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想いの先にあるものは  ‐語られざる物語‐  作者: きりゅう
〇三章,激動の末に・上
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七回

〇三章,激動の末に・上/七回


 ラバーテラは語り終えると、聞き入っていた二人へと顔を向ける。

 沈黙によって、ルアス達は支配されている。揺れる瞳が、戸惑いに満ちている。

 言いたいことはあるのだが、言葉として紡ぎだすことができずにいるような印象を受ける。

 またしてもラバーテラは、苦笑する。


「やはり、お話しない方が良かったですね」


「いえ、そんなことはありません。むしろ感謝しています。ただ、どう捉えていいのか混乱しているだけで……」


 実際混乱しているのだろう。弁解する彼女の面立ちは、どことなく蒼白い。

 刹那ルアスは立ち上がり、扉を開け放して外へと駆け出した。


「……やはり、衝撃が大きかったのだろうか」


「それもあるのかもしれません。……彼はアーサーさんにとって現在唯一の宿主で、力を取り戻すための供給源らしいですから」


 フィニア自身も暫し失念していた事柄を口にし、微苦笑する。

 先程の話も相まって、ラバーテラは瞠目し、息を呑んだ。


 神殿から少しばかり離れると、ルアスは足を止めた。

 目線は自然と地面へと注がれる。強く握られた拳は、微かに震えている。

 先程ということもあって、ラバーテラが語った遥かな昔話が鮮明に思い起こされる。

 とくに神によって、生気を吸われて息絶えたという者達がいたというくだりを。


 いずれ自分も、そうなってしまうのではという予感が過ぎる。現段階で、唯一の宿主である。

 他の者に比べ、格段に高いだろう。出会ったばかりの頃、力を取り戻すための宿主が必要だと告げていたことを否応なく思い出す。

 水の神殿から逃げる際、体内の生気を必要とすることを告げていた。


 神自身と知るまでは御使いだとされ、アーサーは否定も肯定もしなかった。

 そうなのだと自然と受け入れていて、気にも留めてはいなかった。

 今にして思えば、どれだけ無謀なことをしていたのだろう。悠長なことをしていたのだろう。

 知ろうとはしなかったのだろう。

 姉を取り戻し、エルフォーネを助け、いつかどこかへ帰るのだと望んでいた。

 それだけだった。だがこれは神々の戦いなのだ。巻き込まれるか、自身が望んだかは別として。

 頭の中が、物が散乱したかのようにまとまらない。

 なにをどう考えていいのか、わからない。

 これまでアーサーのことを、味方だと思っていた。

 少なからず味方には違いないだろうけれど、どこまで信頼できるのか、ただただ疑心ばかりが沸いてくる。時間ばかりが過ぎていく。

 途方にくれ、立ち竦むことしかできなかった。


 夜が更け、共同となっている部屋にルアスはいた。

 いつの間にそこにいたのだろう。

 そう考えて、フィニアとラバーテラが休むように促してここに来たのだということを、記憶の片隅に見出した。

 一つ深呼吸をし、改めて気を取り直して、辺りを見渡した。

 室内には、警備の者達が休息を取っている。

 魔族の襲来があったばかりであること、常に魔物の脅威に晒されていたこともあり、昼夜問わず交代で見回りをしているらしい。

 ラバーテラは今晩の担当の一人らしく、姿はない。


 フィニアは女性ということもあり、レーレンと同室となっている。

 アーサーの同行者ということが、彼女を長の下に置くことを許した要因のようだ。

 アーサーはレーレンと面会した後、一向に現れることはなかった。

 刻々と流れる時にいながら、気分はまったく落ち着かない。

 風に当たり、気分を変えようと、静かに外へと赴いた。


「……アーサー、いるんだろ?」


 一瞬の躊躇いの後、呟くと、諾という返答と共に見慣れた白竜が目の前に現れる。

 けれど姿を見せただけで、なにも語ろうとはしない。

 真向から見据えられる現状に、逆にルアスは詰問されているような窮屈さを感じた。

 思わず苛立ちが沸き立ち、顔をしかめる。


「なんだって、なにも言わないんだよ。俺は…俺達は、ただのお前の道具でしかないのかよ!」


「道具などと思ったことなどない。そなた達を、けして死なせはせぬ。神の神殿へと赴いた後、我は一人でレンドと対峙するのだから」


 改めて顔を向けると、決意を秘めたような姿があった。とっさにルアスは、息を呑む。


「…じゃあ、どうして俺達を巻き込んだんだよ」


「我がレンドと対峙するための力を取り戻すため。そのための協力者が、否応なく必要だったのだと、以前話したであろう」


「そんなの……」


 ルアスは切ないほどの怒りが込み上げる。

 なんに対する憤りと、切望なのかわからない。

 けれどなぜか、途方もなく泣きたいほどに胸の奥が熱くなる。


 要因の一つは、言葉以上にアーサーの双眸が物語っているためだろうか。

 ルアス達が望んだことだったとしても、最初から神の神殿以降は一人で向かうつもりだということを。


「姉さんを助けるためなら、俺は絶対一緒に神の神殿に行く。そう決めたのに。お前は一人で行くっていうけど、それならなんのために俺達はここまで来たんだ。行きたいなら、最初から一人で行けばよかったんだ!」


「それは…」


「言い訳なんて聞きたくない。これは、俺達の戦いでもあるんだ。なのに一人で全部抱え込んで、一人で決めて…。俺達の意思はどうなる。どうして最初から話してくれなかった。そしたら俺だって、少しは考えたのに!」


