5話:「待った」
「・・・はぁ」
扉の前で、大きく溜息をつく。全く気乗りがしないわけだけど、行けと言われたからには行かねばなるまい。
特別棟一階の廊下の端、扉の上には、『用務員室』と書かれたプレートが掛けられている。
先程職員室に担任を尋ねに行くと、教頭と名乗る人物から、
「1-D?
だったら用務員室にいると思いますよ」
と答えられた。
・・・用務員室にいる教員というのは、一体どういう事だよ。少なくとも俺は聞いたことない。
どうやら、俺達の担任は相当な変わり者らしい。
とにかく、このまま突っ立って相手が出るのを待っていては何時まで掛かるか分からない。そもそも用事があって来ているのに、相手から出るのを待つのは失礼だろう。
何かを言われる覚悟を決めて、コンコン、と二回ノックをする。
「・・・」
・・・扉の向こうからの返事は無い。念の為、もう一度ノックを二回する。
「・・・んぁ?
どちら様で?」
気の抜けた返事と共に、中からドタドタという音が聞こえてくる。
声のトーンからして、どうやら女性のようだ。
「あ、一年D組のアイサカですけど」
「アイサカ?
・・・あぁ。そういえばそんな名前が名簿にあったな・・・。欠席じゃないのか?」
今度は、何かを探す音がガサゴソと聞こえてきた。
・・・用務員室にしては、やけに散らかっているみたいだ。
「いやそれが・・・」
それよりどう説明したものか。欠席は確実に付けられているだろうし、取り消してもらうことは難しいはず。
入学初日から欠席なんて、どう捉えても問題児としか思われないだろう。
「・・・まぁいいや、とりあえず入ってこい」
「では、失礼します」
入室の許可を貰ったので、一言かけて用務員室のドアを開ける。
「くs・・・?!」
一瞬、ドアを咄嗟に閉めようとした。ドアを開けたと同時に、嗅いだことのないような異臭がしたからだ。
「おう、ちょいとそこ座れ」
驚くことに、中は用務員室と呼べるような部屋ではなく、ただの1Kの小さなアパートの一室のようだった。
とは言っても、一応『用務員室』としての役割は最低限果たしているのか、通り道の端にはモップやら清掃用の小道具やらが、所狭しと乱雑に置かれていた。
「お邪魔します」
ここまで来ると最早、家と呼べるだろう。部屋の中に入ると、部屋のフローリング全体を覆うカーペットの上に、小さな丸いテーブルにベッド、クローゼットに勉強机まで設置されている。
・・・机の上がとてつもなく散らかっているのは、執務のせいだと思いたい。
用務員室は一種の居住スペースみたいなものと聞いたことはあるが、どこの学校もこんな感じなのだろうか。
「失礼します」
掛けろ、と言われたので、言葉通りにカーペットの上に正座する。
臭いのう、なるべく居たくないのう。
目の前の女性は、―ロングの赤髪をボサボサにして、黒のタンクトップにショートパンツを着けた眼鏡の女性。
外見は若く見えないこともないが、目の隈とかを見ていると、どこか三十路越えを思わせるような女性である。―出席簿を目を細めながら凝視して、俺の出席番号に赤マルを付ける。
一体なんの為の眼鏡なんですかねぇ・・・。
「んで、今日はどうして欠席した?」
「・・・それが・・・」
―――事情説明を終える。
「はぁ。
そんで一応の報告の為にわざわざ足を運んだ、と」
「はい」
一通り説明を聞いた担任は、「ふぅ」と一息置いてから、机の上に置いてあった水筒からコップに水を注ぎ、それを一気に飲み干す。
―それからしばらく、担任は目を閉じたままで何も言わない。
そして、「よし」と呟いてから話を切り出した。
「まずは自己紹介からしようじゃないか。
私の名前はミーナ・モニア。お前が所属する『1-D』担任、兼業でこの学園の用務員だ」
兼業で用務員って・・・。
公務員が兼業するのは法律違反だろ普通。・・・でも、確か改正で認められたんだっけか?
