十一回
〇三章,激動の末に・上/十一回
女という性を持って生まれ、同胞が幾人か孵化に取り込まれるという騒動から一月が経っていた。
だというのに、女も、孵化に取り込まれず無事に救われた者達も、目覚めてはいない。
そのことに関係しているのかいないのか、空が紫から青へと少しずつ変色していく。
騒動の一件から徐々に変化を遂げていたのかもしれないが、これまでなかった現象に戸惑いを覚える者は多かった。
それを知りつつ、アーサーも見ていることしかできなかった。
「レンド、見張りを変わろう。少しは休まねば、体に触る」
アーサーは庭に直結している縁側の廊下に立ち、一向に動く気配のないレンドを見やる。
あれから何度目かの訪問、何度目かの言葉をかける。
レンドは広々とした一室の床に座り込んでおり、そこには孵化に取り込まれそうになった数名と、女が寝かしつけられている。
騒動から目を覚まさぬ者達。その中にミレイアも含まれていた。
それを思うと、胸の奥で鈍い痛みが走る。改めて頭を軽く振り、改めてレンドを見やる。
けれど変わらず背を向けたまま座り込んでいる。
痛々しい、重苦しいものを感じながらも、放っておくことはできなかった。
「レンド、我の声にも耳を傾けてはくれまいか。そなたの身にも、休息は必要だ。でなければ、肝心な時に動けなくなってしまう」
身を案じて再度声をかけると、囁くような声が返ってきた。
けれどなんと言ったのかわからず、アーサーはレンドを見据えたまま、次の言葉を待った。
「……そんなこと言われずとも、わかっている。放っておいてくれ」
絞り出すようにして、レンドは声を荒げた。
いつもらしからぬ態度に、アーサーはなおのこと心配し、眉をひそめる。
「焦ったところで、この状況が変わるとは思えない。今は休んでくれ。そなたの体が心配なのだ」
「……悪かった。そうだな、そうしよう」
暫しの沈黙の後、レンドは俯いたまま応じた。
立ち上がり、踵を返すと、目を合わせようとしないままアーサーを横切っていく。
重苦しい姿に、アーサーは声をかけることができなかった。
それと前後して、背後に誰かが降り立つ音がした。それが誰なのか、容易に察した。
「行っちまったな。いつもの平静さは、どこへ行ってしまったのやら」
「ガリック。そなたはレンドのあの様に、気づいておったのか」
「まあな。遠くから見守っていたが、あんまりな姿だったもんで声だってかけたんだぜ」
「ならばなぜ……」
無理にでも休ませてはくれなかったのかとガリックを問い詰めようとした時、誰かが服の裾を掴んで引っ張る者がいた。
アーサーは驚いて振り返る。
そこには眠っていたはずのミレイアが、至福ともいえる笑みを浮かべて立っていた。
言葉を失っているアーサーの胸へと飛び込むと同時に、背中に手を回して抱きしめる。
「アーサーだ。やっと来てくれた」
「目が覚めたのだな」
アーサーはミレイアの肩に手を当てて、引き離そうとする。
だがミレイアは笑みを零しながら、ふいに数歩離れた。
なにかとははっきりわからないが、ミレイアの仕草になにかしらの違和感を覚えた。
「ミレイア?」
声をかけるも、応じることなく縁側へと軽やかに舞うようにして移動する。
素足のまま庭に下りたつと、一度アーサーへと振り向いた。
艶っぽい笑みを向けていたミレイアに声をかけられずにいると、やがて背を向けて飛翔していく。
その姿に戸惑った。とっさにガリックへと目をやると、ややあって呆れたように溜息をつく。
「行って来い。ここは俺が見ていてやるよ」
「すまぬ、助かる」
あとを頼むと、アーサーはミレイアを追うために飛び上がる。
二人の背中を見送った直後、ガリックの耳に複数の衣擦れの音が届いた。
ふと寝かしつけられている同胞達へと目を向ける。
刹那、全員が身を起して立ちつくしていることに瞠目する。
