三十九話、後の祭り
気づけば百話目なので業を詰め込みました
その光景が垣間見えた瞬間、レオは絶叫と共にリュナをつき飛ばした。
白昼夢の如き幻影は消え、意識と感覚が再び現世へと戻ってくる実感はしかし、決して安堵など与えてはくれなかった。
今までの光景、そして今まさに見た物がまぎれもなく真実であるという確信が脳と精神を蝕んでいく。
「なんだ…なんなのだ今のはッ!?こんなふざけた事があって…!」
視界が揺れる。
呼吸が荒れ、思考が乱れる。
否定しようとすればする程に、それが真実であるという不吉な確信が己の内で増していく。
与えられた記憶と教わってきた歴史が交わり、一つの純然たる事実として昇華されて行く。
唯一痛覚が残る頭で血管が脈打つ感覚が鈍く鋭い痛みを生み出し、吐き気がこみあげてくる。
肉体が、心臓がまだ残っていたら思考など許されぬほどに早鐘を打っていただろう。
死んでいるのか生きているのか曖昧な肉体は精神的動揺を齎す要素を排除し、平静さを回復する助力なってレオに冷静な思考を再開させる手助けをする。
地に手と膝をつき、えづく事数回、ようやく呼吸が安定し思考が正常通り巡り始める。
気づけば体が再構築されている。
それにすら気づかぬほどに動転していたか。
まずは問い詰めねばならない。
そうだ、もとはと言えば奴がこれを見せたのだ。
「おい、答えろ。今のは一体——————」
レオが首だけ向けて問うた先でリュナは事切れていた。
先ほどまで強烈な力で頭を締め付けていた腕は力なく地面へと倒れ、体はまるで乱暴に扱われたマネキンの様に不自然な姿勢で転がっている。
致命傷を受けて尚も血色の良かった肌は土気色に代わり、輝いていた紫の瞳に最早光は無い。
当然だ、血を吸い尽くせばどんな化け物でも死ぬ。
殺した。
勝利した。
先祖の遺恨を晴らし、この星に残った最後の敵を滅ぼした。
だというのに——————。
「なぜ笑って死んでいる…!」
生気を失ったリュナの顔はしかし、満足げに微笑んでさえいるようであった。
まるで自分の策が成功した様に。
レオの胸中に浮かんだ感情は恥辱と怒りであった。
全て、この男女の掌の上だったのだ。
遠方では未だ散発的な銃声と砲声が続いており、まだ抵抗が続いている事が伺える。
まだ、戦況の立て直しは可能だ。
ここでこいつの首を刎ねて戦場に持っていけばそれだけで敵の士気は崩壊するだろう。
しかし、冷静であろうとする理性とは裏腹に感情がそれを許さない。
あんな光景を見させられて、あんな情報を直接頭の中に送り込まれて、なんの問答もせずに一人だけ勝手に死ぬなどという身勝手を許してはならない。
そんな混濁しつつも脅迫的な感情がレオから冷静さを奪っていく。
少なくとも、この感情を処理するまでは最早、戦えそうにない。
「ふざけるな!貴様、逃げるつもりかッ!」
勝利を譲られた。
こちらの手の内など理解した上であえて、手を差し伸べたのだ。
こうなる事を全て分かっていた上で。
この化け物はあえて討たれるを良しとしたのだ、あの様な光景を見せるという為だけに。
許すわけにはいかない、勝ち逃げなどさせはしない。
「今すぐ息を吹き返せッ!俺に説明すべき事が残っている!」
胸に開いた塞がりかけの傷口に手を当て、レオは己を構築する血を流し込む。
人間でも心肺や呼吸が停止しても数分の猶予がある。
心臓を潰されてなお戦闘を継続する人外の化け物が、この短期間の生命活動の停止程度で完全に死ぬ筈が無い。
元より、今体内にあるのはこの化け物の血だ。
輸血の代替としては十分すぎる筈だ。
「起きろッ!今すぐに起きろッ!勝ち逃げなど許さん!」
それ自体が敵の策ですら有るのかも知れないが、最早そんな事はどうでも良い事だった。
己の命と力が流れ出し、意識が再び朦朧とする中でもレオは一切の躊躇なく奪った分だけの血をリュナへと押し戻していく。
だが、呼吸は再開しない。
心臓が動いていない。
生き返らない。
「…ッ!?やむを得ん…ッ!」
傷口を抑え込んだまま、レオが試みたのは殆ど使う見込みがないにも関わらず故郷で叩き込まれた蘇
生術であった。
