三十四話、邪神
なろう作品と言えばチート、やっとチートが出来るぞ
意識が朦朧としている。
頭が痛む、酷い頭痛だ。
いや、全身が軋む様に痛い。
息苦しく、鼓動が鳴る度に全身を熱い液体が流れている様に体の内から末端の隅々まで痛みが伝播する様に走っていく。
全身を苛む痛みに襲われ、前後不覚の状態でRは意識を取り戻した。
そして直後に我に返って立ち上がる。
自身が座り込んでいたことに驚きつつ、Rは叫ぶ。
「クトー!無事か!?どこにいる!クトー!」
自分の物とは思えない野太く、重い大声が己の口から漏れ出し、周囲に反響する。
反応する者は無い。
周囲に自分の呼吸音と残響する叫び以外の物音が存在していない。
空は既に白んでおり、陽光が廃墟の隙間からこぼれて周囲を照らしている。
そこには人の姿はまるでない。
どうやら意識を失っている間に一夜を越してしまったらしい。
徐々に鮮明に戻ってきつつある記憶からRは昨夜、顔の無い猫の群れに襲われた事を思い出した。
どの程度まで戦ったのか、そしていつ戦闘から脱落したのか、記憶が残っていない。
しかし、自分が生きている以上は味方が全滅したわけではないらしい。
あの状況ではクトーらに庇って貰えなければ生きているはずが無いのだ。
幾ら体の再生能力が上がっているとはいえ、貪り食われて生命を維持できるはずが無い。
そんなRの思考を妨げる様に襲い来る強烈な疲労感と眠気。
まだ寝足りない、もっと休ませろと体が強制的に脳に休息と回復を求める指令を送り込んでくる。
先刻から続く頭痛も相まって思考を維持する事が非常に難しい。
だが、まだ倒れるわけにはいかない。
まずは状況を確認せねばならない。
そうだ、既に猶予など無い。
エンキは今日にもあの巨大な蟹を始末するだろう。
そうなれば、次に始末されるのは自分だ。
大金を払って手に入れた奴隷を即日殺すという時点で意味不明であり、正気とは思えない所業ではある。
だが、地上のおぞましい怪物の思考や発想が此方と同水準であると考えるのはあまりにも愚かだ。
『我々にとっての非常識』は『奴らにとっての常識』とも言える状況。
そうで無ければ自分はここに売り飛ばされていない。
まずは味方の残数の確認、そして敵がどうなったかを把握しエンキから始末される前にどうにか活路を見出さねばならない。
後ろ盾のクトーが生きているか確認する事が最優先事項だ。
何をするにしろ奴を起点として展開する以上は早く合流しなければならない。
今はまだ眠るわけにはいかない。
朧げな意識のまま数歩ほど歩き、何かが足につかえて歩みが止まる。
同時にRを違和感が襲う。
周囲の風景に見覚えが無い。
外を見れば相変わらずの砂に塗れた廃墟の群れが林立している。
だが、今自分がいる廃墟が奴隷の寝床とはまるで違う。
すぐ近くにある筈の荒れ狂いながらも定位置からは動かない炎の柱は存在していない。
そしてすぐ近くにある筈のエンキの座するビルもやはり無い。
代わりにある物はといえば、死体だ。
大小様々な奇妙なねじれたミュータントたちの死体がRの周囲に散らばっている。
大きな口を持ち、眼が無い者や非常に小さい眼を持つ物が多数であり、それが夜行種のミュータントである事を雄弁と示している。
特に背後に当たる方向にはミュータントの死体が積み上がり僅かながら山の様になっている。
いつぞや見たあの白い小人の様なミュータントの死体や昼夜問わず動き回る悪夢の存在たるフェイズ3化した屍者の残骸らしき物すらもいくつかそこに紛れていた。
意識を取り戻すまでの間、そこに腰を下ろして眠りについていたという事実にRの背筋が寒くなる。
しかし、肝心の顔の無い猫の死体だけはどこを探しても見当たらない。
「なんだ、何がどうなって…!?」
続けざまに襲い来る頭痛と違和感の連続。
背筋を伸ばせば視点がいつもよりも高い。
この高さにはしかし、どこか見覚えがある。
これは強化外骨格を着用している時の視野だ。
生身の時にはこれ程視野は高くない筈だ。
