十回
〇三章,激動の末に・上/十回
どれくらいの時が過ぎただろう。
力を使い果たすか、孵化に還るか、力の差による摩擦さえなければ消滅しないため、永遠ともいえる時を生きることができるために、時間の観念は希薄だった。
さほど風景の移り変わりに変化がないことが、助長しているのかもしれない。
強いて変化を上げるなら、森林が膨張しつつあるということと、同胞が徐々に数を増やしていることである。
ほかには、性別のないアーサー達にとって、男女という観念と、容姿の明確な区別がつき始めたということ。
どうやら友愛といった情ではなく、同じ情でも恋慕を持つことによって己の形状を変化させているらしい。
なぜ男女という性別に変化するのかはわからないが、それだけは確かなのだということだけは知れた。
なんにせよレンドは、初めて出会ったときの約束を守り続けている。
生きたいと望む、力の弱い者には血の契約によって力を分け与え、強い者には説明することで協力を仰いだ。孵化に戻りたいと望む同胞は可能な限り説得し、意思が固いと知ると尊重した。
それぞれの自主性を重んじ、つかず離れずという形で横の繋がりを保ち、彼等の頂点に立つことはなかった。そのためか力の差に関係なく、レンドを慕う者の方が多かった。
「誰もが健やかに、穏やかに過ごせる世界を、か」
大地に足をつけ、森林の中に身を置きながら、アーサーは呟いた。
生まれ落ちていた場所に影響されているのか、なぜだか心が落ち着くのだ。
おそらくは包容力のある大地や、生き生きと芽吹く植物達のおかげなのだろう。
空を仰ぐと、紫色の空は変わらず地上を覆っている。なぜだかそれが眩しく感じられ、目を細めた。
万人に受け入れられているわけではないため、様々な心情による諍いと和解が生じている。
けれども、それらも含めて心地よい。
なぜなら、それだけ同胞が増えたことになる。どんな形であれ、当初に比べて触れ合いが多くったこと、難題は多々あれど無駄ではなかったという実感とで胸の奥が温かくなり、自然と笑みがこぼれた。
「なに笑ってるの?」
上空から声がして、アーサーは顔を向けた。
そこには栗色の髪を肩まで伸ばしている、中世的な顔立ちの華奢な同胞が浮かんでいた。
その姿を認めると、自然と顔が綻んだ。
いつの頃からか行動することが多く、付き合いの長い同胞である。
細身であるため、体力的な面で弱々しい印象を受けるが、瞳は強気で勝気な輝きを放っている。同胞は男女の性別はなく、アーサーと同じくどちらでもない。
「ミレイア、どうしたのだ」
「散歩していたら悪い? それに聞いているのは、僕の方だよ」
ミレイアは呆れたように大地に降り立つと歩み寄り、アーサーの胸を小突いた。
反応に戸惑っていたアーサーだったが、取り繕う必要もないと感じ、微笑を浮かべる。
「いいものだなと、思っていたのだ」
「なにが?」
「この世界が、そなた達との関わり合いが。共に過ごせる温かさが、とても」
言い放つアーサーに一瞬目を丸くしていたミレイアは、ややあって声を上げて笑いだした。
なぜ笑われるのかわからずに、不思議そうに首を傾げる。
おかしなことを言っているつもりなど、まったくない。むしろ大真面目なのである。
「君って本当に体面なんて関係なく、サラリと言ってくれるよね」
「我はなにか、おかしなことを言ったのだろうか」
「ううん、全然。むしろ僕は、君のそういった正直なところが凄く好き」
緩やかに目元を和ませ、ミレイアは先程とは違った微笑を零した。まるで眩しいものを眺めるように。
眼差しや笑みの意味を理解できず、アーサーはまたしても首をかしげながら向かい合う。
「それにしても、この世界は楽園だね。普段は干渉していないように感じながらも、どこか繋がっている。時にはいがみ合って、時には助け合って。そうやって向き合ってる」
ミレイアは空を仰ぎ、風を感じていたが、再度アーサーへと視線を滑らせた。
「それもこれも、誰かさん達のおかげだね。…ねえ、これからもずっと続けていくの?」
