五話、死者の道
今回下手なホラー回で戦闘無いから盛り上がらないだろうけどお兄さん許して
崩落や意図的な破壊の跡が散見される地下鉄の通路を着火した赤色のフレアを松明代わりに掲げた男が進んでいく。
全身を引き裂かれて既に見る影もない黒いラバーとカーボンで出来たウェットスーツの様なインナーを着込み、その上からボロ布のマントを羽織り、アサルトライフルをこれまたボロ布で作ったスリングを使って肩に背負い、腰にはズボン用のベルトを改造した外骨格用の備品収納用のボックス括りつけた即席の弾帯を巻き付けている。
手に持つのはフレアと最低限の手入れはされたものの既に刃がへたり気味のコンバットナイフの二つ。
空からの光を入れてくれていた天井の穴もそこには存在せず、ただ暗闇だけ続く朽ちた繁栄の残滓たる地下通路の光景を手に持ったフレアの赤い閃光が無慈悲に照らし出す。
かつて明るく活気に溢れていたであろう地下鉄の通路に作られた商店街は閑散としており、 照明も既に切れて久しいと思える暗闇と静寂だけが支配する環境に変わり果てていた。
立ち並ぶ店舗のドアは蹴破られ、窓は尽くが割られており、店内の調度品や設備と思われる残骸が通りまで引き出されてぶちまけられたように散乱している。
当然、人の気配など無い。
他の生物やミュータントの気配も感じられないが、彼らは獰猛かつ狡猾だ、息を潜めてこちらを待ち伏せしている可能性は幾らでもある。
手に持つ光を絶やしてはいけない、これは照明であると同時に命綱でもある。
男は再度、そう強く思い知らされていた。
通路の両側に存在するかつての繁栄の残滓とも言える商店には略奪の思しき破壊の痕跡が多く残っており、物資が残っているという期待はとても出来そうに無い。
最も、今この様な状況で物資を探している余裕などないだろう。
第一こんな荒れ果て、ミュータントが徘徊している場所に求めている水や食料、そして医薬品の類が残っている筈が無い。
もし残っていればそれは毒入りのトラップか既に腐って使い物にならないゴミのいずれかだろう。
そうボロを纏いフレアをかざして進む男、R1039は考えていた。
彼が求めているのは物資ではない、地上への出口だ。
最初に侵入した洞窟からのルートは自身の自爆で封鎖してしまった。
改札へ向かうルートは更なる地下へ進みことになるので論外だ、改札を抜けて地下の線路に侵入したところで得る物は無い。
隣の駅まで通じているかも不確かであり、仮に通じていたとしてもその駅が原型を留めている保障など有りはしない。
排水システムもとうの昔に停止しており、排出されなくなった地下水によって水没している可能性もある、調べるだけ無駄だ。
騎士達が最初に座っていた上階への階段は中途から失われており、その高さから判断するに装備を担いで登るには困難が伴う上に、その先が区画ごと崩壊していないという保証もこれまた無い。
時計も無いため正確な時間は分からないが、既に昼頃だとするとあまりここで時間を掛けているわけにはいかなかった。
地上に出たとしてもそこからまだ安全なセーフゾーンを発見し、可能ならば水と食料を見つけ出さなければならない。
光源として使っているフレアにしてもそうだ、仲間の遺体から回収する事で補充は出来たが、今後はどうにか現地調達して火種を確保していかねばならない。
時間こそが現在最も貴重な資源だ。
だからこそ、多少時間を食うとしても堅実なルートを選ぶ必要がある。
幸い、ここは地下鉄だ。
構内には一定距離ごとに現在地と出入り口や路線への案内が表記された地図の入った看板なり壁掛けなりが置いてある。
意図的に行われていなければ、その全てが破壊されているとは思えない。
そう考えを纏めてみると、昨夜籠城した商店街の通りをそのまま進み、途中に残っているであろう地図と照らし合わせて出口を見つけ出すという方法が妥当であるとRは結論に至った。
