二十八話、転機
やっと主人公がまともな服を得られそうである。
放棄された都市の中おいて、入り組んだ狭い路地はそれだけで危険な存在である。
いつ崩れるとも知れぬ建物の外壁と天井に周囲を包囲され、誰がいつそこに捨てたかもわからない雑多なゴミが無数に転がっている。
ガラスの破片、裂けた空き缶、砕けて鋭い破片となったアスファルトや石に鉄片、裸足で歩くには危険すぎる環境が至る所に点在している。
しかし、もう大通りには戻れない。
あちらは既にミュータントの宴会会場だ。
残っているのは死体と、これから死体になる哀れな生者だけである。
ムカデですら相手にならないというのに、あの巨大な蟹の出現が起きた事でもうあの通りどころかこの街の拠点はおしまいだろう。
もう間もなく、この周辺はモンスターの波に飲み込まれる。
この様な路地も臆せず進むほかない。
Rは覚悟を決め、腰に巻いていたボロ布を二枚に引き裂いて足に巻く。
靴の代わりとしては最低の物だが、素足よりはマシだ。
これでとうとう下着代わりのボロ布すら消費したが、この状況では全裸だろうと半裸だろうと誤差の範疇に過ぎない。
ミュータントたちは生き残った奴隷や看守を追って、彼らが逃げ込むであろうエンキの宮殿に雪崩れ込むだろう。
途中で別れたクトーも違う道でその道中にある寝床に戻るとなれば、化け物共と実質的に並走する事になるとしても同じ方向へ進むしかない。
背後では既に何かが蠢く音が近づいてきている。
恐らくは『蜘蛛』だろう、小型である分、狭い建物や通路などにも侵入が可能だ。
この様な状況では小型種の方が厄介ですらある。
いずれにしろ進める方向は一つだ、ならば行くほかない。
「状況は最悪、打開の見込み無し、選択肢は撤退一択だがどうしたもんかな…」
愚痴をこぼしながらRは廃棄された都市の路地の中を駆けて行った。
―――
都市の路地とは結局のところは袋小路でなければ大通りに戻る様に作られている。
今回の場合はただまっすぐ、多少左右に逸れてもそこから補正して直線に戻る道を選べば良いだけで逃走自体は比較的に楽な塩梅だ。
だが、隣接する大通りでは戦闘が激化しているのか銃声が次第に増し、時折火薬由来の轟音が響き渡っている。
エンキの兵は火砲も持っているようだ。
技術水準が低くても前装マスケットと黒色火薬が作れるならばそれを元に考えて射石砲の類は作れるだろう。
それであの蟹やムカデが止められるかは別として、それらの砲撃音はまだエンキ側の兵力が残存している事の目安にはなってくれている。
問題は、その戦闘による衝撃と振動だ。
ただでさえ脆くなっている都市の遺構が戦闘の余波でパラパラと砂埃を落としているのだ。
想定通りの前装式の射石砲の類ならば精度などまるで期待出来ない代物だ。
おそらくは周辺の建物にも盛大に流れ弾を垂れ流している。
「頼むからまだ崩れるなよ!頼むから!」
早く次の路地に逃げ込みたい衝動を抑えつつ、まずは建物の壁に張り付いて少しだけ通りに顔を出し、素早く左右を確認する。
主観視点で右側は巨大な行き止まりだ。
通りには倒壊した建物が幾重にも折り重なり、横倒しになった墓標の如く積み重なっている。
あちらには行けそうにない。
続いて左を見る。
そこには地獄が有った。
多くはマスケット銃、ボルト及びレバーアクションの類の古典的な小銃、そして少量の近代的なセミオートライフルを装備したエンキの兵士達がムカデや蜘蛛と言ったウェーブの前衛と白兵戦を繰り広げている。
どうやらバリケードなどを作る暇も無かったらしい、或いはその発想自体が無い可能性もある。
