八回
ルアスは今、頭が混乱していた。
目の前で繰り広げられる展開の早さもそうだが、フィニアにも兄弟がいて、しかも弟を助けたいがために十七年間ずっと、この洞窟に来た誰かを殺し続けてきただなんて想像すらしていなかった。
シェイドの本当の名はケティルといって、理由はわからないが闇の精霊の名を語っているということ。
その上サーシャ、本当の名はフィニアだが、知り合いなのだという。
「やはりそういうことか」
いまだ唖然としたまま座り込んでいるルアスをよそに、シェイドはフィニアを後ろに下がらせると、一歩前へ進み出た。
「フィニアがなんの理由もなく、貴様などに仕えるわけがないからな」
「騎士気取りか知らないが、君如きが私に勝てるはずもなかろう。少々計画が崩れたが君達全員皆殺しにしてあげよう」
ガースは先程冷静さを欠いていたとは思えないほど、背筋の凍るようなの気味の悪い薄い笑みを浮かべている。
せいぜい良い声で鳴いておくれと言いながら、彼等魔物が得意とする闇魔法の詠唱をはじめた。
するとガースの周りには、先程とは比べ物にならないほどの瘴気が集まり、満ち溢れた。
「……闇よ、夜の闇よりも深き闇よ。彼の者達を漆黒の闇の彼方へと葬り去れ!」
言い終えるとガースは自分の周りに集まった、瘴気に充ちた漆黒の塊を、ルアス達へと指し示すように繰り出した。
するとまるで巨大な波の渦のように、みるみるルアス達三人を飲み込みはじめた。漆黒の渦は、徐々に小さくなっていく。
その光景を見ていたガースは、クツクツと笑いだした。
「フィニアという玩具がなくなるのは少々名残惜しいが、こうなってしまった以上致し方あるまい。だが君の弟は私が有効に使ってあげよう。なんせ過去未来、そしてすべての地域を見渡すことのできるこの水晶を使うには、生ける屍が必要なのだから」
言うとガースは懐から、一つの小道具を取り出し、それを見ながら含むような笑みを浮かべた。
野心を燃えたぎらせている笑みだった。
「そうか、それがユーイとなにか関係あるのだな」
「なに!」
ルアス達を包んでいた漆黒の闇が急激に取り払われ、中からシェイドが語りかけた。
その様にガースは驚きの声を発し、自分が魔法を撃ち放った場所へと目を向けた。
「なぜだ。それに取り込まれたら最後、二度と出ることはできないはず!」
「貴様の闇魔法は、その程度だったということだ。そもそもの原因は何故俺が闇の精霊長シェイドの名を語っているか、意味を知ろうとしなかった貴様にあるがな」
「まさか君は、その身に取り込んだというのか。闇の精霊を……」
氷ように冷ややかに見据えるシェイドに、ガースはおもむろに慌てふためいた。
額には汗が滲み出ている。取り乱しようは尋常ではなかった。
なぜなら闇の精霊シェイドとは、水や風の精霊等の長達と肩を並べる程の力を有している。
それぞれの精霊には、下位精霊、中位精霊、そして属性の頂点である長の上位精霊といった段階がある。
上位へと行けば行くほど魔法の威力は大きくなるが、代わりに扱いは途方もなく難しくなる。
精霊とは精神の塊であるため、扱う側の精神力が弱ければ、逆に飲み込まれて死に至ることもあるのだ。
精霊の長ともなれば、当然その危険は大きくなる。
目の前にいる青年は、闇の精霊シェイドをその身に取り込んだという。
ガースはそれが嘘だとは思っていない。嘘であれば打ち消すことなど、ありえないのだ。
先程使った魔法は、簡単に撃ち消せることのできるほど弱いものではない。
ガースの身に、今まで感じたことのない感情が通り過ぎ、寒気がしたかのように身震いする。
「ようやく気づいたか。なら格の違いというものを教えてやろう」