 言いながら、ルアスは自分の中で燻っていた思いが明確になっていく。

 必要なこと以外は告げない彼が、今更になって歯痒く感じたのだ。これまで聞こうとしなかったことに、非はあっただろう。

 聞いたところで、素直に答えてくれるとは限らない。

 それでも怒りは収まらない。思いたくはないのに、戦の道具としてしか見られていないのではと感じてしまう。


「それに、なんでか俺も魔族に狙われてる。もう、後には引けないんだよ!」


 それが決定打となったのか、白竜は小さく唸る。


 水属性の魔法を使い、癒しをレーレンへと降り注ぐ。

 老衰によるものだろうが、苦しそうな息遣いのため、同室していたフィニアが治療を施したのである。


「大丈夫ですか」


「ありがとう、助かりました」


 年齢による身体の老化は防げないものの、いくらか和らいだようだ。

 ほのかに疲労の影があるが、レーレンは柔和に微笑する。

 それでもフィニアは、心配で眉をひそめた。


「貴女が高位魔法の使い手で、私は充分に感謝しているんですよ」


「もしまた不調になったら、教えて下さい」


 レーレンは小さく頷く。

 いまだ不安が残るものの、フィニアは承諾の意を込めて頷き返した。

 ややあって、別の不安が脳裏を過ぎる。見られまいとして僅かに伏せた目元に、憂いの影が差す。


「なにか思い悩むことがあるのですか」


 薄暗い室内だとはいえ、やはり完全には隠せなかったようだ。

 訊ねられ、口を開きかけるも、フィニアは躊躇った。

 疑問をぶつけていいものかという戸惑いが、押し寄せてきたのである。

 態度により、少なからずなにかを感じ取ってはいるようだが、レーレンは微笑を絶やすことはなかった。

 そこには、すべてを受け入れ、許容するような眼差しがあった。


「……ラバーテラさんから、昔のお話を聞きました。それでフウラさんのことを、思い出したんです」


「フウラというと、水の神殿の巫女ね」


 フィニアは頷く。けれど先を続けることができない。

 確信ではなく予感でしかないけれど、一度口にしまっては、現実のものとなって後戻りできなくなってしまうのではないかと怖いのだ。


「あの子が光の神殿に、他の神殿の者を呼び集めていることに関係があるのですか」


 各神殿の者達を呼び寄せているということは、植物の神殿であるここにも使者が訪れていたということを、改めて思い出す。

 そして一抹の不安を突き当てられ、フィニアは顔を上げる。

 そこには変わらぬ笑みがある。思わず目元が潤んだが、ぐっと堪えた。


「もしかしたらフウラさんは……復讐のために協力者を集めているのではと、思わずにはいられないんです」


 火花を切るとフィニアは、知る限りの水の神殿の出来事、ウンディーネの意識化に取り込まれたときに流れ込んできたフウラの想いや記憶の断片。

 主に傍らにいたナリスという腹心への、強い敬愛と思慕のような想い。ゆっくりと説明していく。


「私達が招いたことですが、魔と呼ばれる彼等は、彼女の想いを逆に利用しようとしているのでしょうか。もしそうなら、私は……」


