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七回

「話、終わったのか?」


 ルアスは素直に空洞のへと続く出入り口の通路で待っていると、無言で目の前を通り過ぎていくシェイドに声を掛けた。


「ああ。だが、寄り道した分の時間を取り戻さなくてはな。先を急ぐぞ」


「ちょっと待てよ、サーシャがまだ……」


「かまうものか」


「でも!」


 後ろを振り返らず淡々とした口調で先を急ごうとするシェイドに、ルアスは非難の声をあげた。

 しかしシェイドは、まったく取り合おうとはしない。

 ルアスは更に詰め寄ったがシェイドの殺気だった視線をまともに受け、言葉に詰まってしまった。


「待ってください。私も……行きます」


 そんな折彼等の後ろから遠慮がちなサーシャの声が投げかけられ、二人は一斉に彼女へと顧みた。


「帰れといったはずだが」


「私は…、あなた方のお手伝いをしたいのです。ここへ連れてきて頂いたのに、その私がなにもせずに帰るなんてできません」


 突き放すようなシェイドの物言いに、どことなく赤く腫れた瞳と覇気のない表情と、か細い声でサーシャは応え、ぎこちない笑みを浮かべた。

 ルアスはもちろん喜んでサーシャを受け入れたが、シェイドは不服そうに佇んでいる。けれど結局なにも言わず先を急いだ。


 三人は先程この空洞に来る前の二手に分かれた場所まで戻るとシェイドは一旦立ち止まり、まだ立ち寄っていないもう一方の道筋を示す。

 この奥に当初の目的である毒消しの薬草があるという。


「ということは、やっと最深部?」


「そういうことになるな」


 それを聞いたルアスは、自分が高揚してくのがわかった。

 なにしろやっと、毒消しの薬草の在処に行き着くのだから。

 エルの無事を祈りながら、気込みを新たにして先に進もうとするのだが、先程から一歩も動こうとしない二人に訝しげに顔を向けた。


「なにやってるんだよ二人共、早く行こう!」


 見るとシェイドは険しい顔に眉間にしわを寄せ、サーシャは微笑を浮かべているが、どことなく沈んでいるような雰囲気があった。


「そこに行く前に、一つ言っておくことがある」


 シェイドは神妙な顔つきでそう前置きをすると、先を急ごうとするルアスを押し留めた。


「なんでだよ、もうすぐで薬草が手に入るっていうのに!」


「だからだ。この洞窟に、魔物達の統率者がいるというのは知っているな」


「知ってるさ。でもそれが一体なんだっていうんだ」


 部分部分にしか語らないシェイドに、ルアスは気がはやり、先を急ごうと態度で示している。

 この洞窟の最深部に行けば薬草が手に入って、町の人達が助かる。

 なによりエルを、あのままにしておけない。

 こんなときになぜ現われもしない魔物達の統率者のことなど、気にしなくてはいけないのか。

 さっさと薬草を手に入れて、この洞窟から抜けだせばいいだけのことではないか。


 そういった面持ちで憤りや苛立ちを燻らせながら、ルアスはいつでも抗議する構えをとっている。

 その様にシェイドは軽くため息をつくと、ルアスを睨めつけた。


「行きましょう、今すぐに」


 その言葉を投げ掛けたのはルアスでも、ましてやシェイドでもなく、サーシャの口からだった。

 意外な人物から紡ぎだされた言葉に二人は驚き、彼女へと顔を向けた。


「シェイドさんの言いたいことはわかります。この洞窟内での魔物の統率者が本当にいるのなら、騒ぎを起こし、中に侵入している私達をここまで黙って見過ごしたりはしないというのでしょう。ですがそれはただの噂に過ぎないかもしれませんし、本当にいたとしてもこのまま何事もなく逃げきれるかもしれません。ただしこのまま無駄に時間が過ぎていけば、状況が悪化してしまう可能性だってあり得ます。ですからルアスさんの仰る通り、今すぐにでも行きましょう」