一部のマスケット兵が戦列を構築している事を除けば各々が好き勝手に瓦礫やスクラップの山の陰に隠れ、建物の窓から顔を出し各個の判断で散発的に射撃を繰り返している。
その後方の自動車道には自作したと思しき奇怪な多連装銃と射隻砲がそれぞれ数基、支援砲撃を繰り返している。
布陣場所はよりによって十字路だ、そうでなければRに視認できるはずが無い。
これでは側面から他のミュータントやモルフォが襲来した場合に対処が出来ない。
そうした判断力の無さから見ても練度の低さは致命的なようだ。
前装方式の射石砲は既に砲弾を使う距離ではないと判断したのか、商品であろうその辺のジャンク品を手当たり次第に砲口に押し込んでから蜘蛛の集団に向けて発砲。
内部に蓄えられた雑多なジャンク品は砕け散り、都合の良い散弾となって蜘蛛たちに降り注いで迫りくる群れの一部に風穴を開ける。
工事用の一輪手押し車の上に粗末な台座とマスケット銃をいくつも重ねて作ったオルガン砲の出来損ないの様な多連装銃が一斉に銃弾を吐き出し、蜘蛛の一体を肉片へと変貌させる。
どちらも連射性に難はあるが、彼らの技術水準で出来る限界の『制圧射撃』と『弾幕』を実現した実用性の高い兵器であるようだった。
問題としては、その程度では蜘蛛とムカデを止めるには火力不足であり、数自体も足りないという事だった。
どれだけ一撃を強化しようと一度撃ちきると再装填に時間がかかるのが前装砲の限界だ。
その間にミュータントの『津波』は兵団の前衛へと容易く殺到した。
苦し紛れのマスケット銃の一斉射撃が数匹の蜘蛛を倒そうと、波は決して止まらない。
そのまま突進してきた別の個体が射撃する兵士達を殴り倒し、押し倒し、叩き潰して蹂躙する。
ある者は射撃に用いていた窓から押し入られてそのまま捕食され、またある者はスクラップ毎殴り飛ばされて頭を砕かれ、幸か不幸か建物の陰に隠れていた者は蜘蛛が建物を殴った拍子に落ちてきた天井の一部に蜘蛛と共に押し潰されて痛みを感じる間もなく即死した様だった。
槍代わりに付けられた銃剣などまるで頼りにならない絶望的な近接戦闘の中で、兵士達がたちまち物言わぬ肉塊へと変貌していく。
身体能力の差は歴然であり、肉薄されてよりの戦闘はほぼ一方的な虐殺といった状況に終始している。
鉄の槍を突き刺されて尚、怪物たちは動きを止める事など無い。
まるでそんな事を意に介さない様に刺した兵士をかみ砕き、捻じ切り、叩き潰してから自身に刺さった銃剣を引き抜いて投げ捨てると、戦利品に早速かぶりついている。
ただの人間がミュータントと白兵戦などしても勝ち目など無いというのはより優秀な装備を与えていた市民兵でも同じことであった。
それにすら劣る彼らには生きる道など元より、無い。
そして前衛を容易く突破した集団から躍り出たムカデが再装填中のオルガン砲と射石砲の砲手を瞬く間に屠っていく。
中には腹の真ん中あたりの手に生きたまま抱きしめられて連れ去られるものまで出る始末だ。
恐らくは弁当とか保存食と言った具合なのだろう。
生きていれば鮮度も落ちないし屍者にもならないとう寸法だ。
空には狩りの機会を失ったモルフォがそれでもおこぼれが無いかと狙ってまだ羽ばたいている。
エンキの兵力がどの程度かは分からないが、少なくとも中隊規模の前衛部隊は壊滅したと言って良いだろう。
それも僅かな時間でだ、やはり文明を喪失した人類にとって地上は既にホームグラウンドではない。
「これはもうどうしようもないな…クトーもまだ生きてるかどうか…」
このまま出て大丈夫か、しかして留まった所で状況が改善するだろうか、僅かな間に思考が交錯する。
蜘蛛に気付かれずに次の路地まで移動できるか、モルフォの横やりはどうか、考えている様に見えて思考はどんどん空回りしていく。
