七話、夜食会
だいぶ期間が開いてしまい、申し訳ありませんでした。
短いですが、完成分だけでも投下したいと思います。
回想と世紀末食事会です。本来の予定の半分程度のボリュームですが、どうぞお楽しみください。
「本当に良いのか?」
その声によって我に返り、周囲の状況を把握した時、自身の目の前で軍服を纏った男がまだ若い青年の面影を残す坊主頭の男に真剣な表情で語りかけていた。
そこはARKに生まれた人間にとっては見慣れた白色のLEDライトの照明で照らされた白い壁に囲まれた殺風景な個室だった。
壁には額縁に入れられた旧世界の世界地図、そしてかつての祖国だった合衆国国旗、箱舟計画を象徴する国連のシンボルを背景に人体図を重ねたARKの旗が並べて飾られている。
青年はその部屋で事務机に座った男の前で両手を後ろに組み、「休め」の体勢で立っている。
見覚えがある光景、聞き覚えのある声だ。
もう戻れない故郷の一室、自分を一人前の兵士に鍛え上げてくれた教官の部屋だ。
深い皺を持つ老け顔と白髪が混じった黒髪を短く刈り整えたアジア系アメリカ人らしい東洋的な風貌を持つ初老の男性で、地上での任務における初期の作戦を生き抜いた名前持ちの猛者だ。
今では衰えを見せているが、それでも訓練兵を威圧し圧倒するには十分な技量と風格を持っていた。
「兵士になるだけが道ではない、技術者や労働者として貢献する事も地上で戦う事と同じぐらい必要で重要な職務だ」
「自分の気持ちは変わりません、適正が無いならば選考から外してください」
諭す様な教官の言葉を直立不動のまま確固たる意志を持って拒絶する。
「相変わらず頑固だな、外に出たいならば他の職を斡旋しても良い、資源管理部門に入れば地上での資源採掘任務もあるんだぞ」
「自分がなりたいのは遠征軍の兵士です、教官。穴掘りでも無ければ施設警備員でもありません」
相対する相手の頑なな態度に教官はため息をつく。
だが、それは失望のそれでは無く、説得するのは無理だと諦めた、ともすれば笑っている様にも見える。
そんな表情だった。
まるで出来の悪い生徒を宥める様に教官は言葉を続ける。
「全く、なんでそんなに地上に拘るんだ?あんな所、訓練で二、三度もピクニックに出かければお前達新米は満足すると思ったんだがな」
教官の言っている事は皮肉が混じっているが、半ば真実を語っている物だった。
実際の所、前期の基礎訓練を修了した志願者の何割かは後期訓練において実施される装備を装着しての地上訓練で自主的に遠征軍兵士になる事を辞退する。
それは何も数週間に渡って全身を覆う強化外骨格を装着した行軍訓練が不快だからというだけではない。
行軍の最中に目の当たりにする地上の荒涼とした光景が歴史教育や情操教育で受けてきたあるべき地上の姿から大きくかけ離れているという衝撃。
地に蔓延るアノマリーやミュータント、そして荒廃した都市の惨状を見て地上への憧れがそのまま絶望へと変わり、心を折られる。
そうした肉体的・精神的重圧を超えた者だけが遠征軍の兵士になる事を許される。
特に今期の訓練兵達は安全な筈の訓練エリアで大型ミュータントの襲撃を受けて死傷者が発生した不祥事もあって大量の辞退者を出していた。
あの時、救世主気取りの若者たちは自分が何者でもない唯の狩られる存在であるとその命を持って思い知らされたのだ。
遠征軍はその危険な任務の性質上、基本的に志願制であり、入隊が確定するまでは志願を取り消し別の部門への異動が許されている。
なお、教官に不適格として弾かれる例も存在するし、そちらの方が本来は多い。
この面接もその一環だ、最後に直接面と向かって話し合う事で本当に資質が有るのか見極められているのだ。
教官は暗にこう言っているのだ。
地上を見たいだけならば十分に堪能しただろうと。
本来人のいるべきだったあの場所にはもう地獄しか残っていないと。
現場を知る人間だからこそ、理想の高すぎる者は送り込めない。
思い返せば、それが教官の思いだったのかもしれない。
「見たからこそです。見てしまったからこそ、兵士になりたいんです。あんな物を見てしまったのに地下に戻って忘れた振りをして生きる事なんて出来ません」
それが青年の心からの答えだった。
世界を知り、現実を知り、そんな理不尽な世界を変える事が出来るのは遠征軍の兵士だけだとより深く理解してしまった時、青年の地上への憧れは兵士としての義務感へと変わったのだった。
