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三回

 こえが聴こえる。少女を包み込むような、暖かく澄みきった聲。

 太陽の光に照らされながら、ゆっくりと差し出される少年の手。

 紫暗色の瞳と漆黒の髪とを合わせ持つ、エルフの少年の姿。


 けれどこれは夢の中の出来事。

 決して戻る事はできないとわかっていながら、あの日からずっとただそれだけをひたすら望んでいる。

 できることならもう一度、戻りたいと願い続けてきた想い出。揺らぐことのない、ただ一つの想い出。

 夢を見るたびに胸の内に入り込んでくるような、誰はかとなく聴こえ続けていた聲さえも、今はもう聴こえない。


 その言葉は、少年の名は……。


 思いだすより早く鳥の甲高い鳴き声が聞こえ、夢の世界から現実へと引き戻された。

 目を開け、身を起こしたのは、少女の姿ではなく成熟しきった女性のそれであった。

 彼女は夢から醒めたのだと気づくと、鳴き声がしたほうへと目をやった。

 彼女の頭上、天井よりやや低い位置に小さく出っ張った岩肌に、小鳥サイズのゾンビ鳥がいた。


 更にもう一度、ゾンビの鳥が甲高い声で鳴いた。

 彼女は眠っていた場所から立ち上がり、手を伸ばすと鳥は指先へと移る。

 ゾンビ鳥の足首に、一枚の細長く折りたたまれた紙が括りつけられている。

 括りつけられていた紙をほどき、擦れ合う音と共に見開いた。

 見るとそこには、今すぐ最深部へと来るようにとの文面が書かれていた。

 読み終わると彼女は、


「ありがとう、今すぐ行くと伝えてくれるかしら」


 言うと、ゾンビ鳥を指から放し羽ばたかせ、早速彼女は最深部へと歩みを進めた。


 彼女のいる場所は薄暗く、剥き出しになっている角張った岩肌が連なり、それらが空洞のような細い道をいくつも造り出している。


 この場所はゴルファという名の洞窟で、魔物が数多くうろついている。

 先程彼女のもとに来たゾンビ鳥も、その一匹である。


 それだけではなく、この洞窟内にはここにいる魔物を統率し、彼女に手紙を送りつけた頭領格がいる。

 今から彼女は、その者の下へと赴かねばならぬのだ。物憂げで、どこか影のさした暗い眼差しを浮かべる。


 ああ、まただ。一体これで何度目だろう。


 思いながら最深部にいる人語を話す魔物の姿を脳裏に浮かべ、すぐ様それを打ち消すように頭を軽く横に振った。

 だがあまり効果はなかった。


 ふと彼女は伏せ目がちに、洞窟の最深部にいる魔物に捕われたときのことを思いだした。

 捕われたのはそのとき運悪くこの洞窟内にいたからなのだが、以来強制的に今回のように、ここに来た者達を屠るのが役目となっていた。

 この洞窟へと薬草を取りに来た者、道に迷いこの洞窟を一晩の寝床にする者、誰一人帰ってきた者がないという噂を聞き、好奇心に駆られてやってくる者、様々な者達がいた。

 今まで殺めた者達の顔が、感触が、どうしても頭から離れなかった。


 彼等が彩る苦悩、苦痛、驚愕、恐怖、絶望、悲哀、懇願、そういった負の感情を見るのを、人語を操る魔物は好んだ。


 私の傷付き苦悩に染まる表情さえ、魔物は娯楽劇でも見るかのように、口元の両端を吊り上げ、悪寒が走るような笑みを向けるのだ。


 いつまで、こんなことを続けなくてはいけないのだろう。

 どこまで堕ち続けなければならないのだろう。もうこんなこと、やめてしまいたいのに。


 思ってはいても呪縛から逃げだすことも、ましてやその勇気を持つこともできなかった。



 やがて彼女は前後左右、先程来た道しか通り道がない、閉鎖的な場所へと行き着いた。

 まるで広場のような空洞が広がる、ゴルファ洞窟の最深部である。

 所々に直接配置してある灯篭台に小さな炎を灯しており、他のところとは段違いに明るい。


 真中に人の顔の大きさ程もある水晶を、何重にも重ねられた柔らかそうな布の上に乗せてある。

 それらを乗せるだけで一杯になる小さなテーブルの前に、彼女を呼びだした言葉を操る魔物がいた。


