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想いの先にあるものは  ‐語られざる物語‐  作者: きりゅう
〇三章,激動の末に・下
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十回

〇三章,激動の末に・下/十回


「あなたは、孵化というものをご存知ですか」


 マグノリアは、そう切り出した。


「……孵化というと、鳥のように卵から孵るといった意味でのことですか」


 意図するものが見えず、内心首を傾げながら答えた。

 しかし当の魔族は、微妙な笑みを浮かべていた。どうやら彼の望むものではなかったようだ。

 けれど他に孵化という言葉の形容を鑑みても、思い当たる節はない。


「いえ、すみません。あなたは知らなくて当然のことを口にしました。孵化というと、始祖であるレンド様とレイナ様を産み落とした存在。混沌のようなものです」


 孵化ともいえる混沌は、レンド達の生みの親ともいえる存在なのだとマグノリアは続けた。

 まるで謎かけのような物言いに、シンシアは眉をひそめる。


「これからお話しすることは、現在対立していらっしゃるアーサー様はもちろんのこと、他の神々の方は、ご存じありません。本来の世界の成り立ちや経緯さえも」


 言ってから、マグノリアは僅かに首を左右に振った。


「他の神々はというのには、多少語弊がありますね。知る限りガリック様のみは、なにかしらご存じのようでした。アーサー様にはお伝えになることなく、お亡くなりになりましたが」


「ガリック?」


「はい。その方はレンド様達のすぐ後に、お生まれになった方。本来はレンド様達を護衛する任につくはずだった方です。もしかすると私が知らないだけで、その方以外にもなにかしら感づいている方はいらっしゃったかもしれません。……横道にそれてしまいましたね」


 これから語ることを知っているのは、レンドとレイナから誕生したため。

 そうでなければ、けして知りえなかっただろうと、マグノリアは自嘲気味に微笑んだ。


「ある日孵化と呼ばれる混沌から、レンド様は男神として、レイナ様は女神としてお生まれになりました。けれど当初、お二人は知りませんでした。そのため性別のない存在と認識していたのです」


 時を同じくして、レンド達の守護者ともいうべき六名が産まれ落ちた。

 レンド達は本来、生まれた直後から本能によって自らの存在や世界の成り立ちを理解し、適応する能力が備わっている。

 本能は知識とも言い換えることができるのだと、マグノリアは補足した。

 確定されたものは本能に組み込まれてはいても、不確定要素は認識されることは少ない。


「男女の別を理解していなかったのは、まだお二人が不完全な存在だったためです」


「……なぜ?」


「お二人はいわば、成虫になる前の幼虫のようなものだったためですよ。孵化はまさに、成長を促すさなぎとしての役割も持ち合わせていたのでしょう。お二人が成人するためには、まずは男神であるレンド様が孵化に戻る必要がありました。そして成人されたレンド様が、レイナ様に男神としての力を注ぎこむことで、女神として成長を遂げるはずでした。けれど孵化に戻ったのはレンド様ではなく、レイナ様だったのです」


 するとそこでマグノリアは、一度口を噤んだ。まるで、引き返すなら今だと警告するように。

 しかしシンシアの気持ちは変わらない。目で先を促した。

 それを諾と受け取ったのか、マグノリアは一度深呼吸をし、改めて口を切る。


「孵化に戻るということは、恐怖と同義語だったんです。本能という名の知識にない以上、知らないということはそれだけの意味を持ちました。そのため直接脳裏に訴えかける呼びかけを拒否し続けたのです。それならばと、レイナ様が代わりに孵化へと戻る決意をしたのです」