おかしい、何かがおかしい。
この展開にはどこか既視感すらあり、嫌な予感が強まっていく。
頭痛が更に酷くなり、頭を手で抑えようとしてまた別の違和感が現れる。
指が動かず、腕が重い。
既に、何かを強く握りしめている。
知覚すると同時にしびれと共に甦る両手に何かを握っている感触。
あまりにも強く握り過ぎて消えていた感覚が、気のゆるみで緩和して知覚できるようになってきたらしい。
こんな時に一体何を握りしめているというのか、Rは何気なく自身の腕に視線を移す。
「なんだ…これは…」
そこに映るは、いつかどこかで見た記憶のある半ばで砕け散った透き通る青い刀身の大剣を握りしめた草色の肌の異形の太い右腕。
「…っ!」
驚愕し、手放された折れた剣が金属音を立てながら地面に転がり落ちる。
これはあの地下鉄の戦いで少尉が殺した残留者の騎士が持っていた物、部下と戦友を殺し、自分が人として戦った時最後に無理矢理振るって砕けた物だ。
なぜ、この剣が今ここにあるのか。
そしてそれを持っていたこの腕は…。
狼狽するRに追い打ちをかける様に地面に落ちた大剣の透き通った刀身が陽光を反射し、Rの顔を鏡の様に映し出した。
そこに移る姿は見慣れた自分の顔ではなく、異形の相貌。
体は一回りも二回りも大きくなり、2mを超えようという程にまで身長が伸び、全身にボースと同等かそれ以上の筋肉が装甲の様に張り付いている。
草色に変じた皮膚はそれを破かんと盛り上がった筋肉よって硬く張り、口は人のそれを超えた大口となり下顎の犬歯が異常に伸びて閉じていても外に露出している。
残る歯も歪に尖り、肉食獣のそれを連想させる。
鼻は張った肌に引っ張られる様に上に反り気味になっており、耳もまた歪に尖った形に変じている。
手入れされず伸び始めていた髪の毛は全て消えており、硬く張った頭皮が剥き出しになっている。
そして、落ちくぼんだ瞳はかつて己の内に流れていた血液の如く、赤く輝いていた。
その姿はまるで、ファンタジー作品に出て来るオークの様ですらあった。
人から完全に逸脱した重度汚染者、地上人の言う所の悪魔憑きがそこには存在していた。
「…ッ!」
折れた剣の刀身に映った怪物の姿にRは狼狽して数歩下り、怪物が自身と同じ仕草と動作を寸分違わずに行った事でようやく全てを察し、力無く膝から崩れ落ちた。
それに合わせる様に、緩んだ左手から何かが零れ落ちてチリンと鳴った。
見やれば、そこにあるのは握りつぶされて歪んだ小さな鉄製の物体。
全てを失って尚、最後まで守り抜いてきた亡き友の認識票であった。
「そうか、また……お前に救われたのか」
ゆっくりとそう呟いたRの脳裏に、昨夜の記憶が一気に甦り始めていた。
―――
状況は最悪だった。
周囲に響き渡るのは猫の鳴き声と奴隷たちの悲鳴と絶叫の混じった戦闘音。
そんな中でRがクトーから手渡されたのは文字通り、先端を斜めに切って尖らせた鉄パイプ製の粗末な槍であった。
かの英国本土決戦用に作られたホームガードパイクの方がまだしっかり作られているであろう貧相なそれをクトーは普段居座っている寝床の一角の崩れた壁の隙間から全て抱えて取り出すと仲間達に次々と分配して槍衾を形成して猫の接近を防ごうと試みている。
背後を燃え盛る炎の渦に預け、その熱に背を焼かれながらおおよそ十数人程の機械教信徒の集団が鉄パイプの槍を構えて顔の無い猫と対峙する。
しかし、恐らくは同じ奴隷たちとの抗争の為の備えであろう貧相な槍と疲弊しきった奴隷の体捌きでは俊敏な猫たちを槍で捉える事が出来ない。
逆にその攻撃の間隙を縫い、貧相な槍の壁を掻い潜った猫たちは奴隷たちの足元や間合いの内側にするりと侵入して来ては露出した肌に深々とした爪痕を残して去っていく。
その一撃は動脈を切られな限りは致命傷とは言い難い傷。
とはいえ、それは無視できない量の出血を伴い、集団の体力と戦闘力を奪いゆっくりと破滅へと導いていく。
根負けした猫が諦めるのが先か、出血死が先か。
外に逃げると言うては論外だ。