 あまり自己主張をせず控えめにしていたサーシャが、こんなにも熱弁をふるうことがあまりに意外だったらしく、ルアスは唖然と食い入るように見つめている。

 シェイドでさえ、一瞬呆気にとられていた。


「すみません、でしゃばってしまって…」


 彼等のその様を見るや、サーシャは顔を赤くして俯いた。

 差し出がましいことをしてしまったと、サーシャは自分を恥じている。


「いやごめん、そういうつもりじゃなかったんだ。ちょっと意外で…」


 ルアスはすまなさそうに頭を掻いて謝罪した。

 シェイドはその横でなにかを思いだしたかのように軽く頷くと、口を開いた。


「本当にいいんだな。本当に、後悔はしないのだな」


「はい……」


 シェイドの真摯なまでの言葉が、ルアスにではなく自分に向けられたものだと知ると、サーシャは俯いたまま小さくそれに応えた。

 同時に、もしかしたらこの人には全て見透かされているのではないか、という不安に襲われた。

 逆に嬉しいと思う気持ちもあるのだが、今現在の状況下では素直に喜べない。

 考えすぎかもしれないとも思うのだが、シェイドの場面場面での言葉がそう思わせる。


 必死で願うしかないのだ。お願い、気づかないで。気づいてもなにもしようとしないで、と。

 けれど頭の片隅では、どうしようもない矛盾に気がつきながらも思い至らないように、覆い隠すように、必死で心の奥底にしまいこんだ。


 そんな折シェイドが先へ急ごうと促す中、いまだ俯いているサーシャにルアスはありがとうと声を掛けた。

 サーシャは言葉の意味が飲み込めず、戸惑いの表情で顔を上げた。


「だって俺の意見に賛同してくれたし、それに一緒に来てくれるって言ってくれたとき嬉かったんだ。だからありがとう」


 ルアスは右手を差しだした。

 サーシャはふいに胸に突き刺さるような痛みを感じながら、その手を握り返した。

 互いに軽く手を握るとそれを離し、ルアスは行こうとにこやかに笑みを浮かべると、律儀にも待ってくれているシェイドへと走っていく。

 胸に残った針のような痛みが、波紋を描くように徐々に広がっていき、足を先へと向かわせることができなかった。


 サーシャは声には出さず、なぜだとルアスに問い掛ける。


 ありがとう。


 その言葉が、どうすればいいのか決心がようやく着いたばかりの心に、ほんの小さな迷いが波紋となって広がっていく。

 迷ってしまったら、目的が遂行できなくなってしまう。

 自分にとって大切な者を、取り戻すことができなくなってしまう。

 迷っては駄目だと、サーシャは強く自分の心に言い聞かせた。


「サーシャ早く来いよ!」


 遠く離れた先でルアスは手を振りながら、サーシャを呼んでいる。

 同情や、迷いといった、決断を鈍らせるものに蝕まれては駄目だ。

 サーシャは自分に言い聞かせながら、彼等に駆け寄っていった。


 シェイドがこの先に薬草があるといった方の道へと入ると、他へ分かれる道など一つもなく、魔物一匹見当たらない。

 両側から来られては逃げ場もなく悲惨な目に合いそうな道。

 かといってここまでまったく見当たらないと、逆に違和感を憶えた。


 ルアス達は廊下のような長い一本道を通り歩いていると、ようやくぼんやりと淡い光が漏れている出口を見つけた。

 抜けると剥き出しとなっている岩肌に直接灯篭台が各所に配置されており、その上には小さな火が灯っている。

 出口辺りで見えた淡い光は、どうやらそれのようだった。


 出入り口はというと、先程通り抜けてきた道しかない。

 広間のような洞窟最深部内の中央には小さなテーブルと、そこに何重も重ねられている柔らかそうな布の上に水晶球が飾ってあるだけだった。

 誰かがいたような形跡はあるが、一通り中を見渡したものの、見当たらない。


「なんだここ? ここだけ光があるけど」


「なぜこのような場所に灯篭が……。やはりここは…」


 最深部である場所の光景に、ルアスとシェイドの二人はそれぞれの感想を洩らしている。

 後ろでサーシャだけは、感情を消し去った表情で直立している。

 二人が辺りに気をとられているうちに小声でなにかの呪文を解き放ち、岩を崩すと、たった一つの出入り口を塞いだ。


 突然の轟音に二人は驚き、サーシャの方へと振り返った。


 それは彼等が見知っている優しげで、どことなく儚い彼女の姿ではなく、無表情のまま微動だにせず、立ち尽くしている姿があるだけだった。


「サーシャ。一体……」


 その様に思わずルアスは問い掛けていた。


 対してシェイドは一瞬驚きはしたものの、すぐにいつもの無愛想な愛嬌のない表情に戻った。

 しかしサーシャに向かって、なにも言いはしない。なにかを感じたのか、辺りに気を配る。


「そんなに驚くことはない。そのフェアリーの娘は私の忠実な部下なのだ。君達二人をこの場所へ招待するよう仕向けたのも私なのだから、逃げだされでもしたら困るのだよ」


 ふいに男のような野太い声が掛けられ、二人は声がした水晶球を飾っている場所へと顔を向けた。