 当時、世界もまだ生まれたばかりであるため、あるのは荒野のような見晴らしのいい大地と、レンド達を存在さしめた孵化だけだった。

 そのため当然水も、植物もない、過酷な環境ともいえた。

 しかし神々は食事を必要としない。な

 ぜなら肉体がないため、飢えや老いといった観念はない。今でいうなら、精霊の思念体に近い。


 そして二人には、時を同じくして誕生した六名がいた。始祖として確立した際、二人を守護し、補佐するために生まれた存在である。彼等もまた性別を持ってはいなかった。

 名はそれぞれ、スージー、ウィリス、ガリック、アンバー、タイム、チャーベルといった。

 荒野ともいえる場所で、彼等は互いに寄り添いあいながら過ごしていた。

 けれどある頃から、レンドはなにかに呼ばれているような感覚を持ち始めた。

 最初はとくに気にするほどのものではなかった。

 しかし日を追うごとに、なにかが直接レンドの脳裏に、言葉ではないなにかが強く訴えかけるようになっていく。

 そして自然と、目は孵化へと向けられる。

 そんな中で、傍にいることが多いレイナは、レンドの変調に気がつくのは当然ともいえた。


「また声が聞こえたの?」


「……気にするな。問題ない」


「でも日増しにレンドを呼ぶ声が強くなっているんでしょう。このまま放っておいたら……」


「心配するな」


 レンドは優しげに、レイナを見やる。

 けれどレイナの眼差しからは、不安と疑念が色濃く映しだされていた。


「本当に、大丈夫なの」


「大丈夫だ。私はずっと、傍にいる」


 レンドはレイナの頭に手を当てると、なで回しながら微笑んだ。

 けれど実際は、声を跳ねのけられないほど強くなっていた。

 それをレイナも、近くで見ていて知っていた。

 悶え苦しみながら、呼びかけを拒絶し続けるレンドを見るに忍びなかった。

 彼の姿を見ながら、レイナはずっと考えていたことがある。

 時を同じくして産まれ、同格の力を持つレイナが戻れば、おそらく事態は終収束するだろう。ならばレンドが苦しむことはない。

 そうさせる決意は、すでに彼女の中で育まれていた。だが行動を躊躇ためらわせていたのは、レンドの傍を離れたくないという強い意志も根底にあったため。


 けれど、いつまでも拒絶できない日が訪れた。

 レンドはついに我を失うほどに、本能に呼び掛ける声に圧迫されたのだ。

 止めるレイナや、守護する役目を持つガリック達さえ振りきるほどの力強さで孵化に戻ろうとした。

 このままではレンドが、どうなってしまうのかわからない。危機感を覚えたレイナは、レンドや他の者の反発を受けるも、結局は強引に孵化へと身を捧げる。


 必ず戻ってくるから。もう一度レンドと、皆と明日を歩んでいくために。と――


 名はそのものを固有化し、約束ともなりうる言葉は他者を突き動かす糧にも楔にもなる。ある意味それは、一種の契約だった。

 ガリック、チャーベル、アンバーはレンドを抑えていたため、動くことはできなかった。

 そのためウィリス、スージー、タイムはレイナを止めようとするも、結局は共に孵化へと呑み込まれることとなった。

 正気に戻った際に知らされた事実に、レンドは己を責め続けた。まるで気が狂わんばかりの彼を宥め、慰める中で、チャーベルは逆鱗に触れてしまい、殺されてしまった。

 アンバーは、レイナを連れ戻すことでしか収集がつかないと感じ、みずから孵化へと戻ったのである。しかし待てど暮らせど、戻ってくることはなかった。


 守護者の中で一人残ったガリックは、ただただレンドを見守ることしかできずにいた。

 それが事の始まりであり、そもそもの間違いだった。

 本来ならレンドが男神として、次いでレイナが女神となり、成人した時点で孵化の役目は終える。レイナは新たな命を産み落とし、レンドは育むための力強さを与える。

 正式に二人は新たな命を形作る、始祖となる。男神となったレンドが、女神と共に子をもうける。そうすることで性が分かれ、新たな神々が新たな命をこの世に創造するはずだった。


