四話、岐路
今回は準備回なのかもしれないし、グルメ回なのかもしれない、葬式回ともいえるかもしれないという話です。
天井に等間隔に開けられた穴から明るい日の光が零れ落ちてくるかつての地下鉄の通路内を男が徘徊している。
右手に握っている紫色の血で染まったナイフの他に持ち物は無く、身に着けているラバーとカーボンで作られた全身を覆う黒いインナースーツは鋭利な刃物で切り裂かれと思わしき傷、或いは獰猛な獣に噛みつかれた後の様な歯型がそこかしこに存在し、既に防護服としての機能を失っている事が見て取れる。
傷はインナーの下の肌にも走っており、顔を含めて全身が噛み傷と切り傷であふれている。
男の周囲にはかつて同胞だった、今や強化外骨格と肉塊の混ざった残骸と化した人間の死体と敵として戦った異文明の兵士の成れの果て、亡者の死体が散らばり、更にそこに新たに昨夜戦った白い肌の小人たちの死体が追加されていた。
彼の名前はR1039、かつてはここで息絶えている兵士達と同じ人類の復興を担う尖兵で有った者だ。
全てを失い、しかし死ぬ事も出来なかった彼はミュータント達を相手に絶望の夜を戦い、そして朝を迎えた。
「疲れた…」
しかし、一時の満足感から解放された彼から出た感想はそれだった。
結局、彼は昨夜まともに睡眠を取る事が出来なかった。
貯め込んだフレアもだいぶ消費してしまった。
ナイフも刃が既に切れ味を失ってヘタっている可能性が高い。
彼自身、肉体の変化で血こそ止まっているが全身傷だらけだ。
そして何より、まだ彼が覚醒してから主観時間で一日を過ごしただけで状況は何も進展も改善もしてはいなかった。
「腹減った…水も欲しい…」
目の下にはクマが出来、声はしわがれ、幾分か老けた様にすら見える彼は己の欲するものを無意識に口に出す。
だが、この場にそんな物は無い、自身の装備は喪失し、兵士達は自前の食糧以外に携行などしていないのだ。
つまり、食料を得るには…。
「もう、それしかないよな…」
何かを悟り、諦めた様な虚ろな表情で彼は昨夜見つけて目を付けていた小さい工具箱を片手で拾うと同胞の死体の一つに近づき、腰を下ろす。
それは敵兵士に上下に分断され、上半身だけになった死体だった。
幸か不幸か、それ以外に損傷はない。
「これならいけそうだ」
そう言うが早いか、Rは仰向けに倒れる上半身をうつ伏せに裏返し、または元に戻し、装甲ヘルメットの首元を工具で弄りつつそのロックを解除していく。
そうして弄繰り回す事約数十分、本来使う適切な工具でない為にほぼ無理矢理こじ開ける形になったが、全てのロックが解除されるのを確認すると遺体を元の仰向けに戻して装甲ヘルメットを外した。
案の定既に腐っている顔との遭遇にRは顔をしかめた。
だが、これ自体が目当てではない。
彼が欲しいのは水と食料だ。
強化外骨格の首元の小さなハンドルを操作し、ソレを得ようと試みる。
その動きに従って強化外骨格の首元から小さいストローがせり出してきた。
それは戦闘前に自分も利用していた行軍時に摂取するゼリー型の戦時標準食が入ってるパックと繋がってる。
「さて、やるぞ…」
覚悟を決めて屈みこみ、腐った顔に自身の顔が極力触れないようにストローを引っ張って中の標準食を吸い上げる。
それは今まで生きてきた中でも最悪と言って良い食事だった。
死体の放つ強烈な腐敗臭、それに影響されてか無味の筈の戦時標準食にも本来と違う味が含まれている様な錯覚を覚え―――いやもしかした腐った彼の一部が入り込んでいるのかもしれない―――、とにかく吐き気を抑えて飲み込むのに苦労する中で必死に標準食のゼリーを飲み込んでいく。
そして、一食分のゼリーを飲み込むとパック側からロックが掛かり、それ以上の摂取を拒まれるとRはストローから口を離し、死体から素早く離れた。
「……これで取りあえず当面は楽になるな」
少なくとも当面の空腹と喉の渇きは癒された。
疲労と睡眠不足は如何ともしがたいが、今寝ては昨日の頑張りが水泡に帰す。
もしかするとこれが最後になるかもしれない、最悪な食事を終えるとRは生き残る為の行動を再開した。
―――
