贈れないもの 『空玩具』クリスマス番外編
本作はオカザキレオ様、にゃん椿3号様主催の、「君にプレゼント企画」参加作品です。
連載シリーズの番外編ですが、初見の方にもお読みいただけると思います。
お楽しみいただければ幸いです。
十二月に入り、我が空玩具探偵事務所の応接間兼、向神家の居間にも、小さなクリスマスツリーが飾り付けられました。
わたくしがそうしたいと願い、所長であり兄でもあるにいさまがそれを退けられることは、滅多にありません。夜にする懇願は、また別ですが。昼間は穏やかに、クリスマスツリーの飾り付けも、手伝ってくださいます。
もっと大きく、本格的なツリーを買ってあげるよ、と言われましたが、わたくしは首を横に振りました。
小さくささやかな物が可愛いのです。
ささやかな幸福を教えてくれます。
依頼客の無い午後、二人で居間の畳に直に座り、ココアやコーヒーを飲んだり、お喋りをしたりして寛いで過ごしておりました。
「鈴子さん。欲しい物は無い?」
「にいさま以外で、ですか?」
こつりと額を軽くぶつけられます。
「嬉しい言葉だけど。うん」
「……ございません」
わたくしの答えに、にいさまの苦笑が深くなります。
だって。
わたくしのお部屋を兼ねた寝室には、金色の真鍮製の脚を持つベッドがあります。
そこには羽毛を敷き詰めた布団が、麻のシーツに包まれて整えられています。
ベッドメイキングをしたり、寝具やわたくしのネグリジェを準備されるのは、いつもにいさまです。
天井からはステンドグラス作家の手になる、うねる波のような独特の形状のランプが下がり、波の上には立体的な硝子の小花があしらわれています。可愛らしい紅梅の色。
元はイギリス貴族の所有であったというアンティークのドレッサー。
わたくしが日記をつける机も、クローゼットも書棚も、窓に掛かる渋い金糸雀色のカーテンまで、全てがにいさまにより吟味され、選ばれた品々です。
わたくしが何を欲しい、と言う前に、にいさまは先回りして、蝶よ花よと言わんばかりに、わたくしに逸品を与えてくださいました。
高価と判るそれらの品物は、決して強い自己主張をせず、周囲としっくり馴染み、わたくしを落ち着かせてくれます。
これが派手派手しく華やかな物ばかりであったなら、わたくしは疲れて、すぐに気が滅入ってしまったことでしょう。
妹のわたくしから見てもにいさまは、センスが良く、物を見る目がおありだと思います。
けれどそうなってくると、やはり気になるのは我が家の経済事情でございます。
気儘な探偵稼業の収入だけで、このような贅沢を維持出来るものでしょうか。
老後、二人で老人ホームに入る可能性などを考えますと、たくさんの貯蓄をしなくてはならない筈です。
そのようなことを考えておりますと。
「こら」
今度は額をつん、と人差し指で突かれました。
「また取り越し苦労をしていたね?鈴子さん」
「わたくしは……、にいさまと幸せな老後を営む為に……。にいさまだって何時、寝たきりになられるか解りませんし。そうしたら、そうしたらわたくし一人ではきっとお世話は無理ですわ。余所から手をお借りするには、お金が掛かります、それに、」
「はい。ストップ、ストップ。困ったお嬢さんだな。自分の想像で泣き出してどうするんだい?」
顔の涙にあやす手つきで、にいさまが触れます。
「――――――――にいさまに先立たれた時のことを想うと、悲しくて」
悲しいどころではございません。
気が触れてしまいそうです。
「僕みたいなタイプは長生きすると思うよ? 心配なのは寧ろ、鈴子さんのほうだ。美人薄命と言うしね。サナトリウムなんて言葉の響きは貴女にぴったりで……僕は時々、本当に心配になる」
にいさまのお声が、後半に行くに従い、暗い洞穴を思わせる響きになりました。
虚ろな目に、わたくしは不安になります。
「にいさま?」
するとにいさまは我に返ったようにわたくしを見て、照れ笑いしながら前髪をくしゃくしゃと掻きます。
「参ったね。クリスマスが近いから、鈴子さんにプレゼントを、という話だったのに。変な話になってしまった」
「にいさまからは、もうたくさん頂きました。頂き過ぎなくらいに」
「だって僕は十字架を背負ってるから」
「え?」
問い返すとにいさまは、親愛と慈愛と、恋慕を交え湛えた海のようなお顔で微笑まれました。
「鈴子さんを茨の道へと唆した罪人で、それでも飽き足らず掌に閉じ込めて、羽ばたく術と自由を奪った。贖罪をしても、し足りない……」
「……でもにいさまは、わたくしを、一生愛してくださるでしょう?」
「うん。愛さない。ということが、まず無理だね。行為的な意味だけじゃなく、精神的な意味でも。鈴子さんしかいないからね」
「他の女性の方は見ないで……」
「女性、イコール鈴子さんだから、それは大丈夫」
「欲しい物……」
「うん? ある? 言ってごらんよ」
それは最初に訊かれた時、心に浮かんだものでした。
けれど、決して言ってはならないものでした。
わたくしはきゅ、と唇を閉めます。
「鈴子さん?」
「何もありませんから、長生きしてください。にいさま」
そう言う他にありません。
言えばにいさまは困り、一層、苦悩されるでしょう。
ですからわたくしは必死で嘘を吐きます。
嘘を吐いて、にいさまにばれなかったことは、これまでに無いのですけど。
今回ばかりはどう問い詰められても答えない、と、その決意を表すように、唇を固く引き結びました。
にいさまは、さてこの砦をどうしてやろう、というお顔でわたくしを眺められます。
視線と視線が対峙しました。
わたくしが、一旦こうと決めたらかなり頑固であることを、にいさまはご存じです。
やがて根負けしたように溜息を吐かれました。
「おいで、鈴子さん」
腕を引かれ、おずおずとにいさまの腕の中に納まります。
気付かれていない、大丈夫、とわたくしは思いました。
わたくしの望みは良くないことだから、このまま胸の底に沈めるのです。
この優しい腕があるのですから、これ以上、欲張ることは許されません。
にいさまに抱かれ守られたわたくしは、知りませんでした。
クリスマスツリーに飾り付けられたオブジェの、ある一つににいさまの目が据えられていることを。
幼子イエスを抱いた聖母マリアの、つるりとした光沢ある陶器で作られたオブジェ。
聖母子像。
生まれ落ちたばかりの緑児に向けられた母の笑み。
それを見つめるにいさまの目を。
にいさまはやはり、何もかも見透かされていたのです。
けれど口に出しても悲しいだけだから、わたくしも泣くだけだから、気付かぬ振りをされたのです。
わたくしたちには許されない、ささやかな幸福。
わたくしに、それをプレゼント出来ないことを、心の中だけで詫びておられたのです。