「ようこそ天国へ」
――卒業式。
人生のターニングポイントともいえるその行事は、その人個人個人によって様々な思い入れがあるものだろう。
同窓生との別れ、教師への感謝、母校からの旅立ち――。人の数だけの想いがあるものだ。
もちろん俺も、学校を卒業する時にはそんな感情を少しぐらいは抱かないでもないし、現に今、卒業式に参加している。
“送る側”として、だが。
「ふぉぉ〜わぁぁ〜……」
前列に卒業生が並ぶ中、俺は隣のヤツにも気付かれないであろうレベルの小さな音で、しかし口は大きく開いて欠伸をする。
現在壇上で話している校長には俺の欠伸を見られたかもしれないが、別に呼び出されるわけでもないし、問題ないだろう。
それにしても、なんで二年も卒業式に参加しないといけないんだ。
在校生が見届けるという理由で参加するらしいが、それなら別に一年でもいいだろ。
折角の日曜日なのに、わざわざ出校しないといけないこちらの身にもなってほしいもんだ。
まぁ今の卒業生も経験してきた事ではあるのだが。それにしたって、休日にやることはないだろう。
早く終わんねぇかなぁ。早く帰ってゲームやりてぇ。
今日は俺がやっているMMOの大型アップデートが来る日なんだ。
今の時間はまだメンテ中だが、五時にはそれも解除されて新しい世界が解放される。
色々な新機能が追加されたりするが、俺が一番楽しみにしているのは新武器の追加だ。
新武器をいち早く入手する為には、どのゲームでも課金が手っ取り早い。
この卒業式が終わったら、俺は速攻でコンビニに突入して多額のWebM〇neyを購入し、家でアプデ終了まで全裸待機。これがMMOを最高に楽しむコツだ。
でも最近はまだ肌寒い。さすがに全裸待機はしない方がいいか。夏だったらするけど。
いやぁ、「全裸待機」とか言って本当に全裸待機してる奴って、日本に何人ぐらいいるんだろうね。
現在時刻はまだ十二時半。アプデ解除までにはまだまだ時間があるから、卒業生たちを寛大な心で見送ってやろうではないか。
――そう思って舐めてたら、卒業式が終わったのは三時ぐらいになってしまった。
――――――――――
「ありがとうございました〜」
コンビニ店員のやる気のない挨拶を背に受けて、早足で人混みの中を掻き分ける。
アプデ解除まで後一時間。俺の家に帰るまでノンストップでゆっくり歩いたら約一時間半。
つまり、どこかで必ず走らないといけない。
「五時間も掛かる卒業式ってなんだよ………!」
予想の九十度上で長く続いた卒業式に対して、最早意味の無い愚痴を漏らす。
ここまで遅くなったのは、教頭の学事報告がやたら長かったせいだ。
いつもなら「長いンゴね」なんて言って笑っているが、今日に限っては絶対許さん。「オレハクサムヲムッコロス!!」状態だ。
終わってしまったことに文句を言っても仕方が無い。
今はとりあえず、刻限までに家に帰ることを最優先にしなければ。
と、ここで十字路に時間を取られてしまう。
終わりだ。
ここで躓いてしまったら、時間内に家に帰ることは絶対に出来ない。
ここの信号は、切り替わるまでに五分も掛かる。ただでさえ時間が無いのに、ここで五分も足止めを喰らったら、走っても絶対間に合わない。
絶望。人混みに埋もれながら俺の頭は真っ白になった。
というのも、俺がやっているゲームはネット界でトップまではいかないものの、かなり人気のゲームであり、アップデート後やメンテ後にはサーバー混雑で落ちることもしばしばある。
サーバー強化の為にメンテを行ったにも関わらず、メンテ明けにサーバー混雑で落ちたという、なんの為のメンテか分からないような珍事件もあった。
そういうこともあり、メンテ明けの直後の数分間の内にログインしておかないと、数時間はログイン出来ないと考えた方がいいほど、数分遅れのログインは絶望的である。
「はぁ……」
今日は待機列組か。いつもは優先組だったんだけどな。
まぁしょうがない。大人しく他のゲームをしながら待っておくことにするか。
