六回
〇三章,激動の末に・上/六回
先程の部屋からだいぶ離れた頃、広間というにはやや狭い一室へと通された。
簡素なテーブルや寝具、服などが、片隅に無造作に置かれている。
無法地帯とも思える場所に、二人は一瞬言葉を失った。
「すまんな。まともに残っている部屋は、あそことここだけなんだ。だからこっちは俺達の共同部屋として使っている。あまり気にせんでもらいたい」
ラバーテラは、空いている場所にテーブルと椅子を移し、ルアス達を促した。
二人はおずおずと椅子に座る。すると彼は、注いだお茶を各々の前に置いた。
どうやら蓄えてある物の一つのようだ。
「心配しなくても、毒は入っていない。先程も聞いたと思うが、私はこれでもハーフだ。同族を貶めるつもりはない。かといって純血の娘さんを、どうこうするつもりもないのでね」
無意識にせよ、よほど疑わしそうに、出されたお茶を見つめていたらしい。
けれどそれはルアス達が、混血と純血の連れ添いであることを見抜いていたということが関係していたのかもしれない。
安心するよう促されても戸惑いを拭えずにいると、彼は穏やかに口元を吊り上げ、お茶を啜る。
ややあってルアス達も、口に含んだ。少し苦味があるが、深みのある旨みがあった。
リラックス効果があるようで、張り詰めていた体に染み渡り、肩の力が抜けていく。
「ありがとうございます。それにしても神殿にいるのは、純血の妖精ばかりだと思っていました」
「おそらく他の神殿はそうだろう。だが少なくともここは、今も変わらずに純血も混血も関係なく、共に歩んでいる。レーレン様が、これまで指揮を執って下さっていた賜物だろう。でなければ今頃は、私もこうしてここには居れぬよ」
「やっぱりさっき言ってた、創世神話唯一の生き残りだから?」
「それは少なからず影響しているだろう。だがサフィニア戦争が起こった当初、我等はそのことをまったく知らなかった。知ったのは、魔物の存在が蔓延り始めた頃だよ。彼が再び現れたのだと言ってな」
それでも告げたのは、それだけだった。
なんのことかわからずに問い詰めるも、固く口を結んでいた。
ようやく真相を語り始めたのは、数年後のことだったという。
魔物を従え、神の神殿に座しているのは、まぎれもなく神そのものなのだと言いながら。
ルアス達はラバーテラを凝視し、無言という形で先を求める。すると彼は、困ったように微苦笑する。
「アーサー様から聞き及んではいないのかね」
「教えてくれたのは、つい最近なんです。アーサーさんとレンドは神々最後の生き残りだということ、サフィニア戦争勃発の真相は簡単に教えて頂きました。けれどそれ以外はまったく……」
「そうだよ。そのことに気を取られてて、どうやってあいつを倒したのか聞いてない。教えてくれたら、俺達にだってどうにかできるかもしれないのに!」
訊ねるフィニアに便乗する形で、ルアスは体を前のめりにさせた。
するとラバーテラは、またしても微苦笑する。それこそアーサーに問いただせばいいのではと、告げているようである。
もしくは本人が詳細を語ろうとしない中、第三者が口を割っていいのだろうかと困惑しているようにも見受けられる。
どちらか、はたまた両方なのか、別の思惑なのかはわからない。
なんであれ、ルアスとフィニアは眼差しで問い詰める。数瞬、互いの意地と固持とが絡み合う。
けれども先に根負けしたのは、ラバーテラだった。小さく息を漏らし、肩をすくめた。
「負けたよ。それに軽率にも思わせ振りなことを口にした、私にも落ち度がある。……そうだな、私が聞き及んだ限りであれば、お話しよう」
啜っていたお茶を置くと、改めて椅子に座り直る。そうしてラバーテラは、語るべく口を開いた。
今から約千五百年のこと。
創世神話末期と呼ばれていたその頃は、神々ばかりが存在したといわれる前期とは違い、神と、人と、妖精と、様々な種族が暮らす世の中だった。
とはいえ何度も繰り返される抗争により、双方の神々は間違いなく減っていた。
人や妖精との交流も減ってはいたが、彼等を巻き込んだ戦は衰えることはなかったのだという。