取り乱すガースを前に、今度はシェイドが詰め寄った。
反撃のために、呪文の詠唱を始める。
シェイドの後ろで、ルアスが魔法によって傷を負ったフィニアを支えている。
そうしているのは、いまだ現状が掴めず、静観することしかできずにいるためだ。
「闇に潜む精霊共よ、闇の精霊の長たる我がシェイドの名において命ずる。この者を闇の業火で焼き尽くせ」
言い放つと闇がシェイドのもとへと一つに集まり、炎のようにうねり、ガースへと向かい放たれた。
「やめて、やめてください。ケティルさん!」
闇の業火によってその身を焦がしながら、ガースは振り払おうともがく。
服や体が焼け爛れていく様を見たフィニアは、シェイドのもとへ駆け寄り、強引に中断させた。
するとガースの身を覆い尽くしていた業火は消え去り、彼は無造作に倒れた。
突如攻撃の手を中断させられたシェイドは、当然怒りをフィニアへとぶつけた。
「なにをするフィニア!」
「ガースに聞きたいことがあるのです」
言うとフィニアはガースへと向き直り、彼を見据えた。
「弟は、ユーイはどこにいるのですか」
しかしフィニアの問いに、ガースはまったくの無言だった。
見た目も、先程までの覇気もまったく感じられない。それどころか逆に痛ましい。
「教えてください!」
「……知りたいか。だがこの私が簡単に教えると思うか!」
ガースは最初弱々しく言い放っていたが、すぐ様底光りするような悪寒の走る眼光を、更に詰め寄るフィニアに向けた。
まるで射竦められたように硬直するフィニア、隣にいるシェイドへと向けて魔法を繰りだした。
それは大地の魔法だった。
ガースが地面に手を触れたかと思うと、突起状の岩の塊がいくつも地面から飛び出した。
すぐ様反応したシェイドは迷わずフィニアの肩を抱き寄せると、真横へと飛んだ。
その隙を狙って他の魔法の詠唱をしていたガースは、完成させると再び彼等に向かって撃ち放った。
この私が貴様等如きに倒されるものかと咆哮を上げながら。
「危ない。シェイド、サーシャ!」
一人状況についていけなかったルアスは、二人が危機に陥っている様を見るや、ようやく我に返る。彼等の名を叫ぶ。
間に合わないと思う前に無意識に近い状態で、ルアスはとっさに剣を引き抜いた。
胸の内を熱く込み上げるなにかを感じ取りながら、ガースに向かって剣を振り下ろす。
剣と共に炎が迸り、ガースだけではなく放たれた魔法をも吹き飛ばしたのだ。
「…炎が……出た…」
ルアスは無意識とはいえ、自分の行為に驚いた。本当に炎を扱えるとは思っていなかったのだ。
シェイドもフィニアもルアスが炎を出したという事実に、驚きのあまり言葉を失っていた。
ガースはというと強く壁に叩きつけられ、地面へとずり落ちた。
壁に打ちつけられた衝撃だろうか、それともルアスの出した炎の衝撃だろうか、ガースの懐から透明な細長い筒のような小道具が落ち、割れた。
一度ガースが手にしていたものだろう。割れるや否や、五、六歳の子供が現れた。
「ユーイ…ユーイ!」
本来なら二十歳を越えているはずである。
ほとんど成長していない姿にやや戸惑いを覚えていたが、フィニアは弟のもとへと駆け寄り、膝をつく。
不安げに手を握りしめ、静かに様子を窺っていた。
やがてフィニアは嬉しそうに目元を潤ませる。
どうやら体温もあり、呼吸も安定しているようだ。今は意識がないだけなのだろう。
どんな姿であれ、無事に生きていることを嬉しく思ったのだろう。弟を抱きあげ、強く抱きしめた。
「……おのれ、なぜ貴様如きが炎を…。しかも詠唱なしに召還できるのだ…」
息も絶え絶えに、ガースは言葉を紡いだ。それに気がついたルアス達は、一斉にガースへと顔を向けた。