「ガース様、ただいま参りました」


 彼女が先程来た道から数歩進み寄り立ち止まると、水晶を食い入るように見つめていた、ガースと呼ばれた魔物はようやく振り返った。


「ようやく来たな」


 振り向いたガースは、いつものように薄気味悪い、悪寒の走るような笑みを浮かべている。

 彼女は目を逸らしたかったが、できなかった。そうすることで反抗意識があるとされ、一体なにをされるかわからないからだ。


「では早速本題に入ろう」


 ガースは愉快そうに、そして相手の心を見透かすように彼女の表情を眺めていたが、なにやら呪文を唱えると水晶が淡く光だし、中から映像が映しだされた。


「次の目標はエルフの若造と人間の子供……、いや妖精と人間が行動するというのはありえんな。たぶんに人間の血が濃いハーフだろう」


 それでも信じられない光景だがと、映像を彼女にも見せるため、ガ―スは体を横に傾けながら仄かに笑んだ。


 だが彼女はその水晶に映る二人を見るなり、稲光が走りぬけたような衝撃を受け、目線を外すことができなかった。

 水晶に映った二人、というより漆黒の髪と紫暗色の瞳をもつ青年に、だった。


 どれくらいそうしていたのだろう。

 実際はそれ程長い時間ではなかっただろうが、自分を舐めまわすような視線に彼女はとっさに我に返った。


「なるほど、そういうことか。この二人、もしくはどちらかが貴様の顔見知りというわけか。おもしろい」


 自身の失態に彼女は内心、冷汗を掻いた。

 感情の色と出せば、見過ごすことなどないと知っていたはずなのである。


「一体なんのことでしょうか?」


 なんとか即座に平静を装ったものの、事実そう言うだけで精一杯だった。

 その姿をガースはまるで、なにもかも見透かしたように見つめている。

 突如低い笑い声を発したかと思うと、やがて高らかな笑い声へと変貌していく。


「この二人をここへ連れて来い。ここで私が直々に始末をつけるのも良いだろう」


 突然笑うのをやめ、だが目元はおかしそうに弧を描きながらガースは言い放つ。

 このとき彼女はまるで凍りついたかのように硬直した。もっとも言ってほしくはない言葉だったのである。なんとか反論を試みようとする。


「貴様に逆らう気があるのなら、そうするがいい。『あれ』がどうなってもいいというのならな」


 なにを考え、どういう行動に移すのかを知っていたのだろう。

 ガースは鋭く突き刺さるような視線を彼女に向け、釘を刺すように先手を打った。

 彼女は言葉に詰まり、悔しげな表情で仰せのままにと告げ、その場を去っていく。


 だいぶ離れた頃、彼女は片手を岩肌につけ、そのままズルズルと崩れ落ち、両膝をついた。

 もう片方の手を胸元に引き寄せる。

 手は思いのほか震えている。

 手だけではなく、彼女の体も微かに震えていた。


(どうして、こんなことになってしまったのだろう)


 夢に見たのは偶然だろう。幼い頃の彼しか知らないため、よく似た別人かもしれない。

 別人であればいいというわけではないが、そうであればいいと思う。


 けれど同時に、ガースのもとへと引き渡すのは心苦しい。

 本人だったとした、なおさらである。


 本人であろうとなかろうと、ガ―スに殺されるようなことがあれば、きっと今まで屠ってきた誰よりも、自分の心を深く傷つけるだろう。

 それだけはわかった。

 けれど彼等に真実を伝えることも、ましてや協力もできない。


 今頃ガースは水晶で監視しているだろうから。

 そして逆らえば、きっと「あれ」は二度と戻ってこない。


 彼女にとって漆黒の髪の少年と同様に、心の拠り所となっていた。

 結局どこまでも逆らうことができないのだと悟ると、絶望に打ちひしがれるしかなかった。


 彼女は夢に見た漆黒の髪と紫暗色の瞳をもったエルフの少年の名を、自分にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。

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