もし、この道が途中で崩落していて閉ざされていれば戻って階段の方を試せば良い。
階段から先に試して駄目だった場合はきっと体力と精神の消耗が激しくなり過ぎる。
その二つは現状、時間に次いで可能な限り温存したいのが実情だ。
盤石、と言えるものは何もありはしない。
あらゆる物資が欠乏しており、何者からの支援も救援も期待出来ず、行動時間も制限されている。
武装についてもそうだ、アサルトライフルは頼もしい武器ではあるが弾数に限りがある。
現状で約500発程度の弾があるとはいえ既に補給の見込みのない虎の子だ、ミュータントの襲撃に現地人との偶発的な戦闘などで使用すればすぐに底を尽きるだろう。
代わりになる武器か、弾薬の安定供給が見込める様になるまでは大切に使わねばならない。
更に付け加えれば、遺憾ながら実弾が通用しない類の存在もこの狂ってしまった地上には腐る程溢れている。
それらに有効なプラズマピストルを喪失している事が懸念材料として重くのしかかっている。
そう考えれば極力戦闘を避け、物資を温存する必要がある。
その為、ライフルは極力使いたくは無かった。
発砲音に引き寄せられるのは何もミュータントだけではない、人もまたその音でこちらを認識して接近してくるだろう。
それが好意的な存在であるとは必ずしも限らないのだ。
むしろ、この様な場所で出会う人間は基本的に碌でもない存在だろう。
ここは既に人の住める生存圏では無いのだから。
「暫く道なりに、その後進行方向右側の最初の階段を上って更に右に曲がって道なりに行けば出口か…」
フレアの発する光だけが周囲を照らす暗闇の中、荒廃してなおも残っていた薄汚れた構内で、それが出来てからそれなりの時間が経過したと思われる小銃弾の弾痕が複数残る大きい地図の描かれた壁看板に記された最寄りの出口を確認し、その進行方向を渋い顔でRは眺める。
「よりによってこいつらか…」
その視線の先、一寸先も見渡せぬはずの暗闇がある筈のそこには、鬼火の様な緑色の燐光が複数漂っていた。
『安全なルート』など元より存在などしてはいない、闇に揺蕩う光たちがそう見捨てられた男に雄弁に語りかけていた。
―――
案内に示された順路に従い、Rは通路を進み続けた。
闇を泳ぐ燐光達に怯む事無くまっすぐと通路を進み、最初に出てきた階段を既に上り始めている。
出口は近い筈だ、そう心の内で強く自身に言い聞かせながら黙々と歩みを続けている。
Rが静かに進む一方で、その周囲は徐々に騒がしくなってきていた。
フレアの燃焼音を除けばほぼ無音であった筈の空間には囁き声が混じり始めている。
当初二つか三つ程度だった燐光は数を増し、周囲を泳いでいた筈のそれらは渦を巻くようにRの周囲を囲んでゆっくりと或いはせわしなく泳ぎ回っている。
それは見ようによっては幻想的な風景として受け取る事も出来ただろう。
だが今のRはその様な感想などは持ち合わせてはいない。
なぜならば、これらは自分を死地に追い立てようとする飢えた猟犬たちなのだから。
この燐光達の正体は領域型精神汚染体、ミュータントとアノマリーの中間とも言える存在達だ。
残留思念、と言えば良いのだろうか。
土地という物はなんであれ、そこで育まれていた営みの残滓を記憶しているという。
それには言うまでも無く、かつてここに生きていた人々の記憶も含まれている。
最終決戦後の混乱によって発生した世界の崩壊、そしてその後の統治機構の消滅によって無秩序になった世界では、生き残った人類は幾多もの勢力に分裂し、互いの生存を賭けた凄惨な内戦が繰り広げたと言われている。
この周辺でも例に漏れず、略奪と殺し合いが行われたのだろう。
あの精神汚染体はそういった死と暴力の記憶が残る領域に好んで発生する傾向にある。
或いは超常の物質であるエーテルが本来消えるべきそれらの記憶をこの場に留めているのかも知れない。