「もちろんだ。それが約束なのだから」
「恋慕を持って、性別を決めないのはそのため?」
「生まれた時から、どちらでもなかったのだ。性別を持ったところで繁殖能力はない。今更どちらかに固定するなど、我には考えられぬよ」
アーサー達は体を自由に変化させ、大地や風、水や植物等の力を借りて行使することはできる。
だが子を宿し、産み落とすことだけはできないのだ。それは孵化だけが行なうことができる。
誰もが生まれ、そして還っていく場所。
寿命のないアーサー達にとって、孵化は様々な意味で別格視されていた。
応じた答えに、ミレイアは安堵しながらも、どことなく寂しそうに微笑んでいる。
二つの感情が同胞の中で同居している様を察し、アーサーは戸惑った。
なんと声をかけていいのかわからない。それが顔に出ていたのだろうか。
ミレイアの面差しに、いつもの勝気さが表れる。
「君がそのつもりなら、僕も君のやっていることに付き合いたい。見張り役といっても、そうしたいときはあるから。そう言ったら、受け入れてくれる?」
「ならば我にではなく、レンドに申し出てはどうだ。我の力の半分は、レンドから受け継いでいる。リーダーがレンドである以上、どこまで行っても補佐でしかないのだ」
何気なく告げると、ミレイアの表情は固まった。
ややあって眉をそり上げ、顔が怒りによって赤くなっていく。真向からアーサーと向かい合うと、睨みつけた。
「凄くまっとうな意見、ありがとね。だけど少しくらい察してくれたっていいじゃないか。性別を確かなものにして愛情を取り交わす同胞がいる中、僕がどうしていつまでも中立なのか考えたことあるの!」
「……なぜだ?」
大真面目に考えるも、一向にわからない。
アーサーは申し訳ない気持ちで、幾分か背の低いミレイアを見下ろした。
そのことになおさら腹を立てたのか、面立ちは苛烈を極めた。
「馬鹿! 正直なところは好きだけど、大嫌いだ!」
「ミ…ミレイア?」
「お、アーサー。こんなところにいたのか。レンドが呼んでいたぞ。またしても同胞が生まれたらしく、倒れていたらしい」
同胞に声をかけられ、アーサーは頷いた。
けれどミレイアを放っておくことができず、戸惑いながらも離れることができなかった。
だがミレイアは、すっかりへそを曲げてしまったのか、顔を合わせようとしない。
「行くなら、さっさと行けば? レンドが待っているんでしょう」
語気を荒げながら言うミレイアから、やはり離れることができない。
だがあまり待たせることもできない。
渋々立ち去ることにし、伝言を持ってきた同胞に案内を頼み、翼を広げる。
「すまぬ、話はまたあとで」
言いながら上空へと向かっていくアーサーの背中を、ミレイアは見つめていた。
瞳には、先程までの怒りなど微塵もない。あるのは寂しさと、喜び。
「本当に少しは察しなよ、馬鹿」
ミレイアは小さくぼやいた。そんなとき、視界が揺らいだ。
常に紫色の空が、青さを増したように感じた。
更には誰かが、いやむしろなにかが呼んでいるような感覚がある。
行かなくてはと本能が告げている。
けれど行きたくない、行っては駄目だと強く思う。行ってしまったら、二度と自分としていられず、会いたい誰かにも会えなくなる。
それはなによりも嫌だった。
「……アーサー」
それ以上は言葉にならない。代わりのように心の中で、ひたすらに助けを求めずにはいられなかった。
その間中、アーサーの顔が頭から離れることはなかった。
いつまでもミレイアのことにばかり気を取られているわけにはいかない。
先を行く同胞へと、アーサーは改めて目を向ける。
「なにがあったというのだ」
「説明するより、直に見てもらった方が早い」
案内人との問答に納得し、飛行し続けた。
やがてレンドの姿を上空から捉える場所までやってきた。辺りには人だかりができている。
レンド達の下へと降りるも、人だかりは変わらずに周囲を取り巻いている。
アーサー達が来たことに気づいているのだろうが、動こうとしない彼等を押しのけるようにして突き進む。目的の人物のいる場所へと辿り着く。
