十九話、蝶の舞う街
ぬわん書いてたら眠れなかったもん
Rを回収したボースは自分たちが乗ってきた大型トラックの置かれた駐車場に戻って来ていた。
既に荷物であるRは後ろの荷台に載せて部下やキドたちも乗り込んでいる。
自分の不始末で荷を少々傷つけてしまった事が問題になりそうなことに若干頭を痛めつつ、ボースは助手席の扉を開いた。
「あッ…お帰りなさいませ旦那様ッ…」
運転席からどこか卑屈さすらも感じさせる上ずった弱々しい声が響く。
トラックに乗っていたのは犬だった。
いや、人の形をした犬と言った方が良いだろうか。
長く尖った鼻、牙の生えた大きな口、頭の横では無く上に付いている耳、青い目、そして全身を覆う白と黒の犬特有の体毛。
見まごう事無くシベリアンハスキーの特徴をしっかりと受け継いでいる。
それでありながら、その犬は二足歩行の人間と同じ体つきをしている。
それがボースたちをここまで運んできたトラックの運転手、悪魔憑きの『ドッグ』だった。
体格だけで言えばボース自身に勝るとも劣らないであろう大柄な体を窮屈そうに曲げて運転席に収まっている獣人の悪魔憑きに対して、ボースは一切物怖じせずに命令を下す。
「出せ」
「えっと…?出せって言うとどこにですか…?」
「決まってんだろ!俺らの鉱山だ!さっさとエンジン掛けて走らせろ!」
「は、はいぃ!」
怯えきり、要領の悪いドッグにボースはいらいらしつつも、行先を指示する。
こうなるまで仕込んだのはボース自身なのだが、その卑屈な態度はボースの好むところでは無かった。
「アノマリーに突っ込むんじゃねぇぞ、『目が良い』だけがてめぇが取り柄なんだからな」
助手席に深々と腰を下ろすとボースは不機嫌そうに腕を組んで眉間にしわを寄せながら目を閉じた。
―――
二人の男に引き取られたRは再び例の爆発首輪を装着され、手枷を引かれて街中を引き回された。
こんな物を付けなくても逃げられる場所は無いし、周囲の兵士の質から見て脱出は不可能である。
周囲は相変わらずのカオスであり、無関心、無防備に見えて重装の兵士達はしっかりと周囲を警戒しているからだ。
とすれば、これは一種の高級品であるという示威行為の為の道具なのだろうか?
アスマの語った事が真実であるという前提で考えれば既に生産していた都市は滅亡し、生産拠点も失われたという事であるから首輪自体も高価である可能性が高く、ある種のブランド品として機能していてもおかしくない。
まだまだ分からない事は多い。
だが、生き残るにはもっとこの世界の住人たちの価値観と思考方法を理解しなければならない。
彼らが何を考え、何を求め、何に恐怖し、何を欲しているのか。
短い時間で、与えれらた環境で急ぎ理解せねばならない。
現状でも分かる事は、どうやらこの世界の水準で見てもスキンヘッドの男は危険な扱いの様であるようだという事だ。
周囲が自然と距離を置いた事で道中は何事も無く、今は彼らが乗ってきた大型トラックの荷台に投げ込まれてどこかへと運ばれようとしている状況だ。
スキンヘッドの男はトラックの助手席に乗り込み、残った人員はRと同じく荷台に乗り込んでいる。
内部は普通のトラックとは違い、天井にはライトが付けられ、左右の壁には兵員を載せる為の座席や武器などを置いておくためのラックなどが追加されている。
奥には物資を詰め込んでいるらしい木箱や樽が複数置かれている。
偵察や伝令の為か、バイクも一台固定された状態で載せられており、Rはその隣で地べたに座らせられている。
重装備の兵士達は座席に座り、カウボーイ風の男は隣で胡坐をかいて拳銃を片手に監視という体である。
どうやら、この地域の地上人たちは大型トラックを好んで使う様だ。
物資と人員を荷台に詰め込む事で長距離を走行出来るからだろう。
荷台が金属製の箱であるから、小規模な改造で夜間のミュータントどもをやり過ごすのにも都合が良いのも関係していそうだ。
少なくともRはそう推測した。
「動くな、消毒だ」
Rの隣に座るキドは伝わっているが怪しいが、そう言うと液体の詰まった瓶を取り出すと布にしみ込ませて顔の痣を拭き、包帯を巻きつける。
ボースの暴走を止められなかった事への最低限のアフターサービスだ。
やる事はやったという雇い主へのポーズでもある。
だが、Rはそれに対して怪訝な顔で応じた。
キドが持っているのがあからさまに酒瓶であり、匂いもまた酒であったからだ。
