四十五話、邪神と邪神
微妙に戦闘までいかんかった
エンキと樹木の戦闘はまだ続いている。
だが、樹木の動きが目に見えて衰えてきているようであった。
時間が無いのは誰の目にも明らかな状況でドッグは最後の燃料の入ったジェリカンを大型トラックのコンテナに放り込んだ。
コンテナ内部は変異し損なって爆発四散したであろう肉塊と血で満たされて地獄の様な光景である。
そんな中に入りたくはないドッグは口を開いたジェリカンを時間短縮も兼ねて力任せに放り投げると素早く扉を閉めて鍵を閉める。
準備完了だ、内部で火薬がこぼれていたり燃料がまき散らされていても問題ではない。
どうせ全て燃え尽きるのだから。
ドッグは乱れた呼吸を整えながら、クトーが座る運転席の傍まで走り寄ってから叫んだ。
「準備出来たよ!いつでも行ける!」
「良くやった!後は俺に任せて貰おうか!」
クトーがそう答えるのとほぼ同時にトラックのエンジンが始動し、トラックが動き出す。
まずはバックし、都市に入って来るのに使った外への出口に向けて走り出す。
エンキに対して後方を向いているので一度Uターンせねば先頭を向けられない為だ。
荒野で旋回し、そこから速度を乗せてエンキへ突入を行うというのクトーの構想した案であった。
そうして走り出した折り、何かが扉へと飛びついてくる衝撃をクトーは感じた。
その正体はこれまで物資を運び込んでくれいていたドッグであった。
「お前は降りろ!こいつは一人乗りだ!」
「君だけじゃ脱出できないだろ!人間が軟弱だってのは僕だって知ってるよ!手伝うよ!」
トラックが荒野へと走り始める中でクトーは未だに運転座席の脇に飛びついたままのドッグに下車を指示し、しかし拒否される。
「こいつはもう地を這うミサイルだ!二人して吹っ飛ぶ必要はないぞ!」
「どうせ君が失敗したら僕も殺される!逃げるつもりならば手伝ってないよ!」
死ぬつもりはないが、仮に死ぬとしても一人で良い。
クトーはそう考えての指示であったが、代案としてドッグが提案したのは二人での共同戦線であった。
確かに、高速で走る車両からの脱出は困難だ。
だが、そこまでして貰う義理はない筈だとクトーが車を走らせながら、ドッグに問う。
元々戦意を喪失していた者であるから戦いの準備をしてくれただけで及第点であるとしていたからだ。
「失敗すりゃ二人で心中だぞ!そこまでして貰う程お友達になった覚えはないな!」
「君は昔の相棒に似てるからね!あいつも君みたいに威勢の良い気の良い奴だった!」
合点が行ったクトーは一瞬だけドッグに微笑むと荒野で車を旋回させ、街へ戻る道に乗るとアクセルを全開で踏み込む。
「なるほど、仇討ちか!だったら頼むぞ!」
トラックのエンジンは唸りを上げ、最早人間が飛び降りれば怪我などでは済まない速度まで加速する。
このご時世にしてはよく手入れされているようだ、変な振動だとかエンジンから異音などいった不具合がまるで感じられない。
両脇を廃墟に囲まれた都市の道へと入り、戦闘の土煙が再び良く見える位置までトラックが戻るにはそれほどの時間は必要としなかった。
既に死に体の樹木は見るからに動きが鈍重となり、最早エンキにされるがままに鉄砕きを叩きつけられている。
これでは気付かれる可能性が高い、だがもう止まれない。
突っ込むしかない、そう判断したクトーは助手席に投げていたパイプ爆弾の束を左手で掴むとアクセルのフットペダルの上に押し込んでアクセルを固定しドッグに叫ぶ。
「そろそろだ!合図したら飛び降りるからな!」
「ああ!任せて!」
手早く打ち合わせを終えたクトーはほぼ樹木に突っ込む形でハンドルを切る。
その時には既にエンキは樹木を打ち倒し、廃墟の壁に身を任せる様に倒れ伏した巨体の上に乗って鉄砕きを遠慮なく叩き込み続けている。
その度に閃光がほとばしり、限界を迎えた樹木の胴体がひび割れて大きく裂けていく。
とめどなく溢れる青い血と共に樹木は最後の吐息の様なくぐもった声と共に沈黙した様であった。
一手遅かった、闘いは決してしまっていた。