すると一人の人物を抱きかかえていた。どうやら気絶しているようである。
腰ほどまである、長い銀の髪。やや目尻上がりの眉だが、けして我の強そうな印象は受けない。
だがそれ以上に、体型に瞠目した。
「……女?」
「アーサーか。見ての通り、女だ。どうやら生まれ落ちた時から、この姿だったらしい」
説明するレンドにより、改めてアーサーは女を見やる。
自分好みに体格を変化させる、もしくは恋愛感情により、ありもしない性別を形作ることはあった。
同胞が増えていくことに比例しているといっていいが、元来性別を持って生まれてくることがなかった。
誰一人として例外はない。けれど唯一の例外が、目の前にある。
レンドへと視線を向けると、戸惑いと困惑で返してきた。
どうやら似たような着目点に至ったらしい。
群がる者達も、そういった経緯があるからこそ、どことなく不穏な空気を醸し出しているのかもしれない。
「改めて問うが、この女は生まれ落ちた時から性別が定まっていたのだな」
「もちろんだ。生まれ落ちたばかりの者か、そうでないかを見誤ることはない。それにこの目で、孵化から生まれ落ちた瞬間を目の当たりにしたんだ」
目撃者で発見者である一人が、堂々と進み出る。嘘ではないと証明したいのか、口調は荒い。
レンドは一つ頷くと、女へと再度目を落とした。
「別段疑っているわけではない。確認したいと思っていただけなんだ。とりあえず、この女は連れて行く。目が覚めた時、話を聞きたいからな」
レンドは女を抱きかかえると、軽々と上空へと飛翔する。
名残惜しそうに連弩の背を見つめながら、人だかりは徐々に拡散していく。
一人、アーサーだけはレンドの後を追いかけた。
「…この女、どう思う?」
暫く飛行していると、視線を前方に向けたまま、レンドは問うた。
怒りからでも、焦りからでもないが、声が固い。
「どう、とは?」
「なぜこいつが、女として生み落とされたかということだ」
「我に聞かれてもわからぬ。ただ以前とは違い、容姿だけとはいえ男女という性別に分かれたがる者が増えたことは確かだ。そのことに関係するのかもしれぬ」
「……そうだな。私達は本能によって、どのようにして生まれ落ちたかを知っている。詳しいことは、この女の目が覚めてから聞くことにしよう」
語るレンドの眼差しは、一様にして前方にのみ注がれたままだった。
やがてレンドが住居をかまえる場所へとくると、またしても人だかりができていた。
一瞬、女の話を聞いて集まったのだろうかと考えた。
しかし興味本位というより、焦りと混乱が感じられる。
「ここに集まって、なにをしている」
彼等は困惑していた面立ちを一転させ、笑顔を取り戻す。
直後、押し倒さんとするかのようにレンドへと詰め寄っていく。
「大変だ。何人かが、孵化へと引きずり込まれたらしい。しかもそのほとんどが、性別をもった者達らしい」
「…なに?」
レンドは眉間にしわを寄せ、険しい面持ちになると反問する。アーサーも一瞬反応に窮した。
性別を確定させた者が生まれ落ちたばかりでの、この出来事である。
憶測でしかないことはわかっているが、なにかしら関係性を疑わずにはいられなかった。
否定するには、タイミングが良すぎるのである。
「様子がおかしくて声をかけるが、一向に耳を貸そうとはしないんだ。今何人かが連れ戻しに行ったが、きっと孵化が直接本能に呼び掛けているに違いない」
どうやらその中には、レンドが血の契約を交わした者もいるらしい。
その話を聞くや、レンドはさらに表情を険しくさせる。
「わかった。私が彼等を連れ戻しに行こう。アーサー、この女のことを……」
「断る。行くのは我だ」
「なにを言っている。今は緊急事態なんだぞ」
「だからこそだ。そなたは様々な者達と血の契約を交わし、力は半減している。そのため万全ではない。そのような状態でしくじれば、血の契約により生き延びられている者達はどうなるのだ。それに…」
