三十六話、死した女神
そろそろ戦闘シーンに飢えてるだろうけどもう少し待って欲しい
協力するか殺し合うか、異形へと変わり果てた新たな友人はクトーに対してはっきりとした口調で今後の運命を決める二者択一を迫ってきた。
草色に変貌した皮膚、太い骨と分厚い筋肉で構築された強固な肉体を持ちながら2mを優に超えるであろう長身の肉体が、鋭い牙を剥き出しにした狂暴な相貌を伴う事で恐ろしいまでの威圧感を放っている。
加えて、男の背後には影の様で影出ないモヤの様な人影が男にまとわりつきながら、男と同じ赤い瞳でこちらを見つめている。
怪物と亡霊、クトーが真っ先に至った率直な解であった。
悪魔憑きなどとすら言い難い、これでは本物の悪魔だ。
だが、それ程までに見た目は変わり果てても問いをする理性は残っている友を見て、クトーは腹を括る事とした。
元より、選択肢など無い。
この化け物を敵に回せば数分と持たずに皆殺しの目に合うだろう、拒んで逃げ帰ってもエンキに始末されるだろう。
このままどちらの選択もせずに周囲に無数に存在する無人の廃墟群に逃げ込めば助かるであろうか?
いや、夜の闇と共に確実に訪れる死神たちに貪り食われるだけだ。
どの選択肢を選んでも不可避の戦いと死が待っている。
ならば、ここは協力する姿勢を示してこの化け物をエンキにぶつける事が生存の可能性が一番高い最も合理的な判断だ。
「良いだろう、キルロイ。お前に協力する。何をすれば良い?」
「賢明な判断だ、クトー。まずはそうだな、後ろの同志を説得した方が良いんじゃないか?」
死体の山に立つ異形はクトーの背後を指さし、そう答えた。
振り向けば、隠れていた筈の仲間達が粗末な鉄パイプの槍を向けて立っている。
皆、顔に恐怖を浮かべながらも歯を食いしばり、残った人員で心もとない横隊を組んで槍衾を構築している。
明確な敵意、しかし恐慌状態ではない。
ぎりぎりの所で強靭な理性が彼らの暴走を踏み留めている。
しかし、だからこそ説得に失敗すればこの場に死体が更に追加される事となる。
クトーの指導者としての立場が問われる場面であった。
「落ち着け、兄弟たち。こいつは新入りのキルロイだ。ちっとばかし見た目は変わってるが…まあ、理性も残ってる。大丈夫だから取りあえず槍を置け」
クトーはいつもの軽い口調と身振り手振りで仲間達を落ち着かせようとする。
しかし、仲間達の反応は厳しい物であった。
「クトー!そいつは悪魔憑きだ!いつ理性を失うか分かったもんじゃない!昨日の夜のこいつを忘れたとは言わせねぇぞ!」
「あんた朝からおかしいぞ!?声が聞こえるとか彼が近いとか…そいつに何かされてるんじゃないのか!?」
「あの猿野郎のエンキも悪魔憑きだ!次はそいつの奴隷になれってのか!?」
「そいつは堕落者だ!エルクの民なんかじゃ無かったんだ!」
口々に吐き出されるのは拒絶と疑心の言葉。
昨日の一連の虐殺を経験して皆の精神は限界を超えており、視野と思考は恐怖に閉ざされ、既に保身にしか考えが至らなくなっている。
クトーは思っていた以上に仲間が疲弊している事に、そして呼び声が自分にしか通じていなかった事に僅かながら動揺した。
普段の思慮深く、大胆不敵な誇りある教会の探索隊である彼らが今や未来ではなく、目前の延命しか見えなくなっている。
リーダーとしてそれを見抜けなかった事に自責の念を感じたのだ。
だが、だからこそこれ以上の失態は許されない。
何より、自分には帰りを待つ者がいる。
故に、クトーは持っていた槍を地面に叩きつけながらあらん限りの声で叫んだ。