しかも視線は外に向けられているものの、虚ろで定まっていない。
「おいおい、これはなんの冗談だ」
まるで示し合わせたように、全員が目覚めるという状況に苦笑する。
レンドやアーサーを心配し、遠目ながら見に来ていていたときには、まったく起きる予兆はなかった。
なぜと問いたかったが、同胞達の様子から察するに、まともに話のできる者はいなさそうである。
いっそ以前のように、全員を気絶させてしまった方が手っ取り早いだろうかと考えた。
「そう何度も、力押しが通用するとお思いですか」
目元が定かではない同胞達の中から、凛とした、よく通る声が聞こえた。同時に、女は進み出る。
声の主である女を見つけ、ガリックはやや驚きの表情を向けた。同時に目尻が若干つり上がる。
「お前は確か、生まれたばかりの女だったな」
「こうしてお会いしたのは、今日が初めてですけれど?」
「そりゃあ、初めての性別をもった同胞だからな。あんたが思ってる以上に、有名人なんだぜ。それにしても、本当にあいつと同じ姿だとはな」
女は答えず、冷ややかな笑みを向ける。
それだけのことなのだというのに、ガリックは背筋の凍りそうなほどの寒気を覚えた。一歩下がりながらも、対峙する。
「性別はさておき、その容姿といい、こいつらのことといい、お前は何者だ。事と次第によっちゃ、容赦しねえ」
「…貴方に出来ますか? 私は貴方方に危害を加えるつもりなどないのですよ。ただこの方達と共に、孵化に戻りたいだけです」
「少なくとも俺には、こいつらが自分の意思で動いているようには見えないんだがね」
「いいえ、これがこの方々の意思なのですよ。だからこそ、今このような状況になっているのです」
「どういう意味だ」
ガリックが問うよりも早く、別の介入者が女へと言葉を向けていた。
発言者であるレンドへと顔を向けると、眉間にしわを寄せ、剣呑さを隠すことなく女を見つめている。
憤っているだろうが、なにかしらそれに違和感を覚える。
「言葉どおりの意味です。私達は元々、意識共同体ともいうべき同一の存在でした。それが一つの個体として分かれ、生まれ落ちました。本来の役目は、個体として経験したことを孵化に持ち帰り、世界の成り立ちを生成する。私達は神であり、御使いでもあるの。時折呼び掛けに、すぐに応じてしまう者もいたけれど」
「それを立証するものはあるのか」
「私達の本能ともいえる魂には深々と刻まれているというのに、敢えて問うのですね。こうして私がここに来た。それが答えになりませんか」
女は目を細めならが、うっすらと微笑んだ。
代わりのように、レンドは悔しげに一文字に唇を結んでいる。
ガリックは二人を見つめながら、違和感が大きくなっていくのを感じていた。
女の語る本能は、たしかに胸に刻まれている。けれど、なにかが違うのだ。
「待て。お前の話が本当だとして、一部の同胞が孵化に呑みこまれる理由はわかった。だが今回いっせいに孵化に呑みこまれたことと、お前が生まれてきたことの辻褄があわん」
「そうでしたね。ほとんどの方は知らないでしょう。私が生まれるずっと昔、数人の同胞が孵化へ戻ってきました。そして知ったのです。同胞の帰りが極端に減った理由。男と女という性に分かれ、愛というものを育んでいるということ。その裏には二人の人物が関わっているということ」
女の眼差しに険が宿る。
それを受け止めるレンドは、ひときわ険呑とし、暗い影が面差しにかかる。
「そのうちの一人はレンド、貴方でしょう。本来あるべき流れをせき止め、同胞を増やし、己の意のままに世を作りかえる。そのようなこと、あってはならないのです。それを代弁すべく、私が遣わされたのです。一度すべてが一つに帰り、新しく生まれ変わるために」
女はレンドへと手を差し伸べる。一緒に行こうと促すかのように。
けれど剣呑としたレンドの面立ちは解かれることはない。