アーサーは数瞬口を閉ざした後、レンドの夢を叶えるために我がいるのだと語る。
それだけでレンドは察したようだ。下唇を噛み、アーサーを睨み据えるような形で向き合った。
「わかった、このことはお前に一任する。だが私のことを考えるなら、命を賭してでもとは考えるなよ」
「善処はしよう」
言葉での会話を終えた後、互いの視線を交わした。
数刻後、アーサーは飛翔する。伝達を持ち込んだ者も後に続く。
追いつくと、案内のためか、前方へと進み出る。
見送った後、レンドは女を憩いの舘内へと運んだ。
切なげに、哀しげに、けれど気真面目なほど真剣な面立ちを浮かべながら。
案内人のもと、アーサーは目的地へと急いだ。
孵化と呼ばれる、アーサーを生みだした空間はいくつも存在する。
すべての数は把握できているわけではないが、滞在している周辺だけでも数十はある。分散してそれぞれ孵化に赴いている可能性はあるが、大きな孵化がもっとも呼び寄せやすい。
孵化の大きさにと、同胞の力関係に影響されているだろう。
だが同じくらいの大きさの孵化が、いくつか近くに点在している。
闇雲に大きな孵化の下へと赴けばいいというものでもないのだ。
同胞を探し出し、救いたいと望むなら案内役は必須となる。
やがて案内の下、孵化へと辿り着くと、地面に同胞が右往左往している姿があった。
おそらく彼等は、孵化に取り込まれそうになった者達を押しとどめに来た者達だろう。
彼等が立ち往生しているのは、既に幾人かが孵化に取り込まれているためだろう。
力の差によって滞在時間は異なるものの、一つ間違えば誰一人例外なく消滅してしまう。そのため迂闊に近づけないのかもしれない。
「皆の者、状況はどうなっている」
「アーサーか。数人は回収した。意識を持ったままだと、また孵化に歩み寄りかねないから、少々強引にいかせてもらったがね」
強面でいかつい体格、男の容姿をした同胞が、斜め後ろへと顎をしゃくる。
気絶しているのか、横たわったまま動かない。
「なるほど。既に孵化に取り込まれた者もいるのだろうか」
「ああ、結構な数を呑みこまれちまった」
「了解した。あとは我が行こう」
「待て。いくらあんたでも孵化の中に居続ければ、呑み込まれてしまうぞ」
「かまわぬ。誰か一人でも、救うことができるかもしれぬのだ」
実際アーサーを失えば、レンドは衝撃を受けるだろう。
だがそのためになにもせず同胞を見限れば、それはそれで落胆するに違いない。
隣にいて、出来る限りのことをしようと決めた時から、なにができるかを考えていた。
今回のことも、その一つに過ぎない。
アーサーは制止を振り切ると、孵化の中へと突入する。
被膜のようなものが孵化の周囲を取り囲んでいたようで、侵入する際、違和感を覚えた。
だが想像していたよりも粘りつくことなく、霧散する。孵化の中は水の中のような感覚であり、溶け出したという表現の方が近いかもしれない。
水の中でさえ息をする必要はないため何時間でも動きまわることができたが、孵化の中は少なからず胸を締め付けるような圧迫感あった。
けれど息苦しさという意味での重圧ではなく、むしろ心地いいものである。
このまま同化してしまいたくなるような安心感。
――一つに、一つに、一つに……。
いくつもの声が折り重なって木霊する。耳で聞いているのか、脳内へと直接響いているのか、それすらわからないほどに。
このままではいけないと、アーサーは強く思った。心地よさに呑みこまれれば、自分は自分でなくなり、意識は周囲に溶け込んでしまう。
そうなればアーサーという自我は他の意識のように霧散して、希薄なものとなってしまう。消滅してしまう。
以後、アーサーとしての自我が確立されることはない。
あったとしても、ごく稀であるといっていいほどである。そしてそれが、同じ自分であるとは限らない。
このようなことのために来たのではない。意識を保て。
強く念じながら、アーサーは周囲を見渡した。
どこを見ても、霧が漂っているかのような乳白色が全体を犇めいていた。