地上で見た地獄はしっかりと心に焼き込まれてしまったのだ。
最早、目を逸らして生きていくことなど出来ないほどに。
その言葉を聞いた教官の表情は諦めにも似た笑みから再び軍人のそれに戻った。
「良いだろう、そこまで言うならば貴様を兵士にしてやる。第一志望の機動歩兵で、だ」
「……!感謝します!教官殿!」
「だが覚えておけR1039訓練兵。お前の様な馬鹿真面目な奴は地上では長生き出来ないぞ」
そうした性質の兵士が何人も先にこの世から消えて行ったのを見てきたであろう歴戦の老兵はそう自分に予言した。
そう、これは夢だ。
もう戻れない場所、戻れない時間を懐かしむそんな夢だ。
結果的に見れば彼の言葉は全て正しかったのだ。
なぜなら今自分は…。
そう考えた時、何かが頭にぶつかる衝撃によって夢は終わりを告げた。
―――
「起きなおっさん、見張りの時間だ」
意識が覚醒し、視界が闇から光の中への戻った時、Rはニシが自分の頭に小銃の銃床を小突いている事に気が付いた。
「痛いな、もう少し優しく起こして欲しいものだね」
「ここについて当番決める間もなく早々に寝た奴がよく言うぜ。殺しも盗みもされてないだけありがたく思いな、まったく…」
Rの漏らした不平にニシはこの男の変な所で図太い神経に呆れた様に頭を振って溜息をついた。
当番というのは要は夜間警戒の為の寝ずの番を行う順番の事だ。
現状、安全な遮蔽を確保してるとはいえ、ここはいつ、何が、どこから進入或いは発生するか分からない世界だ。
常に警戒する人員がいなくてはならない。
その為、基本的に交代で見張りと休息を取る事が鉄則とされている様だった。
要は目と耳と鼻で異常が発生していないか周辺警戒を行うのだ。
動体レーダーや聴音センサー、対アノマリー探知機等の類を内蔵した先進的な強化外骨格を持たぬ彼らはこうした原始的な手段で日々を生きているのだろう。
自分が起こされたのは、ニシ達に協力するという約束をした為であり、ニシと共に起きたのは彼しか自分と会話が出来ないからだ。
状況を把握する為に会話が可能な相手と組めるのはこちらとしても望むところだった。
寝る前に聞いた予定が変更されていなければ、現状既に真夜中といった所だろう。
朝まではまだ時間が有る。
Rはニシの不平を聞き流しながら状況を確認すべく周囲を見回した。
そこは荒らしつくされた思っていた百貨店の一区画だった。
この店舗区画は幸運にも整備が行き届いており防犯シャッターが破壊されておらず出入り口の封鎖が可能であった。
それだけではない、少し前まで誰かが住んでいたかのように生活が可能な最低限のインフラが整えられていた。
或いは、一度破壊した物を誰かが修理・改造したのかもしれない。
邪魔なスクラップの類は部屋の隅や外に寄せらており、中心には暖を取り、食事を作る為のドラム缶で作られた暖炉が有り、周囲にはドラム缶を囲むように毛布や段ボールで作られた寝床が用意されている。
食事を取る為と思われる木製の長テーブルと4つの椅子や病室なのか、それとも集団の上位者の為に用意された物か、毛布の敷かれた小さいテントまで残されており、水を保存する為の小型のタンクまで置かれている。
これらはニシ達の集団の道具でもないらしい、どうも随分前に放棄された他のスカベンジャー達の前哨基地だったようだ。
これらの物資を残して放棄されたという事は再度利用する事を前提に撤収したか、何者かに襲撃されてこれらの設備を回収する間もなく逃げ出したか、さもなくば全滅したという所だろうか。
それを確認する術は無いが、少なくとも彼らの置き土産が我々を助けてくれている。
一夜を明かす程度ならば持ち主たちが生きていたとしても出会う可能性はそれほど高くは無いだろう。
この場所の設備はこの状況では至れり尽くせりだ。
少なくとも前日に比べればRはぐっすりと眠る事が出来た。
大きく口を開けて欠伸をするとRは地面に敷かれた段ボールのベッドから起き上がる。
体をほぐす為にまずは手首と首を回し、次に両腕をクロスさせて肩のストレッチ、次いで体を屈めて片足ずつ伸脚を行う。
これはもはや体に染みついた眠りから覚めた時の習慣だ。
強化外骨格を付けていても、いや付けているからこそ寝起きなどに定期的に体をほぐさなければ戦闘機動時に人体に損傷を負いかねない。
どれだけ装甲と人工筋肉を増やそうと、それを動かしているのは中の人間なのだから。
案の定、全身からは若干の痛みを伴うあのゴキゴキという骨の鳴る音が聴覚に殺到してくる。