そうで無ければ、この世はとうの昔に地獄と変わらぬ状況になっていなければおかしいからだ。
仮説によれば彼らは人間達の残したその断末魔の思念を苗床にして一定の領域に住み着き、新しい獲物を憑り殺して引きずり込み続ける事で自己の情報を強化、更新して延命を試みる一種の疑似的な精神生命体として振る舞っている、とされている。
全く持って非科学的な馬鹿馬鹿しい話ではあるが、現に彼らは厳然たる事実として目の前に存在している。
科学とは目の前に存在する何かを否定するための物ではない。
観測された存在を解析し、分析し、考察を重ね、その規則性と再現性を確認し、理解を持って一つの不可解な事象を論理的に説明できる存在へと解き明かしていく事が科学であり、それこそが非力な人間を高みに導いてきた人の知恵なのだ。
エーテルという物理現象を無視しうる媒体が存在する以上、そういった精神に住まう超常の類もまた存在するという事なのだろうか。
要は彼らもまた大気中のエーテルの中に住まい、エーテルによって体を構成する精神エネルギー生命体なのだ。
彼らへの幾度かの調査によって、そこまでは突き止める事にARK5の研究者達は成功していた。
故郷であるARK5の地上再進出計画が成功し文明が復興すれば、いずれこれらの研究も進んでより正確で具体的な真実が分かるかもしれない。
しかし、今重要なのは彼らの考察を進める事ではない、突破する方法だ。
彼ら自身は精神体、つまり実体を持たず物理的な危害を加えてくる事は無い。
問題は彼らは自身の持っているその残留思念をこちらに投影し精神を汚染してくる事だ。
更に言えば、彼らは自らが殺傷能力を持たない代わりに、他の危険なアノマリーの近くに居座って獲物を誘導するという性質が存在している。
つまる所、この場から出口までの間に危険なアノマリー地帯が存在しているという事が彼らの存在によって確定的になったという事だ。
回避可能な地点に存在していれば、彼らはむしろ危険を回避する為の良い目印にすらなってくれる。
だが、今回の様に進む以外にない場合は非常に厄介な存在へと変化する。
彼らに対抗する為には同じエーテル粒子をぶつけて対消滅させる事が一番確実で手っ取り早い方法だ。
つまりはプラズマピストルがあれば彼らは容易に退ける事が出来た。
だが、それが無い以上は予備案である冷静さを失わない強い精神力とアノマリーの兆候を見逃さずに回避する高い集中力の両方を要求される危険地帯の強行突破を行う他は無い。
「さて、アノマリー検知器無しで突破出来る類の奴だと良いな…」
それまでの通路ではまだ大人しかった燐光達は階段に至ってからその数を増し、動きも活発的になってきている。
囁き声は重なり合い今や、騒音と言って良い程の声の濁流となり、周囲に響き渡っている。
違う言語が使われているのか、英語しか分からぬRには声の意味を理解する事は出来ない。
だが、逆に分からない方が良いのかもしれない。
考えるまでも無く、ろくでもない言葉が飛び交っているのだろう。
これもまた、彼らが狩りに使うアノマリーが近いという兆候の一つだ。
解析が進み、相対している脅威の傾向が掴めていれば、適切な対処によって相手が超常の存在で有ろうと成されるがままで終わりはしない。
それが人の力なのだとRは改めて故郷の偉業に尊敬の念を送る。
傾向は既に掴めているが、問題は対策の方だ。
強化外骨格に搭載されていた周辺のアノマリーを探知して警告してくれる高性能センサーは言うまでも無く最早無い。
そして視界も悪い。
視界を提供してくれているのはフレアの光だけであり、燐光達は緑色に発光しRの視界を妨害していながら、それにも関わらず周囲をその輝きで照らす事は無い。
「取りあえず、教本通りに原始的に行こう」
そう言うや、Rは右手に持ったナイフを収納ボックスの一つにしまい、代わりに別のボックスを開き、中に手を突っ込む。
