三回
〇三章,激動の末に・上/三回
ルアス達が滞在している場所から、最も近い地の神殿でなにかが光り輝いた。
続いて衝撃音、地鳴りが響く。いくら地の神殿が近いとはいえ、それでも数十キロは離れている。
そのような場所から目視し、地響きが届くなど尋常ではなかった。
フロリスミアが大陸をもっとも自由に行き来する風の精霊を呼び出し、尋ねてみたところ、魔族と魔物の群生により、ほぼ壊滅状態だという。どうやら同じ魔族により、他の神殿も似たような事態に陥っているそうだ。
「神殿が全部、壊滅状態ってどういうことだよ!」
ルアスは身を乗り出し、詳細を知りたがった。フィニアも息を呑み、耳を傾ける。
「それは私にもわからないわ。だから準備を整い次第、私達二人で地の神殿に行ってみるつもりよ」
「二人で行くのですか。フロリスミアさんは妊娠されていますし、リフティアさんは人間なんですよ」
「そうだった。いくら調べに行くっていっても、神殿は妖精ばかりみたいだし危険だ」
人と妖精とは、互いに侮蔑、軽視し合っている。場所によっては、殺傷沙汰もありうるのだ。
そのことを、身を持って知っているはずなのである。
するとリフティアは、微笑を浮かべた。
「風当たりが強いのは知っています。最悪身の危険はあるでしょう。けれど俺達の願いは、人と妖精との共存です。損得なしに共にいることで、変えていく努力はしたいんです」
「それにお腹の子のことは、以前から話し合って決めていたの。もしなにかできることがあるなら、気にせず、惜しまずに奮闘しようって」
夫に頷きながら、フロリスミアはお腹を優しくなでた。
戸惑いを覚えつつ、ルアスとフィニアは二人を見つめた。
けれど真剣であるということは伝わってくるため、ことさら今後の安否を案じる。
「大丈夫、体を壊さないように気をつけるつもりよ。この子を無事に産みたいもの」
心配しないでというように、フロリスミアは微笑する。
その日の夕方、二人は地の神殿へと向かったのである。
それが、およそ数十日前のこと。
残ることを選んだルアス達は、現在重苦しい日々に苛まれていた。
シェイドが部屋に閉じこもったきり、出てこないのだ。食事を持って行き、声をかけるも返答はまるでない。
シェイドのことは気に掛かったが、フィニアに任せて家を出た。
裁きに来たのだろうという、フェザーフォルクの青年の言葉も、同様にルアスの胸に引っ掛かっていたのである。
木造一軒家の前までやってくると、躊躇いがちに玄関扉をノックした。
誰も来そうにない辺鄙にある家である。何度目かの訪問であるため、誰であるかの予想はついているのだろう。爽快なほど反応はなかった。
二度目のノックをするが、同じである。
「いるんだろ! 戦争の引き金は、俺は話でしか知らない。だからお前が、そこまで怯えるのか知らない。だから罰を与える気なんてないし、アーサーだって、白竜だって、きっとそんなことする気なんてない。ただ俺は、本当にお礼を言いたかっただけなんだ」
できることなら面と向かって謝礼を述べたかったのだが、相手が怯えている以上、外から声をかけることしかできなかった。
それでも何かしらの反応を期待して待ってみるものの、なにも返ってはこなかった。
残念に思いながら、ルアスは背を向ける。心なしか、足取りは重かった。
言葉と足音を聞いていた青年は、受け入れたくなくて耳を塞いで蹲っていた。
けれども、どうしても無理だった。
何度も呼びかける声が、足取りが、叶わぬ希望を掻き立てる。あの日、駆け寄る足音は、向けられる言葉は、ほとんどすべて敵意が込められていた。
どれだけの歳月が過ぎようと、けして離れることはない。
それでもルアス達を助けたのは、神の使いとされる白竜の姿があったためだ。
助けることで、自分の罪を帳消しにしたいという思いがあった。
けれど思いながらも、白竜と共にいた彼の言葉が、青年の頭を擡げる。あれは欺くことで呼び寄せ、審判を下すための甘い囁きだ。
同時に、罪を許されたことに対する祝福だという、相反する考えが渦巻いていたのである。そのためルアスの言葉を、素直に聞き入れられなくなっていた。
(僕は、どうすればいいんだ)
裁かれたい、けれども許されたいという気持ちが揺れ動き、行動を躊躇わせていた。