そのため地上に住む者達は、各々が崇める神々によって部落を分け隔てていた。
とうぜん種族は皆、それぞれ異なる。レーレンが身を置く部落は、戦を重んじていた。
他の部落を攻め入り、力を誇示するのではなく、自身を高めるという定義においての戦いである。
力を誇示するという戦いにのみ身を置く者もいたが、少なくともレーレンは、そう思っていた。
経緯はどうあれ、挑み、向上することを放棄した者は、堕落者として見なされ、火で熱せられた鉄の烙印を肩に押されて追放される。そんな経緯により、崇めていたのは混沌と不和と破壊とを司る、レンド側の神々だったのだという。
もちろん真理と秩序と調和を司る、アーサーの側を崇拝する部落や、分け隔てなく神を祭る中立の存在もあった。
とにもかくにもレーレンは戦を重んじる部落に身を置きながらにして、対極に当たる神々の一人、アーサーと出会った。
彼等の前に現れる際、神々は他の生物とは違う形で具現することが多い。
人に近い容姿で現れることもあったが、その一つが竜である。
場所は崖に程近い、平原にも似た丘の上。
丘を下る先には、申し訳程度に密集した木立が、点々と聳えている。
二十代程だったレーレンが丘へとやってきたのは、供物のための果物や、薬草を調合するための植物を探していたためだった。
散策するため足を伸ばしている最中、心地よい風に誘われるようにして訪れた。
彼は白竜の姿で傷を負い、倒れていたのだという。
一瞬息を呑んだが、大小の傷を負っている彼の瞳に、悔恨と諦めとが同居しているような感慨を受けた。そこに惹かれたのかもしれない。
そうでなくとも、相手は神だ。放って置けるはずもなかった。
この場には、レーレンとアーサーしかいない。
同じ部落の一人と共にやって来ていたが、手間取っている彼女を置いてきたことが幸いした。
近づくと、詠唱し、傷の回復を行なった。すべてとはいかなくても、致命傷といえる傷は消えうせる。
「なぜ、我を助けるのだ。ここは戦神を崇める部落があると聞き及んでいたのだがな」
彼の放つ諦めにも似た眼差しの意味を、レーレンは察した。
「貴方は私達が崇拝する神ではないのね。だからといって、見捨てる道理なんてないわ。相手を滅ぼし、力を誇示することだけが戦いだけではないもの」
知識にせよ、武道にせよ、高みを目指すための挑戦も、戦いの一つだと考えている。
けれど相手を叩きのめす行為がもっとも目につきやすいためか、武勲を欲する者が多いのも事実である。
だが戦の神を祀る部落が多く住む地でのアーサーの態度は、それだけではないだろう。
レーレン達にとって、崇拝する神以外はすべて悪魔として断じてきた。
戦神とは真逆に属する彼を見つけたとなれば、おそらくただではすまない。
もし傍らに同じ部族がいれば、侮蔑と卑下とをもって騒ぎ立てていたかもしれない。
「とにかく早く逃げた方がいいわ。ここにいるのは、私一人ではないの」
「……すまぬ。そなたは我の命の恩人だ。もしそなたの身になにか事が生じたならば、必ず馳せ参じよう。これが証だ」
言うとアーサーは、手のひらで包み込めるほどの紅い珠が現れる。
レーレンは両手のひらで、珠を受け取る。
「これは?」
「我の血を凝縮させた珠だ。我と直結するため、そなたの身に起こる危機を察知できよう」
「そんな、こんなもの私は……!」
いらないと続けようとする。
神の血は貴重であるのはもちろんとして、身に宿すことで長寿を手に入れるらしく、最大の信頼の証とされている。
もしくは宿主としての契約の証としても使われる。
宿主というのは、己自身を供物、言い換えれば生贄とされるのだ。
本人の意思か、そうでないかは別として。
とはいえアーサーからしてみれば、深い意味はなく単純に感謝を表しただけなのだろう。
だが拒絶するよりも早く、遠くからレーレンを呼ぶ声が聞こえた。
連れ合っていた、同じ部落の女である。アーサーは短く謝辞を述べて飛び去っていく。
遠ざかっていく姿を目にしながら、待ってとは言えなかった。
「どうかしたの?」
褐色の肌と、一つに束ねた黒髪の彼女は、ややあってレーレンの傍に辿り着く。
暫し固まっている姿を目にし、軽く首を傾げる。