そこに入っていた物は小粒の石であった、小さい石や瓦礫の破片が弾帯のボックスの一つにぎっしりと詰め込まれている。
周辺に落ちている何の変哲もない石や瓦礫の屑であり、この場に入る前に収集したものだ。
Rはおもむろにそれらを手一杯に掴むと石を放る様にアンダースローで自身の進む方向へとばら撒く。
反応は何も起きなかった。
だが、その表情に油断は無い。
むしろRは目視困難な重力や真空地帯といった即死しかねない危険なアノマリーへの警戒を強くする。
そこで、視界を確保すべく次は火を付けたフレアを複数、進行方向へと投げる。
そうして照らし出された階段にRは薄暗い階段の空間の所々に不自然な揺らめきを見出した。
「くそっ、ビンゴだ…」
舌打ちしながらRは最終確認とでも言う様にその揺らめきに石を投げ込んだ。
投げ込まれた石はその揺らめきに入った瞬間、空中において停止し僅かに振動したかと思うがいなや内側に向って押し潰されて消滅した。
「重力系、しかも圧縮型アノマリーか…」
巻き込まれたら死体も残らないな、という言葉を飲み込みつつ、Rはフレアを更に投げて視界を確保してから進む方向に石を投げ始める。
石が砕ければその場を避けて進み、石が素通りすればそのまま前進する。
要は石を使った最も古い原始的なアノマリーの探知術を行使しているのだ、これは必ずしも石を使う必要はない。
確認が出来れば何を使っても構わない、実際に石以外にも視界を確保する為に投げたフレアの幾つかも圧縮アノマリーに捕まって役割を果たすことなく消滅を遂げている。
フレアで照らされた階段を石を投げて数歩進み、また石を取り出して投げ数歩進む。
周囲で発生する騒音と踊り狂う燐光を無視し、それを根気よくを繰り返す。
ただ、無心で繰り返す。
そして、階段も中程まで登ってきたところだろうか。
それ起きたのは前方の安全を確認し、階段を登ろうとした瞬間だった。
前方に出した左足が階段を踏もうとしたその瞬間、階段が崩壊したのだ。
階段は無残に崩れ去り、その下の暗闇に体が真っ逆さまに落ちていく感覚に襲われながら、Rは落下に抗う事無く、当初の姿勢を維持して耐え忍ぶ。
それがどれほどの時間だったかは分からない。
ほんの数秒だったのか、数分が経過したのか。
ふと気づくとRは元の階段に戻っていた。
階段は崩壊などしていなかった。
自身の体は左足を次の階段に置いた姿勢で停止している。
見れば踏み出した左足を置いた場所は長年の風化で若干壊れていてそれで一瞬バランスを崩したらしい。
その時の感覚を周囲の汚染体達が幻覚と共に数百倍に増幅して見せたのだ。
これでパニックを起こして体勢を崩して階段から落ちていたら、途中のアノマリーに引っかかって粉砕されていただろう。
要は、段差で足を滑らせかけたという、ただそれだけの事象を精神汚染体の妨害によって大袈裟に感じさせられていたという話だ。
「……早く抜けないとキツイなこりゃ」
その攻撃が開幕の狼煙となった様に燐光達は次々と精神への攻撃を開始し始めた。
背後や周囲で唐突に鳴り響く何かに叩きつけられた様な湿った肉の潰れた様な音やガラスが割れる様な音と共に怒号と悲鳴が鳴り響き、何者かが耳元で理解不能な単語の羅列を吐息混じりで囁きかけてくる幻聴が終始繰り返されている。
攻撃は音だけではない、視覚的な攻撃も開始されていた。
燐光達はRの周囲から消えたかと思うと、見覚えの有る生物達の形をとってこちらに迫ってくる。
それは先日殺し合った小人であったり、この死地に突入する前に追い払った蜘蛛たちで有ったり、或いは巨大な敵文明兵士の成れの果てである亡者で有ったりした。
真正面から、或いは天井や地面から唐突に現れると共に牙を剥き、爪をたて、或いは剣を振りかざし、まさにこちらを殺さんと鬼気迫る顔で迫り、そしてそのままRの体にぶつかって砕け散る。
それがRの気を散らし、安全確認をも妨害してくる。
「もう少しだ、もうすぐ…!」