少年に直に会えば、答えが出るのだろうかと思わせられるほどに。
青年は戸惑い、怯えながらも、勇気を振り絞って家を出た。
*
フィニアがシェイドのこもっている部屋の前に立ち止まる。
遠慮と戸惑いによって、何度も声をかけようとするが、喉が萎縮して絞まったかのように声を紡ぐことができない。
「いい加減、俺を気にかけるのをやめてくれ」
扉一枚を隔ててなお、気配を感じ取ったのだろう。シェイドが苛立たしそうに跳ね除ける。
「ですが、放ってはおけません。私に何かできることはありませんか」
「目障りだと言っているだろう!」
怒声に強い拒絶を感じとったフィニアは怯んだ。けれどすぐに身を引き締め、口を開きかけた。
「ちょっと、フィニア!」
どうやら帰宅したらしく、外からルアスの声が聞こえた。
ただし普通ではないと直感が告げ、彼のいる場所へと行くと、風の精霊の訪れだと気づいた。
たぶんにフロリスミア達からの伝言だと悟り、急いで表へと向かう。
「帰ってきたらすぐに、風が妙にまとわりついてきたんだ」
「やはり風の精霊ですね。偶然外にいたルアスさんに、お渡ししようとしたのでしょう」
「ということは、フロリスミア達からか」
「きっと、そうですよ」
フィニアは小さく、短く詠唱すると、風が徐々に拡散していく。
伝言という己の役目を終えて、自由の身に戻っていくのだ。
反面、受け取り手の表情は少しずつ蒼くなっていく。直後、痛切に目を細める。まるで、なぜと問うように。
嫌な予感がして、ルアスは訊ねることができずに息を呑んだ。
「……神殿が、ほぼ壊滅状態だそうです」
「それは前に聞いた。原因がなんでかってことだろ」
普通に考えれば、魔物の群生によるものだろう。
けれどもルアスは、妙な胸騒ぎによって反問していた。
「すべての神殿が一人の魔族によって同時刻辺りに襲われ、ほぼ壊滅状態だそうです。聞き及ぶ容姿を考えると、おそらくザルバードの手によって。他の神殿に、立て直すための助力を願いに行った使者が、仰っていたそうです。それぞれの神殿で生き残った彼等を、唯一無事である巫女のフウラさんが、光の神殿に呼び集めている、と」
「なんだよ、それ。なんだってそこで、フウラが出てくるんだ」
「私も詳しいことはわかりません。ですがフロリスミアさん達は、光の神殿へと向かうそうです」
詳細が見えてこないながらもシェイドにも伝えようとした矢先、激しく扉が開け放たれた。
どうやら先程の会話が聞こえていたらしい。
視線はなにかに急いているかのように前を見据え、足早にルアス達を横切っていく。
「ちょっと待てよ」
ルアスはシェイドの手を掴むも、振り払われ、なおも突き進んでいく。
「待て」
ルアスでも、フィニアでもない、落ち着いた声が呼び止める。
シェイドは足を止め、目を細めながら振り返る。
「また随分と、出てくるのが遅かったな」
「すまぬ。まともに会話ができるまでに、回復するのに手間取ってしまった」
「力の回復と温存か。それは水の神殿に入る前も、行なっていたのか。ザルバードと戦闘になると知っていてのことか」
「そうだ。水の神殿へと近づくたびに、奴の気配が色濃くなっていたのでな」
肯定するアーサーへと、目元を鋭利にさせる。苛立ちも不服さも隠そうとはしない。
けれどアーサーは、彼の視線を悠然と受け止めている。
「なぜ気づいていて教えなかった。機会はいくらでもあったはずだ。もっと早く知っていれば、俺の対処法も変わっていたんだぞ」
「それは、すまぬと思っている。だが相手との衝突を考えたとき、伝える時間さえ惜しかったのだ」
「そのせいで俺は、千載一遇の機会を失ったんだ。貴様が回復時間を惜しもうが、誰がどうなろうが関係ない。俺が、奴を殺すという目的の邪魔をするな!」
「シェイド、それはあんまりだ!」
容赦ないシェイドに、ルアスは声を荒げた。
シェイドの言葉は、誰であろうと必要ないという拒絶そのものだ。
言葉どおりに受け取るなら、これまで共に旅をしていたルアス達の存在も等しく同じなのだろう。
常に気にとめてほしいと望む気はない。けれどなんの感情さえもないというのも辛かった。
「今ここで、それを論じる気はない。それよりもアーサー、貴様が神本人らしいな。しかも真理と秩序と調和を司る神なら、なぜ今まで魔の存在を放っていたんだ。なぜ未然に防ぐことができなかった」
