ、その底には大粒の青い結晶が輝いている。
それは部下であるイドに作らせた最後の最後で火事場の馬鹿力が必要な時にキメる為の秘薬であった。
かつてレオが食べたスープに入っていたエーテリウム結晶、それはこの完成品に至らなかった粗悪品を奴隷に下賜した物であった。
かつての兵器の燃料であり、今日は強壮剤としても運用される物の中でもエンキが使うために選別された高純度のエーテル塊と人面草のエキスを混合した特性の強壮剤、使うに値する格上の相手が現れた時の為に用意されたそれをエンキは躊躇なく一気に飲み干す。
出し惜しみはしない、それだけの価値が奴にはあると認めたが故であった。
「ああッ!効くぜこいつはぁよぉおおおおッ!」
飲み干したガラス瓶を握りつぶしながら体から痛みが消え、軽くなっていく感覚にエンキは歓喜して叫ぶ。
呑み込んだエーテリウムが体内で高濃度エーテルに変換され、体内を炎とはまた違った熱さが駆け巡る。
「後はぶっ殺すだけだなぁ!」
回復を終えたエンキは樹木へと高速で接近し、鉄砕きを叩きつける。
樹木を守っていたディフレクターが消えた事で樹木の肉体は鉄砕きの閃光に耐えられずに蒸発し、一瞬の間をおいて爆散する。
青い血煙が周囲に煙幕の様にまき散らされる中、異変は起きた。
まき散らされた血煙が一点に集約され、消え去った。
今や、完全に黒く変質したレオの両手剣が周囲のエーテルを貪欲に貪り、吸いつくしたのだ。
更なる変質を遂げた剣を握って立ち尽くすレオの表情は既に正気では無くなっていた。
血と同じ青に染まった顔は歓喜に歪み、口は大きく開かれ、牙を剥き出して涎を垂れ流し、赤い瞳は爛々と輝いてエンキを見据えている。
それは得物を見つけた飢えた獣の顔であった。
その悪鬼としか形容しようのレオと目が合ったエンキは背筋に走る寒気という物を十数年ぶりに経験する事となった。
だが、それでも退く事はせず、レオへと鉄砕きを叩きつけんと迫る。
瓦礫の王は、エンキは恐怖される者であって恐怖する事などあってはならない。
その矜持が即座に恐怖を戦意へと塗り替えた。
「良い面になったなぁッ!オツムねぇ方が強くなれるってもんだぁッ!」
袈裟懸けに振り下ろされた鉄砕きと剣が激突した途端、エンキはこれまでにないに変化を感じ取る。
それまでのレオが放っていた炎と熱は鳴りを潜め、代わりにそこにあるのは底知れぬ陰気さと寒気であった。
「こ、これは我が権能ではない…ッ!これこそがこやつの真なる本性…ッ!」
驚愕の言葉を吐いたのはレオに憑いているのスーラであった。
光すら飲み込む深淵の闇、スーラという大いなる邪神の憑依に耐えたレオすら認識しえない魂の底にある根源的な力がそれであった。
これは決して陽神の力ではない、これは死だ。
スーラとは異なる何かが死した暗黒の太陽へとレオを変貌させたのだ。
元より、ただの人間が神の憑依に耐えられるはずが無い。
で、あるならばレオという存在は初めからまともでは無かったのだ。
人の本質は闇であり、闇に底は無い。
人間性という鎖を全て断ち切った今、それが解放されたのだ。
「ッ!」
それは攻撃を最上とするエンキにすら無意識の後退を促した。
それを見たレオは歪んだ表情を更に悍ましい物へと変質させて後方へと跳んだエンキへと素早く肉薄する。
己の身が意思に反して後退した事、いや恐らくは己の意思すらも無意識に敗北を認めて逃走を試みようとした事にエンキは激怒し、迫りくるレオに鉄砕きを振り下ろす。
狩るのは俺だ、狩られる弱者ではない。
一瞬でも折れた己の心すらも共に叩き潰さんと振り下ろした鉄砕きは、黒く染まったレオの剣を激突した瞬間、床に落とされた陶器の様に砕け散った。
それまでの攻防で限界を迎えたのか、エンキの心が折れた事で力を喪失したのか、これまで数多の戦いでエンキを勝利に導いてきた鉄砕きは、あっけない最期を迎える事となった。
身を守る武器を失ったエンキの首にレオの牙が深く突き刺さる。
「がッ!舐めるなよ屑がッ!」
遥かに大きい巨体で己を抑え込みながら食らいついてくるレオの腹にエンキは全力の膝蹴りを叩き込む。
だが引き剥がせない、逆にレオはそのままエンキの首の肉を一気に食い千切る。
「ごぼ…ッ!」
首から大量の青い血をまき散らしながらエンキはそれでも残る力でレオへと抵抗を続ける。
頭突きで目玉を潰し、全力で股間を蹴り上げ、手に残る鉄砕きの残骸をレオの背へと突き立てる。
一つ一つが重大な損害になりえる反撃の数々を受けてもレオは動じず、エンキの首に更に食らいつく。
今やレオに残っているのは強烈な飢餓感からくる食欲だけだ。
大量に出血したエンキの抵抗はやがて収まり、レオの牙はエンキの首の骨をかみ砕いた。
『鉄砕きが逆に砕かれるなんて、そりゃああんまりってもんだろ?ん?』
首だけになって地面を転がるエンキは薄れゆく意識の中で自嘲めいた笑みを浮かべながら自身の体を貪り、血を啜るレオを眺める。
『存分に喰らうが良い、貴様こそが真の化け物だ。元より…奪える様な物では無かった…奴の、本質、それは…』
