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現代奇妙話

取水塔にて

作者: 実茂 譲

 私は取水塔の番をして暮らしている。一応、物書きの端くれで小さな雑誌にいくつかの短編を載せてもらっているのだが、いかんせん小さな雑誌である。売り上げもまた小さい。そのため原稿料だけでは到底食べていけぬので、副業をしなければいけなくなった。

 そこで取水塔である。水道局に勤めている知人の紹介で私は取水塔の番人になった。私の住んでいる町に川が流れていることは知っていたが、取水塔のことまではよく知らなかった。確か最初に取水塔を見たときは土手の向こうに取水塔の青銅の円錐屋根が見えて、ポンプの呻り声が途切れることなく聞こえてきたことを覚えている。そして、奇妙なことに取水塔は川の上に作られているはずなのに川の流れる音が全く聞こえなかったことも覚えている。まるで取水塔が水を一緒に音まで川から取ってしまったような、そんな奇妙な想像を巡らした。これは私の職業病である。私は奇妙な小説を書いて暮らしているのだ。

 取水塔の番人と言っても、その仕事は気楽なものである。ただポンプが動いていることを確認すればいい。ポンプは私のいる部屋の真下、コンクリートで囲まれた部屋のなかにある。そこへ入るための鍵は私が管理していて、月に一度、水道局の役人が技師を連れてやってくるので、私は彼らのために鍵を開けてやる。それだけである。後、もしポンプが異常な音を出したら、技師に電話をする。すると、様々な道具を乗せたバンがやってきて、私はポンプ室の鍵を開けて、彼らに修理してもらう。

 つまり、取水塔の番をしている時間はほとんど自由に使えるのだ。私のような零細作家にとって、これは非常に助かる。その時間を使えば、短編の一つや二つ、ちょちょいと書けてしまう。

 一つ気になることといえば、浄水場がないことだ。取水塔と浄水場は不可分の存在だと思っていたが、私の勘違いだったらしい。取水塔は水を川から抜き取るが、そのパイプは土手の地中へとつながっている。まるで地下水脈に水を足しているような構造だ。

 ある日、私は番をしていた。その日は朝から曇り空で雲は退くこともなく、どんどん分厚くなり、正午にはまるで夜が時間をまたいで現れたかのように町を暗くしてしまった。

 私はといえば、小説に詰まっていた。ちょちょいとかけるはずの短編が書けなくて、私はそれを環境のせいにした。場所を変えたら新たなインスピレーションを得られるかもしれないと思い、管理室からポンプ室へと下りた。だがポンプ室はやかましくとてもじゃないが、小説をかけるような環境ではなかった。もう一つ別の部屋はないかなと思っていると、巨大なポンプの裏にこれまで見たことのない扉が一つあったのだ。関係者以外立ち入り禁止と白地で書かれた赤い鉄の扉は縁の塗料が禿げて、焦げ色の錆がむき出しになっていた。ずっと前からあったような風采に見える扉だが、私にはその扉がたった今、突然出現したように思えた。そして、私が預かっている鍵束を見ると、やはり赤い鍵が下がっている。このような鍵は昨日までなかった。

 私のなかで好奇心の虫がうずき、赤い鍵を扉に差し込んだ。軽くひねると、コツンと錠が解ける軽い音がした。珍しい音だった。

 階段を十数段下ると、コンクリートがむき出しの廊下が陸地側へと続いている。工事の際にチョークで書き付けたらしい数字がときおり見られる他には裸電球が二列になって奥のほうへと続いている。行き止まりにはこの取水塔には不釣合いな白く美しい扉がある。まるで立て直したばかりの大学病院にでも取り付けられているのがお似合いの扉だった。

 しばらくそのほうへ歩くとゴウゴウと水の流れる音が頭の上から降ってきた。いつのまにか天井に大きなパイプが裸電球に挟まれて現れ、それが例のきれいな扉の上へと走っている。どうやら上の世界では取水塔が取った水がパイプによって地下に流れ込んだらしい。

 せっかくだ、この水を何に使っているのか見てやろうと思い、私はきれいな扉へと急いだ。きれいな扉はどうやら自動ドアだったらしく、私が近づくと軽快な駆動音を鳴らして、両側に引っ込んだ。

そこは異質の世界だった。宇宙船の内部のような材質が床や壁に使われ、高い天井のその部屋には何も入っていないガラス製の円柱型水槽が十六基立っていて、水槽ごとに緑色に光るコンソールがあり、待機状態で人の手に触れられるのを待っていた。