『早く決断しろ、愚か者が』
聞き覚えのある低く重い声が脳内に響き、同時に背筋に寒気が走る。
直感的に視線を上に向けたRは一瞬でもここに留まった自分を呪った。
背後直上のビルの壁面に一体の蜘蛛が四本の手足の爪を壁にめり込ませて張り付き、こちらを窺っていたのだ。
既に飛びつく為の姿勢の調整に入ってるという塩梅であり、あの声が無ければ気付かずやられていただろう。
人の輪郭を残した顔に、しかし六つついた黒く丸い目と視線が合う。
警戒音と思しき唸り声を口から出しながら蜘蛛の体もいよいよ飛び掛かろうと重心をずらしたその時、張り付いていた壁が脆くも崩れてRの頭上めがけて諸共落ちてきた。
どうやら外壁が既に限界に来ていたところに蜘蛛が荷重をかけた事で限界を超えた建物が崩落が開始したらしい。
或いは、これも『呪われたように運が良い』お陰なのか。
思考よりも先に体が動き、全力疾走で通りへと躍り出る。
ここから先は博打だ。
まだ解体されていなかったガードレールを飛び越え、中央分離帯を踏み越えて脇目も振らずに遮二無二目の前に見える最寄りの路地へと走り込む。
切れ始めた息と若干遠のいてくる意識を無視してそのまま速度を殺さずに次の路地へと潜り込み、そこでようやく背後を確認する。
件の蜘蛛はそのまま瓦礫に押しつぶされて息絶えていた。
予想以上に大規模な崩落だったらしく、痙攣した白い手が僅かに瓦礫の中から出ている以外に蜘蛛の存在を確認できない。
「今のは…」
やはり違和感を覚える程に運が良い。
しかし、先程はそれだけでは無かった。
あの助言はいつも夢で聞いていた―――。
「いいや、僕は人間だ。まだ、人間だ」
脳裏に浮かんだ思考を切り捨てRは再び路地内へと潜り込んだ。
―――
新たな路地に潜り込んでRは事態がこれまでの様に快調ではない事を理解した。
次の大通りへ進む為の通路が建物の倒壊によって塞がれていたのだ。
最近出来た物では無さそうだ、崩壊の進む都市の中で通路が無事だった今までがむしろ幸運だっただけと言えたのだろう。
どうやらこのブロックは崩壊が顕著な様だ。
この状況での前進不能は非常にまずい、退路も蜘蛛によって潰されてしまった。
残っているのは道を戻り大通りへ進むという選択肢だが、あちらは今絶賛修羅場となっている。
ならば後は運に任せて残骸に身を寄せて隠れるのみか。
以前、もう何日前かもおぼろげだが、まだジョンソン少尉の下で戦っていた頃に保護した市民兵のフランシスをふと思い出した。
彼もこういった絶望感と不安感の中で隠れていたのだろうか。
奴の場合はまだ武器を持っていたのでマシだっただろうが、こちらは文字通り丸腰だ。
服どころか下着すら着ていない。
「取りあえず数時間隠れて外が落ち着いてから動くか…。いや、ここで夜が来るのは不味いぞ。凄く不味い」
現在の地上の日照時間は短い。
もたもたしていればすぐに夜になってしまう。
こうなれば大通りに向い、武器を現地調達して突破する他ないだろうか。
そうして今後の思案をしているRの背後から騒めきとせわしない足音が聞こえてくる。
反射的に瓦礫の陰に体を隠すが、それが複数の人間が移動する際に出す音だと理解して半ば安堵し、同時に緊張する。
人間なのは良い。
だが、本当に人間だけであるか。
それが問題である、後ろから更に蜘蛛が来ていればこの袋小路で全員仲良く餌になるしかない。
何も無いよりはマシと瓦礫から都合の良いコンクリート片を拾い上げ、右手に構える。
後は状況次第だ。
「そこにいるのは誰だ!出てこい屑が!」
聞き覚えのある声だった。
