六回
〇三章,激動の末に・下/六回
人間なんて嫌いだった。おぞましいとさえ思っていた。
だからこそ、初めて出会い、共に旅をするも信用なんてできなかった。
それでも行動していれば、なにかと都合かいいかもしれないと思ってのことだった。
だというのにエレノアもゲオルグも、窮地に陥りそうになるエルフォーネを見捨てることなく、何度も手を差し伸べてくれた。
人間すべてが嫌悪の対象なのではないのだと気づかせてくれた。
だからこそ二人にできることがあるのなら、力になりたいとさえ思い始めていた。
ならば望みを叶えるために奮闘すべきなのだろう。けれど本当に、それでいいのだろうかという思いが頭をもたげていく。
既に覚悟を決め、平静でいる二人を直視できることができない。
胸の奥でなにかがざわめき、不安と悲しみを掻きたてていくのを感じていた。
「ねえ、これからどうするの」
どうするかはわかっていながら、聞かずにはいられなかった。まだなにも返せてはいないのだ。
「もちろん光の神殿に行くさ。人と妖精が結束できるかどうかは別として、光の神殿には実際に妖精達が集まっているんだ。魔王達は、きっと見逃しはしないだろう」
人と妖精が手を携えることはなくとも、妖精は魔法が使える。
とくに精霊長ともなると、魔族と対等に戦うことができる。
魔法が使えない種族であっても、特化したなにかを持っている。
ゲオルグ達が明言したように、魔王が放っておくはずがない。
だが、とエルフォーネは問いたげな眼差しを向ける。
「心配するな。ルアスやアーサーも光の神殿に来るだろう。なんせこいつが、ここにいるんだからな。そうだろう?」
ゲオルグはシェイドへと視線を滑らせながら訊ねた。
彼はルアスと行動を共にしていたのだ。現在は別行動とはいえ、いつか合流すると見込んでのことだろう。
聞きたいことは別にあったのだが、心配であることは事実であるため、エルフォーネも目を向ける。
「……おそらくは、とだけ言っておこう」
しかめ面ながらも、シェイドは応じる。
「おそらくって、どういうこと」
「さあな。貴様達に教える義理はない」
エレノアの問いに、シェイドは変わらず仏頂面である。
徹底した態度に反感ではなく好感を持ったのか、ゲオルグは笑みを零した。
「まあ、なにしろあいつらも光の神殿に行くだろうな。お前さん達は、このまま旅を続けるのか」
「俺は貴様達と行く。再びザルバードが現れたとき、好き勝手にされては困るんだ」
「だが人と妖精の仲立ちをするために、行動しているんだろ。それにフロリスミアといったか。そこの別嬪さんは妊婦だろ。どこでなにがあるのかわからない以上、放っておくのもどうかと思うぜ」
「俺は考えを改めるつもりはない」
シェイドはゲオルグを睨み見る。
一歩も引かない意気込みも、気迫も凄まじい。先程の比ではない。それだけ本気なのだろう。
「ならば私が行きましょう」
グレナスが名乗りを上げた。けれど難色を示したのは、フロリスミア達である。
「なにを言っているの。貴方はお子さんがいるじゃない」
「そうですよ。子供を、なにがあるかわからない場所に連れていくなどできません」
「けれど貴方方お二人を、このままにしておくわけにはいきません」
けれどと、夫妻は更に非難の声を上げようとする。
「僕はお父さんと、一緒に行かない。一緒に行きたいのは、ゲオルグさん達の方だ」
フォルシスの発言に、一同は絶句する。目を瞠る、眉をひそめる、訝しむ。
表情は様々だったが、皆一様に驚きを隠せないでいる。
年端のいかない子供は親と共にいるのは当然の成り行きだと、誰もが思っていたのだ。その子供が、拒絶という形で行動に移すとは考えが及ばなかったのである。
「な……なに言ってるのよ。どこに行くか聞いてたんでしょ。子供だからって、見逃してもらえる場所じゃないのよ」
「うん、わからないから行くんだ。妖精がどんな人達なのか、僕は知らない。だから……」
「だからといって、お前を喜んで送れるものか。人間を忌み嫌う妖精が多いのは知っているだろう。
戦場にもなるかもしれない」
ようやくフォルシスの言葉を認識したエルフォーネとグレナスは、猛反発する。
大の大人でさえ、危険の伴う場所である。いくらゲオルグやエレノアがいるからといっても、無事であるとは限らない。
だがフォルシスは、拗ねたように父を睨み据える。
