四十三話、邪神再誕
今回は厨二回
暑すぎて地球の殺意を感じる
全くもってここ一月は日々が厄災と呼んでも良い日々だ。
今やレオに寄生するだけの存在と化したスーラは散々に打ち倒されたレオを見やりながら内心で毒づいた。
もし自分がしっかりとこの肉体を乗っ取り、変異を完了させていればあの様な者に後れを取らぬという明確な確信があるが故に、スーラにとって今の状況は不服以外の何物でも無かった。
100年、そう100年だ。
あの忌々しい未開文明の蛮族が自分達ではまともに制御出来ない技術ででっち上げた空間破壊爆弾を転移門にぶち込むという頭のおかしい自殺攻撃を行い、こちら側だけでなくあちら側の世界すら破壊しかけたのを自らの体を犠牲にして押し留めてからもうそれだけの時間が経ってしまった。
神であってすら、肉体を喪失して精神だけで存在を続けることは難しい。
精神とは水であり、肉体とはそれを納める容器と言っても良い。
容器が無ければどれだけ強い液体も地面に吸われるか蒸発して終わりだ。
故に、我が子の血液に自身の魂を定着させて急場を凌ぐこととした。
本来、一つの器に二つの中身を永劫押し込み続ける事は出来ない。
長く一つの器に押し込み続ければ二つが混ざり合うか片方が腐るのが道理である。
あくまで急場凌ぎ、すぐに来るはずの救援が来るまでの僅かな期間の措置の筈であった。
だが、子供らはいつまで経っても現れる事は無かった。
子供らは何を血迷ったのか、自らを救った親たるスーラを見限ったのだ。
それが、あの戦争の最期の顛末であった。
世界の崩壊を押しとどめた事でスーラは肉体を失い、かつ自らが支配する世界への帰還手段を失ったのだ。
そして、最後まで付き従ってくれた最愛の我が子の一人と、忠実なる近衛騎士たちと共に人類軍の空爆と核攻撃を回避する為に放棄された地下鉄へと穴を掘って辿り着き、そのまま休眠をしたまでは良かった。
だが、それから待てども待てども薄情な子供らは救出に来ず、人類は人類で勝手に自滅し、時だけが無為に過ぎる中で近衛たちは次々とエーテル枯渇によって亡者と化し、二匹連れてきたドラゴンの内の片方は死後ゾンビ化、最愛の我が子すらも限界が来ているという時にようやく選別するに値する新しい器の候補者たりえる者らがやってきた。
だが、そこでもスーラの願いは果たされなかった。
既に死が近かった最愛の我が子は騎士らしく戦いの中で英雄に討たれて果てるという最期の願いを遂げて安らかに逝った。
スーラはその勇者の肉体を奪い、神族殺しという権能を得た強い個体を器にしてこの世界に適合した存在として再誕する筈であった。
ただの人間の肉体では神の器としては矮小に過ぎる。
それ故に実力のある戦士を選別し、こちらの試練を超えた箔付きの者を新たな器とするべく起こした戦いも結局は満足のいく結果とはならなかった。
その願いと野望は、その英雄の脇にいたただの兵卒、つまりは今の器であるR1039の妨害によって阻まれた。
新しい肉体はただの一般的な兵士であり、それすらも乗っ取れないほどに弱った神性、スーラにとってはまさに悪夢のような事象の連続であった。
全ての望みが上手くいかないという意味では今、寄生している男と大して変わらない不運なる邪神、スーラは忌々しい邪魔者であり、今は共存する他無い男を見やる。
「うむ、なんとか生きておるな。耐久力と回復力だけはしっかりと予定通りの性能ではないか」
頭を叩き潰された骸、一見すればその様にしか形容しえない巨躯の異形に対して寄生する陰たるスーラは、宿主である肉体が死をギリギリで回避した事を確認して安堵の声を上げた。
頭部が潰れ、脳が損壊した事でレオの生命維持機能はほぼ停止している。
それを血液を依り代に寄生しているスーラが代替して損傷部位の修復を行う事で屍者化を回避することに成功したのだ。
元より回復力が高いこの肉体ならばスーラを構築する高濃度エーテルを用いた急速回復を行えば再生は間に合うであろう。
問題は、このまま回復しても同じ過ちを繰り返すという事だ。
この石頭に魔なる者の戦いという物を理解させねばならない。
故に、スーラは肉体を修繕しつつ頭が潰れたレオに諭すように語りかける。
脳を持つ自我ある生物に対してではない、レオの魂そのものへの呼びかけだ。
