四回
〇三章,激動の末に・上/四回
マグノリアは微笑と共に、レンドの座す室内へと通された。主の顔を拝見するや、丁寧に礼をする。
「マグノリア、神殿撃破の任から帰りましてございます」
「ご苦労だった」
労いの言葉を受け取ると、マグノリアは微笑を浮かべたまま顔を上げる。
「それで、とある神殿で面白い方とお会いしましたよ。憶えておいでですか。あなた様が封じられる直前、宿主として扱おうとした娘がいたことを」
「……ほう、まだ生きていたのか。いくら純血とはいえ、長寿なことだな」
一瞬思案していたレンドだったが、懐かしみながらも感嘆する。
当時の者で、生き長らえている者はいないと思っていたのだろう。
かくいうマグノリアも、例には洩れていなかった。けれど事実、目にしたのである。
ザルバードに成り代わり、光と水の神殿以外を手にかけた時に。
「相当年を召していましたが、どうやら神の血を、その身に含んでいた模様です。あの者とは、少なからず縁がございます。任務遂行が優先されていたため、ご挨拶もできずにいましたので伺っても宜しいでしょうか」
「なるほど、それならば長寿の説明がいく。ならば彼女の血は、失うわけにはいかんだろう。ほどほどに事をすませるように」
含むような笑みを眷属に向けながら、レンドは応じる。
マグノリアは嬉々として目を細め、退室した。
その足で神殿の建物から出ると、指の切先を切りつける。ややあって血が滴り落ちる。
それへと向けて呪文を詠唱すると、血の滴った地面が盛り上がり、マグノリアと寸分違わぬ容姿が現れる。
なにをするのかをわかっているようで、血から生まれたもう一人のマグノリアは身を翻しながら立ち去っていく。
そんな彼へと背を向け、マグノリア本体は神殿内へと引き返した。
椅子に腰掛け、うな垂れる形で膝の上に手を置いている。
久々にやってきたマグノリアは、沈痛であるかのようなシンシアの姿を見るや、予定通りに事が運んだのだと気づき、微笑んだ。
「どうやら、あの方に無事に対面できたようですね」
他にも理由はあるが、魔王レンドと引き合わせるため、暫くはシンシアの軟禁された部屋へと近寄らずにいたのだ。
語りかけながら近寄るマグノリアに向けて、シンシアはゆっくりと顔を上げる。
衝撃を受けているだろうと予想した儚い面立ちではなく、しっかりとした、確固たる意志が漲っていた。
彼女の態度に興味を引かれ、マグノリアは微笑を取り払う。
「ずっと、考えていました。父の意識が、レンドという方に完全に支配されているのなら、私やルアスを狙う必要などないのでは、と」
凛として語りだすシンシアが、なぜそういった結論を導き出したのか純粋に気になった。
若干睨むような彼女へと、先を促すべく目を合わせる。
「父の意識は、まだ消えてはいない。レンドの中で生きている。違いますか」
「さあて、ね。なぜそのように思い至ったのですか」
「肉体的な血の繋がりだけで、私達を狙う行為が不自然なためです。私達の反応を楽しむということも考えられましたが、それだけならなにもせず私を軟禁し、ルアスを殺すよう命じるでしょうか」
「もしレンド様の器であるルビナスの意識があったとして、あなたはどうするつもりなんですか」
マグノリアは口元の両端を吊り上げながら、眼差しでは表情と言葉の微妙な変化を読み取るために探りを入れる。
単純に気が向いただけだったが、彼女がどのように行動に移すのか、強い興味へと変わっていくのを感じていた。
知ってか知らずか、シンシアは受けて立つように向かい合う。
「もし父の意識が残っているなら、私が取り戻します。母も、親友だったあの人達もいない今、それができるのは私だけだもの」
予想通りに過ぎた実直な回答に、マグノリアは思わず噴出すように声を上げて笑ってしまった。
心外であるのか、シンシアは眉をひそめ、口元を若干きつく閉口させる。それがまた、笑いを誘う。
「はたして、そう上手くいくと思いますか。少なくとも一度は世界に絶望し、呪った。意識を取り戻させた彼が、君の知っている以前の彼とは限らない。結果、互いにとって傷つくだけかもしれません」