 しかし女神であるレイナが孵化に戻ったことにより、大きさは異なるものの、孵化が増殖する。

 女神はその身に新たな命を宿す存在。孵化の力はレイナへと必然的に受け継がれ、その力が増加されたことが、今回の事態へと大きく傾いたのだ。

 そのため孵化からは、男神、女神となりうる種を持った神々が産まれ落ちた。けれどなりうるであり、どちらつかずの未成熟のままである。


 そんな時に出会ったのが、現在対立を深めているアーサーだった。

 涼やかな銀髪や、表情から窺えるあどけなさに、レイナと重なるものがあったのだろう。

 レンドは己の力の半分をアーサーに明け渡し、共に今後の世界を導いていくことになったのだ。

 すべては、レイナために。たくさんの同胞達と未来を紡げるように、いつでも彼女が戻れるようにしておきたかった。


 けれど履き違えたまま紡がれた歴史は、それほど長くは続かなかった。

 本来あるべき姿に戻ろうとする意志が働いた。

 すなわち一度すべて無に帰し、なかったことにすること。意志というのは、本来の形に戻ろうとする世界の補正力ともいうべきもの。

 孵化が徐々にではあるが、神々を再度取り込み始めていたのはそのためだった。

 その枠には、レンドさえ入っていたのだ。


 けれど思惑を知ったレイナは孵化から自力で抜け出し、レンドの前に現れた。

 一度取り込まれたなら、そこから脱するのは難しい。孵化と融合し、核となり果てたレイナなら、なおさらのこと。

 だがそれでも必死で孵化と己を引き離したのだ。

 核とは、レンドが男神となる際に受け取るべきはずだったもの。レイナを女神たらしめたもの。

核となったレイナがいれば、世界の意志はレンドをも取り込むことはできない。

 そのためレイナは自分の命を投げ打つ覚悟でレンドのもとへと向かい、自分の力と元来彼が受け取るはずだった核を委ねた。結果、融合という形でレンドと一体になったのだ。


 この先の未来を一緒に歩めなくて、約束を果たせなくて、ごめんなさい。せめてあなたの思うとおり、自由に生きて――


 溶け込む際に、別れともいえる言葉を告げながら。

 レイナから向けられた言葉と、孵化に取り込まれた際の記憶によって否応なく知らされた真実を、レンド自身も知ることになった。

 同時にレイナが持つ、新たな命を誕生させる力を多少なりとも受け継ぐことにもなる。

 最初はただただ衝撃だった。

 レンド自身が孵化に戻っていたならば、起こらなかったはずの別れと参事。レイナが戻ってくることを願い続けた日々。

 戻ってきた際、彼女と、彼女が取り込まれて以降に生まれ出た同胞達と共に歩み続けるという約束が、すべて瓦解した。


 だが茶番でしかなかった、これまでの行為。

 ならば元をただせば、本来歩むはずだった道程に戻るかもしれない。

 レイナとの約束を果たし、共に歩み続けてきた同胞達と新たな関係を築けるかもしれない。

 とっさにそう思い、アーサーへと手を差し伸べた。

 そのためには彼等の協力を取りつけ、反発する者を排除する必要があった。


 しかし彼は拒絶した。

 今ある世界を、移り変わろうとする摂理を捻じ曲げることを由としなかった。

 けれどレンドは知ったのだ。現存する世界そのものが歪められていることに。

 同時に失望した。差し出した手を拒絶されたことに。誰よりも近しい存在だった故に。

 守護者であるガリックも、彼の側についたことも衝撃だった。


 瞬時に決意した。

 彼等をも排除し、たった独りで本来の世界に戻すことを。

 そのためにはアーサーに渡した力の半数を取り戻す必要があった。

 だが思った以上に強情だった。

 いつまでもかまっている暇はない。微々たるものだとはいえ、彼以外に渡した力を回収するため、一旦離れることを決意する。

 そのとき生み出したザルバードに後を任せたのだ。


 核を失った孵化の力は確実に衰えていた。

 孵化は望んで還ってきた同胞達を取り込み、再構築を始めたものの力が足りない。

 そのため植物や動物達は、現在と比較すると確実に縮小していた。孵化に戻れずに消滅した者達は、精霊となって生まれ変わる。

 さらに変わったことは、新たに生まれた命達は等しく死が訪れた。

 元来神々と呼ばれた者達は、命に直結するほどの傷や力の激しい消耗、または大きな力の差による消滅がない限りは永遠ともいえたのだ。

 なおかつ再び孵化に戻ったことによるためか、新たな命が生まれる過程の中で変化が生じたためだろうか、男女の別が分かれた者達も現れた。彼等から生まれた者達は様々な種族の妖精となった。

 新たな命の移り変わりを見ながら、レンドは他の者達に明け渡した力を強引に奪い返すと、アーサーと何度も刃を重ねた。けれど互いに協力する同胞がおり、簡単には決着はつかなかった。