敵の妨害が激しくなってきているという事はアノマリー地帯の突破が目前に迫っているという証でもある。
敵が全力で攻撃を仕掛けてくるキルゾーンに突入したという事実はまた、一番の難所を突破する手前という意味でもある。
これは武器を使わない生物同士の精神と精神の勝負だ。
先に音を上げた者が敗北する戦いなのだ。
それを理解しているからこそ、Rは視覚と聴覚と平衡感覚を揺さぶられながらも規定の行動を維持して階段を上っていく。
数歩進む事に視界が歪み、幻影は体当たりを繰り返し、周囲には嫌な想像を掻き立てる物音や悲鳴が響き渡る。
それらを無視してRは遂に階段を上り切った。
「……突破したか?」
果たして、危険地帯を突破で来たのか。
Rを苛んでいた幻覚や幻聴の類は消え去り、周囲は再びフレアの光だけが周囲を照らす暗闇が戻って来ていた。
背後には無数の緑色に輝く鬼火達が恨めしそうに階段の上を飛び交っている。
どうやらそこまでが彼らの領域らしい、
「上り切ったら右にまっすぐ道なりに進んで出口、と」
念の為、とでもいう様にRは再びフレアを数本着火し通路に投げた。
光に照らされた薄暗い通路には先程の空間のゆがみは未だ存在してはいるが、数は少ない。
未だ危険ではあるが、一番の難所は突破した様に思えた。
だが、別の存在がRの前に立ち塞がっていた。
それは黒い影だった、影の大群が通路を塞ぐように大勢こちらを向いて立ち塞がっていた。
その中の一番近い影の一体が聞き覚えのある声でRに語りかけて来た。
「伍長殿、なぜですか。なぜ、貴方はまだ生きてるんですか」
それは先の戦闘で戦死したS1856上等兵の声に酷似していた。
―――
「さぁこっちへ来てください。皆、待ってるんですよ」
その姿は半透明な陰であり、今にも消えそうな程に曖昧で黒く塗りつぶされた顔は誰であるか判別する事は出来ない。
だが、その口調と声からRにはソレが部下だった上等兵であると判別出来ていた。
「……なるほど、手を変えてきたか」
そう短く吐き捨てる様にRは呟くと影を無視して歩き出す。
「戻ってきてください」
そう言葉を浴びせてくる上等兵の影を無視してRは前進し、影とぶつかりながらすれ違う。
影はやはり、燐光達の作った幻影の様にRに触れると砕け散った。
「俺を見ろ!あんたは死んだんだよ!死人が生者の振りしてんじぇねぇよ!」
一度砕け散った上等兵の影は体を再構築するとRのすぐ隣に纏わりつく様に漂い、追従しながら呪詛を吐き始める。
それに合わせる様に他の影たちも変異し、とある場面を再現し始めた。
それは戦闘の光景だった。
赤いフレアに照らされる通路の中で強化外骨格を纏った影が亡者兵を模した陰に銃を向け、そして次々と切り伏せられていく。
それは銃声と悲鳴を伴い、歩を進める度に兵士達の怨嗟の声がRに向けられる。
置いていくな、仲間を見捨てるのか、戻ってこい、影たちは口々に絶叫しRに罵声を浴びせかけてくる。
それらの影は、フレアに照らされる僅かな明かりしか無いにも関わらず、Rの目には鮮明に映し出されていた。
これもまた精神体の見せる幻影なのだろう。
「そうか、君もここに取り込まれたのかS…」
Rはこの悪夢の一部に成り果てたかつての部下を悼んだ。
敵は人の残留思念に憑りつき、取り込む存在だ。
つまりこの周辺で起きた殺戮は全て彼らの糧になるのだろう。
当然、この地下での戦いで戦死した者達、そして地上で死んだ者達もこの空間には囚われている。
その最後の記憶がこの光景を再現しているのだろう。
恐らくこの空間が消えるまで彼らは死ぬ間際の絶叫を繰り返すのだ、何百回、何千回と繰り返し死に続ける悪夢の世界を。
「あんただけだ、あんた以外は皆死んだ!」
強化外骨格を纏わないコンバットライフルを構えた兵士の一団が巨大な竜の様な陰から吐き出された煙の様な陰に飲まれて消えていく中、上等兵の声がRを罵る。
「こっちに来い!あんたも死んでなきゃおかしいんだよ!」