スーラは『声』を直接レオへと送り込む。
「肉体よ、理解したであろう。今のままでは我らは勝てぬぞ」
その言葉に反応する様に、レオの指が僅かに動いた。
本来ならばありえない、或いは死後の痙攣や反射として片づけられる些細な反応。
しかし、それはエーテルを介さないかつての世界での常識に過ぎない。
エーテルが存在し、魔法がある世界であるならば、魂はより明確な形で存在しえるのだ。
未だ残留するレオの魂が動くはずの無い肉体を突き動かした。
重要な事はそれである、それだけが、それこそが重要だった。
器は半壊しているが中身は無事、それを確認したスーラは囁くようにレオの耳元に渦巻きながら囁く。
「奴がなぜ強いか、それは己が望むままに生きているからだ。奴にとって支配と戦いこそが生きるという事の『解』であり、『快』だ。今この瞬間、奴は己が日常を謳歌している。故に高みにあり続けられるのだ」
エンキの強さ、それは嬉々として他人を踏みつけて支配し、闘争を忌避せず何者にも勝る娯楽とする苛烈な性格にこそある。
人が最も力を発揮するのはその行いを楽しむ事が出来るか否かと言っても良い。
人の熱が注がれた物は時として道理すらも捻じ曲げる、エーテルが蔓延する世界においてそれはより濃く、顕著に現れる。
人を超えた異形である事を受け入れ、その闘争本能を全肯定した異形が戦いにおいて覚悟無き者に勝るのは当たり前であった。
「早い話が貴様の怠慢ゆえに負けたのだ。貴様は人のままでは勝てぬと知っておきながら、人からとうに逸脱しておきながら、人としての在り方に固執し、人のまま戦おうとした。前提が間違っていればどれだけ準備しようと無意味な徒労に過ぎぬと身をもって知ったわけであるな」
車にめり込んだレオの体が震える。
痛みや恐怖の為ではない、スーラが感じるのは深い怒りと憎しみ。
強い否定の感情と敵意がレオの内から溢れてきている。
無理もない。
レオは今自分が生きているという事に対してすら、憎悪の怒りで煮えたぎっているからだ。
その光景にスーラの思考は自然と出会った日の朝へと戻っていた。
あの日の朝、スーラがレオの肉体を乗っ取ろうと変異を強行して失敗した後に起きた邂逅。
その時、スーラの正体を知ったレオが即座に行ったのは右手に握った剣による自害であった。
「なっ!?」
どこか余裕ぶった態度を取るスーラがかつて人類を脅かす存在の主であると聞くや否や、レオは躊躇うことなく即座に砕けた剣で自身の首をかき切ったのだ。
動揺したスーラが制止する間もなく、切れ味の良い剣が喉を深く切り裂き、青い鮮血が宙を舞う。
その夥しい量の出血は通常の生命であればそのまま死を迎えるに十分であった。
しかして人から逸脱した肉体はレオに死を許さず、青き血は吹き散る事を止めて傷口へと自ら戻り、裂傷は素早く塞がって痕を残すことなく消失した。
「なっ、何をするか貴様!?」
「貴様が敵の司令官だというならば、俺の命と道連れで殺す事に何のためらいも無い」
一瞬とはいえ大量の血を失い地面へとへたり込んだレオに対して叱責を行おうとしたスーラに対し、レオは若干咳き込みながらも平然とした顔でそう答えて見せたのだ。
その眼には明確な敵意と殺意が渦巻いている事をスーラは理解した。
更に言えばかつてとは口調すら変わっている、本気だガチで殺すつもりだ。
何という事だ、非力で個性の無い個体と思っていたのにいざ面と向かって語り合えば非常に面倒な奴だった。
兵士は兵士でもこの者は死兵だ、最初から生きる事を諦めている。
スーラの第一印象はそれであった。
自分の肉体が最も自分を嫌うアンチであるという事実にスーラは既に感じない筈の頭痛を覚える程であった。
「待て、待て。良いな、とにかく落ち着くのだ肉体よ。今ので分かったであろうがお前はもう早々は死ねぬ身だ」
「確かに、この体は最早完全に化け物になったらしい。貴様を殺すには骨が折れそうだが―――」
そうしてまた握った剣を己の頭に叩きつけて自害を図る。
それでも無理と知れば最早問答無用とばかりに暴れ始める。
手を、腕を、足を剣で切断し、コンクリートの壁に頭を全力で叩きつけ、ガラスの破片を動脈に捻じりこむ。