「ようやく我が野望への…足掛かりを掴んだというのに……。だがまあいい…、あの御方へとシンシアという娘を送り届けることができたのだから………」
「…なんだって……今なんて言った。なんでお前がシンシア姉さんを知っているんだ!」
ガースの口から突如姉であるシンシアの名が発せられ、思わずルアスは問いつめた。それに対し、ガースは掠れ声で薄く笑った。
「そうか…貴様はあの娘の弟か……。ならば炎が扱えるということにも頷ける。なんせ貴様は……」
そこまで言うとガースは血を吐き出し、息絶えた。
「おい、詳しく教えろ。姉さんは、今姉さんはどこにいるんだ!」
「落ち着け。そいつはもう死んでいる」
「だけど、生きてるかもしれないんだ。今も姉さんはどこかで生きてるんだ。場所を知りたいと思うのは当然じゃないか!」
炎を扱うことができたということより、今ルアスは姉の居場所を知りたかった。絶望的とさえ思われていた、シンシアの消息を。
だからこそ瞼を閉じて動かなくなったガースに、何度も呼びかける。
しかしシェイドの言う通り、死者はなにも語らない。
ルアスは悔しげに口を閉ざした。
「それより何故ユーイが十七年前と同じ姿のままで、ここにいるかということの方が気に掛かる」
シェイドはガースが持っていた透明な細長い筒のような小道具の破片を拾い、それを眺めやった。
『それは、時の狭間を覗くことのできる小道具だ。何故このような妖魔が持っていたのだ』
「時の狭間を覗くことのできる小道具?」
「時の狭間を……。なるほどそうか、だからこそユーイを使ったのか」
「一体どういうことなんだよ」
ルアスは意味がわからず問い掛ける。
フィニアも一人納得しているシェイドの言葉が気になり、ユーイを抱きしめながら耳を傾ける。
シェイドの話によれば、この小道具は時の狭間を覗き、実際にあった過去や現在の歴史や記憶を見ることができるのだという。
ただしそれだけでは見ることができず、透視する媒体が必要なのだそうだ。
ガースが水晶を持っていたのは、そのためなのだろう。
だがこの小道具を使うには、生きた魂が代償になる。
故にユーイを手に入れ、容器の中に封じ込めていたのではないかとシェイドは語る。
「それだったらなにも、フィニアの弟でなくても……」
魂を代償にするのなら人間、極端にいえばガースと同じ魔物だっていいはずなのだ。
フィニアの弟のユーイでなくてもいいのである。
「寿命の短い人間であれば生気が底をつきやすく、魔物では御しにくいために長寿である妖精のユーイを捕らえたのだろう。しかし何故貴様はこれが時を時の狭間を覗くことのできる小道具だと知りえたんだ」
「それは…」
シェイドの問いにルアスが口を開かけたとき、突然彼等がいる洞窟内が崩れる音がした。
「洞窟内で派手な魔法を使いすぎたか。このままでは生き埋めになるぞ」
「ですが入り口は塞がっています。私があんなことをしなければ…」
それに伴ってフィニアが焦りの表情をあらわにした。
「入り口が塞がっていなかったとしても、ここから全速力で走り抜けたところで、外には抜け出せないだろう」
「じゃあどうするんだ、このままじゃ俺達野垂れ死にかよ!」
「それを聞きたいのは俺の方だ!」
困惑をあらわにして叫ぶルアスに、シェイドは苛立ちと共に言い返した。
『取り乱すな!』
「なに?」
「この声は……」
突如発せられた聞き覚えのある聲に驚いたシェイドとフィニアは、声の発信源であるルアスへと振り向いた。
「え、アーサー? それに二人共、アーサーの声が聴こえるのか?」
ルアスはアーサーが突如声を張り上げ、それによって自分に向けられる二人の表情に戸惑った。