ともすれば心地よさすら感じる痛みと音だ、生きて再び覚醒出来たからこそ聞けるこの音はRにとっては本来は喜ばしさを感じる物だった。
最早人として生きるという望みが持てない現在では、体を十全に動かす為の準備運動以外の意味は無いと苦い顔をしつつ柔軟体操を続けている。
今いるのは濁った空、淀んだ有毒な空気、異常な空間と生態系が日常となってしまった地上だ。
落ち着ける場所を得たからか、単に時間の経過で精神が落ち着いてきたからか、その事実が徐々に重くのしかかってくる。
「どしたよ?おっさん、急に景気悪そうな面してよ」
「ああ、すまいないね。考え事をしてた。あとおっさんはやめてくれ、僕はまだ24だ」
「あ?二十代半ばに入ったらもうおっさんだろ?」
遠慮のない態度で歯に物着せぬ言葉を浴びせてくるニシにRは苦笑いする。
口こそ悪いが、まともに会話が出来る人間がいるというのは救いと言っても良い。
「酷い話だなぁ…」
「これでも褒めてるんだぜ?あんたはそれだけの期間五体満足で生き残ってきたんだろ?」
巻かれたターバンで顔色こそ伺えないが、ニシの真剣な声音からそれが本音であるであろう事が推測出来る。
詰まる所、ここはそういう世界だという事なのだろう。
それを理解したRは情報収集に努めようとニシとの会話を続けるべきだと判断した。
「なるほど、君たちにとっても『外』ってのはやっぱりそれぐらい過酷なんだね」
「は?外?そんなもん関係ねぇよ。壁の中も外も似たようなもんさ。弱い奴、騙される奴はさっさと食い潰される。あんた年の割には物を知らねぇのな」
「『こっち』の事情にはちょっと疎くてね、こちらとしても困ってるんだ」
「こっちってなんだ?あんたどっか遠い所から来たってのか?」
「合ってるよ、ある意味ね」
ニシは外だのこっちだのとわざわざ曖昧で迂遠な言葉遣いをし、まるで遠い日の思い出を懐かしむようなどこか寂し気な表情をしているRに疑いと興味が湧いてくるのを感じ始めていた。
既にこの地域では絶滅危惧種と言っても良い整備の行き届いたアサルトライフルと既にボロボロだが奇妙な見た目の黒い全身を覆うスーツ、そしてそのスーツ越しでも分かるの鍛えられた肉体。
先の身のこなしから見て、このRと名乗る男は間違いなく訓練された兵士だ。
身長も体格もこの地域の平均に比べると高く大きい。
幼少の頃から良い物を食って運動して体を作ってきた事が伺える。
だが、それにしてはどうにも世間知らずが過ぎる。
本人は上手く隠しているつもりかもしれないが、これまでの受け答えでも不審に思える粗が多い。
遠方から来た貴族かその直属の私兵と見るべきなのだろうか、ならば仲間はどこに行ったのか。
Rが情報を欲する様に、ニシもまたRについての素性を確認するべきだという意思が生まれつつあった。
一時的と言えど、本当に仲間にするべきなのか。
自分の上司にこの男を引き合わせて良いのか、確かめねばならない。
もとより、その為に寝ずの番のタッグにこの男を選んだのだ。
会話が可能なのが自分だけというのもあったが、それがこの小集団を任されているリーダーの責任と役割というの物だ。
「あんた、面白い奴だな。続きはそっちのテーブルでやろうぜ。こっちじゃ寝てる連中に悪い」
飯もつけてやるからよ。とニシは最後に付け加えたのを聞き、Rもまたようやくまともな食事が出来ると期待して微笑んだ。
―――
「……これは何かな?」
「何って、パンだぜ?泥パン」
テーブルについたRは目の前に置かれた茶色い物体を前に思わず質問を行い、ニシから聞きたくなかった答えを聞いた。
木製のテーブルの上にはこぶし大のパンの様な黒ずんだ茶色の塊が一個に杯に入った濁ったスープ、そしてこれまた茶色い飲み物が入ったコップが置かれている。
「何とも嫌な名前だね、泥パンって」
「まあ、食えばわかるから食ってみな」
促されるままにRは泥パンと呼ばれる茶色とも黒とも取れるパンを手に取った。
作ってから時間が経っているであろうそのパンと思しき物体は冷たく、そして硬かった。
Rの見知ったパンと同じ点があるとしたら重量程度だろうか、取りあえず味を見てみようとパンを引きちぎろうと親指と人差し指で強く握ってみる。
が、千切れない。まるで石でも握っているような感覚だ。
「……硬いね」
「そりゃあ、保存用だからな」
そこで両手で無理矢理引きちぎろうと力を入れて引っ張り、そしてそれが無為に終わろうという時、ニシがRの手元に小さいナイフを投げ込んだ。