傷を負った端から再生するにもお構いなしで、何が何でも自害するつもりらしかった。
「やめよ!まだ完全には肉体が安定していないのだぞ!」
「貴様をのさばらせはしない、人類の脅威はここで絶たせて貰う…!」
まずい、こやつは完全にキレている。
あの地下鉄での戦闘の時の様に、この男には一線を超えると途端に自分の命や肉体を一切顧みなくなる性質があるという事にスーラは嫌でも気づく破目になった。
聞く耳など持っていない、取り付く島もない。
レオはこの時点で既に頑なであった。
だが、その頑なさにこそスーラは勝機を見出した。
「脅威か、ならばエンキを放置して良いのか?」
その言葉によってようやくレオは自傷を止めて漂うスーラへと視線を移した。
しめた、スーラは湧き上がる喜びを抑えながら言葉を続ける。
「あ奴は強いぞ?最早人の枠を超えている、我ほどではないが神の領域に至りつつある怪物だ。そんな脅威を放置して一人楽になって良いのか?」
あえて挑発するような口調で語りかけ、スーラはレオにゆさぶりをかける。
「あ奴はまだ幾らでも強くなれる、人から逸した彼の者は最早老いる事も病む事も無い。奴は恐怖と支配によって信仰を得る小さき邪神だ。その武勇が尽きぬ限り、或いは戦いで倒れぬ限りその命が尽きる事は無い」
保身が故に端的な事実を簡潔に告げていく。
人の理を超えた異形とはすなわち、怪物であり、神でしかない。
神なる者は最早老いる事も病む事も無い。
信仰を失うか剣によって倒れるまで、神なる者は自然に死ぬ事は最早無いという事実をスーラはレオに刻み込んでいく。
「ここで貴様が奴を放置する事で将来貴様の同胞たちは未曽有の危機を迎える事となるであろうな。他ならぬ貴様の怠慢によってだ」
「詭弁を言うな邪神、命が惜しいだけだろう」
「そうとも、無論命は惜しい。だが、貴様も人を守りたいという意思があるならばアレは無視できまい?まだ小さく弱い今、奴をやらずにして如何にする?」
敵意を剥き出しにした視線を送りながらもレオが迷い思案している事を悟ったスーラは更に畳みかける。
とにかくここを乗り越えねば新しい肉体を見出す可能性すら消えてしまう。
異界の邪神にとって世界の崩壊を止めて以来、これがこの世界で二度目の正念場であった。
「既に貴様も薄々は理解しているであろう?貴様がそう成り果てた様に、エンキかそうである様に、あの様な者は別に例外的な存在ではないという事を。そしてこれからも増えていくであろう事を。それを放置して自らだけは楽になるつもりであるのか?」
レオが予見しているがあえて見ようとしていなかったであろう可能性についてすら、スーラは共闘の材料として列挙していく。
レオは無言のままスーラを見つめている。
否定や自傷が行われない時点で既にスーラは勝利を確信しつつ、更に話を続ける。
「我にしてみればこれが普通であるが、貴様たち人類にとっては初めての事象であろうから言っておく。これが正しい生命の在り方だ。大気に満ちるエーテルによって生命はなりたい物へのなっていくという正しい在り方がこの世界でも起き始めている。それをお前は良しとする事はできまい。貴様の同胞に代わり奴らを討てるは貴様だけであるぞ?」
最早、この汚染された世界において地上の生き物はどう足掻こうと元に戻す事は出来ない。
それは恐らくこの世界をかつて支配した人類の残党たちも理解しているであろう事はスーラにとって想像するに難くは無かった。
故に彼らが最も恐れるであろう事柄、人類という種の力と叡智を超えた生命が地上に満ちつつあるという事実をレオに伝え一時の時間を稼ぐ。
スーラもまた、この様な不本意な状態のまま最期を迎えるつもりは毛頭ない。
目指すのは完全なる復活、その為にまずどれだけ不格好であろうと一歩目を踏み出さねばならなかった。
成功すればエンキとの戦闘という面倒が待っているが、先へ進まねば待っているのは死だ。
それに比べれば十分割に合う問題であった。
「我はまだ滅するわけにはいかん。そして、お前は人に仇なす存在を滅ぼしたい。この点において共存と共闘が可能な筈であろう」
「……良いだろう、お前の口車に乗ってやる。だが覚えておけ、俺は貴様を許さない。この世界を、人類を脅かす全てを許さない。この地上にのさばる異形異類の全てを滅ぼす為にお前の口車に今一度乗ってやるが、お前もいずれは必ず滅ぼしてやる。必ずだ」