 神々と妖精が交流することも珍しくなかった創世神話末期。

 神々は、大まかに分けると三つの派閥に分かれていた。

 現状を覆そうとする、レンド派。今のままの平和を保とうとするアーサー派。

 どちらにも属さない中立派。

 レンドの側を混沌と破壊と不和を司る神々、アーサー側を真理と秩序と調和とを司る神々として、妖精達により三派の呼び名が分けられていた。

 その妖精達も生活して浮く上で、それぞれの神々を掲げていた。


 彼等をも巻き込んだ諍いは延々と続くかと思われたが、最終的にアーサーがレンドを封印するという形で終止符が打たれたのだ。

 力の消耗が激しく、とどめを刺せずに封印したアーサーは、再びレンドが表舞台に現れるかもしれないという危惧により、力の温存回復を優先させた。

 永い歳月が流れていく中で、人という存在が生まれた。

 妖精のように精霊の声を聞けず、特化したなにかも持ち合わせてはいない。

 それでも彼等は徐々に増え始め、必要以上に交流をしてこなかった妖精達の結びつきを強めていったのだ。

 やがて人は妖精達との橋渡しの役目を果たし、さらなる親睦が実を結び、巨大都市を創るまでに至った。


 けれどレンドは、そこに目をつけた。

 その一つが、人と妖精の関係だった。

 多かれ少なかれ人種や文化の異なる相手を受け入れることに躊躇いを覚える者はいる。そこには、ほとんどの場合綻びができる。

 レンドの指示により、マグノリアはそんな彼等の根底にある感情に、そっと囁きかける。

 すべてではなかったけれど、己の感情に身を委ねた者達により火種はでき、それは戦争という形で飛び火した。


 その後、魔物という存在を送り込むことを計画した。

 理由としては、生きとし生ける者達の殲滅と、互いが魔物という存在を生み出したのだという疑心暗鬼へと導くこと。


「その中に、宿主候補も組み込まれていました。それが人と妖精との架け橋として奮闘されていた一人である、あなたのお父上です。レンド様の悲願である、世界を本来の姿に戻すという目的のために」


 言い終えると、マグノリアは微笑を浮かべながら興味深そうにシンシアを見つめている。

 どんな反応を見せるのかを、楽しみにしている節がある。

 シンシアは、なぜだか胸が苦しくなった。哀しみや悔しさが、胸の奥でない交ぜになる。


「やりたいことはわかりました。でも、納得はできません。多くの命を奪って、人と妖精の仲を引き裂いて……」


「彼等を引き裂く必要があったのは、新たな宿主選別という意味もあったのです。どんな方向性であれ、強い感情を発するには強い生命力が必要となります。強い刺激を与えることで、誰が候補枠に当てはまるかを選別しているのですよ」