果たして、そこに現れたのは見覚えのある顔に一切の毛が無い坊主頭の大男、ボースであった。
その顔や体は蜘蛛の物であろう青い返り血で染まっており、重装の鎧は所々が砕けて解れ、蜘蛛の物であろう爪で胴の鋼鈑入り強化レザーアーマーに大きな三本の溝が袈裟懸けに彫り込まれている。
そんな満身創痍の男が右肩で仲間を支え、左手には青黒い血がこびりついた鉈を握ってRの目の前まで迫って来る。
どうやらあの地獄を生きて出てきたらしい。
呼吸は荒く、眼は血走り、歯を食いしばり、顔を歪ませながら、しかしそれでも深手は負っていない様で背後からついてきた部下たちの中で一番万全の状態を維持している。
おかしい、なぜボースの言葉が分かるのか。
誰か分からないならば英語で問いかけてくるはずが無い。
「てめぇか黒人野郎。まだくたばってなかったのか」
Rの姿を確認したボースがすぐに英語に切り替えて問いかけをしてくる。
湧いて出た疑念を晴らす暇もなく、Rはその対応に忙殺される事となった。
「僕はヒスパニックだ、何度も言わせないで欲しいね」
その言葉に合わせて持っていたコンクリート塊を放り、降参とばかりに両手を上げる。
この筋肉ダルマに殴り合いで勝てないのは既に教訓として体に刻まれている。
無駄な抵抗はやめよう、余計なダメージを貰う余裕はない。
「けっ!そんな事どうでも良いだろうが!出口に案内しろ!」
「それが出来たらここにいるわけないだろう?袋小路だよ」
「くそがッ!おい、てめぇら!小休止だ!入り口は見張ってろよ!」
相変わらず脅迫めいた乱暴な口調のボースがそう吐き捨てる様にRを罵り、残り少ない幾人かの部下たちに怒鳴る。
一方で肩を貸している部下と思しき整った装備の仲間への対処は丁寧で適切だった。
地面の瓦礫の少ない場所を選んでゆっくりと寝かせるとレザーアーマーや市民兵の迷彩服を脱がして即座に応急処置を開始する。
ボースと同じ迷彩服を着ているところから見て、この兵士も脱走兵だろう。
ボース子飼いの部下なのかもしれない。
既にRの事など脅威でもないという体だ。
実際、コンクリート片で殴りかかっても返り討ちに合った上に今度こそ殺されるのがオチだっただろう。
「……くそがッ!」
「駄目そうなのか?」
処置するをするボースの横にRが座り込む。
状態の確認とついでに座り心地の良さそうな場所の確保のためだ。
「見て分からねぇのか正規兵様はよ!?どう見たって致命傷だ!装甲服着てると怪我の具合も分からなくなるのか!?えぇ!?」
ある意味でそれは服を脱がす前から分かっていた事だった。
何の獣の皮使っているかは分からない、茶色いレザーアーマーを貫く二本の穴。
そこから大量の紫色の血が流れ出ていたからだ。
だが、ボースはそう叫びながらも傷口に布を当てて圧迫する。
これまでこの男には見られなかった意外な一面にRは触れた様な気がした。
他人などまるで顧みない筈であろう男が部下とはいえ、他人を救おうとしているのだ。
そんなボースの処置を、受けている本人が手を置いて制止した。
それを無視するボースに兵士は苦し気に呻く。
「中尉、もう良いです。十分です」
「ふざけるな!まだ死ぬな!どいつもこいつも大した事でもない事でボロボロ死にやがって!」
中尉、処置を受けている脱走兵の口から出たのはボースのかつての階級なのだろう。
尉官ともなれば兵士の中でも比較的上位の階級と言える。
少なくとものRよりは遥かに上の存在だ、ボースが市民兵では無ければ指揮下に加わる事もあったかもしれない。
だが市民兵である以上、Rの様な正規兵がボースの指揮下に入る事は絶対にあり得ない。