そもそも主心臓を破壊され、副心臓の位置すら判明していないが、とにかく圧迫を繰り返す。
そして、覚悟を決めたように嫌悪に満ちた顔でリュナの唇に己の唇を押し当て、人工呼吸を試みる。
人を救うべき術で人の敵を救うなど、裏切りにも等しい行いだ。
だが、今回ばかりはより大きな懸念事項がある。
レオは人としての矜持と良心を投げうって幾度も蘇生を試み、そして——————。
「ご…ッ!がば…ッ!」
虚無へと飛び去ろうとしていた一つの魂を無理矢理に現世へと引き戻した。
咳込みながら体をのけぞらせ、大きく息を吸い、リュナは己が未だに生存している事を理解すると不自然な姿勢を正して大の字になって地面へと寝そべった。
「なるほど、これが死か…。良い経験になったな」
息を吹き返して早々、クックッと体を揺らしてリュナが笑う。
衰弱してなお饒舌なリュナを見てレオは徒労感に満ちた溜息を吐きながら地べたに胡坐をかいて座り込む。
殺し合う気勢など最早無く、レオは好奇の視線で見つめてくるリュナとしばしの間、睨み合う。
「それで?人の事を殺したり、生き返らせたり、急に黙り込んだりと忙しい男だな?お前は勝者だ、望む物を与えよう」
「……ならば答えろ、先ほどの意味不明な光景は何だ?」
「既に答えはお前に渡したのだが、まあそうだな。情報だけ渡されても持て余すというのもか。私もかつてはそうであった事であるしね」
リュナは億劫そうに起き上がり、レオの対面にて同じく胡坐をかいて座り込む。
汚染された砂塵が舞い、銃声が響き渡る戦場には不釣り合いとも言うべき剣を交えぬ対決が始まった。
それまでの好奇の相が消え去ったリュナは呼吸を整えながら真剣な表情で答える。
「……アレはただの記憶だ。私が継承した我が種族の、祖先の、父の記憶だ。すなわち、全ては——————」
既に起こった後の事——————。
その言葉を受け、先の光景が嘘偽りのない真実であるという予感がレオの中で確固たるものとして形作られて行く。
リュナは値踏みでするかの如く、試す様にレオへと鋭い視線を向けてくる。
最早、逃げ場など無いと言わんばかりに。
「……だというならば。今の世界は、地球は——————」
言葉を発し、会話する事、それ自体が凶事。
その確信があって尚、レオは問う事を止められなかった。
今この瞬間も増え続けていく存在しない筈の記憶と知識を言葉と共に投げ捨てたいとばかりに、根源的恐怖にかられながらも言葉が口からついて出る。
「そうだ。地球は最早、丸くなどない。我々が今、大地と呼び踏みしめている物は無数に砕け散った岩塊の一欠片。太陽を中心に地球の模倣をするが如く周回軌道を続けているだけの歪な平面世界の一つだ」
やはり、植え付けられた記憶に嘘偽りでは無かったか。
リュナの言葉にレオは溜息を一つ吐くと、酷い頭痛にでも襲われたように眉間を右手で抑えながら頭を垂れる。
目を瞑れば先の光景が鮮明に蘇ってくる。
レオがザーンの記憶を通して最後に見た物、それは人類側の鹵獲飛行戦艦が空間門へと投入し、内蔵していた『ゲートバスター』が起動した後の光景であった。
それは人類で初めてのエーテル物質の性質と特性を理解し、地球空間内での安定的な封じ込め技術とエーテル物理学の基礎理論を構築し、数多のエーテル由来兵器の原型を作り上げた天才。
ナイデス・J・ヴァイヤーがこの世に送り出した最後にして最高の傑作。
来訪者のエーテルを介した空間操作能力から着想を得、エーテル含有空間において時空連続体に歪みを作り出し、あらゆる存在を文字通り空間ごと捩じり切るという禁断の決戦兵器。
完成してさえいれば、指向性熱核兵器を超える来訪者に対する明確な優位性を獲得出来たであろう真の大量破壊兵器。
理論上はエーテル含有空間でのみ起きる筈であった歪みは、未完成のままに投じられたが故か人類側の想定を上回る破壊を引き起こし、空間門だけに飽き足らず大地を割り、地殻を砕き、最後には地球そのものを粉砕したのだ。
己を刺したアーネストともども、砕けた大地の一つに乗ったままに上空へと弾き出されたザーンが垣間見たのは今まさに球形であった地球が無数の岩塊となって砕け散る瞬間であった。