「それでも、父の意識を取り戻したい」
言葉の裏には、様々な感情が渦巻き、葛藤していることだろう。
それでも取り戻したいのだという一点において、偽りも、怯えも、躊躇いも、微塵として感じられなかった。
マグノリアはこれ以上ないほどに、柔和な微笑を浮かべる。
「なら、一つ賭けをしましょうか。ほんの一時でもルビナスの意識を取り戻すことができたなら、私はあなたの願うことを一つだけ叶えてあげましょう。そう、例えば弟君の所へと戻りたいという願いでも、ね」
「……本気なの?」
「本気ですとも。ただし期限は、弟君がザルバードの手によってか、もしくは自らの足でやってくるまでの間です。それまではレンド様との対面を邪魔するような無粋な真似は致しません」
この言葉に、シンシアは息を呑んだ。
「自分の足で、とはどういうことなの」
「おや、おかしいとは思わなかったんですか。それとも父親のことで頭が一杯だったのでしょうか。弟君の連行が遅いということに気づきもしないなんて」
驚きを隠そうともしない彼女に、マグノリアは目元を緩める。
「彼は今、この神殿へと向かっているようですよ。お仲間と一緒に、あなたを助け出そうとね」
否定か、拒絶か、シンシアの瞳に悲哀が瞬時に彩られる。
それだけでルアスの身を案じているのだと、容易に知れる。
ややあって燃え上がるような眼差しを、マグノリアへと向けた。まるで挑むかのような凛々しさである。
「受けて立つわ。どんな形にせよ、ルアスがここに来るまでに、お父様の意識を自身の体に戻してみせる」
「急ぐことですね。すべてが手遅れになる前に。そう例えばザルバードが仕損じた場合、私があなたに成り代わって弟君をレンド様へと引き合わせなくてはいけないんですから」
マグノリアは、悠然とシンシアを見据えた。仕損じるというのは、ザルバードがルアスを連行することに失敗し、己自身の足で訪れた場合である。
ザルバードに一任されているとはいえ、そうなった場合の命令は受けていない。
すべてではないにしろ、シンシアはなにかしら察したようだ。表情が、やや険しくなる。
「あなたは姿を変えられるようですが、それだけでは無理よ」
「そうでしょうか。私が成り代わることができるのは、姿形だけではありませんよ。能力をすべてというわけにはいきませんし、条件はありますが、その人の記憶を受け継ぐことができます。だからこそ、あなたの傍にいるのです。そして変化できる人数は、一人とは限りません。はたして弟君は、それでも気づいてくれるでしょうか」
「なら、そうなる前に止めてみせるわ」
「せいぜい頑張って下さい」
本心からなのか、虚栄心からなのか、もしくは両方なのか。
なんであれ憤然と言い放つシンシアに、ほんの微かな畏敬を払いながら穏やかに笑んだ。
*
光の神殿では、山積みになっていた大部分の瓦礫は取り除かれ、ようやく建物の補強や建て直しへと取り掛かろうというまでになっていた。
徐々に復旧が進んでいく中、反するように彼等の心は穏やかではなかった。
フウラの提案には賛否両論があり、それによる不安定さが水面下で波紋のように広がっていたのだ。
「フウラ様、本当に人間などと手を組むのですか」
戸惑いと不安によって苛まれたのだろうか、数名がフウラの個室へとやってきた。
その中の一人である女が、おずおずと問いかける。
これまでも幾人か、もしくは一人で、フウラの個室へと訪ねる者が多かった。聞かれる内容は、似たようなことばかり。手を取り合い、またしても裏切られることを危惧しているのだろう。
「私に変更する意思はありません」
断言すると、誰もが渋面となり、互いに目を合わせる。納得したためではなく、不服があるようだということは容易に知れた。
彼等の中から、先程と同じ女が落ち着きなく目元を泳がせながら、一歩進み出る。
「けれど魔は人間が創り上げたとされています。私達と手を組んだと思わせておいて、魔と共に今度こそ私達を襲ってくる心配はないのでしょうか」