 フウラ自身が望んだ結果だとしても、知らずに魔王達の手によって踊らされている可能性がある。

 聞かされた話のように。もしそうなら最後に訪れる物事は、けして安穏とはいえないかもしれない。

 暫しの沈黙の後、レーレンは小さく息を吐いた。


「利用していないとは限らないわね。けれど彼等がいなくとも、いつだって似たようなことはあるのよ。それに気づかされたのは、随分経ってからね」


「それは、そうかもしれませんが……」


「彼等は心の隙間を狙って、思惑通りに先導するかもしれない。だからといって、すべて彼等のせいにするのはどうかしら。忘れないでほしいのは、先導以前に、その人が考えて、考えて、出した結論の一つなのだということ。そして貴女がどう感じて、なにをしたいのかを考えるのも同じこと」


 だから貴女の考えを聞かせて欲しいと、目が続きを促しているようだった。

 優しくも力強いそれに、フィニアは軽くかぶりを左右に振って俯いた。


「正直わかりません。彼女の想いはわかるんです。ですが復讐はやめてほしい。私の言えたことではないかもしれませんが、できることなら別の道を模索したいのです。彼女と一緒に」


 答えはまだ、見つけていないけれどと、小さく呟いた。

 レーレンは愛しそうに、目元を和ませる。


「なにをしようとしているのか、教えて差し上げましょうか」


 声がした。聞き覚えのない、少々高い男の声。

 フィニアは瞬時に顧みる。

 開け放たれた扉の近くには、にこやかにたたずむ細身の男がいた。

 容姿は人間、年の頃は二十代程だろうか。漆黒の髪と同等の瞳が、妖しくフィニア達を捉えている。

 訝しい視線を向けていると、男は一歩前へと進み出て一礼した。


「初めまして、私はマグノリアと申します」


「マグノリア……」


 驚嘆により、レーレンの声が僅かに震える。

 紡ぎだされた名を聞くと、フィニアは眉をひそめた。

 なぜならラバーテラの話に、その名があったためだ。

 同時に戦慄が走り、警備で回っていた彼等が少しも騒ぎ立てないことを即座に理解した。けれども確認せずにはいられない。


「外には、見回りをしていた人がいたはずよ」


「一思いに殺させて頂きました。ろくにご挨拶もできずに、騒がれては困りますからね」


 過ぎた行為に絶句するフィニアをよそに、けれどそれにしても、と穏やかに続ける。


「シンシア姫の弟さんと、同行している方でしたね。こんなところでお目にかかれるとは、思いも寄りませんでしたよ」


 フィニアは眉をひそめる。記憶違いでなければ、シンシアというとはルアスの姉である。

 なぜ姫というのかはわからないが、少なからず危ういものを感じた。

 助けを呼ぶべきだろうか。しかし迂闊に呼んでは、被害を拡大しかねないのではと躊躇った。


「今更、なんの用ですか」


 レーレンは横たわったまま、凛とした物言いでマグノリアを捉える。


「あまりに懐かしいので、こうして挨拶にお伺いに参ったのですよ。ザルバードとして成り代わり、ここに来たときは、すぐに立ち去ることしかできませんでしたからね。そして願わくば、あなたと、あなたが飲み込んだアーサーの血を頂きに」