「僕はまだ死んでない、だから悪いけど行かせて貰う」
なおも呪詛の言葉を投げつけてくる上等兵を無視してRはフレアと石を投げ、視界と安全を確保しながら出口へ向けてゆっくりと、しかし急いで進んでいく。
思った以上に精神と体力を摩耗するアノマリーとの戦いに、Rは若干の焦りを感じていた。
本来ならば対アノマリーセンサーと精神安定剤、そして適切な命令による指揮統制によって彼の心身を補助してくれる強化外骨格や上官は既に無く、耳元で絶えず聞こえるのは戦死したかつての仲間の切羽詰まった怒りに満ちているとも恐怖で絶叫しているとも受け取られる怨嗟の声、そして眼前に朧気ながら広がるのは自身もまた経験した戦闘の記憶とそれ以前に死んでいったと思われる調査隊の虐殺の光景。
ここは彼にとっても悪夢の様な世界だった。
死した者達が無へと帰る事も安息を与えられる事無く永劫繰り返す死の記憶に捉えられているという事は、彼の死生観をも蝕んでいくからだ。
地獄とは、こんなにも人の世に近い場所に存在しているのだとRは知りたくも無かった。
早く、早くこんな場所からは出なければならないと自然とRの心にも焦燥感が募っていく。
「あっ…」
その思いが報われたのか、死を繰り返す影たちの先にRは通路の左側へ通じる扉と明るい光を見出した。
「有った、やっと出口か…」
自然とRの歩みは早くなる。
石による安全確認は行えども、その後の目視での再確認は既に疎かになっており、出口へと火に惹きつけられた羽虫の様にふらふらと進んでいく。
あの光に触れたい、早くここから解放されたい、それだけがRの中で大きくなっていく。
そして、辿り着いた出口の目前で歓喜の表情で光に手を伸ばした時だった。
「止まれ、そこはまだ出口じゃない」
上等兵とは違う、そして未だ理性を残している雰囲気を纏った男の声がRの歩みを止めさせた。
そしてその言葉に我に返ったRは自身の目の前に出口は無く、彼を殺しうる圧縮型アノマリーのゆがみを見出して思わず伸ばしていた手を引っ込める。
全身から血の気が引いていくのを嫌でも感じさせられる。
あと一歩、踏み出していれば巻き込まれて潰されていただろう。
実際の出口はすぐ隣に存在していた、幻覚で出口の位置を知らぬうちにずらされていたらしい。
「そのままの状態で四歩分右にスライドして動け、そっから大股で一歩進んで次は斜め左45°に二歩だ。そうすりゃ扉から外に出れる」
出口の周囲にはこれまで以上に空間のゆがみが広がっていた。
気が付けばアノマリーに既に包囲されている、この出口こそが敵の最後の罠だったのだ。
希望の手前にこそ落とし穴を作る。
この地に巣食う精神汚染体は恐ろしく狡猾な敵であった。
だからこそ、その言葉を信じて良いのかRは一瞬躊躇した。
これもまた罠ではないかという疑念がすぐに心の内に湧き上がってきた。
だが、それまでの悲鳴や怨嗟の中にあってそれとは異なる人の温かさの様な物を感じさせるその声をRは信じる事にした。
その言葉に従い、歩みを進めRは遂に出口へとたどり着いた。
扉の先にあった地上へと通じる最後の階段には空間の歪みは無く、またそれまで騒がしかった声や燐光達も消え去っていた。
「これでこの茶番も終わりだ。後はお前で勝手にやりな、Sの野郎には俺からきつく言っとくからよ。一つ貸しだぜ、良いな?」
背後からなおも聞こえる声にRは振り返る。
そこには一体の酷く薄い影だけが未だに残存していた。
どこか馴れ馴れしいその口調にその声の主の正体をRは見出した。
上等兵が出てきたならば彼が出てくる事もまた、おかしくは無い。
「いや、約束守ってくれたからこれでチャラで良いか」
その言葉にRの確信は更に確固たるものとなった。
約束、とは死体の始末とタグの回収以外にないからだ。
「L、お前なのか?」
「ああ、残りカスだけどな。まだ皆ここにいる」