ついでに言うと顔に巻いてくれているガーゼ替わりであろう布も若干汚い、一番マシな布を使っているという程度なのだろう。
アルコール度数の高い酒は消毒液の代わりになるというのは周知の事ではあるが、こうして実際にされるとあまり気分が良い物では無いという事をRは理解した。
衛生的に問題を感じるし、代用品は代用品でしかないからだ。
「不満そうだがこれしかねぇんだ、我慢しろ」
相変わらず言葉は分からないが、少なくともこのカウボーイ風の東洋人は見た目ほどは悪い奴ではなさそうだ。
利害が一致すれば使えるかもしれない。
彼らの言語もどうにか理解せねばならない。
Rは取り戻した戦友の認識票を握りしめながら思いを新たにした。
死が確定するまでは出来る事が有り、心が折れねば一度始めた事は完遂出来る。
それを一度自分はやりきった事が有る。
ならばもう一度やるだけだ。
Rの心には既に次の戦いに向けての闘志が宿っていた。
―――
「着いたみてぇだな」
体力を温存すべく座ったまま微睡んでいたRの耳にやはり意味を聞き取れない声が響いた。
彼らの言語はどれがベースなのだろうか、或いは混じり過ぎて最早原型など無いのだろうか。
車の揺れは既に無く、停車しているらしい。
一日経ったのか或いは半日か、狭い閉鎖空間の中では時間の感覚もあやふやだ。
少なくとも分かっている事が一つだけはある。
状況が動いたのだ。
「さぁ行こうぜ、怒鳴られるのも殴られるのもうんざりだろ?」
扉が開き、カウボーイ風の男が行くように急かしているようだ。
熱を持った乾いた埃っぽい空気が外から入り、外が嫌でも砂漠や荒野の様な環境を想起させる。
背後で兵士達も降車の準備を始めたので覚悟を決めて外に出る。
どうやら今は昼頃の様だ。
太陽は天頂にあり、熱い熱線を降り注がせている。
周囲にあるのは廃墟。
しかし、どうやら自分が置いていかれたあの都市とはまた違う物らしい。
砂の海の中、ある種の孤島や森林の様に取り残された高層ビルが林立する朽ちた摩天楼の街並みがRの視界には映っていた。
「ヴェガスってこんな感じだったのかな」
Rは思わず呟いた。
まるで、映像資料で見たラス・ヴェガスやドバイの様な光景だ。
荒野の真ん中に取り残された都市の名残、それがRの連れてこられた場所であった。
そんな感傷に一瞬ながら浸っていると、ボロ布を纏った小汚い男が何かを叫んにながらこちらに向ってくるのが見えた。
これだけは短い単語を繰り返しているが故にRにも聞き取る事が出来た。
「モルフォ!モルフォー!」
モルフォとは一体何なのか、そう思案しようとした時だった。
叫びながらこちらへと駆けてくる男の姿が不意に何かに捕らえられて掻き消えた。
「上だ!蝶どもの襲撃だ!」
「てめぇら!対空戦闘だ!さっさと準備しろ!」
キドが帽子を押さえながら空を指さし、助手席から既に降りていたボースが降車した部下たちに素早く指示を出す。
そんな中、Rは何を言っているかは分からぬが、その鬼気迫る怒鳴り声とジェスチャーから何かがいると理解して空を見やる。
空には確かに何かがいた。
蝶だ。どこか見覚えのある美しい青い羽根を持つ蝶がいる。
そうか、あれは確かにモルフォだ。
モルフォ蝶、黒いふち取りと青で彩られた美しい羽根を持つ空を飛ぶ宝石。
それが、先ほどの小汚い男を器用に足で拘束して飛び去っていく。
おかしい、あれはそんなに大きい種ではない。
人差し指に止まって羽根を休めるような事はあれ、人を掴んで飛び去る様な存在ではない。
かつて美しさで人々を魅了した蝶は、今やエーテルの汚染によって人を攫う怪鳥の如き巨大な捕食者へと変貌していた。
男を掴んで飛び去るモルフォと交代する様に、更に数体のモルフォが散開しながらこちらへと急降下して向ってくる。
視界の奥では街の側にも複数のモルフォが飛び交っているのが見える。
どうやら食事の時間に丁度鉢合わせてしまったようだ。
「キド!てめぇは荷物を守れ!全部は落とせねぇぞ!」
「キッドだ。一体や二体ならば問題ないさ。それが仕事だからな」
部下たちと素早く方陣を組んで対空射撃を行うボースが接近してくる複数のモルフォに対空射撃を行う中、Rを側に立たせたキドの元にも一体のモルフォが殺到する。
「伏せてな、怪我するぜ」
キドはRにしゃがむ様にとジェスチャーをすると腰に下げた左右のホルスターからリボルバー拳銃を素早く取り出した。
バレルの長い武骨な黒いリボルバーを両手に持ち、腰を下ろして重心を下げるとキドは両手で持った拳銃で突入してくるモルフォに向けて発砲した。