 驚くことに先程まで誰もいなかったはずの場所に、一つの人影が立っている。

 しかも灯篭の光に映し出された人影は漆黒のマントを羽織り、造形は人間や妖精に似てなくもないが、よく見るとそのどちらでもなかった。

 人間でも妖精でもないとすると、答えは一つ。魔物だ。


「貴様、妖魔だな」


 魔物を一目見ると、シェイドは率直に切り出した。

 その言葉に対して感慨した様子もなく、魔物はにやりと笑う。


「そうだとも、私の名はガース。あんな格下の魔物などと同一視せずにいてくれて感謝するよ」


「妖魔……?」


「妖魔とは、一般に知られている魔物の進化系です。主として知能が高く、人語を解し、強力な魔法を使います。ガース様は、数少ない妖魔の御一人です」


 ルアスは誰ともなしに問い掛けると、塞がれた出入り口の傍にいるサーシャが感情の起伏なく応えた。

 それを聞いた、ルアスは体が緊張し、冷やりとした汗が滲んでくるのがわかった。

 人語を解し、人間でも妖精でもなく、魔物より強き力を持つ者。

 本来はは妖魔も魔物に属するが、力の差が大きい為、魔物より恐れられている。

 それだけは耳にしたことがあったが、よりによって今目の前にいる魔物がそれだとは思いもしなかった。さすがに相手が悪い。


 しかしなぜ妖魔がサーシャに命じて、俺達をこの場所へと招きいれたのか。

 強さを誇るなら、なぜわざわざ命じる必要があるのか。彼女を信用させ、裏切らせるというこんな意地の悪い方法で。


 それを思うとルアスは怒りが込み上げ、押し殺すどころか前面に剥き出しにして、相手が妖魔だということも忘れてガースを睨みつけた。


「そんなたわ言誰が信じるもんか! サーシャ、本当にこんな奴の手下なわけないよな」


 ルアスがもっとも信じられないのは、サーシャがこの妖魔の手足となって動いているということ。

 例えそうだとしても無理にやらされているのだと、信じて疑わない。

 肯定してほしい。言い訳でもなんでもいいから言ってほしくて、ルアスはサーシャに呼びかけた。


 しかしサーシャの表情に暗い影が差し込み、押し黙ったまま、なにも語ろうとはしない。


「サーシャ!」


 なおもルアスは呼びかけるが、やはりサーシャからの返答はない。

 なぜだとしつこくサーシャの名を呼ぶが、彼女はそんなルアスから顔を背けただけだった。


「どうやら君は頭が弱いようだね。先程も言ったはずだよ、その娘は私の配下だと。そして彼女は、喜んでこの役を買って出てくれたよ」


「そんなわけあるもんか!」


 ルアスは怒りを弾けさせ、剣を抜き、ガースに向き直った。

 だが目に前に立つ妖魔は驚きもせず、今にも襲い掛からんとするルアスに対して身構えることもせず、目を細め薄く笑っている。


「そんなことより、いいのかい? こんなところで君が私に襲い掛かり、私が魔法で反撃すれば、まず間違いなく君が探している薬草は駄目になる」


 なぜそれをと思う前に、ルアスはエルフォーネの顔が浮かび、一瞬気を削がれた。

 一瞬の隙を突くように、ガースは闇に覆われた塊を投げつける。

 ルアスは対抗する術もなく、思い切り壁に叩きつけられた。衝撃と痛みで、手から剣が抜け落ちる。


 ガースが更にルアスに襲い掛かろうとしたとき、間髪いれずシェイドは手持ちの剣で妖魔に切り掛かった。

 妖魔は間一髪で避けきり、シェイドと距離をとった。

 しかしシェイドは魔法の詠唱をする時間を与えないよう、すぐ様切り掛かっていく。

 その間にルアスは壁際にぶつかった衝撃でくらんだ頭を軽く横に振り、地面に落ちた愛用の剣を掴むと地に突き立て、空いたもう片方の手で岩肌に手を掛けながら立ち上がる。

 ガースと奮闘しているジェイドを見るや、剣を構えた。その姿を横目で見たシェイドは、攻撃の手を休めることなく叫んだ。


「貴様はなにもするな、そこでじっとしていろ」


「そういうわけにはいかない!」


「貴様ごときの腕では邪魔の何者でもない。足手まといだ!」


「そんな言い方……」


 言うとルアスはシェイドの言葉を無視し、ガースに狙いを定め切り掛かろうとする。

 だが切りつけているシェイドと、間一髪でかわし続けるガースの動きが素早すぎて、なかなか手が出せない。

 けれどこのままでは、いつまでたってもガースを倒すことはできない。

 なによりシェイドの言う通りにガースを倒すまで傍観する気にはなれず、切り掛かる隙を見つけようと、ルアスは彼等をひたすら凝視していた。


「君は優しいね、シェイド君」


 ガースはクツクツと低く笑うと、まるで瘴気が耳にまとわりつくような声で、囁くようにシェイドに語りかけた。

 それが気に障り、鋭い目を更に鋭利の如くにすると無言のまま切り掛かる。


「おや、怖い怖い。けれど君が優しいというのは本当さ。あの少年と私とでは力の差があり過ぎる。それならまだ力不足とはいえ、君の方が私と対等に闘える。だから彼を私から遠ざけて、傷付けないようにしているのだろう」