「では、各々の神殿はあなたが……」


 問うフィニアへと、マグノリアは目を細める。

 険のあるものではなく、どこまでも楽しんでいるような風情である。


「どうやら話を伺っていたようですし、だいたいの予想はお察ししているのでしょう? さて……」


 語り終える前に、開け放たれた扉から、剣先がマグノリアへと一閃された。

 一瞬驚きながらも、後ろへと回避する。改めて斬りつけてきた相手を見ると、体中に傷を負ったラバーテラだった。

 刹那、細められた目元や口が妖しく笑う。手がラバーテラへと伸びる。

 それを見て取ったラバーテラは、怪我を負っているとは思えないほどの素早さで、再び魔族に斬りつける。魔族の腕からは鮮血が滲んだ。


「少々おいたが過ぎますね」


 目を眇めるマグノリアへと、ラバーテラは惜しみない激昂を向ける。

 相手が魔族であるという事実よりも、味方への仕打ちの怒りが上回っていたのだろう。無言の敵意を向け続ける。

 彼の姿に困惑したように眉をしかめていたが、マグノリアはややあってレーレンを見やる。


「あなたから、なにか言ってやってはくれませんか。私は戦いに来たのではないんですよ」


「おやめなさい、貴方の敵う相手ではないのですよ」


「レーレン様のご命令でも聞けません。私はあなたを守るために、ここに残ったのですから!」


 マグノリアは小さく息を吐くと、面倒そうに肩を落とした。鬱蒼とした面差しへと変化させる。


「あまり気乗りはしないですが、仕方ないですね」


 マグノリアは片手を胸元の高さまで上げ、詠唱する。すると大地から、鋭い突起がいくつも飛び出した。突起は天井を貫き、元々脆くなっていた壁は激しい音と共に崩れ落ちる。

 しばらくして舞い上がった土埃が静まり返ると、外壁を僅かに残すのみというほどに破壊されていた。

 部屋の隅にいたマグノリアはともかく、中心部分にいたはずのフィニア達は無傷でたたずんでいる。

 周囲には、水の膜が張り巡らされていた。


「これは……」


 フィニアが険しい面立ちを魔族へと向ける中、ラバーテラだけは状況が掴めずにいた。

 防壁ともいえる水の膜からは、通常使われる精霊の力が強いことを容易に感じ取れたのだろう。


「ウンディーネか。そういえばザルバードの記憶には、少しばかりその時のことが残っていたっけ。そして姫の弟君は、イフリートの力を扱える」


 精霊長を扱うことは、容易ではない。それを扱うことのできるフィニアを、不思議そうに、けれど楽しそうに目を細める。

 まるで遊んでいるような態度を拭いきれないマグノリアへと、ラバーテラは剣を構え直した。


「今はそんなこと関係ない。ここから出て行け!」


「そうもいかないんですよ、レンド様のご命令ですからね」



 音がした。しかも思いの外、近い。

 ルアスは急いで辺りを見渡した。休息を取っていた者達も慌てて飛び出すと、駆けていく。

 彼等の行く先にはレーレンの部屋があり、僅かな外壁を残して崩れている。

 レーレンも心配だが、フィニアも共にいるため、ルアスもすかさず追いかけた。

 辿り着く直前、風魔法の一つであるカマイタチが、先に向かった者達を切り刻んでいく。

 思わず息を呑むも、瓦解した部屋へと向かう。

 辿り着くと、魔法によって防壁を張っているフィニアと、それに守られているラバーテラとレーレンの姿があった。

 彼女達に対峙する形で、男の姿があった。