むしろ目元が鋭くなり、さらに険しく敵意の満ちたものとなっていく。
「だからレイナの姿で、ここに現れたということか」
「この姿なら、貴方は必ず耳を貸して下さる。そう思ってのことですよ」
いけなかったかしら、とでも問うような眼差しに、レンドは静かに怒りを迸らせる。
「私がそんなことするわけがない。この世界と同胞を守り続けるのは私だ。レイナとも、そう約束したんだ!」
「本当にできますか、貴方に」
「そのためなら孵化の消滅も厭わない」
「レンド、お前は自分がなにを言っているのかわかってるのか。あれは俺達が生まれ、そして還る場所だ。同様に同胞が生まれてくる場所でもある」
守るなら、孵化までも守った上でなくてはならない。
そうすることが同胞を守ることにも繋がる。
孵化がなくなれば、生まれる場所も、還る場所も無くなってしまうのである。
ガリックは制するも、レンドは心ここにあらずなのか、脇目も振らずに飛翔していた。
その様にガリックは舌打ちする。ふと呼びとめることも、追いかけることもしない女へと目を向ける。
レンドが向かったというのに、変わることのない平静さが不可解だった。
壊されて困るのは、女の方なのである。
「あんなこと言って炊きつけて、どういうつもりだ」
「話を聞くよりも、レンドを放っておいていいのですか」
反問され、ガリックは小さく唸る。ややあって悔しさのあまり、歯を噛みしめる。
「俺は奴を止めに行く。それまでお前は、どこにも逃げるんじゃねえぞ!」
「……ええ、逃げませんとも。無事に自分の役目を終えるまではね」
踵を返し、既にはるか上空へと飛び立っているガリックへと、女は小さく笑みながら呟いた。
*
レイミアを追いかけていたアーサーは、孵化のある場所で止まった。
そこは多数の同胞が孵化に取り込まれた場所である。
立ち止ったのはレイミアが、その近くである地上に降り立ち、一向に動かなくなったためである。
とはいえ次はどのような行動をとるのかわからなかったため、警戒しながら舞い降りる。
するとレイミアは、待ってましたとは言わんばかりの満面の笑みで、アーサーを見やる。
「やっぱり来てくれた。嬉しいよ、アーサー」
「このような場所に来て、そなたはなにをしたいのだ。用向きがないのなら、ここから離れよう」
「嫌。アーサーと一つになりたくて、アーサーとの子供がほしくて、ここに来てもらったんだもの」
「……子供?」
子供とはなんなのか、わからない。疑問しか浮かばないアーサーに対し、レイミアは笑みを崩さない。
それどころか悦に入ったように、恍惚としている。
「孵化のように子供を産む。そのためには僕達は、孵化に戻る必要があるの。そこで新たに生まれ直し、男と女という性と肉体をもって持って子供を産み、天寿を全うすれば地に還る。子供達は子々孫々と、命と僕等の志を後世に伝えるの。そして僕達の魂も、どこかの誰かとして何度も生まれ変わり、回帰していく。何度でも巡り合える。だから一緒に、アーサーも行こう」
ミレイアは手を差し伸べる。眼差しは、しっかりとアーサーを捉えていた。
背後には孵化が、今か今かと待ちかまえているように感じられた。
なぜだろうか。
孵化に誘われ、共に呑みこまれることよりも、差し出された手の方がとても寂しく思った。
ふいに悲しみが込み上げる。
ミレイアの目にはアーサーを映し出しているが、実際には見ていないように感じられたのである。
それに気づいているのかいないのか、ミレイアは変わらず差し伸べる。
「子供を産むということがどういうことなのかわからぬが、そなたが見たというのならそうなのだろう。だが我はいかぬ」
「どうして! 僕は一緒にいたい。ずっと、何度生まれ変わっても、アーサーと一緒に」