一瞬戸惑った後、彼女へと微苦笑を向ける。
「ごめんなさい。あまりに気持ちいいから、風に当たっていたの」
告げると、アーサーの影すら微塵にも目に捉えることのない空を仰いだ。だから気がつかなかった。
彼女が、アーサーの姿を辛うじて捉えていたことに。疑念によって目を眇めていることに。
数日後のことである。
レーレンの部落すべてが寄り集まっての会合が行なわれた。
彼等を取り囲む形で、いくつもの篝火が配置されている。中央にも小規模ながらも火が焚かれている。
中央の火の前には、浅黒い肌と、たくましい体躯、長であることの象徴を表す紋様を顔に描いた男が立っている。
傍には補佐をする役職の者が数名いた。
月に一度執り行われるそれは、神々への祈りと、自分達の戒めを説くためのもの。
時には新たな部落の誕生を祝し、時には堕落者と位置づけられた者の断罪と追放をするのだ。
「この者達の中に、我等に対する裏切り者がいる。戦の神々を崇拝しながら、悪魔の傷を癒し、逃がした一人の女だ」
人々はざわめいた。誰がそのような恐ろしいことを、と囁きあっている。
レーレンは心の臓が飛び出すのではと思えるほどに、脈打った。
「その者の名は、レーレン!」
部族の長は、厳かに告げる。
レーレンは更なる脈動が高く波打つのを聞いた。
自分の中から発せられるとは思えないほどの、間断なく大きな音が脳内に響く。
アーサーの手当てをしていたときには、誰も傍にいなかった。
けれどこうして知れているということは、見ていた者がおり、部族の長へと密告したのだろう。釈明をするために、とっさに進み出る。
「そうは仰いますが、怪我をしている相手を、崇める神ではないからと放り出すことができましょうか」
「だがあれば悪魔だ。我等にとっての悪だ。調和などという、堕落に貶める災厄だ」
長は断じた。
一遍の針の隙間ほどもない、拒絶。こうなってしまっては、聞き入れられようがない。
状況は違うけれど、同じく釈明しようとしたが聞き入れられずに、追放される同胞達を見てきたのだ。
長が片手を上げると、傍に控えていた二名の男が無言でレーレンを取り囲むように立ち、脇を掴む。直後、加熱された鉄の烙印を持った男が、無表情に歩み寄る。
やめて、と口を動かすも、掠れた息となって洩れるばかり。
代わりのように、首を左右に振る。けれども相手は躊躇うことなく、堕落者の印を肩に強く押しるける。
ジジっと肌を焼く匂いが立ちこめる。
同時に激痛が走り、レーレンは声にならない悲鳴を上げた。
儀式ともいえるそれが終わると、無造作に放り出された。
のた打ち回るような激痛により、立ち上がる気力はなく、地面に伏したまま動くことができなかった。苦痛の息が、自然と洩れていく。
「さあ、この者を我等の領地から捨ててしまえ」
「お待ち下さい。まだ利用価値はありましょう」
命じる長の下に、恐れながらと、一人の女が進み出る。
褐色の肌と、肩程の黒髪を一つにくくった女。アーサーと出会った日に、共に薬草や供物を摘んでいた女。
ああ、そうか。レー
レンは、ようやく事が長に知れたことに思い至る。
少し考えればわかることだというのに、よほど気が動転していたのか。
いやむしろ、心のどこかで同じ部落の者を疑うことを拒絶していたのかもしれない。
「この者が悪魔と通じ、逃がしたというのなら、逆に誘き寄せてはいかがでしょう」
「……呼び出して、なんとする」
「悪魔は一人でも多く、この世から抹消すべきかと」
女は頭を下げながらも、静寂な空間の中で、涼やかに語る。
すると長は、片手を顎に置き、思案するように遠くを見やる。
ややあって、思い至るように女を見下ろした。
「ふむ、それは良い案だ。このことを、悪魔に使える下僕どもに伝え、後日処刑をするとしよう」
「申し出を入れて下さり、感謝いたします」
女は改めて拝礼すると、静かに身を退ける。そしてレーレンへと、嘲りと憎悪を向けている。
おそらく集落に戻ってから、長に相談を持ちかけたのだろう。
その折にアーサーが、崇める神とは対極にあることを知ったのだろう。