既に寝床の周囲には猫以外の声が響き渡り始めている。
死体喰らいを喰い損ねたのか、或いは殺された奴隷の血に惹かれたのか。
周囲には様々なクリック音にも似たカタカタ、或いはチキチキといった鳴き声が秋の夜長の鈴虫の合唱を冒涜的にしたような感覚で鳴り響かせている。
元より外の世界の夜は絶望と言った端的に表せる物であるが、ここまで来ると即死ゾーンと言ってもいいだろう。
戦闘に誘引され、夜行種の波が寝床の周囲に押し寄せてきている。
既に猫から逃げようと、或いは追い詰められて火から離れ、迂闊に寝床の仕切りともなっている廃墟の外壁付近まで後退した者達がそのまま奇怪な腕や爪に掴まれて闇に引きずり込まれて声を上げる間もなく餌食にされていく光景が散見されている。
今や、この奴隷の寝床は化け物共の餌箱だ。
内にいれば猫に、外に出れば夜行種に食い殺される。
夜は始まったばかりであり、今や奴隷たちにとって選べるのはどちらに食われるかという事だけだ。
「固まって隣の同胞を守れ!最後まで諦めるな!教会のプラウラーである意地をみせてやれ!」
武器を配り終わったクトー自身も槍を持ち、最前列に立って猫に槍を向けて叫ぶ。
英語ではなく地上の言葉であり、かつてのままであれば意味を理解できなかったであろう事が伝わってくる。
やはり、クトーに率いられている者達はクトーと縁のある者たちであるらしい。
ただの様子見の使い走りではなく、集団の頭である以上はクトーの価値は更に上がる。
なんとしても守らねばならない。
「クトー!脇はこっちが抑える!」
「すまんな相棒!生き残ったら缶詰おごってやる!桃缶だぞ!」
「100年物とか言わないでくれよなクトー!」
「はっ!分かってるじゃねぇかよ!心配するな、前食った奴は大丈夫だった!」
Rが間合いに入りそうな猫の群れを槍を振って追い散らし、体勢の崩れた猫の一匹をクトーの槍が貫く。
ようやくの戦果、しかし状況は芳しくない。
敵は多く、内でも外でも周囲の物音は騒がしくなる一方だった。
―――
「……クトー」
「ああ、こりゃもう俺らしか残ってないな…アラモって奴だ」
どの程度の間、炎を背に攻防を繰り広げたか、槍を持つ集団の周囲には少なからぬ数の猫の死体が転がっている。
しかし、群れによる狩りを行う猫たちは多少数が減ろうとまだまだ周囲を取り囲むほどに存在している。
周囲の奴隷たちを大方狩り尽くしして合流した分、むしろ数は増えているぐらいだ。
戦闘の音は途絶え、助けを求める弱々しい呻き声がいくつか上がるばかり、それも僅かな間に次々と消えていく。
奴隷たちも無論、無策でも無抵抗だったわけでもない。
クトー達の様に他の派閥との抗争や自衛のために用意していた雑多な武器、拳銃や短銃のような豪勢な物を持って反撃を行った者も少なくはない。
だが、それらは所詮は人間を想定した武器だ。
即製の粗末なナイフや手斧は猫を相手にするにはリーチが圧倒的に足りず、銃は小さく俊敏な猫を相手にするには不適であった。
槍を持っていようと、孤立して相手をしては連携の取れた猫たちに良い様に遊ばれてから始末されるに終始せざるを得ない。
エーテルによって人間の性能が向上しているならば、野生動物の身体能力もまた向上しているのだ。
差し引きすれば、まだ彼らの方が強い。
そうして昼間からの虐殺で統率者を失った集団も多くあった事も重なった事で統制の取れない他の奴隷たちは猫たちに虐殺され、蹂躙される状況となった。
切り刻まれ、或いは油断して外延部に近寄り過ぎた結果として夜の住人の手に捕まって闇に引きずり込まれ、自分達を除けば最早立っている者は数えるほどしか残っていない。
一方のこちらと言えば、一応は全員まだ生存している。
しかし、無視できぬ傷を負った重傷者を陣形の後方に置き、その治療と止血の為に人数を割いた結果、まともに戦える人数は半数を切っている。
後方の負傷者にも手が動く者には武器を持たせてはいるが、殺到されればおしまいと言った所だろう。