「それは魔王たる存在であるレンドが、我と同じ神だからだ。我と真逆である混沌と不和と破壊を司る。我々は神々の最後の生き残りなのだ」
思わぬ真実に、ルアス達はいっせいに息を呑む。
今まで魔王の存在は謎とされている。
だからこそ、人間側の主張によれば妖精が召喚して創り上げた、妖精側によるならば人間の醜悪な心が具現化した存在。
もしくは行き場のなくした、混血児の手によるものではないかと考えられていた。
けれど戦争直後に突然現れ、魔物の大群を呼び出し、神の神殿を数日で占領した手腕は、神でなくてはできないようにも思えた。それでも即座に頭から信じることができないのも事実である。
「遥か遠い昔、我々以外にも神々は数多く存在していた」
沈黙により先を促されるようにして、アーサーは説明を始めた。
それは現在でいうところの、創世神話とされる時代。
神々はどこにでも存在し、溢れ、己の領域を守っていた。
肉体は持たず、己の望むままに具現化し、存在することができた。力の差というものはあったが、それぞれには上下関係などなく、不可侵がおのずと定められており、均衡が保たれていた。
けれどそれを心良しとしない神もいたのだ。
今の均衡を嫌うものは、こぞって他の領域を襲い始めた。
他の領域によって押しつぶされぬよう、己を保つため。己の力を誇示し、身を守るために。
なぜなら不可侵の均衡を守ったところで、力無き神は不可侵の領域を目の当たりにするだけで圧倒され、最悪消滅する。
根底にあるのは、ただ生きるためだった。もちろんこれまでの暮らしを望む神々は、己の領分を守るために戦いに応じていく。
こうして始まった諍いは徐々に拡大し、後に真理と秩序と調和とを望む神々の一派と、混沌と破壊と不和を望む一派とに二分されることになったのだ。
戦は延々と続くかと思われる中、互いの神々は次々に命を落としていく。
肉体はないため、代わりのように神々の力の源は分散されて地上に降り注いでいく。小さな力は、微々たる精霊に、大きな力は精霊長となり、精霊の誕生の祖となった。
同時に生命の誕生の源ともなり、風、水、植物といった自然が芽吹き始めたのだ。
やがて動物が生まれ、その中に妖精や人間も含まれていた。
神々の波紋は彼等にまで及び、争いが絶えることはなかった。
長い戦いの果てに、気がつけば生き残った神がアーサーとレンドだけになっていた。互いに疲労は極限に達しており、相打ちという形で一端の幕引けとなった。
あまりに体力の消耗が激しかったために、力を取り戻すために眠りについていた。
創世神話と呼ばれる時代は、一旦の終結を迎える。
同時に神のいない生活の営みが行なわれるようになったのも、このときからだった。
肉体はないため、望めば意識のみを、望む場所に飛ばすことができたため、時折地上を覘き見る。
地上では多少の小競り合いはあったものの、平穏が続いていた。妖精と人間との関係も、つかず離れずという距離感を保ちながら共存していた。
やがてそんな中で、種族など関係なく、互いの結びつきや交流を深めようと呼びかける者達がいた。
けれど呼びかけに強く応じる者がいる中で、やはり恐れを抱く者もいた。
魔王レンドは直接手を出せはしなかったが、彼等の心にある恐れに囁きかけ、増徴させることを思いついた。
彼等は共存するに値しない、と――
元々あまり快くは思っていなかっただけに、彼等は自身の中でそれらが積み重なっていくことに、疑問など感じてはいなかったのだろう。
やがて一人の妖精の行為が引き金となり、爆発したのだ。
妖精と人間との間に大きな戦争が起こり、レンドはここぞとばかりに破壊を強く望む男の体を、力を貸すという代価によって苗床として奪い、もっとも回復に適した環境を整え始めたのだ。
現在の魔王の座が、それである。
アーサーがそのことに気がついたのは、事が起こる寸前だった。すべてが、後の祭りだった。
「そのため我は是が非でも、宿主を選び出し、力の回復を望むしかなかったのだ」
説明を終えると、アーサーは口を閉ざした。
重い沈黙が辺りを支配する。どう受け止めてよいのか、見当がつかないのだ。
「……なんだそれは、過去での諍いが現在でも継続されているというのか。そんなことに巻き込まれたのか!」