「お父様の命が尽きた時のために……」


 愕然と呟くシンシアに、マグノリアはその通りだと告げた。

 それには悪びれた様子などなく、むしろ教え子を褒めるような印象を受けた。


「……でもなぜ、父だったの。他にも、宿主となりうる方はいたでしょう」


「なぜと問われれば、似ていたためでしょうね」


「似ていた? 誰にですか」


 シンシアの問いに、マグノリアは笑みを浮かべるばかりである。

 まるでそれで、物事の本質を押し隠しているかのようである。

 けれどシンシアは、それに深く気を止める余裕がなかった。様々な感情が駆け巡り、当惑していた。

 レンドの行なおうとしている事柄と経緯、父が狙われた理由。すべてがどこか遠い出来事だと思えるほどに。

 なによりも、現在において魔王と称されている神、レンドが始祖だとは予想だにしていなかったのだ。

 目的のみでいうならば、本来あるべき姿に戻そうというレンド側に理がある。

 しかし既に突き進んでいる世界を壊していいものかという思いがあるため、感情的にはアーサーに分配が上がる。

 けれど両者はまるで正反対のようでありながら、根本は同じであるような印象を受けた。

 そのため驚きと戸惑いがあった。なぜなら神々の厳かさや清冽さは、妖精や人の考えが及ばぬ境地にあるのだと思っていた。


 意外にも彼等の情熱や思考、行動力はまるで――


「まるで私達、妖精や人であるみたい」


 とくに意識もせず、シンシアは呟いていた。

 口にして初めて、それが真理であるような感覚に襲われた。

 人や妖精よりも強靭な力を持ち、神と崇められてはいるけれど、感情の揺れ動く様は似通っている。

 ただの錯覚や虚構、もしくは独りよがりだったとしても。


 どちらにせよこれまで神々に抱いていたものは、幻想であり理想でしかないのかもしれない。

 レンドとレイナが始祖であり、それらから生まれたのがアーサー達であり、飛躍するならば今いる妖精や人も彼等から生まれた存在であるともいえる。

 そのことが衝撃であると同時に、すべてを取り戻すためだと語ったレンドの真摯さが、決意が、脳裏に鮮明に映し出された。


「妖精や人に似ている、ですか。当たらずとも遠からず、でしょうね。それであなたは、どうするおつもりなのですか」


 問われたけれど、不思議とシンシアの根底にある思いは揺らがない。

 むしろこれまでと並行して、一つ増えるだけのこと。

 先程の話が衝撃ではあったが、逆にそれが心を定める要因にもなった。

 現在は魔王と称されている神、レンドがより近くに感じたためかもしれない。


「私のやることは変わりません。変わらず父を説得します。そしてレンドの説得も」


 断言するシンシアに、マグノリアの笑みがわずかに深みを増した。

 選んだ行動を皮肉った笑みか、それとも純粋に嬉しいのか。

 なんにせよ、決意は変わらない。畏怖を抱いていたとしても、やりとげたい。


「よかったです、あなたの決意が変わらなくて。もし怖気づくのでしたら、どうやってそれから脱させるかと考えていましたからね」


「すべては賭けのため…ですか」


 マグノリアが気にしていたことを思い出し、シンシアは訝るように口にする。

 だが気にした様子もなく、小さく頷く。


「ええ、もちろん。それは私にとって、ひそやかな楽しみなんですよ」


「なぜ、と聞いてもいいのかしら」


「いいですとも。私は人や妖精が窮地に追い込まれた際、どのような決断をし、行動するのか見てみたいんですよ。とくに、あなたのような方はね」


 怪訝にマグノリアを見つめるも、彼は笑みをより一層色濃くするだけである。

 どうにでも取ることのできるそれに、シンシアは警戒を強めた。


「別段、どうこうするつもりなどありませんよ。ただの知的探求と申しますか。私達より確実に劣る存在であるにも関わらず、時として私達以上の力をもって苦難を乗り越え、途方もない力を発揮する。とくに不安や恐怖を抱きながらも立ち向かう、あなたのような方々は」


 その動力源というべきものが、今でも知りえない。

 だからこそ様々な形で、様々な者達を見てみたいのだという。

 どこまでが本心なのだろうと、シンシアはことさら眉をひそめる。


「では、賭けというのは……」


「私の期待や願望の表われとして受け取って下さい。賭けの報酬は、それを叶えてくれた感謝の印でもあるんですから」


 はたしてマグノリアの主張を、どこまで信頼していいのかはわからない。

 けれどそれを追求するのは不毛なのかもしれない。本心か欺瞞かはさておいて、彼が人や妖精のことを知らないということと同じように、シンシアも彼等のことを知らなさすぎる。