姿形の見えないアーサーの声が、突如ルアスの中から聴こえたら誰だって驚くだろう。
だがそれだけではないなにかが、シェイドとフィニアの表情から窺えた。
『話はあとだ。今はこの場から抜け出すことが先決であろう!』
アーサーは彼等の行動に、脇目も振らず叱咤した。
「そんなこと言ったって、出口がないのにどうやって!」
戸惑いと困惑と焦りの入り混じった表情で、ルアスはアーサーに問い掛けた。
シェイドとフィニアも声の主に対して、ルアスの放った言葉と同等の表情を漂わせている。
『出口がないのなら作ればよい』
「……なるほど、そうか!」
アーサーの言葉にシェイドはなにかを思いついたらしく、強く頷いた。
岩の破片が崩れ落ちてくる、岩肌の剥き出しになった天井を見やる。
「フィニア、天井へ向かって魔法を打ち放て!」
「ですが、それでは!」
後に続くはずの言葉は、声となって発せられることはなかった。
けれどフィニアの瞳は、ただではすまないのではないのか、という思いが色濃く映しだされている。
しかしシェイドの真剣な眼差しに、フィニアはほんの微かに笑みを浮かべた。
直後、フィニアが弟から手を離し、立ち上がる。視線が天上へと向けられる。
「待って。なにをする気なんだよ」
ルアスは慌てて遮った。取り乱すルアスに、二人は振り返る。
アーサーの意図する意味に一早く気づいたシェイド、すぐ様同意するフィニア。
しかしルアス一人だけが理解できない。いや、薄々わかっているからこそ戸惑ってしまう。
「天井に突破口を作る!」
シェイドの勇ましい限りの言葉に、ルアスは仰天した。天井を突き破ったらどうなるか、すぐ様頭の中で思い描かれる。
「でもそれだと、俺達生き埋めに……」
「出口も、外へと駆け抜けるだけの時間もない。他に方法がないんだ!」
シェイドとルアスは互いを睨みつけるような形で、暫し見つめ合う。
もちろんなに一つ言葉を発さない。
だがそんなことをしている間にも刻一刻とどうしようもない状況に追い込まれていることに気づき、ルアスは先に折れた。
「……わかった、でも薬草。その前に薬草を!」
「そんな暇などない」
「俺はそのためにここに来たのに!」
ルアスは洞窟へ来た意味を改めて思いだし、非難の声を上げた。
しかしシェイドは冷たく応えるだけである。
「それじゃあなんのために、ここに来たのかわからないじゃないか!」
「ルアスさん」
そのときフィニアは真正面から、ルアスと視線を合わせる。
見ると彼女の表情には、場にそぐわぬほどに、相手を和ませるような微笑が浮かんでいた。
ルアスは雰囲気に飲み込まれ、まったく言葉が紡ぎだせなかった。
「弟を頼みます。生きて帰りましょう」
諭されるとばかり思っていただけに言葉の意味を捉えることができず、ルアスは呆然とする。
フィニアはいまだ目を醒まさない弟を頼むと、再度天井を見上げた。
「大地に渦巻く精霊よ……」
フィニアの足元に弧を描くように淡い光が立ち上り、髪が緩やかに波打った。
それは精霊がフィニアの言葉に呼応し、生じた現象だった。
「大地の精霊我が友よ、我が呼びかけに応え、その力を貸し与えん」
フィニアが言い終わるや、無数の岩の塊が勢いよく天井目掛けて打ち放たれた。
案の定天井は破損し、先程とは比べ物にならないほど勢いを増した岩の破片が、大小関係なく崩れ落ちた。
その狭間から光が漏れ、風が吹き込んでくる。
「風の中位精霊ジンよ、我が呼びかけに応えよ。我等を守る盾となりて、すべての物を吹き飛ばせ」
シェイドが言い終えると、自分達を中心として竜巻のような風の渦ができ、落ちてくる岩石をことごとく吹き飛ばしていく。