人も、建物も、植物も、なにもない。事実上の無である。
「呑みこまれた者で、まだ自我を保っている者はいるか。いるならば、返答を求む!」
叫ぶも、なんの反応もない。まるで声が、霧の向こうに吸いこまれてしまったかのようだ。
誰にも届いていないのでは、という錯覚にさえ陥る。
「誰か…誰もおらぬのか!」
再度呼び掛けるも、沈黙は変わらず訪れる。アーサーは歯痒さのあまり、唇をきつく結ぶ。拳を強く握り締める。
――一つになりましょう、あなたも。
それがすべての答えなのだというように、響いてくる。
全力で拒絶するも、周囲の声に身を委ねそうになる。
いくらレンドとの血の契約により、自分の力が高められ、免疫力が植えつけられているといっても、孵化の中にいればいるほど危険度は増していく。
居過ぎたのだろうか、意識が若干朦朧とする。だが負けてなるものかと、気持ちを奮い立たせる。
そして念じた。誰か、と。
そんなとき、応答があったような気がした。アーサーはハッとして、霧の向こうを凝視する。
誰かいるのかと、言葉ではなく思念で呼び掛ける。すると鼓動のように強く反応が返ってくる感覚があった。
――……サー、アーサー。
続いて、まるで探し求めるかのようにか細い声が発せられる。聞き覚えのある声に、アーサーは瞠目した。
「ミレイア!」
直感すると同時に、叫んでいた。するとうっすらと細い腕が、掴んでくれと言わんばかりにアーサーへと延びる。
その手を引き上げるようにして引き寄せる刹那、ミレイアの体が再構築されていく。
一瞥した後、アーサーはミレイアを抱きしめながら、孵化の外だと思われる方向へと全速力で飛行する。
どれだけ飛び続けていたのかわからない。
長いようでもあり、短いようでもあった霧の中を抜けると、力がふと抜け落ちて急降下を始めた。
思いの外、孵化の中で力を消耗していたらしい。
自分だけが力尽きて果てるならいい。けれど助け出したミレイアまでも、巻き込んでしまうには忍びない。
せめてミレイアだけでもと思わずにはいられない。
とはいえ疲労によって思うように体を動かせない今、ひたすらに謝罪を向けることしかできなかった。
地面が間近迫ったため覚悟を決めた刹那、落下速度が急速に緩まっていくのを感じた。視線だけを動かすと、孵化の前で待機していた同胞達がアーサー達を支えていた。
「まったく、あのまま消滅してしまったのかと肝を冷やしたぞ」
「……すまぬ」
強面と屈強な体格の同胞が、カラカラと笑う。
一言の謝罪しかまともにできぬほど疲労しきっていたが、心の底から感謝した。
やがて地上へと、ミレイアと共に横たえられる。視線をミレイアへと移すと、本当に無事だったのだという実感が伴い始めた。安堵によって胸をなで下ろす。
「ほんとに帰ってきてくれたのは助かったよ。でなきゃ今頃俺は、レンドに半殺しにされていたところだった」
体格のいい同胞は悲壮感など感じられないほど豪快に笑いながらも、目元は慈しむかのようにアーサーを見つめている。そして手を、アーサーの胸元へと押し当てる。
「俺の名はガリック。お前の行動は称賛に値する。孵化に取り込まれそうになった者は、数人だが止めることができた。しかし孵化の中に入ってまで、助け出す勇気までは持つことはできなかった。だからこれは、俺からの賞与として受け取ってくれ」
ガリックが語り終えるか終えないかという頃、温かいなにかが体の中に注ぎ込まれていく感覚があった。
生命力を与えてくれているためだろう。
力を与えてくれるという意味では、血の契約と同じである。
けれど大きく違うのは、血の契約が契約者に対して力を与え、個体としての確立を助長する。
力を工面し、分け与えた者の力は相手に引き渡されたまま、ある条件が重ならなければ戻ってこない。
反面生命力を与える方法は、主に回復に重きを置いている。
血の契約と同じく、分け与えた者の力は当然ながら減少する。だが元々存在する力以上を使わない限りは、時間が経てば回復する。