だから彼女は、そんな目で見るのだろう。立ち去る彼女を見やりながら、レーレンはボンヤリと考えた。
長はというと、レーレンへと再度目を向ける。
「ではこの者を牢へ繋げ。悪魔の僕達への使者を申し出たい者は、名乗りを上げるがよい」
我も我もと、身を乗り出す者の数は凄まじい。
それだけ自分達の神々を崇拝し、異端とされる神を貶めることを、誇りと名誉のように感じているのだ。
けれど、来るわけがない。
痛みによって削ぎ落とされる意識を、辛うじて彼等に向けながら思った。
ただの一度だけ、傷の負ったアーサーを治したに過ぎない。
ただの一度会った者を助けに来るとすれば、とんだ間抜けな神だ。むしろ来てくれるなと、切に願う。
そうすれば処刑されるのは、敵対するとわかっていながら行動を起こした己だけなのだから。
だから珠よ、けして彼に現状を伝えてくれるなと、切に願う。
思いながら迎えた、処刑の当日。
木で作られた十字の杭に手足を縛り付けられる。
周囲には火を起こすための薪が、いくつも組み上げられている。
処刑時間は昼時。沈黙の中、刻一刻と迫ってくる。
気の遠くなるような感覚の中で、太陽が真上へと上り詰めると、時間だといわんばかりに薪に火がくべられる。
炎がじわりじわりとせり上がり、レーレンを包み始めた頃。
周囲に突発的な風が吹き荒れる。直後、取り巻いていた炎が霧散する。そして十字の杭から手足を開放されたレーレンを抱える形で、傍にいる人影があった。腰ほどまである白髪と、透き通るような青の瞳、男とも女とも見て取れる中世的な顔立ち。法衣のような服を身にまとい、背には純白の、コウモリの羽があった。
ただ人ではない。神であるということは、一目瞭然だった。
けれどレーレンは助け出してくれた人物に、見覚えがなかった。所々服が焦げ、火傷を負って憔悴しながらも、見上げる形で目で問うた。
「彼等を先導していたのは、そなたか」
「……もちろん。なぜなら私は戦の神を崇める、部落の長だからだ。アーサーよ、対立関係にある貴公はいらぬ」
レーレンは長の口から零れ落ちた名に、以前会ったときと比べ、あまりにかけ離れた容姿に目を剥いた。
どういうことなのだろうと考えるより先に、高々と命じる声が轟いた。
「さあ我等が神以外は、この世にいらぬ。堕落者共々、消し去ってしまえ!」
発せられた命令に、彼等は魔法や武器を向けてアーサーへと繰り出していく。
けれどアーサーは、涼しげな面立ちで防壁を作り、暴風を起こした。
そのため彼等の攻撃は、一切当たらない。
歴然とした力の差に、彼等は慄き、怯んだ。そのため攻撃の手が、いっせいに止まる。
魔法で作った爆風や防壁を解いた刹那、アーサーの下へと炎のうねりが一直線に走る。
再度の防壁が間に合わない寸でのところで、レーレンを抱えて飛翔する。
炎が通り過ぎると、地上へと緩やかに降り立ち、目を細めながら部落の長へと睨めつける。
レーレンは傍らで、唖然と見やる。
「ザルバードのような攻撃主体ではないから、隙をついてと思ったのだけど、うまくいかないものだね。常々思っていたけれど、やはり私は戦闘向きではないなあ」
長は、軽く首を傾げながら辺りを見やる。
同胞ともいえる、彼等が炎によって焼かれていた。
幸い、難を逃れていた者達は、呆然と長を見つめる。
些細な動作の音さえさせずに、息を呑む。思わぬ事態の混乱が、そうさせていたのかもしれない。
かくいうレーレンも、なんの対応もできずに凝視するばかり。
声色、口調、態度、これまで見知ってきた長とは、まったく異なるのである。
「ようやく正体を見せたか、マグノリアよ」
「嫌ですね、その言い方。せめて成り代わりを解いたと、言って欲しいものです」
「なり、かわり…?」
レーレンは目を眇めながら、問いにも似た言葉を漏らす。
長の姿をしたマグノリアは、クスリと笑んだ。
「私はこの体の主に、成り代わっていたんですよ。数え切れないほど、ずっと前からね。私は容姿だけではなく、相手の思考や記憶まで受け継いで変貌できる。もちろん生かしたままでもできるけれど、本人にいられると支障をきたすから、最終的には死んでもらうのだけれどね」
「……それじゃあ、私達がこれまで信じてきたものは」