これが彼の日の邂逅の顛末であった。
そして結局のところ、この男は固執し続けた人でありたいという陳腐なこだわりが為に異形に無惨に敗れ去った。
人を辞めた者が人という矮小な括りに拘泥しては勝てる戦いに勝つ事も出来ない。
それを身をもって思い知ったのだ。
今こそが、脱皮と飛躍の時である。
「今ここでお前が我に切った啖呵がはったりでも出まかせでも無かった事を証明して見せよ。お前の『解』を見せてみよ」
スーラの言葉に呼応するように、レオの肉体からあふれ出る青い血が緑色の炎となって燃え上がり、そして変質を開始する。
潰れた骨と肉体が炎によって燃え尽きた直後に新生し、それだけでなく体をめり込ませていた廃車や周囲の廃材すらも溶かし尽くしていく。
焼失と再誕。
それ自体は不滅たる太陽神の権能に近い物であったが、それを起こしたる者の心は光とは真逆の有様であった。
「おおおッ…!」
スーラは強烈な炎の熱と、それと相反する己すらも食い尽くしかねない何よりも深く冷たい、濃い絶望と憎しみ、そして悔恨の感情に飲み込まれんとして思わず叫んだ。
スーラが連想したのは闇だった、炎の温かさすらも呑み尽くす冷たい闇。
これは全て、この男の情念が起こしたる物。
陽神たるスーラすらも食い尽くしかねない闇、神による同化を妨げる程の存在が果たして本当に唯の人間であったのか。
答えは否である。
如何に零落しようとスーラは異界の神である。
如何に強靭な精神を持つ人間であろうと、途方もない生の中で強大な自我を維持してきた神格の前には塵芥も同じこと。
如何なる色も、より濃い色の前には呑み込まれて消えるのが道理。
だが、この男は耐えた。
ひとえに、陽光の輝きをも超える闇を持つが故に。
精神世界においてスーラは陽光となった姿で形すら維持出来ぬ男の前に対峙していたつもりであった。
だが、事実は違った。
肉体すら構成できない程の脆弱な精神、そう判断したのはスーラの誤算であり傲慢であった。
実の所スーラはこの男を構成する大いなる暗黒に包囲されていたのだ、レオという男の本質は闇。
光すら飲み尽くす無限なる闇。
あらゆる色を飲み込む黒、それこそがこの男の本質。
この男は人として生きていた時点で、その精神は生きながらに既に人ですら無くなっていたのだ。
人の心の中の闇に際限など無いのだろうか、まさか無限に存在しうる世界にはこの様な種族が居るとは。
「何という事か、見誤っていたのは我の方であったか…!こやつはむしろ神に近すぎる、近過ぎた故の…!」
スーラは『声』による最後の発破を仕掛けた事を既に後悔し始めていた。
魂に直接語り掛けたが故に、この男の最後の安全装置である『常識』を破壊してしまった。
人として生き、人として死ぬという絶対の基準を失った事で、レオは急速に相応しき存在へと至り始めていた。
―――
ただ、人として生きて死ねればそれで良かった。
それがレオの、いやR1039にとっての理想であり、生きる理由その物であった。
人として生まれ落ちた時点で、Rには選択肢など無かった。
最早、人類が素のままで生きていくことを拒絶する猛毒の瘴気が渦巻く世界において、残された科学技術を寄る辺に地の底でもがき続ける終わりゆく者たち。
人類という種族として生を受けた時点で人が選べるのは既に二つの道のみであった。
一つは兵士として絶望的な戦いに身を投じ続ける事、そしてもう一つは研究者や労働者となって戦う者を支える者となる事。
人類の生存圏は大きく狭まり、その未来と選択肢は磨り減った末の世界において人が選べるのはこの二択だけであった。
物心がついた時、Rは既に未来になど希望を持ってはいなかった。
だが、与えられた責務を投げ出せるほど傲慢でも無かった。
それは何より、Rが人として生まれてきてしまったからだ。
人は生まれてくる場所を選ぶことなどできない。
生まれ落ちた場所が戦場であり、生きるという事は戦争と同義だ。
人はきっと未来永劫、この運命からは逃れられない。
Rに、いや人類にとって最早未来は存在しない。
人が求めているのは未来の可能性ではなく、栄光ある過去の奪還だ。