そしてザーンは引き戻す様に発生した重力異常によって、かつて地表の一つであった岩塊と共に引き戻され、周囲に残っていた宇宙艦隊の残骸や通信衛星ともどもに地上へと燃え落ちていったのだ。
そして、真実を目撃した人類と異世界の英雄はその後も互いの私情と信念から砕けゆく世界の上で戦い続けたのであるが——————。
今この瞬間において、レオ自身の知る記憶はそこで途絶えている。
その光景をそれ以上直視続ける事を拒絶したが故に。
ただ、地球が砕けただけならばまだマシだったという更なる事実への絶望が故に。
レオがザーンから読み取った記憶、その最後に見た光景。
それは大地が割れ、星が砕け散った後に隆起した地殻と共に現れた言語化する事すらも忌避すべき物体。
全ての人間が理解はおろか、知覚する事すらも憚れる、『何か』。
本来存在するはずの溶解したマントルやコアの代わりに噴き出した黒き血飛沫。
その根源たる暗黒、巨大で球形の無数の口と唇を持つ生きながらに腐り、死にながらに胎動する名状しがたき肉塊。
卵のようであり、臓器のようであり、おおよそあらゆる生物と類似しない生物として認めてはならない形状の存在。
戒めから解放された死せる神があげた歓喜の叫びであった。
あれが、あれこそが人の——————。
「ふふ…。は、はは…。はははははッ!」
レオの口から漏れ出たのは乾いた笑い声であった。
最初は静かだったそれは次第に勢いを増し、今や大口を開けた狂笑へと代わっている。
眉間を抑えていた手は今や顔の上半分を覆うように置かれ、下を向いていた頭は天を見上げる様に上向いていく。
泣いているのか、笑っているのか。
最早己にすら分かりはしなかった。
その有様をリュナは静かに黙り込み、見守るのみ。
まるで、かつて同じ者を見たことがあるかの様に。
「滑稽なもんだな!先祖の奮戦もッ!故郷と同胞たちの使命もッ!俺が抱いていた夢もッ!戦友たちの犠牲と献身もッ!全ては無意味な妄想と徒労に過ぎなかったという事かッ!」
まるで悪意に満ちた出来の悪い醜悪な群像劇でも見た後の様な嘲笑。
しかして、その向かう先は今までの己の行動に対して。
「俺は何を舞い上がっていたんだッ!先祖の遺恨?倒すべき敵?取り戻すべき世界?そんなもの…そんな物は最初から在りはしなかった…ッ!」
感情に任せ、レオはやり場のない怒りのままに地面に拳を打ち付ける。
強化された肉体が繰り出す強烈な一撃は砂利を砕き、肘まで地面に埋まりこみ。
人の身ではおおよそ不可能な力をもつに至ってなお、その結末は虚無。
破壊と殺戮を行う能力が幾ら向上しようとも、世界一つ直せやしないのだから。
地球はとうの昔に滅んでいた。
最早何を成そうとも、人が人として生きられた世界を取り戻すことなど不可能だったのだ。
「俺が…。いや、俺たちが守り続けて来た営みは全て無意味なままごとに過ぎなかった…」
最初から未来などありはしなかった。
外敵と戦い、死んでいった幾百万もの兵士たちの犠牲は無意味だった。
地下シェルターを建築して地獄のような空間異常災害を生き延び、ここまで人類が存続させた箱庭計画初期世代の奮闘は無駄だった。
閉塞した地下環境において資源を切り詰め、旧来の倫理や禁忌を捨ててあらゆる生存の試みを模索し、存続の為に進んできた先人たちの行動に意味など無かった。
地上に再び進出し、人類の領域を取り戻さんと投じられたあらゆる資源と犠牲、奮闘は無意味だった。
顧みるに、死に損なった後にせめて後続の同胞たちの為に少しでも異形どもを狩ろうとした己のこれまでのあらゆる行いもまた、ただの無益な空回りに過ぎなかったのだ。
ここに至るまでに人類が歩んできた道筋と歴史の全てが無意味な徒労に過ぎなかった。
地球が元通りに戻る事など永遠にあり得ない。
よしんば直す手段があったとて、あんな物が地の底にいたのであっては——————。
最早、何もかもを信じる事も出来ない。
己の感情も、思考も、流れ込んできた記憶すらも信じたくもない。
今この瞬間、己が確かに感じている大気や重力すらも偽りだったのだから。