「貴様と雑談するつもりなどない」


 言うとシェイドは左下から首元目掛けて剣を斜め上に切りつけたが、ガースは地面を滑るように後ろに飛び退いた。

 まるで浮いているかのような先の読みづらい動きに、少々てこずりながらもシェイドは更に急所を狙い切りつける。


「だが本当に、それでよかったのかな」


 ガースは含むような笑いを満面に浮かべ、右上方向から振り下ろされるシェイドの一太刀を浅いながらも左腕に受けた。

 今まで紙一重で避けていたにも関わらず、まるで自分から当たりに来たように攻撃を受けたガースに、シェイドは正直驚きを隠せなかった。

 ガースは左腕に受けた傷など気にもとめず、再び含み笑いをする様にシェイドが異様なものを感じ取った、まさにその時だった。

 先程からつけいる隙を探っていたルアスは、渾身の力をこめてガースに切り掛かったのだ。


 ガースは突如振り返りルアスに向かってにやりと笑うと、目の前から煙のように消え去った。

 そのため全体重をのせた攻撃の勢いが急に削がれるはずもなく、妖魔に攻撃を続けていたシェイドと顔を向き合せる形になり、ルアスの剣が彼の胸を突き立てるかに思えた。

 間一髪でシェイドが自分の剣とルアスの剣との刃を重ね合わせ、火花が散ったのかと思わせるほど、二人の刃と刃を這うように滑らせ機動を変えた。

 互いの力が反発しあい、弾かれるように二人は地面に叩きつけられる。

 そのおかげというべきか、最悪の状況だけは免れた。

 だがそれだけだ。

 むしろ悪くなったと言うべきかもしれない。なぜなら妖魔はかすり傷を受けただけで健在であり、この状況下で魔法を受ければ確実に不利である。


「なにをしている、貴様はじっとしていろと言ったはずだ!」


 シェイドはすぐに顔を上げると、自分と同様に倒れているルアスに対し怒声を向けた。

 ただでさえ、相手は一筋縄ではいかない相手なのだから。


「だけど、俺も戦えるのに!」


「足手まといだと言っただろう!」


 なにもせずにいるのは嫌だったのだろう。

 ルアスは抗議したが、シェイドはそんな彼の言葉をピシャリと畳み掛けた。


 そこへ空気のように消え去ったと思われたガースが、シェイドとルアスの前へと舞い降りるように現われた。

 羽織っていた漆黒のマントを翻らせながら外すと上に投げつる。

 どこから現われたのか、ゾンビ鳥がマントを掴みとり、ルアスとシェイドを覆うかのように影を作る。直後、ガースは呪文の詠唱をはじめた。


「闇の精霊よ、我が意に従いて……」


 シェイドはすかさず剣を取りそれを止めさせようとしたが、先程の衝撃で手は痺れ、まともに剣を取ることができない。


「この者達の影と我が作りし影と同化させ、この場に縫いつけよ!」


 それを見たガースは悪意に満ちた、嬉々とした笑みで呪文を完成させた。

 すると二人はまるで石造にでもなったかのように、指一本動かせなくなってしまった。だがなぜかご丁寧に、表情だけは動かすことができた。

 舌も動くため、口も利けそうだった。


 残虐な性格の持ち主である魔物のことだ。

 たぶん動きを封じ込めた相手の怯えや恐怖を見て取り、楽しみためにそうしたのだろう。

「君達はどうやら、お互いのことをよく

知らないようだね。だからこそ自分達の行動や言動によって、お互いの足を引っ張りあう。実に滑稽だよ」


 可笑しそうに、同時に満足げにガースは口の両端を吊り上げて薄く笑い、シェイドとルアスの近くまで歩み寄って行く。