「その信仰心、忠誠心、存分に利用させてもらいましたよ。根強ければ根強いほど、集団心理というのは、私達にとっては煽りやすいものだもの。おかげでだいぶ、対立する神々を滅することができたよ」
心底感謝しているのだろう。
言葉を失うレーレンへと、穏やかで、優しげな面立ちを向ける。だが、ややあってアーサーを見やる。
迎え撃つように、アーサーも彼を捉える。
「我等は、そなた達に屈したりはしない」
「純粋な力だけなら、君達の方が上だろうね。けれど無理だよ。私達は今回のように様々な部落に潜伏し、唆し、先導して君達の仲間を始末してきた。でも君達は、真理と秩序と調和とを掲げているために、人々を巻き込み、死を与えることを嫌っている。だから容易く命を奪われる」
だからこれまで、アーサーの側の神々は徐々に押され、数を減らしてきた。
気づいていないわけではないのでしょうと、静かに、けれどよく通る声でマグノリアは告げる。
するとアーサーの眉が、剣呑とつり上がる。
彼の不愉快そうな態度を目にすることが嬉しいのか、それに、と続ける。
「君の仲間は、あちこちの部落で起こった事々で分散されている頃だよ。私達の側にも損害は出ているだろうけど、数の上では優位となったから、おそらく最終決戦となるだろうね。けれどあなただけは、ここに呼び寄せた。その理由はわかっているでしょう?」
意地悪く微笑むと、アーサーは目を眇めた。一気に悲哀と切望とに彩られ、一瞬にして書き消えていく。
レーレンは、刹那に垣間見えた様々な感情の色を見て戸惑った。
「あなたとレンド様の縁は深い。なぜならあなたの体の半分は、レンド様のものなのですからね。私達と共に行きませんか。無理なら早く戻ってあげたらどうです?」
「我は、汝らとは手を取れぬ。そう決めたのだ」
アーサーは決意と切望を入り混じらせながら、マグノリアを射抜くような眼差しを向ける。
直後、レーレンを抱えたまま飛翔する。
けれど背後を見せているというのに、マグノリアは攻撃の手を向ける絶好の機会をあえて見送り、彼の姿を目で追い続けた。
「やはり行くんですね。どちらにせよ今回の任務は、足止めでしかなかったんだから別にいいか」
アーサーは真理と秩序と調和の神々では、末席に当たる。
だが下位に当たる存在だとしても、マグノリア達眷属は、神々に真向から対立して勝てる見込みは低い。
だからこそ足止めでしかないと強調するため、早々に正体を晒したのだ。
「神。我等が神よ、なぜ……」
「我等にどうか、お導きを……」
生き残った部族の者達は、すがるようにしてマグノリアへと歩み寄る。
アーサーと対等に渡り合う力を目にし、各々の祀る神だと思ったのだろう。
「そういえば、この人達が残っていたんだっけ。もう用はないから、邪魔なだけだな」
呟くと、マグノリアは彼等へと向けて呪文を詠唱した。
凄然なまでに紅く染まった飛沫を上げる部落の仲間達を、レーレンは上空から見ることしかできなかった。
あまりの惨劇に、痛切なまでの苦悩によって顔を歪ませた。
アーサーの速度は増し続け、彼等の姿は間を置かずに見えなくなった。
遥か上空を、どれだけ飛び続けていただろう。
短いような気がする反面、とても長いように感じられた。
とにもかくにも、目を開けていられないほどの速度である。
やがて、天井と、それを支える柱が何本も連なり、広大に敷き詰められた石の上には様々な文様の描かれた、祭壇のような場所へと降り立った。
祭壇以外は、見晴らしの良い広大な荒野である。
「ここは?」
「我等が本拠地だ」
アーサーが手を離すと、レーレンはがくりと膝をついた。
今更ながら、憔悴している自分を思い出す。
そのことに気づかされると同時に、長に成り代わっていたマグノリアの姿が脳裏に浮かぶ。
利用されていたということが、衝撃を与える。
部落の者達が無残にも、死が訪れたことに、胸の奥が掻き乱されるほどの痛みが燻る。
けれど、これまで信じてきた物事を試すための、これは試練なのだと考える自分がいた。
これまでの積み重ねが、すべて取り繕われたものだったとは思いたくはなかったのかもしれない。