 どうやら男は、人間、もしくは混血のようである。けれども薄く歪む口元や目元からは、妙な違和感があった。薄ら寒いものが駆け抜ける。


「あの者は、魔族のうちの一人だ。迂闊うかつに手を出すでない」


 アーサーが剣呑と告げると、ルアスは一瞬言葉を失った。とっさに次の行動が取れないと同時に、人間の姿であることを訝しむ。


「おや、アーサーも来てしまいましたか。シンシア姫の弟君も、いらっしゃるとはね」


 けれどアーサーがいるのだから、宿主のルアスがいるのは当たり前かと、呟いた。

 ルアスは、とっさに剣を引き抜いて身構える。表情を険しくし、睨みつける。


「……姫? お前、姉さんを知ってるのか」


「ええ知っていますよ。あなた方のお仲間に、もう一人男の子がいることもね。ただ見当たりませんが、どうしたのですか」


 男の子というのは、おそらくシェイドのことだろう。

 ルアスとフィニアの面立ちに、軽く影が差す。

 それだけで、なにかしらあったのだと察したようだ。小さく息を吐く。


「彼は大事に扱わなくてはいけませんよ。なんせ番人の血筋なのだからね」


「番人……?」


 フィニアが呟いた。


「そうです。アーサーの本拠地だった祭殿の神官であり、番人でもあった血筋のね。彼等の血を織り交ぜて魔法陣を描き、防壁の要としていたため、番人と呼ばれていたんだよ。亜種だろうし、なぜ番人としての役割を担っているのかは、当人達は知らないみたいだけど。だからあの子の身内の血を使って、アーサーの眠る、地中に埋まった祭殿へと続く扉を閉めた。逆に言えば開けることができるから、あの子だけは生かしておいた。力を取り戻したとき容易に決着をつけるため、逃げ出さぬように恐怖という楔を埋め込んで。ザルバードは忘れていたみたいだけどね」


「では、ケティルさんだけが生き残っていたのは……」


「そういうことですよ。だから彼ではなく、そこの弟君を宿主に選んだ。正規の門は閉じられ、出られずにいたところに、別のどこかから迷い込んだため仕方なく、ということもあるのでしょうけれどね。あの人の息子、という意味合いにおいては、充分意表はつけましたよ」


「耳を貸すでない。あの者は、人の心を惑わすことに長けている」


「人聞きの悪いことを仰らないでほしいですね。私は選択肢の一つを、教えてあげているにすぎないんですよ。それをどう感じ、どう行動に移すのは、その人次第」


 事実、こうしろとは告げていないのかもしれない。促されたとしても、相手が拒めば成立しない。

 だが少なくとも、それによって突き動かされた者はいた。

 それをアーサーは知っている。だが明確に言い表すことができない。

 返答に窮し、眉間のしわを寄せた。


「どういうことだ」


 あの人の息子というのはどういうことなのか、知らないルアスはマグノリアを見据える。

 だが割って入ったのは、アーサーだった。

 するとマグノリアは、おかしそうに眉をひそめる。


「その様子からするに、なにも知らないようですね。なら教えて差し上げましょう。アーサーは一度あなたと出会っているんですよ。なんせレンド様が人間の体を借りて、この世に具現する間近には、あなた達姉弟もいたのです。そこで炎の長が弟君に宿っていることを知り、黙殺しながらも傍らで屍になった親友である二人を蘇らせた。なんせ我等が主は、彼等の親友であった宿主は、あなたの……」