「馬鹿どもがッ!それがどうしたッ!」
一瞬の静寂、普段どことなく真剣みの薄い態度のクトーの怒声に仲間達の声は止み、槍を持つ手は震え、呆けた顔でクトーを見つめ返す。
「悪魔憑き?堕落者?それがどうした!エンキと同じ?それの何が悪い!ああそうだ!こいつは化け物だ!あの化け物と同じだ!だから良いんだろうがッ!」
眉間にしわを寄せ、無精ひげで汚れた口角を広げ、クトーは更に続ける。
「こいつを殺した所で何も解決なんてしねぇ!そもそもこっちが殺されるだけってのは抜きにしてもな!エンキの支配下に居続けて何がある?何もありゃしねぇ!俺はこんな生活はもううんざりだ!帰りを待ってる女がいるってのにこれ以上の可能性を提示されて我慢なんてしてられるかってんだよ!」
高ぶる怒りの感情に任せ、草色の異形を指さし、自身の胸を叩き、拳を振り上げ、身振り手振りを交えてクトーの全身全霊の演説は続いた。
それはこの地に繋ぎ留められてから溜まり続けた長きに渡る鬱憤の炸裂だった。
「お前らがこいつをどう思うかはこの際関係ない!俺が指揮官だ!化け物には化け物をぶつける!最悪共倒れでも良い!こいつにエンキをぶっ殺させる!そして俺たちは自由を手に入れる!勝てば故郷に帰れるんだぞ!異議のある奴は真っ当な対案を今すぐ出せ!今すぐにだ!」
熱のこもる怒声が止む頃にはクトーの仲間達は皆槍を捨てて座り込み、或いは項垂れて視線を床へと向けていた。
己の短慮を悔いているのだ。
恐怖で錯乱し、これまで自分達を導いてきた信頼できる上官に槍を向け、公然と罵った事を理解し、己の誇りを自ら汚した事を理解してしまったが故に、彼らは皆一様に沈黙していた。
流れが己に傾いた事を理解したクトーはゆっくりと仲間達に歩み寄る。
「……皆すまねぇな、元はと言えば俺が不甲斐ねぇから皆こんなどん詰まりに繋がれてるんだ。だが、お前らを故郷に返してやりたいって気持ちに偽りはねぇんだ。もう少しだけ、俺を信じてついて来てくれ」
項垂れる仲間達の手を一つずつ握りしめ、優しく肩を抱いて抱きしめる。
怒声から一転、慰めの言葉が効いたのか男達は緊張が切れた様に泣き出し、すすり泣く声は部屋を包む。
「帰ろう、皆で。その為ならば俺は悪魔に魂を売ってでもお前らが生き残れる可能性を買うつもりだ」
クトーはその言葉で話を締めた。
仲間の再掌握は完了した、次は怪物との取引だ。
クトーは立ち上がり、草色の異形へと向き直る。
「キルロイ、話がついた。皆―――」
「お前の言い分は全てにおいて正しい。俺はもう化け物だ」
説得が成功した事を告げようとしたクトーの言葉を異形は全面的な肯定の言葉で抑え込んだ。
「お前、いつから言葉を…」
「俺には分からん。だが後ろのこいつが覚えたのを翻訳してくれてるらしい。だから分かる」
理解できない筈の地上の言葉を完全に解している友に対してクトーが動揺する中、異形は親指で背後の黒い靄を指さしてネタ晴らしをする。
「こいつが言うには自分は神様なんだという事だ。まあ、俺は邪神と呼んでる」
「キルロイ、まさかお前がそうなったのもそいつのせいなのか?」
「そうだ。俺の事は今後人間として扱うのはやめろ。そして早速だが、一仕事やって貰いたい」
そう言って話を結ぶと影を纏った異形は死体の山から降り、黙りながら左腕をクトーに伸ばして向ける。
そして、右手で握る折れた剣を自らの左腕の肘先に当て、一気に押し退く。
分厚い筋肉と太い骨で構成されている筈の異形の腕がまるで熱したナイフで切られるバターの様に容易く切断され地面へと落ちる。
「…ッ!」