これが血の契約と、生命力を注ぎ込む方法の決定的な違いである。
ある程度回復したアーサーは、隣に寝かしつけられているミレイアへと顔を向ける。
他の同胞から、同じく回復を施されていた。これで助かったのだと、心底安堵した。
無意識に顔に出ていたのだろう。微かにガリックの口元から、笑みが零れ落ちる。
「どうにか体を動かせるほどには回復したらしいな。ところでお前等二人は性別を持っていないようだが、恋人か?」
意地の悪い笑みを見せながら、ガリックは問うた。
考えもしなかった問いに、アーサーは驚きのあまり目を丸くした。
ミレイアを恋愛対象として見たことなどなかったのである。
だがガリックにとっては意外だったようで、当てが外れたかとでもいうように顔をしかめる。むしろ残念がっているようにも見受けられた。
「レンドや、他の奴等に向ける眼差しとは違ってたんでな。てっきりそうなんだと思ってたんだが、そうか違うのか。あれから結構経ってるっていうのに、まったく報われてねえなあ」
「レンドを知っておるのか」
頭をかきながら独白のように語るガリックだったが、問いには答えず、ミレイアを含めて孵化に取り込まれそうになった者達へと視線を滑らせる。
「今はこいつらをレンドの所に連れて行こう。変わった奴も、生まれたって聞いたしな」
「一つの所に集めて様子を見ようということか。だが…」
アーサーも孵化に取り込まれそうになった同胞を見やる。
追っていた同胞より、取り込まれた者達の数の方がやや多いようだ。全員を連れていこうとするなら、手が足りない。
「誰かを呼ぶにも時間がかかるからな。その間に奴等が目を覚まして、また孵化の中に入ろうものなら厄介だな。……よし、俺が乗り物になろう」
名案だというように、ガリックは手を叩いた。
間を置かずに巨大な竜になると、他の同胞の手を借りて、背中に気絶した者達を乗せていく。
体力が激減しているためか察することができなかったが、ガリックは想像以上の力の持ち主なのだと実感した。
体を変化させることで推し量るのではなく、その大きさや強さによって現れる。
いくら変身しても、巨大化できる者は多くはない。
よくよく力を探ってみると、現在のレンドよりもやや上のようだ。
「なにやってるんだ、早く乗れ」
言われてアーサーはミレイアを乗せ、気絶した者達を全員乗せる手伝いをした。
けれどガリックは飛び立とうとはしない。どうしたのだろうかと伺うと、ガリックからは剣呑とした眼差しが返ってきた。
「お前も乗るんだよ」
「だが我は、自分で飛べる程度には……」
「それでも乗れ。お前は病み上がりなんだぞ。そんなことしたら、あとで俺がどやされちまう」
誰がガリックを叱るというのかわからない。けれど申し出を断れば、噛みつくぞと言わんばかりである。
ミレイア達を乗せたままそのようなことをされてはと思い、アーサーは渋々と聞きいれた。
背に乗ったことを確認すると、ガリックはゆっくりと上昇する。
自分の力ではなく他の誰かの背中に乗ることに奇妙な感覚を味わいながら、風を受ける。ややあって、アーサーは先程のガリックとの会話を思い出した。
「ガリック、聞いてもいいだろうか」
「なんだ?」
「そなたはレンドのことを知っているようだが、なぜだ。我は長年共にいるが、そなたとの面識はない。それにそなたから発せられる力は、憩いの館を見ていた者に似ている。もしやとは思うが、あれはそなたか」
聞いてはいけないことだったのだろうか。暫し待つものの、ガリックからの返答はない。
背に乗っているため、表情は窺いしれない。先程の質問を取り消そうと口を開きかけた時、ガリックの小さなため息が漏れる。
「お前の推測は当ってるよ。それに俺がレンドを知っているのは、お前達がコンビを組む前に奴とつるんでた頃があったからな」
一瞬アーサーは、耳を疑った。これまでレンドからは、一言も聞いたことのなかった話だったためである。
とはいえ過去にこだわらず、これまで聞かずにいた点を言えば、アーサーも同様である。