「だが、我らが祖が己の身を犠牲に亀裂を抑え込まねばこの程度では済まなかったであろうな。人類の兵器は完璧に『機能』していたが故に」
「……なんだと?」
「ゲートバスタ―は『閉じる』為ではなく、『開ける』為の物だった。二つの世界を融合させる為の、『彼の者』が再び自由に世界へと羽ばたく為に必要な物だった」
再び、レオの脳裏で電流が走ったかのような衝撃が訪れた。
そんな情報は与えられた記憶には存在しない。
ザーンの物ではなく、そしてリュナの物でもない。
この女は誰の記憶を口から出しているのか。
だというのに、その言葉が確信めいた妙な納得感を苦痛と共に湧き上がらせてくる。
疑問はすぐに新たな情報の洪水に飲み込まれ、消えていく。
耐えがたい程の吐き気と頭痛に頭を抱え、レオは体を丸めてうずくまる。
リュナが言葉を発する毎に、次々と様々な記憶が映像と共にフラッシュバックし、点と点を結ぶように与えられた記憶と教わってきた知識が結びつき、一つの確固たる形へと置き換わっていく。
これまでのリュナの言葉に偽りがない事は、同じ知識と記憶を血液を介して得ているが故に否定のしようが無い。
だと言うならば——————。
「俺たちは、ARKは…。いや、人類の歴史そのものが、あの化け物を蘇らせる為だけに、作られて来たというのか…?」
全ての行いが無駄では無かったとしたら?
それはより悪い最悪としか形容できない可能性への思考の分岐。
一体どこからだ、何がどこから代わり、世界はかくもおかしくなったのだ。
痛みと不快感を伴いながら、これまでの記憶と記録がパズルめいてレオの脳内で組み合わさっていく。
開戦初期、陸軍と空軍、海兵隊全軍並びに、空母艦載機を含む海軍航空隊すらも投じてなおも失敗に終わったロスアラモス奪還作戦。
そして、東進する来訪者野戦軍を迎え撃つべく残存アメリカ軍を基点に予備役を招集し、欧州連合も参加したオクラホマ防衛戦におけるアメリカ・NATO軍の壊滅と全面潰走。
挽回不可能な敗北を喫し、戦術・戦略核兵器の飽和攻撃による空間門破砕にも失敗し、本土防衛戦に敗北したアメリカ合衆国が西側陣営全体と共に崩壊していく最中に突如として現れた天才科学者ナイデス。
彼が齎したエーテル物理学理論は救いと同時に破滅をも創造してみせた。
だが、そこに至るまで戦争を継続し、戦線を維持し、星を滅ぼしたのは他ならぬ人類自身だ。
数十年の時を経たとはいえ、絶望的な技術差があった異世界からの侵略者と最終的に互角になるほどまでに強化され続けた人類の軍事技術と長期化する戦争を支えた全世界規模での総力戦体制。
エーテルの兵器転用による逆転の目が出た途端に中露を基軸に発足されたユーラシア防衛条約機構軍。
先進国、途上国、そして東西陣営諸国の垣根を超え、北米での封じ込めを目的とした対来訪者統一戦線の発足。
平和主義は鳴りを潜め、人類は最後の一人に至るまで侵略者と戦うと決意し、国連での徹底抗戦の議決に世界中が喝采を挙げたのだ。
その過剰なまでの戦争への適応を生み出してきたのは、他ならぬ同族同士での終わりなき戦争を繰り返してきた人類という種の歴史の積み重ねが故。
であるならば、いつから人類はこの様な世界に至る様に調律され、操作されてきたのだろうか。
星の核にあんなものを仕込む技術はいついかなる時代の人類も保持しえないと断言できる。
決戦兵器が完成するまでの間、戦線を維持し続ける様に仕向けられた人類諸国家。
意図的に世界を破壊した戦争技術の粋たる空間破壊兵器。
砕けた星の地殻から出現した数多の口を持つ黒き肉塊。
崩壊する地球を、それでもなお生物が生存できる環境に無理矢理抑え込んだエーテル由来の空間異常アノマリー。
その真の根源たるは、未だ地殻の代わりに砕けた大地群の中心点に座する死せる神。
代償にまき散らされたエーテルを含み、致死性の大気が満ちた世界となった地上。
まるでそれを見越したように作り上げられた無数の人類存続の為の地下シェルター群。
死を免れぬはずの汚染を耐え、人から逸脱して生き残った地上人たち。
その中でも重度の汚染を受けて急激に肉体と精神の変異を遂げる悪魔憑き。