「それで切るんだよ、硬いから手をやるなよ」
「ありがとう」
感謝を述べると共にナイフでパンを切ろうと奮闘する。
が、やはり硬いパンはただナイフの刃を当てるだけでは切り込めない。
「突き立てろ、そっから無理矢理広げてくんだ」
そのニシの言葉に従い、Rは逆手に握り直したナイフをパンに振り下ろした。
ようやく人の力に負けたパンが貫かれ、切り裂かれ、一口サイズに切り分けられていく。
「結構疲れるもんだね、これ」
「本来切り分けてから保存するもんだからな」
「じゃあなんでこれは丸ごとなんだい?」
「本来保存するつもりなんて無かった売れ残りの放出品だからだよ、安かったんだ」
そんな物を食べて果たして大丈夫なんだろうか、そもそもパンが日持ちするなどあまり聞く話ではない。
色からして保存が利く黒パンなのだろうか、ならば話は一応辻褄が合うが…。
ナイフで切り分けられた元は良い部類のパンだったという成れの果てを恐る恐るRは口へと運んだ。
「うっ…!」
その味にRは上擦った悲鳴を上げた。
まず口に入れた瞬間に襲い掛かってくるカビ臭さと埃の様な匂いが先鋒として立ち塞がった。
それを我慢してパンを噛み締めると舌に感じる酸っぱさと、それ以上の渋みに加えて歯や舌にざらざらという砂利でも齧っているような感触が襲い掛かる。
はっきり言って泥パンと呼ばれるそれは不味かった、不味いという以外に言葉の表現のしようがない。
更に、唾液と混ざる事で砂利の様な触感のパンが今度は泥の様に口の中に纏わりついてくる。
口内の水分は全てパンに奪われ、内部で粘土の様になったパンだった物が暴れまわっている。
一体どんな製法で作り、どれだけの時間放置するとこういった物が完成するのだろうか。
少し時間が経って水分が抜けているというのでは済まされない味と風味だ。
少なくとも、本来の黒パンならばどれだけ粗雑にしてもこんな風味をするとは思えない。
黒パンなど食べた事が無いので断言は出来ないが、きっとそうだ。そうであって欲しい。
全部ミュータント化のせいだと言ってくれ。
全て地上の悪夢だと。
「どうだ?」
「まるで泥でも食べてる気分だ…」
「ああ、だから泥パンって呼ばれてるのさ。長くおいてから食うと大体そうなる」
悶絶し、えづくRをよそにニシは千切った泥パンを平然と口にしている。
顔に被ったターバンを外すことなく、口元だけをずらして外に露出させ、苦もなさげに泥パンの欠片を放り込んで咀嚼している。
「ゴミ漁りはまずこいつに慣れるのが最初の仕事さ、保存食なんてどれもこれもこんなもんだ。いくつかの例外を除いてな」
Rが困惑交じりで見つめてくるのを見て、ニシは得意げに返す。
「難儀だね…これは全く…」
泥パンという強敵を前に、Rは転身を決意した。
つまりは、スープの味見もとい口直しを行う事を決心したのだった。
杯を持ち上げ、木製のスプーンでスープをすくって口に近づけ、嫌な予感を覚えて口に入れずに鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
案の定、スープはどこか生臭い。
よく見る見慣れた豆に加えて、よく分からない赤黒い小さい肉がスープに浮いている。
「ニシ、このスープの中身は?」
「豆とネズミ肉を岩塩とハーブで煮た奴だ」
「……ネズミ?」
「今日の昼捕まえた取れたてだぜ?」
なんて物を入れてくれたんだ、豆だけならば美味く食えそうだったのに。
Rは頭を抱えた。
「こっちの飲み物は?」
「泥パンを砕いてお湯にぶち込んで放置して作った酒もどき」
Rは今回の食事の位置づけを娯楽から栄養補給の作業へと格下げさせた。
体が受け付けるか分からないが、ここで飯を食わなければ次いつまともに食事にありつけるか分かった物ではない。
こんな物でも相手の善意によって支給されている物だ。
相手も食べる以上は毒を食わせているというわけではないだろう。
元より、地上での任務中は不味いゼリーしか食ってこなかったのだ、兵士としての矜持を思い出せ。これぐらい完食してみせる。
覚悟を決めたRは泥パンとスープを処理すべく行動を開始した。
泥パンは一応設定上は黒パンという事になってます。
ただし、色々材料に違う者が混ざってたり、作物のミュータント化で性質が変化したりなどして現実の物とはかけ離れてると思っていただけると幸いです。
現実のは美味しいと思います、食べた事無いので一度食べてみたいですね。