青い血で染まったエンキがエンジン音を耳ざとく聞きつけたのか、全速力で迫るトラックへと顔を向ける。
瞬間、クトーとエンキは目が合った。
エンキは笑っている。
まだ殺せる相手がいたとでもいう様に顔を歪ませて歓喜に震えているようでもあった。
全ての希望を叩き砕いてきた瓦礫の王は迫りくる巨大な質量兵器たるトラックすらも狩るべき獲物とでもいう様に鉄砕きを上段へと振りかぶって樹木を足場に空を飛ぶ。
「ドッグ!降りるぞ!」
ドッグはその叫びを聞くと同時に肉球のついた手でクトーを運転席から引きずり出し、その体をしっかりと抱き抱えて躊躇なく身を投げ出す。
ドッグとクトーが最後に目にしたのはトラックに鉄砕きを叩きこむエンキの姿と、直後に起きた大爆発であった。
―――――
意識が戻ったクトーは朽ちたアスファルトの地面に身を横たえていた。
夕日に染まった赤黒い空の光景がかすんだ目に刺さる。
途端に体中から痛みが湧き上がってくるが、つまりこれはまだ己が生きているという証であり、ドッグが上手い事やってくれたという事であろうとクトーは理解し、上体を起こす。
「ドッグ、どこにいる…?あの猿野郎はどうなった…?」
地面にし割り込んだまま首を動かして周囲を窺うが、自分を引っ張り出してくれたドッグの姿が見えない。
耳をすませば戦闘音も無くなっている。
それが示すのは賭けの成否によって今後の未来が確定するという事であり―――。
「随分舐めた事をしてくれるじゃあないか?んん?」
死角である背後からかけられた、聞きなれた忌まわしい声によって嫌でもクトーは自分の未来を理解する事となった。
限りなく部の悪いの二分の一にクトーは敗北したのだ。
頼った神様も流石に遠すぎて信徒の声が聞こえなかったのだろう。
「まいったな、今回のは結構自信作だったんだが」
湧き上がる恐怖を吐き出す様に大きく息を吐き、クトーはふらつく足で立ち上がると声の主へと向かい合う。
そこにいたのは楽しみにしていた遊びにケチを付けられて怒る子供の様に眉間にしわを寄せて鉄砕きを肩に担ぐエンキの姿であった。
エンキを守る強靭な肉体と信仰の力である程度の爆発は逸らされた様だが、完全には防げなかったようだ。
体の毛は焦げ、顔は煤け、所々に軽い火傷の跡が見て取れる。
怒っているところからして見た目以上の打撃にはなったのかもしれない。
だが、そこまでだ。
効果が無かったわけではない、だが殺しきれなった。
やれる事はやったが届かなかった。
最早、出来る事はこの化け物と最後まで堂々と対峙する事だけだ。
「俺がトラック如きで死ぬと思ってたのか?ん?」
大型種と殴り合って生き残れる化け物にトラック程度の質量攻撃など無意味、それ故にクトーは爆発物を満載にして突っ込ませたのだ。
だが、その行為すらも付け焼刃の浅知恵であるとでも言う様に、エンキはいつもの獣めいた笑みへと表情を戻してあざ笑う。
それを見たクトーも右手でエンキを指さしながら小馬鹿にした笑みを浮かべて小馬鹿にしたように嘲笑し返す。
「なるほどなぁ。だが、それにしちゃあ自慢の毛が焦げてるぞ?美容院に行かなくて良いのか?ひでぇ面だ。いや、それは元からだったか?」
「ああ、そうだな。おかげで―――」
挑発めいた言葉を繰り返すクトーにエンキは顔を若干下に向けてくつくつと肩を揺らして笑っていたかと思うや否や、一見してゆっくりとした動きで、しかし気が付けばクトーの目と鼻の先まで素早く距離を縮める。
「少し火傷したじゃねぇか」
その動きにクトーが反応するよりも先に若干の怒りの籠った言葉と共にエンキの拳がクトーの顎を抉った。
衝撃と共に顎と首の骨が鳴り、体から重力の感覚が消え、代わりに与えられたのは浮遊感、そして脳を揺さぶられる不快な酩酊感と少し後からやって来る激痛、それらをミキサーにかけてぶちまけた様な感覚がクトーを襲う。
エンキのアッパーカットで空中へと吹き飛ばされたクトーは、尖った鉄骨が剥き出しになった廃墟の外壁に背中から叩きつけられた。
錆びた鋭い鉄骨がクトーの背中と両腕に突き刺さり、悪い事に右腕と腹の物は貫通してすらいる。