どっちにしろ、この世界では関係ない事か。
「出席番号二番、ユウマ・アイサカです」
「どこの出身だ?」
どこの出身、と聞かれても。まさか「転生してきました」なんて言うわけにもいかない。
かと言って、この世界の地理は全く知らないんだけど・・・。
「東の国からです」
一応、日本は極東と呼ばれることもある。この答え方なら、嘘をついていることにはならないし、詳しく聞かれることが無ければバレる心配も無いはず。
ここより東に国があれば、の話だけどな。
「ふむ、ダースコル国か・・・。
留学で来たのか?」
「はい。両親が冒険家なので、俺も戦闘の勉強をするために来ました」
と答えてから、凄く後悔した。
なんで不明瞭な部分まで無駄に喋る必要があるんですかねアイサカさん?それっぽく適当な単語並べてるけど、この世界に戦闘とか無かったら終わりゾ。
「両親に追いつくため、ねぇ」
俺の発言を気に留める様子も無く、モニア担任は頭の後ろに手を組む。
良かった、特に変な発言をしたわけじゃないらしい。
「・・・まぁ分かった、これからよろしく頼む。
んで、確か欠席を取り消して貰いたかったんだったか?」
「はい」
「結論から言おう。却下だ。
私だって教職員なのでな、事実を隠蔽するわけにはいかん」
まぁだよね。俺もそんな感じになるんじゃないかな、と思ってた。
「分かりました、では失礼しました」
こちらの用事は済んだし、これ以上お邪魔するのも迷惑だろう。
そう思って席を立とうとしたその時。
「あー待て、一応連絡事項と渡すプリントも何枚かある」
俺より先に担任が立ち上がり、机の引き出しからクリアファイルを取り出す。
プリントが何枚も挟まれているクリアファイルを、指でパラパラと捲りながら何枚かの紙を取り出していく。
「ほれ、カリキュラムと諸連絡のプリントだ。
んで、明日から普通授業、学生寮利用申請書の提出は25日までに提出するように」
渡されたプリントは、時間割表と『学生寮 利用申請書』と書かれた申込書、それと学園の規律とか小難しいことが書かれたプリントが二枚。
渡し終えた担任はしっしっと、邪魔者を退けるような手仕草でこちらに退出を促す。
この担任、人の事を何だと思ってんだ・・・。
「それでは、失礼しました」
用務員のドアを開けて、最後に一言言って静かにドアを閉める直前。
「・・・モニア先生、部屋は片付けた方がいいですよ」
それだけを、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いてから、異臭の根源を絶った。
さて、用事も終わったし帰るか。
ついでに商店街で何か買って行こう。
そうして俺は帰路に就くことにした。
―――
「毎度あり」
商店街の本屋にて、俺は昨日買い損ねた教材や、興味を惹かれた本などを一通り揃えて店を出た。
『魔術入門書 属性編』、『闘う者達』、『シュバルツ旅行記』、他は学校で使う教材だ。
どっかの金髪の戦士が戦いそうなタイトルの小説があるが、あっちとは関係ないだろう。
他にも面白そうなタイトルの本が沢山あったが、金を無駄遣いしたくないし、荷物量が多くなってしまうのでまたの機会に。
本を選んでいる最中に気づいたことだが、同じ本が沢山売られていることから、この世界には印刷技術があるということが分かった。
というより、前世にあったような生活基準を満たすようなものは一通り普及化されているようだ。
例えば、人間の生活に必要不可欠と言われる“電力”。
商店街では余り見かけることは少ないが、ネオンの看板なども目にすることが出来る。
今までと変わらない生活が出来る、というのはとても安心出来ることだ。これで「明かりはロウソクです」とか、「料理は直火焼きです」なんて言われたら、不便極まりないからな。
というより、電気に関しては家の内装で既に分かっていたことだが、ここが異世界だということを失念しており、今までの生活に慣れすぎていた事を実感する。
だって、普通に原始時代レベルの暮らしをさせられてもおかしくない訳だからね。文明の発展は大きいんだな、としみじみ感じた。
そんな事より、今は手荷物の問題だ。
重すぎる。とても重すぎる。
当然と言えば当然か。横幅の狭い本棚が一列分ぐらいは埋まる量の本を、一気に手にしているんだ。むしろ、この重さに耐える紙袋の耐久性に驚くくらいだ。
うんうん唸りながら、時には休みつつ、商店街の出口を目指していると。
「す、スリだ!!誰か捕まえてくれ!!」
という大声が商店街の通りに響き渡る。
・・・スリはしないんじゃなかったのか?