変異すると共に相まみえる事となる、あの暗黒の中に浮かぶ無数の唇たち。
決して拒む事など出来ないのだと絶望した、スーラが言う所の、『人の神』。
『喰らい、至れ』という拒絶して尚も脳裏に幾重にも重なり響き続ける神の声。
致死性を持つエーテルに晒され、肉体が変じてようやくその存在を知覚し、声を聴くようになったという事実。
唯人であった時には気配すらも微塵とも感じなかったソレが指し示すのは。
「世界を壊し、しかし人を人のまま生かしたのはまだ足りない物があったから…?」
考えてみれば、おかしい事は幾らでもあった。
たとえば、死してなお動き続ける屍者たち。
数十億の人間が空間災害とそれに続いたエーテル汚染で死んだ以上、本来の理屈ならば地上は屍者の楽園になっていなければおかしい。
それがないのは、全て岩盤から転げ落ち、神に身を委ねて血肉となったからではないのか。
大いに喰らい、貪ったであろう。
あの肉塊が復活するだけの燃料は既に投じられているのではないのか。
それでもなお動かないのは、エンジンが動いていないからではないのか。
既に正気と狂気の境界は崩れ、レオの中に確信めいたビジョンと答えが作り上げられていく。
これは妄想なのか、真実なのか。
「……あの死せる神を蘇らせる最後のピース。エンジン、或いは心臓を作り出す為に、人を悪魔憑きへと変化させ、そして直接その適性を見ていた…?」
死にながらに、生きている。
生きているのに、死んでいる。
そうした特性の存在であるならば、再び活動を再開する為に生命ある機動コアを必要としてもおかしくはない。
地下シェルターに籠る人間たちが残されたのも、その為であったのだろう。
資源が枯渇すれば遅かれ早かれ地上へと戻るしかなくなり、汚染に絡め捕られ、いずれ適性を持つ誰かが見つかるという目論見の元で。
そして、それが自分だったのだ。
自分こそが、災厄だったのだ。
「人類は、自らが生きる為の戦いを続ける中で、封印されていた最も忌まわしき存在を解き放ってしまったのか…。地球は生命の揺り籠などではなく——————」
地球は蒼き緑の惑星、そんな欺瞞は最早この世界には存在しない。
エーテルが揮発するその性質それ自体が全ての真実への鍵であったのだ。
地球とは——————。
「あの醜悪なる神を閉じ込める、岩石で出来た檻でしかなかったのか——————!」
であるならば、来訪者とは——————。
大気にエーテルが存在せず到達不能であろう空間に突如として現れた異世界よりの来訪者たち。
彼等は本当に自らの意思で到来したのだろうか。
人類にとってはその遭遇は敵対的ファーストコンタクトでしかなかったが、彼等にとってもそれは同じ事だったのではないか。
彼等は明らかに不利な環境下でありながら、空間門という超構造物すらも持ち込み、呪われし者という蔑称の下にあくまでも人類の根絶に拘った。
今、彼等の認識と思想がリュナの血を介して流入しているからこそ全体像が分かる。
分かってしまう——————。
種としての終わりなき成長と進化の為に侵略こそすれど、世界や他種そのものは滅ぼさず混血による同化を繰り返す彼らがただただ滅ぼす事だけに拘ったのが人類という種であった。
エーテルすらない不毛な土地など彼らは好き好んで開拓などしない。
エーテルなど、他の世界にはあり触れた物質でしかないからだ。
この世界、そして人類がそれほどまでに看過できぬ存在であったという事。
あの神が存在し、それを復活させうる要因となりうる者たちがいたから——————。
すなわち、彼等こそが善であり——————。
「……人類は、お前たちによって滅ぼされるべき存在だったのか」
解は、全て導き出された。
「終わりだ、全てはもう終わった後でしかない——————」
人の歩みはその始まりから闇であり、遂に終わりの時を迎えのだ。
「だが、まだ終わりの時ではないぞ肉体よ。あの神はまだ蘇っていない。お前たちの信じる無数の神話に数多ある終末の予言の成就にはまだ遠い」
その場にそぐわぬ声がレオの鼓膜を刺激し、思考が中断される。
聞き覚えがあり、だが同時におかしさを覚える声。
