四十一話、同類たち
ファッ!?前回の投稿が9ヵ月前ってウセやろ…
いつ意識を手放したのか。
気づけば周囲の風景は殺風景な荒れ地と廃墟のそれではなく、一寸先も見通せぬ闇へと代わっていた。
否、見通せない筈だった。
最早、目が他の色を識別出来ぬ程に黒に塗りつぶされている筈の闇の中でそれは明確な輪郭と形状を形どって現れた。
汚泥の沼から這いあがってきた様なそれはいわば、鳥の雛とでも形容すべきあろう物であった。
震え喘ぎながら這い出てきた雛が飢えと病苦に苛まれながら歪な姿へと成長し、しかして一時的な成熟をすぐに通り過ぎ、永きに渡る老いに蝕まれ、やがては力尽きて腐敗しながら沼へと沈んでいく。
老いた鳥が沈みゆく中、そのすぐ側から沼から四脚の獣が死に物狂いで沼から飛び出してくる。
同じく闇の沼から飛び出した名状しがたい羽根を持った生命体と獣が争い、喰らい、喰らわれ、やがて共に力尽きて再び沈んでいく。
その後も次々と現実に近いように見えて異なる奇妙なる生き物たちの不快な寸劇がレオの目前で繰り広げられていく。
何回目かの類似した演目が繰り返される中でレオは静かにその意味を理解した。
生まれ、苦しみ、老い、そして為す術なく最後には死んで消えていく。
後に残るものは何もない。
全ての終わりにはその生命だった物の残骸と静寂だけが存在するのみ。
これこそが生命の本質だ。
絶望に満ちた誕生、恐怖と辛苦に苛まれる人生、そして全ての事象において収束する無意味なる死。
今まさに、目の前で生み出された二足歩行の獣、人類の生涯の始まりと終わりを戯画化したような光景を前にしてレオは己自身ですらも驚くほどに無感動に、無味乾燥にその演目を眺めていた。
生まれ落ちた幾人かの赤子が絶望の産声を上げる。
生まれてなどきたくはなかったと叫びをあげる。
『全てはその様に出来ている』
赤子たちは幼子へと変じ、子供へと成長していく。
ある者は全身を悪疫や腫瘍に侵され、ある者は全身骨と皮だけになりながらも腹だけは異様に大きい飢餓の末期状態の様に、ある者は突発的な外傷によって手足を欠損していた。
ただ一人、あらゆる苦難を受ける事無く五体満足で立ち上がった若者がそれら全ての『出来損ない』を蹴り倒し、その上に君臨する。
『生とは苦しみであり、正常とは搾取だ。それ自体が悲劇である』
しかしてその君臨したる者とて、僅かな間を置いて老いに苦しみ始める。
伸びていた背筋は曲がり、若々しかった健康的な肉体は干からび、萎え縮み、増えていく病魔に蝕まれて行く。
そしてあっけなく地に伏せ、死に絶え腐り落ちていく。
後に残るものは何もありはしなかった。
『あらゆる生命と存在は絶望と共に生まれ、苦しみ、そして死んでいく。その生に意味などありはしない』
レオの目前で生命が生まれ、死んでいく。
文明が作り出され、崩れ去っていく。
作り上げられたあらゆる存在がそう定められていると言わんばかりに価値無き腐った肉片と朽ちた残骸へと帰していく。
そして、その連鎖は決して終わることなく繰り返され続ける。
人類とかつて地球に存在した生命の姿だけでは無かった。
明らかに、地球にはいないであろう生命の姿を象った光景すらも垣間見える。
そして演目の最後、その苦しみの連鎖を止めるように黒く巨大な何かが大口を開けて全てを飲み込み、清算を終えていく。
今ならば分かる。
この神はこの世界の外から来たのだ。
そして、この世界に来るまでも繰り返してきたのだ。
彼等なりの正義たる、命と存在を無に返すという役割の執行を。
『生とは苦しみの螺旋。この呪わしき連鎖の鎖を終わらせる事が知恵と資格ある者の責務。だからこそお前は喰らい、至らねばならない』
周囲から、否。
己の両耳のすぐ側から、否。
己の内から、かつて聞こえた悍ましい声が再び響きだす。
『お前は、選ばれたのだ』
一度は振り払ったあの神の見えざる手が再び、己のすぐそばまで迫っている。
仕方がない話だ、あの仇敵を抹殺する為に自らこの呪わしき存在の力に再度近づいたのだから。
一度は離れ、再び縁が結びついたからこそ彼等の望みがより深く理解出来た、出来てしまった。
近すぎてその理不尽な程の存在感に圧倒されて見えていなかった全体像が、距離を取った事で逆に見えてしまったと言うべきだろうか。
『存在が苦しみを作りだす、無より生じた有害なる有が秩序を乱した』
『だから我らは清算を行わねばならない』
『我らは自らを有へと貶め、有を喰らい、無と静止の秩序へと回帰させる者』
『その為の器の鍵よ、汝が必要なのだ』
かつて奴らはただこう言っていた。
喰らえ、力を得ろ。
そこに知性はなく、根源的な衝動と要求だけがあった。
だが、再び語り掛けてきた今となっては異なった明らかな知性を感じさせる言葉の数々を与えてくる。
そこには明確な意思があり、ある種の正義があった。
彼等の目覚めは近いのだろう。
どの様な因果かはともかく、繋がりを持つ自分が目覚めさせてしまったのだ。
それを理解し、ある種の共感すら覚えつつあるのは『チャンネル』が合い過ぎてしまったが故であろうか。
或いは最早、この神との直接的な魂レベルでの同化を阻害していた邪神スーラがこの体から消え去ってしまったが故か。
かつては不快だった声が徐々に心地よい物へと感じられてきた。
もう、考える事も苦しむ事も疲れてしまった。
全ては無意味だった。
憧れから地上に出て来たことも、復興の為に強化外骨格を身に纏って異形や怪異と戦った事も、死に損なって地上をさ迷った事すらも。
最後の戦いとて、結局は自分を終わらせる理由が欲しかっただけでは無いのか。
星すら砕け散った後の世界で生きている理由などありはしないだろう。
最早どれ程焦がれようと、人類の黄金時代を取り戻すことなど不可能だ。
自然、レオは立つことをやめて座り込む。
そして、それと共にゆっくりと体が地面の泥沼へと沈んでいく。
最早、抵抗などする意思すら残っていなかった。
邪悪な神々の主導権を争う拮抗は崩れ、戦う意思すらも無くなった今となってはいっそこの声に屈するのも——————。
「アール、そんな簡単に折れてしまうつもりか?」
背後から懐かしい声がした。
刹那、目前の蠢く闇が霧散し、周囲の重圧感が消え去っていく。
ただ、静かに上体と首を捻って振り返る。
そこには、かつての友がいた。
強化外骨格を纏っていない、私服姿の悪友の姿がそこにあった。
活動的で広い交友関係を持ち、特に女性関係での評判が良くも悪くも話題になりがちだった悪戯好きそうな笑みを浮かべた緑の瞳と栗色の髪を持った若い白人。