「やめるのだ! そもそもなぜ、そなたがここにいるのだ」


「そうでした、当初の目的を忘れるところでした。ですがあえて聞かずとも、わかるのではないのですか。この神殿の巫女が、誰であるかを考えれば、ね」


 あからさまな敵意を向けるアーサーへと、マグノリアは親しげに笑むばかり。

 彼等の間に割って入るように、ラバーテラは激烈な怒りをもって魔族へと対峙する。

 その態度に、マグノリアは肩をすくめた。


「あなたからも、なにか言って止めていただけませんか」


「迂闊に手を出すなとは告げた。だが放っておけば、レーレンへと手を出すのであろう」


 否定も肯定もしない沈黙は、そうであると暗に告げているようである。


「あなたの狙いは、私なのでしょう。早々に用件をすまし、お帰り願いましょう」


 語る最中、ベッドから滑り落ちるようにして降り立つレーレンに、アーサー達は息を呑む。

 ただ一人マグノリアだけは、嬉しそうに口元を歪める。


「おやおや、そう言って頂けるとありがたいですね」


「いけません!」


「おやめ下さい!」


 フィニアとラバーテラが一様に、レーレンを止める。

 けれど彼女は、張り巡らせた防壁から出ようと歩みを進める。行かせまいと、ラバーテラが腕を掴む。

 場にそぐわぬほどに穏やかで平静ではあるが、双眸からは揺るぎない決意と覚悟が伺える。

 そんなレーレンを見つめながら、マグノリアは手を胸元の高さにかざす。

 防壁に魔法をぶつけ、破ろうとしている事は容易に知れた。


「健気ですね。ですが仰る通り、目的は果たさせて頂きましょうか」


「レーレン様に、手を出すな!」


 ラバーテラは、小脇にある剣を引き抜いて斬りつける。

 魔法を使うには、傷を負いすぎていたのだろう。

 けれど魔族の周りには障壁が張り巡らされているのか、かすり傷さえつけることなくねつけられる。驚嘆の色が浮かぶと同時に、次の手を向けるが、先程と状況は変わらない。

 その間にもマグノリアは詠唱する。

 すると周囲を風が音をたてながら取り巻いた。

 暫く持ち堪えていたフィニアだったが、魔族の力が上なのか、水の防壁は霧散する。


 その音に、混乱していたルアスは我に返り、彼女達を見やる。

 すると水に障壁が消えていることに気がついた。カマイタチという風の刃物が向かっている。

 受け入れるつもりでいるのか、レーレンはまったく動こうとはしない。

 彼女の手を引いて、伏せようと手を伸ばしているが、その間にもフィニア達へとカマイタチは迫っている。

 危険を感じ、ルアスはとっさに剣を振り下ろす。

 当たる直前、炎が風を薙ぎ払うようにして飲み込むと消滅する。ルアスはフィニアの前に出ると、改めて剣を構えた。刃の部分には、炎が迸っている。


 危険だと察知したのか、それとも別の思惑からなのか、マグノリアは彼等を捉えたまま歩み寄る。

 炎の刃を目にするや、マグノリアは驚嘆しつつも楽しそうに微笑する。

 逆にラバーテラは、目を瞠る。炎がどういったものか、扱われることで、どう称されているかを知っているからこその反応なのだろう。

 だがややあって頭を切り替えたらしく、レーレンの下へと足早に歩み寄る。

 行く手を遮り、態度によって離れるよう促しているが、レーレンは頑として動く気配はない。

 毅然として直立している。

 だが高齢で寝たきりの状態でいたために、立っているだけでも相当辛いはずである。


「早々に立ち去りなさい」


 それはレーレン一人の犠牲の下に、と言っていることと同義語だろう。

 ラバーテラは強引にでも魔族から引き剥がそうと、彼女の手を引いた。それでも動こうとはしない。


「そうだったね。私は今ここでアーサーと対立するよう、命じられたのではなかったよ」


 言いながらレーレンと向かい合うと、同時に風が無数の刃となって放たれる。


「逃げるのだ!」


 アーサーが叫ぶも、容赦なくレーレンとラバーテラを切り刻む。

 後ろの壁さえ突き抜け、瓦解する。

 血が飛沫を上げる。直後、二人は声もなく地面に倒れ、容赦なく床を血で染め上げていく。

 ルアスとフィニアは息を呑んだ。

 マグノリアの攻撃の手の予兆さえ、まったくわからなかった。

 知ることができれば、間に合わなかったとしても、なにかしらの手を講じることができただろう。

 それすらできなかったことに、相手が魔族の一人なのだという実感がようやく伴い始める。


「来ないで下さい!」


 フィニアは言い放つと、詠唱する。

 短剣は懐に持ち合わせがあるが、武器の扱いは熟練者の域からは程遠く、他に選択肢はなかったのだ。

 けれど詠唱には少なからず時間が掛かる。フィニアは片手で薙ぎ払われる。

 今度はルアスが、マグノリアへと一閃する。

 だが難なくかわされた。直後、体のあちこちが切り裂かれ、後方に吹き飛ばされた。