「地の底で命無き機械から生まれた、生きながらに生命の在り方から逸脱した最も死と虚無に近い魂を持つ肉体よ。お前は無知が故に自らの意思でもって己の神の願いを跳ねのけた。故に世界はまだ終わってなどいない。まだ猶予は幾らかはある」
邪神スーラの声とリュナの声が混じり合っている様な違和感。
不穏な気配にレオは衝動的に顔を下げ、リュナを見据える。
満身創痍であったはずのリュナは、輝いていた。
「遂に、我は望む器との合一を果たした。長い時をかけ、随分と回り道をした末に遂にここにたどり着いた」
「そうか、これが祖の力と記憶。散逸して尚これほどの…。私は種族の始まりと一つになったのだな…」
「そうだ、我が子よ。これは終わりではなく、新たな始まりに過ぎない」
一つの口から二つの意思が交互に言葉を交わし合う。
紫であったはずの瞳は金色に煌めき、未だ癒えきっていない大穴の如き胸の傷からは光が溢れ出し、急速に損傷を癒していく光景にレオの目が大きく見開かれる。
瞬間、レオは己の内にあった不快な存在が消え去っていることを理解する。
「ここだ、ここに彼がいる」
リュナは目を瞑り、抱きしめる様に己の胸に開いた傷跡に両腕を近づけ、右手を添える。
肘から先を失っていなければ、左手もそこにあったかもしれない。
まるで愛しい子を優しく抱きしめる様であった。
レオの内にあった邪神スーラが、レオが輸血した際にそのままリュナへと流れ込んだのだ。
考えてみればある意味で当然の帰着ではある。
あの邪神は、最初から新しい宿主へ乗り換えるつもりでいたのだから。
「…ッ!」
あの邪神望んでいた事を、自らの短慮で成功させてしまうなど——————!
レオは咄嗟にリュナの右腕を向け、掌を開く。
即座に内部に格納された前装式銃身がせり出し——————。
「それで良いのか?」
レオの行動を止めたのは短く発されたリュナの一言であった。
目すらも開くことなく発せられた一言はまるで、レオの一挙手一投足すらも読み切っているかの如くだ。
途端、レオの胸中に巻き起こったのは混乱。
すぐに殺すべきなのか、情報を精査するまで生かすべきなのか。
そもそも自らの失態で強化されたであろうこの化け物を今の自分が殺せるのか。
なぜ自分は衝動的にこいつを生き返らせて——————。
そうだ、先ほど見た光景の真偽を直接確認したかったから——————。
否、真偽ならばはっきりしている。
血を介して得た知識が全て真実であると既に己の内で既に理解してしまっている。
会話は十分に為された、十分な程の理解に至っている。
ならば、最早戦う意味などありはしない。
既に全ては終わってしまった後の事なのだ。
どちらが勝とうと負けようと、殺そうが殺されようが、世界に何の変化も齎さない。
そうであるのに、なぜ己は奴に銃を向けている——————。
レオはリュナを見据え、仕込み銃を向け、しかし既にリュナの事を視界に捉えていなかった。
既に限界を迎えつつある精神に引っ張られて肉体は小刻み震えて形を損ないつつあり、呼吸は乱れ、正気を失いつつある瞳は動揺で揺れ動いている。
レオが囚われているのは終わりのない堂々巡りの混沌とした思考。
考えすぎるが故に、逆に思考が停止していると言っても良い醜態。
そんなレオを無視する様にリュナはゆっくりと体を動かしていく。
残る右手を掲げ、虚空へと手を伸ばす。
そして、その意思に応えて飛来した今や蒼を取り戻したレオの剣を手中に収める。
「アール、そんなもので殺せると思っているのか?使うべきはこれであろう」
「ッ!?」
思考を中断したレオが再度リュナへ視線を向ければ、いつの間にか蒼き剣を握った戦士の顔に戻った男とも女ともつかない強大な魔がそこにいた。
既に瞳の色は紫に戻り、塞がった胸の傷からは漏れていた輝きは消え去っている。
良いのか?という問いは単に殺傷の手段を問うていただけであったのだ。
目前の存在に既に死の恐怖は存在せず、言葉のみでただまっすぐに命を見据えている事を突きつけてくる。
一切の迷いが無い。
これだけの事を知りながら、生きるという行いになんの疑問も持っていない。