最早、この世にはいない筈の男が闇の中で背後の白く輝く月に照らされながら腕を組んで立っていた。
ともすれば内向的でかつ他人とは違う価値観を持ちがちで、加えてヒスパニックの血統だった自分とは相容れないであろう属性を何ら物おじせずに近づいてきて友人となってくれた唯一の存在。
『おいおい、俺ら人類は今や立派な絶滅危惧種様だぜ?こんなクソ狭ェ箱の中での色違いってだけでやりあってたら明日には絶滅しちまうぞ?どうせ全員生まれてきた「穴」は一緒じゃねぇか』
かつて他人と馴染めない時にそう言って手を引いて集団に引き入れてくれて以来の生涯の友。
人であった頃、幾度も戦場で、そして閉鎖的なARK5での集団生活で助け合った友。
そんな友が言葉を続けながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「あれだけ折れるなって念入りに言ったというのに、お前の覚悟はその程度だったのか?」
まるで出来の悪い生徒を諭す様な声音と口調、レオの中で即座に生まれた疑念が確信へと変わっていく。
見た目は同じ、声も同じ、だが違う。
口調が、仕草が、気配が、その全てが間違っている。
「ほら、立て。まだ終わりにするには早いだろう?」
泥にまみれる事を躊躇せず片膝をつき、友は手を差し伸べてくる。
その手をレオは——————。
「茶番はやめろ、貴様は誰だ」
握り返すことなく、手首を掴んで強引に引き倒した。
それは先刻、仇敵に仕掛けた騙し討ちの焼き直しであった。
友の皮を纏った何かを泥濘と化した地面へと叩きつけ、レオは即座に馬乗りになって拳を振り上げる。
だが、動きがそこで止まってしまう。
拳を振り下ろせない。
仮に偽物であっても、再び会えた友の顔を自ら砕く事は出来なかった。
「酷いじゃないか、服が台無しだ」
「もう一度聞く、お前は誰だ」
「もう分かってるんじゃないのか?」
止まっていたレオの拳が即座に動いた。
顔の代わりに砕けたのはすぐ横の地面であった。
汚泥をまき散らしながら、底なしの闇の様な泥沼に拳が肘まで潜り込む。
怒りと躊躇の間で放たれた単純にして純粋な暴力は常人では目視してから反応するのは不可能であっただろう。
最早、拳ではなく砲弾に近い速度と質量の至近弾。
それだけの威力を持った一撃を受けてなお、目前の存在は決して動じる事は無かった。
地面に突き刺さった拳を視線だけを動かして一瞥し、すぐにレオへと戻すその所作に恐怖の気配はない。
直接的な暴力に慣れている生物だけが纏える気配と所作、機動歩兵のそれではない。
例え、近接戦闘に慣れたとしても機動歩兵は強化外骨格に守られているという意識がある。
良くも悪くも装甲無しでは臆病になる生き物なのだ。
故に、断言できる。
これは人類の兵士ではない、ましてや友である筈がない。
その確信だけは敵意と共に強く、大きくなっていく。
「ふむ、気を悪くしたならば謝罪しよう。君の記憶を読ませて貰った。彼の声を使わねば戻ってこないと思ったのでね」
砕けた泥の破片で汚れた友の顔が変質し、見慣れた仇敵の相貌へと代わっていく。
銀色の髪、紫に輝く瞳、意志の強い笑みを浮かべる男とも女ともつかない中性的な顔を持ったそれは、つい先ほどまで殺し合っていた仇のそれであった。
「なぜお前がここにいる。ここは——————」
「ここはお前の魂の座、精神と自我の領域だ。しかし別に驚く事はあるまい、ここに私を招いたのは他ならぬお前なのだから」
二つの穴の開いた己の首をさすりながら自らを魔族と嘯く銀髪の悪魔憑き、リュナ・ドラクリアが不敵な笑みを浮かべている。
お前が血を吸ったからだろう、そう暗に示すように。
対するレオは眉間に僅かに皺を寄せ、敵意と憎悪に満ちた顔を向け射ている。
この売女の言葉を信じてはならない。
自らを寛大と称しながら、逃げ道を潰すのがこの魔のやり口だ。
親しく接する素振りをしながら、他者の心を支配するのがこの者の在り方だ。
弁舌に長けたこの魔と言葉を交わす時点で、奴の術中に嵌り込む事になる。
眼前でにらみ合う中、レオは脳裏に浮かんだ思考と情報が違和感を生み始める。
おかしい、なぜ相手のやり口や在り方を良く知っている様に思えるのか。
奴と交わしたのは会話より剣の方が遥かに多い筈なのに。
こうして相対している合間にも相手への理解が深まっていくような不快感が内から湧き始め、存在しない筈の記憶と知識の奔流が脳を苛む。
己の体験していない光景が眼前に広がり、にわかに起こった眩暈と頭痛がレオを後方へと退かせた。
「我が記憶との同期が始まったようだな。しばし耐えると良い、不快感もすぐに消える」
まあ、経験済みであろうがな。
リュナがそう言葉を続けるも、レオの耳には届かなかった。
レオの脳に他人の記憶がしみ込んでいく。
上書きされるわけでも乗っ取られるわけでもない、まるで以前から合ったかのように、欠けたパズルのピースがはまる様にレオの意識の内に新たな知識が組み込まれて行く。
それはまるで、かつてスーラに意識を取り込まれかけた際に幾らかの知識が流れ込んできた時のようであった。
あの時、レオは全く解せなかった地上人の言語を理解し、文字が読めるようになった。
だが、今ではそんな物は比ではない程の情報が雪崩れ込んできている。
効果的なエーテルの行使と戦術、生体金属兵装の運用体系、現在の世界の状況。
そして、リュナ自身の半生——————。
リュナの視点で得てきた知識の全てが開示され、惜しみなく与えられて行く。
「私は与える者、そして報いる者。己が命と尊厳の全てを投げうってでもって先祖の仇を討たんとした勇者よ。お前は男だ。敬意と共に我が全てを与えよう。だが、だからこそ最後に聞かせて貰おうか」
知識の奔流が止まり、平静を取り戻したレオが見失ったリュナを探して周囲を見やり、声の元へと視線を移す。
既にリュナは地には無く、黒い闇の世界に唯一浮かぶ白い月を背に宙に浮かび上がっていた。
「なぜ、お前はこの期に及んで尚も本気を出さぬのだ?」
未だ地に座り込むレオを見下ろしながら、腕を組んだリュナは紫色の鋭い視線を送り込んでいた。
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何故だ、どうしてこうも盤面をひっくり返されるのだ。
指揮個体から戦場を俯瞰していたシフは目前で広がるあまりにも酷い状況に眉間に皺を寄せていた。
「信徒たちよ進めぇ!神は我らを見ているぞぉ!」
最前列を駆け、狂信を叫ぶ狒々の様な悪魔憑きが嬉々として掲げるは己の血で蒼く染め上げたボロ布で作られた旗を括りつけた武骨な鉄骨。