「お父さんは僕の意思を尊重して、やりたいようにやらせてくれるって言ったじゃないか」
「それにしたって限度はある。子であるお前を、必要以上に危険には晒したくない」
「だからってお父さんの行く場所が、安全だって保証はないじゃないか!」
グレナスは返答に窮した。
事実グレナス達の行く先が、必ずしも安全であるとはいえない。
人と妖精との架け橋にするために渡り歩くからには、石を投げられることもあるだろう。
最悪大怪我にもなりかねない。ただ戦場になるかならないかの違いである。
それでも行かせるわけにはいかないのか、口を開きかけた。
「危険なのは大人も子供も同じだ。僕は絶対、グレナスさん達と一緒に行くんだ」
フォルシスは声を荒げながら、なおのこと意思を伝えた。
「なんだってそんなに、ゲオルグさん達について行きたいんだ」
グレナスは息をつき、心を落ち着かせ、息子を見やる。
フォルシスは言い分を聞き入れてくれないことに不服であり、納得できないようだ。
伏せ見がちな目元には、憤りと反発心がありありと浮かんでいる。
「……知りたいんだ、妖精のこと」
「知って、どうするつもりなんだ」
「わからない。わからないから知りたいんだ。お父さんは、あの日のことを教えてくれた。ルアスさん達が人間じゃないことも聞いた」
グレナスは一瞬、言葉に詰まる。
昔、怪我を負った子供の妖精達に襲われたことは話した。
けれどルアス達が妖精の部類に入るのだということは、一言も伝えてはいないのだ。
だが以前、ゲオルグ達と初めて出会った時に、その話をしていたことを思い出した。
「あの時の話を聞いていたのか」
「……うん。最初は凄く驚いて、許せなかった。でも後になって考えれば考えるほど、わからなくなった。妖精が本当に悪い奴等なら、どうして僕達を襲った女の子は、仲間が来るまでなにもしなかったんだろう。ルアスさん達は、なにもしかなったんだろうって。とくにルアスさん達は、優しくしてくれたのに」
フォルシスの声は、後に行くにつれ徐々に小さくなっていく。
多くの妖精を見て、どのような思想によって行動しているのかを知りたかった。
本当に周囲が言うように、ただ残虐で悪い存在なのかどうか。
「なのに子供だから駄目だなんて、そんなの大人の勝手な都合だよ」
「そうかもしれないな。お前なりに、いろいろと考えてのことだということは、嬉しく思うよ。だが駄目だ」
「どうしてさ!」
「身を守るための体力も、知恵も、そのための経験も少ない。いくらゲオルグさん達が一緒にいるといっても、足手まといでしかない。それにお前が行くのなら、私も一緒に行く」
「待ってくれ。あまり大所帯になると、俺達だって庇いきれなくなるぞ」
ゲオルグが制しする。
妖精や魔族との諍いが起きれば、おそらく真先にグレナスなどの力なき者達が襲われる。巻き込まれる。
数が多くなればなるほど庇うのは難しく、なおかつザルバードが現れれば、そちらに集中しなくてはならない。
「大丈夫、すぐには行きません。まず、フロリスミアさん達と共に行くんです。きっと妖精達のいる場所へも行くことでしょう。ですね、フロリスミアさん、リフティアさん」
グレナスは、二人を見やる。
すると二人は頷いた。
「人だけではなく、妖精側の理解も必要ですから」
「でも僕は……」
「妖精の事を知りたいのなら、フロリスミアさん達と行動を共にしてからでも遅くはないだろう」
「けど、でも!」
「意思は尊重する。そう言っただろう?」
少々遠回りになるが、これならば承諾してくれるかと、グレナスは訊ねた。
意に反したことにはならないが、納得はできないのだろう。
不満がフォルシスの満面に映し出されている。しかし暫しの沈黙ののち、渋々ながらもフォルシスは小さく頷いた。
*
結局この日は、陽が落ちることも相まって、町から少し離れた場所で野営を敷くことになった。
人数が多くなったことで賑やかになるどころか、逆にどこか物々しい。
おそらくゲオルグ達から聞かされた、おとぎ話のような事実が起因しているのかもしれない。
とくにそれを助長しているが、フォルシスとシェイドである。
やがて真夜中となった頃、横になっていたはずのシェイドは立ち上がり、ゲオルグ達へと静かに歩みよる。
「起きているんだろう。顔を貸せ」
「やれやれ、またか。血気盛んな坊主だよ」
囁くように受け答えると、ゲオルグは頭を掻きむしりながら起き上がる。