人類再興という理想、それはつまり失われた過去への回帰に過ぎないのだから、ある意味で皆が皆、過去に呪われた者たちと言っても過言ではない。
だが、それを悪であるなどとは言わせはしない。
元より、この世界は人が生まれ、人が作り上げ、人が暮らし、人が築き上げてきたのだ。
後から現れた者達が撒いた毒になど屈する事は種族の誇りが許さない。
その様な物分かりの良い人間など、人間であるはずが無い。
人は決して取り戻す事の出来ない過去という『望郷』の為に戦い続けてきた。
その為に、まず人としての幸福を捨てた。
かつての先人たちがそうした様に、Rもまたそれに倣った。
未来を求めぬが故に、制度的に限界が来ていた婚姻制度という遺物を廃止した。
子を産むという人が人たりえる権能は機械に全て委任した。
機械による無作為の出生によって子を区別する名を捨てた。
名は功績ある者だけで十分だ、製造番号があれば他人と自分を分けるには十分が過ぎた。
矮小なる小さい括りの家族を捨てた事で、共同体の全員が一族となった。
男女の区別なく、全ての人間が兵士となり、支援者となった。
果てしなく暗い未来の中で、輝く過去を取り戻すため、高度な技術を持ちながらも人は、最も原始的な社会へと回帰していった。
ならば、自らもそれに殉じるべきだ。
その中で生まれたRもまた、子孫繁栄は機械に託し、独り身で生きる決意をした。
その果てがこれだ。
最早、拠り所であった『望郷』にすら手が届かぬ場所まで来てしまった。
安寧なる死を得る事が出来ぬならば、そして還る過去も場所も無いならば、ここで戦い続ける他に無い。
未だこの世界の中で苦しみのたうちながら絶叫する同胞たちの為に、異形異類の全てを撃ち滅ぼそう。
戦いとは己の過去も未来も焼き尽くし、その一生分の力の全てをただ一つの戦いにつぎ込むという事に他ならない。
未来も過去も無いならば、今この瞬間の戦いの中にだけ己が存在すれば良い。
その為の力は忌まわしき者が自らもたらしてくれた。
最後まで人という存在に拘泥していた己の倫理をかなぐり捨て、己は魔へと堕ちよう。
あってはならぬ全てを焼き尽くして失われた世界を、望郷を取り戻すのだ。
全て殺し尽くした後に、世界に人だけが残っていればそれで良い。
『R1039』はこの瞬間より、完全に『レオ・キルロイ』へと切り替わった。
―――
レオの肉体が再構成され、意識が回復した時、空は既に赤黒くなり始めていた。
昼を超えると急激に夜へと変わりゆくようになった世界には既に闇が迫りつつある。
今日、決着を付けねば自分はともかく他の者達が持たないだろう。
エンキを始末する為に準備をすべて使いつくし、何よりも死体を作り過ぎた。
このまま夜を迎えれば一悶着起きる事は確実だ。
そう素早く現状を確認する中で、レオの視界前方の女神の首塚周辺で大きな爆発が起きた。
まだ戦っている仲間がいるらしい、急がねばならない。
「起きたか、肉体よ」
「まだ生きていたのか、邪神」
憔悴しきった雰囲気すらある声がレオに掛けられた。
零落してもなお神格であるスーラはレオの再誕に耐えきり、なんとか意識を維持している様であった。
それに言葉を返すレオはどこか人が変わったようですらある。
まるで外れていた歯車がかっちりと嵌った様に、まるでそれが今までそうであったかの様に目に憎しみだけを湛えた無表情でスーラへと言葉を返す。
その赤い瞳は燃えんばかり、いや目だけではないレオは燃えていた。
体は変わらぬ青き異形のままに、しかし体からは炎がくすぶっている。
レオがスーラから吸い取ったのは肉体を再構築させる分のエーテルだけでなく、陽神の権能の一部すらも含まれていたようであった。
「我が力をだいぶ吸ってくれたな、カラカラであるぞ」
「まだ足りん、武器を作る」
レオは言うや否や、路上に転がる半ばで折れた剣に手をかざす。
まともな感性を持つ大人であれば誰でも分かっている事だ。
手を伸ばして念じようと届かない物が一人でに動いて手に収まる事など無い。
だが、それは人の世界の道理だ。
人でない者が闊歩する世界で人で無い者が手を伸ばせば、物は動き道理が引っ込む。
それを既に地下鉄の戦いで目撃している。