「事実そういった噂を何度か耳にしています。けれど噂は噂であって、真実とは限りません。本当に人間が創り上げたのなら、なぜ今まで私達を排除しようとはしなかったのでしょうか。なぜなら人も、等しく魔に襲われているとも聞き及びます。私達を侵さないのは、私達と人との仲違いをさせるために現れた存在とも考えられませんか」
「ですがそれは私達を出し抜き、油断させるつもりなのかもしれないんですよ」
「なんのために? こうして私達を追い詰めるだけの力を持ちながら、なぜそんな回りくどい方法を取る必要があるのです」
突き詰められ、彼等は次々に口ごもる。不可解な点があることは、彼等も承知しているようだ。
結局はすべてが憶測での問答である。不満が解消されないまま燻るばかりで、発展のしようがなかった。
ほとんどが無知から来る、不安と恐怖によるところが大きい。
彼等の表情は自然と曇っていく。
「フウラ様、お客様が来ております。面会を求めておりますが……」
ノックと共に、一人の男が躊躇いがちに入室してきた。
戸惑いと困惑によるためか、どことなく忙しない雰囲気がある。
「どうしたのです。他の神殿からの移住の方ではないのですか」
「そうなんですが、地の神殿からいらした中に人間と妖精の夫婦が一組いまして、その方々が面会を求めているんです。フロリスミアが来たと告げれば、きっとわかって下さると……」
これまでの確執があった分、妖精と人との一組の夫婦の来訪は、少なからず動揺を与えていたのだろう。
フウラの提案も、それに一石投じていたことも関係していたのだろうが、言伝の男の様子は落ち着かない。
そんな中でフウラは、フロリスミアという名に心当たりがあるのかを考えてみた。
聞いた直後は知らないものと思い込んでいた。だがよくよく突き詰めてみると、水の神殿にいた頃に行き倒れていた人間を無断で介抱していた者を思い出した。
そのため追放という形で終結させた。確かその者の名は、フロリスミアではなかったか。
もしそうならば、共に来たという人間は行き倒れていた人物と同じなのかもしれない。
フウラは思い至ると表情を引き締め、言伝の男へと向ける。
「彼女は以前、水の神殿で共に魔物と戦った同士です。こちらにお通し下さい」
「今この場に、でしょうか」
男は、傍にいる彼等の姿に目を向けると、躊躇いを見せる。今この場に連れてくるという行為は、危険を呼び起こすということになりかねないのではと感じているのかもしれない。
「かまいません、お願いします」
告げた言葉に従い、立ち去る彼の姿を見送ると、フウラは再び彼等へと向き直る。
「話は聞いていましたね。あなた達には、彼女達がこの場に訪れるまで待って頂きます」
「ですが……」
「私達の側ではわからないことは、直接人間に聞くのがよいでしょう」
すると彼等は反論する言葉を持たないのか、困惑気味に互いの顔を見合わせるばかりだった。
待合室とは呼べない広間で、フロリスミアとリフティアは、言伝の男が戻ってくるのを待ち侘びていた。
周囲には、共に地の神殿からやってきた妖精達がいる。
声に出しては言わないが、彼等の眼差しを痛いほどに向けられている。
信用ならぬ相手としてか、好奇として捉えているのかはわからない。
けれども向けられる視線の中には、少なからず何かしらの不安が混じっていた。
だがこれでもかなり改善された方である。
地の神殿に赴いたとき、フロリスミアと共に怪我人の介抱をしていたときは、散々非難を浴びたのだ。
それでも辛抱強く介抱を続ける内、その声も徐々に小さくなっていった。
けれど批判的な思考が、彼等から取り除かれたわけではない。
二人にとっても戸惑いや不安はあるが、堂々と振舞うことは忘れない。
「ひもじいな。ようやく神殿にやってきても、これじゃあな」
「そうだな。食糧はほとんど底を突いている。贅沢は言わんが、飯食って骨休めしたいものだ」
ようやく光の神殿にやってきたものの、建物は半壊し、瓦礫が少なからず残っている。
なおかつ周りには、復旧作業を行なう者が多数いた。
そのため落ち着かないのかもしれない。
「よろしければ、どうぞ」