市民兵は正規兵に使われるために存在するのであって、その逆はあり得ないからだ。
そこから逆算するに、脱走を行い今日まで戦って来たこの男達の間には積もり積もった物があるのだろう。
Rはあえて何も言わずその光景を見守り、おおよそ5分ほど時間が経った後にその兵士は最後に引き攣った声を漏らして息を引き取った。
「ちっ!簡単にくたばりやがった!根性がねぇ!」
止血に使っていた布を地面にたたきつけ、ボースは堅い表情のままそっと兵士の覆面を外すと見開いたままの眼を優しく閉じ額を撫でた。
「あばよ、ギャズ!」
そして鉈を手に持つと力一杯に振りかぶり、その首を一撃で切り飛ばした。
「これでこいつはもう起きねぇ。くたばったら首を刎ねる、それが俺たちの間の礼儀だ」
「屍者除けの後処理か」
「ああ。てめーら正規兵様はなんでも焼き払ってたみてーだが、俺達にはそんな御大層な物くれなかったからな」
祈りの類などせず、死を確認すると僅かな瞬間に別れを告げて即座に首を刎ねる。
屍者という存在は葬儀という儀礼の形すらも人類から奪いつつある様だった。
祈りも無く、別れの言葉も手短に、何よりもまず屍者となって動き出す事を防ぐ行動を優先する。
それこそが彼らなりの鎮魂なのだろう。
「ちっ…。だが、こいつは幸福だ。自由に生きて死ねたんだからな」
ボースは首を刎ねた死体の横で胡坐をかいてRの対面に座るとそう言葉をこぼした。
「自由だって?こんな辺鄙な土地で怪物どもと殺し合って食われるのが自由だって言うのか?」
「そうだ。てめーら正規兵どもの顎で使われて死ににいけって言われる日々に比べたらこうして自分で生き死にを決める方が自由じゃねぇか、違うってのか?」
聞き捨てならない言葉にRは真意を測ろうと聞き返し、ボースは思ったままの事をぶちまけた様だった。
「てめーらに中尉なんて位貰ったってな、結局は小間使いじゃねぇか。正規兵の下っ端にすらつまらん命令や指図されて、部下共には死ねと命令するしか出来ねぇ。俺の方があんなモヤシ共より強いのにだぞ?てめーらなんて装甲服が無きゃ全員殴り殺してやれるってのによ!」
殺意すら感じる圧迫感の中で、しかしRにはボースの言葉に真が無い事に気が付いた。
故にそれがこの男と腹を割って話せる活路となりえると暗い森で道を見出した時の様な感覚と共に確信する。
「ボース、君は自由に生きる為に脱走兵になったって事で良いんだな?そして今は自由を謳歌してると」
「そうだ、てめーらの指図を受けずに好き勝手生きて死ぬ。実際楽しくやらせて貰ったもんだ」
「だったらなぜ今エンキの元にいる。なんで支配される側に甘んじている。君は実際には不自由ではないか」
ピクリとボースの肩が動いた感じがした。
やはり何かの琴線に触れたらしい。
不自由な者が自由を口にするのだ、何もない筈が無い。
「これが、この世界が自由と言うならばそれは野獣が外で好き勝手生きているのと同じ事だ。有難がる様なものじゃない。無為に生きて死ぬだけじゃないか」
「……黙れ」
「何の拠り所も無く、大義も無く、結局は他の支配者に隷属し、技能を腐らせ、ただ時間と資源を食い潰して地上をのたうち回って死ぬのを自由だと勘違いする。それは愚かし過ぎるよ」
「黙れ屑が!」
「そもそも論として自由などという概念は幻想なんだ。皆、生まれた時点で全ての物に縛られて生きている。僕らはこの世界に縛られて生きていくしかないんだ」
「てめぇ…!」
不遜な奴隷の言葉に我慢の限界とばかりボースの太い腕がRの首を掴み、締めあげる。
図星であったからこその純粋な怒り、それがRの首を砕こうとどんどんと強くなっていく。
だが、だからこそ引けないのだ。
ここで退いては舐められる。