表情は呆れているようで、けれどどこか楽しんでいるようでもあった。
「じゃあ私は、ここで見張りをしておくわね」
だから心配も気兼ねもせずに行ってらっしゃいと、エレノアは手を振った。
シェイドはその様に嫌がる素振りを見せたが、なにも言わずにゲオルグと共にその場を離れた。
暫くすると立ち止まり、シェイドはゲオルグへと振り返る。
「貴様に聞きたいことがある。まだ隠していることがあるだろう」
「隠していること? 昼間すべて言ったと思ってたんだがな」
とぼけたように笑みを浮かべながら、受け答えるゲオルグにシェイドは眉をひそめた。
怒鳴り返したい衝動に駆られつつも堪え、無言で先を促した。
「言ったろう。俺とエレノアはアーサーによって仮初の命を与えられた。形成する本質そのものが変わっちまったてな」
「俺は、それがすべてとは思っていない。なぜなら仮初の命を与えられようが、肉体が変質しようが、元々は人間でしかない。俺達のように精霊と会話し、呼び出せるわけではない。それだけでも、できることは大きく異なる」
いくら肉体を鍛えていようと、限界がある。
魔物を倒すことはできるかもしれないが、魔法を扱う妖魔以上が相手となると、勝手が違う。
魔法をまともに受ければ、致命傷になること請け合いである。特例はあるかもしれないが、ほとんどの場合それは変わらない。
魔族であるザルバードでさえ、ルアスの放つイフリートによって負傷させられたのだ。
いくらゲオルグ達が魂の存在となり果てても、なにかしらの影響は受ける。
細分化すれば多少異なるが、精霊と魂は思念体なのである。
肉体を持っていた以上に、影響は受けやすいのではないかというのがシェイドの見解である。
そのため視線をそらさずに、目の前の男を見つめる。
ゲオルグも受け止める。やがて短いため息を漏らす。
「やっぱり、その身に精霊長シェイドを取りこんでいるだけのことはあるな。アーサーとも縁が深いみたいだし、別にいいか」
もはや隠しだてする必要はないなと、ゲオルグはぼやいた。
「俺達の肉体は、精霊によって形成されているんだ。いや、吸収しているって言った方が表現的に近いか。いやいや、それとも精霊を取り込む器になったというほうが……」
「なんだ、それは」
シェイドは冷ややかな物言いだったが、鋭い眼光には「ふざけるな」と言わんばかりの憤りが現れていた。
あからさまな態度に気がついたようで、ゲオルグは微苦笑した。
「いやいや、ふざけてるわけじゃないんだ。どう説明すればわからなかったんだ。こういうことは俺の分野じゃないんでな」
弁解するものの、シェイドは更に剣呑とした眼差しを向ける。
「まあ、話を元に戻そうか。俺達は精霊を受け入れる器なんだ。肉体に留めた精霊の力を詠唱せずに使うことができる。だから魔法には、ある程度耐性がある。といっても宿っているのは下級精霊だけだけどな」
「だが貴様達の体は、もってニ、三年だと言っていたな。なぜだ」
「物には限度ってものがあるんだよ。あの日、俺達の体は器として再構築された。その後、中級、上級の精霊もと思っていたらしいが、アーサーも精霊を召還することはできなかったみたいだしな」
そのため周囲にいた下級精霊に、協力を願い出るしかなかった。
そうでなくともアーサーの体力の消耗も激しかった。一度神殿に戻って回復を待たねばならないほどにだったという。
必ず戻ってくる。アーサーはゲオルグ達に言い残し、去って行った。
理由はわからないが、その日を境に結局は戻ってはこなかった。
力が思うように回復していないことも考えたが、レンド達に足止めをされている可能性も視野に入れていた。
そのためゲオルグ達は、直接神の神殿に乗り込むことを決意する。
けれどそこには、無数の魔物達が蔓延っている。それだけの数を相手にすれば、魔の王と対峙するどころか、魔族にさえ行き当たらないだろう。
そのため神の神殿から他の場所へと行き来することの多い、ザルバードを標的にした。
ザルバードを従わせるか、もしくは首を持って神殿へと赴けば、必要以上の戦いは避けられる。
そのためこの十七年間、延々と攻防を繰り返していたのだという。
「なるほどな。貴様は今、精霊を入れるための器だと言ったな。俺が貴様に呼び出した精霊を入れることは可能なのか」
「おそらくは。ただどう受け渡しするのかは、俺達も知らないんだ」