 もちろん自分好みに彼等を調理するためだ。



 そのことが長年の経験でわかっていたためにサーシャは見ていられなくなり、彼等から目を逸らす。


「目を逸らすな。今からこの者達を切り刻んでやるのだから」


 低く冷たいガースの声にサーシャは身を震わし、嫌々ながら再び顔を上げた。

 今のサーシャには、拒否権などないのだ。


 そして目の前に広がる光景に目をやる。

 ガースは、ルアス達へと一歩、また一歩と進んでいく。


 なにをしているのだろう。

 目を逸らしたくても逸らすことのでない光景を目の辺りにしながら、サーシャは一人心の中で自問した。

 今目の前にいる人達を、もっとも大切なもののために、もっとも大切な人を見殺しにしようとしている。

 そのことにただならぬ疑問が過ぎっていく。


 本当にこれでよかったのか。自分の判断は正しかったのか。


 こうなることは彼等が来たときからわかっていた。

 わかっていてなお、この道を選んだはずなのに。

 サーシャの心は激しく揺らぐ。


「シェイドと言ったね。なぜ君が闇の精霊の名を語っているのかは知らないが、あの娘。君達の前ではサーシャと名乗っている、あの娘の知り合いのようだね」


 ガースは魔法によって体の自由を奪われ、動けずにいる彼等の前に立ちはだかると、シェイドへと顔を向ける。


 その声が意外にも辺りに響き、サーシャははっと気づくと思考を巡らせるのをやめ、彼等へと再び目を向けた。

 シェイドはというと圧倒的に不利な状況にありながら、顔色一つ変えていない。むしろ冷静そのものだ。

 その態度の取りように、ガースはどうやら不服のようだった。


「サーシャなどと名乗る、そんな女など俺は知らん。俺が知っているのは、なにより自分の弟の身を案じ続けていた、ある女だけだ」


 妖魔へと、シェイドはまっすぐに断言した。


 彼の言葉にサーシャは、まるで雷に打たれたような衝撃が胸を貫き、幼い日の想い出が鮮明に甦る。

 それはサフィニアが建国されてからまもなく、滅びへと向かったあの日。

 サーシャがまだたった五、六歳という幼い頃のことだった。

 あの頃起こった妖精と人間との戦争は、目にするのが憚られるほど悲惨なもので、女、子供も容赦なく殺された。


 サーシャも例に漏れず、妖精の持つ特有の力、精霊と会話し、操る力に恐怖する人間達の暴力によって殺されかけた。

 やがて必死の思いで逃げだした。一つ違いの弟を伴なって。

 精根尽きるまで走り続けたとき、一つの集落に行き着いた。

 そこは同じように逃げ延びた者達や、人間達と戦いながらも、変わらず住み続ける者達の集まった純血の妖精のみが集う場所だった。


「君、大丈夫?」


 そこでサーシャは同じ年頃の、一人のエルフの少年と出会った。

 サーシャは弟を強く抱きしめ、脅えた目で彼を見続けていた。


「君達名前は? 親はいないの?」


 サーシャは彼の言葉に、無言で首を横に振った。


「そうなんだ。でも大丈夫、そんなに怖がることはないよ。ここにいる人達は皆優しい人ばかりだし、それに僕が代わりにずっと君の傍にいてあげるから」


「本当に?」


「うん本当、絶対どこにも行ったりしないよ。だからおいでよ、僕達の町に」


 優しく微笑む少年に、サーシャは今まで身を守るため必死に張り詰めていた緊張の糸が、その一言ですべて取り払われ、胸の奥で熱いものが込み上げてきたと思うと涙が溢れだした。