「これでいいか」
前日に立て籠っていた衣料品店の中で一通りの準備を終え、装備を整えたRは満足気…とはとても言えない渋い顔でそう言葉を締めた。
死体の山から状態の良さそうなアサルトライフルの残骸を複数引っ張り出して分解し、部品を一つ一つ確認しながら使える物を組み込んで一つの銃をでっち上げた。
ニコイチどころかゴコイチ、ロッコイチと言える程に部品を使った気分だ。
組み立てたライフルの試射に弾を2発使用し、動作を確認した。
もっと使いたいが、弾数に余裕がない上にあまり音を立てて周囲を刺激したくは無いので正常に動作すると確認した以上はもう無駄玉は使えない。
残された衣料店のカーテンだったボロ布をナイフで切り裂き、首元で縛って日よけや虫よけのマントの代用に加工し、奇跡的に略奪免れて残っていたズボン用のベルトに収納ボックスを繋げて弾帯の代わりを作り、回収した物資と弾薬を収納した。
残った布の端材でボロボロになったインナーを上から縛って気休めの補強も行っている。
何時間もかけて死体を漁って手に入った物資は大量のフレアとライフルの整備用の工具、そして武器と弾薬が少しだ。
医薬品や照明器具はやはり見つける事は出来なかった。
食糧に関してもそうだ、仲間の死体から拝借するにも一度に摂取する量は限られていて食い溜めは出来ないし、パックも外骨格内側にセットされている為に外すとなると専用の工具がいる。
こじ開けるにしても一日がかりの大仕事になるだろう。
実質的に回収不可能だ。
そして肝心の武器の方もあまり芳しくはない。
アサルトライフル用の弾丸が517発、この内120発を無傷で見つけた60連弾倉に装填し、残った397発は弾帯として使っている収納ボックスに押し込んだ。
弾数自体には比較的に余裕があるがマガジンには余裕がない。
即応可能な弾は120発だけであり、破損した場合は継戦能力は一気に落ちるだろう。
プラズマピストルは入念に破壊されたのか無事な物を見つける事が出来なかったが、エネルギー源として使われているバッテリーは4個ほど回収する事に成功し、これを改造して即製のプラズマ手榴弾に組み替える事に成功した。
これもマトリョーシカの自爆と要領は一緒だ、こちらに至っては非常時のみという前書きが添えられてはいるが改造が可能な様に作られ、その方法もマニュアル化されている。
だがそれらの規則も、今や帰る事も出来ない遠い世界の話だ。
行ける所まで行くと決めた以上は使える物は全て使う、それだけだ。
『兵士となったからには、どれだけ絶望しようと責務を投げ出すな。思いつく限りの行動を試みて最善を尽くせ』
最早会えない上官の言葉が再び脳裏を過ぎ去っていく。
彼ならばきっとこの状況でも諦めないだろう、この状況においても人類の為に役に立つ方策を考え付くに違いない。
自分にはそれを思いつけるだけの頭脳は無いが、死なない限りは終われないのだ。
人は飲まず食わずでいる場合、水が無ければ3日、食料が無ければ1週間で限界が来ると言われている。
だがそれは逆に言えば3日程度はまだ生きねばならないという事だ。
既に自決する気は失せていた、運が良ければシェルターの発見や現地人の援助なども見込めるかもしれない。
どうであれ結果は数日で分かる。
それが分かるまで今しばらく、頑張るしかない。
「行くか…」
どこへか、など分かりはしないがRはそう呟くと共に一つ目の弾倉をアサルトライフルに装着し、コッキングレバーを引いて弾薬を装填し、安全装置を付けてから肩に背負う。
アサルトライフルのスリングもこの場に有った物資で作った間に合わせだ。
アイアンサイトを覆い隠さない様に銃身と銃床にボロ布を巻き付けた簡素なものだが、担げれば問題はない。
天井から照らす光はその位置を斜めから縦方向に変えていた。
恐らく既に昼だろうか、夜までに地上へ脱出しセーフゾーンを確保しなければならない。
もう、あんな夜の大宴会は御免だ。とRは心底うんざりしていた。
そうして、衣料品店から足を踏み出すと、とある物が足元に落ちていた。
「拳銃、ガバメントか…」
それには見覚えがあった。