リフティアは立ち上がると、木筒に入った水と、乾し肉を少量だが手渡した。
彼等は戸惑いながらも受け取ると、軽く会釈する。
相手が躊躇いを持っていることを容易にわかるだけに、それ以上は関わるまいと戻った。
するとフロリスミアは微笑を浮かべながら出迎える。
それだけでも嬉しく思い、リフティアも微笑を浮かべた。
「フロリスミア様、フウラ様が面会してくださるそうです。ご案内しますので、そちらの方とお越し下さい」
言伝を頼んだ男が、リフティアへ軽く目を向けながら促した。
フロリスミアは承諾したことを伝えるために立ち上がり、頷いた。
言伝の男は先導するために身を翻し、歩き出す。
二人は彼の数歩後ろをついて行く。通された場所へ辿り着くと、フウラ以外に数名の妖精達がいた。
妖精である彼等には、不安と戸惑いがおもむろに現れている。
「フウラ様、これは一体……」
面会を望んでいたのはフロリスミアである。
けれどまさか、このような席に招かれるとは予想もしていない。
毅然と振舞おうとする反面、人の町で受けた仕打ちを思うと、さすがに心穏やかではいられない。
そんなときリフティアの手が、フロリスミアの手に重ね合わされた。
それだけの行為が、彼等に軽いざわめきと動揺が起きる。
どのような思惑で、このような席に連れて来られたのかはわからない。
ただ言えるのは、好まれてではないということだ。
そんな時、リフティアの手がフロリスミアの強張った手を握りしめる。
手の温もりが伝わる。
望んだとはいえ、迫害を受けかねない中にいるというのに、リフティアの何気ない優しさに勇気づけられた。
物怖じしている場合ではないと、フロリスミアは平静に戻り、フウラ達を見据える。
フウラは落ち着き払いながら、一歩進み出た。
「このような場所に招いたこと、許して下さい。貴女方とこの方々を引き合わせたのは、お話してほしいことがあったからです」
「お話とは、なんでしょう」
緊張を伴いながらも、フロリスミアは揺らぐことなく応じる。
するとフウラは穏やかに笑んだ。
「あなた方にとって、悪いお話ではありません。私はある方々の行動によって、妖精と人との共存を望んでいます。けれど戦争により両者の関係は断絶しています。魔物が現れたことにより、我等妖精の間では、魔を呼び込んだのは人であると密やかに騒がれ、なおのこと両者の溝を深くしています」
妖精側には、それが嘘なのか真実なのかを知る術はない。
両者の関係を復活させるためにも、妖精側の不信、疑惑等を打ち消すために、リフティアの意見を聞きたいのだと告げる。
彼等の目はいっせいにリフティアに注がれる。
ほとんどの者が疑心の眼差しを向ける中、フロリスミアは無理をしないよう目で訴えた。
まるで心配するなとでもいうように、リフティアの瞳は優しく、強い意志を秘めている。
信じよう、そのために共にあることを選んだのだからと、フロリスミアは繋がれた手を強く握り締めた。
「魔の存在を創り上げたのは、俺達人間ではありません」
「それは本当ですか。けして関わってはいないと言えますか」
フウラは強く問うた。
「俺はすべての人を見通せるわけではないので、断言はできません。ですが少なくとも俺の周りにいた人達は、いつだって魔物の存在に怯えて暮らしていました。本当に俺達が魔を存在させるキッカケになったなら、どうして自分達を危険に晒す必要があるんです」
「それを信じろというの?」
彼等の一人が、リフティアへと拒否や否定の伴った疑いの眼差しを叩きつける。
リフティアはそんな彼等に受けて立つように、睨みつける。
「信じてもらえなかったとしても、何度でも言います。戦争直後に魔が現れたことで両者の関係が拗れる要因になっていたとしても、俺達人は、そんな手段であなた達を陥れる術は持っていない。行なってもいない」
「証拠はどこにあるの。私達に、それを立証することができて?」
「それはあなた達も同じはずです。俺達の間では、あなた達妖精が召喚し、人を虐げるのだという説が広まっています。あなた達は俺達人に、違うのだと納得のいく説明ができますか」