ただどう捉えていいのかわからず、複雑な心境が胸を疼かせる。
選ばれたのは、自分一人だという自惚れがあったためかもしれない。
「おっと、勘違いするなよ。あいつはちゃんと相手を選んで声をかけてるぞ。それにつるんでたっといっても、俺が一方的に突っかかってただけだ。それを知るのは、今ではお互いだけになっちまったがな」
「そう…なのか」
「あの時は今ほど同胞もいなくて、互いに力が強かったから、今もこうしてここにいる。だからこそ俺達は同胞が消滅する様を何度も見てきた。孵化から生まれたというのに、なぜ再び孵化に還らねばならないのかと考えるほどにな。だが共になにかをしようと声をかけたのは、俺以外にお前だけだ。だから自信を持て」
それほどに循環が激しかったらしい。アーサーもレンドとコンビを組んでから暫く、孵化に呼ばれて消滅していく同胞を見てきたが、それ以上だったのかもしれない。
今では消滅する者は、限りなく低くはなったけれど。
「だから俺はお前達がコンビを組んだと聞いたときから、ずっと様子を窺っていたんだ。手助けできることがあれば、影ながら行なっていた。あいつは気づいてたみたいだけどな」
「…そなたも、レンドに誘われたのではないのか。なぜ、そのようなことをする必要がある」
問うと、沈黙が再び訪れる。拒絶というよりは、考えあぐねているようだった。
「改めて考えたことはなかったな。だが敢えて言うなら、脆さを感じたからかもしれないな。あいつを失ってからは、とくに」
「脆さ? あいつとは誰のことなのだ」
「あいつってのは誰のことで、なにがあったのかは差し控える。だが感じている通り、今でこそレンドの力の半分はお前に受け継がれているため、俺の方がやや強い。だが本来の力関係でいえば、奴の方がもっと強い。信念、志し、自我というものもな。それが強靭であるがゆえに、打てば砕けてしまいそうな脆さを感じた。俺にはそれが、途方もなく諸刃で危険なものに映ったのかもしれない」
だからコンビを組まなかったのだと、懐かしむように呟いた。
「それで我等の前に姿を現さず、影ながら見守っていたというのか」
「それほど高尚なもんじゃない。なにかあった場合、俺が止めなきゃと考えていたくらいだからな。だがその心配はなさそうだ」
「なぜだ?」
意図が分からず、アーサーは顔をしかめる。
見えなくとも仕草がわかるのか、ガリックは軽く笑い声を発した。
「お前がいるからだよ。これまで俺は、お前があいつの容姿に似ていて、しかもレンドと似たような脆さがあるからこそ、コンビを組んだと思っていた。だが脆さは脆さでも、打てば跳ね返ってくるような質の違う脆さだ」
「……それは褒めているのか」
「褒めてるんだ、素直に受け取ってくれ。…だからもし、あいつの一途な想いや信念が本来行くべき場所に行かず歪み始めてしまったら、止めてやってはくれないか。その時は、もちろん俺も力を貸すつもりだ」
まるで懇願するかのようなガリックの言葉に、アーサーは戸惑った。
どのように返していいのかわからず、ガリックの背に眼を落した。
アーサーにとってレンドは、強く、眩しい存在なのである。
そんなレンドの想いが歪んでしまうなど、ありえるのだろうか。
もし本当にそうなったとき、はたして正すことができるのだろうか。
だがそれぞれに、異なる想いは存在する。
一個人の想いで、それは間違った行為なのだと正すことは、おこがましいことではないのだろうか。
迷いが生じ、それが胸を燻っていく。
「……わるい。無茶な願いをした。気にせんでくれ」
「いや、言ってくれたことには感謝する。ただどう受け止めていいのか困ってしまっただけなのだ。ただもし……もしも同胞達を危険たらしめるほどに歪んでしまったのなら、その時は善処したいと思う」
「そういってくれると助かる。ただ願わくば、俺の考えが杞憂に終わってくれることを望むよ」
アーサーも同意見であるため、無言で頷いた。
今という日が続いていくことを、守っていけることを願いながら。