なんせ一度もやったことがないからと、ゲオルグは苦笑する。
シェイドはゲオルグを見据える。すかした態度の裏に嘘がないかを見極めるためである。
ただ相手が一枚上手なのか、真実なのか、にわかにはわかり難い。
「まあいい。だがなぜアーサーは、貴様達の前に姿を現さなかった。なぜアーサーのいる場所へと行かなかった。なぜ再会したというのに、貴様達はここにいる」
「考えなかったわけじゃないが、成り行き上としかいいようがないな。それにあいつのいた神殿には特殊な加工がされていてな、逆利用されている可能性もあった」
その場合、ゲオルグ達の力だけではどうしようもなかったらしい。
それがザルバードをつけ狙う要因の一つだということである。
シェイドは彼等の関係性や背景などが気にかかったが、とくに神殿の特殊な加工ということに興味が沸いた。
少々の頃にザルバードの放った、番人の息子という言葉が今でもしこりとして胸の奥で燻っていた
ためだ。
「逆利用?」
「結界に、ある妖精の血族の血を織り交ぜて、他の神々の侵入を防いだらしい。だが血族の血を逆に利用し、閉じ込めることもできるらしい。実際のところは、わからないけどな」
「ある血族……」
シェイドは微かに疑惑と確信、
衝撃と怨恨等が様々に現れては消えていく。
まさかという思いが拭えない。
最後には、ある種のもどかしさとも、悔しさともとれる思いが胸の内を掻き乱した。
「結局俺達の体は、もうそんなにはもたない。精霊を受け入れることができたとしても、摂理は止められないからなあ」
ゲオルグはぼやき、深く息を吐いた。
悔しさと、もどかしさと、切望と。様々な感情が、その吐息からは感じられた。
そう思わせたのは、きっと水の神殿での再会だろう。
そもそも既に、この世には存在しないはずの人間なのだ。死が訪れれば誰もが等しく大地に還り、再び新しい命として生まれ変わる。それがこの世の不変の理とされている。
アーサーの力により現世に縛りつけられてはいるが、魂さえも還りたがっている反動なのだろう。
いまだに気になることは多々ある。
しかしそれ以上に、ある種族の血を結界に織り交ぜたという話が頭から離れず、聞きたい誘惑から抗うことはできなかった。
「ある血族の血を織り交ぜ、結界をなしていたというのは、どういうことなんだ。今もその血族は生きているのか」
「さあな。記憶を見せられたが、正直そこまでわからんよ。アーサー、もしくはレンドなら、なにかしら知っているかもな」
曖昧な返答に、シェイドは歯を噛みしめる。
ルアスがどのようにして、アーサーと出会ったかは知らない。けれどそれほど離れた場所ではなかっただろう。
おそらくそれが神殿だとして、現在においても血族が絶えていないのだとしたら、十七年前に町を襲い、家族を殺害し、番人の息子と告げたザルバードの行動にも納得がいく。
もし読み通りだとするなら、どこまでも神々の争いに翻弄され続けていることに、どうしようもないほどの怒りと嫌悪が込み上げる。
ザルバードを使役しているレンドだけではなく、アーサーに対しても。疑念も、憎悪も、深く深く浸透していく。
「お前は、このまま戦い続けるつもりか」
「当然だ。生半可な思いで、ここにいるわけではないんだ」
「復讐か…。俺の言えた義理じゃないが、このままいくとお前、闇の精霊長に呑みこまれるぞ。そうなれば、お前はお前でなくなる」
呑みこまれる。それは闇の精霊長シェイドの一部となるということ。
輪廻の理から外れる、数少ない例外。
最初から、そのようなことはわかっていた。契約したあの日から。
そのため、いいのかと問うゲオルグに、シェイドはありったけの敵意を向ける。
ゲオルグが、それくらいで動じる人物ではないとわかっていた。
だが侮辱されたかのように感じた。結局復讐する前に呑み込まれたのなら、無駄でしかないのだと。
「貴様の知ったことか。俺はすべてを、目の前で失ったんだ。復讐を終えるまで、あの日見た光景を、絶望を、喪失感を、俺は絶対に忘れない」
「だが俺と違って生きている。それに失ったのは、すべてじゃないだろう?」
虚を突かれ、ふいにフィニアとユーイが脳裏に浮かんだ。だがこれは邪念だと、強く頭を振る。
けして彼女達が、その枠に当てはまるはずがないのだというように。
「それこそ、貴様の知ったことか!」
言うとシェイドは、まだなにか言いたげなゲオルグを残し、踵を返した。