真向から反論するリフティアに、彼等のほうが怯んだ。
事実はどうあれ、彼等の態度は、説き伏せるだけの証拠は持っていないとも受け取れる。
けれども自尊心は傷つけられたらしく、様々に顔色を変えて色めき立っていた。
「そのような大嘘をついて、このような事態を招いた責任転嫁を私達に向けるつもりか」
「嘘ではありません。フロリスミアと、今後産まれて来るお腹の子を守るためにも、そのようなことをする必要性がありません」
非難めいた反論に、憤りと、真摯さと、決意とをこめた眼差しを、リフティアは揺るぎなく向ける。
伝わらぬことへの怒り、それらと向き合う直向さが、ありありとわかるフロリスミアは素直に心から嬉しかった。
けれど彼等にとってしてみれば、危険としてしか見ることができなかったのだろう。
新たな混血児が生まれるのだという恐怖、再び人と妖精とが手を取り合う未来には結局諍いしか生み出さないのではという恐怖。それらが付きまとっているためかもしれない。
「おやめなさい、それ以上は感情のぶつけ合いでしかありません。そのようなことのためだけに、引き合わせたわけではありません」
「ですが彼等の発言が、真実だとは限らないのですよ」
「そうかもしれません、けれどそうではないかもしれません。どちらにせよ、このままでは平行線を辿ったまま。それに真偽の程は、魔を討ち滅ぼしたときにわかります」
フウラは妖精側の非難を受け止めず、妖しく笑んだ。
一見含みのあるようにも感じられるが、ある種の余裕とも頼もしさとも受け取れる。
彼等は笑みを向けられると、口惜しくも気圧されたように閉口する。
フウラが唯一無事に生き残った神殿の巫女であり、エンサ同様に各神殿の責任者が亡き今、神殿に取り残され、もしくは集まった者達にとって、心の拠り所ということも関係しているのかもしれない。
「今回の会合は、これで終了とします。皆さん、下がりなさい」
彼等は不服そのものだったが、暫しの沈黙という抵抗の後、短く承諾して去っていった。
いくつかの足音が遠のき、やがて聞こえなくなると、リフティアは小さいながらも安堵の息を漏らす。
張り詰めていた緊張が和らいだのだろう。
握っている手は、汗ばんでいた。
けれど盛大に寛げないのは、フウラがいたためかもしれないと、フロリスミアは思った。
人間を嫌う妖精の集う神殿にいるのだということもあるのかもしれないが、以前水の神殿付近で傷を負っていたリフティアを介抱し、それが知られてフロリスミアも同様に追放されたという経歴がある。
心落ち着かせるには、まだ早い。
そのことに気がついているのか、フウラは若干の緊張を伴っているフロリスミア達へと、穏やかに微笑んだ。
「そのように硬くなる必要はありませんよ。私は貴方達の敵ではありません。それにしてもお二人共、久しいですね」
「はい。私達に追放命令をお出しになられて以来でしょうか。まさかこのような形で、お目にかかれるとは思いもよりませんでした」
フロリスミア達は繋いでいた手を離して、恭しく頭を垂れた。
「それは、私とて同じこと。ところで貴方方は、私に用向きがあって面会を求めたのでしょう。理由を教えて頂けませんか」
柔らかな物腰で問うフウラに、フロリスミア達は当初の目的を思い出した。
先程の彼等と、少なからず問答することになるとは思いもよらなかったため、頭から消え去っていたのだ。
目的を伝えようと、改めてフウラを見やる。
「先程フウラ様が仰っていたことに関係します。私達はこの神殿の方々に、人間と妖精との関係を修復し、魔を滅ぼすのだと小耳に挟みました。本当かどうかを、お伺いしたかったのです」
するとフウラは頷いた。
「本当のことです。以前水の神殿にやってきた方々にお会いして以来、私の中で芽生え始めたのですよ」
「もしかしてそれは、ルアス君達ではありませんか」
水の神殿にやってきたという者達に心当たりのあったリフティアは、言葉にして紡ぎだす。
するとフウラは険しい表情を垣間見せた。
なにか言いたげにリフティアを凝視し、口を震わせたが、すぐに強く表情を引き締める。