取り囲む猫たちは妙にリラックスした様に体を伸ばし、口を大きく広げてあくびなどをしながら鳴き声で互いに連絡を取り合っている。
どうやら集団を包囲しつつ、代わる代わる既に仕留めた人間を貪り、食事と休息を行っている様だ。
かつてあった眼も耳も無いというのに、音響だけで完全に周囲の地形と相手の人数、立ち位置、武器を把握し、簡易な連携すらも行って見せる彼らは闇の世界に完全に適応した存在としてどこに出しても恥ずかしくない完成度と言った所だろう。
彼らにとって、最早こちらは敵ではなく面倒な棘を持つ餌という認識だ。
まだ襲ってこないのはその棘に刺される貧乏くじを引く者が出るのを待っているからに過ぎないのだろう。
こうなると、他の夜行種が炎の光に遠ざけられて侵入してこないのが逆に不利といった状況だ。
乱戦ならばまだ活路はあったかもしれない。
とにかく、朝が来るまで少しでも時間を稼ぐしかない。
下手に動かずに相対し、武器を構えて敵に隙を与えないようにする。
そうして睨み合う中、その拮抗は唐突に打ち破られた。
クリック音の合唱を続けていた外が一瞬、静かになると同時に何か呻き声の様な物がこの場所に迫ってきている。
「お次はなんだ?ジャパニーズホラーはお断りだぞ!」
そうクトーが強がりを吐いた途端、寝床と外との境ともいえる夜の闇から小型の死肉玉となった屍者の集団が雪崩れ込んできた。
ミュータントの波に押し負けて敗走し、死体の処理が出来なかった結果として放置されていた今日の戦いの死骸が起き上がったのだろう。
死体喰らいが食い尽くす前に夜が来た事も災いしたようだ。
この悪循環こそ、波の真骨頂と言えた。
「畜生!ジョージ・ロメロの方だったか!炎の渦を盾にする!負傷者も引っ張ってけ!」
人間と蜘蛛、そして一部は死体喰らいの混合物の様相を見せる死肉玉の侵入に猫たちの包囲は崩壊し、一部が脱兎のごとく外へと逃げて行く。
しかし、さしもの夜に特化した猫であろうと他の夜行種には敵わないらしく、一瞬だけ悲鳴を上げて何かを飛び散らせる音を方々で響かせている。
生存競争の過酷な夜の世界では食う側と食われる側の立場は瞬時毎に目まぐるしく変化する。
この状況では猫たちもまた、被捕食者と言える。
だが、その中で武器も碌に持たない人間はやはり生態系の最下位が不動の地位であり、それを覆す事は出来そうにない。
期待されていた乱戦は人間側の不利を加速させる結果しか起こしはしなかった。
寝床の中ではクトー配下の奴隷の集団と他の僅かな生き残り、新たに進入してきたフェイズ3形態の屍者の一群、そして逃げずに留まる事を選んだ猫の群れが凄惨な白兵戦を開始していた。
猫の包囲が崩れた事でクトーの集団は炎の渦を屍者に対する壁とするべく侵入方向から反対側へと素早く移動する。
これ幸いとまだ生き残っていた者達もクトーの集団に集まって来るが戦況的に焼け石に水と言った塩梅であり、逆に屍者の注目を引く事となった。
猫たちは戦闘を避けるべく屍者の手の届かない高所の足場を奪い合い、あぶれた者達は下で屍者へと爪と牙を用いて決死の抵抗を行っている。
主導権を握りつつある死肉玉と化した屍者たちは二手に分かれる。
一方は炎を無視して焼かれながら生き残った奴隷たちの集団に直進し、もう一方は地面に取り残された猫たちを文字通りに数で押しつぶしていく。
死肉玉に切り掛かった猫は、そのままその肉塊の中へと取り込まれてその一部へとすり潰されながら変貌していく。
地面を逃げ回る猫も死肉玉の増加で逃げ場を失い、同様の結末へと至っていく。
そして、それは奴隷たちも例外ではない。
壁になると期待した炎の渦は、しかし屍者を止めるには不十分だった。
例え表面を焼き尽くされようとも死肉玉の前進は止まらない。
荒れ狂う渦に巻き込まれようとも、肉塊が宙に飛ばされる事は無く、着実に地面を這って進んでくる。
元が生物であった以上、その死体には大量の水分が含まれている。
それが死肉玉に重量と不燃性を与え、炎の渦の突破を容易としたのだ。