「そう思ってくれているのは嬉しく思う。だが新しく生まれ変わった我は、今の我と同じとは限らぬ。その時の我には、その時の思いや考えがある。出逢いがある。同時に今、ここにいる誰かと共にいたいという自身の気持ちはどうなる。そなたはどうなのだ。共にいたいと思うのは、今の我か、それとも我でなくなった我なのか」
「……どうしてそんなこと言うの。僕は!」
言ってから、ミレイアは激しく頭を振った。まるでなにかを払い除けるかのように。
その際、いつもの跳ねっ返りや、勝気さが瞳に映し出されたような印象を受けた。
けれど宿る光は弱々しい。
「いや違う。アーサーの言うとおりかもしれない。僕はアーサーと一緒に、ずっと傍にいたい。でも、でもね、来世でアーサーの子供を産みたい。一つになりたいと望む自分がいるの。本能なのか、孵化に取り込まれたせいなのかわからないけれど。だって世界の成り立ちは変わろうとしてる」
その中に、アーサーがいないのは辛いのだと告げた。一緒にいたいのは変わらない。
けれどそれが今のままでか、転生し終えた姿でなのかはわからなくなっているようだ。
ミレイアは自分を抱きかかえる。体は小刻みに震え、頭を大きく振った。
「ミレイア?」
「お願い。もっとちゃんと呼んで。僕の意識が呑まれないように、もっと声を聞かせて」
ミレイアは今にも泣き出してしまいそうなほど苦悩に顔を歪ませながら、アーサーの服の裾を掴んだ。
アーサーはミレイアの手を取ると、そっと抱き締める。ミレイアはアーサーの胸に、顔を埋める。
「案ずるな、ミレイア。そなたが望むなら、何度でも名を呼ぼう」
「ありがとう…」
自分を支配していななにかが薄らいだのか、ミレイアは表情を和ませる。
その直後のことだった。爆音がし、続いて煙が上がる。
何事かと見ると、四方に向けて魔法を繰り出しながら、こちらへと向かってくる誰かの姿があった。
あとに続くように、誰かを追いかける別の姿もある。
意識を傾けてみると、それが誰であるのかをアーサーは感じ取る。
「この感覚はレンド。それにガリックもか。一体どうしたというのだ」
考える間もなく、レンドはアーサー達の上空に来ると、孵化に向けて何度も魔法を撃ちつける。
「なにするんだ、やめてよ。孵化は僕等の同胞が生まれ、帰る場所なんだよ」
叫ぶミレイアの声等聞こえていないようだ。憎しみをもって睨みつけている。
そんなレンドと孵化の間に割って入るかのように、ガリックが立ちはだかる。
「落ち着け、そんなことしてなにが変わるっていうんだ。あいつの言っていたことには、まだ謎が多過ぎる」
「黙れ、そこをどけ!」
「だから落ち着けって!」
口論する二人は、アーサー達の存在に気づいていないようだ。
訝しく見つめていると、近くにふわりと誰かが舞い降りた。
目を向けると、妖艶な微笑を浮かべる女が立っている。
「なぜ、という顔をしていらっしゃいますね」
「……そなた、目が覚めたのか。なにかしら知っているような口振りだが」
なにかしら直感で危険を察し、アーサーは女を睨めつける。ミレイアも無言でアーサーにしがみつく。
「ええ、知っていますとも。このような状況へと差し向けたのは、私ですもの」
「なに?」
瞠目するアーサーに、女は変わらず笑みを零す。予想の範囲内なのだろう。
「私達は一度孵化に戻り、新たな生命としてこの地に降り立つのだと告げました。そうすればあの人の取る行動など、手に取るようにおわかりでしょう?」
「それがわかっていて、なぜ話したのだ」
「小さな孵化が数個壊れたとしても、完全になくなることはありません。根のようにいくつも枝分かれしているのですよ。すべてを壊すには、根源をどうにかしなくては」
「……そなたは、なにがしたいのだ」
危険信号が、アーサーの中で膨らんでいく。そのためミレイアを背後に押しやりながら、一歩下がった。
それも予想の範囲内なのか、女の態度は変わらない。
「もちろん貴方を殺すためです。レンドの力を万全な存在にするために」