俺はゲームにどっぷり浸かっているという自覚はあるが、流石に数時間ゲームが出来ないだけで暴走や人様に迷惑を掛けるような人間ではない。
そんな人間だったらまず学校にも行けてないだろうし。
「……ねぇ」
「?」
ツンツンと、俺の背中を押す誰かがいる。
俺の知り合いだろうか。だが俺に知り合いなんて数える程しかいないはずだが。
人混みの方に振り向き、声の主を探す。
声の主はすぐそこにいた。
俺よりも少し身長が小さいぐらいの、カジノのディーラーが着ているようなスーツに可愛らしいスカート、黒のワークキャップを逆に被った、ピンク髪のセミロングが目に付くボーイッシュな女の子だ。
「……どちらさん?」
もちろん、こんな美少女に見覚えは無い。ここまで可愛かったら、絶対に記憶に焼き付くはずだ。
いや、もしかしたらガキンチョの頃の姿が成長してこうなりました、とかありえるかもしれない。
中学に上がった辺りから、付き合いが無くなった同年代の女の子の記憶なら多少ある。確か俺よりも二歳ほど年下だが。
…流石にない。お世辞にもここまで可愛くなかったし、ましてやこの子はピンク髪。俺の親戚は至って普通の黒髪だった。
染めたという可能性も無くはないが、学校に通っているとすれば今頃高一に上がる時期。高校入学を控えた時期にこんな奇抜な格好するわけない。
というわけで、この子は俺の知り合いではなく赤の他人。どうやら人違いをしているようだ。
「人違いですよ」
と少女に教えるが、少女は首を横に振る。
人違いじゃない、というのか?いやでも、俺はこんな子知らねぇぞ。
「君、ゲームは好き?」
「は?」
突然の質問に、俺は一瞬答えを戸惑った。
しかしすぐに、
「もちろん」
と返した。
なんだ?新手の出会い厨か?最近の出会い厨はこんな公の場でも臆せず突撃するのか。勇敢なことで。
「そっか」
と少女が言うと。
俺は少女に突き飛ばされ、道路に飛び出した。
何が起こったのか分からなかった。悲鳴を上げる余裕すら無かった。
当然だ。突き飛ばされて俺が車に轢かれるまでに掛かった時間は、おそらく一秒にも満たないだろう。
要するに、この少女は俺が車に轢かれる丁度ぴったりのタイミングでこの行動に出たのだ。
最初から殺す気満々だったのだろう。
そんな刹那の瞬間の中、俺の頭の中は色々な事が一瞬の内に浮かび上がっては、すぐにその内容に答えを見つけ、そしてまた新たに色々な事が浮かび上がっては解決、を繰り返す。所謂“走馬灯”という奴だ。
家族の事、友人の事、ネトゲ友達の事、ゲームの事、オンライン料金の事、アプデ後のログインの事……。駄目だ、ロクなのが浮かび上がってこねぇ。
そして最後に考えたのは、この少女が何故こんな奇行に及んだのか、ということだ。
真っ先に思いついたのは、ゲームで恨みを買ったかもしれない、ということ。
しかし、俺は人に恨まれるような事は特にしてきたつもりは無い。あるとすれば、PKしてくる輩を返り討ちにしたことぐらいだ。
それだとただの逆恨みだし、そもそも俺個人が特定されるはずが無い。個人情報を流出した覚えもない。だから多分違う。
少女は「ゲームは好きか」という質問を俺に投げかけてきた。
それに俺が「イエス」と答えてしまったから、少女に突き飛ばされたとしたら。
なるほど、少女はゲーム中毒者を続々と殺してきた、通り魔のような人間なのかもしれない。
いやいや、ゲーマーを撲滅するために殺しまで行うとか、どんなサイコ野郎だ。
結局、少女に対するそれらしい解答が思いつくことは無く。
「招待するよ」
その一言を聞き取って、俺はダンプカーに撥ねられた。
――――――――――――――
目を開く。
白い天井だ。ここは病院だろうか。
……流石にダンプカーに轢かれて生きてる人間なんているはずがない。それに病院らしい生活音も全く聞こえない。
となると、ここは本当にどこだ?
「意識が戻ったか」
後ろの方から声がする。
「ようこそ天国へ」
そこには、ハゲ散らかした三十代のおっさんが立っていた。