全てを理解し、その上でこの魔はこの様な行いを続けているのだ。
「私を殺すというならば剣を使え、他の物を信用するな」
そう言うとリュナは握っていた剣を解放する。
地面に落ちて然るべきである筈の剣は重力を無視する様に空中に浮遊し、自らが内包するエーテルを推進力として急加速。
そして、未だ右腕を向けているレオのすぐ側を掠めて地面へと突き刺さった。
戦意を失い、錯乱しているレオが反応を示したのは全てが終わってから。
先までの高速戦闘を行った男とは思えぬ程の醜態。
しかし、そんな事など気にする素振りもなくリュナはレオに教え諭す様に続ける。
「銃弾は嘘をつく。エーテルは妨げ、逸らされる。剣だけが命へと確実に届く。殺意を己の手から離すな」
自然、言葉が胸中において腑に落ちていく。
何故、人類のはるか先を行く技術を持っていた来訪者が剣や近接兵器に固執したのか。
その理由の全てがそこにある、戦いの果てに用いる兵器と戦術を最適化されていった先に剣があったのだ。
飛び道具やエーテル操作は対抗手段が数多にあるが故に、決着をつける為に剣がいるのだ。
そこには最後には相手の命を奪うのは己の手で確実に行うべしという覚悟と矜持も含まれているのかもしれない。
ただ一言でそれが理解出来るのは、奴の血を吸ったからであろうか。
これまで漠然と使ってきた能力や技術が確固たる知識体系として根付いていくのが実感できる。
「まだ何も終わってなどいない。選ぶのはお前だ。続けるのはどちらだ?会話か、戦いか」
静かに、しかし強い問いかけに対してレオは言葉ではなく右腕を下ろすことで答えた。
それどころか、肩からは力が抜け、頭は項垂れ、殺意と覇気を失い、風が吹けばそのまま消えてしまいそうな程に弱々しい有様へとレオは変貌していた。
記憶という形を取った膨大な量の知識の流入と、信じてきた全てが虚実であった事から起きた価値観の崩壊。
レオは戦う意味と意思を完全に喪失していた。
兵士の心は苦難程度ではくじけない。
戦う意味、大義を失ったと考えた時に砕けるのだ。
抵抗の意思がない事を理解したリュナはゆっくりと頷き、おもむろに立ち上がる。
「良いだろう、アール。ではまずは停戦するとしよう。これ以上の戦いは無意味、双方得る物が無い」
数歩近づき、先と同じくリュナは再びレオへと手を差し伸べた。
死んだ魚の様に濁ったレオの赤い瞳が見上げた先にあるのは、生気に満ちた輝く紫の瞳だった。
騙し討ちをされなお、死にかけてなお、他者に期待する心を失わぬ屈強な精神。
百年近い時間、この記憶を保持し続けてなお壊れない強靭な魂。
生きる事を諦めていない、誰にも縛られぬ戦士の相がそこにはあった。
その者の在り方は確かに、名前の通り、闇の中で輝く月の如く。
命令されるだけの兵士として生きて来た己とは役者が違う。
最初から、勝てる相手では無かったのだ。
「立てるか?会話するならばこんな地べたではなく、まともな場所で飽きるまでとことん語り明かそうではないか。資源が厳しいとはいえ、茶ぐらいは出せるだろう?」
「あ、ああ…。そうだな——————」
もうどうにでも成れば良い。
半ば自棄であった。
優しく微笑みながら語り掛けてくるリュナの手を握り返そうと腕を伸ばした刹那——————。
唐突にリュナの頭部を一発の弾丸が撃ち抜いた。
リュナが常時展開している魔導防壁が貫徹される硬質な金属の激突音の様な絶叫と共に飛び散った蒼い血がレオの顔を染める。
銃声は全てが終わった後に、遅れて響き渡った。
響いた音は二つ。
一つはリュナを狙い、当たった。
そして、もう一発はレオを狙い、肉体を維持する為に常時展開している斥力で逸らされて外れたのだった。
レオの精神の衰弱によって内に向くべき斥力すらも指向性を失い、ブレていたが故に。
レオの耳に届くべき風切り音は防壁が砕ける音にかき消されていた。
最早まともに防壁も展開していない状態であるからにはリュナと同じく命中していれば絶命したであろう。
ここに及んでも呪われたようにツイている。
「あ…ッ?」
呆けた声を上げたレオの眼前で頭部に狙撃を受けたリュナが崩れ——————去らなかった。