女は片手を胸元まで持ち上げる。すると背後にいたミレイアは、両手を広げて二人の間に立ちはだかる。
ミレイアの行動を意外に感じたのか、女はわずかに眉をひそめる。
「なにをしているのですか」
「見てのとおりだよ」
「よせ、我ならば問題ない」
「だからって、見ているだけなんて嫌なんだ」
憤るミレイアへと、女はふと鼻で笑った。
嘲笑う仕草が癇に障ったようで、ミレイアは女を睨み据える。
「貴方は、その方と共に来世を生きたかったはずでしょう? そのために、貴方はここにいるなずなのですよ」
「そのためにってのが、僕にはわからない。だけどアーサーと一緒にっていうのは、君の言うとおりさ。けど僕は僕のままで、傍にいる」
「残念ね。貴方なら、良き理解者になってくれると思っていたのに。このような手段を取らずとも、よかったのに」
言うと女は、形なき風の刃と、地面からは氷柱のように鋭い突起を同時に呼び起こす。
それがアーサー達に向かうも、とっさにミレイアの肩を抱き、防壁で身を守りながら上空へと回避する。
それによってレンド達はアーサー達の存在に気がついたのか、険しい面持ちを向けてきた。
「アーサーにミレイア。二人共、ここにいたのか。それにあの女も。おいレンド、こいつの話をもっと聞くべきだっていう俺の意見を聞きやがれ」
ガリックの言葉に明らかに激情に走っていたレンドだったが、少しばかり平常に戻ったようだ。
険のこもった面立ちを、女へと向ける。
「まあまあ。やはり一筋縄ではいきませんね」
「女、お前の目的はなんだ」
口にするほど悔しがってはいない女へと、レンドは改めて問うた。
女はレンド達のいる上空へとくると、やや面倒臭そうに軽く息を吐く。
「目的は先程申した通りです。そのためにやるべきことが、いくつかありますけれどね」
「やるべきこと?」
レンドの眉が跳ね上がる。
おかしそうに、女はクスリと小さく声を上げた。
「すべての同胞を孵化に返す。そうすれば次世代へと生まれ変わるための準備は終わりますから」
「その前に孵化がすべて壊されたらどうするつもりなんだよ」
ガリックが問うも、女は顔色を変えることなく悠然としていた。
けしてそのようなことにはならないという自信に満ちている。そしてそれは憶測ではないことを、アーサーは知っている。
「孵化には本体があり、それを壊さねばすべての孵化はなくならないそうだ」
「その通り。孵化は幹から枝分かれしたようなもの。幹自体を壊さなくては、なにも変わらないのです」
言うと女は、レンドへと近づいていく。手が優しく、レンドの頬に触れる。
「そして他のやるべきことは、貴方に力を取り戻してもらうこと。貴方は始祖の片割れ。次の世代へと生き残るべき存在」
「始祖?」
アーサーは疑問の声を発した。ミレイアも疑問に感じたようで、女とレンドを見やる。
既に真相を知っているのか、ガリックだけは憤るような、なにかを我慢するような眼差しで女を見つめている。
レンドも、また別の意味で女を睨み据えていた。
「……黙れ」
「貴方だけが生きていればいい。そして同胞が、健やかに過ごせる未来へと導いてほしい。それが私の、レイナの望み」
「黙れ」
「あのとき君は、僕の遺志を受け継いでくれる。そう約束してくれたもの」
「黙れ! その顔で、その声で、私に語りかけるな!」
レンドは女の手を強く振りほどいた。数歩ともいえる歩幅ほど上空へと移動し、烈火の如き眼差しを向ける。
「レイナの姿で私を惑わすつもりのようだが、騙されると思うのか。奴は私に、同胞達の未来を託して孵化となった。その奴が、同胞を亡き者にし、新たな生命の誕生を促すはずがない!」
「いいえ、私はレイナ本人。記憶も、想いも、すべてこの中にあるというのに、なぜそのようなことを言うのですか」
さも心外だと言いたげに、女は目を眇める。レンドは拒絶の眼差しと、沈黙で応じる。