結果として起きるのは表面だけが盛大に燃え盛りながらも勢いよく奴隷の槍衾に襲い掛かる死肉玉という悪夢的な光景であり、残されていた前衛が一挙に崩壊する。
幾人かはそのまま死肉玉に引きずり込まれてゆっくりと分解され、運の悪い者は炎の渦に放り込まれて生きながら焼き払われ、そうで無い幸運な者は死肉玉に弾き飛ばされて地面にしたたかに体を打ち付ける。
Rとその横にいたクトーの二人はその中の幸運な例に含まれていた。
「まだだ!まだ…!」
鉄パイプの槍を杖代わりに立ち上がったクトーが取り込まれそうな仲間の奴隷の腕に槍を突き立てて切断しようと奮闘している。
絶望と恐怖で泣き叫ぶ奴隷と、取り込まれた腕を切断して救出しようとするクトー、そしてそんな人間達の挙動を無視して最初の獲物をゆっくりと自身の内側へとすり潰しながら引き込もうとする死肉玉。
そんな光景をRは倒れ伏しながらボーッと眺めていた。
意識が遠のきそうであり、体に力が入らない。
倒れた時に頭を打ったのだろうか、動かなくてはならないのに動けない。
そんなRの視界もまた、近寄ってきたグロテスクな死肉玉によって塞がれる。
徐々に近づいてくるそれが、真ん中から二つに割れ、内臓と肉でつぎはぎされた触手を伸ばして既に息絶えている奴隷の死体を己の体内に収納しようとしている。
その死体が肉と骨に圧搾されて響く不快な音が響く中で脳裏を奔るのは、死に場所を失い足掻き回った果てがこんな末路なのかという思い。
ここまでなのか、Rがそう口にしようとした時―――。
「ここまでだな、最早様子見の時ではない」
Rの口から己の意思とは関係のない、そして己の声とはかけ離れた音色と口調の言葉が吐き出された。
それにはどこか聞き覚えがある様な感覚をRは覚えた。
しかし、その感触は直後に沸き起こった意識を失いそうなほどの壮絶な痛みによって消し飛ばされた。
筋肉が内部で肥大化して皮膚を裂き、骨は無遠慮に伸長し、血液が焼けた鉄の様に全身を苛みながら駆け巡る。
肉体の反乱、その様にしか形容できない痛みが頭の上から脚のつま先まで駆け巡っている。
視界が赤く―――いや、青く変貌し、目から多量の液体が零れ落ちる。
かろうじて動かせた右手でそれを拭い、驚愕した。
青い色の何かが右手に付着している。
いや、これは血だ、己の血だ。
青よりも蒼い、澄んだ空や深い海を思わせる奇怪な濃い青い血が己の目から次々と垂れ流されている。
そしてそれを認知した瞬間、その付着した血が手に浸透する様に染みわたり、右腕全体が火傷で水膨れを起こしたように肥大化し、新たな形へと変貌を開始した。
恐れていた重度汚染形態へと移行が今起きてしまっているようだった。
「これは…ッ!まさか、こんな時に…ッ!」
「こんな時だからだ、我が肉体よ。これ以上、我が玉体を危険に晒すわけにはいかん。まだ調整が終わっていないが貴様の肉体を貰い受ける」
一つの口から二人の言葉、口調から音色までまるで違う別人の声がRの口から勝手に発せられている。
見ようによっては道化の一人芝居にも見えるかもしれない。
だが、それが出来る状況ではない事はこの場にいる誰もが理解している事である。
仲間を助けようと奮闘していたクトーが呆然とした表情でRを眺めているのが見える。
「愉快な野郎終末旅行記は楽しかったか?貴様の冒険はここでゲームオーバーだ。後は我に任せて永遠に眠ると良いぞ」
「お前は…ッ!そうか夢の…ッ!」
「やっと気づいたか、だが既に終わった事だ。貴様の人生はもう終わっているのだ」
Rは全身を焼き尽くす痛みの中で声の主をようやく理解した。
幾度か夢の中で語りかけてきた謎の存在、それがこいつだ。
自分が人生を掛けてきた全てを台無しにし、名誉ある死すら奪った唾棄すべき者。
身勝手な理由でこの地獄に自分を陥れた者。
人類に仇なす憎むべき者。
人の体を奪おうとする外敵。
「ふざけるなッ…!これは僕の体だぞ…!」