シェイドは拳をテーブルに叩き付けた。純粋な怒りだけが、浮き彫りになっている。
「でもそれって、アーサーが悪いわけじゃないだろ。むしろ正しいことをしようとしてる。悪いのは向こうじゃないか」
「それは少し違う。我は奴等の行為を悪だとは思わぬ。我等は互いに、己の存亡を賭けて戦っているに過ぎぬのだ。そこに正義も悪もない」
「ですが魔に属する彼等は、私達を襲い、傷つけています。存亡のためというけれど、そのために何人もの方々が犠牲になったのですよ」
これが間違いでないのなら、どうするのかとフィニアは反論するも、アーサーは小さく頭を左右に振った
。
「秩序や調和が絶対の正義でないように、破壊や不和が絶対の悪ではない。どちらでもあり、どちらでもない。守るもののために破壊を行なう様は、いつであれ存在していた。我等の争いは、後世の人々の諍いは、人間や妖精の道徳によって善か悪かに分けられているに過ぎない」
「それは……」
規模の大小によっても異なると言いたかったが、結局のところ変わらない。
道徳観念は、集団で生きる上で必要とされたに過ぎない。
そうでなくとも立場や思想によっては、正義のありようは違うのだ。
フィニアは口に出しかけた否定の言葉を飲み込んで、目元を伏せる。
「今は、そんなこと関係ない。論じる気もない!」
シェイドが一喝すると、重圧のある静寂が訪れた。
実際に論じている時ではない。なにをしたいかを考えると、レンド側とは敵対せざるを得なかった。
その中でルアスは、おずおずと小さく手を上げる。
「……なあ皆、この話をしたい奴が一人いるんだけど、いいかな」
「それは、どなたのことなのですか」
「この間俺達を、最初に見つけてくれた青年がいるって、フロリスミアが言ってくれたことがあっただろ。その人のことだよ。戦争の引き金を作ったからって、今もずっと悔いて怯えてる。その話をすれば、自分だけの責任じゃないってことで、少しでも負い目を減らせるかもしれないって思ったんだ」
「そいつは、今どこにいる」
シェイドはルアスの襟首を掴むと、表面上は一見静かだが、底冷えするほどの怒気を孕んだ眼差しを向ける。
思わずルアスは息を呑んだ。
「ど……どうする気だよ。そいつだって被害者の一人かもしれないんだろ」
「そんなこと、知ったことか。戦争を引き起こした、直接的な原因には違いないんだろう」
冷淡に告げると、外から足を踏み外して離れる音を聞いた。
手を放すと、シェイドは即座に扉を開け放した。
するとそこには、フェザーフォルクの青年が座り込んでいた。
話を聞いていたのだろうか、すっかり怯えきっており、倒れた姿勢からすぐには立ち上がれずにいる。
シェイドが歩み寄ると、青年は手足をバタつかせながら後退する。ややあって体勢を整えると、背を向けて走り出した。
「逃がすと思うのか」
シェイドが小声で呪文を詠唱すると、青年の足元にあった草が急速に伸び、足首に絡みついた。
直後派手に転び、それを必死に手で引きちぎろうとしている。
よほど気が動転していたのだろうか。意識がそちらに向いている間に、シェイドは彼の首元に短剣を突きつけた。
「名はなんという」
「……エレムルス」
逃げられないと直感したのだろう。か細い声でフェザーフォルクの青年、エレムルスは答えた。
「貴様は何者だ。先程ルアスは話をしていた男か」
すると、エレムルスは頷いた。
「ちょっと、なにしてるんだよ。やめろよ!」
ルアスは慌てて走りより、割って入るように引き離した。
「ケティルさん、お気持ちはわかります。ですがこの方を非難しても、なにも変わりません」
「そんなことはわかっている。だが俺の気持ちがわかるなら、なぜ止める! こいつがいなければ、今頃こんなことにはなっていなかったんだぞ」
エレムルスを助け起こそうとしているフィニアへと、シェイドは感情を剥き出しにして叱咤する。
「その者でなくとも、遅かれ早かれ誰かが引き起こしていたのだろう」
「だが結果的に、引き金を引いたのはこの男だ。責任を問うことがなぜ悪い!」
「好き勝手言うな。あんたに僕の気持ちがわかってたまるもんか!」
気持ちが収まらないのか、一向にやめる気配のないシェイドへと、高々に抗議した者がいた。
エレムルスである。助け起こされると、捲くし立てる彼を睨みつける。