猛獣を屈服させるには噛みつかれる危険を冒すほかない。
「だったらてめぇは何だってんだ!てめぇだってもう捨てられたってのにまだ生き恥を晒してるじゃねーか!」
首が締まり、意識が刈り取られそうになる中でRはそれでもボースに対して無理矢理言葉をひねり出す。
苦しいが、この男がその気ならば既に首の骨が折れている筈だ。
それだけの力がある事をRは出会った時に思い知らされている。
だからこそ、ボースにも一種の迷いがあるという証を掴む事が出来た。
「簡単な、事だよ…。義務の為に、生きている…。戦う為に…まだ、生きている…!」
生き残ってしまった以上は兵士として義務を続けねばならない。
すなわち、故郷の為に一匹でも多くの不浄な怪物を殺し、少しでも多くの情報を持ち帰る事。
少しでも同胞の助けとなる為の行動をせねばならない。
戦う為にまだこの様な地獄を這いずっているというのに、この仕打ちだ。
自分がいつおかしくなるかも分からない、ならばここで殺されるのも一つの選択肢だ。
もう狼狽えない、もう迷わない。
戦えないならばせめて前のめりで死ぬだけだ。
「始末したいならばすれば、良いッ…!戦える駒がッ…減るだけだがなッ…!そうで無いなら…さっさと武器をよこせッ…!共闘してやるッ…!化け物どもと…戦わせろ…!」
そこでふと首を絞める力が弱まった。
まるで放られるように体が地面に投げ出され、咳き込みながらも肺に新しい酸素が供給されて意識がクリアになっていく。
「はは、ははは!てめぇ、この期に及んでまだ鋼鉄の騎士様気取り!全裸の癖に!はははははっ!」
「全裸は余計だよ全裸は…」
「良いだろう。武器と衣服はそいつのを使え、死人にはもう必要ねーからな」
武器を求めるRにボースは先程首を刎ねた死体を親指で差す。
正直なところは遠慮したいが、えり好みしている状況ではない。
死体から装備を獲得すべく、すぐさま行動へと移る。
「30分だ。それだけ待ったら大通りに打って出る。どう転んでもやるしかねーぞ騎士様よ」
着替えと武器の確認を進めるRに対してボースはそう一方的に告げると休息をしつつ周辺を警戒している部下たちにも同様の指示を出して準備を開始する。
「てめーとダラダラ長話してたお陰で時間も少しは潰せた。それであのムカデどもはエンキとぶつかる筈だ。6割方、エンキが勝つ」
ボースの考える波の主力をやり過ごしてから帰還を目指すというのはRと同じ発想の様だ。
問題は、エンキがこの状況でも勝つであろうという発言だ。
「クトーも似た事を言ってたが、倒せるのか?あの化け物を」
「ああ、だから困ってるんだろうが。奴が生きてるから俺が一番になれねぇ」
どこか諦観にも似た表情でボースはため息をついて最後にこう言い放った。
「奴は文字通りの化け物だ。認めたくはねーが、エンキは本物の化け物だ」
てめーもいつか理解して絶望する日が来る。
そんな哀れみの表情で見つめて来るボースにRは若干の寒気を覚えた。
そうであれば、まだ自由は遠そうであるからだ。
空では短い昼が終わり、太陽は地平線に向けて沈み始めていた。
おおよそこの世界の日照時間は年間固定で午前9時ぐらいに夜が明け、午後3時ぐらいには完全に沈むぐらいの物を考えています。
太陽が天にあるのはは約6時間、おやつ時ぐらいには既に夕日が見えるぐらいの塩梅で、その後は完全な闇の世界となります。
要は昼飯食って少しするとすぐ夜が来るので早く行動しないと危険な夜行性のミュータントとこんばんわする事になります。
この日照時間の短さも奴隷の脱走抑止の一因となっています。
弱者にはとことん厳しい世界という感じですね。