しかし完全に防げるというものではなかった。
細かい瓦礫がルアス達の足元へと降り積もってくる。
それに対しフィニアが魔法で防御壁を作り、必死で防いでいた。
魔法を使うことができないルアスはユーイを強く抱きしめたまま、見守り続けていた。
やがて収まり、シェイドが魔法を打ち切ると陽射しが照りつけた。
先程まで薄暗い洞窟の中にいた彼等は、突然の太陽の光に目を細める。
夜はもはや既に通り過ぎ、太陽は真上に差し掛かっているようだった。
やっとのことで太陽の光に慣れた目を辺りに向ける。
惨劇にルアスは思わず息を呑んだ。
いまだ洞窟であるとわかるほど原形を留めている個所もあるが、先程までいた場所が魔法の撃ち合いによって、無残にも跡形なく吹き飛んでいたのだから。
「……そうだ薬草」
広間のような空洞があったとされる岩石額だけが、名残惜しそうに残っている、瓦礫の山となった殺伐とした空間を、ルアスは暫しの間見つめていたが、やがて我に返り呟いた。
二人は無言のまま、ルアスへと振り向いた。
「…洞窟が、薬草があるっていうこの場所がこんなふうになってしまったら、持って帰れないよ。せっかくシンシア姉さんが生きているかもしれないってわかったのに。これじゃあ……」
これでは堂々巡りだ。ルアスは思った。
姉であるシンシアと幼馴染みであるエルフォーネの二人の命が危ぶまれる中で、まだ手立てが残されている幼馴染みを助けるべく、薬草を摘みにやってきたというのに。
その最中でシンシアが生きているという情報を手に入れた途端、毒消しの薬草を手にする前に、洞窟が崩れ落ちた。
今では散開した光景が目の前に広がっている。
たとえ新たに別の方法を指し示されたとしても、きっとなにも結果を得ることなく終わってしまうに違いない。
もしもなにかが得られるとしたら、自分に対する猜疑心だけだ。
「こんなんじゃ俺、なんのためにここまで来たのかわからないよ」
ルアスは自分に対する悔しさと虚しさが込み上げ、拳を強く握りしめた。
「それなら大丈夫ですよ。薬草ならここにあります」
ルアスはフィニアの言葉をとっさに理解することができず、彼女に聞き返した。
フィニアはというと、懐からなにやら小さな包みを取り出した。それをルアスへと差し出す。
「これは?」
「ルアスさんのお探ししていた薬草です。実はかなり昔に、少量ながらもガースに管理するよう渡されていたのです。まだほとんど手をつけていません」
ゆっくりと微笑みながらフィニアは応えた。
「……本当に?」
ルアスは予想だにしなかったところから薬草が出てきたことに驚き、暫し呆気にとられてしまった。
とてもではないが、すぐには信用できなかった。
そのためかルアスの口から紡ぎだされる言葉も、どこか裏返っている。
「本当です。ただ本当に昔のことなのでどこまで効くかわかりませんし、それで足りるかどうかもわかりません。ですがこれが今の私にできる、せめてもの償いです」
「そんなことない。ありがとう、本当にありがとうサー…、じゃなかったフィニア。それじゃ俺、今すぐこれを届けに行ってくる!」
ルアスはフィニアから薬草を受け取ると挨拶もそこそこに踵を返し、町へと一目散に駆けだした。
後ろ姿を、シェイドとフィニアは見送っていた。
「見返りが欲しかったわけではないが、俺にはなんの一言もなしとはな」
やがてルアスの姿が見えなくなった頃、シェイドはポツリと呟いた。
なぜならシェイドはルアスに協力を要請されて、行動を共にした。だというのに挨拶もなく町に帰ってしまったことに、不服そのものである。
その様を見たフィニアは、なにかを思い出したかのように軽く笑う。