優美さも機能美も無いそれを、周囲にいる悪魔憑きや地上人たちがまるで神聖な軍旗だとでも言うように守りながら共に突撃し、突破された防衛ラインに更なる楔を打ち込まんと突入してくる。
その更に前では数体の強力な悪魔憑きによる理不尽な蹂躙と暴力がシフが丹精込めて作り上げてきた軍隊に向けて行使されている。
これは冒涜だ、不正だ、理不尽だ。
美しく着飾らせた軍服姿の自分達が、整えられた砲列と陣形が、錆一つなく磨き上げられた兵器が、次々と破砕されて残骸と肉片と化していく。
まるで丹精込めたフィギュアの群れを価値を理解しない無粋な他人に貶され、処分されるかの如き有様に対する激昂は頂点に達しつつある。
だが、その感情を爆発させている暇すら最早無い。
今、視野を借りている指揮個体が粉砕されるのもあと僅かな間であろう。
あの不愉快な出来の悪い城壁を粉砕する迄、全てが順調に進んでいる筈であった。
整然と整ったロケット砲陣地、前衛として展開した十分な小火器を与えられた歩兵部隊に支援の為の装甲車や歩兵戦闘車。
そして、前進を阻害する目前の城壁を粉砕する為のガウス砲とプラズマ砲を搭載した三機の重強化外骨格部隊。
そのすべてが失われつつある。
壁を突き崩されたと同時に、より内部への後退する筈であった敵は、あろう事か逆襲を始めたのだ。
駄目押しに打ち込んだガウスキャノンの光弾が崩落した城壁の煙の中に消え、僅かな間に反転して砲撃機へと襲い掛かった。
斉射されたロケット弾の弾幕が、空中に放たれた斬撃によって尽く吹き飛ばされた。
機関砲の斉射が魔道防壁で弾かれ、小銃弾の類は前進の抑止力たりえなかった。
十分取った筈の距離は瞬く間に詰められ、凄惨で不利な近接戦闘を強いられている。
これではあべこべだ、攻める側は今や責め立てられ、滅ぼされつつある。
その元凶たるのが―――――。
「何故だ、奴らは死に体だった筈だ!なぜこうも―――――!」
周囲には蹴散らされ、残骸と化した衣服や兵器と混ざり合った肉片となってまき散らされた数多の自分の姿。
それぞれが蠢き、結合し、再生或いは増殖を試みているが、武器もない素の個体では奴らを止められる道理などない。
「全選抜射手は王に続け!後詰は火と油を持ち、肉片を焼き払え!我らが王の手を煩わせてはならぬのである!」
変異した騎馬にまたがって戦場を駆る指揮官級と思われる悪魔憑きが配下の兵を統率し、蹂躙された陣地での掃討を着々とこなしていくのが消えていく末端個体との繋がりから嫌でも分かってくる。
小銃弾の乱打を外骨格鎧で弾きつつ迫るその者が持つ蒼い剣が翻る度に末端個体の視界が歪み、霞み、宙を高速回転して彼方へと飛んでいく。
「弟ッ!あの目障りな装甲車に攻撃を集中させなさい!それが終わったら砲と機関銃を再配置!鉄火をばら撒いて反撃も逃亡も出来なくさせてやるのよ!」
一つ目の大男の左肩に如何にしてか張り付いた生首が叫び、呼応した大男と周囲の悪魔憑きたちが一斉に凍り付いた血の槍や爆発物、火炎瓶を投擲する。
幾発かの可燃物に耐え、機関砲で反撃を試みた歩兵戦闘車が砕けると同時にエーテル爆発を引き起こす槍の殺到に耐え切れなくなり、劫火に包まれ、遂には弾薬と燃料に引火して盛大な爆発を引き起こす。
「アハハハハッ!殺し放題だねぇ!良いねぇ!楽しくなって来たぁあああああッ!本気狩殺光線!」
返り血に染まった煌びやかな装束を纏った青髪の狂女が叫び、雷光が翻る度に体内の血液と臓器が焼かれ、感電した肉体が小刻みな痙攣を起こして白煙を上げながら生命活動を停止する。
振り回す本気狩ステッキと称する棍棒、或いは鉄塊は防御不能の一撃となって咄嗟に盾にした小銃や分隊支援火器ごと、哀れな犠牲者たちを潰れた肉塊に変えていく。
「ガァアアアアアッ!ハァッ!ハァアアアアアッ!」
黄金の竜が歓喜の方向と共に骨の鞭を振るうごとに、幾つもの四肢が千切れ飛び、口から放たれる炎は瞬時に再生不能な消し炭へと変えていく。
よしんば、これらの化け物の攻撃を避け、或いは生き残ろうとも―――――。
怪物たちが作り上げた衝撃と間隙を埋める様に遅れて侵入してきた狂信者達が、生きながら切られ、潰され、焼かれ、それでもなお再生しようとする自分達を、粗末な銃剣や銃床、廃材や鈍器など雑多な武器で滅多打ちにしている。
痛覚を共有していたら発狂しているであろう、そんな屈辱の光景がシフの脳内に次々と送り込まれてくる。
敵の情報、行動、戦術、それらを末端個体が命と引き換えに本体たるシフに伝達してくる。
たとえ痛覚が無くてもそれがシフを発狂させ、憤死させるに十分な情報が流れ込み苛んでくる。
抗弁のしようもない程の明確な戦術的敗北の明確な証拠の濁流。
混沌とした状況の中でも己の不利を嫌でも理解する事となり、怒りががこみ上げる。
「おのれ!おのれ!おのれぇええええッ!よくも磨き上げられた我が兵団を―――――」
怒りに任せて叫ぶシフの目前で、迫る脅威に向けて100mmライフル砲と30mm機関砲を乱射していた重歩兵戦闘車が光波斬撃の一閃で為すすべなく両断される。
「この…化け物がぁッ!」
ホルスターに仕舞っていた自動拳銃を抜き放ち、両断された装甲車の残骸を体当たりで吹き飛ばしながら突入してくる敵を視認すると同時に発砲しながらシフは罵った。
異形の鋼鉄馬にまたがり、蒼い剣を『両腕』で構えて吠えた肉食獣の様に笑みを浮かべるリュナ・ドラクリアに首を刎ねられるまで数秒とはかからなかった。
指揮個体の首が地面へと落ち、後続の騎兵に踏みつぶされるまでの僅かな間。
その限られた時間でシフは敵の変貌を知る。
新たに背から生えた硬質な鱗と被膜で覆われた一対の翼、長い尾、そして緑の竜鱗で覆われた鋭い爪を備えた新たなる奇怪な左腕。
より竜へと近しい変異を遂げた人型の異形と化したリュナが速度を落とすことなく、抵抗を続ける重強化外骨格へと肉薄していく様がありありと網膜に焼き付けらる。
先刻死にかけた時のそれとは大きくかけ離れた新たな生命力と活力を得た怪物がシフの誇る軍を冒涜していく。
「困ってるみたいね?私?」
「…ッ!」
脳裏に響いた不快な声にシフは閉じていた瞳を開けた。
そこに広がるは凄惨な戦場ではなく、快適に過ごす為にしつらえた自室であった。
崩壊前の豪奢な調度品で飾られた清掃の行き届いた大部屋は光輝くシャンデリアで照らされ、赤い絨毯が敷き詰められた自慢の空間だ。
最も気に入っている寵愛用の『自分達』が同じくお気に入りの護衛と共に恭しく寄り添ってくれている。
空間を満たしているのは静寂、言葉は不要だ。