致命傷に近い一撃だ、賭けに負けた代償は高くついた。
既に廃れた宗教の聖人の磔にも見えるその光景はある種の宗教画の様ですらあった。
「ぇば…ッ!」
「おっとすまん、鉄骨が刺さっちまったか?この辺は危ない瓦礫が沢山あるからな、気を付けろよ?ん?」
脳を揺さぶられて肉体と思考が正常に動かない、背中と腹から広がる新しい痛みと熱、今吐きたいのはゲロなのか血反吐なのかすら分からない。
鉄骨で張り付けにされたクトーはそうした混沌とした状況の中である物に注目せざるを得なくなった。
その視線の先にはエンキの後方に位置する道路の上にハスキー犬の様な獣人、ドッグの変わり果てた姿であった。
「ド、グ…」
四肢はそれぞれがおかしな方向へと捻じ曲げられ、口からは青い血の泡を吐き、白目をむいて痙攣するドッグの姿を目の当たりにしてクトーはその名を呼ぼうと試みるも口を動かそうとする度に襲い掛かる激痛にまともに発音する事が出来ない。
恐らくは顎を殴られた時点で顎の骨が砕けたのだろう。
終わらない不快感の中でクトーに向けてエンキが叫ぶ。
「お前らのせいで俺の車も犬もこのザマだ!よりによって飼い主に噛みつきやがったんだから始末に負えん!」
普段の表情へと戻ったエンキは嬉々として叫ぶと、鉄砕きを背負い直してドッグの元へと歩み寄っていく。
そして、エンキはドッグの折れた右腕を握り、その折れた部位を捻って腕を捻じり切る。
あまりの痛みに気絶していたドッグが絶叫と共に覚醒し、周囲に悲鳴を響かせる中、エンキが引きちぎったドッグの腕を掲げながらクトーに振り返って叫ぶ。
「せっかくだ!この駄犬の解体ショーを見せてやろう!死ぬなよ!まだ死ぬな!そこで見ていろッ!」
エンキは宣言する様に叫ぶと同時に右腕を放り投げて次は左手の人差し指と中指を掴み、力を入れて裂きイカの様にその手を引き裂く。
「こいつがどうして俺に従順だったかは聞いたのか?相棒をこうやって素手で解体してやったのさ!こいつの目の前でなァ!」
エンキは続いて右足に手をかけ、ドッグを文字通り『解体』しようとしている。
先程までこちらを気にかけ、手助けしてくれていた獣人の命が為すすべも無く蹂躙されていくのを張りつけにされたクトーには見ている事しか出来ない。
そのクトーですら、徐々に傷口から痛みと熱さが消えて全身を苛む寒気が強くなってきている。
そんな死神に心臓を握られたクトーの胸中に湧いてきたのはただひたすらな祈りであった。
我が神よ…デウスよ…。我らを見捨てたもうな…。
かの邪神を打ち倒す力を今一度…。
いやもうこの際誰でも良いから、ともかくあいつに一発かましてくれ…。
この期に及んではクトーに唯一出来る事は祈る事のみであった。
この世界では弱者こそが悪であり、強者こそが正義だ。
強き者の一族が栄え、弱き者は末代まで組みしだかれて搾取される事が当然である。
だからこそ、敗北は許されない。
負けるという事は隷属するという事であり、未来を失うという事だ。
だからこそ、弱者は祈るのだ。
今を変えてくれる救世主の到来を。
自分達を蹂躙する邪悪を駆逐する正義の到来を。
そんな物は来ないと知っていて尚、救済を願う心、それを信仰という。
弱者には現実から逃避する為に『祈る』という儀式がいる。
それは古来より人が持っている、死んだ方がましだと思える現実から逃れるための麻薬でもあった。
だが、時に偶然の一致によって祈りが叶えられる事もまた往々にあり―――それを人々はこう持て囃したのだ。
『奇跡』、と。
―――
嬉々として裏切者を素手で引き裂いていたエンキの背筋に悪寒が走ったのは裏切者である獣人の右足に手をかけた時であった。
次はどのように引き裂いてやろうか、そう思っていたエンキの耳に新たな鼓動が感じられたのだ。
聞こえた瞬間にエンキは理解した、こいつは別格だと。
その鼓動は高速でこちらに迫り、その都度大きくなってきている。
やられる、戦いの中で生きてきたエンキの直感が無意識に体を動かさせていた。
弾かれる様にエンキは背負っていた鉄砕きを抜き放つ。