すると女は、さも残念そうに息を吐く。胡乱げに目が細められる。
「では、どうしたいのですか」
「…お前を殺す。お前は先程、孵化の幹を壊さなくてはならないと言った。レイナ本人であるなら、幹はお前なのだろう」
「貴方なら、すぐにわかると思っていました。やはりこの姿で現れたのは、正解ですね」
「もはやこれ以上、私を戸惑わせ、躊躇わせ、迂闊には手出しできないように図るのはやめろ」
真剣な面持ちで語るレンドに、女は噴き出すような形で笑みを零した。
女の態度に、レンドは不快さをあわらにする。
露骨に態度に表す様が受けたらしく、女はクスクスと声を発した。
「殺したければ、殺すといいわ。そうすれば孵化に呑まれなかった同胞は助かるもの。けれど孵化がなくなれば、力尽きた同胞は、地になり、水になり、植物となって、世界を織りなす一つになる。既に植物達になった同胞も、再び孵化に取り込まれて次世代に合わせて再構築される。二度と私達のように形成されることはないのよ」
それでもやるのかと、女は目で問うた。
レンドの答えは決まっていたようで、揺るぎない意思を秘めた視線を向けている。
「待て、レンド。奴の話が本当だとして、いくらあいつを倒しても、今後のことを考えると危ないぞ」
「そうだよ。ねえ、君はどうしてそんなこと言うのさ。殺さずにすむ方法はないの? そもそも世界を新しく作り変える必要なんてあるの?」
「それ以外に私達の生き残る術がないのだもの。未来がないから、こうするか方法がないの。これも同胞を救うため。レンドだけを生かすのは、創造し、見守る始祖が必要だからよ」
笑みを浮かべていた女は、一転してレンド達を見やる。
すべての答えが、それであるかのように真剣である。
「いくら止めたいと思っても、私を殺しても、もう止まらない。私が消滅することで孵化は無くなるけれど、取り込まれた同胞は新たな誕生を迎えるの。だからお願い。どちらを選択しても、私の、いいえ、レイナの思いを受け継いで」
切望する女へと、レンドの足が向けられる。慌ててアーサーは、レンドの腕を掴んだ。
なにをするのだと言いたげに、レンドの視線が突き刺さる。それに気圧されそうになりながらも、アーサーはまっすぐに睨み返す。
「この者に、危害を加えるつもりなのか」
「すべての同胞が、孵化に還るかもしれないんだ。こうすることで救われる同胞もいる」
「そうかもしれぬ。今の形を存続させたい。だが新たな世界で生きるか、現状を望むかを選ぶのは我等ではない。その者達だ。それを我々だけで決めてしまうのか」
「……なにを言っている」
レンドは不快をあらわにしながら、眉間にしわを寄せる。まるでおかしなものを見るような面差しである。
「私達は同胞を守るために、彼等と共に、ただ健やかな、当たり前な日常を送りたかった。そのために奮闘したはずだ。それを覆すようなことを、この女はしようとしている。消そうとして、なにが悪いというんだ。それこそ傲慢のなにものでもない」
「それは……」
反論したかったアーサーだったが、口をつぐんだ。それも一つの言い分なのである。
どうするか考えあぐねていると、レンドは力強く手を振りほどく。そのまま女へと、レンドは向かう。
「やめて。やりたいことのために、どうして傷つけ合うことしかできないんだよ!」
「レンド、やめろ!」
ミレイアは叫び、ガリックは止めるべく手を伸ばす。
しかしそれらは届くことなく、レンドの腕は女の胸を貫いた。
すると女は、ゆっくりと微笑んだ。嬉しそうに、愛しそうに、寂しそうに。
唇が言葉を紡ぐも、アーサー達には聞こえない。おそらく伝わったのは、レンドに対してのみだろう
。
直後、女の周囲に無数の光が迸る。死の間近に現れる灯。
間を置かず、女は無数の光となってレンドの周囲を取り巻いていく。
そして吸収されるように、レンドへと溶け込んでいく。