忌まわしき青い血を持つ異形が行えるならば、同じ物が流れる自分もまた使えるというのが新たなる道理。
ならば出来るか否かではない、やるか否かだ。
自分は最早、人ではないのだから。
『来い』
短く、命令する様にレオが唱えると今までスーラの命しか受けなかった大剣の残骸がレオへと柄を向けて飛翔して右手に収まる。
得る為にはまず捨てるべし。
魔なる力を得るならば、まず人としての尊厳捨てるべし。
人の知恵、捨てるべし。
人としての尊厳を全て否定するによって新しき魔なる力の全てを肯定する。
人で無いから出来るのだ、化け物であるから死なぬのだ。
そう己の認識すらも作り替えるべし。
「なんとッ…!あの短時間でここまで思考が切り替わるか!」
石頭から一転、魔の何たるかを完全に理解したレオに対してスーラが感嘆する中、レオは剣を受け取ると同時にほぼ躊躇する事無くその剣を己の腹に全力で突き立てた。
「ぬぅぐぅあああッ!」
「また自傷か!やめよと言っている!」
「黙れ…ッ!これは違う…ッ!」
一見して東洋的な自殺の一つである切腹、それを見て叱責するスーラをレオは明確な意思でもって黙らせる。
これは必要な儀式、軟弱なる人の意識を根本より変え、魔に相応しき新たな武器を作り出す為の通過儀礼である。
折れた剣に腹を貫く力はない。
しかし、腐っても鋼鉄である以上は力を入れて突き立てれば欠けた剣は肉を破って突き刺さり、血を溢れさせるには十分だ。
変化は滲んだ血が剣に触れた直後、起きた。
蒼い剣に呪わしき青い血が触れた直後、剣が変化を始めた。
流れ出た血が欠けた刀身に触れる端から緑色の炎を上げながら熱した鉄板に水を掛けた様な音を上げる。
それに合わせて腹に突き刺さる剣が失われた刀身を再形成して更に腹に深く突き刺さり、終いには背中をも貫いていく。
「ふぅッ!」
失われた刀身を己の血潮で熱し、血肉で補い、鍛え直す。
人ならば到底不可能な事、だがこの世界は道理に中指を立てるエーテルに満ち、今の自分は化け物だ。
重要な事は、『出来て当たり前』と思い込む事である。
我が血は溶鉄、我が身は鋼、我が魂は人に非ず。
我は非人、人に非ざる畜生なり。
化け物ならば、出来るのだ。
人でないから出来るのだ。
「あぁああッ!」
レオは吐血しながら叫び、再構築された大剣を無理矢理腹から引き抜き、大きく振るう。
エーテルの満ちた大気に鍛え直された刀身が触れた直後、蒼く美しかった刀身が赤黒き空と同じ黒ずんだ朱に染まっていく。
これなるは最早侵略者の聖剣に非ず、滅びゆく宿命を強いられた種族の手で鍛え直された、新しき種族を滅ぼす為の新たなる両手剣。
後に『落日の剣』と呼ばれ恐れられる魔剣がここに生まれる運びとなった。
最早、人でないならば人非ざる行い、剣を不可視の腕で掴み、己が血で剣を再構成する事もまた容易。
人としての知覚を捨て、異形としての視点を得よ。
世界はこれほどまでにおぞましく、単純だ。
「おおッ…!『蒼穹』が『落日』にッ…!」
スーラはその光景に思わず上ずった声を上げた。
最愛の子に与えし最高の剣が、最も高貴なる蒼が、滅びゆく種族の色たる渇いた赤き血へと塗り替えられ、作り替えられていく。
その光景に戦慄せざるを得なかったからだ。
世界の因果律とはなんと残酷な事であろうか。
実の所、スーラとレオの相性は最高であった。
最高であるが故に拮抗したのだ。
人では無くなったという事に対する積極的な自己否定と、スーラの神格と高濃度のエーテルが混じり合い、世界を呪う怪物が世に解き放たれた。
「覚悟は完了した。武器も出来た。さぁ猿狩りのやり直しだ」
今や悪鬼と化した男が赤き剣を手に先刻爆発が起きた地へと駆けだした。
ここまで出しておきながら特に詳しい言及が無かった邪神様と主人公のアレコレの回となっております。
この作品において正義や悪は基本的に一部例外を除いて存在せず、強い奴が総取りして弱い奴は蹂躙されるというのが骨子となっております。
世紀末故致し方なしです、ようやく主人公も総取り出来る強者へと成り上がったわけです。
まず力ありき、主人公はようやく主人公としての地位に立てた感じとなっております。
鋭意努力していますが、今後も今と同じぐらいの投稿頻度になると思われるので気長にお待ちください。