 明らかにおかしいこの部屋において、私はまだ好奇心の虫を殺しきれず、コンソール画面を軽く指で撫でた。すると、扉が開いたときと同じ駆動音がして、水がドボドボと水槽のなかに注ぎ込まれた。よく見ると、取水塔から続いているパイプが十六本に分かれて、それぞれの円柱ガラス水槽の上につながっていた。

 私がコンソールに触れたガラス水槽には『I』と白い字で書いてあった。他にもⅡ、Ⅲ、Ⅳ……となっている。I号水槽はどんどん水かさを増していき、ついにとうとう上から下まで完全に水で満タンになった。コンソールが光り、エンターキーが浮き出たので、それに触れてみた。すると水槽の底が開いて、〈それ〉が引っ張り出された。

 それは生き物なのかどうかもよく分からなかった。頭らしいものが見つからないが、羽根に包まれた翼のようなものは確かにある。胴体は裸の女性のようにも思えた。だが、十メートル近い大きさをしていて、女性の胴でいうくびれから下は赤い二つの螺旋状の肉切れが長く伸びて絡まり合いながら下に伸びていた。その肉切れには緑色の血管が埋まっていて、それが拍動し、薄暗い色の血が回っているのが見てとれた。

 ここに来て、私は自分が尋常ならざるものを見ていることに気がついた。そんな私を嘲笑うかのように次々とガラス水槽が川の水で満たされていき、異形の生き物が底から現れた。古代魚の顔をした女性の胴から一本だけ翼が生えている。他のどの水槽にも翼が一本生えている天使の成り損ないが上がってきて、ガラス水槽を底から照らす光源のなかで異様な陰影を投げかけていた。十六基全ての水槽に異形の生き物が上がった途端、彼女たちの目が一斉に開いて、私を見た。目はヘソや肉芽状の腕の付け根、紫色に脹らんだ脇腹に一つだけくっついていて、全てが私を見ていた。目は血走っていて、紅鮭の身のように鮮やかな赤い血管が白目の上に細かく散っていた。

 私は驚き、後ずさると赤く光るコンソールに背中から触れてしまった。それが何を意味したのかは分からないが、突然やかましいブザーが鳴り始め、ガラス槽の中では上から注射針を先端につけたチューブがにゅるにゅると降りてきて、異形の生き物の目玉に突き刺さり、青い液体を注入した。異形の生き物は一斉に震え、暴れ、体をガラスに叩きつけ始めた。そして、次々とガラスが割れて、藻とクレゾールの臭いが混じった水が一面に広がって、その上に異形たちは次々と倒れ、助けを求めるように空気の漏れる音を鳴らした。だが、チューブはまだ刺さったままであり、青い液体は容赦なく、異形たちに流れ込んだ。異形たちは溶け始めた。その肉の流れのなかから何十体という人間の胎児の骨が現れ始めた。

 もう、そのころには私は気も狂わんばかりに恐ろしくなって、元来た道を走っていき、きれいな自動ドアを抜け、コンクリートの廊下を走り、赤錆びた扉から飛び出すと、赤い鍵をかけた。取っ手を何度も揺さぶって、鍵がきちんとかかっていることを確かめた。階段を上り、管理室に戻ると、外に飛び出した。

そこで私は初めて気がついた。取水塔の入口の上に十字架が刻まれていることに。

 次の日になると、取水塔は立ち入り禁止になり、工事会社がやってきて、すっかり解体してしまった。

私はというと、この体験をもとに薄気味悪いホラーの短編を書いたが、出版社から突っ返された。

 今は公文書庫で働いている。時おり役人たちが書類を見にやってくるので、倉庫のなかを走り回って、ダンボールに入った書類を彼らに手渡す。それ以外は空き時間なので、私はのんびり小説を書いていられる。鍵もカードキーになった。

 今のところ、赤いカードキーが混じったりはしていない。

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― 新着の感想 ―
[一言] にぎやかな……化物というのが一番近そうで、怖いか怖くないかなら怖い、のですが元気でご立派ですねと感心する(ものを作る工場っぽい)見世物です。その後がこうなせいもあります。共存を許せる(むこう…
[一言] 番人に、私もなりたいですね。 福井晴敏は警備員やっていて、勤務中に小説書いていたそうですが。
[一言] 「取水塔」そのものが好きなので、実にツボな物語でした。 「溜め池」「水門」なども、同様に怪しい妄想がわき上がり好きなものたちです。  物語はモノクロームから始まり、後半で一気に鮮烈な色彩へ…
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