 ならばレンドに対してと同じように、一癖も二癖もある彼と向き合う必要があるのかもしれない。

 嘘か真かのみに立て分けて、疑念ばかりを抱くのもやめたほうがいいだろう。それでは偏った目線でしか物事を推し量れない。

 一度頭を切り替えるために大きく深呼吸をし、目の前の魔族を改めて凝視する。


「あなたの話も、考えもわかりました。ただレンドの話も聞いたばかりですし、少し風に当たっていろいろと今後のことを考えたいと思います。屋上に行ってもかまいませんか」


「いいですよ。ただし、私も同伴させて頂きます。これでもあなたの監視役も兼ねていますからね」


 野外、といっても神殿の屋上ではあるが、そこへと出るには少なからず制限がある。

 神殿内ならともかく、けして一人にさせないこと。

 シンシアがなにかしらの魔法を使い、外へと逃げるか、連絡を取ることを危惧しているため。

 だがそれ以上に、神殿周辺にいる魔物達に手出しをさせないためという名目のようだ。大事な人質でもあるため、丁重に扱う義務があるらしい。

 そのことを知らされていたため、シンシアは頷いた。

 マグノリアを伴い、禍々しい威圧感を受けながらも、シンシアは夕暮れ時を過ぎた空を見上げる。

 ほんのわずかな光が空に残っているものの、星がちらほらと舞い始めている。

 この空の下で、レンドはなにを想い、なにを願ったのか。

 推し量ることも理解することもできないかもしれない。

 自分のすべきことを選びとったものの、考えずにはいられなかった。



 ザルバードの攻撃により、地面が陥没した。

 ルアスとフィニアは逃げる暇もなく、吸い込まれるようにして周囲の砂と共に埋もれていく。

 濁流ともいえる砂のうねりによって、右も左もわからないまま押し流されていく。

 耳を塞ぎたくなるような、激流の音も凄まじい。このまま二度と外に出ることができずに生き埋めになるのではと、不安に駆られるほどだった。

 やがて崩れた土砂と共に吐き出されるようにして、どこかに流れついた。あまりに凄まじかったため、力なく倒れこむ。

 だが幸いにも直前に張り巡らされたアーサーの防壁によって、最悪の事態だけは避けられた。

 もしもアーサーがいなければ、確実に埋もれ、身動きさえ取れずに命を落としていただろう。

 ややあって身を起こし、辺りを見渡した。

 辺りは暗く、下はごつごつとしていた。まるで建物の一室のようである。


「ルアスさん、大丈夫ですか」


 どうやらフィニアも気がついたようだ。光の魔法で照らしだす。

 暗闇から急に明るくなったため、思わず目を瞬いた。


「俺はなんとか。フィニアも大丈夫か」


「はい、ところでここはどこなんでしょうか。まさかあの下に、このような場所があるなんて」


 驚きに包まれながら、フィニアは誰ともなく呟いた。

 ルアスも改めて周囲を見渡した。

 どうやらどこかの部屋らしい。室内は木ではなく、岩肌でもなく、レンガのような壁で作られている。

 共に流されてきた土砂により、やや崩れ、半分埋もれていたが、壁は紋様のようなものが描かれ、壁画ともいえるようななにかが掘られていた。

 まるでなにかの祭壇かなにかのように、特別な一室のようだ。


 それらが、どこかで見覚えのあることに思い至る。

 ふいに目線が、周囲の光景からアーサーへと移った。

 白竜は周囲を凝視しながら、わずかに眉間にしわを寄せている。

 疑念を持って見つめているというよりは、戸惑いや困惑が。

 さらには、ある種の確信めいたなにかがあるように感じられた。

 やはりここは、初めてルアスがアーサーと出会った場所と同じなのと直感した。


 もちろん現在いる一室は出会った場所ではない。だ

 が細工や紋様は異なるが、独特の雰囲気が似通っているのだ。


「なあ、ここはお前のいた場所と関係あるのか」


 周囲を見渡していたフィニアは、驚きの声を洩らしながら振り返る。

 質問者であるルアスがアーサーを直視していることに気づいたようだ。自然と白竜へと視線を滑らせる。

 うむ、とアーサーは小さく唸るようにして頷いた。


「直接の関わりを持っていたわけではないのだが、まさか今も現存していたとは……」


「お前の仲間がいた、神殿の一つか」


 いまだ驚きを隠しきれずにいるアーサーに、ルアスは問いを重ねた。

 そうでもしなければ話が先に進まないと感じたのだ。

 それほどまでに動揺が窺えたのだ。

 アーサーは一度口をつぐみ、再度ゆっくりと室内を見渡した。

 直後、小さく吐息をつくと、わずかに顔を上げる。まるで懐かしんでいるようであり、悔んでいるようでもある。

 ただわかるのは、遠い昔に想いを馳せているということだ。


「……ここは。ここは位置からして、おそらく中立派と呼ばれた同胞の神殿だろう。彼等は地下に神殿を作る特徴があったのだ」


「……でも、俺とお前が出会った場所も地下じゃなかったのか」


「あれは長年の風化によって、地に埋もれてしまっただけのこと。そのためほとんどが崩れ落ちてしまった。しかしここは先程のことがあったとはいえ、ほとんどが現存している」


 地下にあった神殿とは違い、重厚な造りという点においては同じだが、地下に建設たため、ほとんど風化せずに残っていた可能性は高いらしい。

 けれどそれでも創世記と呼ばれた時代の末期に建てられたものだ。

 相当な歳月が流れているはずである。それが今も現存していることに驚きを禁じ得ない。


 とはいえルアスにとって、以前の神殿とあまり変わり映えがしないように感じた。

 以前の出来事の方が先行し、神殿内をあれ以上まともに見る機会がなかったことが大きく作用しているのかもしれない。

 むしろ先入観という比較対象がない分、フィニアのほうが感銘を受けているようだ。

 このような形ではあったものの、遺産というべき神殿の一角を知ることができたのだ。

 なにも感じるなということのほうが難しいかもしれない。

 ただ疑問に感じるなにかがあったようで、わずかに首を傾げる。


「中立派の方々は、たしか魔王側の方々によって滅ぼされたと仰っていましたよね。なぜ神殿がこれまで無事に残っていたのでしょう。ここには中立派の神々はおられなかったのでしょうか」


