十五回
〇三章,激動の末に・上/十五回
事の顛末を語り終えると、アーサーは息をついた。
「これが現在へと至る、我等の戦いなのだ」
だからこそ宿主の力を根こそぎ奪うのではなく、一定の回復が見込めれば、なにも言わずに去るつもりだったのだと告げた。
ルアスとフィニアは、すぐには返す言葉がないようで、戸惑いと困惑によって立ち尽くしている。
どう考え、受け止めていいのかわからないのだろう。
無理からぬ話だと、アーサーは思った。
「どうしたいか、今後のことを考えてくれ。我はその間、別の場所で寛いでいよう」
アーサーは羽をはためかせ、ルアス達から離れた。
彼等から遠くもなく、近くもない場所に降り立つと、空を仰ぐ。
昔のことを語り、当時のことが強く思い返された。空の向こうにいるレンドへと、思いを馳せる。
同胞はいなくなり、世界は昔に比べて大きく様変わりしている。
けれど同胞達のおかげで生まれ落ちた者達は、妖精や人間という形で生態が変わっただけで、なんら変わらない。
レイナとどのような言葉を交わし、去っていったのかは、いまだに知らない。
けれど同胞を守り通してほしいというレイナの想いは、今生きている彼等も含まれてはいないのだろうか。
けれどアーサーでさえ思うことを、レンドは既にわかっているのかもしれない。
それでもあの頃に戻りたくて、縋りたくて、だからこそ彼等を同胞として認めたくなくて、すべてを覆してでも滅ぼしたいのかもしれない。
最大の理由は、ルアスの父を宿主に選んだことによる。
おそらく当時の自分を彷彿とさせたためかもしれないと、今更ながら思うのだ。
彼は人と妖精との共存を望み、サフィニア都市建設に大きく関わった人物だった。
傍には彼の親友であるゲオルグ、エレノア、そして妻のレイチェルがいた。
アーサーにとっては彼等の姿が、当時の自分やレンド、ミレイアとガリックに思えたのである。
レンドにとっては、アーサー達か、それともレイナとの頃かはわからない。
それでも当時の自分を重ねたのだろうということだけは、わかった。
誰でもいいのなら、当時の自身を彷彿とさせる誰かを選びはしなかっただろう。
けれど孤独と寂寥の果てにすべてを無に帰したところで、その後どうするというのだろう。
なにが残っているのだろう。この世界にいる者達は、こんなにも生き生きとしているというのに。
時は流れ過ぎ、世界の成り立ちも大きく変わった。自分達の役目は、おそらくないのだろう。
できることがあるとすれば、粛清という横暴によって手出しをするのではなく、見守っていくことだけなのかもしれない。
同時に今も昔も変わらぬ思いがあった。レンドを殺すのではなく、止めたい、話をしたい、ということだった。
レンドの現在の思いに、偽りはないだろう。だが約束やレイナへの思いに縛られてたままの言葉ではなく、本来持っているはずの、レンド自身の言葉を聞きたい。
いまだに考えを改めていないのかと二人に叱り飛ばされそうだけれど、願わずにはいられなかった。
なぜなら生まれたばかりのアーサーに道を示してくれたのは、他ならぬレンドだったのだから。
*
結局この日も、ルアス達は植物の神殿で一夜を過ごすこととなった。
瓦礫に横たわりながら、ルアスは考えた。
アーサーの過去と、巻き込みたくないと考えながらも、無理強いをしてでも協力を得なければならなかった理由。交わされた、いくつもの約束。
約束は一種の契約であり、果たすまではその人の一生を縛りかねない楔。
それを背負いながら、アーサーは戦い続けてきた。きっと自分達の未来を切り開くものだと信じて。
ルアスとしては、アーサーに協力したい気持ちは充分にある。
だがアーサーの抱えるものまでも、共に背負う覚悟はあるのだろうかと自身に問うと、どうしても躊躇いがある。
アーサーのように確固たる意志を貫き通せるのだろうかと、迷ってしまう。
神の神殿に赴く準備ができたなら、ルアスの体から出ていくと約束した。
約束が契約であり、自身を縛りつける楔ともなりうるのなら、きっと本当に出ていくのだろう。たった一人で、すべてを背負いながら。
けれど宿主であるということは、状況によっては神の神殿に行く前に、生気をすべて吸い取られてしまうこともあり得る。
生きていたい。生きていたいのだ。それが一番の障害となっていた。
フィニアは、どう思っているのだろうか。
考えを聞きたくて、ルアスは唯一残った部屋を除いてみる。だが誰の姿もない。
どこにいるのだろうと捜してみると、意外にも早く見つかった。レーレンの墓の前に座っていたのである。
「こんなところにいたんだ」
「落ち着いて考え事をしたいと思っていたら、自然と足がここへと向かったのです」
フィニアは柔らかく笑う。目元は少しばかり、寂しさが宿っていた。便乗してルアスは隣に座る。
そのやり取りの後、二人の間に沈黙がよぎる。
言いたいこと、聞きたいことがあるのだが、ルアスは言葉として紡ぎだすことができない。気持ちを落ち着かせるため、軽く息を吐いた。