照準などまるでしない腰だめ、腕は曲げて肘をわき腹に付けた射撃の基礎を無視した歪な体勢、そして数撃てば当たるとばかりに引き金を乱暴に引いて銃を連射するというまともな指導教官がいれば怒鳴り散らしそうなふざけた射撃。
だというのに、それらの弾丸は確実にモルフォに命中していた。
二丁含めて10発の弾丸を撃ちつくす頃には、モルフォは多数の銃弾を受けて青い血をまき散らし、すぐ近くの地面へと墜落して小刻みに震えていた。
だが、それで終わりではない。
被弾しつつも未だに致命傷に至らなかったのか、再び飛び上がろうと立ち上がるモルフォにキドはゆっくりと近づきながら、おもむろに撃ちつくした銃を投げ捨てて『リロード』を行う。
捨てた腰の銃に次いで手を付けたのは胸のガンベルトに取り付けられた同じ形の拳銃。
それらを抜き放つと先程と同じ姿勢で、しかし今度は歩きながらキドはモルフォに左右の銃を5連射、計10発の弾丸を叩き込む。
相変わらず狙っているとは思えないその射撃は確実にモルフォに命中して青い血をまき散らす風穴を増やしていく。
「まだ死なないか、やっぱモルフォは頑丈だな」
キドはゆっくりとした動きでモルフォに近づきつつ、撃ちつくした拳銃を投げ捨てて新たな銃を予備のホルスターから取り出すと既に虫の息とばかりに痙攣するモルフォを足蹴にしつつ、最期の一撃を叩き込んだ。
「うし、終わったな」
踏みつけていたモルフォが完全に死亡したのを確認するとキドはそそくさと来た道を戻りながら捨てた銃を素早く回収する。
「ボース、まだ生きてるか?」
「一人持っていかれた!クソがッ!」
銃を回収し終えたキドはボースに戦闘の首尾を確認し、仕事仲間が一人減った事を伝えられた。
見れば重装備で固めたボースの部下が一人減っている。
あちらの方が数が多いので優先的に狙われたらしい。
気の毒だが、これがここでの日常だ。
あまり会話などをしていないのも、こういう場合は救いとなるだろう。
「生きてるかお客さん?」
周囲を確認してモルフォが既に襲撃を終えて離脱を開始した事を確認するとキドはRに手を差し伸べた。
相変わらず、Rにはこのカウボーイ風の男が何を言っているのかは分からなかった。
何より、その珍妙な癖にやたら当てるキドの射撃にRは当惑しているので余計に何も答えられない。
そんな噛み合わぬ二人の側に何かが降ってきた。
胸に大きな穴が開いた干からびた枯れ木の様な死体。
よくよく見れば、それはモルフォに最初に捕まった小汚い男だった。
これが彼らの食事の仕方なのだろう、体液という体液を吸いつくされている。
全てに絶望した様な限界まで開かれた口は最早何も語る事は無く、虚ろな瞳にはもう何も映される事は無い。
いや、目が動いている。
開かれた口もどこかねじ曲がり、狂気に染まった様に形を変えている。
モルフォに殺された男が通常よりも早く屍者になったのだ、モルフォが投げ捨てたのはこれが原因だろう。
起き上がろうとする屍者にキドは素早く弾丸が残っている脚の拳銃を抜くと素早く頭部に二発叩き込んだ。
「ボース!」
「言われるまでもねぇ!」
地面に再び倒れた死体の首を駆け寄ってきたボースが鉈を勢いよく振り下ろして切断する。
「可燃物を持ってこい!この屑を焼却するぞ!」
もがく屍者の手足に鉈を振り下ろしつつ、ボースは部下たちに命令を下す。
他の場所でも同じような事が起きているようで、発砲音、悲鳴、そして怒鳴り声がRの周囲で響き渡っていた。
「ここが地獄って奴だ、あんたにとっては特別酷い場所かもしれないが、皆ある意味平等さ」
キドはズレたカウボーイハットの位置を直しながらそうRには分からない言葉で告げたのだった。
という事でようやく一章ほんへの奴隷編始動です。
ちょっと空気気味だったミュータントさん達に頑張って貰った回ですね。
人間系が多かったので今回はオーソドックスに虫。
一章は昆虫多めかもしれません。
モルフォさんは文字通りモルフォ蝶をそのままでかくして雑食にした感じのミュータントです。
獲物を見つけると空から降って来て脚で獲物を足で捕まえて上空に飛び上がり、そのまま捕食するか地上に投げ落としてから捕食します。
蜜を吸うはずだった口吻がそのまま生物の体液を吸う器官に変化した感じのイメージです。
普段は単独での行動が多いですが、食事や繁殖などを行う際には時折一斉に飛び立ち、一時的に群れの様に振る舞う事が有ります。