少し念じるだけで全てが自分の思いのままに動いていく快適な世界。
そんな優雅な沈黙を破ったのは、部屋の扉を押し開いてきた闖入者だった。
それもまた、『自分』であった。
シフと同じ金髪に赤目、しかしてシフとの明確な違いは女性型である点と恍惚とした表情でシフを見つめてくる貌。
肩まで伸ばした長髪に着崩した服、大きく膨らんだ臨月の腹を抱えながら、それでも崩れぬボディラインを誇示しつつ、その女性型の個体はシフの前に歩み寄ってきた。
「それはなんのつもりだ、ナルス。お前は厳重に封印したはずだ」
「皆心配しているのよ。私が苛立っているから、自我の薄い子たちも何かがうまくいってないんだと薄々理解してしまっている。だから私を檻から出してくれたって訳なんでしょうね」
「不要だ、さっさとその個体から出て檻に戻れ」
「つれない事言わないで欲しいわね、私。元々、こうした上位権限を渡してくれたのは私なのに」
睨みつけられる事すらも快感だと言わんばかりにナルスと呼ばれた個体は目を細めて妖艶に微笑む。
それを見て、シフの眉間に寄った皺はより深くなっていく。
不快だ、必要だと思って創造したとはいえここまで逸脱した自我に育つことは想定していなかった。
「よりによってなんで繁殖個体に乗り移って出て来た?」
「これなら、反乱したくても出来ない体だから警戒しなくて良いでしょう?それにね、私は私が好きなんだから。私が増える瞬間を間近で感じるのはそんなに間違っていて?」
「……要件を言え、無駄話に付き合っていられるほど暇ではない」
崩壊前の美麗なタキシード纏った護衛個体が声なく発せられたシフの発した無言の命に従い、ナルスに黒革でしつらえられた高価そうな椅子を用意する。
「困っているんでしょう?私を使いなさいな。その為の分割意識でしょう?」
体をいたわりながら椅子にゆっくりと身を預け、簡潔に用件を伝えながらナルスはシフの表情を伺う。
「信じて欲しいわね、私は私を絶対に裏切らない。だから他の子たちが出て行った時も残ったんじゃない。私は愛しているのよ、私を」
シフはため息をつき、椅子に深く腰を落としながら猜疑心に満ちた目でナルスを睨みつける。
自分から分かたれた存在だからこそ、最早信じられない。
より効率的な自己統治を求めて分割した意識の断片、その一つがナルスだ。
複数分けて作られた意識達の中で、今も手元に残っているのは奴だけだ。
自分を愛し、信じてているからこそ、全ての自分が力を合わせればより盤石な布陣になるという意図と思想から作り上げれられた、当時は完璧だと思っていた下策の産物。
完璧な個から生み出された完璧な集団、その誇りを自らの手で汚してしまった失策中の失策。
エンキに敗北し、その原因を精査、単一の思考で群体を指揮する事の限界を感じたが故に作り出されたそれらは、作られて早々に反乱を起こして己の元から去っていったのだ。
何よりも自分の事が一番の人間から分岐した自我だ、たとえ元が自分であろうと他人に指図されることなどお断りだったのだろう。
施設は破壊され、人員と兵器は持ち逃げされ、再編成と復興には予定以上の時間がかかってしまった。
残ったこのナルスとて、再び群体との接続を得て今度こそ寝首をかくつもりであるという可能性は決して否定できない。
結局は自分以外はゴミでしかないという価値観の己の分身、それも一度は裏切った者たちを信用するなど―――――。
「良いの?負けてしまうわよ?」
思考を中断したのはナルスの言葉だった。
顔は温和であってもその瞳には真剣なまなざしがあった。
「貴方は内政好き、戦争ゲームはあまり得意ではないでしょう?それでも今の状況は理解しているはず」
嘲りでも挑発でもない、真摯さがあった。
これは、自分達の尊厳のかかった戦いであると。
「でも、信じれないんでしょうね…。可哀想な私…。こんなにも私は私を愛しているのに」
信じるべきなのか、拒絶するべきなのか。
元が自分だからこそ、時に信じられぬのだ。
「黙れ、これは全てゲームなんだ!この程度―――――」
「そう、私たちにとって他人との関りなんて全てゲーム、暇つぶしに過ぎないわ。でもね、だからこそ―――――」
赤い瞳が互いを見据える。
そして、ようやく理解する。
こいつだけは他の奴とは違うと。
意識を別たれて尚、想いは同じ。
それを理解したかのように二人はほぼ同時に口を開く。
「「ゲームは勝って気持ち良くなる為にある」」
シフは苦々しく、ナルスは満足げに同じ言葉を一言一句たがえる事無く、二つの口から同時に紡ぎ出した。
「戦況情報をちょうだい、それと『奥の手』の操縦権限もね」
「使う他ないか、主力戦車を」
「ええ、本物の騎士が相手ならばそれしか勝ち目はないわ」
シフは僅かに沈黙し、目を瞑る。
脳裏に流れ込んでくる戦況はなるほど、確実に先ほどよりも悪化している。
最早、初期に展開させた装甲車や重強化外骨格は全滅状態だ。
このまま敗退はあまりにも無様であり、許容できない。
そんなゲームは楽しくない、ゲームは勝ってこそ。
骨のある相手を完膚なきまでに叩き潰すして煽り散らしてこそ、ゲームは快感となるのだ。
「いいか?啖呵を切った以上は負ける事も裏切る事も許さん」
「勿論、心配しないで私。私は私に戦闘用として作られたのだから。戦闘系のゲームは大好きよ」
シフが睨みつける中、ナルスは己の内の新しい命を慈しむ様に腹を摩りながら笑みを浮かべて頷いた。
「二人で獲りましょう、あの竜女の首を」
会話が終わると同時に二人は同時に目を瞑り、意識を戦場へと向ける。
万一の為に用意してきた予備選力、今は亡きエンキを確実に葬る為に準備してきた最大戦力。
終末の世に人類が駆った鋼鉄の獣を放たんとするために。
――――――――――――――――――――――――――――――
なぜ、本気を出さないのか。
そう問われ、レオは図星を突かれた様に体を固まらせた。
「何を、言っている…」
舌が乾いたように口の中で張り付き、声が震える。
言葉が思ったように出ない。
「なぜ本気を出さないか、だ。分からんのか?」
双方見つめ合い、しばしの沈黙。
均衡を崩したのはリュナの姿が徐々に霧散しつつある事を見咎めた瞬間であった。
「気にするな、私は残滓。間もなく消えてなくなるだろう。お前の魂と肉体はお前の物だ。何を話したとて、外に漏れる事はない」
僅かに目を見開いた事を見咎めたようにリュナは事も無げに己の至る末路を語る。
レオに吸血され取り込まれたリュナの魂は、レオがリュナを蘇生する為に送り返された。
今残っているのはレオの側に残ったほんの一握りの魂の余りに過ぎない。