ややあって、穏やかな面持ちへと戻った。
「貴方方は、その方達を知ってらっしゃるのですね」
「はい。この神殿に来る前、行き倒れる彼等を見つけて手当てをしたのです。その際、水の神殿での出来事を聞き及びました。副官であるナリス様のことも、ご冥福をお祈りします」
先程の険しさに一瞬の不可解さを感じたが、それは彼等の安否を気遣うものからきているものだと、フロリスミアは解釈して告げた。
彼等からナリスと思しき者が亡くなったと聞いていたため、追悼の意を述べる。
けれどフウラはどこかしら思いつめた表情で、思案に暮れている。
ややあって、フロリスミア達へと朗らかな眼差しを向けた。
「彼等を救って下さって、ありがとうございます。水の神殿を去る際、手傷を追っていたため心配していたのです。彼等と共にいた白竜が、貴方方のところに導いて下さったのですね」
「白竜……ですか」
予想すらしていなかった存在に、フロリスミアは驚きによって目を瞠り、リフティアは問うた。
伝承や創世神話でしか存在しなかった白竜が実在し、彼等の傍にいたのだということが、とっさには信じられなかった。
「……素敵だわ。だからあの子達は、種族に関係なく共に旅をしていたのね」
白竜という存在は、神の御使いとして崇拝されている。
共にいるルアス達は、神の導きを受けた存在なのだと、フロリスミアの中で神格化されていく。それほどまでに白竜の存在は大きい。
「私は神殿にいる方々に告げました。けれど実際に目にしたのは、あのとき水の神殿に生存していた方々だけなので、半信半疑でしか伝わりませんでした。あの方達が、人と妖精との共存を望む私に協力してくださると良いのですが……」
「きっと、いえ、必ず来て下さいます。少なからず、あの子達と関わった者として協力させて下さい。そのために、私達はフウラ様と面会することを望んだのですから」
爛々(らんらん)と目を輝かせながら、熱のこもった口調で、フロリスミアは申し出た。
フウラは心から嬉しそうに、感謝の意を述べた。
ただしリフティアは、共存を望むことに違いはないものの、なにかしら一抹の不安を感じていた。
*
シェイドがエレムルスと連れ立って、何度目かの晩のことだった。
焚き火からある程度離れ、二人は座っていた。火を嫌う魔物は多いが、明るさに引きつけられることは多い。
そのための用心である。もちろん広範囲に渡って、魔物の到来を探知するための風の魔法は忘れてはいない。
一応の対策をとり、腰を落ち着けているものの、シェイドからは剣呑とした雰囲気は消えていなかった。
腕を組み、眉間にしわを寄せる様は、さらに険悪さを増している。
「あの、シェイドさん。大丈夫ですか」
「なにがだ」
おずおずと問いかけるエレムルスに、シェイドは睨みを利かせる。
するとエレムルスは、逆に自分が詰問されているように萎縮した。けれど問いたげな眼差しだけは向けている。
「だからなんだ。はっきりと言ったらどうだ」
「すみません。とても気を張り詰めているようだったので、それで……」
「そうだな。誰かさんの、おかげでな」
あからさまにため息をつくシェイドに、エレムルスはなおのこと萎縮した。
「僕を連れて行こうとするのは、やはり神の御使いである白竜のお達しだからなんでしょうね。罪を購えというのでしょう」
「なにを言っている。これは俺の意思だ。アーサーは関係ない」
エレムルスは訝しげに眉をひそめる。理解しかねると告げているようだった。
「なぜ? あんたはアーサーという白竜の御使いの従者じゃないのか」
「俺はあいつの従者になったつもりはない。俺は俺の目的のために、奴を利用しようとしただけだ」
「そんな大それたことをするだなんて! それに僕は御使いのお言葉だと思って、怖かったけれど覚悟を決めてついてきたのに」
創世神話の神々と、御使いである竜。それらを崇める信仰は多かれ少なかれ根底にあり、白竜の姿を目の当たりにして、よりいっそう強い信望者となったのだろう。
絶対視するエレムルスに、シェイドは正直むせ返りそうなほどの不快感を覚えた。