「ならいいじゃないですか」
「だが礼儀というものがあるだろう」
「あら。子供時代、周りに迷惑ばかりかけていたケティルさんが、それを言うのですか?」
言うとフィニアは、声を軽くあげながら笑っている。
笑みを向けられたシェイドは、なまじ相手が自分の過去を知っているだけに、返答に窮してしまった。
しかしどう受け応えしても切り返されそうな気がしたため、敢えて聞き流すことにした。
フィニアはそれに気がついたのか、更に笑みを浮かべている。
「それよりも今は、ルアスの中から聴こえた聲の方が重大だ」
「我が聲が聴こえし者達よ……」
シェイドが話題を切り替えたとき、フィニアは真顔になると、そっと呟いた。
紡ぎだされた言葉に、驚きのあまり彼女へと視線を向けた。
いつの頃からか誰ともなしに語りかけるような、聲ならざる聲。
なぜそれをフィニアが知っているのだろうかと、疑念を向ける。
「貴様にも、聴こえていたのか」
「はい。声ではなく聲が、言葉ではなく想いが頭の中に流れ込んでくるのを感じていました。まさかその聲の主が、ルアスさんに宿っているだなんて思いもしませんでしたけど」
フィニアはルアスの姿を思い浮かべながら、再び笑みを零した。
「そうか、俺の気が触れたわけではなかったんだな」
シェイドは囁くような声で、思いの丈を零した。
隣にいるのが気心知れた相手であるためか、ふいに心が軽くなり、表情を和ませる。
フィニアはそんな彼を、静かに見上げるだけだった。
「町の住人達は誰一人として、呼びかけに気づいた者はいなかった。俺だけが、聞こえていた」
「ルアスさんはきっと、あの声の主に導かれるように旅に赴くことになるかもしれませんね。そうなったとき、ケティルさんも行くのですか?」
物思いにふけるように語るシェイドに、フィニアは強い眼差しと共に問い掛けた。
フィニアの眼差しは、まるでなにかを射抜くような鋭さがあった。
「もしルアスさんが旅に出るというのなら、私はそれについて行きます。洞窟でしてきたことの償いをするために。それで罪が消えるというわけでも、屠ってきた方々が生き返るわけでもありませんが、少なくとも今を生きている方々のためになにかできるかもしれません。ですから私は、ルアスさんについて行きます」
「一度こうと決めたら一向に引かない性格は、どうやら昔から変わっていないようだな」
どうやらフィニアは既に決心がついているようだ。
揺るぎのない強い瞳で、熱っぽく断言する。
シェイドは図らずも、短くため息をついた。
見た目はほとんど変わってしまったが、取り巻く雰囲気と強い意志はあの頃のままだということにも安堵する。
認めたくはないが嬉しく感じられて、傍らにいる彼女に気づかれぬよう、僅かに胸を撫で下ろしていた。
「……おね…え…ちゃん…」
そんなとき弱々しく紡ぎだされる声が耳に届き、フィニアは抱きかかえている弟へと視線を落とした。
「ユーイ、良かった。目が醒めたのね」
「うん。あのね、ずっと…ずっと見ていたんだ。お姉ちゃんを、ケティルを…。あの入れ物の中で、ずっと……」
言うとユーイは、再び気を失った。
だがフィニアの表情には、ユーイが自分の事を憶えていてくれたという喜びや嬉しさといったものが、満面に映し出されていた。
そのとき横を通り過ぎてゆく足音に気づいたのか、シェイドへと視線を移した。
「なにをしている、いつまでもここにいるつもりか。早く行くぞ、フィニア」
なんと言葉をかけて良いのかわからずにいるフィニアへと、シェイドは振り返り、手を差し伸べる。
フィニアは一瞬躊躇したが、やがて満面の笑みを浮かべると、差し出した手へと重ね合わせた。