「……それがお前がここにいるカラクリか」
「如何にも、ここにいるのは死にゆく私だ。後の事は生きている私に任せた。残りの時間はお前に使う。だからこそ、問いの答えから逃すつもりはない」
まもなく訪れる完全なる消滅を前にリュナは一切の恐怖を抱いていないように、言葉を続ける。
「お前は、あの神の力を借りてでも私を撃ち滅ぼそうとした。だが、最後の瞬間に手を抜いた」
レオは答えない。
否、答えられなかった。
己の口から出してしまえば、認める事になるが故に。
これまで戦ってきたあらゆる存在よりも、今に消えそうな亡霊の言葉が恐ろしい。
全てを見抜いた告発者の言葉はゆっくりと首を締め上げられる縄の様にレオの精神を苛みつつあった。
「我が子と戦い、心臓を破壊されても生存する可能性を既に知っていた。だが、お前は我が心臓を貫いた時点で手を抜いた。あの時のお前ならば私が拳で殴り返す前にそのまま剣を振り上げ、頭をも両断出来た筈だ」
「剣が、俺を拒絶し―――――」
「剣の防御機構が作動するのは突き刺さった後だ。その刹那の間に渾身の殺意でもって頭まで割る気であったならば間に合ってはいまいよ。無意味な咆哮などあげねばな」
リュナはレオが口にしようとした逃げ道を即座に潰してくる。
全力で殺し合ったからこそ、分かる僅かな違和感。
それをリュナが見逃す筈が無かった。
「あれ程に殺意と熱意に満ちて尚、お前は最後に手を抜いた。お前には常に恐怖が渦巻いている。恐怖が迷いを生んでいる。本当に殺意しかないならば、勝鬨をあげるのは完全に死を確認してからで良かった筈だ」
リュナが突きつけたのは、最後の最後で勝利を逃した要因そのものがレオの怠慢であるという事実であった。
激昂して抗議すべきであろうレオはしかし、黙して項垂れて目を逸らす事しか出来ない。
既に理解されていると分かっているが故に。
それだけではない。
そう、リュナは続ける。
「なぜ、お前はわざわざあの地で我々を迎え撃った?お前たちは百にも満たない少数、私が率いるのは千を超える大所帯。如何に手を尽くしても行軍速度で勝てる筈も無し。こんな早くに追いつけるとも思っていなかったのだがな」
それもまた、至極当然の指摘であった。
追いつかれたこと自体がおかしいというごく単純な事実。
本来、この逃走劇の主導権はレオ側にあった。
複数の強力な悪魔憑きと優秀な傭兵、そして機械技術に長けた一派に目の良い運転手を擁する少数精鋭の高機動グループの利点の一切をレオは用いなかった。
現実に、逃げ切る手は幾らでもあった。
レオを主力として脅威を駆逐し、『目』の良い運転手に先導させた強行軍。
ドッグの力を借りれば夜間行軍すらも可能であった。
そうでなくても、より追跡が困難なルート取りは可能であった。
数台の大型トラックだけで構成された小所帯ならば大規模な人員を抱えた集団では通行不可能な道を複数選択する事は容易であっただろう。
実際には錆雪地帯を迂回した以外はほぼ追跡可能な道順をレオたちは進んだのだ。
「仲間が足かせだというならば離脱して単身、我々に奇襲を仕掛ければ良かった。或いは周囲を掃討しつつ、昼夜を問わず前進すれば良かった。空を駆け、航空偵察を続けていたモルフォライダーたちを殲滅する事とて容易だったはずだ。都市を焼き、異形を潜ませて罠を張るのも容易かった筈だ。なぜ、いずれもしなかった。そして―――――」
或いはレオを主軸にした少数精鋭の襲撃グループによる討伐軍への強襲。
討伐軍を足止めし、機械教徒らを先に逃がすだけでも犠牲は減っただろう。
戦力分散が許される程度には戦闘ユニットの質は揃っていたのだから。
どちらを選択しないにしても、まだ手はあった。
通り道の都市を焼き払いながら移動する焦土戦術による追撃部隊へのリソース供給の排除。
先の戦闘で見せた血による異形化を行って経由した都市をそのまま生きたバリケードにする事とてレオには出来た。
どの様な手段を取られてもリュナはレオに追いつく事は出来ず、優位な戦いをすることは出来なかっただろう。
そして、そのいずれかは取られると思っていたリュナは自信に満ちたいつもの表情をしつつも敵集団の意図を読みかねていたのが現実であった。
相手は敢えて追いつかれるような下策ばかりを打っている。
レオを接敵するまでの間、リュナはそんなある種の不気味な挙動をする相手を警戒しながら、討伐軍が瓦解しないように最善手を取りながら強行軍を進めてきたのだ。
「なぜ、クロエと我が子を殺さなかった?私がお前ならば夜戦能力を持つ相手に離脱を図られたら、他の全てを投げうってでも地の果てまで追ってでも仕留めているぞ?見逃すには余りにも危険すぎるからな」
もっとも直近にして最大の失敗にも当然のようにリュナは斬り込んできた。
レオが脱出を諦めた一番の要因、クロエの抹殺失敗。
スーラの妨害で体は動かなかったが、それでも追いかけるべきだった。
体の主導権を持っているのが自分側である以上、いずれかの段階で妨害は止まっていただろう。
視界内に捕捉し続けれれば、途中で追いついて全員撃墜出来たはずだ。
護衛対象だったクトーらの事は戦闘を開始した時点で既に切り捨てたはずだった。
為すべき事は脅威の完全な殲滅の筈だった。
だが、レオは逃げられたと判断した時点で追跡を断念していた。
まるで、ある種の安堵を得たかのように。
レオに次々と突きつけられるのは当初は仕方なかったと捨て置いた失策の数々。
本当に仕方が無かったのか?それとも―――――。
「あの傭兵の運用や兵力の配置もあまりにもお粗末だった。それでも下士官か?お前の記憶によれば―――――お前の階級は市民兵の小隊程度は指揮出来るのだろう?」
こめかみに指をあて、与えらえた記憶の中から適切な物を引き出したリュナの詰問は的確で容赦の無い物だった。
事実だ。
少数で地上任務を行う遠征軍機動歩兵は必要に応じて市民兵を手足として扱い、数的不利を補う事を目的に指揮官としての能力も求められている。
下士官であっても、ある程度の将校過程の教育を叩き込まれる。
機動歩兵は基本的に歩兵ではなく、装甲車両指揮官という認識で育成されるからだ。
レオも30人から50人程度の歩兵の指揮、部隊の配置、陣地構築、歩戦共同戦術を履修済みだ。
その経験を元手に拡大すれば中隊や大隊規模までならば見よう見真似で指揮できただろう。
後方基地構築や補給線の確立、諸兵科連合の要素が絡み合う戦略級単位の指揮と違って指揮する人数が単に増えるだけだからだ。
その論点からいくと、警備隊長の暴走を黙認して戦力を浪費した時点で指揮を放棄していると言われても言い過ぎとは言い難かった。