「あのさ…アーサーの言ってたことなんだけど、どう思う?」
「嘘をついているようには、見受けられませんでした。どちらにせよ着いていきます。それは変わりません」
「でも、でもさ。アーサーとかが背負ってきたものを考えると、俺……」
「私も気遅れはしています。ですがそれでも着いていきます。私には止めたい人がいて、伝えたいことがあるんです。それが私自身の描く道で、我儘なのです」
「我儘?」
思わずルアスは反芻していた。フィニアは力強く頷く。
「私なりの我儘。誰がどうしたいのか、どう過ごしてきたかによって、自分がどうすればいいのかと思い悩むことはあります。けれどそこに私のできることが少しでもあるなら、なにかしたいのです。自分がどうしてここまで来たのか忘れてしまったら、きっと後悔ばかりが残ってしまいますから」
「フィニアの旅を始めた理由って、元々そういった経緯だったな。強いよ、皆。命懸けで向き合ってる」
とはいえフィニアの言葉が胸に刺さった。
きっとアーサーも同じなのだろう。戻ってきてほしいと願いながらも、戦う理由は。
「ルアスさんは、どう思いましたか」
自分はどうなのだろうと、ルアスは改めて思う。
最初は姉とエルフォーネがいてさえくれれば、それだけで良かった。だからこそ取り戻す旅に出ている。
けれどできるなら、こんなふうに誰もが迫害されることのない世の中であってほしい。その中にハーフ達もいてほしい。
そのためには根源であるレンドを倒す。
そうすれば少なからず終止符を打てるかもしれない。好転できるかもしれない。
旅を続ける上で、その思いが強くなっていた。
けれど――
「アーサーの話が本当なら、レンドの気持ちもわかる気がするんだ。大切な物があって、すべてを壊してでも取り戻したいって気持ち。だからって誰かが傷ついて、命を落として、そんなの……そんなの許せるわけがないんだ。だからアーサーが止めたいって気持ちも、充分にわかる。でも、怖いんだ」
それらを思うと、ルアスはふいに笑みがこぼれた。
自嘲するような笑み。膝を抱えて、目を伏せる。
「神の神殿にいる姉さんを助けたい、エルをこれ以上巻き込みたくない。それと混血児がどうして迫害を受けるのか、そのためになにができるのか考えてた。そのために向き合うんだって」
でも、とルアスは呟いた。
「この戦いは、命さえ落としてしまう。俺は命を落とす覚悟なんてない、皆と生きたい。怖くて、死にたくなくて……逃げたいって、思う」
ルアスは膝の中に顔を埋めた。僅かに肩が震える。恐怖が心臓を鷲掴みしているような感覚さえある。
答えは出ているはずなのに、どうしたらいいのかわからなくなる。
「死を目の前にして、ただの一度も怖くないと思う人なんていないと思います。そう、一人も」
「でもフィニアは着いていくんだろ。それにシェイドだって、殺されるかもしれないってわかってて魔族の一人に突っ掛かっていったじゃないか」
「なにも死ぬつもりなんてないのです。譲れないものが、そこにあるからなのですよ。たとえそれが、どんな想いであれ」
だから戦うのだと、フィニアは続けた。
「それに私の場合は、話し合うことで止めることができるかもしれないと考えたのです」
「止めるって、アーサーでさえ難しかったのに!」
「そうですね。それに実際に会ったことがないので、話し合えると勝手に私が思っているだけです。けれど考えてみて下さい。なぜレンドさんは、アーサーさんを殺さなかったのでしょう」
「それは……なにか狙いがあったからかもしれないだろ」
ルアスは返答に窮しながらも、反論する。だが拭えない思いがあるのも事実である。
機会はいくらでもあっただろう。アーサーとの話の上でも、そういった場面はあった。
「そうかもしれません。ですがそうではないかもしれません。可能性があるのなら、やり遂げてみたいのです。これ以上誰も傷つくことなく、平和に暮らせる日がくるように」
ルアスも、それは同じである。
けれど話し合いでなんとかなるのなら、既に集結しているはずである。
限りなく困難だということは、フィニアも容易にわかっているのだろう。
夜空を見上げる眼差しには、成し遂げてみせるのだという強さがあった。
それぞれ戦い方は異なるけれど、理由はそれで充分なのかもしれないと、ルアスは思った。
おそらくアーサーも、魔王と呼ばれるレンドも、シェイドも、フィニアも、出会った誰かも、そうでない人達も、全部。
譲れないもの、引けないものがあるから、戦いになるのだろう。
水の神殿に入る直前に人が変わったようだと言われたが、本当の意味で向き合っているのはフィニアの方かもしれないと、つくづく思う。
「本当に強いな。俺は全然、結局向き合えてない。肝心なところで逃げてばっかりだ」
「そんなことはないです。お姉さんを捜したい、助けたいという思いがあったから、ここまで来たのでしょう? 旅を経てなにかをしたいという思いが芽生えたのなら、探しましょう。ルアスさんが無事に生きて帰るために、成し遂げられる方法を」