と内心思ったが、そういえば「もう盗みはしません」なんて一言も書いてなかったな。
あのクソガキ、まだ懲りずに盗みを働いてんのか・・・。
後ろ側から聞こえた声に振り向いて、スリの実行犯を視界に捉える。
フードを被った小柄な少年は、目にも止まらぬ速さで駆け抜けていくが、夜の商店街という事もあって人混みもそこそこ多い。昼と比べると若干動きが鈍い。
この程度なら、俺でも捉えられる。
「どけっ!!」
少年はそう言って、通り道を塞ぐ俺を無理やり押し倒そうとする。
しかし状況が悪かったな少年。今の俺は無駄に重い本を抱え込んでいるのだよ。
「ふんすっ!!」
と右腕に力を込め、周りの人混みに極力迷惑が掛からないように、本が入った紙袋を軽く振り回す。
「っ!」
咄嗟の行動に不意を付かれた少年は、全速力だった事もあり、右足に紙袋を引っ掛け、俺にぶつかる形でバランスを崩す。
「え、ちょ」
俺にぶつかる事は想定内だったが、この勢いは想定外だった。
勢いを受け止めることが出来ないまま、俺と少年は後ろに倒れ込む。
「痛ァ?!」
紙袋を掴む手を放して、頭がぶつからないギリギリで体勢を保つ。
危ない。頭部強打でお陀仏なんて勘弁してくれ。
「テメェ!財布返せ!!」
と、後からやって来た男性が、フードが取れて顕になった少年の髪を鷲掴みにする。
赤髪をショートに揃え、若干のウェーブが掛かった髪の毛は、男性の手によって一気に形を崩す。
こいつ、女だったのか・・・。
「痛い痛い!やめろ、離せよ!」
少年、もとい少女は必死に手足をばたつかせて抵抗するが、一般男性の力に少女の力では敵う訳もなく、男性
少女の髪を掴んだまま、どこかへと引きずり込もうとしている。
「ここ最近のスリの犯人はお前だろ!衛兵に引き渡してやる!」
衛兵という単語を聞いた途端、それまで反抗的だった少女の顔が一気に青ざめる。
「・・・そ、それだけは」
歳もそこまでいってなさそうだし、やはり衛兵のお世話になるのは怖いんだろう。
だが、少女ははこれまでに何度も盗みをしてきたようだし、最早イタズラで済まされる話ではない。
ここは大人しくムショ行きになってもらおう。
と、日本在住の俺ならそう言っていた。
「待った」
と、少女を引きずる男性に一声掛ける。
「あ?・・・何だよ、君」
―――後から振り返れば、この時の俺は異世界転生した事によって、自分が主人公だ、自分が言えば何とでもなる、とでも思い込んでいたんだろう。
だが、言い出してしまった事はもう取り消せない。不機嫌そうな男性に、続けて言葉を紡ぐ。
「そいつは俺の連れなんだ、どうか見逃してやってくれないか?」
痛む腰をどうにか動かして、立ち上がりながら男性の近くに寄る。
そして、少女の髪を握っていない方の手に、金貨を握らせる。
「!?
ど、どこの貴族だ・・・?」
貴族なんて大層なもんじゃないが、相手がそう思い込んでくれるならむしろ好都合だ。
お偉いさんを相手に、論争をしようとする人間なんていないだろうからね。少なくとも俺はビビって喋れないね。
「身内が邪魔して悪かったね。
・・・ほら、行くぞ」
放心した男性から解放された少女の腕を取って、ついでに散らばった書物も急いで纏めて、その場をすぐに離れる。
「な、待てよ!」
後ろから男性の静止を呼び掛ける声が聞こえるが気にしない。
一直線に、少女を連れて商店街の人混みを掻き分けていく。
一瞬、制服で身元がバレるかも、なんて考えが頭をよぎったが、商店街という場が幸いして、今の俺は肌着一丁だ。
学校のズボンなんてどこも似たようなものが多いだろうし、さすがにそれだけでバレる事は無いはず。
少女を連れた俺は、どこか適当な店に入って追ってくる男性をやり過ごすことにした。