哀しい、辛い、痛い。
心の奥に深々と剣を差し込まれたような、苦痛と空虚があるというのに、涙は少しも流れない。
かける言葉が見つからないのか、アーサーは沈黙を保っている。
「どうして、こんなことに……」
呟くも、風がそよぐばかりで、応じるものはなにもない。
ややあって、場を離れようとする衣擦れの音を聞いた。とっさに顔を上げ、レーレンは彼の服を掴む。
にわかに驚いた様子で、アーサーは見下ろした。
なにかを言わなくてはと思うのだが、言葉としてまとまらずに霧散する。それでも思うことは唯一つ。
「こんな思いをするのは、嫌よ」
言ってから、感情が波のように押し寄せてくる。
だから止めてと、瞳で訴える。日常を返して、と。
これまで長に従ってはいたけれど、自身で考え、行動していたと思っていた。
けれど違った。逆に利用され、意思とは無関係に巻き込まれ、無残な思いを抱くことになった。
こんな思いをするために、信じ、行動してきたわけではないのだ。
それでも構わないと、だからなんだと考える者はいるかもしれないけれど、そう思うには混乱し、同時に強くはなかった。
「……わかった。己が望み、聞き入れよう」
アーサーは短く応じると、空高く舞い上がる。
祈りながら、すがりながら、レーレンは彼を見送った。
神々と、それに連なる人々が戦をしているのだろう。空は時折光を生じさせ、轟音が遠くで聞こえる。
時間が過ぎていくたび、これでいいのだろうかという焦りが生じ始めた。
願ったのも、託したのも自分ではある。けれど、これは神々の問題ではなく、自身のことでもある。
だのに身を委ねているだけでいいのだろうか。
行かなくてはと、気持ちが逸る。
光や轟音は遠くでの出来事のように聞こえるが、辿り着けないほどの場所でもないような気がした。
様々な紛争を思わせる東北へと、レーレンは憔悴する体に鞭打ちながらも足を向ける。
ひたすらに歩き続けた。
戦の中心と思われる場所へと向かうたび、魔法の衝突によって、紡ぎだされる光と轟音が、大きく、強くなる。
大規模な戦が起こるまでは美しかったであろう川や、木々や、山等が陥没し、瓦解し、吹き曝しが時折突風となって迫ってくる。
様々な人種の遺体が、目立ち始める。まるで生気を奪われたように干乾びている。
目を背けながら突き進むと、上空で光が瞬いた。顔を上げると、光が迸る。
複数の神がいた。どうやら対立する神々の激突のようだ。
その中の数人が傷を負い、光の粒子となって消えていく。
光の粒子は幻想的な光景として、地上へ舞い降りる。
無事である数人は、激突と移動を繰り返しながら遠のいていく。
その中に、アーサーの姿があった。どうやら、かなり手酷い傷を負っているようである。
「アーサー!」
叫ぶも、はるか上空にいるために届かないようだ。遠のいていく彼を、レーレンは見失わないように追いかける。
向かい続ける中、爆音や地鳴り等の数が急速に減っていく。
どうやら両者のぶつかり合いは、急速に翳りを帯びてきているようだ。
焦燥が、胸を騒がせる。足を引きずるような形で、ようやく辿り着いたとき、断末魔ともいえる雄叫びが轟く。
「争うだけではなく、ただ平穏に過ごせる地を我等の後の世に!」
「私達の命を持って、どうか勝利を…アーサー様!」
断末魔ともいえる中で、耳につく複数の声が紡がれる。誰もが、アーサーに願いを、望みを託している。
目を向けると、彼等の姿が、生気を奪われたかのように干乾びていく。
道中で目にしたミイラのような遺体は、神々が生命力を奪い取ったためなのだと漠然と感じた。宿主となった者達の末路なのだと。
同時に悪魔の所業だと、恐れによる寒気が走る。
けれど今までのあれは、必ずしもアーサーが行なったとは限らない。
それでも一度芽生えた恐怖を、途方もない力に対する怯えを、簡単に拭えない。
たとえそれが、彼等と同じく望みを託していたとしても。
それでも逸らすことができずに、目を向ける。
アーサーの視線の先には、全身が血まみれになった男の姿があった。紅く燃え上がるような瞳と、対照的に闇へと引きずり込まれるような漆黒の髪。