「ほう、我に救われねばとっくに消し炭になっている身分でよく言えたものだ。分からぬのか?ここに至るまでどれだけ我が助力したのか。あの夜の戦いを己一人で乗り越えたと本気で思っているのか?」
Rはハッとしてこれまでの全てを思い出した。
蒼いスライムの様な血液に包まれて失敗に終わった自爆した際の顛末。
そして、最初の夜の小人たちとの戦いの最後の光景が脳裏にフラッシュバックする。
群れで襲い来る小人の最初の数匹をなんとか切り伏せ、しかし物量に任せて押し寄せる小人に群がられて全身に牙を立てられる痛みと湧き上がる恐怖。
意識が薄れる中で飛来した折れた青い大剣がのしかかっていた小人達を次々と切り刻んでいく光景、そしてどこか忌々し気に何かを語る自分であって自分ではない誰か。
あの時から既にこの存在は自分を支配していたのだ。
「理解したか?お前は何一つ成し遂げてなどいない。お前には何もない。諦めて我が器となる役割を受け入れよ」
意識はまだ残っている。
しかし、肉体の主導権は既に内なる何かに奪われてしまっているようだ。
Rの意思とは無関係に体が起き上がる。
このままでは全てを奪われる。
そう思った時、何かが地面に落ちて音を立てた。
かろうじて動く左目だけを動かし、それを見やる。
それは自分の首に下げていた筈の死んだ戦友の認識票だった。
肥大化した肉体の圧迫に限界が来ていた金属製のチェーンが切れたのだろう。
現実がどうであれ、Rにはそれが友からの叱咤に感じられた。
『折れるんじゃねぇぞ』、死んだ友の幻影が最後に語った言葉がRの残された意識の中ではっきりと響き渡る。
気付けば、Rの左腕はそのタグを拾い上げ、全力で握りしめていた。
「L…!僕は…俺は折れん!折れんぞ…!決して…!」
意識が焼き切れる直前、Rは確かに亡き友の遺志を継ぎ、そして意識を失って尚抗った。
そして地獄の夜を超えて朝に至ったのだ。
―――
「嗚呼、忌々しい…忌々しい事だ」
「ッ!貴様、まだ残っているのか!?」
「落ち着け、肉体よ。今の我はカラッケツだ。燃料使いきったMe163みたいなもんだ、あまり虐めてくれるな」
全てを思い出したRは再び現れた声に怒りを示した。
だが、昨夜と打って変わって声の主はどこかしおらしい。
「取りあえず、会話しやすくしようではないか」
そう言うとRの影が動きだし、半実体の人型としてRの前に現れた。
「まあ、端的に言うとだな。合体事故だ、肉体よ。貴様の抵抗が激し過ぎて肉体を取れなかった。だが我も消えなかったという事だ。OSの初期化と上書きに失敗してデータの重複したパソコンみたいな状態であるな」
自身の影に巣食った何かが夢で聞いた声で、しかし威圧感などを失ってどこか疲れた様な口調でRに語りかけて来る。
「貴様は何者だ、何が目的だ」
「まあ、そうなるであろうな肉体よ。貴様の苦境は全て我のせいであるからな。まあ謝るつもりは一切ないが」
やれやれといった様に手を振りながら皮肉気な影に対してRは無意識に折れた大剣を振り上げる。
「待て、待て。この影はアバターみたいな物だ。切っても意味が無い。我が本体は貴様の青き血そのものだ」
「……続けろ」
高圧的なRに押されて影は仕方なしと言った感じで話を続ける。
「我が名はスーラ。天頂、貴様らが来訪者と読んでいた者達の長であり、神だ。貴様らの舌では発音出来ないからゼニスで覚えろ、良いな?」
人の時代が終わりつつある黄昏で、滅びゆく種族の末裔と消えかけの邪神が邂逅した。
やっとファンタジーっぽくなってまいりました。
邪神様については構想初期より出そうとしていましたが、主人公パワーアップイベントや今後のイベントに重要な存在なので溜めを作ろうとした結果、登場がここまでずれ込む事になりました。
ひとまず、今回がタイトルの一度目の回収回という事になります。
青い血の化け物とは主人公その物であったという感じで今回は締める所です。
弱者に権利は無いと散々やったのでここからは強者のターンになる予定となっています。
労働環境の変化で落ち着くまで低速更新ですが、気長にお待ちください。