「あんたに、なにがわかる」
エレムルスはもう一度、少し声色を抑えながら告げた。
「ただの悪戯のつもりで、魔法で足を引っ掛けてやろうとしただけなんだ。他の友人はもっと酷いことをしていたのに。それがあんなことになるなんて、思いもよらなかったんだ。あのあと人間や妖精に関わらず、何度友人や知り合いに罵られ、傷を負わされたか。今までどれだけ、怯え暮らしてきたか知らないくせに!」
「ああ、知らないな。知ろうとも思わない。だが貴様がキッカケを作ったことには変わりない。そのために命を無碍に落とした者も少なからずいる。目を逸らしたところで、現状は変わらん」
強く、物怖じしない態度に、エレムルスのほうが怯んだ。目尻に、涙が溜まっていく。
「向き合ったって、なにが変わるわけじゃない。僕には、なにもできないんだ!」
エレムルスは背を向けると、脇目も振らずに走り去っていく。
シェイドは彼を一瞥すると、仮住まいである家へと向かう。
取り残された二人は一瞬途方に暮れたが、フィニアは残り、ルアスはフェザーフォルクの青年を追いかけた。
だがルアスは追いつくことができず、彼は家へと閉じこもってしまった。
「ごめん、俺、こんな目に合わせるつもりじゃなかったんだ。でもシェイドはあの戦争で家族や知り合いを亡くしたらしい。フィニアだって他の誰かだって、大事な誰かや、なにかをなくしてる。だからあまり嫌わないでほしい」
「うるさい、君も勝手だ! なにもしないようなことを言っておいて、僕にすべての責任を押しつけるんだ! もう誰に言葉にも耳を貸すもんか。帰ってくれ!」
違うんだ。俺はそんなつもりなんてなかった。
ただ本当にお礼が言いたくて、できるなら話がしたかっただけなんだ。
拒絶するエレムルスへと弁解したかったが、結果的にそうなってしまい、なにも言うことができなかった。
伝えたところで信じてはもらえないだろう。悔いながら、ルアスは後ろ髪引かれる思いで離れた。
*
その日の晩のことだった。
夜空には星が瞬いていたが、月は姿を見せていない。
うっそうと茂る草木を慎重に掻き分けながら、エレムルスの家に辿り着く。
これからすることに後悔はしないだろう。
きっとルアスとフィニアが追ってくるだろうが、かまいはしない。
思いながらシェイドは、ここに来るまでのアーサーとの会話を思い出していた。
「行くつもりか」
外へと出るため、足音や気配をできる限り消しながら、シェイドはドアノブに手をかける。
突如現れた一つの影に気づき、動きを止める。
「止めても俺はやめるつもりはない。俺は俺のやりたいようにするんだ。そのためにはルアスとフィニアの存在は足枷でしかない」
「そなたがなにをしようとしているのか、問うつもりはない。だが二人は、そなたの姿がないことに気がつき、後を追うだろう」
「それでも俺は行く。俺の居場所を奴等が聞いたら、俺はエレムルスという男を連れて光の神殿へと行くと言えばいい」
「そこにすべての神殿の生き残りを集めていると聞く。ザルバードが現れると考えているのだな」
「知る限りの情報では、可能性は高いからな。俺は復讐を遂げるために、急ぐ必要がある。そして奴には、十分に利用価値がある」
言い捨てると、シェイドはこうしてエレムルスの住居へとやってきたのだ。扉に手をかけるが、開かない
建物の外壁の構造を見ると、窓らしきものはあるが、人が通れるほどの大きさではない。換気口のようなもののようだった。出入り口は一つだと確認すると、ほくそえんだ。
「地の精霊よ、礫となりて、入り口を破壊せよ」
詠唱すると、土が無数も盛り上がり、拳大となる。
かと思うと、扉へと一直線に叩きつける。間もなく扉は破壊され、見るも無残な姿となった。
「今ので、目が覚めただろう。出てきたらどうだ」
けれど姿を見せない。動く気配さえない。
静寂の中で派手に行動を起こしたのだから、気がつかないはずはなかった。
夜更けに外出しているのかと考えたが、一人怯えて暮らしているらしい。
そんな彼が、出歩くだろうかと不審に思う。
考える時間が惜しいほどに気が急いているため、シェイドは舌打ちすると、足早に家の中へと入っていく。
すると家の隅で震えている人影を見つけた。
確認するまでもなくエレムルスだろうと見当づけると、短剣を向ける。