「この子の名前はユーイ。私の名前は……」


「僕の名前は………」


 そう言って差し出された少年の手に、少女は手を重ね合わせた。


 それから。それから私は――


「まあいい、どうせ減らず口を利けるのはここまでなのだから」


 言うとガースはまたもや呪文の詠唱をはじめた。

 それを見たサーシャは焦り、いまだ揺らいでいる気持ちを疎ましく思った。最初からすべてを割り切れたら、どんなに楽だっただろうか。

 けれどこのままなにもせず手を拱いていれば、確実にシェイドはあの世へと向かうだろう。


「……駄目」


 サーシャは胸元まで手を寄せると、固く握りしめ呟いた。


 ガースの呪文が完成し、今まさに撃ち放たれようとするそのとき、サーシャはその少年と弟と三人で過ごした日々が走馬灯のように駆け巡った。


「駄目、そんなの嫌……。ケティルさんを殺さないで!!」


 サーシャは叫ぶと、死なせたくない。ただその想いだけで頭が一杯になり、脇目も振らずガースとシェイドの間に割り込むように飛び出していた。


「馬鹿、来るなフィニア!」


 駆け寄ってくる足音に気がついたシェイドは、サーシャに向かって呼びかけた。

 しかしそれを聞き入れる様子もなく、フィニアと呼ばれたサーシャは、シェイドを守るように覆い被さった。


 その行動に、おおいに驚いたのはガースだった。

 切り札がある限り、けして逆らわぬだろうと思っていた彼女が、今にも殺そうとしているシェイド達を守ろうとして前に立ちはだかるとは予想だにしていなかった。


 そのためガースはシェイドに向けていたはずの魔法の機動を、ずらす羽目になってしまった。

 魔法の機動をずらされ、身を掠めていったことに驚き、マントを掴んだままその場を離れることなく飛んでいたゾンビ鳥は慌しく体を動かした。

 そのときマントで覆っていた影が不安定になり、魔法の効力が薄れ、一時的に体の自由が利くようになった。

 隙を狙い、シェイドは服の内側に隠していた手のひらサイズの小刀、をゾンビ鳥に投げつけた。

 小刀はうまくゾンビ鳥に命中し、体を貫いた。ゾンビ鳥は激しく暴れまわりながら地面へと落下すると、小さく悶えただけでまったく動かなくなった。


 シェイドは抱きついてきたサーシャ、もといフィニアの肩を掴むと引き離した。


「フィニア、なにを無茶なことをするんだ。なにかあったらどうする気だ!」


「ケティルさん。でも私……」


 怒鳴られて必死に弁解しようとするサーシャの横で座り込んだまま、ルアスは一人状況が飲み込めずにいた。

 シェイドはサーシャをフィニアと呼び、サーシャはシェイドをケティルと呼んでいる。


「フィニア? ケティルって……」


「私の本来の名前はサーシャではなく、フィニアです。私はあなたのことを最初から騙していたのです。いいえ、あなただけではありません。ここに捕われてから十七年間ずっと、この洞窟に来た人達をこの手で殺してきたのです」


 ルアスに気がつき振り向くと、サーシャは自分の名を明かし、深く頭を下げ謝罪する。

 それはルアスに対してだけでなく、まるで彼を通して今まで手に掛けてきた者達にも謝罪するかのように。


 ルアスはまったく言葉が出なかった。

 なんと言っていいのかわからなかった。


「フィニア、貴様自分が一体なにをしたのかわかっているのか」


 そこへ顔が怒りの為に歪み、冷たく突き刺さるような声でガースが口を挟んだ。


「わかっています。けれどいくら弟のためとはいえ、もうこれ以上誰かを殺めるのはたくさんです。それに私はこれ以上、あなたのためになにかをする義理なんてありません。ですから弟を、ユーイを返して!」


 今にも襲い掛かりそうなガースに、フィニアは愁いの込もった瞳で言い返した。

 フィニアの後ろでシェイドは眉をひそめ、ルアスはただ愕然とした。

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