 そういえばと、ルアスは心中で同意した。

 いくら神殿が地中にいるとはいえ、いや、あるからこそ中立派とレンド側との諍いがあったのなら、ほとんどが崩れ落ちて風化していてもおかしくはない。

 神殿に被害が出ないよう、離れた場所でということも考えられるが、これほどまでに形が残っているというのは逆に不自然だった。


「それはわからぬ。気づかれなかったのか、壊すほどではなかったのか。もしくはレンドが偽りを語ったのかもしれぬ」


 奉る人々が神殿を建てたものの、当の中立派の神々がいたかどうかさえ分からない。

 確認しようがないと小さく唸りながら、アーサは告げた。


「中立派の方々は、本当に一人も残ってはいないのでしょうか」


 一抹の希望を胸に秘めつつ、フィニアは問う。

 しかしアーサーは力なく、左右に頭を振った。同胞がいればなにかしらの波長を感じるという。

 そのような行動をとったということは、おそらく彼等の気配を感じることができないのだろう。


「だがなにかしらの息吹は、微かに感じることができる。それは……。いや、その前にここから出なくては」


 いまだに疑問や、つもる話は残るが、神殿から出ることはルアス達も同じだった。

 そのため一様に頷く。

 しかし押しながられてきた場所は土砂崩れによって塞がれ、室内は半壊している。


「どうしたもんかな。いっそ天井をぶち抜いて……無理だよな」


 誰に問うでもなく、ルアスは苦笑しつつ天井を見上げた。

 口に出したものの、最初からわかっていたことでもある。

 一部とはいえ神殿が崩れたばかりであり、しかもどの辺りに流されたのかわからない。

 下手に力を加えると、生き埋めになる確率は跳ねあがる。

 たとえうまく事が運んだとしても、ザルバードが待ち受けている可能性もあった。

 幸い第ニ波の攻撃はないものの、いつまでのことかわからない。

 たとえなかったとしても、いつまでも神殿内に留まっていては、危険がつきまとう。先程の衝撃で、建物だけではなく、地盤も緩んでいるだろう。

 ここは慎重になって、脱出ルートを確保するしかない。


 とはいえ神殿内の構造など知る由もなく、以前アーサーと出会った場所でさえ無我夢中だった。

 そのためどのように外に出たのかを、ほとんど覚えていない。

 だがアーサーならなにかしらわかるのではと、無意識に視線を向けた。

 フィニアも同様に白竜を見つめていた。

 二人の視線と、現状の打破も、アーサーは感じ取ったのだろう。

 表情をほとんど変えることはなかったが、思案気に頷いた。


「この神殿は、おそらく当時の人々も使用していたものだ。地上へと繋がる道はあるだろう。しかし……」


 アーサーも神殿内の構造はわからないようだ。

 どうしたものかと、ルアスは周囲を見渡した。

 半壊したあげく、見通しが悪い。結局のところ有効な手段はないのだと、軽く頭を振った。


「地道に上へ行く道を探すしかないようですね」


 それぞれの表情が芳しくないことに、フィニアも気づいたのだろう。

 光で周囲を見渡しながら、使えそうな道を探している。

 現在いる場所は、半分ほど決壊した壁の破片や、地上から流れ込んできた砂や土などで溢れている。

 先程は壁などに描かれた紋様等に気を取られていたが、扉らしきものはない。

 どうやら土砂によって崩れ、押し流された部分に扉があったのだろう。


 かといって手をこまねいているわけにはいかない。

 無事な壁へと歩み寄り、手の甲で軽く叩いていく。

 壁の向こう側がもしも通路なら、音の響き方が異なるかもしれない。

 これまでそういった経験は数えるほどしかないものの、耳を壁に押し当てながら何度か叩いていると、向こう側へと突き抜けるような音が聞こえる。

 どうやら道はありそうだと感じ、今度は脆そうな壁を手探りで探す。だいたいの見当をつけると、剣の束をそこへと叩きつけた。


「……いってー。結構硬いんだな」


「大丈夫ですか」


 フィニアは心底心配そうに、ルアスを見やる。

 いくら脆くなっているとはいえ、さすがに生半可な力では簡単にはいかないようだ。

 かといって、どんなに小さな魔法でさえ使うわけにはいかない。

 ほとんどは肉体的な力より威力は上なのだ。思惑どおりに崩れているとは限らず、どのような影響を及ぼすかもわからない。