一度もつれた脚は、力強く再び大地を踏みしめ、姿勢を維持し、銃弾が飛来したであろう方向へと人差し指が向けられる。
そして——————。
リュナの指が輝くと共に蒼き光の槍が指先より二度、放たれた。
指だけなく瞳が黄金に輝き、体全体がほのかに発光してすらいた。
すなわち、リュナは受け入れた主神の力を十全に行使して反撃を実施したのだ。
夷敵を指弾する陽神の指、人類がエーテルランスと呼び恐れた一撃を彼等の神は剣によらず指一本で行使してみせる。
高純度エーテルの槍が狙撃手への帰り矢となりて放たれ、正確に地に伏せる狙撃手を地形ごと撃ち貫き蒸発させる。
「見ろ、アール。銃弾は嘘つきだ」
「…ッ!」
側頭部に突き刺さった大口径弾を指で摘まんで引きずり出し、握り潰しながらリュナは平然とした表情でレオへと視線を戻した。
狙撃手の生死など気にするそぶりはない。
結果など見ずとも分かるとばかりに。
「12.7mm…いや、14.5mm重機関銃弾か?単発である事から狙撃、旧時代の対物ライフルを持ち込んだ者がいるようだな」
側頭部から滴り落ちる血を拭うように一度頭に手を滑らせれば、まるで損傷など無かったように出血は止まり、溢れ出ていた血は自ら動いてリュナの手の内に集まっていく。
弾丸はリュナが展開していた個体防壁を貫通し、斥力場を突破し、側頭部から生えた角を折り砕いた。
しかし頭蓋骨を貫くことは出来ず、半ばまで突き刺さった所で停止していたのだ。
「シフが動いたか。我々が潰し合いをやめたと判断したな、悪くはない手並みだ。だが、私の命はここではまだ終わらない」
己の掌に集まった血をリュナは勢いよく握り潰す。
手の内から溢れ出た血が形状を変化しながら氷結し、作り出されるのはかつてデュラが作ったのと同じ氷の剣。
より洗練され、鋭く見えるのは、子よりもその扱いに熟達しているが故。
「アール、まだ何も終わってなどいないさ。例え世界が砕けようと、人は生きて戦い続けるものだ」
リュナの言葉と共に終末の荒野に再び轟音が鳴り響き、濛々とした煙をあげながら多数の不出来なロケット弾が都市に向けて放たれ始める。
「私は戻らねばならない。配下と家族が待っている。その剣はお前に返すとする」
同一の人間で構成された不死の軍団の狙撃による斬首戦術と攻勢準備射撃による同時攻撃。
かつてリュナがシュワンツに示した予見通り、双方が消耗しきった所でとうとう手を出してきたのであった。
戦いは終わらない。
生命の全てが死に絶えるまで、生存の為の争いに終わりなどありはしない。
たとえ一握りの岩盤の上に張り付いた矮小な命であろうとも、死の間際まで生にしがみつき、他者と争い続けるのだ。
「俺は、俺はどうすればいいんだ…?」
「我が名において誓おう。アール、お前はもう自由だ。何をするのか決めるのはお前自身だ」
その言葉を残してリュナは次の戦いに向かうべく大地を強く蹴り、翼を羽ばたかせて飛び立った。
「自由だと…?何が自由だ、俺にはそんなものは必要なかったのに…」
残されたのは悪魔憑き同士の戦闘によって作り出された破壊の爪痕、そして地面に突き刺さる蒼い剣と呆然自失としたレオの姿だけであった。
今回は神話技能とアイデアのダイスロールに成功してPLが発狂してしまった様なお話でした。
なお本作品はファンタジー作品の為、地球平面説(物理)を採用しております。
ようやく本作がファンタジーだという事を公言できるところまで話が進んできているのでこれからも更新を頑張りたい所存です。
こちらは三年ぐらい前に書き殴った作品内での地球についてのクソ画像です。
ほぼ投稿にしか使ってないツイッター側でやった防壁や斥力場防御の仕組みの雑解説がこちらになります
https://x.com/Tentacle_only/status/1976614814307975421
今回の脳内BGM
R-Type Delta OST - Fate
https://www.youtube.com/watch?v=Mgc_iB6bF9Q&list=RDMMMgc_iB6bF9Q&start_radio=1
今回はここまで