最後の思考を終える前に、エンキの生命の火は現世より消え去った。
闇が迫る廃墟の大通りに残った者がただ一人、返り血に染まって狂った獣の様に黒い剣を掲げながら叫び声を上げ続けていた。
それを見ているのは瓦礫の王に磔にされた哀れな男と、この男に憑りついた不運な邪神、そして半ば溶けた金属片から揺らめく消えかけの影だけであった。
―――
『起きろよ、戦友。まだ終わってねぇぞ』
混濁する意識の中で、レオは誰かに肩を叩かれて諭された様に感覚を覚えてハッと我に返った。
同時に感じたのは口の中の違和感と強烈な鉄の味と匂い、それによって猛烈な吐き気が沸き起こったレオは思わずその場で全てを吐き出した。
自分が何をしていたのかを嫌でも思い出す内容物にレオ自身が戦慄し、更なる嘔吐を繰り返す。
一しきり吐き終わり、腹の中身が全て消え去った後にふと思い出す。
今の声は誰なのか、自分を正気に戻したのは誰なのか。
周囲を見渡せば既に日が落ちる寸前で闇が迫り、太陽は既に地平線に殆ど沈みかけている。
その太陽を背にしてうすぼんやりとした影が一体、立っていた。
かなり薄くなってぼやけているが、見覚えのある同年代の金髪の男らしき陰にレオは思わずつぶやいた。
「L…お前、まだ…」
その言葉に影は微笑むと背を向けて親指を立てながら闇の中へと消えていった。
『まだ折れるんじゃねぇぞ、R』
後を追おうと手を伸ばしたレオの側で何かが落ちた金属音が響き渡る。
見ればそれは半ばまで溶けた金属片、亡き戦友の認識票の残骸であった。
肌身離さず持ち歩いていた事でエンキの鉄砕きの炸裂に巻き込まれたのだろう、まだ原型を保ってレオと共にあった事自体が奇跡と言えた。
「そうか、ずっと…側にいてくれたんだな、親友」
全てを捨ててエンキを討ち取った時に、自分という存在は終わった筈であった。
それを友が最後に引き戻してくれたのだ。
認識票を拾うとレオは静かに亡き友の為に黙とうを捧げた。
レオは神に祈らない、だが友の為に祈りを捧げる良心は残っている。
「感謝する、友よ。置いていきはしない、共に行こう」
レオが元の色に戻った剣の腹に認識票をそっと置くと、炎が巻き起こり、すぐに熱によって溶かされて剣と一体化する様に消えていった。
故郷と己を繋ぐ最後の品が失われたのか。
いや違う、血肉を分けたこの剣と一体になる事でその絆は永遠となったのだ。
今はまだ不可能だが、いずれは故郷にも戻らねばならない。
それがどの様な結末に招こうとも、この脅威を伝える事が責務となるのだ。
エンキの様な怪物は恐らくはまだ他にも大勢いるだろう、故郷の同胞達はそれを知らない。
もう、自分の様な犠牲者をこれ以上出してはならないのだ。
「おい、キルロイ…。正気に戻ったならちょっと助けてくれねぇか?このままだとジーザスのパチモンになっちまう…」
「クトー、生きていたのか。すまない、色々しくじったみたいだ」
廃墟の外壁で磔になったクトーがまだ生きている事を知ったレオは素早くその場に近づくと、鉄骨をあえて引き抜かずにその背後の構造物ごと切断した。
ここで下手に引き抜けば大量出血で即座に命に関わるかもしれなかったからだ。
「終わったんだな、全部…」
「ああ、終わった。エンキは始末した」
「そうか…博物館についたら俺の女に伝えてくれ、俺は勇敢だったってな」
「まだ死ぬな、なんとかしてやる。他の奴らは?」
クトーは衰弱しきっている、このままでは長くは持ちそうにない。
本来ならば楽にしてやるのが人情だがこの男にはまだ役割がある、死なせるわけにはいかない。
確実性はないが、まだ救う手立てがある筈だ。
まずは生存者を回収せねばならない、既に殆ど夜だ。
「いるとしたら…あっちだ。俺の部下たちと、もしかすると敵の銃兵とボースもいるんじゃねぇかな…」
クトーが指し示したのはもう一つの戦闘が行われていた廃墟の大通り、それを見たレオは静かに頷く。
「分かった、少し待っていてくれ。見つけたら全員セーフルームに運ぶ。まだ死ぬな、踏ん張れ」
一つの闘いが終わろうとも、生き残ってしまった以上はまだ生きる為の戦いが待っている。
レオは次の為の手駒を一つでも多く残す為に闇の迫った廃墟の通りを火矢となって飛んで行った。
被造物たる人が神に抗える時点で人であるはずが無い、今回はそういう回となっております。
人理の世の終わった異形蔓延る新たなる世界において人は最も弱く矮小です。
狂気が理性に勝利し、狂信が道理をひっくり返す世界である以上、正気では何も成せはしないのです。
異世界の邪神様すらも押しのける何かについては現状では最も古き根源的恐怖という感じで考えて下されば現状問題ないと思われます。
それが何なのかはいずれ、本編で分かるかもしれません。
恐らく結構先になってしまいますが。
ちなみにどうでもいいですが、序盤から中盤はLobotomy corpの2nd warning、終盤は同作品の3rd warningを流すと案外合ってるんじゃないかと思っています。