自ら腕を切り落とした異形は僅かに顔をしかめ、歯を食いしばる。
切断面から溢れ出るのは黒さすら感じる深い青、しかしそれも僅かな間であり、すぐに出血が止まると同時に傷口から肉が盛り上がり、腕の再生が始まっている。
「なっ!キルロイ、お前何をっ…!」
「……見ての通りだ、これで俺の死を偽装してくれ。それをエンキ届けて適当に言い訳するだけで良い。お前たちが出て行ったらここに死体喰らいを誘導して近づけなくする。調べたくても調べられない様にな」
相手の突然の自傷行為に再度狼狽するクトーに対して異形は一度ゆっくりと深く息を吸って吐くと平静さを取り戻した顔で地に落ちた腕を投げつけながら、手早く今後の計画について語りかける。
「一度、俺を死んだ事にしてほとぼりを冷ます。その間に装備と態勢を整えてエンキを始末する計画を立てる。俺一人では困難な仕事だ。お前たちには対価として自由をくれてやる。あの猿が死んだら後は好きにやってくれ。連絡はこちらから追ってする」
頼むぞ、異形は最後にそう告げるとクトーらに背を向けて外へと歩み去ろうとする。
だが、それをクトーは言葉で制止した。
「待て、だったら俺もお前についていった方が良いだろう。物資と隠れ家を提供出来る。それに二人でいた方が連絡と計画も詰めやすい筈だ」
「良いのか?お前の仲間が納得するとは思えんが」
「良い悪いじゃねぇ、一蓮托生ってんならば皆腹括るしかねぇってこった。俺以外にも何人か連れて行く。ミュータントにやられて死んだ事にするならそっちの方が良いだろう」
一瞬の静寂、異形とクトーが互いの腹の内を探る様に真剣な表情で見つめ合う。
そして、信頼できると判断したのであろう、異形は静かに頷いた。
「分かった、クトー。君の案がより優秀そうだ。案内してくれ。それと、これからも行動を共にするならば伝えておきたい事がある」
「なんだ、キルロイ」
「……新しい名前だ。これからは俺の事は…レオと呼べ。元は友が名乗りたがっていた名だが、もういない奴だ。代わりに俺が名乗っても問題ないだろう」
異形は一瞬、返答に窮したようだった。
どこか気恥ずかしさがあったのかもしれない。
どこか口調が少し変わったのも人でなくなったことを意識した物があるのかもしれないクトーは思い至った。
「レオ…獅子か。それは悪くねぇな」
「化け物である以上、もう人間だった時の名前はもう使えない。お前の付けてくれた名前と足してこれからはレオ・キルロイで行く」
「よし、それじゃあいっちょ猿狩りの準備と洒落こむか、レオ」
交渉が上手くいったと確信したクトーはいつもの調子に戻りレオの肩を叩こうとするが、手が上手く届かない事から断念して右腕を弱くたたいた。
自由か死か、生き残ればこれから嫌でも幾度となく行うであろう大博打の最初の、或いは最後の一回目が始まった。
―――
「ここがセーフゾーンか?」
「ああ、隠匿した物資の集積所と避難所を兼ねてる、目印は…」
「外の女神像か?」
「御名答、この辺じゃ女神の首塚って呼ばれてる。不気味がって人はあまり来ないから好都合ってわけだ」
クトーがレオを導いた場所はクトーら探索隊の一団が都市で回収した物資を隠匿している隠し場所兼隠れ家であった。
来たるべき脱出、或いは反乱の為に物資と人員の待機場所として作られたそこは、一見すればこの廃墟ではありふれた物となっている横倒しになった高層ビルの一室。
強いて他と違う所があるとすれば、その部屋が存在するビルの残骸に半ばめり込む様に突き刺さった青銅色の大きな女神像の首であろう。