瞬間、鉄砕きに強い衝撃が走り、不動である筈のその体が相手の力に負けて宙を飛ぶ。
「ッ…!」
空中で体勢を立て直したエンキは脚から着地し、自分を吹き飛ばした相手を見て笑みを浮かべた。
「ほう、ほうほうほう…。こりゃ驚いたな、ん?ぶっ殺した奴が帰ってきやがった」
そこにいたのは先程期待外れと評して叩き潰した筈の男、それが横薙ぎに振るった赤黒い両手剣を握ってドッグとの間に立ち塞がっている。
頭を潰された筈の男の顔面は今や完全に再生しており、体と剣からは緑の炎と陽炎を揺らめかせ、その顔は殺意に満ちた冷たい目でただひたすらにエンキを見据えている。
何よりも、今までと違うのは心臓の鼓動だ。
エンキは元来、耳が良かった。
特に、変異してからは離れた相手の心臓の音を聞き取れる様にになるとそれを特技と呼べるほどにまで昇華させていった。
そんな事が出来る様になった理由は何という事も無い、動揺し絶望した相手の乱れた心音を聞く事が何よりも楽しかったからに他ならない。
嘘偽りを行う者の心臓は常に露見する事に恐怖して早鳴りし不安定だ、死が迫って恐怖に苛まれる者も同様。
どの様な者であれ、己を前にすれば心音が乱れることが愉快で仕方がなく、その内にエンキはこの鳴り方はどのような感情を伴っているかを聞き分ける事が出来るようになっていった。
それは一種のソムリエの様な才覚であり、何よりもそれ自体を娯楽として楽しめる残虐な精神性が生んだ異能でもあった。
エンキと対面してその心音を乱さなかったのは腹心であるイドと、まだ部下になる前の頃のボース、そして傭兵のキドぐらいの物である。
基本的に度胸があるか命知らずだけが心臓の音を乱さず、一度恐怖を知ればもうまともなままではいられない。
一度知った絶望を打ち消せる人間はそうは多くない。
だからこそ、エンキは一度徹底的に叩き潰した敗者である筈の男の心臓がしっかりとしたリズムで落ち着いた動きをしている事を聞き逃さなかった。
相手も同じ悪魔憑きである、再生能力に重きを置いた個体ならば死にかけた状態から復活する事はさして驚く事ではない。
だが、一度心折れるまで叩き潰された者は肉体が再構築されても戦意が萎えているのが常だ。
今の奴にはそれが無いとエンキは目の前に立つ赤い剣を構えた異形を見据えて油断なく鉄砕きを構える。
警戒心と同時に心が高鳴っていく感覚が抑えきれなくなっていく。
元々、狩る為に時間をかけて熟成させたのだ、こうでなくては殺し甲斐が無い。
新たなる闖入者の登場にエンキはクトーの騙し討ちも忘れた様に上機嫌に戻りつつあった。
対する異形は剣を両手で構えつつも、磔にされた敗者を一瞥して詫びを入れているらしかった。
敵を目の前にして注意を逸らす行い、それは奇襲を行う好機であっただろう。
だが、エンキはあえて動く事をしなかった。
罠である可能性を想定したというのもあるが、それ以上に興味が湧いたからだ。
この男の名を知りたいと、この男を狩った後に剥製と一緒に額縁に名前を刻みたいという欲が生まれたが故にエンキは攻撃ではなく言葉を男に投げかけた。
殺し甲斐がある奴は展示物として自慢する価値がある、だからこそ知っておきたいと思ったが故だった。
暴君という物は遊びで使い潰す為に買ってきた奴隷の名前などいちいち覚えてはいないのだ。
「そういや名前を聞いてなかったな?なんて言うんだ?ん?」
「レオだ、レオ・キルロイ」
「レオか、良いだろう。お前の名と首は一番良い額縁に入れて飾ってやろう」
エンキは満足した様にいつもの獣めいた笑みを浮かべて鉄砕きを両手で強く握りしめ、レオもまた小さく頷いて赤い剣、『落日』を構える。
もう言葉を交わす必要など無いとばかりにエンキがレオに語りかける。
「じゃあ、さっさとやるか。夜になっちまう」
その言葉を皮切りに、二匹の怪物は闇が迫る夕暮れの中で最後の死闘を開始した。
今回で脇役周りの話が終わり、後は化け物同士の殺し合いだけという形になっております。
予定を大幅に超過していますが、これからもよろしくお願いします。
今回は特に新規情報も無いので後書きもこの程度で。