自決に失敗した際に怒りに任せて地面に叩きつけてしまった戦友の遺品だ。
どういう因果か、それが再び自身の目の前に戻ってきたのだ、昨夜のネズミたちの濁流に乗ってここまで流されてきたのかもしれない。
「そうだな、あいつを放ってはおけないよな…」
叩きつけた事でフレームに傷のついた拳銃を拾い上げ、とある物を探す様に周囲を見回しながら再び死体溢れる地下の通路をRは歩き始める。
そして、ある程度の時間を費やしそれを見つけ出した。
それは、死体の山からは外れた一角にぽつんと散らばっていた。
「酷い姿になってるな、戦友」
『それ』とはこれまで共に戦い抜いてきた戦友であり訓練兵時代からの腐れ縁の悪友でもあったL2044伍長の遺体だった。
強化外骨格を装備している以上、明確な違いなど分からない。
本来は装甲ヘルメットに表示されるIFFによる識別によって装着者の表示が無ければ誰なのかなどは分からない。
だが、それでも今回は別だ。
装備と最後の状況から戦友と判断できた。
強化外骨格の両腕にスラッグ弾を発射するショットガンを装備している火器偏重主義者をRは一人しか知らなかった。
その兵士は上半身を切断され、更にその後に敵騎士の魔法で射出された投槍の群れによって貫かれ、剣山の様になり果てた骸が他の死体と同じく地面に転がっている。
それは最後に見た戦友の姿そのものだった。
「お前とはよく馬鹿な事したり冗談言い合ってたよな」
Rはその前に座り込み、語り掛ける。
当然、返事は無い。
それでも尚、Rは友人への語り掛けを続ける。
この行為に意味などはきっと無い、だがRには必要な事だった。
葬式が究極的には死んだ人の為ではなく、生きている人にこそ必要な儀式であるように、Rにとってもこれは大切な別れの儀式だった。
「僕みたいな変人とつるんでくれた事、感謝してたよ本当に。君のおかげで僕はここまでやってこれた、ありがとう」
口から出てくるのは心の底からの感謝の意。
かつて兵士としての適性に欠けていると言われた自分を励まして遠征軍への入隊という高みまで導いてくれた友人への、そして同じ部隊に編入されてからは互いに背中を預け合ってきた戦友への最後だからこそ言える本心からの感謝の情、それを全て吐き出す。
「だからさ、君の銃とタグは僕が持っていかせて貰う、良いよな?」
Rは遺体に接近し、腰の収納ボックスの一つからチェーンの着いたL2044伍長のドッグタグを取り出し、自身の首に巻き付ける。
お互いに戦死した時にはタグを回収して貰えるようにと場所は教えあっていた。
その約束を今、Rは果たしたのだ。
そして、その代わりとでもいう様にプラズマグレネードに改造したバッテリーを一つ、弾帯から取り出して遅延起爆状態で起動して遺体の前に備えた。
戦友の遺体をこのまま放置してミュータントどもの餌や苗床にしたくはない。
ならば、これで焼き尽くすのが一番だ。
「義務と使命を全うした兵士に」
そう短く言葉を口にすると同時にRは立ち上がって背筋を伸ばし、L2044伍長の遺体に敬礼をした。
そして黙って踵を返し、振り返る事無く歩き出す。
Rは神も死後の世界も信じてなどいない。
だから、これが友との永遠の別れであると歩みを続ける中で頭の中で何度も何度も反芻し、残った己の人間としての精神に刻み付ける。
暫くした後に、背後の方からプラズマグレネードの炸裂する音が響いて尚、Rは立ち止まらずに出口を求めて進み続けた。
その目を大粒の涙で濡らしながら、自然と漏れそうになる嗚咽を歯を食いしばって耐えつつ、フレアを焚いてひたすらに地下を進み続けた。
戦死したArkの兵士や戦場での損傷で投棄された兵器はは基本的には回収されますが、それが不可能な場合は爆破処理されます。
早い話が火葬ですね。
今回は完全に退却してしまったので放置状態ですが、友人だけはどうにか処理したという形になります。
所詮はプラズマピストル用の小型カートリッジなので威力は手榴弾程度、お察しですが人ひとり焼き尽くすぐらいの事は出来ます。
一章は奴隷編という形にしたいですが、そこまであと数話は必要そうなので気長にお待ちください。