「どうして君は、こんなことをするんだ。そんなに僕が憎いのか」
「ああ、憎いさ。だからこそ貴様には、こんなところで燻られては困るんだ」
「……僕を、殺す気なのか」
「いや、俺と共に光の神殿へと来てもらう」
拒否権はないのだということを言外に含ませる。
そのことに気がついたのか、目を瞠るエレムルスに、シェイドは不敵に笑んだ。
翌朝、日の光が柔らかく差す頃。
ルアスは目を覚まし、居間へと移動すると、誰も起きていないようで閑散としていた。
少しばかりで動いたためか、寝ぼけ気味だった頭が冴えてくるのを感じる。昨日のシェイドの行動を改めて思い出たのだ。
あれ以降、またしても部屋に閉じこもっていたのである。なにかを思いつめるように。
「どうにかしないとな」
目的がある以上、現状のままでいいはずがない。
まだ一つも成し得ていないけれど、向き合うと決めたのだ。
シェイドと、フィニアと、様々に取り巻く事柄と。一度気を緩ませると、足が竦みそうになる。
けれども勇気を振り絞って彼の部屋へと赴き、声をかけようとした途端、白竜が足元に現れた。
「あの者はおらぬよ」
「なに言ってるのさ。シェイドがいないはずないだろ」
「本当だ、あの者は光の神殿へと向かった」
「そんなはずない。いつだってシェイドはいてくれて、俺達を置き去りになんか……。シェイド、いるだろ!」
言葉の上では否定するものの、ルアスの心が揺らいだ。
水の神殿の出来事によって核心が持てず、戸を叩くも、それに対する反応はなかった。
気配も感じられない。動悸が早くなる。
皆の目的は違う。違うが、それぞれ思うところがあって、今まで共にいただけである。
いつかはこういうときが訪れる可能性は感じていたが、明確に考えたことはなかった。
これまでどんなに苛立っていても、シェイドは傍におり、見放すことはなかった事が大きい。たとえそれが打算からくるものだったとしても。
思いながら戸を空けると、中は蛻の殻だった。
簡易ベッドが一つあるだけで、隠れることのできそうな場所はない。ルアスは愕然とし、目が潤んだ。
「申したであろう。あの者は、光の神殿へと向かったと」
「どうしてそこに行ったってわかるんだよ」
「昨晩、あの者が自ら、我へと告げたのだ」
「だったらどうして、止めてくれなかったんだ!」
「あの、どうかしたのですか」
癇癪染みたルアスの声に気がついたフィニアが姿を現し、歩み寄る。
次の瞬間、開け放たれた部屋を見て言葉を失った。
「……シェイドが、光の神殿に行ったって言うんだ」
「あの者だけではない、昨日の青年エレムルスも共に連れて行くと言っていた」
「エレムルスさんもですか。なぜ……まさか、ザルバードが関わるかもしれないということでしょうか」
疑問を呟くも、あることを思い至り、問うように言葉を漏らした。
アーサーは肯定も否定もせずに、フィニアを見上げる。
「我には憶測しかできぬ。だがこの大地に住まう者達は、一部を除いて団結というものが希薄だった。神殿の者達だけとはいえ、一つの所へと終結する彼等を危惧する可能性は皆無ではない」
「だったら、なおさら止めてくれればよかったじゃないか」
「あの者が己で考え、行動することを、我の権限で止める権利などない」
「けど、だけど……」
アーサーの言い分は納得できる。
もしルアスがアーサーと同じ立場であっても、止めることはできなかったろう。
逆の立場であっても、制止を振り切っていたかもしれない。
けれど感情は、見過ごしたアーサーへの苛立ちと、その場にいなかった自分自身への責め苦がある。
悔しく、情けなく、床を睨みつけるように目元を落とした。
「私達も行きましょう。エレムルスさんが連れて行かれたなら、それほど早くは移動できないでしょう。今から行けば、追いつくかもしれません」
思い至らなさを衝かれたようにフィニアへと向けた顔が、自然と綻んでいく。
「そうか、そうだよな。追いかければいいんだ。途中で追いつかなくても、目的地はわかってるんだ。俺、早速身支度してくる」
次の行動を見出したルアスは、即座に駆け出した。
彼の姿を見て胸をなで下ろすと、フィニアは表情を引き締める。
同じく旅支度を整えるために、割り当てられていた部屋へと向かった。
各々の行動を見ていたアーサーは、僅かに目元を緩ませた。