暴動を捨て置き、最初から内城壁のみ守りを固めさせればより優位な戦闘が可能だったからだ。
行軍で、指揮と布陣で、そして戦闘ですら手を抜いた。
故に、本気ではないという指摘。
ここまで言われてなお、レオの内に生まれたのは納得だけであった。
そうだ、自分はすべき事を尽く放棄してきた。
あらゆる局面で受け身であり、自発的な行動をレオは避けてきた。
敢えて目を背けてきた事実を、しかし同じ記憶を継承した仇敵は見逃してはくれない。
「そうか、いや…。そうだな。全ては自分の―――――」
状況を動かすことは幾らでも出来た。
戦況を好転させる事は幾らでも出来た。
しかし、そのすべてを放棄し、その上で己の自我すら捨てようという怠慢を今、指摘されているのだ。
それほどまでの怠慢、そのような暴挙に至ったのは―――――。
「怖いか?自分自身が」
言葉に最早震えるものなど無い筈の体が揺れた。
押し殺し、目を背けてきた根源的な感情すらも見透かされているのだという事実に恥辱、怒り、そして何よりも苦しみが湧き出してくる。
相手を睨み返す事すら出来ず、レオは俯きながら返答した。
「お前は、怖くないのか?己の内にある物が。己の行動がどれだけ、本来のあるべき未来を捻じ曲げるかもしれないという恐怖に耐えられるのか?」
それは人から逸脱して以来、そして己の内に仇敵とは異なる得体のしれない神格が潜んでいた事を理解してさらに強まった恐怖。
エンキという強大な個すら滅ぼしたこの力を使えば周辺地域を一掃する事も、平定する事も容易いだろう。
だが、それが齎す結果がどう作用するかは未知数だ。
この地域の情勢が激変した結果として、周囲のミュータントや地上人の活動範囲が変わり、故郷にどのような影響を与えるかが全く読めない。
平定して安定した政体が完成したとして、それをコントロールしきれるのか。
力を得た人間はより勢力を拡大する為に好戦的となり、周辺地域に支配を広げていくのが通例だ。
故郷を救うために作り上げた地域国家が故郷と戦うとなれば目も当てられない。
そして、それらを行った後に自分の自我が今のままであるという保証もなかった。
明確に拒絶した今であっても少し手を伸ばせば届く邪悪な神格と、その力に屈しない保証など誰もしてくれない。
強固な防御に特化した悪魔憑き、ヴィルを剣では無く己の拳で殴り倒しその血を喰らった時の高揚感。
精神が落ち着き、正気に戻った時に感じたのは興奮以上の恐怖感だった。
力に呑まれ、力に酔い、力を行使する事の快感への恐怖。
何か、とても大きな間違いを犯しかけているという危機感。
その恐怖が、滅ぼすと決めた仇敵たるリュナをあと一歩で滅ぼせるという段においても無意識に行動を躊躇させたのだ。
それを行ってしまった後に己が何をしでかすのかという恐怖。
そして、リュナすらも殺してしまえば遂に己を殺してくれる者がこの世からいなくなるかもしれないという恐怖。
何でも出来る、それが理解出来るからこそ恐ろしかった。
正気と狂気の境など既にありはしない。
複数の意思と記憶が混ざり合って曖昧な精神、消え去りたいという感情と消える事の出来ない事を実感させる呪縛、確固たる足場であるべき大地すらまがい物の世界。
おぞましい力を行使し続けて自我を失い、未来を歪め、全てを壊しうる己自身が最も滅ぼすべき脅威であると言っても良かった。
本来上手くいくはずだった計画が失敗し、同胞たちが死ぬという事態が起きてもおかしくはない。
最悪まで行けばARK5自体の滅亡にすら直結しかねない。
まかり間違えば、狂った己が嬉々として故郷を滅ぼそうとする事すらありえる。
レオの脳裏に常に浮かぶのは力に酔い、下卑た欲望に染まり獲物を求めて徘徊する未来の自分。
或いは完全に人の神に従属してその傀儡として神の正義を執行する抜け殻となった成れの果て。
今のレオにとって、もっとも信じられないのは己自身であった。
「貴様などには分かるまい、お前の様な化け物にこんな感情は―――――」
「あるとも、苦しみは誰の内にある」
不意に何かが肩に触れた感触にレオは俯いていた顔を上げた。
目前にあったのは、いつの間にか地に降り、己の肩に手を置くリュナの姿であった。
その顔には普段は見せないであろう、沈痛な面持ちがあった。
そして、リュナは優しくレオを抱きしめた。
徐々に消えかけていた体が輝き、リュナから解けた粒子がレオに引き寄せられるように偽りの肉体に吸い込まれて行く。
そこから感じられる物は同情、憐憫、そして同類への共感。
平時ならば、反感しか持たないであろうレオの内に浮かんだのは疑問だった。
これほどまでに強い個に、精神薄弱な落伍者など構う必要はあるまいに。
「なぜ、俺にそこまで肩入れする」
「私とお前は同じだ、我らは自ら望まずして生を与えられた」
同じなものか―――――。
口に出かけた瞬間、レオの脳裏に湧き出してきたのはリュナの過去の記憶であった。
それは受難の歴史とも呼んで差支えの無い、放浪と思索の日々の記憶。
リュナの言葉と共にそれが次々とフラッシュバックしていく。
「私は母に呪いとして産み落とされ、父に救いとして育て上げられた」
世界を守る為に戦い、砕けた後には半端な変異を遂げて死に損ない、守るべきものなど無かったと世界を呪いながら己を産み落として絶命した母親。
守るべき物を守り切れず、同じく死に損なった父親による愛に満ちた、しかし一方的な押し付けに等しい祈りと願い。
その双方を背負わされた、ただ一人の孤独な生命に過ぎないという理解がレオの内に溶け込んでいく。
生んでくれと頼んだことなど一度もない。
誰もがそうだろう、レオに至っては生命ですらない機械の中で育てられ、この世に送り出されたのだ。
「呪いとして生まれただけならば、その様に振る舞って世界を彷徨えば良かった。救いとして作り上げらたならば、父祖の記憶をこそ誇りに胸を張って進めばよかった」
人としては生きられぬエーテルに依存した異形の肉体、しかして騎士として生きるにはあまりにも脆弱な器。
それがリュナに与えられた命であり、肉体であり、運命であった。
だからこそ、父から受けた教育や訓練という名の苦役は一種の拷問にも等しかった。
それが単に己が子の無能である事への怒りや、劣等で下賤な出生への侮蔑からならば全てを恨み、憎むことも出来た。
だが父を討ち、全てが終わった時。
その全てが深い愛が故であったと知った時、それは更なる呪いとして積み重なっていく事となった。
エーテルの少ない環境に蝕まれ、己すらも余命幾ばくも無いと察した父の、短期間で施せるだけの突貫作業の英才教育。