 戦慄と衝撃と怪我によって動けずにいるルアス達を一瞥すらせず、マグノリアはレーレンに歩み寄る。

 小さい呻き声が、彼女達から洩れる。どうやらまだ生きているようだ。

 血によって汚れることに頓着せず膝をつくと、レーレンの頭を抱え、首元に口をつける。そして血を啜る。

 地を蹴り、アーサーはマグノリアへと噛みつかんばかりに飛びついた。レーレンが傍にいるため、強すぎる力を行使することを躊躇ったための行動だろう。

 けれどかすることなく、マグノリアは瓦解した壁の向こうへと飛びのいた。


 直後、マグノリアは背中にコウモリの羽を出現させ、羽ばたかせると飛翔する。

 一定の高さまでくると、ピタリと止まり、見下ろした。

 ルアス達が見上げると、口元や手、服には赤いシミがベットリと付着している。

 さすがに気になったのか、マグノリアは手の甲で口元を拭い、破顔する。

 穏やかで、優しげに見下す様は、怯えにも似た奇妙な感慨を呼び起こさせる。思わず背筋が凍る。


「さて、目的も果たせたことだし、私はこれでお暇させて頂きましょう」


「血が必要なら、なぜ我の血を欲っしない」


「お断りしますよ。窮鼠猫を噛むと言いますしね。血を飲むことで相手の情報を読み取り、成り代わるのが私の能力といっても、その方の特殊能力まで取り込むことはできませんから」


 それに、欲しかったのはアーサーの血だけではないのだと、レーレンを一瞥する。

 アーサーは剣呑に、マグノリアを見据える。


「行かせると思うのか」


「できるとお思いですか。いくら反撃を警戒して近寄らずにいるとはいえ、あなたはザルバードとの衝突で力を消耗しているのでしょう。それでなくとも、あの二人をこの世界に縛りつけることに力を削ぎ落としたはずです」


 マグノリアの目尻や口元は、緩やかに弧を描く。

 満足げではあるが、嫌味も、敵愾心も、そこにはない。反論できず、アーサーは短く唸る。


「一ついいことを教えてあげましょう。フウラという巫女はご存知でしょう。彼女は人と妖精との共存を謳い、私達と敵対するつもりのようですよ。けれどそうなる前に彼女達の思惑を逆に利用して、破滅に追い込ませてもらうけれどね。そうだ、あなた方と戦わせるというのも面白いかもしれませんね」


「そんなこと、させるもんか!」


「なら止めてご覧なさい。回避できるかもしれませんよ」


 穏やかな口調で告げると、マグノリアは今度こそルアス達の前から立ち去った。

 歯痒さと悔しさで、ルアスは下唇を噛む。刹那、レーレン達のことを思い出して振り返る。

 見ると、フィニアが水の魔法によって彼女達の傷を癒している。だが先程よりも紅い水溜りが広がっている。

 狙いはレーレンだったためか、ラバーテラよりも傷は深いようで、回復に手間取っているようだ。

 だがフィニアの手を掴み、中断させる別の手があった。

 しかも止めたのは、治療中のレーレン本人である。


「レーレンさん、なにを……」


「……手遅れなのは…自分でも、わかっています」


「でしたら、早く手当てを……」


 苦痛に呻きながらも、レーレンは毅然と言い放つ。

 だからこれ以上は、してくれるなということなのだろう。

 いかんせん出血が多く、なにより高齢のために体力が追いつかない。


 反発するフィニアだが、強く制してまで治療を行なうことができずにいた。

 事実であるのは一目瞭然であるため、それが躊躇させているのだろう。

 悔しさと、沈痛な面立ちで、レーレンを見つめている。

 苦悩に歪むフィニアを見ては、ルアスも治してくれとは言えなかった。


「諦めないで下さい」


 完全には治りきっていないため、若干苦痛に顔を歪めながらも、ラバーテラは身を起こして訴える。

 しかしレーレンは力なく首を振る。


「元々、先が長くないことは知っていました。けれど貴方は生き延びて頂戴。生きて、私の代わりに見届けて……」


 告げると、フィニアを掴んでいた腕から、レーレンの手が滑り落ちる。

 間もなく、光に粒子となって消えていく。

 覚悟も、決意も通り越した、安堵したような穏やかな笑みだった。

 最後には遺体の痕跡すら残さずに、消滅する。

 神の血を飲み、本来の寿命を通り越して生き長らえたため、既にこの世の肉体ではなくなっていたのかもしれない。


 彼女のいた場所に残ったのは、紅い珠。

 おそらく、アーサーの血が凝固された珠だろう。話で聞かされたより一回り小さいのは、マグノリアが啜ったためだろう。

 それを拾い上げると、ラバーテラは痛切に握り締めた。

 痛々しい彼の姿に、ルアス達はなにも言えずに見つめることしかできなかった。

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