背には、同じく黒々としたコウモリの羽が生えている。
燃え上がるような、同時に底冷えするような男の眼差しが、レーレンへと向けられる。
たった一睨みによって、足が竦む。
「……まだ私の命運は尽きていないようだ。そこの女を、苗床に!」
「レーレン!」
光は、姿を現したレーレンの下へと迫ってくる。
射竦められ、迫ってくると知りながらも体が動かない。
今にも止めを刺そうとしているかに見えたアーサーは、光の先にたたずむレーレンの姿を認めたらしく、驚嘆する。即座に前に立ちはだかると、障壁を張り巡らせた。
同時に囁くような声で、なにかを唱えている。
そして光を放つ何者かに向けて、手をかざした。
すると耳を塞ぎたくなるような音が発せられ、暴風が吹きぬける。
中心部だというのに無事でいられるのは、アーサーが防壁で衝撃を最小限に止めてくれているからなのだろう。
すべてが通り過ぎると、これまでの光景が嘘のように、静寂が訪れる。
暫し直立していたアーサーの体は傾いだ。レーレンは彼の体を支えながら、座り込む。
苦痛に顔を歪める、アーサーを見て取った。
「…よくも、よくも私を封じ込めたな。だが止めを刺さなかったことを、必ず後悔させ、報復してやるぞ。混沌と破壊と不和を司る、最後の神として必ず!」
レーレンは、憤りの発せられた方へと顔を向ける。目線より上空に、光の玉が浮かんでいた。
光の玉は更に憎々しげに言い放つと、先程の詠唱で出現させたのか、地中に描かれた魔法陣の中へと沈んでいく。
完全に地中へと消えうせると、魔方陣が姿を消した。
ややあって、アーサーは小さく唸る。
「すまない、我はあの者を封じることしかできなんだ」
言外に、約束を守ることができなかったと告げているようだった。
しかしレーレンは小さく首を振った。この場へと来なければ、邪魔をせずにすんだのだ。
彼が悪いのではなく、足手まといとしての役割しか担えなかったことが胸を疼かせる。
刹那、アーサーの体が光に包まれていく。やがて拳大の光の玉へと変貌していく。
「アーサー!」
「我を、あの祭壇へ。レンドの封印は、いつか解ける。それまでに力を取り戻したいのだ。真理と秩序と調和を司る、最後の神として望むために……」
今度こそ、決着をつけるために。
そこまで語ると、何度呼びかけても応じることはなかった。
祭壇というと、おそらく先日連れられた場所なのだろう。
胸元に光の玉を抱きかかえると、陥没の激しい、広大な荒野と成り果てた場所を見た。
いくつもの人々の屍があった。
神々とされる者の姿はない。けれど幻想的なほどの淡い光が、いくつも漂っている。
これがきっと、神々の魂なのだろう。神々の魂は、精霊となって大地に帰ると聞いたことがあった。
儚くて、無残で、美しい様々なものが一挙に一つの場所に固まっている光景が、あまりにも痛々しく感じて空を仰ぐ。
祭壇のあった場所に戻ると、柱などが崩れ、中心が陥没している。
なにかがそこにあったのだという名残だけが見渡せる。
それでも躊躇うことなく、レーレンは光の玉となったアーサーを手放した。するとゆっくりと、地中へと沈み込んでいく。
見送ると、すべてを見届けるために、アーサーから受け取った紅い珠を飲み込んだ。
不老不死となるわけではないけれど、神の血は寿命を永らえさせると言い伝えがあったためだ。
ただし身を切り裂くような苦痛を、屈強の意思をもって乗り越えることができればの話である。
数日悶え続けた結果、どうにか乗り越えると、この地を去った。
おそらく真実を知る、唯一の者として、誰に語ることなく放浪を続ける。
やがて植物の精霊の領域が強い場所へ、腰を落ち着けたのだという。
まるで、誰にも見つからずにひっそりと隠匿するかのように。
けれど来る者は誰であろうと受け入れ、やがては集落となり、村となり、町となった。
レーレンを長として。植物の神殿を建てられた際も、反対意見などなく最高地位の巫女として据えられた。
そしてサフィニア戦争が終えても、誰彼構わずに受け入れる姿勢だけは変わらなかった。
再びレンドが現れ、けして語ろうとしなかった自身の身の上話以外は。