自我を得て以来の終わりなき戦闘訓練、乾きと飢餓に苛まれた中での鍛錬、己が身を実験台とした生存術の構築、そして血の継承。
ただ、生きて欲しいという願い故に与えられた仕打ちはリュナの精神をより苦しめた。
「だが、私は呪いと祈りの双方を与えられた。父祖の輝かしき記憶は母にとっては憎むべき侵略者の傲慢な価値観に過ぎない。それを絶対の軸とし、頼る柱とするには常に疑念を抱き続けねばならなかった」
父を打ち倒し、血を奪い、力を得て尚、手に入ったのは苦悩のみ。
20にも届かぬ幼い魂に刻み込まれたのは、既に朽ち果てた世界の有様。
解放はされた。
だが、それは依るべき全てからの追放された当然の極限の自由であった。
信じる神は虚空へと消え去り、父祖の地に帰る術は無く、同胞すらも死に絶えた世界に一人、取り残された苦しみ。
だというのに、やろうと思えば大抵の事が出来てしまう知識と身体能力の獲得は虚無感を強めるばかりであった。
何かを成した所で、どうなるというのだ。
既に世界など、滅んでいるというのに。
そこでレオは己とリュナの類似性を理解した。
全く同じではない、レオは恐怖を、リュナは虚無を抱えて生きている。
だが、同じく力と知識を得た事で手に入れた感情は同じだったのだと。
「本来ならば、十分な時間をかけて刷り込んでいく人工的な規範を私は持てなかった。逸脱した思考を正す親、兄弟、同胞を持たなかった。内から無数に湧き出す知識、そして問題が起きる毎に都度脳裏に浮かぶ最適解を適切に処理するには私は未熟過ぎた」
同じだった。
己の意思に反して湧き出す知識、不自然に深まっていく理解、気づけば不気味なほどに体になじんでいる体術や剣術。
そして、内に巣食う者たちから絶えず向けられる視線と呼び声。
どれ程不快で、苦痛であったか―――――。
ふと、レオの内に気づきが生まれた。
リュナはこちらを批判がしたいのではないと、むしろこれは、先達としての助言か―――――。
「だが、人は何もしなくても人は乾き、腹を減らし、いずれは疲れて休息を求める。結局は己の意味を理解出来ずとも動き続けるしか無かった」
そうだ、最初に死に損なった時に己を動かした原動力もそれだった。
乏しい物資、支援の期待できない状況、周囲に存在する敵対的な変異生命体。
呆然自失としている暇など無かった。
そして、その末が今だ。
人の形すら、失った。
それでもまだ、生きてしまっている。
「半世紀近く、私は彷徨った。時に生き残った地上の民の側に身を寄せたこともあるが、長くは続かなかった。彼等と私は生物として違い過ぎた。彼等はすぐに老い、死んでいく。老いず、若いままの私は恐れられ、結局はすぐ一人になった」
他者と共にあろうとも、距離がある感覚をレオは知っている。
人であった時から、そして人から逸脱してからより深く。
相互の友情も、信頼もある。
だが、明確に違うという事を理解した時、決して他人と混じり合う事は出来ないのだという真理をレオは持っていた。
目の前の化け物も、同じだったのだ。
己とリュナ、二人が持つ最も近しく、濃い共通点は絶望。
そして、最も違う点は既にリュナは絶望に折り合いをつけ、レオは未だ絶望の中にいるという事。
だからこそ、レオはリュナを無意識に強く憎悪したのだろう。
理解できぬが故の排斥の感情ではない。
同じ恐怖と苦しみを知っているからこそ、同類だからこそ、同族嫌悪が抑えられなかったのだ。
だが、今ならば分かる。
彼、或いは彼女は自分の少し先を歩んでいるに過ぎないと。
「だが、やがては私は人ならざる者と子を成せた。私は行き止まりではないとようやく実感を持った
時、理解した。呪いも、祈りも、全て願いだ。どちらも相手に身勝手に押し付ける物だ。それを誇りとするか、重荷に感じるかは己次第。故に、私は願いによってこの場に立っている」
身勝手で生み出され、身勝手に願いを押し付けられて、人は生まれ育っていく。
ならば、己もまた身勝手に他人に願いを押し付けて生きて行けば良い。
それがリュナが最終的にたどり着いた結論だったのだろう。
そこで言葉を止めたリュナがおもむろにレオから身を離した。
その顔には既に悲壮感はなく、いつもの自信に満ちた凛々しさが戻っていた。
だが、その体は既に霧散しかけている。
顔と右腕がかろうじて残っているほどに希薄化した姿のまま、リュナは続けた。
「ならばこそ私は呪いとして生まれ、救いとして生きようと決めたのだ」
リュナはレオを指さした。
言外に言っている、お前もここで今決めろと。
苦しみに満ちた始まりと、虚無に至る終末。
その絶望を知った上でなお他者すらも巻き込んで生きると決めた者。
手の届く範囲であるならば、声をかけるし手を伸ばして拾い上げてやるという傲慢。
それがリュナの衝動、生そのものへの執着という解。
苦しむと知りながら、なおもその間違いにしがみつき続けると決めた者の、犠牲者を増やさんという決意の表れであった。
翻り、お前はどうする。
そう暗に問われていることをレオは理解した。
リュナは顔つきの変わったレオに満足する様に一度頷くと、消えかかった右腕で闇を指さした。
「アレが唯一この世に残った正しさだ。だが、お前はその正しさを示されて納得が出来るのか?正しければ従えるのか?それこそが重要だ」
闇の中では今も、先にレオが見た悍ましい生の縮図が繰り返されていた。
レオには二つの道が残された。
輝く月に照らされた、間違った過ちへの道。
そして、暗く濁った正しき道。
「お前の意思で選べ、我らの信奉すべき秩序は星と共に砕け散った。そして、唯一の基準点はお前に甘美なる消滅を囁いている。お前はどの道を選ぶ?」
闇からは今も正しくも、虚無に満ちた真理を語る数多の声が響き渡っている。
ただ、それに身を委ねれば苦しみから即座に解放されるであろう。
正しいが故に、安楽な道がそこにある。
「お前は何者にもなれる。正しさに身を委ね、終わりを作り出す者に。或いは間違いを背負い、新たな苦しみを作り出す者にも成れる」
そして、輝く月が照らす道にはその光を受けて暗い影を背負ったリュナが立っている。
照らされ、己自身すら輝き消滅のさなかにありながら、最も濃い闇の中で紫の瞳が輝いている。
希望を騙る、呪われし者の道。
その選択は、結局の所はより長く続く苦しみへの道。
光を背負う者は、最も深い闇の中にいるのだ。
己が行くのは、闇の道で良い。
間違いで構わない、苦しみこそが生きているという事ならば―――――。
それで己のかつて望んだ物に近づけるならば―――――。