 手はわずかに痺れたものの、ルアスはすぐに挫けるわけにはいかなかった。

 これまでフィニアに頼り過ぎていたのだ。このような場面でさえ寄りかかっていては、男としての面子や意地がある。


「大丈夫だって」


「ですが……」


「そんなに心配なら、怪我でもしたら手当でもしれくれないか」


 なおも歩み寄るフィニアに、ルアスはカラカラと声をたてて笑った。

 そして再び壁を柄で叩きつける。

 打ちつけること数十回、一部が瓦解し、足で思い切り蹴りつける。


 するとバラバラと音を立てながら崩れ落ちる。

 おかげで身を屈めてなら、人一人なら通れそうな大きさの穴が開いた。

 ルアスは穴から通路へと顔を出してみると、左手の方は行き止まりだったが、右手の方は先へと道が伸びていた。

 奥は暗くてわかりづらいが、とりあえずのこの場所からは移動できそうである。


「大丈夫そうだ。フィニア、ついてきて」


「あの、でしたら私が先頭に立ちます。道を照らしますから」


「そんなわけにはいかないよ。魔法を使いながらだと、なにかあったときすぐに対処できないだろ。詠唱にだって時間はかかるし、単純な魔法だって体力は徐々に消耗するんだし」


「それはそうです。ですが……」


 なおも渋るフィニアに、ルアスはそれにと続ける。

 だがやや照れくさそうに、頬を染める。

 少しくらい男としての意地を押し通させてくれと、小さく吐きすてるように発した。

 自分で言っていてなおのこと恥かしくなったルアスは、フィニアを待たずして通路へと身を乗り出した。

 そして荒々しい足取りで先を急いだ。

 後ろでは光を作り出す魔法を携えながら、フィニアが慌ててついてきた。後方から出あるものの、光は充分に足元や進行方向を照らしてくれる。

 通路は存外に広く、横幅は三人並んでも余裕がありそうだ。天井も、約二人分の高さがある。

 ただ先程のような紋様は、天井や両脇の壁には見受けられない。

 だが代わりに、ロウソクや松明などを灯すための台座は等間隔に設置されている。

 魔物や動物も入り込んでいないのだろうか。見る限り、閑散と静寂があたりを支配している。

 とはいえ見える範囲にはいないという可能性もあるため、ルアスは拍子抜けしつつも注意を怠るまいと周囲に気を配る。

 フィニアも面立ちに、微かな緊張が見受けられた。


「本当に上に行く道、あるのかなあ」


 ルアスは力なくぼやいた。

 なぜなら行く道に、上へと行くための階段らしきものはなかった。

 道の一部は土砂か壁が崩れ、塞がれていたのだ。

 部屋らしき場所はあったが、通路と呼ばれる道しか見ていない。

 だが通路に出れば、少なからず上へと出る道があるのではと楽観視していたのだ。


 それでも、大丈夫、道は必ずあるのだと叱咤しながら足を進める。

 どれほど経ったろうか。やがて最後と予測される道へと出たが、そこも壁が立ち塞がっていた。

 その様に、ルアスは思わず言葉を失った。

 気楽に捉え過ぎていたようだと考えると同時に、焦りが生じた。このままでは出ることはできないのではと脳裏をかすめる。


「お気持ちは察しますが、別の道を探しましょう。まだすべての部屋を見たわけではありませんよ。もしかすると、部屋の中に、別の部屋か通路に出るための道があるかもしれません」


 少なからず脱力するルアスに、フィニアは微苦笑しながら励ました。

 表情からは、少しばかり疲労の色が窺える。

 神殿にいる間中、文句の一つも言わず、光で周囲を照らしてくれているのだ。地味な魔法ではあるが、やはり徐々に労力を使うのだろう。

 そうでなくとも光の神殿へと行く途中や、ザルバードの交戦で力を使っているのである。

 大変なのは、むしろ彼女の方なのだ。

 いつまでも挫けて足止めを受けているわけにはいかないと、ルアスは心の内で自分を叱責する。


「……そうだな。いざとなれば、また壁を壊して道を作ればいいわけだし」


 かなり骨が折れそうではあるけれどと考えつつ、ルアスは再度奮起した。

 そして来た道を戻り、新たな道を探すべく、足を踏み出した。

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