「まさかな、ここがニューヨークだったとは…」
レオは思わずそう呟いた。
かの女神の生首こそ、かつての祖国でも有数の大都市たるニューヨークはリバティー島にそびえる自由の女神に他ならなかったからだ。
かつては海に面していた大都市も、今では砂の荒野にその残骸を横たえる存在と成り果てている。
最終決戦における空間破壊はそれ程までに地球の気候を大きく改変してしまったのだ。
だが、いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。
クトーの仲間が自分の腕を渡して虚偽の報告をエンキにしている筈だ。
依頼しておいてなんではあるが、並大抵の神経では成し遂げられないだろう事は容易に想像ができる。
失敗したり、耐えきれずに真実を告白したとしても誰も責める事は出来ない。
そうなれば、準備不足ではあるがここの装備と人員だけでの決戦を行わねばならない。
「大丈夫だ、あいつらはやり遂げる。俺と仲間を信じろ」
こちらの思案を読んでいる様にクトーは成功を保証してくる。
「まあ、それは置いといてだ。まずは生き残れたお祝いといこうじゃあないか」
「祝い?」
「缶詰だよ、桃缶。件の物はここにあるのさ」
秘蔵の品を披露するコレクター、或いは規則を破って持ち出した禁制品を自慢する悪ガキの様な笑みを浮かべながらクトーは傾いた部屋の隅の段ボールから人数分の桃缶を取り出してくる。
レオとクトー、そしてクトーが選んだ部下二人、計四人にそれぞれ一個の桃缶が分配される。
「昨日の地獄を生き残れた事とこれからの勝利の前祝だ!遠慮せず食え!」
「良いのか?希少品じゃないのか?」
クトーの連れてきた二人が歓声を上げて缶詰の蓋を缶切りで素早く開けて中身にむしゃぶりつく中、レオはクトーに問うた。
「昨日言っただろ?生き残れたら桃缶だって」
「100年前の、戦中の奴だともな」
「ああ、味は大丈夫だったともな…。やっぱり、お前はそうなってもお前なんだな」
対面で座り、桃缶を渡しながらクトーはどこか悲し気な目をしながらレオを見る。
おそらくは人から変わり果てた姿に同情しているのだろう。
だが、レオはそれをあえて無視して事務的に答える。
「こちらとしても状況は想定した中でも最悪だ。だが、少なくともこうなったお陰で脱出の可能性は手に入った。それはお前にとっても利益だった筈だ」
「そうだな。確かにこれが俺たちにとって最初で最後のチャンスだろう。物にしてやろうさ」
再び会話が止まり、手持無沙汰となった二人は部下たちから回ってきた缶切りで各々が粛々と缶を開け、中身を口に運び、汁を啜る。
「甘いな…」
「ああ、久しぶりの…文明の味だ…」
久しぶりのまともな甘味を食し、レオは一時だけ心穏やかであった。
Rくんの口調の変化は人間で無くなったと自分に自覚させる為に意図的に行っています。
最早彼は人類兵士のR1039ではなく、地上の怪物レオ・キルロイとなったわけですね。
彼にとっては数字の羅列でしかない元の名前の方が人間であった証として誇りと愛着があるので怪物となった以上は、もうかつての同胞と出会った時やよほどの事が無い限りは名乗る事は無いでしょう。
これまで色々呼称が変わってきましたが、今後はレオで統一される予定です。
環境の変化と肉体の変異に合わせて名称を変えていく手法にしてみましたが、少しわかりにくくなってしまったかもしれません。
恐らくこの作品は戦闘ぐらいしか需要無いと思いますが、あと一話で仕込み終えてそっちに戻りたいと思うのでもう少しお待ちください。