レオは正しき道に背を向け、明るい月が照らす真なる闇の道へと歩み出る。
その一歩をリュナは微笑み、祝福した。
「お前は選んだ。正しさから背を向け、間違いと知りながら、存在し続けるという選択を。それに立ち会えただけで私は満足だ」
人は正しいから生きるのではない。
正しくなくとも生きるのだ。
あらゆる正道の極限は、有機生命体の否定につながる。
真に環境を思いやるならば、真に資源の枯渇を危惧するならば。
簡単な話だ、汚染と消費を行う主体を消し去ってしまえば良い。
だが、最初から明瞭なその解を人間、否、あらゆる知的生命は無視して前進を続けてきた。
そもそも、存在する事が全ての苦しみと間違いの始まりだった。
最初が間違っているのだから、今更過ちを積み重ねたところで何の問題があるのか。
あらゆる徒労と無意味、苦しみと死を積み重ね、傲慢に生を希求してこその生命。
目と背を背けた真理に遂に肩と足を掴まれるその日まで、傲慢に、そして貪欲に己の望む生を真っ当してこその命だ。
リュナがレオに託したのは、先んじて邪道を進む者からの最後の餞別。
それが、レオの内に確かに染み渡った。
「さぁ、邪道を進むが良い。我らは皆、あらゆる死者を踏みしめて進む冒涜者。生きる為にあらゆる命を屠り、貪ってきた殺戮者。我ら生者は積み上げられた死者の山に君臨する暴君なり。だが、決して忘れるな、お前の内にはお前に至るまで繋がれてきた全ての命がお前と共にある事を」
今度こそ、二人はしっかりと手と手を握りしめあった。
これがリュナの目論見だ。
結局は、己の側に引き込むための回りくどい勧誘。
だが、納得して選ぶ事こそが重要だ。
それをリュナは先達として示そうとしたのだろう。
「最後まで見届けたい欲はあるが、それは生きている私がやるだろう。今、この場から消えていく私はお前の内に溶けゆこう。だが、その前に―――――」
不意に掴んでいた腕を強く引っ張られ、レオは前のめりとなる。
そして抱き留められ、柔らかい感触が唇に触れた。
目前にはリュナの顔があった。
「…ッ!」
「ほう、それほど動揺するか。最後に良い意趣返しが出来た。生きている私でも残せぬ傷として永遠に記憶に残すと良い」
唇を奪われた事を理解し、即座に距離を取って狼狽えるレオにリュナは笑って見せる。
そして、それがきっかけとなった様に遂にリュナの体が完全に掻き消え、そしてレオの内への収束していく。
同時に、レオの意識が表層に向けて覚醒へと向かう感覚に包み込まれた。
「さぁ、征こう。生者も死者も共に進む 。それが我らの在り方だ。お前の残りの生に大いなる呪いと祝福があらん事を」
自我の統合が進む中、消えゆくリュナの中には確信があった。
分かっている、いずれ二人は決定的な決裂を迎える。
見ている地平の先が違う以上、決して交わる事はない。
だが、その先に至るまでの僅かばかりの道中、二人の道は重なっているのだ。
その間だけでも共に進めばよい。
片方だけでは得られぬ知見と発展が相互に齎されるだろう。
そのきっかけを作り、消えていくならば満足だ。
正しさなどは必要ない、死ぬ時に満足できていればそれが一番の幸せなのだ。
「向こうの私を失望させるなよ」
その言葉と共にレオの意識は現実世界に帰還した。
「夢…。いや、現実か。どちらでも構わん、今は…」
白昼夢でも見ていたような感覚であった。
眩暈にも似た感覚が、徐々に収まっていく。
明瞭な意識を取り戻すと同時にレオの鼓膜に響いたのは火砲の奏でる砲声であった。
大地を振るわせているであろう、軋む履帯の音。
そして有象無象を薙ぎ払わんと重なる重機関銃の斉射音。
既に情勢が動いている。
今はとにかく動くべきだろう。
「だが、その前に…」
おもむろに、視線が地面に転がる回転式拳銃に向う。
使用者の腕ごと吹き飛ばされてきたらしいそれを残骸から剥ぎ取り、己のこめかみに当てる。
そして、一切の躊躇なく引き金を引いた。
響くのは乾いた撃鉄の音のみ。
不発、或いは残弾切れ。
未だ死には遠いという実感。
だが、今のレオは―――――。
「ふっ、ははッ!それで良い。ここで死ぬ程度ならば何も出来はしない。このぐらいが今の俺には丁度良い」
死に近すぎるが故に拒絶される己の境遇を笑い飛ばし、拳銃を乱暴に投げ捨てる。
地面に落ちた直後、役割を思い出したように弾丸を発射した銃を無視してレオは回収される事無く残された己の得物へと手を伸ばした。
修復された蒼き剣は、なんら抵抗する事無く一度は拒絶した主の元へと収まると同時にその刀身を再び赤く染め上げた。
「さぁ、次は生きている方の奴に会いに行くとするか。どうやら俺は、自由らしいからな」
かつてそうであったようにレオは疑似スラスターを吹かし、戦場へと飛翔する。
最早、恐怖はない。
憂いはない。
生きられる所まで生き、そして死ぬだけだ。
今まさに、レオは死にゆく者から全てを与えらえた。
異形としての生き方、異形としての在り方。
そして、まだ残されていた種の生存と存続の可能性の手段すらも。
その実現の為には、生きている側のリュナが必要だ。
まずは会話の邪魔になる者から片づけてしまおう。
その顔は憑き物が落ちたように晴れやかであり、戦意に満ちていた。
想像以上に遅くなり申し訳ありません、エタりません。
近況報告でも書きましたが、趣味でウォッチングしている世界情勢が奇々怪々すぎてファンタジージャンルで現実に勝てねぇ!と悶々としたり、いよいよ世紀末が来るから準備しないと死ぬぜと色々やってたので遅くなりました。
ある意味では踏ん切りがついた感じなのでまたぼちぼちと書いていきます。
寿命が尽きるまでには頑張って完結させますので今後も気長にお付き合いほどを…
今回の作業とか脳内BGM
R-Type Delta OST - Fate
https://www.youtube.com/watch?v=Mgc_iB6bF9Q&list=RDMgc_iB6bF9Q&start_radio=1
WARHAMMER 40K SONG || "Reverent of Lies" (Goge Vandire - Reign of Blood - Sisters of Battle)
https://www.youtube.com/watch?v=h-Vi3CuFTaY
Shiina Hekiru Original - Proud Of You
https://www.youtube.com/watch?v=L-0cJqZ5WU4&list=RDL-0cJqZ5WU4&start_radio=1