フィニアは穏やかに微笑んだ。ルアスへと、まっすぐに向けながら。
ルアスは何度、それに救われただろう。勇気づけられただろう。
感謝しても、しきれない。だけれど、と思う。
「皆で生きて帰る。でないと俺は、方法が見つかっても一人でなんて絶対帰らない!」
「なら、約束しましょう。必ず皆で生きて帰ると」
「そんなの、当たり前だろ」
フィニアは小指を差し出し、ルアスはそっと小指を絡めた。
翌朝ルアス達は、アーサーと向かい合う。
アーサーは、なにも言わない。決断を聞くために口を閉ざしているのか、なにかしらの決断を下したことを察したのかはわからない。
「私は行きます。最後まで、お供します」
「俺も行く。この戦いが終わるまで、なにがあっても離れるもんか」
ルアス達の答えに、アーサーは目を細めた。
けれども巻き込みたくはないという思いもあるのか、同時に悲しみが溢れんばかりである。
「協力は有難い。そのために頼んだのも我だ。だがこのまま我と共にいれば、そなた達の身に危険が及ぶ」
そこまで付き合わせたくはないのだと、アーサーは告げる。
けれど一度した決断は、そうそう覆らない。
「俺達はもう巻き込まれてるんだ。そんなの、とっくに手遅れなのは知ってるだろ」
ルアスは睨み据えるようにして、アーサーに告げた。
どんなに言い繕うとも、レンド達に目をつけられたのは事実なのだ。
アーサーとは関係なく、レンドの下へと連れて行かれそうになったこともあった。
アーサーは返答に詰まる。ルアスの指摘に、彼も気づいているからなのだろう。
「それでも我は、そなた達を必要以上に巻き込みたくはなかったのだ。我は、もう誰も……」
「あなたがそう言っても、諦めません。それが私達の願いでもあるのですから、どこまでも着いていきます」
同意見だと、ルアスも目で訴える。
どんな言葉さえ返すこともできなくなってしまったのか、アーサーは暫し押し黙る。
僅かに伏せられた目元には、深い悲しみと戸惑い、懐古するかのような、なにかが揺れていた。
「…ありがとう、すまない」
やがて諦めたのか、アーサーは呟くような声で告げた。
*
神の神殿の玉座において、レンドは息をついた。
レンドは、娘と向かい合っていた。レンドの宿る人の器と血の繋がりのある、シンシアという名の娘。
挑むような眼差しを向けるシンシアに、レンドは息をついた。
「それはお父様の体よ。お父様も、お気を確かに」
「いい加減にしたらどうだ。何度も情に訴えたところで、無理な話だ」
「それでも私は諦めないわ。お父様を返してもらうまでは」
シンシアは意気込んだ。
シンシアが出入りするようになってから、早数ヶ月。
マグノリアの提案が面白そうだと感じ、出入りを許したが、今では時折神経に触る。
彼女の眼差しは、アーサーを彷彿とさせる。それがとても腹立たしく、苛立たしい。
だが、と心の内でほくそえむ。この娘を力づくでねじ伏せる方法以外で、無駄だと思わせたい。
そうすれば自分の中にいる怨念ともいえるアーサーへの執着を、消すことができるかもしれない。
そうすれば心の隙間に突き刺さったような楔が、消えてなくなるかもしれない。
そうすれば今度こそ、徹底的に息の根を止めることができるかもしれない。
切望するように、レンドは思う。
なぜならアーサーのあの強い眼差しは、レイナのものだから。
レンドの代わりに孵化に取り込まれることを選んだ、意思の秘めたレイナの瞳。
それを持っていることが許せない。けれど最後の最後で手が出せずにいた。
機会なら、何度もあった。だがあと一歩というところで、いつもレイナの影を思い出す。
もはやレイナはいない。レンド自身の中にいるというのに、である。
あの日、女として現れたレイナを取り込んだ日からレンドは解放された。
もう縛られることなんてない、自由に生きてくれと、消えていったあの日から。
だから壊そうと思った。
心の拠り所だった、たった一つの約束が消えた、あの日から。すべてを壊し、再構築すれば、再びあの頃に戻れると信じて。
そのため身近にシンシアという忌むべき、克服すべき相手がいることに苛立ちを覚えながらも、感謝した。
胸の奥で、なにかが軋む。これはおそらく、ルビナスのもの。娘を心配し、想うが故に慟哭する父のもの。
どんな形であれ感情の高ぶりは、大きな活力となってレンドへと付加される。アーサーよりも格段に力は回復しているが、万全ではないのだ。
「一つ覚えのように訴えることしかできないのか。さあ早く、お前の父を私から解放してみせろ」
シンシアは口元を結ぶ。
既にレンドのいる玉座に出入りしてから、両手では足りないほどの時が流れている。
このままでは、いつまでも父は戻って来ない事をわかっているのだろう。だが挑む眼差しは変わらない。
レンドは口元を軽く歪める。
胸のずっとずっと奥に突き刺さるように、疼いているようななにか。
それはルビナスの発する感情によって多少なりとも影響を受けたものだろうと、敢えて目を背けながらシンシアと向かい合った。