「貴様はこれまで怯え暮らしていたようだが、神の言葉には従うのか。神が死ねと命じれば、そうするのか」
「もちろんだとも。それが神のご意思なら!」
断言する彼に、シェイドは堪忍袋の緒が切れた。立ち上がり、足早に近づくと、平手を叩きつける。
「なにが神だ、ふざけるな! 俺は貴様が神の名を使って、言い訳しているようにしか聞こえない。逃げることも立ち向かうこともせず、自分の責任すら神の手に委ねようとしているだけにな。だが神が俺達になにをしてくれた!」
「神は、僕に逃れようのない罪を残した。神は御使いと共にいた、あんたと引き合わせた。これが神のご意思でなくて、なんなんだ」
殴り掛かりたい衝動に襲われたが、こういう考え方もあるのかとシェイドは思った。
アーサーが語っていたことがすべて真実なら、魔王と呼ばれ君臨しているレンドも、神々の一人らしい。
見ようによっては、神が罪と罰を与えたとしても受け取れる。
だがそれはシェイドにとって、なんの壁外にもなりはしなかった。
「もしそうだとして、なんだというんだ。今この世界に住んでいるのは、神じゃない。俺達だ。俺達は日々の積み重ねによって、今という瞬間を呼び寄せたに過ぎない。それが神の導きだと。これまでの日々を、そんな一言で否定する気か。神の行為という名の下に、自分の責任を転嫁するのはやめろ」
魔王レンドの存在は、たしかに神々の一人であるかもしれない。
彼を止めようというのも、また神々の一人とされるアーサーである。
現在の状況を作り上げるキッカケは、彼等という存在だったかもしれない。
けれど今回の出来事は、神々の戯れや運命ばかりだとは考えたくはなかった。
そうでなければ人間、妖精問わず、生命ある者はすべて神々によって翻弄されているに過ぎない。
意識や考え方の違いだといわれてしまえば、それまでかもしれない。
だがはたしてそこに、自身として生きる意味はあるのだろうか。それを思うと、悔しくて仕方がない。
「そんなつもりなんてない。僕は……神は!」
エレムルスは頭を激しく左右に振りながら、シェイドの言葉を否定しようとする。
「神を信望し、すがる前に、自分で考えることを放棄するな」
叩きのめされたためか、地に這いつくばるような形で、すすり泣きを始めた。
言い返そうとする気力さえ、どこかに吹き飛んでしまったらしい。
怒りの衝動は収まらないが、これ以上シェイドはなにもするつもりはなかった。
先程まで座っていた場所へと戻る。乱雑に腰を下ろし、焚き火を境にするようにして向こう側にいるエレムルスへと視線を投げかける。
ルアスやフィニアには、昔を否応なく髣髴させるなにかがあった。それが足枷にもなり、不快感にもなっていた。それが彼等と離れた要因の一つでもあった。
けれどもエレムルスは、それとは違った意味で腹立たしい。
両親や知人がザルバードに惨殺されて以来、一度だって泣かなかった。泣くことができなかった。
幼少の頃を彷彿とさせるようで落ち着かない。ザルバードの手によって、目の前で父と兄が殺されたあの日、言われたことを思い出す。
――ゴルファ洞窟の番人の息子か。ならば貴様には、番人の息子としてあの洞窟の監視を頼むとしよう。見ているだけでいい。我等にとって、あの場所は特別なのだ。いいな、番人の息子よ。
リフティア達の家で、夢見たザルバードとの会話。家族が逝ってしまったことへの衝撃が強すぎて、ほとんど忘れていた。なぜ彼が、あのようなことを語ったのか定かではない。
当時はまだ幼かったためか、それとも単に知らされていなかっただけなのか、ゴルファ洞窟になにがあるのかはわからない。
だが父が番人として受け持っていた以上、なにかしらあったのは事実だ。
洞窟が破壊されたとき、なにかから開放された気がした。
それはルアス達と旅路を共にしようとキッカケでもあった。
ふと、ザルバードと対面して萎縮した、幼少の自分が思い返される。
開放されたのは畏怖や恐怖を感じた当時の記憶からではないと、シェイドは自身に言い聞かせた。