皆ここにいる、かつての戦友の言葉にRは返す言葉を見つける事が出来ない。
そして残りカスとは自身が残留思念だと理解しているという事だろう。
恐らくまだ自我が残っているのも死んで間もないからだ、いずれは残っている者達も汚染体の集合意識に飲まれて消えていくのだろう。
「……」
「気にすんな、こうなるのも俺らの兵士の役目だ。言ったろ?俺らは長生き出来ねぇって」
そんな彼に悪友だったL2044伍長の声が慰める様に語りかけてくる。
地上への復帰事業には多大な犠牲が付き纏う、それは訓練兵の時代から耳にタコが出来る程教え込まれていた事だった。
だから遠征軍兵士にとって死は身近な物であると、己の死が人類を地上へと帰還させる為の土台になると、そう教え込まれてきた。
だから悔いる必要など無い、ただ運が悪かっただけだ。そうLは言外に伝えているようだった。
「俺は終わっちまった、だがてめぇは生きてる。むしろシンドイのはこっからなんだぜ?」
「ああ、分かってるさ。お先は真っ暗、道一つ通るにもこのザマさ…」
肩から力を抜き、項垂れるRにLの声で喋る薄い影はカラカラと笑いかけてくる。
君こそが生き残るべきだった、その言葉をRは口から出かかったところで抑え、飲み込んだ。
「まっ、しょうがないんじゃね?こうなったら行ける所まで行ってみろよ」
「行ける所まで、か…」
「そうさ、生きられる限界まで生きれば後は死ぬだけだ。お前がこっちに来るのはそれからでも遅くないさ」
「そうだね、僕もそう思ってたところなんだ。そうしてみるよ」
あくまで自然体に、生きていた頃と変わらないようにLはいつもの調子で少し変わった考えの友人に助言をする様に、Rもまたかつての様に数少ない友人と意見を交換し合う事を楽しむように語らい合う。
そして、地上に一人残された友人が生きる事に肯定的になった事を見届けるとLの影は満足した様にただでさえ薄かった影が徐々に姿を消し始めていく。
それは彼が持っていた未練が消えていくようでもあった。
きっと彼の残された自我の断片はこの悪夢に囚われる事無くこのままこの世から消え去る。
なぜか、そうRには感じられた。
「R、折れるんじゃねぇぞ」
「ああ、分かってる」
「折れねぇ限りは道は必ず続いてるもんさ。だからよ、折れるんじゃねぇぞ」
消えゆく影はかつてもそうした様に握りこぶしを作った右腕をRに向けて差し出した。
そしてRもまた当然の様に握りこぶしを作った腕を影とぶつけ合う。
生身の肉体に触れて影は砕け散りながらも、そこにRはかつての感触を思い出していた。
「俺はお前がいつか辿り着く先で待ってる。ゴールで会おうぜ親友」
「ああ、これが本当のさようならだ親友。いつかまたどこかで会おう、L」
影は、完全に消え去った。
その言葉に後押しされる様にRは死んだ友のドッグタグを左手で握りしめながら地上への階段を駆け上がっていく。
その先にある者は生か死か、或いはより悲惨な末路なのか、それはまだ分からない。
だが、少なくとも一人の男がこの地獄への最初の一歩を踏み出した事だけは確かだった。
死と狂気と不条理に満ちた地上、新たな世界が男を待っていた。
相手はエーテル体なので同じエーテルをぶつければ散らせるのでプラズマグレネードでも一応撃退は可能です。
しかし、それでは自爆の危険が大きく数も限られているので今回は使わずに進んだ形になっています。
また、アノマリーに対してはエーテル兵装をぶつけても打ち消す事は出来ません。
本来の強化装備が有れば幻聴も幻覚も精々賑やかし程度の存在で、視界ジャックをされても外骨格側で体にロックを掛けて転倒を防止してくれます。
本命の即死系アノマリーも探知機によって上手い事回避出来ますが、今回は装備をロストしてるので相当厄介な存在としてRくんの前に立ち塞がりました。
これはつまり、装備など碌に持っていない地上人は常にこのハードモードでプレイしてるという事を意味していたりします。